ขนาดวิดีโอ: 1280 X 720853 X 480640 X 360
แสดงแผงควบคุมโปรแกรมเล่น
เล่นอัตโนมัติ
เล่นใหม่
東北新幹線盛岡開業前の十和田号(3往復時代)が好きでした。特に下りの3号と上りの4号の寝台車両連結編成が大好きでした。特に3号は上野発が20時50分で三戸着が翌朝の7時30分頃だったので利用しやすかったですね。(私は乗ったことないですが、父が仕事帰りにお盆に帰省するときに乗ってきて三戸駅のホームで母と迎えに行ったことが記憶に残っています。今から50年前の頃)
常磐線を夜行列車が、多数、走っていた時代、本当に懐かしいです。そういう自分もいい歳になってしまいました。速さだけも求めなくても、余裕をもって生きていく方が豊かな人生のように思います。なかなか、希望を見つけにくい時代になってしまって残念です。
目を瞑って聞いていると、車内の独特の臭いが感じられるようだ。すべてが懐かしい。
確かにあの臭いを感じますね。匂いとは書かなそうな臭い。
そうあの香り。優等列車の香り。あの消毒液香りには特別感がありますね。
89年8月中学生の夏休みに上野から水沢(祖母宅)まで乗りました!しんどかったけどめちゃ楽しかったです!
やっぱ機械式ハイケンスは全く趣が違うな。素晴らしい…
この急行十和田、14系客車の他、20系寝台急行も有りました。まだ10代の若き日ゆうづる(583)系通過(東海白方)踏切~ゆうづるを追走して走る姿~あ~十和田だ。あの頃は常磐線も夜行列車の種類が多くたのしかつたね。
国鉄型メロディーは車両の動力によって異なっていて電車は鉄道唱歌、ディーゼルカーはアルプスの牧場、客車はハイケンスのセレナーデでしたね。
途中停車駅の「平」、上越新幹線「あさひ」、東北本線「新特急なすの」高崎線~信越本線の特急「あさま」(直江津行き)時代の移り変わりの速さを感じてしまうなぁ☺️
まだ定期列車だった頃の14系上り急行十和田に私も乗りました。軽快なジョイント音、懐かしいですねぇ。確か録音したカセットテープが有った様な?探してみますね。懐かしい音源をありがとうございました。
十和田に臨時運転があったのは初めて知りました。60年3月の廃止時は12系が12両とかなりの長編だったのを記憶しています。
寝る前に何回も聞いています。わりと快調に飛ばすところと、かなり時間をかけている箇所があって、その対比が面白い。例えば相馬、原ノ町間。ゆうづるはとっくに通過している時間帯だから、おそらく貨物列車交換待ちのために長時間停車しているのでしょう。平以南になると、すでにひたちが動き出している時間です。平、水戸あたりでも時間調整をしていますね。ちなみに同時期の十和田下りは松戸に停車していました。
やっぱり乗り鉄は客車が最高です!
一度だけ、この急行十和田に乗りました‼️上野ー青森間でした。🚋しかも、臨時列車で・・・🚋
1982年だったか、同級生とトヨタカップ観戦するため乗車しました!直角シートの対面の客が横になっていたので2人で小さくなって眠った記憶があります。
この時代の尾久は青かったな。前半は睡眠時のbgmに使わせてもらっています。
盛岡から仙台、相馬、原ノ町と深夜も停車駅がある夜行急行。しんどくても乗ってみたかった。
昭和49年8月に上野から青森まで乗車した「十和田号」は旧型客車ばかりだったけど。四角い向い合せのボックス席はキツかった。殆ど寝れなかった。
窓から隙間風の吹く、スハ43系だった頃の「十和田」が懐かしい。青森から、乗ったなあ。
私が幼かった80年代前半、常磐線沿線に住んでいたので青森の両親の実家へ帰るときは急行十和田かゆうづるでした。早朝に着いたので眠いところ歩かされた思い出があります。80年代後半からは新幹線+はつかりになったのでだいぶ楽になりました。
私も常磐線沿線に住んでたので、よく、最寄りの踏切に電車🚃を見に行きました。
実に丁寧な 説明だなぁ。
あの頃は良かった・・・・・・
あの頃は確かに良い時代でしたね!
私が国鉄ファンになった、頃、とにかく、電車🚃が面白くて、たまらなかつた。
我孫子とまってたんだな。昔は柏より我孫子は格上なイメージだったな。
一度乗ってみたかったな〜14系
GOTO鬼怒川!ドリームカー付いてるほうの編成の下今市行きに乗ればオルゴールハイケンスも聴けると思います
E電と云ふ言葉を車掌が連呼すると可笑しく無く、違和感も無いのが不思議だ。
急行十和田は末期は我孫子に停車していたのですよね。
E電と言っていますね。結局広まらなかったというやつですね。
青森、浅虫温泉、小湊、八戸、二戸、一戸、盛岡、仙台、相馬、原ノ町、浪江、富岡、平、湯本、高萩、日立、水戸、友部、土浦、我孫子、上野、リクライニング無しのベンチシート、今の俺には耐えられない。
当方、神奈川に住んでた時、臨時急行「八甲田」に乗車した事あるが、普通列車のボックスシートと同じシートで、青森から上野まで乗り続けたが、寝られなかったね。まだ、現在の夜行バスの方がマシに思えた。
たいらって駅あったっけって思って調べたら今のいわきですか。
上野までの8両編成の夜行急行を車掌1人で捌くんだ・・・
夜行急行の案内放送、こんなだったか。自由席があるといいですよね。十和田は定期列車のころはもっと速かった。我孫子あたりの案内で上野3分位の早着を告げられたことがあった。朝の車窓が急行八甲田の尾久から上野で、上越・東北方面の乗換案内と合わなくてちょっと違和感。水色の京浜東北線電車がなつかしい。
上野到着のアナウンスで「上野、低いホームの14番線」ってのが改修前の上野駅らしさがあっていいね。たしか今は無いよね、まだあるんだっけ!?でもJRにはハイケンスを復活させて使い続けてほしいもんです。 鉄道といえばハイケンスてな名曲だし!
十和田も14系なら楽ですね。常磐線なので八甲田の尾久通貨映像をサービス出だしているのは、上り列車の東京の雰囲気を味わうためですか。14系と旧型客車では走行音が大違いですから乗り心地は良くても少し寂しい気持ちになりました。
いわきが平という名前の時代ですな( ´_ゝ`)
周遊券全盛期でも十和田余り使った記憶無いんだよなぁ。
9:20辺りに583系だ!!
浪江、富岡に停車したのかぁ
1:15パチンコ プリンス21 (現 ライジング青森駅前店)
東北夜行というと「旧型客車」のイメージがあったのだが14系ハザも捨てがたい😊
5:35尾久駅?常磐線じゃないですよね?
右隅の字幕をよく見なさい()
東北夜行が12系から14系に置き換わったときは、何て快適な列車になったものか、と思いました。
1ボックス2人までなら12系の方が楽でしたが、向かいに着席されるとエコノミー症候群になりそうでしたね。
我孫子は止まるのに柏を通過する❗
柏は221/223/425/422/424/426などの客車列車も止まりませんでしたよ。
小湊止まるんだ!!
八戸•盛岡•仙台•平•水戸方面上野行き
E電…
東北新幹線盛岡開業前の十和田号(3往復時代)が好きでした。特に下りの3号と上りの4号の寝台車両連結編成が大好きでした。特に3号は上野発が20時50分で三戸着が翌朝の7時30分頃だったので利用しやすかったですね。(私は乗ったことないですが、父が仕事帰りにお盆に帰省するときに乗ってきて三戸駅のホームで母と迎えに行ったことが記憶に残っています。今から50年前の頃)
常磐線を夜行列車が、多数、走っていた時代、本当に懐かしいです。そういう自分もいい歳になってしまいました。速さだけも求めなくても、余裕をもって生きていく方が豊かな人生のように思います。なかなか、希望を見つけにくい時代になってしまって残念です。
目を瞑って聞いていると、車内の独特の臭いが感じられるようだ。すべてが懐かしい。
確かにあの臭いを感じますね。匂いとは書かなそうな臭い。
そうあの香り。優等列車の香り。あの消毒液香りには特別感がありますね。
89年8月中学生の夏休みに上野から水沢(祖母宅)まで乗りました!
しんどかったけどめちゃ楽しかったです!
やっぱ機械式ハイケンスは全く趣が違うな。素晴らしい…
この急行十和田、14系客車の他、20系寝台急行も有りました。まだ10代の若き日ゆうづる(583)系通過(東海白方)踏切~ゆうづるを追走して走る姿~あ~十和田だ。あの頃は常磐線も夜行列車の種類が多くたのしかつたね。
国鉄型メロディーは車両の動力によって異なっていて電車は鉄道唱歌、ディーゼルカーはアルプスの牧場、客車はハイケンスのセレナーデでしたね。
途中停車駅の「平」、上越新幹線「あさひ」、東北本線「新特急なすの」高崎線~信越本線の特急「あさま」(直江津行き)
時代の移り変わりの速さを感じてしまうなぁ☺️
まだ定期列車だった頃の14系上り急行十和田に私も乗りました。
軽快なジョイント音、懐かしいですねぇ。確か録音したカセットテープが有った様な?
探してみますね。
懐かしい音源をありがとうございました。
十和田に臨時運転があったのは初めて知りました。
60年3月の廃止時は12系が12両とかなりの長編だったのを記憶しています。
寝る前に何回も聞いています。
わりと快調に飛ばすところと、かなり時間をかけている箇所があって、その対比が面白い。
例えば相馬、原ノ町間。
ゆうづるはとっくに通過している時間帯だから、おそらく貨物列車交換待ちのために長時間停車しているのでしょう。
平以南になると、すでにひたちが動き出している時間です。
平、水戸あたりでも時間調整をしていますね。
ちなみに同時期の十和田下りは松戸に停車していました。
やっぱり乗り鉄は客車が最高です!
一度だけ、この急行十和田に乗りました‼️上野ー青森間でした。🚋しかも、臨時列車で・・・🚋
1982年だったか、同級生とトヨタカップ観戦するため乗車しました!
直角シートの対面の客が横になっていたので2人で小さくなって眠った記憶があります。
この時代の尾久は青かったな。
前半は睡眠時のbgmに使わせてもらっています。
盛岡から仙台、相馬、原ノ町と深夜も停車駅がある夜行急行。しんどくても乗ってみたかった。
昭和49年8月に上野から青森まで乗車した「十和田号」は旧型客車ばかりだったけど。四角い向い合せのボックス席はキツかった。殆ど寝れなかった。
窓から隙間風の吹く、スハ43系だった頃の「十和田」が懐かしい。青森から、乗ったなあ。
私が幼かった80年代前半、常磐線沿線に住んでいたので青森の両親の実家へ帰るときは
急行十和田かゆうづるでした。早朝に着いたので眠いところ歩かされた思い出があります。
80年代後半からは新幹線+はつかりになったのでだいぶ楽になりました。
私も常磐線沿線に住んでたので、よく、最寄りの踏切に電車🚃を見に行きました。
実に丁寧な 説明だなぁ。
あの頃は良かった・・・・・・
あの頃は確かに良い時代でしたね!
私が国鉄ファンになった、頃、とにかく、電車🚃が面白くて、たまらなかつた。
我孫子とまってたんだな。昔は柏より我孫子は格上なイメージだったな。
一度乗ってみたかったな〜14系
GOTO鬼怒川!
ドリームカー付いてるほうの編成の下今市行きに乗ればオルゴールハイケンスも聴けると思います
E電と云ふ言葉を車掌が連呼すると可笑しく無く、違和感も無いのが不思議だ。
急行十和田は末期は我孫子に停車していたのですよね。
E電と言っていますね。結局広まらなかったというやつですね。
青森、浅虫温泉、小湊、八戸、二戸、一戸、盛岡、仙台、相馬、原ノ町、浪江、富岡、平、湯本、高萩、日立、水戸、友部、土浦、我孫子、上野、リクライニング無しのベンチシート、今の俺には耐えられない。
当方、神奈川に住んでた時、臨時急行「八甲田」に乗車した事あるが、普通列車のボックスシートと同じシートで、青森から上野まで乗り続けたが、寝られなかったね。まだ、現在の夜行バスの方がマシに思えた。
たいらって駅あったっけって思って調べたら今のいわきですか。
上野までの8両編成の夜行急行を車掌1人で捌くんだ・・・
夜行急行の案内放送、こんなだったか。自由席があるといいですよね。
十和田は定期列車のころはもっと速かった。
我孫子あたりの案内で上野3分位の早着を告げられたことがあった。
朝の車窓が急行八甲田の尾久から上野で、上越・東北方面の乗換案内と合わなくてちょっと違和感。水色の京浜東北線電車がなつかしい。
上野到着のアナウンスで「上野、低いホームの14番線」ってのが改修前の上野駅らしさがあっていいね。たしか今は無いよね、まだあるんだっけ!?
でもJRにはハイケンスを復活させて使い続けてほしいもんです。 鉄道といえばハイケンスてな名曲だし!
十和田も14系なら楽ですね。
常磐線なので八甲田の尾久通貨映像をサービス出だしているのは、上り列車の東京の雰囲気を味わうためですか。
14系と旧型客車では走行音が大違いですから乗り心地は良くても少し寂しい気持ちになりました。
いわきが平という名前の時代ですな( ´_ゝ`)
周遊券全盛期でも十和田余り使った記憶無いんだよなぁ。
9:20辺りに583系だ!!
浪江、富岡に停車したのかぁ
1:15
パチンコ プリンス21 (現 ライジング青森駅前店)
東北夜行というと「旧型客車」のイメージがあったのだが14系ハザも捨てがたい😊
5:35
尾久駅?
常磐線じゃないですよね?
右隅の字幕をよく見なさい()
東北夜行が12系から14系に置き換わったときは、何て快適な列車になったものか、と思いました。
1ボックス2人までなら12系の方が楽でしたが、向かいに着席されるとエコノミー症候群になりそうでしたね。
我孫子は止まるのに柏を通過する❗
柏は221/223/425/422/424/426などの客車列車も止まりませんでしたよ。
小湊止まるんだ!!
八戸•盛岡•仙台•平•水戸方面上野行き
E電…