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この深夜な感じが良いね戻りたい
ロータスの曲の選曲がすごいっす!93年ブラジルでのハーバートの、シューマッハとのバトルは熱いものがありましたね。
しばし休憩に吹く(笑)そして休憩がタバコになる画は、もう見られないだろうなぁ
ローラ・フェラーリだけに傷だらけのローラwwこの年、唯一のハイテクコンポーネンツ無しの弱小チーム日本GP前に同郷チームのミナルディに吸収合併されてしまった
プロスト時代の締めくくりではなくシューマッハ時代の幕開けとまさにその通りになりました。
F1が輝いていた頃だね…
ふざけた紹介のようで、貴重な情報が満載な動画ですね。マクラーレンの開幕前はアンドレッティとハッキネンの予定だったり、フットワークとラルースのカーナンバー逆だったり…。マーチはエントリーしてたのは初めて知りました。どうりで10番台の欠番が多かった訳だ…。
もっと言うと元々ウィリアムズがハッキネンと契約していてプロストとハッキネンのコンビだった
シューマッハ以上に性格的な癖がキツいと言われていたバドエル。マシンにさえ恵まれていたら今頃はアレジ並みの存在だったかも。唯一の入賞のチャンスだった1999のヨーロッパGPで、マシントラブルにより無念のリタイアで周りをはばからず号泣するシーンは今思い出しても泣けてくる•••••
フェラーリのテストドライバーだった当時、ブリヂストンの浜島さんへのタイヤ評価の言い方がキツい言い方が多かったですね💦
バドエル氏はデビューが歴史的レベルのトンデモ車だった……シューの代打で復帰した頃にはもはやレース感覚がほぼ無くなった状態でよく走ったのではないでしょうか?でも確かF3時代は中々の速さを見せていたとか。
デビュー時のカペリはダスティン・ホフマンみたいな風貌で、晩年のジョーダンに居た時はニコラス・ケイジみたいな感じでフサフサだしwそんで、それが今じゃぁイタリアンマフィアみたいだしwwww
ジョーダンではチームメイトのバリチェロに歯が立たずわずか2戦で解雇され3戦目以降はブーツェンに交代
今、考えればレイトン時代が一番輝いていたな。
結局マーチは開幕前に撤退・・・。
リジェは91年のブラバム・ヤマハのコンビが再び。リジェが唯一、フランス人ドライバーを起用しなかった年であったのです。
チーム名をコールしてるのジェフ・リー・ブレスじゃないか?シューマッハのインタビューやってた謎の外人ジェフ。
リジェは2名ともイギリス人。ベルナールは補欠だったが一度も出走はなかった!
結局、非力なマシンで中盤戦以外はセナ大活躍の年になった。フェラーリは92年と変わらず大不振だった。
92年よりはいくらかマシだったんじゃない?一応モンツァでは表彰台にも上ったし
ナニーニ「おっ、」ラリーニ「そうだな」
栄光の1993
スクーデリア・フェラーリがチーム名変わったんじゃなくて、スクーデリア・イタリアがチーム名変えた。
フェラーリ冬の時代
ドイツの自動車帝国メルセデスのF1スタートは今のメルセデスGPに至るまでこの時代からスタートした。
93年でしたかね?ハイテク化禁止令でたのは・・?この93、94年はF1にとって大きな変革期でしたね。
この年のカナダで禁止令がでてローラ以外の全チームが「いきなりレギュレーション違反にするのは横暴では?」と抗議して話し合いの結果この年のドイツGP直前に「94年からハイテク禁止を適用する」ってなった。表向きは開発費高騰による参加台数減少とコストダウン及び各チームの競争率をたかめるとの事だったが裏はウィリアムズの独走による観客動員数と人気低下による収入ダウンを抑えるため結果セナが事故死し人気低下マンセルを半ば強引にCARTから呼び戻したりする始末
ブランデルとブランドルwwww
ワシの記憶が正しければ、成績不振によるシーズン途中のドライバー交代ではなく、ハナからドライバー交代ありきで複数人を使い回したのって1995年のリジェだったように思うのだが、1993からリザーブ使ってたのね。
この年の亜久里は予選で三列目に入ったりと2度目の表彰台まであと一歩に見えたが…
フェラーリF93Aは信頼性不足に泣かされた
1993年はハイテクF1の全盛期だった。
皇帝シューマッハ最強
ヤマハv10はノープロブレムじゃなかった
ロータスの紹介草
過去の栄光にすがる。
リジェがフランス人を唯一起用しなかったシーズン。あのチームイギリス人嫌いじゃなかったっけ?
チーム名はそのままだけどこの年からオーナーが変わってる
オーナーが93年よりギ・リジェからシリルド・ルーブルに変わったからです しかしシーズン最中にシリルド・ルーブルが横領により逮捕され94年6月にベネトンのブリアトーレがベネトンのルノーエンジン搭載のための画策のために買収 ルノーエンジン獲得後はトム・ウォーキンショーに渡したもののフランスの圧力に耐えられずトムはアロウズを買収しリジェはプロストの手に こういった経緯です
プロストがリジェを買収した時、リジェには日本の血が入り込みエンジンは無限ホンダ、タイヤはブリジストン、ドライバーには中野信治がいた。プロストはヤーノトゥルーリやその他スタッフが忠告されるも無視、中野信治を冷遇して追い出し、エンジンも翌年からプジョーに変えた。その後資金繰りが上手くいかなくなりプロストは破産した。
ハイテク最後の年か
パトレーゼはシューマッハに遅れをとった
フットワーク、ドライバーが9と10が逆だね。
ラルース19、20とリジェ25、26も。
この年から関係ないモデルが出演したりテレビ放送の方向性がおかしくなった。。。
プロストがセカンドドライバーになったのはファーストのゼッケン0がフランスでは無能を意味するのでそれを嫌った
1:34 セナ「走らせたかったら契約金よこしな」
ティレル020Cとティレル021はノープロブレムじゃなかった
この時代のF-One良かったね🥺 かっこ良いじゃない👍footworkFA14に期待したよ😃 マクラーレン製のセミオートマチックにマシンのバランス良かったのに スパの レース🏁期待したよ亜久里はトラブルにリタイヤ😱 又この時代のF-Oneに戻る事に期待です👍
ロータスはお通夜モードだな
フェラーリのとことザウバーのところの曲がカッコいい曲名解る方いませんか?(笑)
どちらも映画「Over The Top」のサントラの曲です(因みにウイリアムズも)。このサントラ盤、F1のエンディング曲で使われていたIn this Countryも収録しています。フェラーリ→Winner Takes It All 、ザウバー→Take It Higher
オーバーザトップ、サントラ盤より選曲ですが
くっっそふざけてて草
何がしばし休憩や
この深夜な感じが良いね
戻りたい
ロータスの曲の選曲がすごいっす!93年ブラジルでのハーバートの、シューマッハとのバトルは熱いものがありましたね。
しばし休憩に吹く(笑)
そして休憩がタバコになる画は、もう見られないだろうなぁ
ローラ・フェラーリだけに傷だらけのローラww
この年、唯一のハイテクコンポーネンツ無しの弱小チーム
日本GP前に同郷チームのミナルディに吸収合併されてしまった
プロスト時代の締めくくりではなくシューマッハ時代の幕開けとまさにその通りになりました。
F1が輝いていた頃だね…
ふざけた紹介のようで、貴重な情報が満載な動画ですね。
マクラーレンの開幕前はアンドレッティとハッキネンの予定だったり、フットワークとラルースのカーナンバー逆だったり…。
マーチはエントリーしてたのは初めて知りました。どうりで10番台の欠番が多かった訳だ…。
もっと言うと元々ウィリアムズがハッキネンと契約していてプロストとハッキネンのコンビだった
シューマッハ以上に性格的な癖がキツいと言われていたバドエル。
マシンにさえ恵まれていたら今頃はアレジ並みの存在だったかも。
唯一の入賞のチャンスだった1999のヨーロッパGPで、マシントラブルにより無念のリタイアで周りをはばからず号泣するシーンは今思い出しても泣けてくる•••••
フェラーリのテストドライバーだった当時、ブリヂストンの浜島さんへのタイヤ評価の言い方がキツい言い方が多かったですね💦
バドエル氏はデビューが
歴史的レベルのトンデモ車だった……
シューの代打で復帰した頃にはもはや
レース感覚がほぼ無くなった状態で
よく走ったのではないでしょうか?
でも確かF3時代は中々の速さを
見せていたとか。
デビュー時のカペリは
ダスティン・ホフマンみたいな風貌で、晩年のジョーダンに居た時はニコラス・ケイジみたいな感じでフサフサだしw
そんで、それが今じゃぁイタリアンマフィアみたいだしwwww
ジョーダンではチームメイトのバリチェロに歯が立たず
わずか2戦で解雇され3戦目以降はブーツェンに交代
今、考えればレイトン時代が一番輝いていたな。
結局マーチは開幕前に撤退・・・。
リジェは91年のブラバム・ヤマハのコンビが再び。リジェが唯一、フランス人ドライバーを起用しなかった年であったのです。
チーム名をコールしてるのジェフ・リー・ブレスじゃないか?シューマッハのインタビューやってた謎の外人ジェフ。
リジェは2名ともイギリス人。ベルナールは補欠だったが一度も出走はなかった!
結局、非力なマシンで中盤戦以外はセナ大活躍の年になった。フェラーリは92年と変わらず大不振だった。
92年よりはいくらかマシだったんじゃない?一応モンツァでは表彰台にも上ったし
ナニーニ「おっ、」
ラリーニ「そうだな」
栄光の1993
スクーデリア・フェラーリがチーム名変わったんじゃなくて、スクーデリア・イタリアがチーム名変えた。
フェラーリ冬の時代
ドイツの自動車帝国メルセデスのF1スタートは今のメルセデスGPに至るまでこの時代からスタートした。
93年でしたかね?ハイテク化禁止令でたのは・・?この93、94年はF1にとって大きな変革期でしたね。
この年のカナダで禁止令がでてローラ以外の全チームが「いきなりレギュレーション違反にするのは横暴では?」と抗議して話し合いの結果この年のドイツGP直前に「94年からハイテク禁止を適用する」ってなった。
表向きは開発費高騰による参加台数減少とコストダウン及び各チームの競争率をたかめるとの事だったが裏はウィリアムズの独走による観客動員数と人気低下による収入ダウンを抑えるため
結果セナが事故死し人気低下
マンセルを半ば強引にCARTから呼び戻したりする始末
ブランデルとブランドルwwww
ワシの記憶が正しければ、成績不振によるシーズン途中のドライバー交代ではなく、ハナからドライバー交代ありきで複数人を使い回したのって1995年のリジェだったように思うのだが、1993からリザーブ使ってたのね。
この年の亜久里は予選で三列目に入ったりと2度目の表彰台まであと一歩に見えたが…
フェラーリF93Aは信頼性不足に
泣かされた
1993年はハイテクF1の全盛期だった。
皇帝シューマッハ最強
ヤマハv10はノープロブレムじゃなかった
ロータスの紹介草
過去の栄光にすがる。
リジェがフランス人を唯一起用しなかったシーズン。あのチームイギリス人嫌いじゃなかったっけ?
チーム名はそのままだけどこの年からオーナーが変わってる
オーナーが93年よりギ・リジェからシリルド・ルーブルに変わったからです しかしシーズン最中にシリルド・ルーブルが横領により逮捕され94年6月にベネトンのブリアトーレがベネトンのルノーエンジン搭載のための画策のために買収 ルノーエンジン獲得後はトム・ウォーキンショーに渡したもののフランスの圧力に耐えられずトムはアロウズを買収しリジェはプロストの手に こういった経緯です
プロストがリジェを買収した時、リジェには日本の血が入り込みエンジンは無限ホンダ、タイヤはブリジストン、ドライバーには中野信治がいた。プロストはヤーノトゥルーリやその他スタッフが忠告されるも無視、中野信治を冷遇して追い出し、エンジンも翌年からプジョーに変えた。その後資金繰りが上手くいかなくなりプロストは破産した。
ハイテク最後の年か
パトレーゼはシューマッハに遅れをとった
フットワーク、ドライバーが9と10が逆だね。
ラルース19、20とリジェ25、26も。
この年から関係ないモデルが出演したりテレビ放送の方向性がおかしくなった。。。
プロストがセカンドドライバーになったのはファーストのゼッケン0がフランスでは無能を意味するのでそれを嫌った
1:34 セナ「走らせたかったら契約金よこしな」
ティレル020Cとティレル021は
ノープロブレムじゃなかった
この時代のF-One良かったね🥺 かっこ良いじゃない👍
footworkFA14に期待したよ😃 マクラーレン製の
セミオートマチックに
マシンのバランス良かったのに スパの レース🏁期待したよ亜久里はトラブルに
リタイヤ😱 又この時代のF-Oneに戻る事に期待です👍
ロータスはお通夜モードだな
フェラーリのとことザウバーのところの曲がカッコいい
曲名解る方いませんか?(笑)
どちらも映画「Over The Top」のサントラの曲です(因みにウイリアムズも)。
このサントラ盤、F1のエンディング曲で使われていたIn this Countryも収録しています。
フェラーリ→Winner Takes It All 、ザウバー→Take It Higher
オーバーザトップ、サントラ盤より選曲ですが
くっっそふざけてて草
何がしばし休憩や