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私はあのラストだからこその「千年女優」だと思った。私は好き
今際の際にあって「死んだらあの世できっと会える」という記者の安直な共感を切り捨てて「あの人を追いかける自分」を選ぶというのが千代子という人間の底知れない所だと自分は感じましたありもしないものを追いかけ続けた自分の人生を一切後悔していないというなんとも強い言葉だなと
最後のセリフはしびれました。私が女優をしているすべてがそこにある。それがあるから女優でいられる。『だって私、あの人を追いかけてる私が好きなんだもの。だから、女優でいられたの。』って続くんじゃないかなっておもってます。生涯女優。千年女優。本当に好きな作品です。
動画が公開されて三年越しになりますがお話聞かせてもらって思うところが多すぎたのでコメント失礼させてもらいます。まず最後のセリフについて今敏はこの映画について「クリエイターとしての宣言」とブログで発言しています。この言葉は劇中で千代子が追いかけている「鍵の君」という存在を「夢」「理想」「目標」「完璧」といったモノのメタファーだと考えると意味が見えてくるのではないでしょうか?必死で追いかけて、転んでも起き上がって、また走っていく。(「追いかける→転ぶ→起き上がる」という構造は劇中で繰り返し描かれていますよね)それって「作品を作る」ことであったり「目標に向かって必死で取り組む」ことそのものだと思うんです。「だって私、あの人(夢)を追いかけている私が好きなんもの」千年女優という映画を作る時にも数え切れないほど「転んだ」はずです。それでも「理想」を「追いかけて」「走り続けた」のでしょう。そしてどれだけ追いかけても「完璧」なものにはならないんです。だからこそ「転んでも起き上がって追いかけ続ける」価値があるし、それしか出来る事は無いのだと思います。ではこの前提の上で「14日目の月」や「鍵の君」が「届かないもの」のメタファーでもあるとしたら最後のセリフはどうなるでしょう?「だって私、絶対に届かないものを追いかける私が好きなんだもの」今敏はよく「完璧主義者」と言われる監督です。その完璧主義者がこんな事言ってるんです。「完璧なものには届かないけど、それを追い続けたい」って。この最後のセリフは動画内でも言及されている通り制作現場でも意見が別れた部分であると今敏自身も発言しています。それでもあえて最後にこのセリフを言わせた意味。それこそが「クリエイターとしての宣言」なのだと私は思います。「だってサトシ、必死になって失敗しまくりながら夢中で作品作ってるサトシが好きなんだもの」あの最後のセリフは「追いかける人への讃歌」であり、狂気を感じるほどの全肯定だと私は思いました。劇中で繰り返し語られているのであえて最後に言わなくても良いという意見も分かりますが、それでも敢えて言わせた事にこそクリエイターとしての覚悟や生き様があり、意味があるのではないでしょうか。(ちなみに「鍵」というメタファーはこの文脈の場合「今敏が過去に見た映画」等だと考えると非常に分かりやすいと思います)「あの人の顔も思い出せない」というセリフについて動画内ではこの描写を「分からないからこそ理想を抱ける」という解釈で語っていて、それもまた納得のいく解釈だと思います。ただそれだけでは足りないと思うんです。「好きなもの」「夢」「目標」といったものを必死で追いかけていたはずが、気がついたら「それ」に情熱や関心を無くしていた事はありませんか?そして「それ」を失ってしまった事への喪失感を感じた事はありませんか?あなたも目標や夢を失ったことがあるでしょう。自分がなにをしているのかすら分からなくなることがあるでしょう、今敏は「そういう時もあるよね」って言ってるんじゃないでしょうか。「それでも」って言ってるんじゃないでしょか。カメラマンが回想に登場する事で虚構あることの宣言になっている。という説明について虚構の宣言で言うならファーストカットからそうですね。劇中劇で始まってるんだから。カメラマンが虚構に突然登場できるのは最初の最初にその宣言をしてあるからこそだと思います。なので「虚構の宣言」というよりは「虚構の補強」であり視聴者がミラーリング可能な「案内役」と表現したほうが構造としては近いんじゃないかと思いました。まだまだ語りたいのですが既にコメントとしては長文なのでそろそろ自重させて貰います。どの解釈が正解という事は前提からして有りえませんし、この作品の解釈の幅の広さこそがそもそも異常であり最高だと思っています。めくるめく解釈の世界。虚構と現実が相互に混じり合う世界。自分の世界を千代子のように駆け抜ける事が出来たら、それはどれだけ幸せなことなのでしょう。出来るだけそう在りたい。小望月への祈りで文章を締めさせて頂きます。長文失礼いたしました。
今回のリバイバル上映で初めてこの作品を見ましたが、私も描いているのは恋愛ではなく、映画作りという芸術にとらわれた人間の狂気だと思いました。鍵をなくしたというのは女優を続けることへの情熱を失ったことのメタファーであり、それは現実の老いたので鍵の君に顔を合わせたくないということではなく、これまで出演した映画以上の映画をこれから作ることへの自信を失ったから引退し、鍵をもう一度手に入れるのは映画作りへの情熱を取り戻したことを表していると思いました。
ユリイカは読んでいませんがラストの台詞は・鍵の君の「満月になる1日前の月がすき」という台詞・正体がわからない鍵の君・渡された鍵(開けるための鍵穴がないと意味がない)のような未完成、不完全、満たされてないものが美しいものとして作中では描かれていた。だから、千代子は鍵の君に追っかけ続けることが美しい(鍵の君に再会してしまえば完璧になってしまう)→鍵の君が好きな自分がすきになるんじゃないかなと思いました。また、最後の台詞で賛否両論にし千年女優という作品をあえて100点満点にしないことで不完全なものが美しいと言いたかったのかなと勝手に思ってます。
👏
わかるわーーまじでわかるわ
ラストに関して、柿沼さんも自分でわかってる通り、自分は漫画の主人公だと思って生きている自分がいるということを本心では気づいていて、ただその虚構に固執する生き方に美学を感じるから敢えてそうしているだけ。糸車老婆は千代子のペルソナであり、というか千代子が糸車老婆のペルソナであって、恋に恋する自分を結局はどこかで俯瞰していて。ってことを分かりやすく伝えているラストだと感じた。私は鍵を返すために生きる女優として千年生きているのだと。
ユリイカの情報に共感して舞い上がってしまったのは分からなくもないが、あたかもラストシーンは逃げだ。それが真実だと言うような引用の仕方、言い回しに聞こえたことはとても残念に思ってしまった。
思い出(虚構)が最高の現実ってのきいて、「あー、だから人間は自殺するんだねー」と妙に納得してしまった。それほどまでに現実は過酷なんだなー。
色即是空空即是色 リアルが虚構で虚構がリアル般若心経さすがですな
もうほんと今敏特集は嬉しすぎる
アニメが好きな理由が自分が虚構の住人出身だという話が出ていて。イマジナリーとリアリティーの話をずーっとされてて。それからシン・エヴァを見た柿沼さんの感想がより深くわかる千年女優評だと思いました。面白かったです。
先ほど『千年女優』初視聴したのですがこんなに面白い作品だったとは✨ラストのセリフは千代子さんがこれまでの人生すべてを肯定できた瞬間だと感じてとても好きでした。私もそんな風に終えたい。
最後のユリイカの話、鳥肌たった、、
最後の台詞は世辞の句というか、人生最後の走馬灯を振り返って『我が生涯に一片の悔い無し』的な台詞かなと受け取りました
ウディアレンのアニーホールといい、他人の回想シーンに入り込む演出好き
千年女優リバイバルを先月見まして、ハマりました!この映画の私のイメージは、イザナギイザナミ伝説のその後ですね。鶴の恩返しや、世界にも似た逸話が色々あるそうですが、もう和解はありえないという2人が、千年以上の時を超えついに和解して、次の機会では結ばれるであろう物語。千代子さんの、走る、好きな人には老いた姿は決して見せられないはイメージそのもの、そして驚異的な力と勘で千代子をどこまでもいつの時代も守るためだけに存在するゲンヤ。ついに幻しか本当に好きになれなかった千代子の前に現れたのは、ゲンヤの分身であろう鍵の君。千代子の思想の君でしょう。そして回想の物語は、千代子とゲンヤと、それぞれの思いから出てきた老婆と鍵の君、その幻さえも思い出させる鍵の存在、2人の千年の過去と、現実の思い出と、映画の思い出が合わさって出来た、これこそが真実の物語。千代子は、ゲンヤがいつの時代も助けてくれた存在と悟り、若くなくてはダメという呪縛からも解き放たれる。ゲンヤは自分自身で鍵の君を亡き者にし、千代子は幻を追いかけていたと、最後に気づく。千代子が最期にあの思いで次の時代に行くということは、今度こそ過去の呪縛から解き放たれた2人は結ばれるということ‼︎
最後のセリフは少女か老女の声で言ってほしかった中年期の女性の声であの台詞を言われるとかなり冷たく突き放された印象
柿沼さんに『ファイアパンチ』っていう漫画のレビューして欲しいです...この動画見てたらすごく思い出した作品
あと2作も楽しみにしてます!今敏監督作品大好きなので、妄想代理人についてのお2人の感想も出来れば聞きたいです( ⁎ᵕᴗᵕ⁎ )
間違っているという最後のセリフ、敢えて外したことで本作が14日目の月に成るワケですね。。。
未完成で、これから大成することになる示唆なのかも知れませんよね
この台詞が虚構に飢えた私の胸には深い感動を生んだようです完全な描出を期待して見れば少し興ざめな反面、娯楽としての作品の質をグッと高めた嘘だったと思います女優として作品を演じきったのでしょうか
マクベスの辺りマニアック過ぎてかっきーぽかーんってしてる!
ラストのセリフで多くの視聴者はガッカリしてしまって、劇中延々と行われていた鍵の君を探す女優に対して理解が及ばなくなってしまったというような感想が多いけれど、逆に言ったらラストのセリフで劇中の全ては(明示されていないことが肝)現実を映画の役にトレースしたというような綺麗な回想ではなく、女優の生み出した虚構であり強烈な自己愛に満ちたものだったと考えればなんとなく合点がいく。この動画の方がちょうど漫画のキャラクターだと思って生きてきたと仰っていたように、劇中の女優は虚構に生きる(同時に女優として生きる)ことが現実の全てだったんだと思う。
毎回感心させられていますが、今回の話は、個人的な解釈がかなり違いました。私から見て、この作品は(登場人物であるプロダクションの)社長の視点で語られているものだと考えています。もう少し言うと、プロダクションの社長の回想の回想という入れ子構造で作られているというのが私の考えです。その証左として、この作品で使われている映像の多くが、社長の既知のイメージを素に成り立っているからです。なので、社長がアシスタントとして入社したというクダリあたりから、作中内映画の引用で物語が進むという演出から、スタッフ視点(撮影所の映像なんか)の映像を基にした説明に切り替わりました。社長は、何回も千代子さんの映画を観ており、その中の出演者と自分を重ねて鑑賞していたのだと思います。また社長自体が、フィルムでみた千代子さんと、インタビューしている往年の名女優のプライベートを切り分けられなかったのだと思います。そうやってできたイメージが、インタビューでの千代子さんの悪ノリと合わさり生まれた脳内映像こそが、私たちが観ているこの「千年女優」という話なのかなと思っています。そう考えると、冒頭の地震のシーンも意味が生じるのではないでしょうか。ものすごい勝手な解釈なのですが、ラストのセリフは、社長(の脳みそ)が、自分の理想に沿うように、勝手に書き換えたんじゃないかなと思っています。私たちは、社長の妄想を見せられているわけだから、リアルでは実際に何を言ったのかは知りようがないという考察です。社長にとっての千代子さんは、「生涯、理想の女優」であり、彼女のプライベートなんて入ってほしくなかった、だから、この作品自体が、彼の既知の情報を総動員して作り上げた虚構なんじゃないかなと考えています。地震というのは、無理に力が加わったことの反動というか、捻じ曲げることで生じる歪みだと思っていて、私の解釈の中で「事実を捻じ曲げる」メタファーだと考えています。さらにこの地震はオープニング後すぐに起こりました。そのきっかけとなるシーンはエンディングにもつながっており、冒頭とエンディングをつなげることで、ループを意図させる役割をもっているように感じました。つまり、冒頭の編集作業のシーンはインタビュー前であり、同時にインタビュー後でもあるということです。そうすることで、実際の出来事がなんなのか(どこまでが社長の妄想なのか)を視聴者にゆだねたのだと考えています。(たとえば、ずっと鍵の男を追っかけてた刑事があのタイミングで現れるのは、不自然と言えば不自然ですが、 もしかしたら作品内フィクションなのかもしれないということです)地震が捏造のメタファーだとした場合、もしかしたら社長がカギを拾ったということも捏造なのかもしれないですし、インタビュー内で地震が起こったことから、このインタビュー自体が社長の妄想で、実際は終始「往年の名女優のドキュメンタリー」を、ひとり部屋で編集しているだけなのかもしれないのです。(そもそも、こういうドキュメンタリーって、名女優が死んだからこそ作られるものなので、 インタビューすらしてない可能性だってあると私は考えています)このように考えると、最後のセリフの意味がパーフェクトブルーの回で話されたテーマにすごく近いように思います。二作続けて、芸で自分を表現しようとしている女性が、男性に理想を押し付けられる話というふうに、私は考えました。
長文ありがとうございます!地震のシーン!話すの忘れてました。もっというと東京の大震災で始まり戦争に突入していくのがすごく大切な流れですよね。僕のいいたかったのは、僕らが目にしている映像がカメラマン目線つまり虚構という表現であって、では語られる物語はというとおっしゃる通り社長や千代子さんの捏造(虚構)なんだろうなと思ってます。カメラマンがいるからアニメーション表現として嘘をつけるということです。インタビューすらしてないまでいくと、鍵の意味を知るというテーマが結構外れちゃう気がするから行き過ぎな気がしますが、すごくおもしろいですね!
@@omake_no_yoru まずは返信ありがとうございました。追記したいことがあるのですが、少々長くなりそうです。迷惑でなければ、こちらに投稿させていただきたいのですが、よろしいでしょうか?
@@seven_3plus4 2年前のコメントに失礼します。千代子の最後のセリフが、社長の理想の顕在化だとすれば、辻褄が合わなくないですか?理想の女優のままでプライベートなど知りたくないのであれば、最後のセリフで「あの人を追いかけてる私が好き」などと言わせるでしょうか?また、インタビューすらしていないのでは、と考える根拠はなんですか?全て彼の妄想だとすれば、鍵の君の存在や、千代子が投獄されたシーン等の、本来社長が知り得ない場面も、0から話を作り上げた、という解釈でしょうか。それは少し考察として強引すぎるのではないですか?
@@夏目暁光 返信ありがとうございます。うろ覚えではありますがあくまでも、「こういう考え方もできるし、自分はそれが面白いと思う」という意見だったように思います。なので「これが正解だ」という押し付けではないことは、ご理解ください。さて、この作品を捕らえる為に私が引っかかったキーワードは、「千年(半永久の)女優」と「輪廻」でした。私の理解では、それって、生(なま)のものを、映像作品(記録媒体)に残す行為だと思うのです。生(リアル)の千代子さんは年を取り、いつかは命が尽きますが、フィルムの中の千代子さんは永遠に年齢をかさねずに、死ぬこともない。そして(映像作品を再生する度に)同じ運命を繰り返す。その観点で見たときに、(彼女が出演している作品ではなく)藤原千代子自身を「千年女優」にするのは誰なのかと考えたときに、それをするのがゲンヤ(プロダクションの社長)と想定したら、しっくりきたのです。つまり、ゲンヤの妄想が、このフィルム(映画)になり。その妄想が、映画としてメタ世界(私たちの世界)に残ることで、藤原千代子という存在は千年女優になりました。という構造だと考えたのです。たぶん、これを完璧に立証するシーンは存在していません。それが見つかった時点で、他の可能性がなくなり、見る人毎に各々の正解があっていいというこの作品のよさがなくなりますから、わざわざ想像の余地をなくさせる作り方なんてしないんじゃないかなと思うからです。私は、この作品はゲンヤの妄想だという見方をしているわけですが、一応そうだと想定した場合、ある程度は説明がつくなと思ったからこそ私は妙に納得してるのです。質問の中に、0から話を作り上げたという文言がありましたが、1から1000を作り上げたというほうが正確だと思います。ナットCさんは、具体的に「鍵の君の存在」と「投獄があったのか」について言及されてますね。そこのところから見ていきます。この投稿をいただき、あらためて作品を見てみたのですが。ゲンヤが、謝罪に来た官憲から聞いた内容が、この妄想のベースになっているなと思いました。ゲンヤさんがスタッフになったあたりから、映画の引用が減って、撮影所でのシーンが増えてきたことは、前述しましたよね。たぶん、ゲンヤが体験した部分はリアルに再現されているのでしょう。そう考えると、ゲンヤが官憲から聞いた内容は真実であるといえます。千代子さんは、絵描きの思想犯を助けた(世話をした)ことがあり、官憲はその男を殺してしまったというのは、妄想ではないのだと言えるでしょう。ゲンヤはそのエピソードを聞いて、千代子さんが出演してた映画の、投獄されたシーンとくっつけたんじゃないかなと思います。実際に投獄された可能性もありますし、それは分かりません。これは私の勝手な妄想ですが、千代子さんが官憲を知っていたことを考えると、絵描きの思想犯を助けてたときに、何かあった可能性は高そうですし、その時に、絵描きの思想犯の情報を聞きだすために千代子さん自身が投獄をされていたってことも十分ありえると思います。勝手な想像ですが、機転を利かす番頭はおらず、匿ったのがバレて普通に捕まったんじゃないかなと。次は「鍵の君」についてですね。『絵描きの思想犯』を『鍵の君』と読んでいいのかは微妙だと思っています。ゲンヤさんが知ることができた鍵のエピソードは、撮影現場で、千代子さんが鍵を失くしてスタッフに探させた時と、撮影中におきた地震の倒壊事故の後に鍵をひろったということだけです。(千代子さんが、鍵をみつけて大滝監督に詰め寄るシーンがありましたが、 ゲンヤさんは、後から部屋に入ってきたので、このやりとりは知らないはずです。 つまりは、ここのシーンはゲンヤさんの妄想の可能性が高いです)だとすると、『鍵』と『思想犯の絵描き』は、千代子さんのインタビュー以外で繋がるところがないのです。だから、絵描きの思想犯はいたと言えますが、鍵の君とは言えないというのが私の考えです。官憲から聞いた思想犯と、スタッフのときにふれた鍵のエピソード、それと今まで見た千代子の映画の相手役を組み合わせてできた妄想が『鍵の君』の正体だというのが私の考えです。さて、ここまで踏まえた上で、最後のセリフで「あの人を追いかけてる私が好き」についてです。プライベートという言葉を使った為に、誤解をあたえたように思います。ゲンヤさんにとって、藤原千代子さんは、銀幕の中で、いつも相手役を追っかけていたんだと思います。ファンであるゲンヤにとって、それが、そうあって欲しい藤原千代子像だったんです。だからここでいう「あの人」とは、生のあの人(リアルにいただろう鍵の君)じゃなくて、便宜的妄想上千年女優を成立させる為にゲンヤがいて欲しいと思った(相手役の)あの人なのではないかなと。その架空の人物を追っかけている千代子さんを成立させる為に、頭の中で彼女に言わせたセリフがあれだと思うんです。「女優藤原千代子はリアルでも映画のような人でいて欲しい」っていう願望の押し付けです。「だって私(ゲンヤ)、あの人(相手役)を追いかける私(千代子)が好きなんだもの」って考えると個人的には、すごいしっくりくるんです。こう考えたら、実際にはインタビューをしてないのに、(便宜上)してると想定して話をつくりましたとするほうがきれいだなって思ったまでです。最後になりましたが、作品内のセリフです。「よく覚えとけ、お客も女優も一緒だ。適当に嘘を織り交ぜてノせてやるんだ。まっ、そのうち手本を見せてやる」
千年女優これから観ます^_^👍パーフェクトブルーは余りアニメ観ない映画好きなおっさんだけど好きな作品です後攻殻機動隊のイノセンスも大好きです😊
姓名判断をする時って、苗字の画数、名前の画数、総合の画数とか色々な方面から画数を見たりするんですけど、全部吉になるようにするより、1つ凶になるようにする方が良いとされてたりするらしいです。凶があると吉が際立つという話を、この動画を見てなんとなく思い出しました。
タイタニック感
初コメントさせていただきますっ陰ながらいろんな映画感想動画をみさせてもらってますっおふたりのお話がすごくおもしろくて聞いていてわぁ、、、めちゃくちゃ映画みてぇ、、、。って思って触発されて今敏監督映画を見てきました!!笑笑話が深すぎてただ見ただけだと全て受け取り切れずに終わってしまいそうな作品の内容でしたが、おふたりの感想を見てすっごく見やすく映画を楽しむことができました!!!私も映画をみてこんな熱量でお話が出来る関係性のお友達が居たらいいのになぁと思いましたっまた、考察動画あげてくださいっ!楽しみに待ってますっ🙌
インターステラーと千年女優ちょっと似てるって言ってた人いてビジュアルイメージのことだけ言ってるかと思ったら二人の解説聞いたらテーマ的にも似通ってるところ多いと感じたわ
虚構とかリアルと言う言葉が、微妙に異なる意味で使用されているのが気持ち悪い。そこらへんの厳密さが増すともっと面白いと思います。
私はあのラストだからこその「千年女優」だと思った。私は好き
今際の際にあって
「死んだらあの世できっと会える」という記者の安直な共感を切り捨てて
「あの人を追いかける自分」を選ぶというのが
千代子という人間の底知れない所だと自分は感じました
ありもしないものを追いかけ続けた自分の人生を一切後悔していないという
なんとも強い言葉だなと
最後のセリフはしびれました。
私が女優をしているすべてがそこにある。
それがあるから女優でいられる。
『だって私、あの人を追いかけてる私が好きなんだもの。だから、女優でいられたの。』って続くんじゃないかなっておもってます。
生涯女優。千年女優。
本当に好きな作品です。
動画が公開されて三年越しになりますがお話聞かせてもらって思うところが多すぎたのでコメント失礼させてもらいます。
まず最後のセリフについて
今敏はこの映画について「クリエイターとしての宣言」とブログで発言しています。この言葉は劇中で千代子が追いかけている「鍵の君」という存在を「夢」「理想」「目標」「完璧」といったモノのメタファーだと考えると意味が見えてくるのではないでしょうか?
必死で追いかけて、転んでも起き上がって、また走っていく。(「追いかける→転ぶ→起き上がる」という構造は劇中で繰り返し描かれていますよね)それって「作品を作る」ことであったり「目標に向かって必死で取り組む」ことそのものだと思うんです。
「だって私、あの人(夢)を追いかけている私が好きなんもの」
千年女優という映画を作る時にも数え切れないほど「転んだ」はずです。それでも「理想」を「追いかけて」「走り続けた」のでしょう。
そしてどれだけ追いかけても「完璧」なものにはならないんです。だからこそ「転んでも起き上がって追いかけ続ける」価値があるし、それしか出来る事は無いのだと思います。
ではこの前提の上で「14日目の月」や「鍵の君」が「届かないもの」のメタファーでもあるとしたら最後のセリフはどうなるでしょう?
「だって私、絶対に届かないものを追いかける私が好きなんだもの」
今敏はよく「完璧主義者」と言われる監督です。その完璧主義者がこんな事言ってるんです。「完璧なものには届かないけど、それを追い続けたい」って。
この最後のセリフは動画内でも言及されている通り制作現場でも意見が別れた部分であると今敏自身も発言しています。それでもあえて最後にこのセリフを言わせた意味。
それこそが「クリエイターとしての宣言」なのだと私は思います。
「だってサトシ、必死になって失敗しまくりながら夢中で作品作ってるサトシが好きなんだもの」
あの最後のセリフは「追いかける人への讃歌」であり、狂気を感じるほどの全肯定だと私は思いました。
劇中で繰り返し語られているのであえて最後に言わなくても良いという意見も分かりますが、それでも敢えて言わせた事にこそクリエイターとしての覚悟や生き様があり、意味があるのではないでしょうか。
(ちなみに「鍵」というメタファーはこの文脈の場合「今敏が過去に見た映画」等だと考えると非常に分かりやすいと思います)
「あの人の顔も思い出せない」というセリフについて
動画内ではこの描写を「分からないからこそ理想を抱ける」という解釈で語っていて、それもまた納得のいく解釈だと思います。
ただそれだけでは足りないと思うんです。
「好きなもの」「夢」「目標」といったものを必死で追いかけていたはずが、気がついたら「それ」に情熱や関心を無くしていた事はありませんか?
そして「それ」を失ってしまった事への喪失感を感じた事はありませんか?
あなたも目標や夢を失ったことがあるでしょう。自分がなにをしているのかすら分からなくなることがあるでしょう、
今敏は「そういう時もあるよね」って言ってるんじゃないでしょうか。「それでも」って言ってるんじゃないでしょか。
カメラマンが回想に登場する事で虚構あることの宣言になっている。という説明について
虚構の宣言で言うならファーストカットからそうですね。劇中劇で始まってるんだから。カメラマンが虚構に突然登場できるのは最初の最初にその宣言をしてあるからこそだと思います。
なので「虚構の宣言」というよりは「虚構の補強」であり視聴者がミラーリング可能な「案内役」と表現したほうが構造としては近いんじゃないかと思いました。
まだまだ語りたいのですが既にコメントとしては長文なのでそろそろ自重させて貰います。
どの解釈が正解という事は前提からして有りえませんし、この作品の解釈の幅の広さこそがそもそも異常であり最高だと思っています。
めくるめく解釈の世界。虚構と現実が相互に混じり合う世界。
自分の世界を千代子のように駆け抜ける事が出来たら、それはどれだけ幸せなことなのでしょう。
出来るだけそう在りたい。小望月への祈りで文章を締めさせて頂きます。
長文失礼いたしました。
今回のリバイバル上映で初めてこの作品を見ましたが、私も描いているのは恋愛ではなく、映画作りという芸術にとらわれた人間の狂気だと思いました。鍵をなくしたというのは女優を続けることへの情熱を失ったことのメタファーであり、それは現実の老いたので鍵の君に顔を合わせたくないということではなく、これまで出演した映画以上の映画をこれから作ることへの自信を失ったから引退し、鍵をもう一度手に入れるのは映画作りへの情熱を取り戻したことを表していると思いました。
ユリイカは読んでいませんがラストの台詞は
・鍵の君の「満月になる1日前の月がすき」という台詞
・正体がわからない鍵の君
・渡された鍵(開けるための鍵穴がないと意味がない)
のような未完成、不完全、満たされてないものが美しいものとして作中では描かれていた。
だから、千代子は鍵の君に追っかけ続けることが美しい(鍵の君に再会してしまえば完璧になってしまう)→鍵の君が好きな自分がすき
になるんじゃないかなと思いました。
また、最後の台詞で賛否両論にし千年女優という作品をあえて100点満点にしないことで不完全なものが美しいと言いたかったのかなと勝手に思ってます。
👏
わかるわーーまじでわかるわ
ラストに関して、柿沼さんも自分でわかってる通り、自分は漫画の主人公だと思って生きている自分がいるということを本心では気づいていて、ただその虚構に固執する生き方に美学を感じるから敢えてそうしているだけ。
糸車老婆は千代子のペルソナであり、というか千代子が糸車老婆のペルソナであって、恋に恋する自分を結局はどこかで俯瞰していて。ってことを分かりやすく伝えているラストだと感じた。私は鍵を返すために生きる女優として千年生きているのだと。
ユリイカの情報に共感して舞い上がってしまったのは分からなくもないが、あたかもラストシーンは逃げだ。それが真実だと言うような引用の仕方、言い回しに聞こえたことはとても残念に思ってしまった。
思い出(虚構)が最高の現実ってのきいて、「あー、だから人間は自殺するんだねー」と妙に納得してしまった。それほどまでに現実は過酷なんだなー。
色即是空空即是色 リアルが虚構で虚構がリアル
般若心経さすがですな
もうほんと今敏特集は嬉しすぎる
アニメが好きな理由が自分が虚構の住人出身だという話が出ていて。イマジナリーとリアリティーの話をずーっとされてて。それからシン・エヴァを見た柿沼さんの感想がより深くわかる千年女優評だと思いました。面白かったです。
先ほど『千年女優』初視聴したのですがこんなに面白い作品だったとは✨
ラストのセリフは千代子さんがこれまでの人生すべてを肯定できた瞬間だと感じてとても好きでした。
私もそんな風に終えたい。
最後のユリイカの話、鳥肌たった、、
最後の台詞は世辞の句というか、人生最後の走馬灯を振り返って『我が生涯に一片の悔い無し』的な台詞かなと受け取りました
ウディアレンのアニーホールといい、他人の回想シーンに入り込む演出好き
千年女優リバイバルを先月見まして、ハマりました!
この映画の私のイメージは、イザナギイザナミ伝説のその後ですね。
鶴の恩返しや、世界にも似た逸話が色々あるそうですが、もう和解はありえないという2人が、千年以上の時を超えついに和解して、次の機会では結ばれるであろう物語。
千代子さんの、走る、好きな人には老いた姿は決して見せられないはイメージそのもの、そして驚異的な力と勘で千代子をどこまでもいつの時代も守るためだけに存在するゲンヤ。
ついに幻しか本当に好きになれなかった千代子の前に現れたのは、ゲンヤの分身であろう鍵の君。千代子の思想の君でしょう。
そして回想の物語は、千代子とゲンヤと、それぞれの思いから出てきた老婆と鍵の君、その幻さえも思い出させる鍵の存在、2人の千年の過去と、現実の思い出と、映画の思い出が合わさって出来た、これこそが真実の物語。
千代子は、ゲンヤがいつの時代も助けてくれた存在と悟り、若くなくてはダメという呪縛からも解き放たれる。
ゲンヤは自分自身で鍵の君を亡き者にし、千代子は幻を追いかけていたと、最後に気づく。
千代子が最期にあの思いで次の時代に行くということは、今度こそ過去の呪縛から解き放たれた2人は結ばれるということ‼︎
最後のセリフは少女か老女の声で言ってほしかった
中年期の女性の声であの台詞を言われるとかなり冷たく突き放された印象
柿沼さんに『ファイアパンチ』っていう漫画のレビューして欲しいです...この動画見てたらすごく思い出した作品
あと2作も楽しみにしてます!
今敏監督作品大好きなので、妄想代理人についてのお2人の感想も出来れば聞きたいです( ⁎ᵕᴗᵕ⁎ )
間違っているという最後のセリフ、敢えて外したことで本作が14日目の月に成るワケですね。。。
未完成で、これから大成することになる示唆なのかも知れませんよね
この台詞が虚構に飢えた私の胸には深い感動を生んだようです
完全な描出を期待して見れば少し興ざめな反面、娯楽としての作品の質をグッと高めた嘘だったと思います
女優として作品を演じきったのでしょうか
マクベスの辺りマニアック過ぎてかっきーぽかーんってしてる!
ラストのセリフで多くの視聴者はガッカリしてしまって、劇中延々と行われていた鍵の君を探す女優に対して理解が及ばなくなってしまったというような感想が多いけれど、逆に言ったらラストのセリフで劇中の全ては(明示されていないことが肝)現実を映画の役にトレースしたというような綺麗な回想ではなく、女優の生み出した虚構であり強烈な自己愛に満ちたものだったと考えればなんとなく合点がいく。この動画の方がちょうど漫画のキャラクターだと思って生きてきたと仰っていたように、劇中の女優は虚構に生きる(同時に女優として生きる)ことが現実の全てだったんだと思う。
毎回感心させられていますが、今回の話は、個人的な解釈がかなり違いました。
私から見て、この作品は(登場人物であるプロダクションの)社長の視点で語られているものだと考えています。
もう少し言うと、プロダクションの社長の回想の回想という入れ子構造で作られているというのが私の考えです。
その証左として、この作品で使われている映像の多くが、社長の既知のイメージを素に成り立っているからです。
なので、社長がアシスタントとして入社したというクダリあたりから、
作中内映画の引用で物語が進むという演出から、
スタッフ視点(撮影所の映像なんか)の映像を基にした説明に切り替わりました。
社長は、何回も千代子さんの映画を観ており、その中の出演者と自分を重ねて鑑賞していたのだと思います。
また社長自体が、フィルムでみた千代子さんと、インタビューしている往年の名女優のプライベートを切り分けられなかったのだと思います。
そうやってできたイメージが、インタビューでの千代子さんの悪ノリと合わさり生まれた脳内映像こそが、
私たちが観ているこの「千年女優」という話なのかなと思っています。
そう考えると、冒頭の地震のシーンも意味が生じるのではないでしょうか。
ものすごい勝手な解釈なのですが、
ラストのセリフは、社長(の脳みそ)が、自分の理想に沿うように、勝手に書き換えたんじゃないかなと思っています。
私たちは、社長の妄想を見せられているわけだから、リアルでは実際に何を言ったのかは知りようがないという考察です。
社長にとっての千代子さんは、「生涯、理想の女優」であり、彼女のプライベートなんて入ってほしくなかった、
だから、この作品自体が、彼の既知の情報を総動員して作り上げた虚構なんじゃないかなと考えています。
地震というのは、無理に力が加わったことの反動というか、捻じ曲げることで生じる歪みだと思っていて、
私の解釈の中で「事実を捻じ曲げる」メタファーだと考えています。
さらにこの地震はオープニング後すぐに起こりました。そのきっかけとなるシーンはエンディングにもつながっており、
冒頭とエンディングをつなげることで、
ループを意図させる役割をもっているように感じました。
つまり、冒頭の編集作業のシーンはインタビュー前であり、同時にインタビュー後でもあるということです。
そうすることで、実際の出来事がなんなのか(どこまでが社長の妄想なのか)を視聴者にゆだねたのだと考えています。
(たとえば、ずっと鍵の男を追っかけてた刑事があのタイミングで現れるのは、不自然と言えば不自然ですが、
もしかしたら作品内フィクションなのかもしれないということです)
地震が捏造のメタファーだとした場合、もしかしたら社長がカギを拾ったということも捏造なのかもしれないですし、
インタビュー内で地震が起こったことから、このインタビュー自体が社長の妄想で、
実際は終始「往年の名女優のドキュメンタリー」を、ひとり部屋で編集しているだけなのかもしれないのです。
(そもそも、こういうドキュメンタリーって、名女優が死んだからこそ作られるものなので、
インタビューすらしてない可能性だってあると私は考えています)
このように考えると、最後のセリフの意味がパーフェクトブルーの回で話されたテーマにすごく近いように思います。
二作続けて、芸で自分を表現しようとしている女性が、男性に理想を押し付けられる話というふうに、私は考えました。
長文ありがとうございます!
地震のシーン!話すの忘れてました。もっというと東京の大震災で始まり戦争に突入していくのがすごく大切な流れですよね。
僕のいいたかったのは、僕らが目にしている映像がカメラマン目線つまり虚構という表現であって、では語られる物語はというとおっしゃる通り社長や千代子さんの捏造(虚構)なんだろうなと思ってます。カメラマンがいるからアニメーション表現として嘘をつけるということです。インタビューすらしてないまでいくと、鍵の意味を知るというテーマが結構外れちゃう気がするから行き過ぎな気がしますが、すごくおもしろいですね!
@@omake_no_yoru まずは返信ありがとうございました。
追記したいことがあるのですが、少々長くなりそうです。
迷惑でなければ、こちらに投稿させていただきたいのですが、よろしいでしょうか?
@@seven_3plus4 2年前のコメントに失礼します。
千代子の最後のセリフが、社長の理想の顕在化だとすれば、辻褄が合わなくないですか?
理想の女優のままでプライベートなど知りたくないのであれば、最後のセリフで「あの人を追いかけてる私が好き」などと言わせるでしょうか?
また、インタビューすらしていないのでは、と考える根拠はなんですか?
全て彼の妄想だとすれば、鍵の君の存在や、千代子が投獄されたシーン等の、本来社長が知り得ない場面も、0から話を作り上げた、という解釈でしょうか。
それは少し考察として強引すぎるのではないですか?
@@夏目暁光 返信ありがとうございます。
うろ覚えではありますが
あくまでも、「こういう考え方もできるし、自分はそれが面白いと思う」という意見だったように思います。
なので「これが正解だ」という押し付けではないことは、ご理解ください。
さて、この作品を捕らえる為に私が引っかかったキーワードは、
「千年(半永久の)女優」と「輪廻」でした。
私の理解では、それって、生(なま)のものを、映像作品(記録媒体)に残す行為だと思うのです。
生(リアル)の千代子さんは年を取り、いつかは命が尽きますが、
フィルムの中の千代子さんは永遠に年齢をかさねずに、死ぬこともない。
そして(映像作品を再生する度に)同じ運命を繰り返す。
その観点で見たときに、
(彼女が出演している作品ではなく)
藤原千代子自身を「千年女優」にするのは誰なのかと考えたときに、
それをするのがゲンヤ(プロダクションの社長)と想定したら、しっくりきたのです。
つまり、ゲンヤの妄想が、このフィルム(映画)になり。
その妄想が、映画としてメタ世界(私たちの世界)に残ることで、
藤原千代子という存在は千年女優になりました。
という構造だと考えたのです。
たぶん、これを完璧に立証するシーンは存在していません。
それが見つかった時点で、他の可能性がなくなり、
見る人毎に各々の正解があっていいというこの作品のよさがなくなりますから、
わざわざ想像の余地をなくさせる作り方なんてしないんじゃないかなと思うからです。
私は、この作品はゲンヤの妄想だという見方をしているわけですが、
一応そうだと想定した場合、ある程度は説明がつくなと思ったからこそ私は妙に納得してるのです。
質問の中に、0から話を作り上げたという文言がありましたが、
1から1000を作り上げたというほうが正確だと思います。
ナットCさんは、具体的に「鍵の君の存在」と「投獄があったのか」について言及されてますね。
そこのところから見ていきます。
この投稿をいただき、あらためて作品を見てみたのですが。
ゲンヤが、謝罪に来た官憲から聞いた内容が、この妄想のベースになっているなと思いました。
ゲンヤさんがスタッフになったあたりから、映画の引用が減って、撮影所でのシーンが増えてきたことは、
前述しましたよね。たぶん、ゲンヤが体験した部分はリアルに再現されているのでしょう。
そう考えると、ゲンヤが官憲から聞いた内容は真実であるといえます。
千代子さんは、絵描きの思想犯を助けた(世話をした)ことがあり、
官憲はその男を殺してしまったというのは、妄想ではないのだと言えるでしょう。
ゲンヤはそのエピソードを聞いて、
千代子さんが出演してた映画の、投獄されたシーンとくっつけたんじゃないかなと思います。
実際に投獄された可能性もありますし、それは分かりません。
これは私の勝手な妄想ですが、千代子さんが官憲を知っていたことを考えると、
絵描きの思想犯を助けてたときに、何かあった可能性は高そうですし、
その時に、絵描きの思想犯の情報を聞きだすために
千代子さん自身が投獄をされていたってことも十分ありえると思います。
勝手な想像ですが、機転を利かす番頭はおらず、匿ったのがバレて普通に捕まったんじゃないかなと。
次は「鍵の君」についてですね。
『絵描きの思想犯』を『鍵の君』と読んでいいのかは微妙だと思っています。
ゲンヤさんが知ることができた鍵のエピソードは、
撮影現場で、千代子さんが鍵を失くしてスタッフに探させた時と、
撮影中におきた地震の倒壊事故の後に鍵をひろったということだけです。
(千代子さんが、鍵をみつけて大滝監督に詰め寄るシーンがありましたが、
ゲンヤさんは、後から部屋に入ってきたので、このやりとりは知らないはずです。
つまりは、ここのシーンはゲンヤさんの妄想の可能性が高いです)
だとすると、『鍵』と『思想犯の絵描き』は、千代子さんのインタビュー以外で繋がるところがないのです。
だから、絵描きの思想犯はいたと言えますが、鍵の君とは言えないというのが私の考えです。
官憲から聞いた思想犯と、
スタッフのときにふれた鍵のエピソード、
それと今まで見た千代子の映画の相手役を
組み合わせてできた妄想が『鍵の君』の正体だというのが私の考えです。
さて、ここまで踏まえた上で、
最後のセリフで「あの人を追いかけてる私が好き」についてです。
プライベートという言葉を使った為に、誤解をあたえたように思います。
ゲンヤさんにとって、藤原千代子さんは、銀幕の中で、いつも相手役を追っかけていたんだと思います。
ファンであるゲンヤにとって、それが、そうあって欲しい藤原千代子像だったんです。
だからここでいう「あの人」とは、
生のあの人(リアルにいただろう鍵の君)じゃなくて、
便宜的妄想上千年女優を成立させる為にゲンヤがいて欲しいと思った(相手役の)あの人なのではないかなと。
その架空の人物を追っかけている千代子さんを成立させる為に、
頭の中で彼女に言わせたセリフがあれだと思うんです。
「女優藤原千代子はリアルでも映画のような人でいて欲しい」っていう願望の押し付けです。
「だって私(ゲンヤ)、あの人(相手役)を追いかける私(千代子)が好きなんだもの」って考えると
個人的には、すごいしっくりくるんです。
こう考えたら、実際にはインタビューをしてないのに、
(便宜上)してると想定して話をつくりましたとするほうがきれいだなって思ったまでです。
最後になりましたが、作品内のセリフです。
「よく覚えとけ、お客も女優も一緒だ。適当に嘘を織り交ぜてノせてやるんだ。まっ、そのうち手本を見せてやる」
千年女優これから観ます^_^👍パーフェクトブルーは余りアニメ観ない映画好きなおっさんだけど好きな作品です後攻殻機動隊のイノセンスも大好きです😊
姓名判断をする時って、苗字の画数、名前の画数、総合の画数とか色々な方面から画数を見たりするんですけど、全部吉になるようにするより、1つ凶になるようにする方が良いとされてたりするらしいです。
凶があると吉が際立つという話を、この動画を見てなんとなく思い出しました。
タイタニック感
初コメントさせていただきますっ
陰ながらいろんな映画感想動画をみさせてもらってますっ
おふたりのお話がすごくおもしろくて聞いていて
わぁ、、、めちゃくちゃ映画みてぇ、、、。
って思って触発されて今敏監督映画を見てきました!!笑笑
話が深すぎてただ見ただけだと全て受け取り切れずに終わってしまいそうな作品の内容でしたが、おふたりの感想を見て
すっごく見やすく映画を楽しむことができました!!!
私も映画をみてこんな熱量でお話が出来る関係性のお友達が居たらいいのになぁと思いましたっ
また、考察動画あげてくださいっ!
楽しみに待ってますっ🙌
インターステラーと千年女優ちょっと似てるって言ってた人いてビジュアルイメージのことだけ言ってるかと思ったら二人の解説聞いたらテーマ的にも似通ってるところ多いと感じたわ
虚構とかリアルと言う言葉が、微妙に異なる意味で使用されているのが気持ち悪い。
そこらへんの厳密さが増すともっと面白いと思います。