【廃線跡】人口希薄地帯から無住地帯へ・・・。深名線 後編(幌加内~名寄)廃線跡、駅跡巡り
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- เผยแพร่เมื่อ 18 ส.ค. 2023
- 2023年7月に1995年に廃線になった北海道の深名線(深川~名寄)の駅跡を巡ってきました。深名線は代替道路未整備のため、大赤字路線でしたが特定地方交通線からは除外され、道路の整備が完了した平成初期まで生き残りました。
駅数が多いので前後編の2回に分けてお届けいたします。後編の今回は幌加内~名寄です。1990年に廃止になった雨煙別、政和温泉、新富、蕗ノ台、白樺と1976年に廃止になった大曲、廃止時の全駅跡訪問。(宇津内は未訪問)
廃止から28年経過した深名線の駅跡たちは、現在どうなっているのでしょうか。
※投稿主は特殊な訓練を受けております。沿線は羆の出没地帯のため、一般の方の探索はお勧めいたしません。行けれる方は自己責任でお願いします。
深名線 前編(深川~幌加内)の動画は↓
• 【廃線跡】大赤字路線も道路未整備で廃止保留も...
動画で使用している過去の航空写真はこちらで閲覧できます。
国土地理院HP:www.gsi.go.jp/top.html
添牛内駅が駅舎がCFによって修繕され綺麗になったのは、協力した1人として嬉しい限りですね。それにしても蕗の台駅にまで行かれたとは凄いですね。二年前の北海道遠征時にはクマーが怖くてパスした場所です。あと、その時に宿泊した「天塩弥生駅」の宿主さんの健康が回復し、営業再開してほしいですね。
添牛内駅舎は綺麗になりましたね~
天塩弥生駅のご主人は療養中のようなので、元気になって営業再開してほしいですね。
サガン鳥栖鉄道唱歌はあっでも無くてもこれでの自分に知ってん、稚内市を往復した。
JR北海道が来春42駅を廃止する見込みですが、深名線が現存していたら、この後編だと朱鞠内しか残らず、朱鞠内の次は終点名寄となるレベルの状況だとこの動画から思いました。
生活の足として深名線を利用していました、高校時代の忘れない思い出があります北母子里過ぎてからのトンネルだと思います。
トンネルに入って急に減速、何かあったのか? と思っていたら車掌さんが客室に現れて乗客に(確か5人未満?)手招き
運転席まで行って目にしたのは列車の前をのんびりと歩く1匹の狸、トンネルの中で堂々とレールの間をトコトコ歩いてました。
車掌さんと運転手さんの粋なはからいでトンネルの中は狸の歩くスピードにあわせた深名線、トンネルを出ると山に消えて行った狸に
怒ることもスピード落とした乗務員に怒ることも定刻通りに駅に着かなくても怒る乗客はいない、ローカル線ならではの思い出です。
今じゃ考えられないですよね。
昔のローカル線ならではの思い出ですね~
1987年、当時高校生だった頃、広島から新幹線で新大阪、そこから白鳥に乗り、青森から青函連絡船で夜をあかし、函館から当時の北海道全線乗り潰しをした記憶が蘇ってきました。深名線は全列車朱鞠内駅で乗り換えだったから乗り換え時間の間駅前を散策した記憶。楽しかった事を思い出させてもらった動画でした。ありがとうございます。
深名線は全線通しの列車は無く、朱鞠内で乗り換えでしたね。
添牛内でホッとしたのもつかの間、朱鞠内、湖畔、白樺、蕗ノ台で涙出てきて最後の34年前と変わってなかった名寄駅で感涙むせた…ありがとうございました!
👍
私にとって名寄駅はいつ行っても、感涙元です。駅舎は塗り替えていますが、雰囲気と風格は当時のままです。今から34年前ですと昭和から平成に変わった平成元年に行かれたことですか?平成元年の名寄駅は、名寄本線と深名線が分岐していました。車両は旭川運転所のキハ22、キハ24、キハ40、キハ54、キハ53、急行型は苗穂運転所のキハ400、キハ480、急行礼文号は旭川運転所のキハ54でした。きっぷは青色の手書きのきっぷ、名寄駅のオリジナルオレンジカード、思い出おーい名寄本線の記念きっぷと思い出おーい名寄本線のオレンジカード、記念硬券入場券を買いました。今の名寄駅は平成元年と違うのは駅舎内では、マルス券があるみどり窓口、旅行センターの閉店、キオスクの閉店、駅弁屋の閉店、2・3番ホーム上屋の撤去などです。車両では国鉄型気動車から、新型電気式気動車H100に置き換わってました。動画の最初のキハ54は平成元年当時から宗谷本線の普通列車に使用されており、室内は大幅に変更されてますが、外観は当時とあまり変わっていませんので往時の雰囲気を伝える貴重な車両です。ちなみに動画のキハ54は深名線でも使用されてました。
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登別、札幌、小樽、深川、留萌・増毛を旅した時に名寄に寄りました。深名線内はキハ56だったと記憶してます。
@@user-fk5vp7bw4x 深名線はキハ56を原型としたキハ53を中心に運用されてましたが、ごく稀にキハ56を使用することもありました。キハ53が検査のために代走で使用していました。団体などであれば定期列車に併結したりすることはありました。
蕗の台駅跡訪問、ご無事に帰還できて本当によかったです。
周辺は集落がなくヒグマが目撃される場所だけに養蜂業者さんの巣箱を目当てにヒグマが集まるみたいですから、本当に無事に戻れてよかったです。
👍
森長野市防災無線等和間証猫尾城全線廃止沼鉄道唱歌鈴鹿線駅発東海道本線国鉄東海道本線踏切跡残。黒田線踏切跡残。刻福島県当地懸念懸念材虚位解釈症候群日和蒲池吉良別所
廃線からおよそ25年、かつての沿線はそれぞれ違う経過を辿っているのがよく表されてる。
記録に残る長編動画をありがとう。
👍️
一気に見て堪能しました👍
冬は雪に覆われ夏は草木に阻まれ、熊にも用心せねばならず、中々大変なのに現地の様子を見せていただいてありがたいです。
これからも楽しみにしております!
ありがとうございます👍
先月訪問した道の駅の新しい政和温泉は実に良かったです。今にして思えば車中泊してきたら良かったと後悔してます。記憶が蘇る動画をありがとうございました
おっふが強くなる区間ですね。
無事で何よりです。
薮の中からこんにちはと出てきそうな場所が多いですから
おっふ度が高めでしたね…
熊スプレーを指に引っかけて、いつでも噴射できる状態で撮影しました…🐻
今年こそは久々に天塩弥生駅に行きたいと思っていたのですが…まさかのオーナーさんの入院…フェイスブックを見ると再々手術と出ていたので更にびっくり。来年行ける事を期待したいです。
私も今年こそはと思っていましたが…
記憶遺産として未来に残す素晴らしい動画です。
今はもう無い・・・一抹の寂しさを感じさせられますね。
ありがとうございます。
モニュメントや駅舎は残っていますね。
意外と残っています…
添牛内駅のクラファン、ひろりんさんが「ひろりん」で協力されてたのに笑って
しまいましたw しかし朱鞠内湖周辺、アウトドア営業再開されましたがやはり
クマ出没多発地帯なので自分には突撃は無理ですね 湖畔側からの道路を徒歩で
以前辿りましたが路盤崩壊地点で引き返しました 装備は普通の山歩きで行けそう
ですがクマが怖くて…
いつもありがとうございます!
今回は朱鞠内湖の近くで宿泊しましたが、キャンプ場で宿泊されている方も結構いましたね🐻
こんばんは。幌加内以北、拝見しました。予想通りであると同時にそれ以上でもありました。逆によく1995年?まで分断されずに残ったな〜とも思いました。あれだけ95年を待たずに廃駅になったのに。
ところで、雨竜川橋梁、綺麗に残っていますね。95年からはかなり経っているのに。メンテされているのかな?
最後に朱鞠内、訪れたことがないとはいえ「おっふ」度が凄いですね。朱鞠内といえば、気象情報でもよく取り上げられる場所。これだけ寒いとか、これだけ雨(雪)が降ったとか。ちょっとびっくりです。
そして、朱鞠内といえば、ヒグマ。。
朱鞠内だけヒグマが出る訳ではないですが、何事もなかったようで良かったです。
雨竜川橋梁は綺麗に保存されていますが、維持費がかなりかかっているようですね。
廃業した商店やガソリンスタンドが並ぶ、かつての朱鞠内駅前の寂れ具合は…
大変な調査、取材活動、ありがとうございました。
👍
幌加内の道の駅あたりに駅があったとは驚きです!
初めて行ったときは山奥に急にありびっくりした思い出があります
政和温泉の歴史は古いようで、あんな山の中に駅がありました…
そうですね。平成7年の深名線廃止当時でも、せいわ温泉ルオントとして新しく建てられたのはビックリしました。安くて?人気もありました。
40年前に母子里に居住していた者です
当時は小学生で父親が国鉄マンでしたので
駅舎の側の官舎に住んでいました
映像を見て懐かしくなりました
40年前と比べると母子里も随分変わってしまったんでしょうね…
ちょうど明後日から深名線の廃線跡を巡る予定だったので、とても参考になりました!
そうでしたか。
熊には気を付けてください🐻
蕗の台駅跡の探索動画は、やはり緊張感がありますね…
確か車で入って行けた気がしますが、何か有っても困りものですしね…
ふいに昔、名寄駅の1番線に日立ポンパ号という、カラーテレビのプロモで全国行脚する特別列車が訪れ、母に連れられ車内を見物した事を思い出しました…
蕗ノ台駅跡は車で入っていけそうですね。
画面に車が入るのが嫌なので、離れたところに車を停めて歩きましたが…
ポンパ号…聞いたことありますね…
えっ、宗谷本線に日立ポンパ号来てたんですね、情報をありがとうございました。
ご返信頂き、有り難うございます。
キャラクターのポンパ君は、南米のジャングルに棲む極彩色の鳥ポンパドールで、それに因み今では考えられませんが、車内には生きたイグアナやカメレオン・蛇の他、タランチュラや巨大な昆虫なども居て、母が卒倒しそうになっていたのを憶えています…
それ以外では、未来の生活家電の体験や映像を駆使した体験など、5両編成で盛り沢山の内容でしたね…
参加記念に下敷を貰った記憶があります…
@@user-wd7xl7di7e 名寄駅で昭和の良い体験談をありがとうございました。私も名寄駅で良い思い出をいろいろと体験しました。コメント欄には書いてませんが、今は時効ですが平成13年に宗谷本線でC11牽引によるSL塩狩号に、マルスで何回も照会して、出発の前日にキャンセルでようやく乗る事ができました。到着した名寄駅でダメもとで、運転所の構内で撮ってもいいですか?と駅員に言ったら、深名線のオレンジカードを買ったらいいよと言われて買いました。いわゆる通行料みたいな感じで職員用の通路から、通してもらって思い思いにSLを撮影することができました。旭川行きのSL塩狩号を、今度は線路上の撮影まで許可してもらって、駅員監視のもとで撮影を楽しみました。SLの車内では、共栄駅の件で書いた、駅泊まりした方と再会して、深名線と駅泊まりの話しを楽しみした。とても楽しい1日でした。
深名線、、、本当、懐かしいですね。国鉄マンだった親父が生前によく言ってたのは冬の維持は深名線が一番きつかったんじゃないか。
1度だけ添牛内の蕎麦屋に車で連れて行って帰りに朱鞠内経由で帰った事があるんですが、道路が整備されていたのにびっくりしてました。ですが、頑固だった親父は鉄道の重要性をずっと喋ってましたよ。自分が小学生の頃は朱鞠内に車で行くのは大変だった。雪なんて降ったものなら汽車で行くしかなかった。だから何かあった時の鉄道は役に立つんだ。と。どの路線の話をしても鉄道の重要性は必ず言ってました。
当時の親父との話を思い出しながら視聴させて頂きました。ありがとうございました。
沿線の道路が整備されたのが、平成初期でしたからね…
豪雪地帯ですから道路が整備される前は、鉄道が重要な交通手段だったんでしょうね。
朱鞠内駅、最後に訪れたのは平成5年だったけど、まだ駅前には家が立ち並んでいたのですが、今、こんな悲惨な状態になっているんですね。鉄道がなくなると人も去るんだなあ。寂しい。
そうですね…
予想されていたとはいえビフォーアフターのビフォー時点で既におっふ状態がほとんどでしたが、それにしても草木が繁茂している時期の北岸の探索は凄い。クマのリスクはもちろんのこと、蚊やブヨの大群など苦労が絶えなかったことと推察します。意外な発見があったのは最後の名寄駅の空中写真で、PC版初代シムシティの住宅過疎地を表す「R」区画を思い出しました。
深名線は平成7年当時でも深川市の多度志地区、幌内地区・幌成駅と下幌成駅付近、鷹泊地区、幌加内町の下幌加内地区・沼牛駅、幌加内駅周辺の市街地、政和地区、添牛内地区、朱鞠内地区、母子里地区はまだオッフ〜な状態では無く普通の生活をしてました。それ以外の地区は平成7年でもオッフ〜でした。
行くのに躊躇して、
やはり行くのがひろりんさん👍
熊出そうですが🐻
熊スプレーを携帯して撮影しました…🐻
俺が小学4年の時、白樺駅に泊まった事がある。渓流釣りが趣味の親父に連れられて、白樺駅を起点に釣りをした。何でこんなところに駅が?と思った記憶がある。
原野に戻った駅跡の探索、とても大変だったと思います。素晴らしい記録をありがとうございます。
羆の出没地帯なので、怖かったですね…
鈴の音からリアルな恐ろしさが伝わってきました。
ひろりん後編よくアップしてくれました、感謝
👍
秘境エリアの探検(探索というよりもはや探検ですね)、お疲れさまでした。
アクセスは難易度が徐々に高くなっているように思いますが、蕗の台や白樺の駅跡地が再利用されていて、場所がまだ判別できるのは嬉しいですね。熊さんには要注意ですが...
添牛内駅のクラファンに微力ながら私も参加しましたので、一度訪れてみたいです。
天塩弥生駅跡は実物そのままがジオラマのようで、民宿のご主人の健康回復と再開を心待ちにしています。
随所でみられるのですが、駅跡がなくなった場所に佇む農業倉庫は、歴史の語り部ですね。
👍
「行きますけど」の行動力が凄いと思います。今回も又動画と共にグーグルマップで旅しましたが、衛星写真では路線跡がしっかりと残っているんですね。
衛星写真で見ると何となく廃線跡が分かりますね。
こうして見ると、過去に国鉄があって今やその痕跡すらない、はもう目の前ですね😢
そうですね…
深名線での国鉄時代の痕跡は平成7年当時でもしっかり残っていて、昭和24年の日本国有鉄道よりもさらに古い戦前の鉄道省がしっかり痕跡があって、平成時代で体験出来るのも貴重でした。動画の日本国有鉄道の痕跡はキハ54で最後になりました。製造から37年も経っており、宗谷本線で体験を出来るのも、今のうちです。宗谷本線は普通列車を廃止?して特急列車専用化するなど情報も錯綜してると状態などで、いずれにせよもう目の前です。
お疲れ様でした。雨煙別、いい地名ですね。農業倉庫が残っていないと駅跡とはわかりませんでした。
ホームも探してみましたが、草むしていてよくわかりませんでした。かといって冬に行くのは
厳しいですし。。。
ひろりんさん
いつも素晴らしい動画をありがとうございます。
蕗ノ台に行かれたのですね!
今年は例年以上に熊が多いようですので、ご無事で良かったです。
私も添牛内駅にクラファンさせていただきました。実物の駅舎が残っていると嬉しくなりますね!
深名線乗ってみたかったです…
今年は熊の出没情報が多いですね…
やはり駅舎が残っている駅跡は、いいですよね…
信号テコの跡、自分も本当に大好きです。
篠路高架化で風前のともし火です。
👍
信号テコ跡は、JR北海道の現役路線の木造駅舎では見ることはできます。一部を撤去されたりなかったりしてます。札沼線篠路駅はJR北海道の広報に問い合わせたら、昭和9年11月20日の開業当時から補修しながら使用されており、鉄道省時代の貴重な駅舎です。今では最新型の電車を行き交って、JRと鉄道省のアンバランスさも良いです。
いつも楽しく見させて頂いてます🎉北海道は未知の場所ですが音楽、昔の航空写真と現在~そして「おふっ」で現地へ〰️もうこれが楽しくて(笑)そして廃線跡🚞
私は岡山県ですが「同和鉱業:旧片上鉄道跡」や「下津井電鉄跡」等を、現役時代のTH-camを見ながら駅舎跡等を散策しています!
これからも素晴らしい動画を期待しています😙
👍
深名線は鉄道ファンにとっては人気のあった路線だと思います。自分も名寄駅からも深川駅からも深名線に乗りました。名寄駅の0番ホームは何となく記憶があります。名寄駅から乗った時は朱鞠内駅で約3分ぐらい停車し、その後は深川駅まで乗りました。幌加内駅と朱鞠内駅以外の何駅かは列車交換が出来た場所も過去にあった様です。添牛内駅は綺麗になりましたね。国道239号線の添牛内跨線橋が近くにありますね。キハ54も深名線の運用にあたっていたそうです。
5月に深名線巡りをしましたが、すでに草がかなり生い茂る状態でした。一番印象に残る駅は添牛内駅ですね!あの保存状態は素晴らしいの一言です。その全国の有志の中にひろりんさんが居るのも素晴らしいです!また秋になったら深名線を再訪したいと思います。
北海道の中でも深名線は探索時期が難しいんですよね…
5月でも雪に埋もれている年もありますし…
元々なにもない・・・・・そうですね。60年前に小学校の通学に・・・深名線でした。自然にかえる幸せも・・・・。紹介していただき、とても、嬉しく感じました。お礼と感謝です。
深名線で通学されていたんですね。
60年前と比べると、自然に還ってしまった場所も多いのでしょうね…
朱鞠内~北母子里間はもう魔境というイメージでしたので、深名線の凄まじさをあらためて痛感します・・。
魔境ですね…
何の因果か、深名線には 2回も乗っていて。
1回目 朱鞠内の駅前に郵便局があるを知り。
2回目 深川からの 15時55分の到着列車で 走って 16時締め切りの郵便貯金をするという、阿呆なことをしたことも。
今はその駅跡さえも、「襟裳岬の春」状態。 😥
立入禁止が無いので、行かれますけど... この先もお気をつけて。 🐻
乗られていたのは羨ましいです…🐻
深名線の本気をありがとうございました。代行バスで乗り通してみましたが地元の方は乗ってません。国鉄もよく線路を敷いたなと感心してました。
👍️
ひろりんさんへ
深名線を扱われた後編のこの動画を通しで拝見しました。冒頭に起点だった深川駅を運転手の訓練で発つキハ54を撮られたショートムービーを置かれた動と残りの各駅(蕗ノ台と白樺駅は戦後間もない製材で賑わった頃の写真まで見せて下さり、理解が深まりました)を航空とあなたが収められた写真で今昔を比べて見せられる静の面がはっきりした構成でマルです。総じて添牛内(駅舎・ホーム・信号の梃子等が現存)を境に深川寄りがレール等のモニュメントが有るのに対して名寄寄りが自然回帰し遺構が皆無という好対照な現況だなと、私は直感しました。果敢な取材と編集をされ46分強という長さのこの動画を上げて下さったあなたを、私達は温かく労いましょう。ひろりんさんも、厳しい残暑や健康管理に注意し有意義に過ごされますようお祈りします。(記・8月19日の23時台)
👍
雨滝川橋梁残っていたのですね。政和温泉は道の駅併設ルオンドになってから行きましたが、綺麗になって賑わっていました。(^^)
添牛内駅は綺麗ですね。
ひろりんさんもですが手入れされていらっしゃる方に感謝です。
👍️
2024年のゴールデンウイークに旧深名線の廃線跡を探索してきました。現役時代に何度も乗り降りしていましたのでとても懐かしい思いでいっぱいです。
ちょうど天塩弥生駅の助役さん(宿のご主人、駅長は奥さん)が復帰されたばかりでとてもお元気そうで何よりでした。全国各地にファンがいるという天塩弥生駅、ぜひ皆さんも訪問して美味しいお食事をいただきながら酒でも飲みましょう。
天塩弥生駅の助役さん、復帰されたんですね~
宿泊したかったのですが、訪問時は休業中でした…
こんな大自然を切り拓く存在だったんですね。
そうなんですよ…
白樺も蕗の台も熊五郎が頻繁に出没するそうなので、行きたくとも行けないのですが、そこを行ってしまう胆力は素晴らしいです。ただし無理だけはなさらぬように。
第三雨竜川橋梁は残っててほしいネ
そうですね…
ただ維持費が、かなりかかるようです…
こうしてどんどん原野に還っていってしまうのでしょうね😭😭😭
第三雨竜橋梁がちゃんと見学できるように保存されているのがうれしいですね😊
👍
懐かしいの一言です。名寄駅の0番線に正面に雪をまとったキハ22の写真を年賀状にしたものは今もあります。良い思い出です。
いい思い出ですね~
35年前の夏に乗った深名線の事を思い出そうとしていますが、「無住地帯」は草木の景色しか思い出せません。僅かに見えた湖水や雨竜第一ダムがワンポイント的光景、全ての列車が朱鞠内駅乗り換えだったので乗り換え時間に駅員さんから記念に入場券を買ったことを思い出します。
幌加内、ここまで過疎化が進みましたか…
朱鞠内の市街地消滅は衝撃的です。
旭川もどんどん人口減ってますが、いやはや…
北海道は札幌圏以外はどこも厳しいですね…
1980年頃にバイクで旅をして、幌加内の民宿「シュマリの宿」に泊まりました。朱鞠内駅で列車交換をしていたのを見ました。2020年に車で走ったとき、この「シュマリの宿」の建物が残り、住んでいる人がいたのに驚きました。2023年朱鞠内湖では釣り人がクマに食べられています。この辺は本当にクマが出没します。
北海道は札幌や小樽以外の町はこれからも徐々に人口が減っていくんだろうな…このような光景が更に増えていくような気がします。
そうですね…
朱鞠内湖にはよくキャンプに行っていたのに、
深名線と触れ合う機会は殆どありませんでした。「あれ」と出会う機会も。
今思えばもっと乗っておけばよかった。(「あれ」にではなく深名線に)
やはりこの辺りは、人の気配が無くなっていくにつれて、元特殊部隊員のひろりん様ほどでないと厳しい場所になってきました。
「あれ」に出会う機会は…🐻
今回は熊スプレーを携帯しての探索でした…
朱鞠内湖畔キャンプ場のキャンプ場は、平成7年当時で、深名線の撮影している方もいました。そこを拠点にして廻ったらかなり便利だと言ってました。深夜に変な気配を感じで🐻さんかなと思い背筋が寒くなって、外を見たら深夜帯で誰もいなくて、気持ち悪くなりました。次の日から駅泊まりに切り替えました。当時はスマホも無く、何なのか分かりませんでしたが、スマホで朱鞠内心霊と出てきたので、内容を閲覧してると深名線ファンの言っていたことは本当だと分かりました。朱鞠内湖畔キャンプ場は観光地として有名ですが、🐻さんと心霊スポットとしても有名です。
@@user-sq2br4hu3z さん
私はニブいのか、心霊的なものは全く感じたことはなかったです。
ただ、月光で浮かび上がる鏡のような深夜の朱鞠内湖の湖面は、神聖ささえ感じるくらい美しいと感じます。
湖面に星が映っているのを見た時は感動しました。
@@kutakichi 返信ありがとうございました。私も朱鞠内湖畔のバス停で泊まったことはありましたが、特に霊障にはかかってませんでしたので、何も起こりませんでした。霊感が全く無い方は朱鞠内湖は素晴らしい観光地なので、ぼ~っとしていて過ごしても良い場所です。あまり、気にしないほうがいいですね。夜には都会では見ることが出来ない星空も感動的です。
釣り客がクマに襲われて亡くなり、1年経ちました😢今年はクマニュースが毎日です。お互い気をつけましょう🐻
バスの運転手不足が深刻な状況で、深名線より数年前に廃止された標津線や天北線の代行バスが一部区間で廃止や予約制になるなかで、無人地帯を走る朱鞠内以北がまだ運行を続けているのはかなり大変だと思います。深名線の代行バスも赤字だと思います。いつまで路線が維持されるか心配です。
そうですね…
77年の時点で周辺が閑散としていた駅も多い中、政和と朱鞠内の変貌っぷりが…、オッフ…。
77年にそれなりの市街があった政和と朱鞠内も今は…
オッフでしたね…
朱鞠内からの無住地帯とほぼ同じ原野を貫こうとしたのが名羽線でしたね。マジで何もない、誰もいないところにコンクリートの橋脚が並んでいます。無理くり造って開業させても、10年も経たずに廃止されていたはず。こればかりは、凍結されて正解だったと言えるでしょうね。
道内でも特にヒグマが多く棲息するエリアで、天北線跡より危険とされています。コンニチワしなくて、幸いでした。
名羽線の工事も結構進んでいましたね…
温泉が道の駅で復活したり、「せいわ」の駅名標が倉庫の端っこに掲げられていたり、駅があったと言う事は原野に戻っても「想い」を持っていた方の爪跡は残るんだなぁと、つくづく思いました。お名前のあった添牛内、良い駅ですね♪
廃線の接近票が道路標識にくっ付いてるのに土木事務所が何も言わないって、オツですね。
名寄駅120周年の「これまでも、いつまでも」の「いつまでも」がとっても気になります・・・。
最近朱鞠内湖で熊による事故があってるからね
蕗の台駅跡の動画で、なかなか先進的な曲がかかってるなと思いましたが、リアルタイムでのクマ避け鈴かw
BGMを消して、臨場感を…w
深名線は割合広い道道でも未舗装で第四種踏切になっていることも多く、トラックが直前横断して急停車ということもありました。
湖畔駅の造りは、トンガリ屋根に建て替え前の天塩川温泉駅に似ていたと思います。板張りホームに片斜面屋根の掘っ立て小屋風待合室。大きさもこの2つの駅は近いかも。共和駅と政和温泉駅や上幌加内駅なども形は似てますけど、前の2つより小さいですね。と言っても、当時の写真がネットにも少ないですけど。天塩川温泉駅の旧待合室画像は以前何処かにあったけど、分からなくなってしまいました。
そうだったんですね…
@@hiroring0323 深名線は95年まで現役で乗れたのと、線路沿いも走ったのでそんなに昔に感じなくて。もちろん歳の所為ですけど😅 と書き加えようとしましたがハート付いた後だったので返信にて😸
12:17 かつて駅が彼の地に存在した事を示すモニュメントみたいで嬉しく思います
そうですね~
朱鞠内湖近くは林業関係が多く鉄道線路が囚人によって造られたのだとか…網走や樺戸からの政治犯もいて多くの犠牲者を出しいまだに遺骨が発見されたりすると小さな頃父に教えられて家族旅行したことがあります。大人になって大変な思いで開拓されたり犠牲者を出して造られたものがまた原野に戻るのも自然なのでしょうか―とにかく懐かしくて切なかったです。お疲れさまでした(^-^ゞ😊😊
暑い日に撮影お疲れ様です。
熱中症には気をつけて下さいね。
👍
私も先日数駅だけですが深名線の駅跡を探索してきました。
少数派かもしれませんが、私はホームだけが残っている北母子里駅跡が一番好きです。
👍
27:08秒-29:05秒道道528未通路段雖然還不曉得未來會不會開通 感覺有可能跟道道688號一起開工並通車 當然還是要再觀察 我是希望可以開通通車拉 蕗之台-白燁站跡我滿有興趣的 等有機會去北海道旅遊時 會到現場(不能留太久 有熊的機率不低= =) 感謝製作+分享喔^^
鐵路沿線一帶是熊出沒的地方,去的時候要小心……
久しぶりです
深名線ですかいいですね
自分最近ダイヤで調べてました
1995年に臨時で走った急行電車が
ありました
8月27日~9月3日まで走っていたみたい
です
お久しぶりです!
最後の年に、そんな臨時急行が走っていたんですね…
@@hiroring0323 確かクリスタルエクスプレスと言う電車やキハが走っていたそうです
現地では名物を振る舞ったりしていたみたい
天塩弥生駅の駅跡の有効活用っぷりが素晴らしいですね…
その他の残された駅も上手く雰囲気を再現してますね…
天塩弥生駅はいいですね~
次回は宿泊したいです…
連続コメントで、時効になりますが、しばらくは道床も残っていてここを車で走ってました。朱鞠内湖に向かうところに雑貨屋があり、よく寄ってましたが、ここも廃屋マニアの喜びそうになりました。😢
名寄駅何回もいったことあります‼️
👍
特殊な訓練ってなんですか?
ヒミツデス
政和温泉はかつて「裸ジンギスカン」が有名でしたが温泉が枯渇し廃業となりましたが、別の温泉を掘り当てて道の駅のルオントになりましたね。
種村直樹氏の本で取り上げられていましたね。
こっそりと凄いことをやっていたんですね〜😳添牛内駅はひろりんさんと共に😚
OSO18は駆除されたようですが、朱鞠内湖の人食いグマはその情報がないので、蕗の台とか白樺は行くのを躊躇うことなく諦めるのかと思っていましたが…行ったんですね〜😲
並行道路ができたのにも関わらず廃墟が増える地域ってのは、そもそも人が住むに適さない地域だったのかなぁ…と思ってしまいました😞
この辺りは豪雪地帯なので、人が住むのには適さないですね…
最高です 10年ほど前 セイワルオントの3キロ先 道路(275線)で子熊と衝突したことあり 今年の朱鞠内の熊ニュース ひろりんさん 蕗の台 白樺の映像 度胸満点と言おうか なんと言おうか 母子里で友人が コンカフェ母子里 土 日 営業中
👍
添牛内駅は私も微力ながらクラウドに寄付させていただきました。
7月下旬に訪問して生まれ変わった添牛内駅を見てきました。
そして、名寄市内に宿泊しました。
👍
雨煙別から先がおっふ案件連発とすごいことになってますね...
添牛内駅跡は自分もわずかながら支援させていただきました。
ちなみに主様の名前のすぐ近くに自分の名前(本名ですが)もありました。
蕗の台駅跡は別のTH-camrさんが現地調査しようとしたら熊の鳴き声が近くで聞こえて即退却したという動画を見たことがあります。
天塩弥生駅が早く営業再開されるといいですね。
オッフ案件連発でした…
蕗ノ台、白樺は直ぐに熊スプレーを噴射できる状態で、撮影しました…
朱鞠内駅より広がる無住地区。
深名線が敷設される原風景を見る
ようですね。農耕放棄地を眼にすることは複雑な気持ちです。
入植された方々を思うと☀︎☀︎☀︎。
後編の方が大変でしたね。
ありがとうございました。
前編では蕎麦の栽培が盛んだった農地も、後編では…
政和温泉には一度だけ入浴しました。
古い建物でしたが
お湯は良かったです😊
自転車旅の🚲途中で立ち寄りました😅
もう45年くらい前のことです☺️
鉄道も真冬の名寄・朱鞠内間を乗りました!
雪の原生林の中を走る光景は異国情緒たっぷりでしたね😃
深名線に乗られていたのは羨ましいですね…
政和温泉にも行かれていたんですね。
@@hiroring0323 さん
ありがとうございます😊
朱鞠内湖が好きで行きました😅
政和温泉あたりはまだ砂利道でしたね(⌒-⌒; )
はい深名線に乗れたのは貴重な体験でした☺️
1992年秋にワイド周遊券を使って石北本線夜行から深川乗換え始発列車で乗り通しました。その時点で政和温泉駅をはじめ数多くが廃駅となっていて、またその時点では廃止が決定していなかったためか利用客も数人しかいなかったのを記憶しています。廃止後は名寄からバスで深川まで乗車しました(確か幌加内で乗換え)が、こちらも数人しか利用客はいなかったと記憶しています。
代替バスは何度か見かけましたが、乗客は…
添牛内駅の支援者プレートの映像を見て(止めて虫眼鏡で拡大笑)私の名前も映っているのに今気が付きました。
今度駅舎ともども見に行きたいな。この動画もいい記念になりました。
👍
天塩弥生駅跡の民宿にうまいこと「運休」と書かれているのが良いですね
湖畔駅。三菱鉱業 大夕張鉄道にも有りましたネ👍(夏季限定の無人駅 枕木だけの棒線ホーム)
で、因みに〜
名羽線の分岐する『駅』って 何処からでしたっけ❓ 汗💦
名羽線の分岐駅は朱鞠内ですね…
深名線は最後の冬に一度だけ乗車しました
吹雪いて駅以外は何も見えない所がおおく
こんなところに人が住んでいるのか?
満員のキハ54の単行列車の窓ガラスに顔をくっつけ車窓を眺めてました
いくら列車本数が少なくとも列車運行のための除雪はしっかりされており
朱鞠内駅と幌加内駅は除雪した雪が壁のようになってました
もう遠い昔の記憶ですね
朱鞠内駅では対向列車待ちの間に駅外に出ることが可能な時間があったので
写真を撮りに一度外に出ましたが
窓口に切符を求める列ができてました。
ローカル線には似つかわしくない大きな駅舎でしたね
幌加内駅では対向列車が
遅れており駅外に出られなかったのが残念でした、
構内にキハ53が進入しているのに線路を横切る人がいて
思いっきり警笛が鳴らされていた。
今の景色からは思い出せない昔話でした。
いつも動画投稿ありがとうございます
毎度 ため息つきながら拝見してます。
いい思い出ですね…
深名線は乗ってみたかったです…
添牛内は綺麗になってから行ってないので、行ってきます。
蕗の台、白樺の訪問、お疲れさまでした。私は踏み込めませんでした(^^)。
👍
路線も自然に戻ってますけど、耕す人も居なくなって農地が自然に戻ってますね。重機も無い時代苦労して木の根を掘りおたしり大変な苦労して農地を広げて行ったのに残念です。私の地域も農地が荒れて増えてます。
前編では維持されていた農地も、後編では自然に還った農地も多くみられました。気候の厳しいこの土地で、先人は苦労して開拓しましたが…
朱鞠内湖周辺では最近も熊の餌になった人がいるようですから注意してください。
現役当時(営業係数全国ワースト1になった頃から)、幌加内~朱鞠内は
どの列車も空気輸送だったとか
映像や航空写真でみると朱鞠内~北母子里が誰も利用がない様に一見
思えますが、途中駅の乗降がないだけで(ほぼ100%名寄への用事)
誰も乗ってない区間とはまた違います
隣町の者ですが、本当にご無事で。
👍
蕗ノ台駅に繋がる道みたいなのがちょっと気になった
一部の道路も原野に飲まれている感じが…
道が結構消えていましたね…
名寄、幌加内、深川までJRバスに乗りますが、ほとんど乗客は乗りません。幌加内そばという目玉があるので、何とかならないかなと思っていました。
深名線沿線でJRバスを見かけますが、いつもガラガラなような…
@@hiroring0323 乗客はほとんど私だけみたいな状態でした。この夏はレンタカーで名寄から幌加内経由で旭川に向かってみます。
湖畔駅跡から北母子里駅跡へ歩いたのはもう13年前だったんだな
蕗ノ台駅跡って養蜂場だったんか
駅跡に足を踏み入れたら、ちょうどにわか雨が上がったところで、蚊の大群に追い返されたわ。
白樺駅跡は道路上に標示(私製)があったなぁ
29:14 この標識、当時も不思議に思ったけど、この書き方だと現在地を挟む道が通行止めになるように見えるのよね。もともと通行止めなのに?って。そのままなんだな。
久しぶりの景色を見せてもらいました。
歩かれたんですか…
凄いですね…
77年当時と現在では画質に雲泥の差はあるにせよ、やっぱり今の耕作地は綺麗だなあっと
土地改良されてるのを見て取れます
確かに街は衰退してるのは事実ですが、決して死んではいません
「北海道」「無住地帯」
このワードだけで身構えてしまうし、怖いです
🐻
朱鞠内さびしくなったなぁ…
子供のとき「まどか」行くのに深名線乗ったときはちゃんとした集落があったのに…
寂しくなりましたね…
蕗ノ台から白樺までは休止中も車内券を発売し「買っても降りられない『ばからし』きっぷはいかがですか?」と銘打っていました。
いいですな…
鉄道は住民が生活するための手段
道路は住民が街を出て行くための手段
そんな感じでしょうか?
そうかも知れませんね…
私が大学の時、1985年卒業ですが同級生で、お父さんが林野庁の職員だった、という北海道出身の人がいました。
結構引っ越しがあったそうで、ひろりんさんの動画のエリアにも、かつて居たかもしれません。
彼は、その後裁判官になりましたが、いい判決を出していると思います。
👍
深名線の奥底は無住地帯と言うんですね。
かつての興味深い簡素な湖畔や白樺もほとんど自然に還ってしまってましたね…
まぁ当然と言っちゃ当然なのですが。
人が住んでいませんからね…
22:19~ 線路右側にびっしりとある物は一体何なんでしょうね?
この辺りは林業が盛んだったので、木材でしょうね。