[ゆっくり解説]戦前の酒保(軍隊の売店&飲食店)物語
ฝัง
- เผยแพร่เมื่อ 3 ต.ค. 2024
- 一阿(いちあ)さんというユーチューバーの方がいます。
御年90歳超えの方で海軍兵学校時代のことや戦前の日本のことを色々動画にして下さっている方です。
すごくためになる動画ばかりなので、もし興味がおありの方は下にリンク貼っておくのでよければ動画を観に行ってみて下さい。
海軍兵学校の食事の動画なども上げていらっしゃいます。
/ @ichia369
酒保で他に何が売られていたのか知りたい方用にウィキペディアのリンクを貼っておきます。
ja.wikipedia.o...
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・夏休みの探検(甘茶の音楽工房さん)
・星の瞬き(甘茶の音楽工房さん)
甘茶の音楽工房さん
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参考文献
・日本陸軍 兵営の食事
・日本陸軍 兵営の生活 - บันเทิง
突撃一番とは、まさにその通り、名付けた人えらい。
千人針みたいなやつですか?
「鉄カブト」という呼び方もあったはず。
陸軍が突撃一番で海軍が鉄カブトだったかな?
@@星屑-m3r コ○ドームです
@@nnn-km7vg
oh(´>△<`)...
名付けた人エ○い!
現在の海上自衛隊でも、護衛艦等の艦内に設置されている売店や自販機コーナーを酒保と呼んでいるそうです。
現代のコンビニは、米軍のPXを、モデルとして、生まれたと聞いた事有ります。わりと納得したな。
父は海軍飛行兵でした
父はライスカレーと言ってたけどそーいう事だったのか
終戦間際はどんなラインナップだったんだろう。
枯渇していたにしても何かしらの食べ物が並んでいたんだろうか。
主へ。資料があれば、1945年のヤマト特攻の食事と沖縄戦の陸軍兵の食事を比較して欲しい。
こんばんは。
食品の品質検査は現代ではおいても重要な事ですので、当時からの食品の管理が行き届いてた事が
今の現代の食の品質管理につながる事の大切さに
ありがたく思います。
関西で昔は公設市場内や屋台で関東炊屋さんが
たくさんありました。今でこそ、おでんと呼びますが、私が幼少の頃は関東炊きと言ってたのを
思い出しました。お店の、のれんも関東煮でした。
祖父が陸軍人だった頃、食事にはなぜか毎食必ず栗きんとんが付いてきたそうです。
最初は美味しくてもすぐに飽きて誰も食べなくなり、残飯入れには栗きんとんの山。
日に日に食糧事情が悪くなってもこの栗きんとんが無くなることはなく、親兄弟に送ってやりたくて仕方なかったそうです。
栗という名の芋だからね。
のらくろの酒保で売ってた饅頭、妙に美味しそうだったなぁ
のらくろ・・・って書こうと思ったらもう書かれてたw
「しるこはうまいねゴクゴクゴク」うまそうだったなあ
入営したばかりの「初年兵」の頃は酒保でうっかり飲み食いなどをしていると、古参兵(二年兵)から「生意気な奴だ(# ゚Д゚)」とビンタされ、イジメの標的にされる事もあったそうです(~_~;) それゆえ初年兵の頃は酒保では必需品を買う程度で、古参兵が除隊して「酒保で戦友達と堂々と飲み食い出来るようになった」事が嬉しい思い出の一つだったようです。
とはいえ戦時中、多くの古参兵が兵営に召集されると、せっかく「二年兵」になっても酒保で気兼ねなく飲み食いは出来なくなったようですが(^_^;)「モノ不足」が絶望的になった昭和19~20年頃になると、士官(将校)でさえ酒保を利用出来ない駐屯地や基地もあったらしいです。
鬼より怖い、古参の目を盗んで買って食べるアンパンやサイダーが、キツイ(えげつない)しごき・
虐めに喘ぐ、「初年兵」の心の癒しだったからなぁ……。
@@僕はね名無しさんなんだ-c9t かと思うと、初年兵の寝台の中に密かに アンパンが一つずつ入れてあったり。
(ちなみに「潜ってこっそり食べろ」という名も無き上官の仕業)
私の中学時代の友人の祖父は兵役の間一度も酒保に足を踏み入れなかったとか。ホンマかいな。
すでに開戦当初から酒保の物資不足が地方基地では起きてます、日米が争う前にすでに日中戦争すら破綻しかねない状況だったんです
海軍とウィスキーの関係は朝ドラの「マッサン」でも出てましたね。
生産が軌道に乗り始めたばかりのニッカウヰスキーを海軍が軍需工場に指定してました。
関東炊きは、おでんの関西での呼び方です。
昭和初期で人気を博した少年倶楽部の人気マンガ「のらくろ」シリーズで、主人公のらくろが下士官時代に酒保の番を頼まれる話がありますね。のらくろが店番に就いたまでは良かったが、売っているモノをツマミ食いしてしまい、美味しかったので売っているウドンやソバを食べ尽くしてしまい、酒保に買いにに来た兵達に売り切れと門前払いにし、聯隊長に問い詰められるという話を、少年倶楽部復刻版で読みましたね。
酒保は、のらくろで知ったなぁ。お汁粉を楽しみにしてた描写とかみてまさかと思ったけど実際の軍隊もそうだったんだな。
自分ものらくらで酒保を知りました。サロン的な場所だったのかな。
のらくろが酒保のものを全て食べる話が印象に残ってます笑
確か、うどんを食べていた様な
酒保当番の日のお話ですね。
あとモール中尉がみんなが無駄遣いしない様に貯金をすすめる回でのらくろは酒保に行くのを我慢して貯めるお話もありましたね。
@@白猫櫻ちゃん
ありましたね、他の兵隊は家から仕送りして貰って
のらくろは、乾パンで我慢する話でしたね。
のらくろ以外は給料以上に貯めていたオチ
海上自衛隊でも陸上部隊は売店と言ってますが、艦船では未だに酒保と言ってます。
ソフトドリンクは、ラムネ・サイダーが基本でした。
東日本は三ツ矢(今の三矢サイダー)
西日本は養老(最近復活した養老サイダー
でした。
炭酸水に香料シロップを混ぜるのですが、三ツ矢と養老では似て非なる味なので、今でも楽しめます(三矢サイダーはアサヒ系列になりましたが…)
養老サイダーは、柔らかく香りが高いのが特徴です。
「酒保開け!タバコ盆出せ!」はよく聞く号令ですね。
「戦死すればチャラ」航空機操縦士や潜水艦乗りは総じてツケも多かったとかですが、
給料から天引きだからこそ、給料以上の買い物ができない様に、管理は行き届いていた様です。
私の祖父は陸軍でしたが、おでんのことを関東炊きではなく関東煮と言っていましたね。私の通った小学校の給食でも関東煮という名称でおでんが出ていました。
私は名古屋の住人ですが、わりと最近まで醤油味のおでんを関東煮と言ってました。今でもいってる人や店gあるんじゃないかな〰️
関西の私の祖母78歳はおでんの事を関東炊きと言います。
聞いた話しなんですが、
関西ではオデンと言うと
味噌田楽(こんにゃく、あるいは焼き豆腐を茹でたものに味噌を付けたもの)を指すそうです。
軍隊という衣食住が確保された空間で、ひょっとしたらお金を使うこと自体が娯楽だったのかもなーってぼんやり思いました。
兵は若いし訓練が激しくいつも腹ペコ。なのに支給される食事ではとても足りないので夕食後に酒保に群がった。
@@mizutanit5233 明治時代の陸軍で毎日一人6合ご飯食べてたのにお腹が空くって、どんだけ激しい訓練だったのか、と。
当時京都にあった武道専門学校の学生達も、「あいつらの頭には脳みその代わりに飯が詰まってる」と言われたくらいに食べたそうですが。
ラムネは戦艦大和では自動ラムネ機?があり、自由に飲めたらしいですね。確か米軍の戦艦にも自動ソフトクリーム機があったらしいです。戦力はこういう所にあるのでしょう。今更プーチンに言っても無駄でしょうが。
おもしろい
じいちゃんから聞いた事がある
酒保で買い物をするときは、売店担当の軍人の階級が上だと、「●●二等兵は羊羹の購入に参りました!!」という感じで申告したとか、していなかったとか…
酒保担当は主計科伍長下に上等兵、一等兵。
酒保や売店じゃないけど教育隊のとき司令部でレンタルビデオのサービスやってて借りに行った時のことを思い出しました
「5分隊ノダ曹侯生、入ります!
ビデオを借りにまいりました!」
こんなんやったw
「関東焚き」はおでんの、関西読みです、関西人はおでんの事をその様に読んでいます。
>軍隊の残飯を民間業者が再調理目的で買い取る。戦前の日本の貧民窟では、残飯再生食を困窮者向けに再販する店があったとききました。主な出所は軍事基地だったのですね。供給源としては、最も安定していますし。
土浦の予科練の記念館に
酒保で買ったお汁粉を嬉しそうに食べるあどけない子供の
写真が展示されていて切なかった
>あどけない子供。戦争末期に募集された、少年特別航空兵(特攻兵要員の実態を伏せた名目)でしょうか?最年少は、14,5歳だったといいます。
戦時中先輩将校に俺のツケにしろと
奢ってもらった後輩数人が酒保で
パイナップル缶詰を一人一缶食べて
支払いに青くなられた話が
村上兵衛氏の本で読んだ
記憶があります。
パイナップル缶詰め。今では誰でも買える、安売り商品。しかし、昔は高級品。バナナも同様。こういう時に、隔世の感というのでしょう。
将校カワイソス
酒保での支払いは給与から天引きされるキャッシュレスだった。
あああーーそうなんだ!!!
それでのらくろが「君のおごりだと思った」と暴飲暴食してから愕然!というギャグが成り立ったんだ!
ウン十年後にやっと理解でけたw
突撃一番は本来の使用法以外にも簡易的な防水具(時計などを入れる)や水筒などにも使えますね。
現在の病院の売店でも売られてて、おばちゃんが箱買いしている。
溲瓶代わりに使うんだと。
(使い方は水風船と一緒)
なるほど‼️
小銃に砂が入らないよう、銃口にかぶせるのは割りと各国でやってたな。
さすがにこの動画を見てる人で知らない人はいないと思うけど、
突撃一番とは日本で初めて発売された避妊具、いわゆるコンドームの事です。
生き抜きには大事だったんだなあ!ばあちゃんは、関東だきっていっていたなあ!
突撃一番www
海上保安官は今でも船内の売店などを酒保と言っていますね
アメリカだと艦内にアイスクリームマシンとか装備してたとかも有名ですね
小学校の時の給食メニューに「関東炊き」とかあって、おでんが出てたので謎だった。
海軍は、下士官、兵なら三ツ矢サイダー、アイスキャンディ、准士官以上だと、氷入りカルピス、アイスクリーム。
かの硫黄島でも海軍はアイスクリーム食べてましたし、良く冷えた三ツ矢サイダー飲んでた。
陸軍は雨水の湯冷ましだけ(笑)
サイダーじゃなくて、各艦のラムネ製造器で作ってるんじゃなかったっけ?
兵は小瓶、下士官は大瓶のラムネが楽しみにだったらしいね。
あと、アイスとかは補給艦が入ったときに食べに行くことが多かったと書物にも書いてましたけど。
なお、外出時は「突撃一番」は必ず携帯していなければならない。使う予定が無くても。
その手のお店に行って使わなかったのが露見した場合、滅茶苦茶怒られたとか
それで万が一性病になったら出世に響く
ちなみに、兵役検査の時性病にかかってることが判明したらタコ殴りにされたそうです。
@@ritatti 軍医に竿を握られて膿がが出てきたら、膿が出てきた穴に軟膏を塗った鉄棒を、膿がが出てこなくなるまで毎日突っ込まれたとか。
@@seijirofto.de2a838 勝新太郎だったかな。
未成年なのに淋病にかかって、下半身裸で相撲取りみたいな看護婦に押さえつけられて…
真っ赤に焼いた金串を、尿道に、じゅっと。
子供のくせにこんな病気に罹ったというお仕置きの意味もあったのかなあ。
40年前くらい前まで関西でおでんの事を関東炊きと読んてましたね!当時関西では濃口醤油を出汁の中に入れて煮込んだので色が黒かったです。よく駄菓子屋で黒いおでんありましたよ🎶で関東では色の薄い出汁おでんが流行って、いつの間にか黒いおでん見なくなりましたね🤩因みに名古屋方面の味噌おでんもありましたよ♥️
うちの爺さん長門の副艦長の従兵していた時ウイスキー飲んだ言ってたけど酒保で売ってたのね
初めて大阪に行ったときに関東炊きの名前の由来と歴史を聞いて なるほどとは思ったけど
若い人は多分言わなくなりますね
今は、どう言う風に言うかは知らないが、昔は護衛艦内での酒・煙草・お菓子&カップ麺等の販売を「酒保」と言い、陸上勤務の売店は「PX(今は、単に売店と言う)」って言いましたねぇ。
PXでは コーラとアップルパイばかり買ってた
今の護衛艦内の酒保は倉庫になってるけどね…。
売ってつかわす、買わさせていただきます!
ふんどし、袴下などの下着類などの生活必需品もありましたよ。
カレーは人気だったが戦時中は「辛味汁」と表記した。
金曜日の昼飯がカレー。
残飯屋、夏場とかだと、食料が、腐敗を始め、まずい状況になったそうですが、スラムだと、そういうのでも食ってないと餓死するというのがあるので、売れたそうです。器を持って行って、一盛りいくらで販売していました。
昭和18年で、連隊行動費用として百万円支給された。
今の価値に直すと軽く10億円。
物品購入費用と兵隊、下士官、将校の給与で使った。
成り上がり商人を描いた小説、「図々しい奴」とか言うタイトルだったと記憶してるけど、
皇室御用達の和菓子屋を追い出されて、培った技術で酒保にアレな形の羊羹を納入して大成功って話を読んだ記憶があります。突撃一番系のネタでしょうね
イギリスでは上級士官、下級士官用として分かれていたみたいですね。
酒保員の大叔父は引き上げの時、実家は痩せ細って餓鬼の様相を想像し、なんとかしっかり食べさせないとと漁師や農家に頭下げて食料をかき集めたのに、当の本人は肥ってつやつや、土産に毛布や布団まで抱えて帰ったとさ💧
無事に復員できて良かったですね。🤗
関西ではおでんよりも関東炊きって呼んでましたね。まあ、40年前の話なので、今はわかりませんが。
未だに関西地域の給食だとおでんではなくて関東煮、かんとだきって書かれてますね
この動画めちゃ好き😘
広告貼ったら普通に何十万くらいは入ってきそうだけどな〜
大型艦の艦内では二酸化炭素消火装置で炭酸水が作れるので、ラムネは特に海軍御用達
今で言う大掛かりなソーダストリームって所ですな‼️
遠洋航海での疲労回復や赤道近辺などを航海中の夏バテ(?)回復などにも役に立った、という当時の海軍士官、将官の記述が残ってます
米軍だとコカ・コーラだけど製造されたものを大量に輸送してたらしいね
軍相手といえど、レシピ公開してないから。香料入れれば出来上がりのサイダーやラムネ製造は簡単
ヨーロッパの連合国や枢軸国はどんな菓子を用意してたんだろう。日持ちする焼き菓子かな
枢軸国のスウェーデンはサルミヤッキかも(フィンランドに限らず北欧全体で人気菓子)
英国の紅茶は補給所行けば、カップとソーサーがセットで小隊単位で無料配布してたらしい
無線機は隊長の戦車のみ搭載でも、湯沸かし器は全車搭載だった
中元本店の創業者が戦艦大和に製法を伝え、戦艦大和のラムネ製造室では、伝授された製法でラムネがつくられ、船員たちに飲まれていました。
大和のラムネが好評販売中。
突撃一番を久しぶりに聞いたっす🎵
「かんとだき」子供の頃食べた味、おでんと違って味も色も濃かった。
大人になって初めておでん食べた時、あっさりしててビックリした❗️
地元では間宮羊羮や大和ラムネ、海自カレーなどを売っています。
戦艦大和が肉じゃがで仁義なく愛が世界の片隅のどこにでも宿るところですね。
すずさん公園には行きましたか?
@@ritatti さん
北條家を再現したこうの史代さんの実家なら行きました。朝日町や三ツ蔵ならウチから歩いて行ける距離です。
@@ホヤぼーや-e8f 朝日町やミツ倉はうちも散歩コースじゃ。
酒保って今で言う駐屯地の中にあるコンビニか、
死んだ親父は旧日本海軍の訓練兵で終戦を迎えました。広島県の宮島近くの海兵団に居ました。甘未は全て配給で配られて、キャラメル(確か明治製)、羊羹、カルピスを貰ってたそうです。
カルピスは濃縮ものが瓶で配られ、班の人数で割ると丁度定量になってたと。羊羹の時はちょっとした事件が起きたそうです。1人2個配給されるものを教員連中が中抜きし、1人1個の
配給になってました。2個配給なのを知らなかったので最初は何も問題無かったのですが、中抜が隊長にバレてその隊長自らが教員の机をこじ開け、ギッシリと積まれた羊羹を発見したそうです。兵の皆が「ざまあみろw」と喜んだそうですが、その日の夜の点呼では理由も判らず壮絶なビンタの洗礼を受けたとw
関東炊きか・・・音で言うと「かんとだき」なんてのは関西の人っぽい言い回しかなー
名古屋じゃ「かんとに」です
戦前の砂糖消費量は結構多いぞ。ぜいたく品ではない。
贅沢品では無いけど、国産が少ないから生活用品としては高めって辺りですかね。
現代ならガソリンみたいな?
@@y-g1322 殆ど台湾産なんだから国産では?
輸送コスト&世界的にまだ砂糖は安価で無かった時代なのを考慮すると、庶民レベルでは「手が届かない事は無いけど安くはない」位かな、と。
その前に台湾の開墾自体も物入りでしたし…
酒保の写真が欲しかった・・・
日本海海戦前、戦艦三笠で酒保勝手(うろ覚え)が通達された。つまりただで好きなだけ飲み食いせよと言うことだったけど、皆羊羮一竿とかお酒を数合とかで無茶な食べ方をするものがいなかったと何かで読みました。
戦艦のラムネは真水が貴重だし、水が腐ってお腹を壊すといけないと言うことで、ラムネが推奨されたらしいです。詳しいことは魚乃目三太氏の戦争めしで語られています。
突撃一番とかは、うん大人の男性ばかりなので上陸するときや休日になると病気予防からも必要ですよね。
アメリカ海軍では撃墜されたパイロットが生還すると祝いに数リットルのアイスクリームが振舞われた、
というのをものの本で読んだことがあり、さすが物量のアメリカだなと思いましたw
@@宇都宮秋人
ケイン号の叛乱 と言う映画では そのアイスの分量が発端で揉めましたね
突撃一番は腕時計や雷管など水濡れ厳禁の物品を保管する際の防水ケース代わりなどに重宝されていたそうです。
あと当時のアメリカ軍では小銃の銃口にはめる蓋代わりにも用いられていたとか。
ちなみにアメリカ軍の海軍艦載機のパイロットを友軍の潜水艦が救助した場合、件のパイロットの乗艦している空母から救助した潜水艦にパイロットと同じ体重のアイスクリームが差し入れられた、という話も何かの本で読みましたっけ。
今でも関西ではおでんを関東煮って言う。関西の方言だと思ってた。
関東炊きは、関西では少し前まで言ってましたね。
カントウダキではなくカントダキではないですかね?って思ったらコメントで怒涛の指摘の嵐w
関東炊き、か。
おそらく戦前は、「おでん」という言葉は現代の我々が思い浮かべるものとは別の食べ物を意味していたのではないか。
関西の一定以上の年齢は関東炊き、おじいちゃんから死ぬまでおでん言った聴いた事ない。
ゴム兜より鉄兜が一般的だったと。
じいちゃんがフンドシ買ったら、まず紐を取り手拭いとして使い、フンドシに戻し、雑巾、銃の手入れにと、大切に使ったと言ってました。
また現在私の実印は12.7ミリの弾頭。じいちゃんがビール2本で彫師に作ってもらった物。施条痕もバッチリ。
12.7ミリの弾頭って50口径だが・・・
@@762forest_railway 様
じいちゃんはマーシャル諸島ヤルートで戦ってました。
燃料備蓄タンク、通称赤タンクがありまして、爆撃、機銃掃射は毎度の事だったと。
魚や撃墜した航空機より武装を取るため海に潜るとキレイな弾頭もあり、それを拾い判子に仕立ててもらったと言ってました。
今でも大阪ではおでんのこと関東煮っていうぜ
護衛艦乗ってた頃
よく 4分隊の動機に頼んで タバコ融通してもらってたな
陸上の売店はPXって 呼んでたかな?
海軍は洒落てるわ
飲食で英気を養い
ゴム兜で精気を失う
戦後の闇市でも米軍から出たもので「残飯シチュー」が売られていました。というか、それ食べないと配給だけじゃ餓死したとか
たまにタバコの箱とかが混じってたとかいう話を聞いたことがありますな。
野菜くず、肉やソーセージ、ベーコンの切れ端、チーズなどが混ざっているので当時の配給よりも栄養はあったらしい。ただし、どう考えても不衛生だから、現代人が食ったら確実に腹を壊すな・・・・・
横浜では、ドロドロと呼んでいたそうです。屋台の食べ物で、外食券無しで食べられたとの事でした。
江戸時代の残献屋も要は残飯やだけど、それはまともな食い物なんだよな……
中には使用済みのコンドームが入ってた、とラジオ番組「小沢昭一的こころ」で聞いたことがあります・・・
海軍では艦隊決戦前に艦載の酒保の商品を乗組員に振る舞ったらしいですね
理屈は忘れましたが海軍ではサイダー飲み放題だったとか牛乳もあったらしい
海軍が食べ物に恵まれていたのが両軍の仲の悪さの原因の1つだとも言われているとか
陸軍さんと海軍さんの戦闘の違いと思う 海軍さんは艦に作戦行動のために物資をいるだけ積めるけど 陸軍さんは物資を調達しても 最前線に送るには? とりあえず兵員に持たせるだけ持たした❓
関東炊きという言葉は今でも関西で使われていますね、関西人は「かんと炊き」と少し短く言っています。
関西では「かんと炊き」は関東の食べ物ではなく、昔関西に住んでいた「広東(かんとん)の人」が作った煮込み料理が元になっており、本来は「かんとん炊き」であり、そこから「かんと炊き」になったと言う説があります。
もう一つは「具が少ないのを『関東炊き』、具沢山なのを『おでん』と言い分けた」との説もあります。
「関東炊き」は、諸説と言うより、記録自体が残ってるので分かります。
「おでん」の語源は「田楽」です。
串もので歌舞伎等でお洒落に汚れず食べられるので「御田楽」→「おでん」となりました。
ただし、「田楽」は中部圏発祥で、関西圏にも広まりましたが関東には定着しませんでした。
関東では、京の歌舞伎で「おでんと言う串ものが人気」と言う情報だけが伝わり、串ものを煮た、現在の「おでん」が広まりました。
なので、関東圏以外では「おでん」の事を「関東炊き」と言いました。
現在では言葉が逆輸入された形ですが、中部圏で「現在のおでん」に味噌を付ける文化は、田楽時代のイメージを残したからです。
>海軍の戦闘糧食とウイスキーは切っても切れない関係
このあたりも詳しく聞きたかった
5年前に某最大手コンビニの物流倉庫で働いてたけど、自衛隊 米軍 の中や周辺の店舗は普通の店舗に、比べて何倍も酒が多くて大変だった。多分今でも軍関係の店舗は酒類が多い。
海軍は夜間の飛行時に気付け薬としてウィスキーが飲まれていたそうです。寒い上空で飲むウィスキーはどのような味だったんでしょうね。
腐らない、少しで満足とか聞いたな~
もっともそれじゃ全部ウィスキーにしようと言ったら日本酒は日本酒、ウィスキーはウィスキーだと言って結局一本に絞られなかったという話もありますね。飲兵衛にとってそこは死活問題だったのかも。
@@隅っこカズ 魚を中心にいい肴があると、日本酒は外せないしねえ……
ところでブランデーは飲まないんだな……高いか
あとは必要なものは成人雑誌ですね。
それは内務班にいる絵の上手い兵士に描いてもらうのです。
上手に描けたらみんなに大事にされていました。
アメリカでも、絵が上手い奴が入隊したと聞くと、速攻で連れて行かれて、飛行機の鼻面をペしペししながら、「ここに一発綺麗なお姉ちゃんの絵を描け」と言われてました。
ただの売店なイメージがあったけど、レストランでもあったんだな・・・。
現代の自衛隊では酒保の事はPXと言います。アメリカ軍式ですね。
酒保とも言うwikiに書いてありますが私は現役時代そう呼んだことはないですし聞いたこともないです。
物が溢れる現代ではPXも様変わりして民間業者のコンビニが入ってたりします。
教育隊時代には外出しないで唯一お菓子類が買えるPXは天国のように思えました。
実は古い護衛艦には酒保があるんですよ。使ってるのは見たことありませんがw
今のコンビニがこういうのの応用というところかな?海軍とかだと艦内の酒保で出撃前に酒とかの安売りもあったらしい。※これが最後の酒になるかもしれないから
沈没して海に呑ませるよりはというのもあったらしい
艦隊では決戦前には豪華な食事も出たとか。いつ沈むか分からないのに溜め込んでも仕方ないとおっしゃられました。
元々のおでんってのは、田楽を煮た食べ物で、いまのおでんとは別の食べ物。
今のおでんは、関西にあった関東炊が関東に逆輸入されたもの。
なので、関東にある老舗のおでん屋は、関西風の味付けです。
関東煮なら聞いた事あるが、関東炊きの名は某美味し〇ぼで初めて知った
「突撃一番」www
まさかちゃんとふられるとは(笑)
かんとだき です
哲学風
あぁ性病予防の為のやつですね。
関東炊きって別名を知らない人が多いのにびっくりです
はだしのゲンで「関東煮(かんとだき)」というのがでてきて初めて知ったあっし('ω')
「陸軍よもやま物語」で、岡山の連隊の話があってそこでも関東煮はでてきます。
西日本では当時は普遍的に使われていた言葉なんでしょうかね('ω')
関西では かんとだき といってて、 それが 関東だき だったことをしったのは大人になってからでづ。
じゃりン子チエで名前が出て来て言葉としては知ってたのですが、まさかおでんの事とは。
関西特有の関東風料理かと思ってました。
『おでん』は元々『味噌田楽』の事で関西周辺で食べられていました
それを関東でこの田楽を作る際、味付けを『味噌』でせず『醤油』でするようになりかつ焼かずに煮込んで料理するようになり
関東ではこれをこれ以後『田楽(でんがく)』→『(通称として)おでん』と呼ぶようになりました
ここからがややこしいのですが(笑)
この『醤油味付けの煮込み田楽』が関西に逆輸入される際、実は元々の田楽(味噌味付け)はまだ普通に食べられており
この関東から逆輸入した『醤油味付けの煮込み田楽』を『田楽』または『おでん』と呼ぶことは元々の田楽(味噌味付け)料理と非常にまぎらわしいハナシとなってしまうわけです笑笑
ゆえに関西の人はこの『醤油味付けの煮込み田楽』を『田楽』とは別の料理としてとらえることとし、呼び名も『関東風の煮込み料理』で『関東炊き』と呼ぶこととなりました
結果、関東でもともと関西の田楽であったもの(味付けは醤油味の煮込み料理)は『おでん』と呼ばれるのに対し同じものを逆輸入した関西では『関東炊き』と呼ぶようになりました
ちなみにこの関東炊きという呼び名も『コンビニおでん』の全国共通の呼び名の浸透とともに廃れていっているようです
※江戸落語とかでも(たしか)登場するように関東でもこの『味噌田楽』がなくなったわけではないようです
@@kappanouen ふ、複雑なんでづね^_^ 田楽にするのは こんにゃく、豆腐、大根、、、
そういえば、薄味だけど カラシつけたらそのままおでん、、、
味噌おでん とかいうこともあるし、
江戸時代、屎尿の買い取り価格が身分の上下によってランクがあったのを思い出しましたw
今度から近藤さんの事を突撃一番って呼ぼう
酒保のジュースといえば「どりこの」
くっ、また7分奪われた
でも知識は奪った
Nice! keep em’ coming
思わず噴き出した。( ゚∀゚)人(゚∀゚ )
ゴム兜...ムスコのために買うのか
旧日本軍は補給部隊をバカにしていた上に補給線が途方もなく長くなってしまったので南方で敵と戦う以前に餓死戦病死者が多数いたが、意外にも国内の兵舎では相当いいものを食わしていたという。
明治の陸軍では、兵達に一日6合白米を食わせてたのでチャレンジしてみたという面白いブログを読んだことがあります。
(チャレンジャーは女性で、しかも体を動かさない人だったので、大量に余ったご飯を冷凍する破目になったとか)
ちなみに、これは現在の高校球児レベルの食事量です。
幼年学校の元学生の人が、「幼年学校生だった頃、酒保でお菓子を大量に買って貪り食って下痢した」と書いてるのも読みました。
PXだよな~ 私物用品 今じゃ~コンビニが入っているよね~
酒保当番になった兵隊は、要領良く「員数外」を作って、溜め込んでいたとか。自分達で消費したり、必要があった際活用したりとか。
兜はオカモト理研