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樽之介さんの動画がとても面白かったおかげで、日本史学年1位を連続でとれました。しくじり謀反からの奈良時代の動画が特に好きで、その分野は誰にも負けませんでした。単純に、ほかのどの投稿者さんの動画よりも樽之介さんの動画が待ち遠しいです!お身体に気をつけつつ、どうか投稿お願いします!田舎の高校生のファンより
真珠湾で補助燃料タンクが外れなかったのは、「お前は生きて帰れ」という飯田房太の遺志だったのでは、と思いたい。
貴方のコメントに凄く感銘を受けました。素晴らしい発想だと思います。例えただの偶然であったとしても、そう思わせる程の何かがありますよね。
永遠の0と同じエピソードですね・・・九死に一生を得た方の人生観は半端ない
この予備タンクの燃料が帰りに役立ったてことですね
飯田さんのエピソードと、戦後の「大勢のお客さんを乗せた責任の重さ」が良い対比になっている。
戦前も日本国民を守ったので対比ではない
こういう話を聞いていると、昨今の危機なんて些細な事とさえ思ってしまう。頑張ろうと改めて思える。
いいこというな貴殿
貴方も尊敬するわ・・( ノД`)…
😆👍✨
あ
よく撃墜王と呼ばれる人は戦歴自慢するんだけどこの人はどこまでも謙虚。ただひたすら空に憧れた人なんでしょうね。大体ミッドウェー海戦の敗残兵は海軍の汚点隠しに激戦区で消耗させられたのにそこを生き抜いた人が下手なわけがない。
一航戦のパイロットはミッドウェーではほとんど死んでないので、多くはソロモンが死に場所になってしまいましたね。ただ、海軍パイロットはベテラン、新米に限らず、ソロモン、ブーゲンビル、ギルバート、マーシャル、マリアナ、タラワ、台湾、フィリピン、沖縄、本土と作戦の度にミッドウェー敗戦でのパイロット損害が霞むほど死にまくってるので、結局激戦区も何もなかったというのが実情だったようです。
日本でやったらただの人殺し自慢にしかならないからな外の英雄とは違う
@@ケセラ-s7c 人殺し……か…我らの國の為、家族の為にやりたくもない事をしているのだから、人殺しを栄誉と言うのはどうかと思うが……
@@ケセラ-s7c モビルスーツのエース達は皆人殺しだ! アムロもシャアも人殺しだ!と暴論を吐いてみるww
連合国と比較されてもね・・・
話の中に出てきた原田要さんを知ってます。子供の幼稚園の園長先生でした。子供たちからはお爺ちゃん先生と呼ばれて慕われていたました。晩年に真珠湾やミッドウェーに参加された事、戦後に公職追放で仕事につけず近所の子供の面倒を見ていてやがて幼稚園の開園になった事などを本にしてました。
面白かったです。感動しました。60歳って今時じゃあ、ギラギラしている人多いですけど、これだけ濃い人生送るとそんな境地になるんですね。
その当時って一般企業でも55歳定年が普通だったと思います。パイロットは特殊な人材で貴重だったので60歳まで勤められた。
たとえ互いに敵方だったとしても、元軍人同士ではリスペクトを生じる不思議よ
藤田怡与蔵氏の言葉はどれも心に来るものがありますね。
猫の着陸ねぇ、、、事実この方の機に遭遇された搭乗客はランディングのショックが全くない見事な着陸だったそうですね。
バスに置き換えると、運転手さんがブレーキ時にショックを乗客に一切感じさせずに停止させるのと同じですね。
日本のエースパイロットが最後、上皇陛下と上皇后陛下との写真は感慨深いものがありますね。いい動画でした!
最後の写真かっこよすぎ。大河ドラマもビックリだよ。
本当に拍手を送りたい。素晴らしい話でした!
祖国のために命を賭して戦ったのに、職業軍人だったらかと公職追放されるのは余りにも酷すぎる。
それどころか戦争に行きたくなくて卑怯な手を使って逃げていた連中に殺人者呼ばわりされていました。
どっちにも自分達の正義があるんだよ
@@Hyde_Cookie 2つの正義(せいぎせいぎ)があるから犠牲が生まれるんだよね…
@@にいにい-u7q 人を殺したくないって言うのは人として当然の事だし、殺されたくないのも生物として当然。責められるべきでは無いし、そうゆう人からしたら軍人とは国家とか民族とかいうモノの為に命を奪う殺人鬼って思うのはおかしくないこと。
@@アルフォート-i3j 人を殺すことに忌避感が出るのは当たり前ではなくない?教育の問題でしょ。常識ってのは周囲の刷り込みによるものでしかない。
典型的なサイレントネイヴィーだったんですね。海軍兵学校66期。この辺りのクラスは多くの同期が戦死してます(特に68期)。生きたくても生きられなかった多くの戦友の分まで、充分に生きられたのではないでしょうか。
エースパイロットにすらこの仕打ち他は推して知るべし
海軍のトップスコアを叩き出した岩本さんも戦後は・・・・
11回もしつこく出向いても必ず面会に応じてる辺り思うところは有ったんだろうな松尾静麿さんも…
技量もあり、やる気もある良い人材がいるのに、飛行時間が足りないって点のせいで採用できないのは勿体無く思えたのやもしれませんね
そこで履歴書を書き換えると言う機転が良いですねwそう思っても松尾さんの口からは決して言えませんからね。
これだけの人材はまずいませんし。元少佐なら後進育成も可能な管理職になれますから。
綺麗事や右派左派思想関係無しにこの事実を皆んなに知って欲しいお話しありがとうございます。
何度も職を失ったのに ここまで頑張って最終的に機長になった 本当にいい話です 本当にお疲れ様でしたと言いたいです
現代人とは比べ物にならんくらい肝が座ってる
飯田大尉(戦死後二階級特進で中佐)が格納庫に自爆するシーンは映画トラトラトラで和崎俊哉演じる零戦パイロットのワンシーンにあります。
え、そうなんだ。後で保存してあるDVD観てみよう。
こういう人が居てくれたから、今の日本があるんですね。色々な逸話を聞くにつれて、元帝国軍人の方々はあまり戦争の経験を語りたがらない様に思います。単純に戦争を後世に繰り返させたくないからなのか、トラウマになってしまっているのか、話すまでも無いと自己完結されているのか、理由は人それぞれかとは思いますが、過去の栄光にしがみつく様なみっともない人間にはこの様な華々しい人生は送れないのでしょうね。何百年も前の事をダラダラ習うよりも、こういう素晴らしい人々の事を歴史の授業で習いたかったと思います。
当時の零戦乗りの敵機探知能力は化け物じみてたらしいねレーダーのない時代はいかに敵より早く会敵を察知し有利な位置を取るかが勝敗の分かれ目で、日本軍は圧倒的にこの能力が優れていたそうで、性能に落ちる機体でもしばらくは勝利出来ていた単純な視力だけではなく、戦闘機乗りの勘どころがあったのかな
ベストカーwebの記事で、元零戦パイロット土方敏夫さんのスカイラインGTS-t TypeMの話の中で、(以下転載)常磐道を走る車中でのことだった。前を走る車に目を据えて、「この距離で20ミリ(機銃)を撃てば必ず当たるんだよ」 と言う。「いつもそんなこと考えながら運転なさってるんですか? 怖いなあ」 などと言いながら、楽しいドライブだった。「でも、スピード違反で捕まったことはないんですか?」「いや、戦闘機乗りは『見張り』が命。覆面パトカーに捕まるようならとっくにグラマン(F6F)に墜とされてるよ」地獄を生き残った人は言う事が違います。事故予防には周りの車やバイク、自転車や歩行者をよく把握する事が重要です。これは覆面パトカー対策だけでなく、事故を防ぐ事に繋がります。
@@ATM09WR とっくにグラマンに落とされてるっていうセリフカッコよすぎやろ
昔、横浜の中華街で電車がなくなるまで飲んでタクシーに乗って帰った時のこと。横横道路でタクシーとは思えないスピードを出していたので、すごくスピードを出しますね?と聞いたら、昔乗ってた紫電改に比べりゃ大したことないよ、という答えが帰ってきて思わず背筋が伸びました。
まさに傑物。これだけの人物が世に殆ど知られてないというのは実に惜しい。
それもそれでよいのではないでしょうかね。知識というのは他人から押し付けられて無理やり叩き込まれるものでなく、一期一会の出会いのようなものであるのもまた乙なものです。
素晴らしいお話でした。何が自分に向いていて、それを何としてでもやり遂げようとする、失敗しても簡単に諦めず、現実を受け入れながら結果的になりたいものに再度なれた。いまの社会人に足りない事ではないでしょうか?希望が湧いてきました。
いや〜いい話だったな、すごく内容が濃かった
久々に目頭が熱くなりました。素敵な動画、本当にありがとうございました😊
自分の亡くなった祖父は、JALの前の日本航空に勤めていて、その後学校の先生や東京オリンピックでボートの育成など地元ではかなり有名だったみたいで、剣道や居合道もやっていて無理矢理、自分が剣道の初段に受かったら居合刀(切れない刀)もらう約束をして、鍔が鶴丸(JALのマーク)のをもらい元々は鶴岡八幡宮などの家門?で由緒あるものと聞いたことあります。ぶっちゃけアメリカ人や戦争をした人のことを恨んでいるか聞いた所「どの国の人も上から言われて仕方なく戦っていた」と聞いたのを思いだします。
戦争は悲しいが人の生きざまの爽やかさで救われる話だった。すばらしい。
生き方が春風のようですね
最後の御写真、上皇陛下、美智子上皇后陛下では…
凄まじいメンツですよね…
ほんとだ!!!
まあ、JALパイロットのボスですし。
やっぱりそうだよね!すごく羨ましい。そして美智子様が美しい…
藤田さん天国でJALの最新鋭旅客機を見て興奮してるだろうな✨
良い話でした。感動しました。間違いなく怡与蔵さんは神に選ばれた人ですね。
ただ一言、エエ話でした。
一式陸攻乗りで海面すれすれをスライド航法して生き残ったオジイといい、この元機長といい、数々の激戦をくぐり抜けて生き抜いたというのは、運、頭脳、体力、技量からして途方もない偉業だと思うわ。自分なら一時間持たずに撃墜されてると思うw
俺はそもそも飛行要員として採用されないと思う
一式陸攻はええゾォー
@@ゆめらくてら ワンショットライター…
ある程度乗ったら休暇できる連合国側と違って枢軸国側は死ぬか人間辞めるかしないと終戦まで生き残らないから...
二式大挺もイイゾ~
この人の経歴で朝ドラ、頑張れば大河ドラマ作れそうやな
めっちゃクレーム来そう(粉みかん)
@ジキルハイド おもんないぞ黙れ
キッズって決めつけられるとなぁ…困るんだなぁ…
@@はいた-u6i 問答無用で暴言吐く奴をキッズと呼ばずして何と呼ぶ?
@@Hyde_Cookie 神と呼べ。
最後の写真に驚きました。
士官パイロットで39機の撃墜は凄い、戦後の日航を支えた人なんだな、零戦最後の証言に登場していないのか不思議だ。
普通に朝ドラとかでやって欲しい
更新待ってます🥲
この動画がなかったら、この方を知らずに生きることになってたと思います。ありがとうございました。
戦争は悲しい事だけど!良い話でした。ありがとう。
この話、JALの古参社員の間では語り草だったようです(私も子供の頃、JAL勤務の親族から聞かされました)。当時現場ではこのような職人肌の乗務員が歯を食いしばっていた半面、会社としてはその後次第に国策企業として負の部分が露わになっていき、現在の姿になっていったのですね。
話を聞いて涙出た。と、思っていたら最後の画像は今の上皇様とご一緒の写真、びっくりした!
怡与蔵氏は、子供の頃は滅茶苦茶運動神経が良くて、学校でも人気者だったそうです。操縦の腕が良かったのは、その運動神経の良さのおかげだったのでしょう。またある時、汽車に乗る用事があった時、ちょっと乗り遅れてしまったことがありました。当時の汽車はそれほど速くなかったので、汽車の後と追いかけて、そのまま隣の駅まで行ったとか
樽之介さん、解説上手いですねえ。やる気と元気が出てきましたよ。
ジャンボ自体はあまりの大きさに、『普通ではパイロットが受け入れてくれまい』と操縦しやすさを徹底的に追求したそうです。分かるパイロットには分かる・・
昔のパイロットは凄いよなぁGPSなんてないし、方位と飛行時間から現在地を予想する、船の航海士のような方法で位置を予測し、地形や星の位置で補正する。衝突防止装置もないし、着陸進入角が適正か確認する機器もない。現代のパイロットは、マニュアルに記載されている通りに操作するだけの、別の仕事になってしまった。
自動車でも同じ事が言えますね。
@@jpnhosh 船も別物よ。
@@うんち-x7f 船もですかw そう考えるとテクノロジーの発達は人間をアホにしてますね。便利さばかり追いかけて、人にとって大切な能力「動物的な感」が失われてきています。
@@jpnhosh 今の船は太平洋のど真ん中でGPS無かったら航行出来ないんじゃないかな。自動運転も出来ないから船員を増やさないと行けないことになって会社に負担がかかるだろうし
空母だと進入角度が判るように光を点けていたようです。それより、機体の信頼度が今に比べて低いので機器の故障とか気にしないといけないですから飛ぶだけでも大変ですね
うちのおじいちゃん(屠龍乗り)の戦友は戦後結構航空会社にはいってたみたい。双発機乗りで、元99双軽パイロットだったから、dc3くらいはイケたみたいです。
映画トラトラトラの自爆突入シーンのモデルは飯田大尉だったのでしょうね
一番最後の写真見てビビリましたよ。最優秀なパイロットじゃ無いと操縦さえ無理でしょうから。
すごい人生でしたね? 然もあの真珠湾奇襲作戦とミッドウェー海戦を生き残られて。。歴史の生き証人です。戦後は本人の意思もそうですが、矢張り見えない力に「生かされて」いたのでしょう。ウポツでした。
空が好きだったんだねぇーなんかかっこいいなぁ
大河ドラマか朝ドラ並みの波乱万丈な人生ですね……。
最後の写真すごいぞww
18:18技量と根性だけでなくユーモアもあるなこの人w
すごくわかりやすく、面白かったです!飛行機に乗りたいという初心をずっと持っていた方なんですね。経歴で言えば超エリート軍人なのに。戦後に貴重な技術を平和に利用してくれたこと、発揮できる場を用意してくれた日航の松尾氏に感謝です。
これはいい話が聞けて嬉しかったです。ありがとうございます。
とても良い動画でした。ありがとうございます。 もしよろしければまだご存命の田中三也氏の動画も作ってほしいです。戦時中は偵察機、戦後は国土地理院委託の航空測量に従事し、現在は著者としても活躍されている方です。ご検討お願いいたします。
九死に一生の経験をした元陸海軍パイロットの同類の逸話を見てるが共通するものがある。幼少の頃ただ純粋に飛行機乗りに憧れその手段として陸海軍航空隊へ進んだと言う点。
なんか久しぶりに「知ってるつもり?!」観たような感じがした。この人の事今日初めて知ったけどこの動画に辿り着いて良かったです🙇🏻🙇🏻🙇🏻チャンネル登録しましたよ😉
動画作ってくれて有難う。あっという間の25分でした。
昔この人がモデルか知らないがドラマがあったよ 戦闘機乗りから民間航空が再開するとパイロットなるために 英語の猛勉強 英語覚えるのに苦労したとドラマに描かれていた。呉の海軍兵学校入試に英語あったらしいね 戦時中でも
戦時中に海軍兵学校の校長を務め、最後に海軍大将となった井上成美大将が語学教育に力を注いだ結果ですね。ウィキペディアで井上成美をググってみることをお勧めします。
@@くろいねこ-q4m 様この点、『バビロン作戦』でイラクのオシラク原発を爆撃したイスラエル空軍F-15/F-16の指揮官が、完璧なアラビア語でサウジやヨルダンの航空管制官と交信した話とは対照的ですね。尚、海軍兵学校における英語教育については、仰るところの「戦ってる相手の言葉が・・・。」ということも勿論ありますが、どちらかといえば兵学校長井上成美提督の意見はもっと常識的で、『どこの国の海軍に、英語の理解できない海軍士官が居るか。』『現場に出てすぐに役に立つことばかり教える教育というのは、いわば丁稚教育のようなものである。そのような教育ばかりを兵学校で教えろというのであれば、海軍には他に術科学校などというものがあるのだから、そちらを利用して教育すればよく、すべからく兵学校は廃止すべきである。』『英語ができないから兵学校を受験しないというのであればそれで構わない。その結果として志願者が陸士に流れても結構である。英語の理解できない志願者については海軍がこれを欲しない。』などといったことのようです。しかも提督は兵学校長時代から既に敗戦→戦後を見据えており、“今兵学校で学んでいる、或いはこれから兵学校へ入校しようとする若者たちが将来実社会に出ていくにあたり、必ず英語が必要になり、役に立つ時が来る”という考えで英語教育を継続させたというから驚きです(阿川弘之先生が提督の私邸を訪問した時の談話による)。
元ゼロ戦パイロットなんてエリート中のエリートだろうに敗戦するとこんな貴重な人材が、これほどの扱いを受けることになるのか・・・
しかしさすがはエリート、ただでは転ばないものですね。やはり優秀な人は例え不遇な環境でも切り抜けられる”もの”をもっているのでしょうね。
地獄を生き抜いたエリート中のエリートの中の努力をした上で運と才能がある天才が戦争を生き抜いた零戦乗りだからなぁ…
すげぇなぁ……ほんとすげぇ……語彙力無くなるくらいすげぇ…
製作者さんの作る動画は私の集中力だと気合い入れて見ないとついていけない内容とボリュームばかりですが、いつも最後まで楽しんで見てられます。今回も楽しい動画をありがとうございます。Wikiで簡単に調べたら日本航空時代にあも安部譲二とも働いていたのか…
阿部さんの日本航空時代の事を書いた本を図書館でパラっと読んだら、沖縄がまだ「国際線」の時代でパーサーをやっていたそうです。塀の中に入る前かしら?いや、塀の中に居たら採用されていないでしょうね。
金剛!祖父と同じ艦です。あと、祖父もパイロットを目指したものの、教官と同乗した際に高所恐怖症に気が付いて艦隊勤務に出戻りした経緯があります。(2翔ペラの複葉練習機をバックに、飛行服姿のカッコいい写真だけは残っています。操縦できない筈ですが…)高所恐怖症でも問題無さそうな艦隊勤務ですが、射撃指揮所と最寄りの対空機銃を担当していて、海上40m(10階建てビルの屋上相当)の高さがこたえたらしいです。機長昇格試験でのアメリカ人教官の方、ミッドウェー海戦で雷撃機だったということは… 恐らく戦友の多くを亡くしてらっしゃいますね...国家でも個人でもそうですが、戦争でガチガチに戦い合った実績を持つ者同士ほど、戦後になって仲良くなるパタンが多いように思います。あと、最後のお写真。「さすが日航。当時からCAさんに凄い美人な方がいらっしゃ… ?!?!」
珍しく最後まで見ました。そしてこの物語に重なるのは、私は、本物の零戦乗りの方を友人の父親として接したこともありましたが…共通して当時の零戦乗りの勇士は決まって、洗脳時代の話は、戦友意外とは絶対に話さなかった。非常に残念ですが、友人の父親に頭を下げても…兵学校出の海軍士官・・・・一度口にした誓を絶対に破らず、家族にさえ、話さなかったんですよ、ただ…ただ、友人をよく家に招いたときに、その戦友と語り合ったことの断片を聞き・・・・本気でマスタングに挑みかかったまた聞き武勇伝ワオもっと、詳しく聞きたかったです。 当時の海軍士官は、侍だったんだね。・・・・「ならぬものはならぬ」会津士魂じゃあないけれど、この生きて帰ってきた英霊の物言わぬ英雄に今も、深く尊敬し手やみません。 体にやけどの跡わおに持ったけど、特攻の死にぞこないといったその悪口から今もしのばれるものは、当時の日本人はみなわたくしの心はなく、命は国のもの機運位のためにささげるという気迫を教えてもらいました。 さぞかしおつらい思いを為されたと、おもわず、手を合わせて祈らざるにはおれません。 戦後、町で一番の貧乏な、引揚者専用住宅にすっでいましたがその住宅を何棟か買い取って大きな屋敷を立て、家族幸せになられました。きっと成仏なされ、靖国に神と上がらせ給われたのでしょう いやさか
良い話ですね
いわゆる予科練出でエースで後に343航空隊にもいて後にJALで機長をされた三上氏も戦争をよく生き抜いたものです。
何度話を聞いても😢😢涙が出ます😢😢😢
すごい人がいたんですね。他にももっといらっしゃるのではないかと思ってしまいます。いい動画をありがとうございます。
藤田少佐が戦時中の話を自分から語りたがらなかったのは、自分の隊から自分が指名して特攻隊を出したからだと思いますね。もちろん志願者の中から選抜したのでしょうが、ここらへんの話しは、このとき選抜された方で不思議な偶然で生き残った搭乗員の方が、そのことを手記にしていますね。別段、藤田隊長を恨む文言ではなかったですが、仲間から切り離されて死へと追いたてられていく孤独感のあふれる文章でした。
警察予備隊が不合格になったわけが、飯田大尉からのお前はもう戦闘せずに平和な人生を送れっていう事だったんじゃ…
。゚(゚´Д`゚)゚。
そうだったのか⁉️なるほど‼️( >Д<;)
夢を諦めずに何度でも挑戦して夢を叶える姿勢、軍人としての心意気ですね‼️諦めたら、そこで終わります。自分も自衛官時代に言われましたが、諦めるな❗例え不可能でも諦めた時点で終わるって❗任務遂行の為には諦めずに何度でも挑戦する事だと思います。戦時中の零戦乗りからジャンボ機で平和な空を飛び想いが叶い、良い人生を送られたと思います❗
面白い投稿が多くて、次の作品も期待してますせかす訳ではありませんが、どうかお暇をみつけてゆっくり解説を
感動をありがとう。
今まで、飛行機や電車で、運転士に対して敬意を持って乗ったことが無かったなーこれからは、乗り物に乗ったときの景色が違って見える気がする
凄い人がいたんですね 勉強になりました。
いつも楽しく見させていただいています。ちょうどこの時代の民間航空について面白い事実を知り、調査レポートを作成しています。詳細を世に出せるかは当事者関係団体次第ですが、、、とても励みになる動画で何度も見させていただいています、このシリーズの続き楽しみです。
海軍福知山航空基って、たしか石原飛行場の事だった気がする、もうほとんど跡地らしい跡地は残ってないけど
凄く感動しました。up主に感謝。誰か映画化してくれないかな…
坂井三郎氏とは別の意味で大空のサムライだと感じた次第であります❗
良いお話でした!!!
最後の写真、すごい、、、😅
藤田もパイロット志望の時に飛行時間で苦労したらしい。日本の大型機操縦者には少なからず民間航空のパイロットを目指した下士官操縦員が居たのだが、戦争末期には極めて稀になっていた。生き残っているのは艦上攻撃機の地上配備部隊位であった。北辺の守りから天山に乗って出撃となった生還しがたきその折でも、部下には民間機志望の奴が多いからと飛行記録を一生懸命付けていた飛行隊があったという事も知っておいて欲しい。
解説にもあった原田要さん曰く、怡与蔵さんは今でこそ「いよぞう」と呼ばれますが「ごよぞう」とも読めたそうで「ごよさん」と呼ばれていたそうです。
この方の着陸技術は群を抜くモノだったそうで、乗客がタッチダウンの衝撃に気付かないほど丁寧だったとかこないだ乗ったANA国内線で非常に丁寧なパイロットさんに当たって感動しました藤田怡与蔵氏の着陸をぜひ味わってみたかったと思っていたところに、過去一揺れのない離着陸を経験できました。年に数回飛行機に乗るのですが、着陸が荒い人は本当に揺れがひどくて体が浮きますからw
艦これの影響である程度お名前は知ってましたが詳細知れて良かったですなかなか凄まじい人生ですね
動画また待ってます!
ある戦闘機搭乗員出身の操縦士は、フライト中激しい乱気流にあってみんなが顔面蒼白になっていても、いつもと変わらず平気な顔をしていたそうです。元日航CAが書いた本にそうありました。藤田氏だったかどうかは覚えていませんがきっと余裕綽綽、見事な操縦だったのでしょう。
この当時の日本男児、メンタルの強さが半端じゃないな。
素晴らしい!大空の猛者が747の機長になったんですね!着陸が零戦と一緒!堀越二郎氏とジョー・サッター氏も無駄が嫌いな設計です!私もどちらも最高の設計思想だと思います。
感動の動画、ありがとうございます_(_^_)_🌸
私のお茶の先生の旦那様も、第二次大戦時代からのパイロットで空母に乗っていた事もあったと聞きました。ご年齢からすると、藤田さんの部下くらいかも知れません。戦後はJALだったと思いますが旅客機のパイロットをされていましたが、同社で飛行機の整備をしていた人も、海軍時代から飛行機整備をしていた人だったそうです。昭和の日本の航空業界は、沢山の元軍人さんが支えてくれていたようですね😅
最後の写真上皇陛下やんけ!
やっぱり今の天皇と似てる
凄い人なんやな……感動した
執念の人だな…涙出た
今なら後五年は乗れるんちゃう?しかしこの仕事してたらハラハラする時が何度かあるんやろな。大変な仕事やと思うわ。
今日の人も全く知らない人でした。昭和の空の生き字引のような人でしたね。
すごい。イイ話でした
私の叔父さんも、特攻隊として出撃直前に終戦を迎え、お百姓していたらJALから「パイロットになりません?」とスカウト受けて「零戦しか操縦出来ないので無理」と断ったら「飛行機は機種毎に免許が違うので基礎さえ出来ていれば無問題」と言われた。
樽之介さんの動画がとても面白かったおかげで、日本史学年1位を連続でとれました。しくじり謀反からの奈良時代の動画が特に好きで、その分野は誰にも負けませんでした。単純に、ほかのどの投稿者さんの動画よりも樽之介さんの動画が待ち遠しいです!お身体に気をつけつつ、どうか投稿お願いします!田舎の高校生のファンより
真珠湾で補助燃料タンクが外れなかったのは、
「お前は生きて帰れ」という
飯田房太の遺志だったのでは、と思いたい。
貴方のコメントに凄く感銘を受けました。
素晴らしい発想だと思います。例えただの偶然であったとしても、そう思わせる程の何かがありますよね。
永遠の0と同じエピソードですね・・・九死に一生を得た方の人生観は半端ない
この予備タンクの燃料が帰りに役立ったてことですね
飯田さんのエピソードと、戦後の「大勢のお客さんを乗せた責任の重さ」が良い対比になっている。
戦前も日本国民を守ったので対比ではない
こういう話を聞いていると、昨今の危機なんて些細な事とさえ思ってしまう。頑張ろうと改めて思える。
いいこというな貴殿
貴方も尊敬するわ・・( ノД`)…
😆👍✨
あ
よく撃墜王と呼ばれる人は戦歴自慢するんだけどこの人はどこまでも謙虚。
ただひたすら空に憧れた人なんでしょうね。
大体ミッドウェー海戦の敗残兵は海軍の汚点隠しに激戦区で消耗させられたのにそこを生き抜いた人が下手なわけがない。
一航戦のパイロットはミッドウェーではほとんど死んでないので、多くはソロモンが死に場所になってしまいましたね。
ただ、海軍パイロットはベテラン、新米に限らず、ソロモン、ブーゲンビル、ギルバート、マーシャル、マリアナ、タラワ、台湾、フィリピン、沖縄、本土と作戦の度にミッドウェー敗戦でのパイロット損害が霞むほど死にまくってるので、結局激戦区も何もなかったというのが実情だったようです。
日本でやったらただの人殺し自慢にしかならないからな
外の英雄とは違う
@@ケセラ-s7c 人殺し……か…我らの國の為、家族の為にやりたくもない事をしているのだから、人殺しを栄誉と言うのはどうかと思うが……
@@ケセラ-s7c モビルスーツのエース達は皆人殺しだ! アムロもシャアも人殺しだ!
と暴論を吐いてみるww
連合国と比較されてもね・・・
話の中に出てきた原田要さんを知ってます。子供の幼稚園の園長先生でした。子供たちからはお爺ちゃん先生と呼ばれて慕われていたました。晩年に真珠湾やミッドウェーに参加された事、戦後に公職追放で仕事につけず近所の子供の面倒を見ていてやがて幼稚園の開園になった事などを本にしてました。
面白かったです。感動しました。
60歳って今時じゃあ、ギラギラしている人多いですけど、これだけ濃い人生送るとそんな境地になるんですね。
その当時って一般企業でも55歳定年が普通だったと思います。
パイロットは特殊な人材で貴重だったので60歳まで勤められた。
たとえ互いに敵方だったとしても、元軍人同士ではリスペクトを生じる不思議よ
藤田怡与蔵氏の言葉はどれも心に来るものがありますね。
猫の着陸ねぇ、、、事実この方の機に遭遇された搭乗客はランディングのショックが全くない見事な着陸だったそうですね。
バスに置き換えると、運転手さんがブレーキ時にショックを乗客に一切感じさせずに停止させるのと同じですね。
日本のエースパイロットが最後、上皇陛下と上皇后陛下との写真は感慨深いものがありますね。
いい動画でした!
最後の写真かっこよすぎ。
大河ドラマもビックリだよ。
本当に拍手を送りたい。素晴らしい話でした!
祖国のために命を賭して戦ったのに、職業軍人だったらかと公職追放されるのは余りにも酷すぎる。
それどころか戦争に行きたくなくて卑怯な手を使って逃げていた連中に殺人者呼ばわりされていました。
どっちにも自分達の正義があるんだよ
@@Hyde_Cookie
2つの正義(せいぎせいぎ)があるから
犠牲が生まれるんだよね…
@@にいにい-u7q 人を殺したくないって言うのは人として当然の事だし、殺されたくないのも生物として当然。責められるべきでは無いし、そうゆう人からしたら軍人とは国家とか民族とかいうモノの為に命を奪う殺人鬼って思うのはおかしくないこと。
@@アルフォート-i3j 人を殺すことに忌避感が出るのは当たり前ではなくない?教育の問題でしょ。常識ってのは周囲の刷り込みによるものでしかない。
典型的なサイレントネイヴィーだったんですね。
海軍兵学校66期。この辺りのクラスは多くの同期が戦死してます(特に68期)。生きたくても生きられなかった多くの戦友の分まで、充分に生きられたのではないでしょうか。
エースパイロットにすらこの仕打ち
他は推して知るべし
海軍のトップスコアを叩き出した岩本さんも戦後は・・・・
11回もしつこく出向いても必ず面会に応じてる辺り思うところは有ったんだろうな松尾静麿さんも…
技量もあり、やる気もある良い人材がいるのに、飛行時間が足りないって点のせいで採用できないのは勿体無く思えたのやもしれませんね
そこで履歴書を書き換えると言う機転が良いですねw
そう思っても松尾さんの口からは決して言えませんからね。
これだけの人材はまずいませんし。
元少佐なら後進育成も可能な管理職になれますから。
綺麗事や右派左派思想関係無しにこの事実を皆んなに知って欲しいお話しありがとうございます。
何度も職を失ったのに ここまで頑張って最終的に機長になった 本当にいい話です 本当にお疲れ様でしたと言いたいです
現代人とは比べ物にならんくらい肝が座ってる
飯田大尉(戦死後二階級特進で中佐)が格納庫に自爆するシーンは映画トラトラトラで和崎俊哉演じる零戦パイロットのワンシーンにあります。
え、そうなんだ。後で保存してあるDVD観てみよう。
こういう人が居てくれたから、今の日本があるんですね。
色々な逸話を聞くにつれて、元帝国軍人の方々はあまり戦争の経験を語りたがらない様に思います。
単純に戦争を後世に繰り返させたくないからなのか、トラウマになってしまっているのか、話すまでも無いと自己完結されているのか、理由は人それぞれかとは思いますが、過去の栄光にしがみつく様なみっともない人間にはこの様な華々しい人生は送れないのでしょうね。
何百年も前の事をダラダラ習うよりも、こういう素晴らしい人々の事を歴史の授業で習いたかったと思います。
当時の零戦乗りの敵機探知能力は化け物じみてたらしいね
レーダーのない時代はいかに敵より早く会敵を察知し有利な位置を取るかが勝敗の分かれ目で、日本軍は圧倒的にこの能力が優れていたそうで、性能に落ちる機体でもしばらくは勝利出来ていた
単純な視力だけではなく、戦闘機乗りの勘どころがあったのかな
ベストカーwebの記事で、元零戦パイロット土方敏夫さんのスカイラインGTS-t TypeMの話の中で、
(以下転載)
常磐道を走る車中でのことだった。前を走る車に目を据えて、
「この距離で20ミリ(機銃)を撃てば必ず当たるんだよ」
と言う。
「いつもそんなこと考えながら運転なさってるんですか? 怖いなあ」
などと言いながら、楽しいドライブだった。
「でも、スピード違反で捕まったことはないんですか?」
「いや、戦闘機乗りは『見張り』が命。覆面パトカーに捕まるようならとっくにグラマン(F6F)に墜とされてるよ」
地獄を生き残った人は言う事が違います。
事故予防には周りの車やバイク、自転車や歩行者をよく把握する事が重要です。
これは覆面パトカー対策だけでなく、事故を防ぐ事に繋がります。
@@ATM09WR とっくにグラマンに落とされてるっていうセリフカッコよすぎやろ
昔、横浜の中華街で電車がなくなるまで飲んでタクシーに乗って帰った時のこと。
横横道路でタクシーとは思えないスピードを出していたので、すごくスピードを出しますね?と聞いたら、昔乗ってた紫電改に比べりゃ大したことないよ、という答えが帰ってきて思わず背筋が伸びました。
まさに傑物。これだけの人物が世に殆ど知られてないというのは実に惜しい。
それもそれでよいのではないでしょうかね。
知識というのは他人から押し付けられて無理やり叩き込まれるものでなく、
一期一会の出会いのようなものであるのもまた乙なものです。
素晴らしいお話でした。何が自分に向いていて、それを何としてでもやり遂げようとする、失敗しても簡単に諦めず、現実を受け入れながら結果的になりたいものに再度なれた。いまの社会人に足りない事ではないでしょうか?希望が湧いてきました。
いや〜いい話だったな、すごく内容が濃かった
久々に目頭が熱くなりました。素敵な動画、本当にありがとうございました😊
自分の亡くなった祖父は、JALの前の日本航空に勤めていて、その後学校の先生や東京オリンピックでボートの育成など地元ではかなり有名だったみたいで、
剣道や居合道もやっていて無理矢理、自分が剣道の初段に受かったら居合刀(切れない刀)もらう約束をして、
鍔が鶴丸(JALのマーク)のをもらい元々は鶴岡八幡宮などの家門?で由緒あるものと聞いたことあります。
ぶっちゃけアメリカ人や戦争をした人のことを恨んでいるか聞いた所
「どの国の人も上から言われて仕方なく戦っていた」と聞いたのを思いだします。
戦争は悲しいが人の生きざまの爽やかさで救われる話だった。すばらしい。
生き方が春風のようですね
最後の御写真、上皇陛下、美智子上皇后陛下では…
凄まじいメンツですよね…
ほんとだ!!!
まあ、JALパイロットのボスですし。
やっぱりそうだよね!
すごく羨ましい。
そして美智子様が美しい…
藤田さん天国でJALの最新鋭旅客機を見て興奮してるだろうな✨
良い話でした。感動しました。
間違いなく怡与蔵さんは神に選ばれた人ですね。
ただ一言、エエ話でした。
一式陸攻乗りで海面すれすれをスライド航法して生き残ったオジイといい、この元機長といい、数々の激戦をくぐり抜けて生き抜いたというのは、運、頭脳、体力、技量からして途方もない偉業だと思うわ。自分なら一時間持たずに撃墜されてると思うw
俺はそもそも飛行要員として採用されないと思う
一式陸攻はええゾォー
@@ゆめらくてら ワンショットライター…
ある程度乗ったら休暇できる連合国側と違って枢軸国側は死ぬか人間辞めるかしないと終戦まで生き残らないから...
二式大挺もイイゾ~
この人の経歴で朝ドラ、頑張れば大河ドラマ作れそうやな
めっちゃクレーム来そう(粉みかん)
@ジキルハイド おもんないぞ黙れ
キッズって決めつけられるとなぁ…困るんだなぁ…
@@はいた-u6i 問答無用で暴言吐く奴をキッズと呼ばずして何と呼ぶ?
@@Hyde_Cookie 神と呼べ。
最後の写真に驚きました。
士官パイロットで39機の撃墜は凄い、戦後の日航を支えた人なんだな、零戦最後の証言に登場していないのか不思議だ。
普通に朝ドラとかでやって欲しい
更新待ってます🥲
この動画がなかったら、この方を知らずに生きることになってたと思います。
ありがとうございました。
戦争は悲しい事だけど!良い話でした。
ありがとう。
この話、JALの古参社員の間では語り草だったようです(私も子供の頃、JAL勤務の親族から聞かされました)。当時現場ではこのような職人肌の乗務員が歯を食いしばっていた半面、会社としてはその後次第に国策企業として負の部分が露わになっていき、現在の姿になっていったのですね。
話を聞いて涙出た。
と、思っていたら最後の画像は今の上皇様とご一緒の写真、びっくりした!
怡与蔵氏は、子供の頃は滅茶苦茶運動神経が良くて、学校でも人気者だったそうです。操縦の腕が良かったのは、その運動神経の良さのおかげだったのでしょう。またある時、汽車に乗る用事があった時、ちょっと乗り遅れてしまったことがありました。当時の汽車はそれほど速くなかったので、汽車の後と追いかけて、そのまま隣の駅まで行ったとか
樽之介さん、解説上手いですねえ。やる気と元気が出てきましたよ。
ジャンボ自体はあまりの大きさに、
『普通ではパイロットが受け入れてくれまい』と操縦しやすさを徹底的に追求したそうです。
分かるパイロットには分かる・・
昔のパイロットは凄いよなぁ
GPSなんてないし、方位と飛行時間から現在地を予想する、船の航海士のような方法で位置を予測し、地形や星の位置で補正する。
衝突防止装置もないし、着陸進入角が適正か確認する機器もない。
現代のパイロットは、マニュアルに記載されている通りに操作するだけの、別の仕事になってしまった。
自動車でも同じ事が言えますね。
@@jpnhosh 船も別物よ。
@@うんち-x7f 船もですかw そう考えるとテクノロジーの発達は人間をアホにしてますね。便利さばかり追いかけて、人にとって大切な能力「動物的な感」が失われてきています。
@@jpnhosh 今の船は太平洋のど真ん中でGPS無かったら航行出来ないんじゃないかな。
自動運転も出来ないから船員を増やさないと行けないことになって会社に負担がかかるだろうし
空母だと進入角度が判るように光を点けていたようです。それより、機体の信頼度が今に比べて低いので機器の故障とか気にしないといけないですから飛ぶだけでも大変ですね
うちのおじいちゃん(屠龍乗り)の戦友は戦後結構航空会社にはいってたみたい。双発機乗りで、元99双軽パイロットだったから、dc3くらいはイケたみたいです。
映画トラトラトラの自爆突入シーンのモデルは飯田大尉だったのでしょうね
一番最後の写真見てビビリましたよ。
最優秀なパイロットじゃ無いと操縦さえ無理でしょうから。
すごい人生でしたね? 然もあの真珠湾奇襲作戦とミッドウェー海戦を生き残られて。。歴史の生き証人です。戦後は本人の意思もそうですが、矢張り見えない力に「生かされて」いたのでしょう。ウポツでした。
空が好きだったんだねぇーなんかかっこいいなぁ
大河ドラマか朝ドラ並みの波乱万丈な人生ですね……。
最後の写真すごいぞww
18:18
技量と根性だけでなくユーモアもあるなこの人w
すごくわかりやすく、面白かったです!飛行機に乗りたいという初心をずっと持っていた方なんですね。経歴で言えば超エリート軍人なのに。戦後に貴重な技術を平和に利用してくれたこと、発揮できる場を用意してくれた日航の松尾氏に感謝です。
これはいい話が聞けて嬉しかったです。
ありがとうございます。
とても良い動画でした。
ありがとうございます。
もしよろしければまだご存命の田中三也氏の動画も作ってほしいです。
戦時中は偵察機、戦後は国土地理院委託の航空測量に従事し、現在は著者としても活躍されている方です。
ご検討お願いいたします。
九死に一生の経験をした元陸海軍パイロットの同類の逸話を見てるが共通するものがある。幼少の頃ただ純粋に飛行機乗りに憧れその手段として陸海軍航空隊へ進んだと言う点。
なんか久しぶりに「知ってるつもり?!」観たような感じがした。この人の事今日初めて知ったけどこの動画に辿り着いて良かったです🙇🏻🙇🏻🙇🏻チャンネル登録しましたよ😉
動画作ってくれて有難う。
あっという間の25分でした。
昔この人がモデルか知らないがドラマがあったよ 戦闘機乗りから民間航空が再開するとパイロットなるために 英語の猛勉強 英語覚えるのに苦労したとドラマに描かれていた。呉の海軍兵学校入試に英語あったらしいね 戦時中でも
戦時中に海軍兵学校の校長を務め、最後に海軍大将となった井上成美大将が語学教育に力を注いだ結果ですね。
ウィキペディアで井上成美をググってみることをお勧めします。
@@くろいねこ-q4m 様
この点、『バビロン作戦』でイラクのオシラク原発を爆撃したイスラエル空軍F-15/F-16の指揮官が、完璧なアラビア語でサウジやヨルダンの航空管制官と交信した話とは対照的ですね。
尚、海軍兵学校における英語教育については、仰るところの「戦ってる相手の言葉が・・・。」ということも勿論ありますが、どちらかといえば兵学校長井上成美提督の意見はもっと常識的で、
『どこの国の海軍に、英語の理解できない海軍士官が居るか。』
『現場に出てすぐに役に立つことばかり教える教育というのは、いわば丁稚教育のようなものである。そのような教育ばかりを兵学校で教えろというのであれば、海軍には他に術科学校などというものがあるのだから、そちらを利用して教育すればよく、すべからく兵学校は廃止すべきである。』
『英語ができないから兵学校を受験しないというのであればそれで構わない。その結果として志願者が陸士に流れても結構である。英語の理解できない志願者については海軍がこれを欲しない。』
などといったことのようです。
しかも提督は兵学校長時代から既に敗戦→戦後を見据えており、
“今兵学校で学んでいる、或いはこれから兵学校へ入校しようとする若者たちが将来実社会に出ていくにあたり、必ず英語が必要になり、役に立つ時が来る”
という考えで英語教育を継続させたというから驚きです(阿川弘之先生が提督の私邸を訪問した時の談話による)。
元ゼロ戦パイロットなんてエリート中のエリートだろうに
敗戦するとこんな貴重な人材が、これほどの扱いを受けることになるのか・・・
しかしさすがはエリート、ただでは転ばないものですね。
やはり優秀な人は例え不遇な環境でも切り抜けられる”もの”をもっているのでしょうね。
地獄を生き抜いたエリート中のエリートの中の努力をした上で運と才能がある天才が戦争を生き抜いた零戦乗りだからなぁ…
すげぇなぁ……ほんとすげぇ……
語彙力無くなるくらいすげぇ…
製作者さんの作る動画は私の集中力だと気合い入れて見ないとついていけない内容とボリュームばかりですが、いつも最後まで楽しんで見てられます。
今回も楽しい動画をありがとうございます。
Wikiで簡単に調べたら日本航空時代にあも安部譲二とも働いていたのか…
阿部さんの日本航空時代の事を書いた本を図書館でパラっと読んだら、沖縄がまだ「国際線」の時代でパーサーをやっていたそうです。塀の中に入る前かしら?いや、塀の中に居たら採用されていないでしょうね。
金剛!祖父と同じ艦です。あと、祖父もパイロットを目指したものの、教官と同乗した際に高所恐怖症に気が付いて艦隊勤務に出戻りした経緯があります。
(2翔ペラの複葉練習機をバックに、飛行服姿のカッコいい写真だけは残っています。操縦できない筈ですが…)
高所恐怖症でも問題無さそうな艦隊勤務ですが、射撃指揮所と最寄りの対空機銃を担当していて、海上40m(10階建てビルの屋上相当)の高さがこたえたらしいです。
機長昇格試験でのアメリカ人教官の方、ミッドウェー海戦で雷撃機だったということは… 恐らく戦友の多くを亡くしてらっしゃいますね...
国家でも個人でもそうですが、戦争でガチガチに戦い合った実績を持つ者同士ほど、戦後になって仲良くなるパタンが多いように思います。
あと、最後のお写真。
「さすが日航。当時からCAさんに凄い美人な方がいらっしゃ… ?!?!」
珍しく最後まで見ました。そしてこの物語に重なるのは、私は、本物の零戦乗りの方を友人の父親として接したこともありましたが…共通して当時の零戦乗りの勇士は決まって、洗脳時代の話は、戦友意外とは絶対に話さなかった。非常に残念ですが、友人の父親に頭を下げても…兵学校出の海軍士官・・・・一度口にした誓を絶対に破らず、家族にさえ、話さなかったんですよ、ただ…ただ、友人をよく家に招いたときに、その戦友と語り合ったことの断片を聞き・・・・本気でマスタングに挑みかかったまた聞き武勇伝ワオもっと、詳しく聞きたかったです。
当時の海軍士官は、侍だったんだね。・・・・「ならぬものはならぬ」会津士魂じゃあないけれど、この生きて帰ってきた英霊の物言わぬ英雄に今も、深く尊敬し手やみません。
体にやけどの跡わおに持ったけど、特攻の死にぞこないといったその悪口から今もしのばれるものは、当時の日本人はみなわたくしの心はなく、命は国のもの機運位のためにささげるという気迫を教えてもらいました。
さぞかしおつらい思いを為されたと、おもわず、手を合わせて祈らざるにはおれません。
戦後、町で一番の貧乏な、引揚者専用住宅にすっでいましたがその住宅を何棟か買い取って大きな屋敷を立て、家族幸せになられました。きっと成仏なされ、靖国に神と上がらせ給われたのでしょう
いやさか
良い話ですね
いわゆる予科練出でエースで後に343航空隊にもいて後にJALで機長をされた三上氏も戦争をよく生き抜いたものです。
何度話を聞いても😢😢涙が出ます😢😢😢
すごい人がいたんですね。他にももっといらっしゃるのではないかと思ってしまいます。
いい動画をありがとうございます。
藤田少佐が戦時中の話を自分から語りたがらなかったのは、自分の隊から自分が指名して特攻隊を出したからだと思いますね。もちろん志願者の中から選抜したのでしょうが、ここらへんの話しは、このとき選抜された方で不思議な偶然で生き残った搭乗員の方が、そのことを手記にしていますね。別段、藤田隊長を恨む文言ではなかったですが、仲間から切り離されて死へと追いたてられていく孤独感のあふれる文章でした。
警察予備隊が不合格になったわけが、飯田大尉からのお前はもう戦闘せずに平和な人生を送れっていう事だったんじゃ…
。゚(゚´Д`゚)゚。
そうだったのか⁉️
なるほど‼️( >Д<;)
夢を諦めずに何度でも挑戦して夢を叶える姿勢、軍人としての心意気ですね‼️
諦めたら、そこで終わります。
自分も自衛官時代に言われましたが、諦めるな❗
例え不可能でも諦めた時点で終わるって❗
任務遂行の為には諦めずに何度でも挑戦する事だと思います。
戦時中の零戦乗りからジャンボ機で平和な空を飛び想いが叶い、良い人生を送られたと思います❗
面白い投稿が多くて、次の作品も期待してます
せかす訳ではありませんが、どうかお暇をみつけてゆっくり解説を
感動をありがとう。
今まで、飛行機や電車で、運転士に対して敬意を持って乗ったことが無かったなー
これからは、乗り物に乗ったときの景色が違って見える気がする
凄い人がいたんですね 勉強になりました。
いつも楽しく見させていただいています。
ちょうどこの時代の民間航空について面白い事実を知り、調査レポートを作成しています。
詳細を世に出せるかは当事者関係団体次第ですが、、、
とても励みになる動画で何度も見させていただいています、このシリーズの続き楽しみです。
海軍福知山航空基って、たしか石原飛行場の事だった気がする、もうほとんど跡地らしい跡地は残ってないけど
凄く感動しました。
up主に感謝。
誰か映画化してくれないかな…
坂井三郎氏とは別の意味で
大空のサムライだと感じた
次第であります❗
良いお話でした!!!
最後の写真、すごい、、、😅
藤田もパイロット志望の時に飛行時間で苦労したらしい。日本の大型機操縦者には少なからず民間航空のパイロットを目指した下士官操縦員が居たのだが、戦争末期には極めて稀になっていた。生き残っているのは艦上攻撃機の地上配備部隊位であった。北辺の守りから天山に乗って出撃となった生還しがたきその折でも、部下には民間機志望の奴が多いからと飛行記録を一生懸命付けていた飛行隊があったという事も知っておいて欲しい。
解説にもあった原田要さん曰く、怡与蔵さんは今でこそ「いよぞう」と呼ばれますが「ごよぞう」とも読めたそうで「ごよさん」と呼ばれていたそうです。
この方の着陸技術は群を抜くモノだったそうで、乗客がタッチダウンの衝撃に気付かないほど丁寧だったとか
こないだ乗ったANA国内線で非常に丁寧なパイロットさんに当たって感動しました
藤田怡与蔵氏の着陸をぜひ味わってみたかったと思っていたところに、過去一揺れのない離着陸を経験できました。
年に数回飛行機に乗るのですが、着陸が荒い人は本当に揺れがひどくて体が浮きますからw
艦これの影響である程度お名前は知ってましたが
詳細知れて良かったです
なかなか凄まじい人生ですね
動画また待ってます!
ある戦闘機搭乗員出身の操縦士は、フライト中激しい乱気流にあってみんなが顔面蒼白になっていても、いつもと変わらず平気な顔をしていたそうです。元日航CAが書いた本にそうありました。藤田氏だったかどうかは覚えていませんがきっと余裕綽綽、見事な操縦だったのでしょう。
この当時の日本男児、メンタルの強さが半端じゃないな。
素晴らしい!大空の猛者が747の機長になったんですね!着陸が零戦と一緒!堀越二郎氏とジョー・サッター氏も無駄が嫌いな設計です!私もどちらも最高の設計思想だと思います。
感動の動画、ありがとうございます_(_^_)_🌸
私のお茶の先生の旦那様も、第二次大戦時代からのパイロットで空母に乗っていた事もあったと聞きました。ご年齢からすると、藤田さんの部下くらいかも知れません。戦後はJALだったと思いますが旅客機のパイロットをされていましたが、同社で飛行機の整備をしていた人も、海軍時代から飛行機整備をしていた人だったそうです。昭和の日本の航空業界は、沢山の元軍人さんが支えてくれていたようですね😅
最後の写真上皇陛下やんけ!
やっぱり今の天皇と似てる
凄い人なんやな……感動した
執念の人だな…涙出た
今なら後五年は乗れるんちゃう?
しかしこの仕事してたらハラハラする時が何度かあるんやろな。
大変な仕事やと思うわ。
今日の人も全く知らない人でした。昭和の空の生き字引のような人でしたね。
すごい。イイ話でした
私の叔父さんも、特攻隊として出撃直前に終戦を迎え、お百姓していたらJALから「パイロットになりません?」とスカウト受けて「零戦しか操縦出来ないので無理」と断ったら「飛行機は機種毎に免許が違うので基礎さえ出来ていれば無問題」と言われた。