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TH-camに初めてコメントします。今まで見てきた中で1番衝撃を受けました。自分の心の中を見透かさせた気分です。最近、承認欲求が先行して行動しているなと気付かされました。とてもタメになるコンテンツでした。ありがとうございます。
神回じゃないですか✨😊
町田さんすげえな…
すっごいこの動画に出会えよかったです、ありがとうございます!
とてもすばらしい動画でした…!
町田さんの動画ありがとうございます!一言一言がこれまでの挑戦と失敗に裏付けられているんだろうなぁと感じさせられました「今日は誰をおもろがしたろうかな」を自分に問いかけようと思いました😊
1冊100回とはさり気なくぶっこんでるw
天野さんと同年代で、まさに同じような理由でnote発信することに二の足を踏んでいました。ただそんな中、先日転機がありました。専門家含め数人で絵画鑑賞するという内容のTV番組を見ていた時のことです。番組内容は、ひとつの絵画に対して各々違う絵の見方をしていて、その感想を共有するというものでした。絵画鑑賞では当たり前の光景かもしれませんが、それを見てふと、自分が発信したものに対して、賛否両論、色々な方々の反応を見たり聞いたりするのは純粋に面白そうだなっ…て思いました。他人が何を書けば喜んでくれるか私にはまだ分からなすぎるので、この動機から始めてもいいかもなって今は思っています。
大槻ケンヂさんがカバーした「メシ食うな」はすごいインパクトでした。パンクロッカーからいつの間にか小説家として大成してるのはすごい。
飢えた鬼畜米英からギブミーチョコレートに一変した中産..階級にメシ食うなと叫びたくなる気持ちは想像できる
自分の世界観をつくるには色々読んで自分の琴線を思い出し、我と他人の目線を忘れて純粋な心で書いたり発信したりすることが人の心に響くのかもしれない…人間なんて煩悩具足の凡夫なのに聖人化があまりにも進みすぎプレッシャーで発信が怖くなったり、素直に書けなかったりするかもしれない。😮🙏
「メシ食うな」って恐らく坂口安吾が(独立不羈の精神もなく、生きる事が)“徹底的に面倒臭い人”に関して記した言葉だと思う。だけど町田さんはほぼ一生涯ニートで通した南方熊楠の映画に関わったりしてるから、金儲けに執着する人物でないのが分かる。
町田康相手に「人にどう思われるか気にしちゃう」って結構な愚問では……
一回読んだものは、二度と読めない飽き性なので、新しい本をどんどん読む中で、同じ言葉がでてくることで、自分にインプットさせる派でござります。
論点がズレてしまっていたら申し訳ないですが、どうしても今のnote文化が気に入らないです。noteが書けない、ではなく、書く必要が無い、とは思わないのでしょうか。同世代で、noteを書いている人たちは、こぞって自分がどれだけ努力、苦労してきたか、のような自己紹介ばかりで、文章としての面白みが全く感じられません。それは、ビジネス書のような「簡単に読めるけど読んでいたら凄そうな本」が世の中に蔓延っているからだと思います。町田さんの言うとおり、多くの人間はそのビジネス書の表面だけを読んでいるため、アウトプットされた文章はそのビジネス書の1/100ほどの極々薄い内容になっていると感じます。そんな薄い文章を書くことに悩むくらいなら、初めから書こうとしなければいいのに、と思ってしまいます。加えて"タイパ主義"が流行していることも問題です。本を読むとしても、早く読めてすぐに理解できるものばかりを好む為、内容が分かった時点で読むのを止めてしまう人間が多くなっています。小説でも、1から100まで本文で説明していて、読者は考える必要のない本が増えているように感じます。ほんの小さな言葉の表現にこそ、人間らしさが出ると私は思っているので、今のこの文化が早く終わってくれることに期待をしています。どうしても話を聞いていただきたくて、長々と書いてしまいました。申し訳ございません。ここまで読んでくれた方がいたら、本当に感謝します。
老けすぎだろ
町田康!太宰は世間はあなたでしょとも言った。私は貧しくして諂うことなく富みて驕ることなくどちらにも高潔にユダヤ等にも思いを馳せながら時代を担って生きた人が芸術家だと思う。私は自分本位というよりは他人に媚びず←(悪い自分本位にならないように気をつけなければならない他者理解も利他も必要)自分がいいと思ったものを誰かもいいと思ってくれたら嬉しいなと思いがち昔の話は不倫の話であって不倫だけの話ではない、不倫は例えや検閲から逃れるための暗示という視点もある、切実で真剣な場合もあるが是枝裕和は批評を同じにしてしまうのは極めて危険なことで絶対にやってはいけない的なことを言ってたしわかるけど本当に好きなやつは勝手に学ぶしもっと上手くなりたいと思って貪欲に磨くから自分の経験だけで学ばすに適当に現代の価値観を少しも疑わずに書いてるやつは節々でわかっちゃうってだけ、山月記になるのもだめだがなんでも出せばいいってものじゃないベストを尽くせ経験が時代を代弁してるやつが拾われてプロになりがちだけど(ポンコツのときに時代には偶然沿ってて表現が洗練されてなくても化けるかもと拾って信じてもらえた、肯定してもらえた受け入れてもらえた(←地味に重要かも)から自分の駄目な部分も改善して学んでたらいつの間にか伸びたということもあるが。学ばないと時代や人生をそのまま生きてしまって自分を大切にするというか自重で潰れてしまう場合も多い...)センスないと思われたくないとかセンスいいと思われたいとかそういうことプロは考えてないいいものもに必死で夢中なだけ私は人間に救われてきたし、すげぇ人いっぱいたし、人間をみくびってないし、信じてるから(そういう存在がいることに傷つく人がいるのもわかるが、ただ逆も然り。はっきり言ってそういう人たちは私を迷わせて惑わせてるし、nuisanceでannoyingでbothersome?なんだけど...学べることは学ばせてもらって歩み寄れたらと思う)
気持ちはわからんでも無いけど、なんか学生みたいなんでもかんでも脳死で俯瞰厨の人は逆に浅く感じる
浅い俯瞰って、ある程度精神成熟していればば逆に楽だよね
TH-camに初めてコメントします。
今まで見てきた中で1番衝撃を受けました。自分の心の中を見透かさせた気分です。最近、承認欲求が先行して行動しているなと気付かされました。
とてもタメになるコンテンツでした。
ありがとうございます。
神回じゃないですか✨😊
町田さんすげえな…
すっごいこの動画に出会えよかったです、ありがとうございます!
とてもすばらしい動画でした…!
町田さんの動画ありがとうございます!
一言一言がこれまでの挑戦と失敗に裏付けられているんだろうなぁと感じさせられました
「今日は誰をおもろがしたろうかな」
を自分に問いかけようと思いました😊
1冊100回とはさり気なくぶっこんでるw
天野さんと同年代で、まさに同じような理由でnote発信することに二の足を踏んでいました。
ただそんな中、先日転機がありました。
専門家含め数人で絵画鑑賞するという内容のTV番組を見ていた時のことです。
番組内容は、ひとつの絵画に対して各々違う絵の見方をしていて、その感想を共有するというものでした。
絵画鑑賞では当たり前の光景かもしれませんが、それを見てふと、自分が発信したものに対して、賛否両論、色々な方々の反応を見たり聞いたりするのは純粋に面白そうだなっ…て思いました。
他人が何を書けば喜んでくれるか私にはまだ分からなすぎるので、この動機から始めてもいいかもなって今は思っています。
大槻ケンヂさんがカバーした「メシ食うな」はすごいインパクトでした。
パンクロッカーからいつの間にか小説家として大成してるのはすごい。
飢えた鬼畜米英からギブミーチョコレートに一変した中産..階級にメシ食うなと叫びたくなる気持ちは想像できる
自分の世界観をつくるには
色々読んで自分の琴線を思い出し、我と他人の目線を忘れて
純粋な心で書いたり発信したりすることが人の心に響くのかもしれない…
人間なんて煩悩具足の凡夫なのに
聖人化があまりにも進みすぎ
プレッシャーで発信が怖くなったり、素直に書けなかったりするかもしれない。😮🙏
「メシ食うな」って恐らく坂口安吾が(独立不羈の精神もなく、生きる事が)“徹底的に面倒臭い人”に関して記した言葉だと思う。だけど町田さんはほぼ一生涯ニートで通した南方熊楠の映画に関わったりしてるから、金儲けに執着する人物でないのが分かる。
町田康相手に「人にどう思われるか気にしちゃう」って結構な愚問では……
一回読んだものは、二度と読めない飽き性なので、新しい本をどんどん読む中で、同じ言葉がでてくることで、自分にインプットさせる派でござります。
論点がズレてしまっていたら申し訳ないですが、どうしても今のnote文化が気に入らないです。
noteが書けない、ではなく、書く必要が無い、とは思わないのでしょうか。
同世代で、noteを書いている人たちは、こぞって自分がどれだけ努力、苦労してきたか、のような自己紹介ばかりで、文章としての面白みが全く感じられません。それは、ビジネス書のような「簡単に読めるけど読んでいたら凄そうな本」が世の中に蔓延っているからだと思います。町田さんの言うとおり、多くの人間はそのビジネス書の表面だけを読んでいるため、アウトプットされた文章はそのビジネス書の1/100ほどの極々薄い内容になっていると感じます。そんな薄い文章を書くことに悩むくらいなら、初めから書こうとしなければいいのに、と思ってしまいます。
加えて"タイパ主義"が流行していることも問題です。本を読むとしても、早く読めてすぐに理解できるものばかりを好む為、内容が分かった時点で読むのを止めてしまう人間が多くなっています。小説でも、1から100まで本文で説明していて、読者は考える必要のない本が増えているように感じます。ほんの小さな言葉の表現にこそ、人間らしさが出ると私は思っているので、今のこの文化が早く終わってくれることに期待をしています。
どうしても話を聞いていただきたくて、長々と書いてしまいました。申し訳ございません。ここまで読んでくれた方がいたら、本当に感謝します。
老けすぎだろ
町田康!太宰は世間はあなたでしょとも言った。私は貧しくして諂うことなく富みて驕ることなくどちらにも高潔にユダヤ等にも思いを馳せながら時代を担って生きた人が芸術家だと思う。私は自分本位というよりは他人に媚びず←(悪い自分本位にならないように気をつけなければならない他者理解も利他も必要)自分がいいと思ったものを誰かもいいと思ってくれたら嬉しいなと思いがち
昔の話は不倫の話であって不倫だけの話ではない、不倫は例えや検閲から逃れるための暗示という視点もある、切実で真剣な場合もあるが
是枝裕和は批評を同じにしてしまうのは極めて危険なことで絶対にやってはいけない的なことを言ってたしわかるけど本当に好きなやつは勝手に学ぶしもっと上手くなりたいと思って貪欲に磨くから自分の経験だけで学ばすに適当に現代の価値観を少しも疑わずに書いてるやつは節々でわかっちゃうってだけ、山月記になるのもだめだがなんでも出せばいいってものじゃないベストを尽くせ
経験が時代を代弁してるやつが拾われてプロになりがちだけど(ポンコツのときに時代には偶然沿ってて表現が洗練されてなくても化けるかもと拾って信じてもらえた、肯定してもらえた受け入れてもらえた(←地味に重要かも)から自分の駄目な部分も改善して学んでたらいつの間にか伸びたということもあるが。学ばないと時代や人生をそのまま生きてしまって自分を大切にするというか自重で潰れてしまう場合も多い...)
センスないと思われたくないとかセンスいいと思われたいとかそういうことプロは考えてない
いいものもに必死で夢中なだけ
私は人間に救われてきたし、すげぇ人いっぱいたし、人間をみくびってないし、信じてるから(そういう存在がいることに傷つく人がいるのもわかるが、ただ逆も然り。はっきり言ってそういう人たちは私を迷わせて惑わせてるし、nuisanceでannoyingでbothersome?なんだけど...学べることは学ばせてもらって歩み寄れたらと思う)
気持ちはわからんでも無いけど、なんか学生みたい
なんでもかんでも脳死で俯瞰厨の人は逆に浅く感じる
浅い俯瞰って、ある程度精神成熟していればば逆に楽だよね