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北九州市の門司区と小倉北区の境界にある「手向山トンネル」は現在国道3号線が駆け抜けておりますが1985年秋までは西鉄北九州線も貫いておりましたまた西鉄で唯一のトンネルでもありました北九州線の個性豊かな電車が数知れず往来したことは今はもう記憶の中にしかございませんこの動画を拝見すると約40年前の記憶が鮮明に蘇り古き良き時代を感じさせます
大変貴重な映像ありがとうございます。
門司区と小倉北区の境にある西鉄の鉄軌両区間唯一のトンネル区間であった手向山トンネルの映像を有り難うございました。昔、門司に住んでいた従兄弟が電車に乗って小倉に出掛けた時に、このトンネルを抜けたら小倉に来たなあという気分になっていたと言っていたのを思い出しました。なおこれは鉄道とは関係ございませんが、赤坂延命寺からこの付近にかけては江戸時代末期の豊長戦争の激戦地だったそうです。
たいへん貴重な映像を、ありがとうございました。一度程度、乗車し、懐かしく拝見しております。令和3(2021)年1月17日投稿。
林様、またまたありがとうございます。懐かしい❗なんか道路?排気ガスの匂いまで思いだします。ここも部活で小倉駅まで走ってましたよ❗すばらしい映像ありがとうございます❗
沢山のコメント、ありがとうございました。
ハヤシタケシ様懐かしい映像有難う御座います どんどん 懐かしの西鉄路面電車の映像出してください
この辺りは、ふつうに歩くのも車がひっきりなしで通過するので怖いところでしたこの辺りに人がいることはあまりないという時代でしたちなみにトンネル名は「たむけやまトンネル」です
コメントありがとうございます。よく見て戴いているようで恐縮です。画像からもわかると思いますが、人通りが少ないのをよいことに、1メートル程の幅の歩道に三脚を立てて撮影してました。
懐かしき北九州市小倉北区の最北端赤坂手向山トンネル。私はこの手向山を富野インターの方から自転車で越えて最後に思い切り坂道をできるだけノーブレーキで下るという馬鹿な事をやりました。最後に曲がり角を曲がりきれずに思い切りコケました。全て小学六年位の時期です。今はやれと言われてもやれない。
赤坂·手向山付近は昔も今も急な坂道の連続です箱根を連想するようなものでしょうか
筑豊電鉄3000系電車に西鉄北九州線の「赤電」をイメージしたラッピング電車が走ってるよ。
小学校の遠足で、この映像の路面電車を貸し切りで乗っている時に、電車このトンネルを通過したら、それまで、座っていた人が、立って、立っていた人が座るという乗り方をしていました。
1985年秋 北九州線(門司線)の最終日にも門司区の小学校の子供たちが西鉄北九州線で到津遊園へ遠足へ出かけたという話をお伺い致しましたがその際に利用されたのが門司方面で走行チャンスがめっきりと減った連接車2本であるとのことです
@@西義隆-t1b さん、1985年に北九州線の門司と砂津の間、戸畑線の大門と戸畑の間、枝光線の中央町と幸町の間が廃止になった時に、西鉄のオリジナルの中間車(C車)に扉がない3車体の連接車が、すべて廃車になりましたね。
3両連接車はちくてつ2000形(きなでん)が有名でありますがかつて本家の西鉄1000形にも3両連接車が活躍した時代もあります私が幼少期の頃には戸畑区内(枝光線の路上)でよく見掛けていたものです結局は最後までこの西鉄3両連接車に乗ることはありませんでしたが連接車王国の「親分」として一世を風靡した存在でした
写っている車両が全て原型で良かったです。
いとうづゆうえん(現在の到津の森公園)のラッピング電車だ。
3分10秒前後に今はなき「到津遊園」の広告塗装電車が門司を目指して駆け抜けましたがそれは621号電車ですこの621号電車は2000年の暮北九州線全廃のさよなら電車として折尾→黒崎間を走りましたがこれが北九州線のトリを勤めた大役ですその後筑前山家駅→香椎花園→保存車両ヤード福岡と住居を転々と致しましたが現在も数少なくなった旧西鉄路面電車の一員として保存されかつての北九州線の主役として君臨した証を今日も伺う事が出来ます
北九州市の門司区と小倉北区の境界にある「手向山トンネル」は現在国道3号線が駆け抜けておりますが1985年秋までは西鉄北九州線も貫いておりました
また西鉄で唯一のトンネルでもありました
北九州線の個性豊かな電車が数知れず往来したことは今はもう記憶の中にしかございません
この動画を拝見すると約40年前の記憶が鮮明に蘇り古き良き時代を感じさせます
大変貴重な映像ありがとうございます。
門司区と小倉北区の境にある西鉄の鉄軌両区間唯一のトンネル区間であった手向山トンネルの映像を有り難うございました。昔、門司に住んでいた従兄弟が電車に乗って小倉に出掛けた時に、このトンネルを抜けたら小倉に来たなあという気分になっていたと言っていたのを思い出しました。
なおこれは鉄道とは関係ございませんが、赤坂延命寺からこの付近にかけては江戸時代末期の豊長戦争の激戦地だったそうです。
たいへん貴重な映像を、ありがとうございました。一度程度、乗車し、懐かしく拝見しております。令和3(2021)年1月17日投稿。
林様、またまたありがとうございます。懐かしい❗なんか道路?排気ガスの匂いまで思いだします。ここも部活で小倉駅まで走ってましたよ❗すばらしい映像ありがとうございます❗
沢山のコメント、ありがとうございました。
ハヤシタケシ様懐かしい映像有難う御座います どんどん 懐かしの西鉄路面電車の映像出してください
この辺りは、ふつうに歩くのも
車がひっきりなしで通過するので怖いところでした
この辺りに人がいることはあまりないという時代でした
ちなみにトンネル名は「たむけやまトンネル」です
コメントありがとうございます。よく見て戴いているようで恐縮です。
画像からもわかると思いますが、人通りが少ないのをよいことに、1メートル程の幅の歩道に三脚を立てて撮影してました。
懐かしき北九州市小倉北区の最北端赤坂手向山トンネル。
私はこの手向山を富野インターの方から自転車で越えて最後に思い切り坂道をできるだけノーブレーキで下るという馬鹿な事をやりました。最後に曲がり角を曲がりきれずに思い切りコケました。
全て小学六年位の時期です。
今はやれと言われてもやれない。
赤坂·手向山付近は昔も今も急な坂道の連続です
箱根を連想するようなものでしょうか
筑豊電鉄3000系電車に西鉄北九州線の「赤電」をイメージしたラッピング電車が走ってるよ。
小学校の遠足で、この映像の路面電車を貸し切りで乗っている時に、電車このトンネルを通過したら、それまで、座っていた人が、立って、立っていた人が座るという乗り方をしていました。
1985年秋 北九州線(門司線)の最終日にも門司区の小学校の子供たちが西鉄北九州線で到津遊園へ遠足へ出かけたという話をお伺い致しましたがその際に利用されたのが門司方面で走行チャンスがめっきりと減った連接車2本であるとのことです
@@西義隆-t1b さん、1985年に北九州線の門司と砂津の間、戸畑線の大門と戸畑の間、枝光線の中央町と幸町の間が廃止になった時に、西鉄のオリジナルの中間車(C車)に扉がない3車体の連接車が、すべて廃車になりましたね。
3両連接車はちくてつ2000形(きなでん)が有名でありますがかつて本家の西鉄1000形にも3両連接車が活躍した時代もあります
私が幼少期の頃には戸畑区内(枝光線の路上)でよく見掛けていたものです
結局は最後までこの西鉄3両連接車に乗ることはありませんでしたが連接車王国の「親分」として一世を風靡した存在でした
写っている車両が全て原型で良かったです。
いとうづゆうえん(現在の到津の森公園)のラッピング電車だ。
3分10秒前後に今はなき「到津遊園」の広告塗装電車が門司を目指して駆け抜けましたがそれは621号電車です
この621号電車は2000年の暮北九州線全廃のさよなら電車として折尾→黒崎間を走りましたがこれが北九州線のトリを勤めた大役です
その後筑前山家駅→香椎花園→保存車両ヤード福岡と住居を転々と致しましたが現在も数少なくなった旧西鉄路面電車の一員として保存されかつての北九州線の主役として君臨した証を今日も伺う事が出来ます