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これは「よい外戚」特集回も期待してしまいます。
衛青も一応外戚
唐の「長孫無忌」は如何でしょうか😌?
魏冄は難しい、私腹は肥やしだけど功績も多い
何進はもっと評価されていい
霍光も外戚になるのかな?
皆様がコメントで挙げて下さった宦官をここに記録しておき、今度の宦官コレクション動画ー宦これーで扱っていきたいと思いますあと小学校から日本史を勉強し直してきます……ー宦これー(今までに動画で取り上げた人物は除いています)王承恩・曹騰・董海川・高力士・司馬遷・張承業・曹騰・秦翰・李玉・張茂則・鄭衆・繆賢・単超・黄皓・王振・李蓮英・景監・張敏・喜寧・安徳海・宗愛・魚朝恩・王継恩・朴不花
曹騰が2人いますよ少し休まれては?
曹騰が二人いるんですが、それは…
曹騰が2人とは、総統は相当に曹騰がお好きですな
26:06 日清戦争が日露戦争になってますえ
やっぱり高力士は外せないと思う。
敢えて士と呼べるような立派な宦官が多く紹介されていて勉強になりました。王朝がまさに倒れんとする時、明の王承恩や清の寇連材の様に最後の輝きを添える忠宦が出るのは、歴史の妙というべし。
中国史は宦官とは切っても切れない関係なので、悪玉だけでなく善玉も紹介して頂けるのが嬉しいです。でも、寇連材のように時の権力者に諫言して命を落としていった名もなき宦官も多くいたでしょうね。
イシバの若い頃の写真を用意してあげる鳥人間さんの優しさよ・・・
いつもいつも鳥人間様の中国史を堪能しております。今回も、寇連材のお話 感動しました。😢
「善玉宦官」とは、斬新な切り口ですねぇ。楽しませて頂きました。
「仁は人の心なり。義は人の路なり。仁人心也、義人路也。」(孟子)異形の者と蔑まれても、人の心を失わず、義こそが人の道だと貫いた宦官の人々がいたんですね。偽りの愛国心ではなく、純粋な良心から諫言を行った事に感動しました。弘治帝の教師、覃吉知りませんでした。歴史は良い面悪い面と、多角的に見ないといけませんね。動画面白かったです。長文すみません。
史記を記した司馬遷も宦官だったな
もはや宦官の歴史解説チャンネルじみてきましたね・・それはともかく今回もめちゃめちゃ面白かったです‼️
宦官=佞臣と言うイメージでした蔡倫以外は名前も知らなかったですが、だからこそ勉強に成りますとても面白かったです
良くここまで調べ上げて動画にしましたね😊
今回も大変面白かったです!本筋からは外れたことですが1894年は日露戦争ではなく日清戦争の年だったと思います。
歴史に学ぶ点は本当に多いです。環境変化著しい時代にあっても、心情穏やかに状況を俯瞰し、冷静に行動できるのも先達の歩みあってのものだと思っています。英雄譚も面白いですが、今回のように、人物の生き様や矜持を刻み込むような話しは心にきますね。よい学びになりました。ありがとうございます。次回の動画も楽しみにしております。
西太后にもう少し清朝を思う気持ちが有ればという話ですねいつか変法派も取り上げて欲しいです
西太后は結果的に保身が上手く王朝の延命に繋がりましたよね漢人官僚らに力を持たせ過ぎたら多分2.30年早く清王朝は滅亡していた
ここの複雑さは、日本史なら平治の乱から鎌倉幕府の親王将軍あたりに近い感触。2人の偉女が絡むし。
蔡倫はそんな最期だったんですね寇連材も悲しすぎる・・・
正義の宦官カッコイイ…今まで知らなかったとは汗顔の限り
汎用宦官画像がいかにも小悪党っぽくって悲しい...
宦官は元々、皇帝の私生活に関わる存在。いわば裏方。皇帝がしっかりしていれば、表の世界に関わる権限を与えても別に問題はないし、むしろ皇帝にとっては有能な手足を得られるメリットもある。だけど暗愚な皇帝だと、宦官に付け入る隙を与える。要は上に立つ物次第です。
歴史を変えるような偉業を成し遂げてはいないけど、崇禎帝に殉じた王承恩も印象的だな。悪宦官の権化のような魏忠賢を処刑した崇禎帝が、たったひとりの宦官だけをお供に首をくくったとは…歴史の皮肉というか。
待ってました〜
最後に紹介する宦官は、清の順治帝から規定された『宦官による政治参与の排除』を知りながら、死罪を覚悟してまで時の権力であった西太后へ上申し、最期は処刑という悲しすぎる話を聞いて、宦官でも大清帝国崩壊の足音を知っていたと思う。けど、大清帝国の宦官の役目は政治参与ではなく、後宮に使える官吏に過ぎないという事かぁ。😥
劉邦のようなメジャーな中国史も面白いけど、今回のようなマイナーな中国史も面白いですね。
善玉宦官なら明の最後の皇帝・崇禎帝に殉じた忠義の人王承恩も忘れてはなるまい。
今回何気に顔を見せた弘治帝、前漢の宣帝なみの波乱とサクセスストーリーの予感があるから、いつか取り上げてほしいです。
この回面白くて何回も見てます
侯顕冦連材は知りませんでしたので勉強になりました。アレの有無に関わらず気骨才覚次第ですね。
有能宦官、西軍両方とんでもない傑物が出てくるの面白い司馬遷もそうでしたが、歴史上本当に欠かせない逸材も本当に多いものです
最後の霊夢の赤文が全ても物語っている氣がしました。今回もありがとうございます!
10:38 孫程は激怒した。かの邪知暴虐なる宦官を除かねばならぬと決意した。ただ中国史を紹介するだけでなく時々名前関連の小ネタはさんでくるの好き
お疲れ様です😌。藺相如を恵文王に推薦した宦官「繆賢」はどんな人だったのでしょうか🤔?以前藺相如の動画で「当時の宦官はかなり卑しかった」と伺いました😌。卑しい自分の食客を推薦するのも、かなり勇気と確信が必要ではと思いました😌。
いつも宦官に限らず我欲に捕らわれ国を傾けてきた人々を残念に思ってきた。ついに、ついに悪の権化とも思って思われてきた宦官の中でも善き宦官の特集が来た!感無量。人間、欲に逆らうの程難しい事はないのに、理念の人でいられた宦官達には深く敬意を現したいです。
待ってましたw
忠誠無比と言われた後唐(晋)の張承業も紹介して欲しいです。
ちょっとずれますが、宦官の物語といえば、蒼穹の昴は感動しますね。宦官といえば清朝末の八卦掌の創始者 董海川かな。
日本史オンリーな頃に浅田次郎の壬生義士伝を読んで、その流れで蒼穹の昴を読んで中国宦官の存在を知り「実に彼らは良い奴らだなあ」と思ってた僕高倉健演じる鉄道員(ぽっぽや)も泣けましたねえ
強すぎて玉抜いたと言う嘘か本当かわからん逸話好き
@@tostom3701 続編の中原の虹やマンチュリアンリポートもいいですね。
@@佐藤泰隆-h6p 一代宗师と呼ばれる武術かですからね。本当だったらクレイジーすぎて面白いですよね。
もしも蔡倫がいなかったら紙、そして本という物はなかったのかもしれないそう思うと彼の功績がより大きく感じられますね
閑話休題で30分越えありがとうございます!
高力士は?って思ったけど、たしかに玄宗の暴走を止めれる立場・信頼関係にあったはずなのに止めることが出来ず、治世後半の乱れを加速させてしまった、良くも悪くも玄宗に忠義を尽くしてたから、選ばれなかったのは納得です。
皇帝には忠、社稷には不忠ってイメージですよね。
善玉宦官の紹介動画だけど小悪人臭漂う汎用宦官画像が大活躍しとるw途中で出る刃物が並んでる画像見ると、この後竿玉チョッキン動画作るための素材集めを着々と進めてるのかな?とか想像してしまうw
公に格上げ記念!ちょっとだけ自慢させてくださいw漢も宦官も変わらないはパワーワード過ぎますなあ!続きの劉邦動画も楽しみにしています、無理ないペースで作成頑張ってください!
ご支援いただきまことにありがとうございます!そして公就任も、この上なくめでたし!&ありがたし!YATTA!
ほんまや、うらやま
明朝が滅ぶ時に皇帝に最後まで付き従って、当時の日本でもなを知られた忠烈の士、王承恩が抜けてるな
リクエストを取り上げていただき、動画upありがとうございます(^o^)。鄭和以外だったら蔡倫だなと思っていましたが、最後が悲しい。清朝末期の寇連材は凄いですね。普通あの西太后に重用されていたら、従うだけですよ。真っ直ぐで好漢だけど切ない最後。
昔から悪い面がありつつも宦官が使われてきたのは、やっぱりいい面もあったからですよね
こんばんは。エナジードリンクきらいじゃないけど健康診断で通風でもおかしくないと言われしので他のジュース類含めては今は飲んでませんw人に歴史あり、宦官にも歴史ありですなあ。それにしても石破氏の写真スゴイ若い頃の写真じゃんww偶には箸休めでこういう特集もいいですね。鳥人間さんだからこその視点なのかな。歴史の角まで光を当てて解説してくれるのはありがたいことです。
なるほど、善玉宦官にスポットライトを当てるなんてそうそう無いですね。ありがとうございます。リクエストなのですが、宦官といえば蔑まれたイメージなのですがそれらを包括しての「中国の身分制」についての解説動画をお願いします。
清代は本当に宦官でこれといった有名人がいないんですよね、そんな清朝の宦官を紹介されるとは驚きました。拙作でも清代は康熙帝や乾隆帝を書いても宦官はノーマークでした。
汎用宦官画像は笑う
ありがとうございます!
ウウウ……いつもご支援いただき、まこと感謝感激です……!!今後もどんどこ動画を作っていきますので、ぜひご期待ください!
明末崇禎帝に殉じた王承恩もよい宦官歴史を動かしてはいないですが
後漢の孫程については宮城谷昌光の三國志で描かれているので是非。やる夫の光武帝では孫程は仮面ライダーBLACK RXのAAにされてて笑ってしまったけども。強いもんね彼。
>一気に時代は飛んで明王朝。曹騰、高力士「解せぬ」
鄭衆「私も紹介してもらえなかった…」
Thanks!
いつもご支援いただき、まことにありがとうございます……!大ッ変、励みになっておりますッ!!
歴史は動かしていないが、忠臣として明末期の王承恩などもいますね。あと後漢なれば梁商、曹操の祖父曹騰も宦官としては良臣に分類されるかと。
蔡倫は紙を発明したことを知っていたが官僚としても有能だったとは知りませんでした
1894年は、日露戦争ではなく日清戦争では? (さすがにこれは突っ込まなきゃと思った。確かライト兄弟が初飛行をしたのが1903年で、日露戦争はその翌年、日清戦争はその十年前、と子供の頃に覚えてましたw)と、突っ込みだけでは何なので動画を見ての感想、各時代の良い宦官、気骨のある宦官など、とても興味深かったです。特に清朝末期の寇連材のことは知りませんでしたけど、彼の事を知ることができてよかったです。そうなるとわかっていて、なお命がけの換言をして、その結果が悲しい。
どこかのコメント欄で、西周の末帝の末路とか、唐の末帝の末路が書いてあり、気になったので取り上げてほしいです。
いつも楽しみに見させていただいてます。お陰様で中国関連の歴史書を読むようになりました。もし可能なら中国医学の扁鵲(へんじゃく)や中国医学史みたいなまとめも見てみたいので取り扱って頂ければ幸いです。
いつも配信お疲れ様です。心ばかりですが、お納めください。
ウウウ……ご支援いただき、まことにありがとうございます……!お心遣い感謝感激です……!!!
宦官だって一人ひとりの生きた人間ですから、善悪正邪に限らずあらゆる人が存在するのは当然ですが、悪玉だけが目立ってしまうのは如何ともしがたいところです。「よい宦官」のみを数人選んで重点的に紹介する切り口は珍しく、面白いアイデアだと思います。今後は唐をはじめほかの時代も期待しています。ちなみに動画にはケアレスミスと思われる間違いや疑問点が数カ所ありましたので、補足説明と共に簡単に指摘させて頂きますね。ーーーーーー(1)明代宦官組織の最高権力機関は「司令監」ではなく「司礼監」です。学究時代に明史を専門とし、明の宦官や諜報活動、拷問、酷刑が好きな大明ファンとして、コレだけは譲れません(笑)。明の内廷には司礼監をはじめ十二監があり、胡惟庸案で中書省が廃されて以降、司礼監は皇帝の文書や印璽、宮廷礼儀等を所掌する機関として台頭していき、やがて十二監のなかで最高権力が司礼監に集中するようになりました。各監の主管(首長)は「太監」と呼ばれるので、司礼監太監は名実ともに宦官のラスボスでした。歴代司礼監太監には侯顕はもちろん、王振や馮保、劉瑾、魏忠賢など良くも悪くも錚々たる面子が揃っています。この時代から「太監」は宦官を指す婉曲表現となり、のちに去勢されたばかりの児童宦官も「小太監」などと呼ばれるようになりました。現代中国語では宦官よりも太監が一般名称化を果たして、日常的なコミュニケーションでは専ら「太監」という言葉が使われます。(2)王振を寵愛・信任して土木の変でオイラトの捕虜となってしまった英宗は宣徳帝(宣宗)ではなく正統帝ですね(20:50のところ)。単なるケアレスミスでお分かりだと思いますが、宣徳帝は英宗の父皇で、仁宗洪熙帝と成祖永楽帝をそれぞれ父と祖父に持っている皇帝です。宣宗は父の仁宗と共に名君とされ、親子の10年の治世(洪熙1年+宣徳9年)は「仁宣の治」と呼ばれ歴史家から高い評価を得ています。(3)寇連材が内宮に入った1893年は日露戦争ではなく日清戦争の前年です。日露戦争は日清戦争の十年後、20世紀初頭となります。(4)1893年に入宮し1896年に死んだ寇連材は、梁啓超によれば光緒帝が西太后に監禁同然の厳しい監視下に置かれ虐待もされていたのを目の当たりにしたそうですが、寇連材が宮中にいた三年は実は光緒帝の短い「親政」の時期に当たり、光緒年間でも珍しく西太后が比較的に引っ込んでいた数年でした。光緒帝と共に1898年の戊戌の変法を担った梁啓超による記述以外には、その時代の光緒帝が西太后にかのような仕打ちを受けたという記録が存在しません。むしろ光緒帝は戊戌の変法が失敗したのちに軟禁され、ひどい扱いをされていたことが広く認められ、梁啓超らも変法の失敗後に日本へ亡命しています。それは1898年以降のことですから、1896年に死んだ寇連材が知る由もありません。なので、戊戌の変法の当事者であり光緒帝の同志であった梁啓超は、「烈宦」と称えられた(すでに亡くなっていた)寇連材を自分たちと同じ「維新の志士」として描写し西太后批判・光緒帝擁護をするために事実を捏造してしまったのではないかと疑惑の目が向けられているのです。一般的には、光緒帝が西太后に軟禁・虐待されるのは戊戌の変法の後であると認識されています。ーーーーーー小うるさくてすみませんでした。中国史に一定以上の知見をお持ちの方は言われなくてもお分かりでしょうが、それほど詳しくない視聴者さんもいらっしゃるかもしれないと考え、上記の補足説明を書かせて頂きました。どうぞご参考になさってください。特に司礼監のことは太監フェチ(?)のわたしとしてはどうしても譲れないところでしたので(笑)それでは、また来週も劉邦の続きを楽しみにしてお待ちしています!👍
14:35猫が食いつきそうな宦官出てきたw23:30郭子儀と一緒に戦った後、唐に反旗を翻したみたいな名前だ!
地域と時代は違うがガージャール朝のアーガー・モハンマドを期待。東西宦官の比較をして頂ければ有難いし、何よりこの人即位しているので。
再生リスト【宦官】ってありましたっけ?お時間あるときに作っていただけると嬉しいです
(^^) b
@@c-history 陛下、ありがとうございます🙇🙇
本人はではなく孫が時代を動かしてた曹騰も良いですね。四代の皇帝に仕え驕る事なく慎ましい生活を送ったとか…曹騰がいなかったら曹操が世にでることもなく三国志がつまらない話しなっていたかも…そう考えると最良の宦官の一人ですね。
孫程が活躍してたのと同時期に曹操の爺さま曹騰が同じ小黄門に任じられています。曹騰も優れた人材を推挙したり自分を弾劾した人物を逆に称賛したりしているので間近で孫程を見て大きく影響を受けたのかもしれません。曹騰も養子に家を継承させましたがその養子の曹嵩の子が曹操で彼が事実上漢を滅ぼしちゃってるから遡って順帝の大失策となってるんですね。
唐の宦官・・・趙承業やってほしいですね
張承業では?あの独眼竜頃の!
世界史上最古のリサイクル製品「紙」
寇連材は蒼穹の昴の主人公・李春雲のモデルかな
同じことを思いました!
今後は、情報の引用元の記載もお願いします
残念だったのは于謙は英宗が1457年に復位した際に弟の啓泰帝を擁立した̚廉で殺されたことなんだよな (尤もこのことは英宗も後悔したらしいけど)
9:24 蔡倫は宦官でも「刑は士大夫に及ばず」を実践したということか。 歴史にifがあったら侯顕とティムールの鉢合わせもあり得たかも?
肖像画からして偉人感がにじみ出てる
1894年は日露でなく日清戦争ですね
永寧寺碑を立てたのは女真文字にとって素晴らしい資料的功績である。女真文字がその後も使用されていたらな。
漢・漢・漢ときたので漢(おとこ)を避けて玉無しにした感じでしょうかね?玉座を狙った藩屏があり、役割通り玉座を守った藩屏があったように、有能宦官や有能外戚もあったでしょう。個人的には当たり前すぎて話題になりにくい、有能藩屏を取り上げてほしい。
いつも素晴らしい動画ありがとうございます!!野暮な突っ込みだとは思いますが1894年は日露戦争ではなく日清戦争ですね。
右下のゆっこに笑ってしまった
4,016円
昔から思ってたけど永楽帝の小孫三代揃ってむっちゃ似てるよな
宦官で言うと明代末期というか最期期の王承恩かなー。これまで宦官≒悪だと思っていたのを塗り変えてくれた彼ですので。
漢と宦官つながりなら、科挙合格者全員の玉を切り飛ばしてしまったスーパー宦官コレクター、五代十国時代の「南漢国」をやってくれると思ってました資料少なそうだけど
蔡倫「私が製紙法を改良しようと思い立ったのが、宮中で取り扱う文書です。従来の竹簡や木簡だと、陛下への上奏文や役所の命令書等、その量に応じて重くなります。なので運ぶ際には人手がかかる上、保管場所もそれなりの規模になります。嘗て高祖陛下に仕えた蕭相国が、咸陽の宮殿にあった文書庫から全ての文書を接収した時もかなりの人手に、牛車も大量に必要だったと思います」(因みに『汗牛充棟』とは、膨大な量の文書の事を意味する)王羲之「そして時代は下り、蔡敬仲殿の『蔡侯紙』が世間に普及し始めると、左太沖殿の『三都賦』が評判となり『洛陽の紙価を高らしむ』(洛陽紙貴)と言われたほどです。更に紙に書かれる書体も、隷書から楷書や行書ついで草書と変化していきます」
良い生きた宦官
鄭衆 孫程 単超 黄皓 王振 李蓮英 辺りやってくれたらうれしいです!!!!!!!!!!!! 宦官は押さえつけられてたら大人しいけど、一度付け入る隙を与えるともうね……後漢・唐・明は特に……ね
孫程入っとるやんけェ……
頭のおかしい皇帝の頭のおかしい行動をまとめた回を作って欲しいです。
良い宦官は、圧倒的に鄭和
王承恩「スッ....・ω・)」
良い宦官というか無害な宦官というか
@@X_c4n 影響力は少ないけど陛下に忠義を貫いたの好き
蔡倫と司馬遷も加えて下さい
但し皇帝直属の秘密特務警察・東廠の初代長官だったりする。ただ鄭和は公正だったから良かったが。
かん!かん!かん!かん!がん!平仮名にするとなお似たようなもんですね。いい宦官とは恐れ入った。
なるほど、だからエナジー「ドリ」ンク人間がでてきたんですね
涙無しには聞けないね!寇連材!
世界史全体で見ても、中国史だけは色の濃い宦官が多くいて面白い。中国史以外だと、中世ヨーロッパは美しい讃美歌を生涯歌い続けるために子供の頃に宦官(?)になったり、オスマン帝国は単に雑用に回すために黒人を宦官にしたりとあまり面白味がないけど、中国史は宦官一人一人の個性が強くて見ていて飽きない。唯一自分が中国史以外で知ってる宦官は「ナルセス」かな〜。ユスティニアヌス大帝に仕えた宦官で、ニカの反乱で大帝を助けたり、東ゴート王国を壊滅状態に追い込んだりとややマイナーな割に凄いことしてる…。
劉邦動画は怒れる項羽が凸してきて完結しましたからね(嘘)それにしても善良宦官列伝は切ない結末…。やっぱり宦官は権力欲私欲丸出しで悪の限りを尽くして、そしてできればウボァ-----!!!と派手に滅んでくれる方が気持ちいいですね
蔡倫と孫程、役職名で"こうもん"の文字が踊った瞬間に何故かアッー!が脳裏を(アカン)明の中興の祖弘治帝に覃吉と懐恩という二人の名宦官が関わっていたのも時代かなぁ…と興安のその後は于謙の辿った運命を思うに…寇連材の李鴻章批判、まさか対日施策としての露清密約の問題点の指摘ならば、清朝はどえらい人間を失った事に…
善玉宦官編おつ蔡倫は常日頃の行いが清廉の士といった感じなのにどういう経緯で宦官になった(させられた)のか…
ご支援いただき、まこと恐悦至極に存じますッ!蔡倫の前半生は本当に謎なんですよねェ……ロマンですね~
冤罪だったか、あるいは連座かも
西太后と言えば李蓮英ですけどおもねってた人ですもんね。寇連材は知らなかったですね
蒼穹の昴民「春児のモデルの一つ冦連材やろ!」
汎用宦官画像🤣🤣🤣
宦官に善玉も悪玉も無いでしょう。玉が無いのですから。
志茂田景樹なら石破茂を主役に中国架空歴史小説を書けそう
1コメっ!!待ってました!!❤
善玉かどうかはさておき、司馬遷も宦官でしたね。この回で扱うには大物すぎるか。司馬遷はもう、歴史家宦官というより単純に司馬遷だからなあ・・・。
「ないしょ堂」ってアダルトグッズ売ってそう🤣「内書堂」漢字で書くとかなり違う印象です。しかし本当に「宦官の言うことに耳を傾けて正常な判断できる君主かどうか」が一番大事なポイントでしたね。そう思うと西太后…残念。
1894年は日清戦争ですね・・・釈迦に説法で失礼しました
29:00西太后の手は人参だったのですか???
善玉も何も「玉」が無いのでは?
ありがとうございます。股間を抑えながら聞いています…しかし宦官という存在が中華と西欧カストラートの双方にある背景何でしたっけ。
もともと宦官はローマ帝国にいたんですよね
@@enchopicopico そう。なんでそんな離れたところに似たような、しかもいびつな制度ができたのか…ローマには後宮はなかったはず?
@@murkymurk8305 宦官制度については、君主の妻と子をなして王位継承をややこしくするのを防いだり特定の一族に力を持たせないために必要だったんだとカストラートについては、確か当時の教会が女性に歌を歌わせることを禁止していたことが理由かと。そのため讃美歌にはボーイソプラノが必須だったのですが、長じるとそれは失われてしまう。そこで玉を取ってボーイソプラノを長続きさせようとしてできたのがカストラート
@@enchopicopico なるほどありがとうございます。歴史チャンネルのコメント欄は博識の宝庫で勉強になります!
これは「よい外戚」特集回も期待してしまいます。
衛青も一応外戚
唐の「長孫無忌」は如何でしょうか😌?
魏冄は難しい、私腹は肥やしだけど功績も多い
何進はもっと評価されていい
霍光も外戚になるのかな?
皆様がコメントで挙げて下さった宦官をここに記録しておき、今度の宦官コレクション動画ー宦これーで扱っていきたいと思います
あと小学校から日本史を勉強し直してきます……
ー宦これー(今までに動画で取り上げた人物は除いています)
王承恩・曹騰・董海川・高力士・司馬遷・張承業・曹騰・秦翰・李玉・張茂則・鄭衆・繆賢・単超・黄皓・王振・李蓮英・景監・張敏・喜寧・安徳海・宗愛・魚朝恩・王継恩・朴不花
曹騰が2人いますよ
少し休まれては?
曹騰が二人いるんですが、それは…
曹騰が2人とは、総統は相当に曹騰がお好きですな
26:06 日清戦争が日露戦争になってますえ
やっぱり高力士は外せないと思う。
敢えて士と呼べるような立派な宦官が多く紹介されていて勉強になりました。
王朝がまさに倒れんとする時、明の王承恩や清の寇連材の様に
最後の輝きを添える忠宦が出るのは、歴史の妙というべし。
中国史は宦官とは切っても切れない関係なので、悪玉だけでなく善玉も紹介して頂けるのが嬉しいです。
でも、寇連材のように時の権力者に諫言して命を落としていった名もなき宦官も多くいたでしょうね。
イシバの若い頃の写真を用意してあげる鳥人間さんの優しさよ・・・
いつもいつも鳥人間様の中国史を堪能しております。
今回も、寇連材のお話 感動しました。😢
「善玉宦官」とは、斬新な切り口ですねぇ。楽しませて頂きました。
「仁は人の心なり。義は人の路なり。仁人心也、義人路也。」(孟子)異形の者と蔑まれても、人の心を失わず、義こそが人の道だと貫いた宦官の人々がいたんですね。偽りの愛国心ではなく、純粋な良心から諫言を行った事に感動しました。弘治帝の教師、覃吉知りませんでした。歴史は良い面悪い面と、多角的に見ないといけませんね。動画面白かったです。長文すみません。
史記を記した司馬遷も宦官だったな
もはや宦官の歴史解説チャンネルじみてきましたね・・
それはともかく今回もめちゃめちゃ面白かったです‼️
宦官=佞臣と言うイメージでした
蔡倫以外は名前も知らなかったですが、だからこそ勉強に成ります
とても面白かったです
良くここまで調べ上げて動画にしましたね😊
今回も大変面白かったです!本筋からは外れたことですが1894年は日露戦争ではなく日清戦争の年だったと思います。
歴史に学ぶ点は本当に多いです。
環境変化著しい時代にあっても、心情穏やかに状況を俯瞰し、冷静に行動できるのも先達の歩みあってのものだと思っています。
英雄譚も面白いですが、今回のように、人物の生き様や矜持を刻み込むような話しは心にきますね。よい学びになりました。ありがとうございます。次回の動画も楽しみにしております。
西太后にもう少し清朝を思う気持ちが有ればという話ですね
いつか変法派も取り上げて欲しいです
西太后は結果的に保身が上手く王朝の延命に繋がりましたよね
漢人官僚らに力を持たせ過ぎたら多分2.30年早く清王朝は滅亡していた
ここの複雑さは、日本史なら
平治の乱から鎌倉幕府の親王将軍あたりに近い感触。2人の偉女が絡むし。
蔡倫はそんな最期だったんですね
寇連材も悲しすぎる・・・
正義の宦官カッコイイ…
今まで知らなかったとは汗顔の限り
汎用宦官画像がいかにも小悪党っぽくって悲しい...
宦官は元々、皇帝の私生活に関わる存在。いわば裏方。
皇帝がしっかりしていれば、表の世界に関わる権限を与えても
別に問題はないし、むしろ皇帝にとっては有能な手足を得られるメリットもある。
だけど暗愚な皇帝だと、宦官に付け入る隙を与える。
要は上に立つ物次第です。
歴史を変えるような偉業を成し遂げてはいないけど、崇禎帝に殉じた王承恩も印象的だな。
悪宦官の権化のような魏忠賢を処刑した崇禎帝が、たったひとりの宦官だけをお供に首をくくったとは…歴史の皮肉というか。
待ってました〜
最後に紹介する宦官は、清の順治帝から規定された『宦官による政治参与の排除』を知りながら、死罪を覚悟してまで時の権力であった西太后へ上申し、最期は処刑という悲しすぎる話を聞いて、宦官でも大清帝国崩壊の足音を知っていたと思う。
けど、大清帝国の宦官の役目は政治参与ではなく、後宮に使える官吏に過ぎないという事かぁ。😥
劉邦のようなメジャーな中国史も面白いけど、今回のようなマイナーな中国史も面白いですね。
善玉宦官なら明の最後の皇帝・崇禎帝に殉じた忠義の人王承恩も忘れてはなるまい。
今回何気に顔を見せた弘治帝、前漢の宣帝なみの波乱とサクセスストーリーの予感があるから、いつか取り上げてほしいです。
この回面白くて何回も見てます
侯顕冦連材は知りませんでしたので勉強になりました。アレの有無に関わらず気骨才覚次第ですね。
有能宦官、西軍両方とんでもない傑物が出てくるの面白い
司馬遷もそうでしたが、歴史上本当に欠かせない逸材も本当に多いものです
最後の霊夢の赤文が全ても物語っている氣がしました。
今回もありがとうございます!
10:38 孫程は激怒した。かの邪知暴虐なる宦官を除かねばならぬと決意した。
ただ中国史を紹介するだけでなく時々名前関連の小ネタはさんでくるの好き
お疲れ様です😌。
藺相如を恵文王に推薦した宦官「繆賢」はどんな人だったのでしょうか🤔?
以前藺相如の動画で「当時の宦官はかなり卑しかった」と伺いました😌。
卑しい自分の食客を推薦するのも、かなり勇気と確信が必要ではと思いました😌。
いつも宦官に限らず我欲に捕らわれ国を傾けてきた人々を残念に思ってきた。
ついに、ついに悪の権化とも思って思われてきた宦官の中でも善き宦官の特集が来た!感無量。
人間、欲に逆らうの程難しい事はないのに、理念の人でいられた宦官達には深く敬意を現したいです。
待ってましたw
忠誠無比と言われた後唐(晋)の張承業も紹介して欲しいです。
ちょっとずれますが、宦官の物語といえば、蒼穹の昴は感動しますね。
宦官といえば清朝末の八卦掌の創始者 董海川かな。
日本史オンリーな頃に浅田次郎の壬生義士伝を読んで、その流れで蒼穹の昴を読んで中国宦官の存在を知り「実に彼らは良い奴らだなあ」と思ってた僕
高倉健演じる鉄道員(ぽっぽや)も泣けましたねえ
強すぎて玉抜いたと言う嘘か本当かわからん逸話好き
@@tostom3701 続編の中原の虹やマンチュリアンリポートもいいですね。
@@佐藤泰隆-h6p 一代宗师と呼ばれる武術かですからね。
本当だったらクレイジーすぎて面白いですよね。
もしも蔡倫がいなかったら紙、そして本という物はなかったのかもしれない
そう思うと彼の功績がより大きく感じられますね
閑話休題で30分越えありがとうございます!
高力士は?って思ったけど、たしかに玄宗の暴走を止めれる立場・信頼関係にあったはずなのに止めることが出来ず、治世後半の乱れを加速させてしまった、良くも悪くも玄宗に忠義を尽くしてたから、選ばれなかったのは納得です。
皇帝には忠、社稷には不忠ってイメージですよね。
善玉宦官の紹介動画だけど小悪人臭漂う汎用宦官画像が大活躍しとるw
途中で出る刃物が並んでる画像見ると、この後竿玉チョッキン動画作るための素材集めを着々と進めてるのかな?とか想像してしまうw
公に格上げ記念!ちょっとだけ自慢させてくださいw
漢も宦官も変わらないはパワーワード過ぎますなあ!
続きの劉邦動画も楽しみにしています、無理ないペースで作成頑張ってください!
ご支援いただきまことにありがとうございます!
そして公就任も、この上なくめでたし!&ありがたし!YATTA!
ほんまや、うらやま
明朝が滅ぶ時に皇帝に最後まで付き従って、当時の日本でもなを知られた忠烈の士、王承恩が抜けてるな
リクエストを取り上げていただき、動画upありがとうございます(^o^)。鄭和以外だったら蔡倫だなと思っていましたが、最後が悲しい。
清朝末期の寇連材は凄いですね。普通あの西太后に重用されていたら、従うだけですよ。真っ直ぐで好漢だけど切ない最後。
昔から悪い面がありつつも宦官が使われてきたのは、やっぱりいい面もあったからですよね
こんばんは。エナジードリンクきらいじゃないけど健康診断で通風でもおかしくないと言われしので他のジュース類含めては今は飲んでませんw
人に歴史あり、宦官にも歴史ありですなあ。それにしても石破氏の写真スゴイ若い頃の写真じゃんww
偶には箸休めでこういう特集もいいですね。鳥人間さんだからこその視点なのかな。歴史の角まで光を当てて解説してくれるのはありがたいことです。
なるほど、善玉宦官にスポットライトを当てるなんてそうそう無いですね。
ありがとうございます。
リクエストなのですが、宦官といえば蔑まれたイメージなのですがそれらを包括しての「中国の身分制」についての解説動画をお願いします。
清代は本当に宦官でこれといった有名人がいないんですよね、そんな清朝の宦官を紹介されるとは驚きました。拙作でも清代は康熙帝や乾隆帝を書いても宦官はノーマークでした。
汎用宦官画像は笑う
ありがとうございます!
ウウウ……いつもご支援いただき、まこと感謝感激です……!!
今後もどんどこ動画を作っていきますので、ぜひご期待ください!
明末崇禎帝に殉じた王承恩もよい宦官
歴史を動かしてはいないですが
後漢の孫程については宮城谷昌光の三國志で描かれているので是非。やる夫の光武帝では孫程は仮面ライダーBLACK RXのAAにされてて笑ってしまったけども。強いもんね彼。
>一気に時代は飛んで明王朝。
曹騰、高力士「解せぬ」
鄭衆「私も紹介してもらえなかった…」
Thanks!
いつもご支援いただき、まことにありがとうございます……!
大ッ変、励みになっておりますッ!!
歴史は動かしていないが、忠臣として明末期の王承恩などもいますね。
あと後漢なれば梁商、曹操の祖父曹騰も宦官としては良臣に分類されるかと。
蔡倫は紙を発明したことを知っていたが官僚としても有能だったとは知りませんでした
1894年は、日露戦争ではなく日清戦争では?
(さすがにこれは突っ込まなきゃと思った。確かライト兄弟が初飛行をしたのが1903年で、日露戦争はその翌年、日清戦争はその十年前、と子供の頃に覚えてましたw)
と、突っ込みだけでは何なので動画を見ての感想、各時代の良い宦官、気骨のある宦官など、とても興味深かったです。
特に清朝末期の寇連材のことは知りませんでしたけど、彼の事を知ることができてよかったです。そうなるとわかっていて、なお命がけの換言をして、その結果が悲しい。
どこかのコメント欄で、西周の末帝の末路とか、唐の末帝の末路が書いてあり、気になったので取り上げてほしいです。
いつも楽しみに見させていただいてます。
お陰様で中国関連の歴史書を読むようになりました。
もし可能なら中国医学の扁鵲(へんじゃく)や中国医学史みたいなまとめも見てみたいので取り扱って頂ければ幸いです。
いつも配信お疲れ様です。
心ばかりですが、お納めください。
ウウウ……ご支援いただき、まことにありがとうございます……!
お心遣い感謝感激です……!!!
宦官だって一人ひとりの生きた人間ですから、善悪正邪に限らずあらゆる人が存在するのは当然ですが、悪玉だけが目立ってしまうのは如何ともしがたいところです。「よい宦官」のみを数人選んで重点的に紹介する切り口は珍しく、面白いアイデアだと思います。今後は唐をはじめほかの時代も期待しています。
ちなみに動画にはケアレスミスと思われる間違いや疑問点が数カ所ありましたので、補足説明と共に簡単に指摘させて頂きますね。
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(1)明代宦官組織の最高権力機関は「司令監」ではなく「司礼監」です。学究時代に明史を専門とし、明の宦官や諜報活動、拷問、酷刑が好きな大明ファンとして、コレだけは譲れません(笑)。明の内廷には司礼監をはじめ十二監があり、胡惟庸案で中書省が廃されて以降、司礼監は皇帝の文書や印璽、宮廷礼儀等を所掌する機関として台頭していき、やがて十二監のなかで最高権力が司礼監に集中するようになりました。各監の主管(首長)は「太監」と呼ばれるので、司礼監太監は名実ともに宦官のラスボスでした。歴代司礼監太監には侯顕はもちろん、王振や馮保、劉瑾、魏忠賢など良くも悪くも錚々たる面子が揃っています。この時代から「太監」は宦官を指す婉曲表現となり、のちに去勢されたばかりの児童宦官も「小太監」などと呼ばれるようになりました。現代中国語では宦官よりも太監が一般名称化を果たして、日常的なコミュニケーションでは専ら「太監」という言葉が使われます。
(2)王振を寵愛・信任して土木の変でオイラトの捕虜となってしまった英宗は宣徳帝(宣宗)ではなく正統帝ですね(20:50のところ)。単なるケアレスミスでお分かりだと思いますが、宣徳帝は英宗の父皇で、仁宗洪熙帝と成祖永楽帝をそれぞれ父と祖父に持っている皇帝です。宣宗は父の仁宗と共に名君とされ、親子の10年の治世(洪熙1年+宣徳9年)は「仁宣の治」と呼ばれ歴史家から高い評価を得ています。
(3)寇連材が内宮に入った1893年は日露戦争ではなく日清戦争の前年です。日露戦争は日清戦争の十年後、20世紀初頭となります。
(4)1893年に入宮し1896年に死んだ寇連材は、梁啓超によれば光緒帝が西太后に監禁同然の厳しい監視下に置かれ虐待もされていたのを目の当たりにしたそうですが、寇連材が宮中にいた三年は実は光緒帝の短い「親政」の時期に当たり、光緒年間でも珍しく西太后が比較的に引っ込んでいた数年でした。光緒帝と共に1898年の戊戌の変法を担った梁啓超による記述以外には、その時代の光緒帝が西太后にかのような仕打ちを受けたという記録が存在しません。むしろ光緒帝は戊戌の変法が失敗したのちに軟禁され、ひどい扱いをされていたことが広く認められ、梁啓超らも変法の失敗後に日本へ亡命しています。それは1898年以降のことですから、1896年に死んだ寇連材が知る由もありません。なので、戊戌の変法の当事者であり光緒帝の同志であった梁啓超は、「烈宦」と称えられた(すでに亡くなっていた)寇連材を自分たちと同じ「維新の志士」として描写し西太后批判・光緒帝擁護をするために事実を捏造してしまったのではないかと疑惑の目が向けられているのです。一般的には、光緒帝が西太后に軟禁・虐待されるのは戊戌の変法の後であると認識されています。
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小うるさくてすみませんでした。中国史に一定以上の知見をお持ちの方は言われなくてもお分かりでしょうが、それほど詳しくない視聴者さんもいらっしゃるかもしれないと考え、上記の補足説明を書かせて頂きました。どうぞご参考になさってください。特に司礼監のことは太監フェチ(?)のわたしとしてはどうしても譲れないところでしたので(笑)
それでは、また来週も劉邦の続きを楽しみにしてお待ちしています!👍
14:35
猫が食いつきそうな宦官出てきたw
23:30
郭子儀と一緒に戦った後、唐に反旗を翻したみたいな名前だ!
地域と時代は違うがガージャール朝のアーガー・モハンマドを期待。東西宦官の比較をして頂ければ有難いし、何よりこの人即位しているので。
再生リスト【宦官】ってありましたっけ?
お時間あるときに作っていただけると嬉しいです
(^^) b
@@c-history
陛下、ありがとうございます🙇🙇
本人はではなく孫が時代を動かしてた曹騰も良いですね。
四代の皇帝に仕え驕る事なく慎ましい生活を送ったとか…
曹騰がいなかったら曹操が世にでることもなく三国志がつまらない話しなっていたかも…そう考えると最良の宦官の一人ですね。
孫程が活躍してたのと同時期に曹操の爺さま曹騰が同じ小黄門に任じられています。曹騰も優れた人材を推挙したり自分を弾劾した人物を逆に称賛したりしているので間近で孫程を見て大きく影響を受けたのかもしれません。
曹騰も養子に家を継承させましたがその養子の曹嵩の子が曹操で彼が事実上漢を滅ぼしちゃってるから遡って順帝の大失策となってるんですね。
唐の宦官・・・趙承業やってほしいですね
張承業では?あの独眼竜頃の!
世界史上最古のリサイクル製品「紙」
寇連材は蒼穹の昴の主人公・李春雲のモデルかな
同じことを思いました!
今後は、情報の引用元の記載もお願いします
残念だったのは于謙は英宗が1457年に復位した際に弟の啓泰帝を擁立した̚廉で殺されたことなんだよな (尤もこのことは英宗も後悔したらしいけど)
9:24 蔡倫は宦官でも「刑は士大夫に及ばず」を実践したということか。
歴史にifがあったら侯顕とティムールの鉢合わせもあり得たかも?
肖像画からして偉人感がにじみ出てる
1894年は日露でなく日清戦争ですね
永寧寺碑を立てたのは女真文字にとって素晴らしい資料的功績である。女真文字がその後も使用されていたらな。
漢・漢・漢ときたので漢(おとこ)を避けて玉無しにした感じでしょうかね?玉座を狙った藩屏があり、役割通り玉座を守った藩屏があったように、有能宦官や有能外戚もあったでしょう。個人的には当たり前すぎて話題になりにくい、有能藩屏を取り上げてほしい。
いつも素晴らしい動画ありがとうございます!!
野暮な突っ込みだとは思いますが1894年は日露戦争ではなく日清戦争ですね。
右下のゆっこに笑ってしまった
4,016円
昔から思ってたけど永楽帝の小孫三代揃ってむっちゃ似てるよな
宦官で言うと明代末期というか最期期の王承恩かなー。これまで宦官≒悪だと思っていたのを塗り変えてくれた彼ですので。
漢と宦官つながりなら、科挙合格者全員の玉を切り飛ばしてしまったスーパー宦官コレクター、五代十国時代の「南漢国」をやってくれると思ってました
資料少なそうだけど
蔡倫「私が製紙法を改良しようと思い立ったのが、宮中で取り扱う文書です。
従来の竹簡や木簡だと、陛下への上奏文や役所の命令書等、その量に応じて重くなります。
なので運ぶ際には人手がかかる上、保管場所もそれなりの規模になります。
嘗て高祖陛下に仕えた蕭相国が、咸陽の宮殿にあった文書庫から全ての文書を接収した時も
かなりの人手に、牛車も大量に必要だったと思います」
(因みに『汗牛充棟』とは、膨大な量の文書の事を意味する)
王羲之「そして時代は下り、蔡敬仲殿の『蔡侯紙』が世間に普及し始めると、左太沖殿の『三都賦』が
評判となり『洛陽の紙価を高らしむ』(洛陽紙貴)と言われたほどです。
更に紙に書かれる書体も、隷書から楷書や行書ついで草書と変化していきます」
良い生きた宦官
鄭衆 孫程 単超 黄皓 王振 李蓮英 辺りやってくれたらうれしいです!!!!!!!!!!!! 宦官は押さえつけられてたら大人しいけど、一度付け入る隙を与えるともうね……後漢・唐・明は特に……ね
孫程入っとるやんけェ……
頭のおかしい皇帝の頭のおかしい行動をまとめた回を作って欲しいです。
良い宦官は、圧倒的に鄭和
王承恩「スッ....・ω・)」
良い宦官というか無害な宦官というか
@@X_c4n 影響力は少ないけど陛下に忠義を貫いたの好き
蔡倫と司馬遷も加えて下さい
但し皇帝直属の秘密特務警察・東廠の初代長官だったりする。ただ鄭和は公正だったから良かったが。
かん!かん!かん!かん!がん!平仮名にするとなお似たようなもんですね。いい宦官とは恐れ入った。
なるほど、だからエナジー「ドリ」ンク人間がでてきたんですね
涙無しには聞けないね!寇連材!
世界史全体で見ても、中国史だけは色の濃い宦官が多くいて面白い。中国史以外だと、中世ヨーロッパは美しい讃美歌を生涯歌い続けるために子供の頃に宦官(?)になったり、オスマン帝国は単に雑用に回すために黒人を宦官にしたりとあまり面白味がないけど、中国史は宦官一人一人の個性が強くて見ていて飽きない。
唯一自分が中国史以外で知ってる宦官は「ナルセス」かな〜。ユスティニアヌス大帝に仕えた宦官で、ニカの反乱で大帝を助けたり、東ゴート王国を壊滅状態に追い込んだりとややマイナーな割に凄いことしてる…。
劉邦動画は怒れる項羽が凸してきて完結しましたからね(嘘)
それにしても善良宦官列伝は切ない結末…。
やっぱり宦官は権力欲私欲丸出しで悪の限りを尽くして、そしてできればウボァ-----!!!と派手に滅んでくれる方が気持ちいいですね
蔡倫と孫程、役職名で"こうもん"の文字が踊った瞬間に何故かアッー!が脳裏を(アカン)
明の中興の祖弘治帝に覃吉と懐恩という二人の名宦官が関わっていたのも時代かなぁ…と
興安のその後は于謙の辿った運命を思うに…
寇連材の李鴻章批判、まさか対日施策としての露清密約の問題点の指摘ならば、清朝はどえらい人間を失った事に…
善玉宦官編おつ
蔡倫は常日頃の行いが清廉の士といった感じなのにどういう経緯で宦官になった(させられた)のか…
ご支援いただき、まこと恐悦至極に存じますッ!
蔡倫の前半生は本当に謎なんですよねェ……ロマンですね~
冤罪だったか、あるいは連座かも
西太后と言えば李蓮英ですけどおもねってた人ですもんね。寇連材は知らなかったですね
蒼穹の昴民「春児のモデルの一つ冦連材やろ!」
汎用宦官画像🤣🤣🤣
宦官に善玉も悪玉も無いでしょう。
玉が無いのですから。
志茂田景樹なら石破茂を主役に中国架空歴史小説を書けそう
1コメっ!!待ってました!!❤
善玉かどうかはさておき、司馬遷も宦官でしたね。この回で扱うには大物すぎるか。司馬遷はもう、歴史家宦官というより単純に司馬遷だからなあ・・・。
「ないしょ堂」ってアダルトグッズ売ってそう🤣
「内書堂」漢字で書くとかなり違う印象です。
しかし本当に「宦官の言うことに耳を傾けて正常な判断できる君主かどうか」が一番大事なポイントでしたね。
そう思うと西太后…残念。
1894年は日清戦争ですね・・・釈迦に説法で失礼しました
29:00西太后の手は人参だったのですか???
善玉も何も「玉」が無いのでは?
ありがとうございます。股間を抑えながら聞いています…しかし宦官という存在が中華と西欧カストラートの双方にある背景何でしたっけ。
もともと宦官はローマ帝国にいたんですよね
@@enchopicopico そう。なんでそんな離れたところに似たような、しかもいびつな制度ができたのか…ローマには後宮はなかったはず?
@@murkymurk8305 宦官制度については、君主の妻と子をなして王位継承をややこしくするのを防いだり特定の一族に力を持たせないために必要だったんだと
カストラートについては、確か当時の教会が女性に歌を歌わせることを禁止していたことが理由かと。そのため讃美歌にはボーイソプラノが必須だったのですが、長じるとそれは失われてしまう。そこで玉を取ってボーイソプラノを長続きさせようとしてできたのがカストラート
@@enchopicopico なるほどありがとうございます。歴史チャンネルのコメント欄は博識の宝庫で勉強になります!