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この車両は懐かしいくて 当時窓のしたから冷房と暖房の空調があり好きでした。
試行錯誤の時代でしたね。
次の新型車両が登場する際 2ドアのc/lで登場して欲しい。
後輩の2000は全車引退したのに先輩の600はまだ走っているんだよな。
紛れもない京浜急行の名車。
言えますね。
600は性能が1000より悪く運用が足りていても昼寝して旧1000が運用しているときのほうが多かった記憶がある。
それが引退間際になると急に運用が増えたりして、嬉しいやら、寂しいやら複雑な気持ちになりました。
旧600形が懐かしくなり、神武寺駅近くの公園に保存してある600形を訪ねに足を運んだのは何年前だったのだろう、、亡き父は京急沿線で結婚前に暮らしていた事もあり詳しいようでしたが、私が生まれて小学生になった頃から逗子海岸や金沢八景へ海水浴や釣りへよく連れて行かれました。その時初めて乗った車両がこれでした、オールクロスシートで母も私も特急料金払わないで乗る事に不安を感じましたが、父は笑って大丈夫と答えていた顔が誇らしい顔でしたね!今で言うプロ客だったのでしょう。
私もよく父に連れられて品川から乗り鉄してました。
@@tsu1112k 当時は大井町近辺に住んでまして、私も京急は必ず品川から乗ってました。種別があれだけ存在する私鉄も初めてで驚きしかなかったですね、当時。以後は京急好きのおじさんになってますw2000形も2100形も好きです。
小学生の頃、海水浴特急というのがあって、これに乗車したのが700系の初乗車でした。まだ三浦海岸が起終点、快特が津久井浜と京浜久里浜間をノンストップで走っていた時代です。まだ非冷房の時代でした。その後大学生になって、頻繁に乗りました。8両の時代です。ロングおじさんこと吉村光夫さんというフリーアナウンサーの方がいらっしゃいました。この方を真似て、京浜川崎品川間は国鉄を使わずに京急使ってたんですね。黒鉄の定期券あったのに(笑)。甲高いモーター音が印象的でした。
かつて600形の車内でクイズ大会を収録した番組がありましたね、たしかTBSだったと思います。
爺さんの家が小学生のときに文庫にあったので快特はよく乗りました。700系になって前パンタはなくなりましたね。海水浴特急懐かしいです。
無線アンテナ設置で皆後ろパンタになりましたね。
懐かしいですね。シートカバーがビニール製だったのと夏場に震えるくらいガンガンに冷房が効いていた記憶があります。
加えて豪快なモーター音が無骨で好きでした。
1970年代初頭のガキの頃は600形はまさに憧れの車両。クロスシートで冷房付。当時は1000形の新造冷房車が登場し始めていたが、600形の方が明らかに格上の存在だった。しかもめった遭遇しないから尚更のこと。後の2000や2100は本数も多く身近な存在になったが、当時の600の方がプレミアム感はあったと思う。後は速度が乗った時のあの独特の走行音がたまらなかった。引退後は逗子の公園で実際に運転席に座ってみたけど、かなり狭いのに驚いた。
一時あった8両貫通編成では貫通扉がなかった為、最後尾からくねくね揺れる中間車の先に最前部が見通せたのを思い出しますね。
京急にはこれからもずっと2扉クロスシート車を引き継いでいってもらいたいですね😉👍✨
そうですね、2扉にはこだわって欲しいですね。
京急のデハ500に乗車した時、唖然としました。乗降口扉と羽目殺しの窓でした。電車の空調は当たり前の設備で、窓の開閉は考慮していません。73系の三段窓で育ちましたから101系の全開窓は驚きでした。後に地下鉄や隧道区間が増えて、全開する窓は無くなりました。今は明り窓化した様です。
そういえば、窓の保護棒も見なくなりましたね。
懐かしいですね。京浜鶴見を利用していたのでこの車両には乗れなかったものの、通過スピードがとても速かったのを今でも覚えています。先日、逗子運動公園の600形保存車両を見ましたが、シートピッチが国鉄111系より広く感じて驚きました。
111系は1,420㎜(拡張タイプ1,490㎜)に対し、600形は1,500㎜ありました。
シートは昔、湘南電車や横須賀線に連結されていた二等車(グリーン車)に似ています。
昭和の京急の顔といえば旧600形だったようですね。ズミズミ(石原良純)は京急の顔といえば旧600形だったようです。旧600形の後継車として1982年に登場した2000形も今は全滅し、今の京急は1985年登場の1500形が最古参になりましたし、1500形も廃車が出そうです
正面2枚窓のいわゆる湘南顔ですね。
1500は事故廃車だけじゃないですか?
@@さにー4946 ありがとうございます
ご苦労様です。昔の写真有難うございます。車両単体よりも、風景も一緒の方が思い出感を感じられます・・・
ありがとうございます。
弘明寺に住んでいたので、懐かしい画像ありがとうございます😊
恐縮です。
当時快速特急で1000形が来るとがっかりしました。品川で向かい側の上り線に600形が来るとわざわざ20分待って600形に乗ってました。高速で飛ばすとモーターがうなって揺れが凄かったです。
私も同じでした。
@@tsu1112k 出力は大差ないはずなのに性能は1000より明らかに低かった。加速最高速ともあまりよくなく110キロが限度だったようだ。
京阪神の阪急2000系と同じくらい長生きしていた
京阪神圏の阪急2800系と同じくらいほぼ長生きしていた
空力的にはどうなんだろう?
トンネルの多い区間では多少の効果はあったのでしょうかね。
オープニングの45Hは、大師線を走っていた車両ではないか?金沢検車区には客席部分がカットされ黄色くペイントされたお仲間かいたけど
大師線は、230形から700形にバトンタッチされているようですね。写真の元400形は空港線、本線が主だったようです。
空港線がまだローカル線だった頃、京浜蒲田駅(当時は快特の通過駅w)や品川駅で見た「快特」のこの車両は憧れでした。国鉄の湘南型よりもこっちの方が好き~♪
豪快なモーター音も魅力でした。
最後の写真に写っていた、636号車を模型にしようとしてますがたぶん事故ったのでしょうけど、1000形アンチクライマー取り付けの記録を見かけないのですよね〜(=^ェ^=)
636号車のアンチクライマーは自連化の際、試験的に改造され一時左右のアンチクライマーの間一杯に縁が欠き取られていたようです。
へぇー初代700形が600形とはね…700形といえば初代1000形に似た大師線を走った車輌しか頭に無かったからw
浅草線乗入会社は形式の附番が窮屈な為、苦心してますね。
この車両は懐かしいくて 当時窓のしたから冷房と暖房の空調があり好きでした。
試行錯誤の時代でしたね。
次の新型車両が登場する際 2ドアのc/lで登場して欲しい。
後輩の2000は全車引退したのに先輩の600はまだ走っているんだよな。
紛れもない京浜急行の名車。
言えますね。
600は性能が1000より悪く運用が足りていても昼寝して旧1000が運用しているときのほうが多かった記憶がある。
それが引退間際になると急に運用が増えたりして、嬉しいやら、寂しいやら
複雑な気持ちになりました。
旧600形が懐かしくなり、
神武寺駅近くの公園に保存してある600形を訪ねに足を運んだのは何年前だったのだろう、、
亡き父は京急沿線で結婚前に暮らしていた事もあり詳しいようでしたが、
私が生まれて小学生になった頃から逗子海岸や金沢八景へ海水浴や釣りへよく連れて行かれました。
その時初めて乗った車両がこれでした、
オールクロスシートで母も私も特急料金払わないで乗る事に不安を感じましたが、
父は笑って大丈夫と答えていた顔が誇らしい顔でしたね!
今で言うプロ客だったのでしょう。
私もよく父に連れられて品川から乗り鉄してました。
@@tsu1112k
当時は大井町近辺に住んでまして、私も京急は必ず品川から乗ってました。
種別があれだけ存在する私鉄も初めてで驚きしかなかったですね、当時。
以後は京急好きのおじさんになってますw
2000形も2100形も好きです。
小学生の頃、海水浴特急というのがあって、これに乗車したのが700系の初乗車でした。
まだ三浦海岸が起終点、快特が津久井浜と京浜久里浜間をノンストップで走っていた時代です。
まだ非冷房の時代でした。その後大学生になって、頻繁に乗りました。8両の時代です。
ロングおじさんこと吉村光夫さんというフリーアナウンサーの方がいらっしゃいました。
この方を真似て、京浜川崎品川間は国鉄を使わずに京急使ってたんですね。黒鉄の定期券
あったのに(笑)。甲高いモーター音が印象的でした。
かつて600形の車内でクイズ大会を収録した番組がありましたね、たしかTBSだったと思います。
爺さんの家が小学生のときに文庫にあったので快特はよく乗りました。700系になって前パンタはなくなりましたね。海水浴特急懐かしいです。
無線アンテナ設置で皆後ろパンタになりましたね。
懐かしいですね。
シートカバーがビニール製だったのと
夏場に震えるくらいガンガンに冷房が効いていた記憶があります。
加えて豪快なモーター音が無骨で好きでした。
1970年代初頭のガキの頃は600形はまさに憧れの車両。クロスシートで冷房付。当時は1000形の新造冷房車が登場し始めていたが、600形の方が明らかに格上の存在だった。
しかもめった遭遇しないから尚更のこと。後の2000や2100は本数も多く身近な存在になったが、当時の600の方がプレミアム感はあったと思う。
後は速度が乗った時のあの独特の走行音がたまらなかった。引退後は逗子の公園で実際に運転席に座ってみたけど、かなり狭いのに驚いた。
一時あった8両貫通編成では貫通扉がなかった為、
最後尾からくねくね揺れる中間車の先に最前部が見通せたのを思い出しますね。
京急にはこれからもずっと2扉クロスシート車を引き継いでいってもらいたいですね😉👍✨
そうですね、2扉にはこだわって欲しいですね。
京急のデハ500に乗車した時、唖然としました。乗降口扉と羽目殺しの窓でした。電車の空調は当たり前の設備で、窓の開閉は考慮していません。73系の三段窓で育ちましたから101系の全開窓は驚きでした。後に地下鉄や隧道区間が増えて、全開する窓は無くなりました。今は明り窓化した様です。
そういえば、窓の保護棒も見なくなりましたね。
懐かしいですね。京浜鶴見を利用していたのでこの車両には乗れなかったものの、通過スピードがとても速かったのを今でも覚えています。
先日、逗子運動公園の600形保存車両を見ましたが、シートピッチが国鉄111系より広く感じて驚きました。
111系は1,420㎜(拡張タイプ1,490㎜)に対し、600形は1,500㎜ありました。
シートは昔、湘南電車や横須賀線に連結されていた二等車(グリーン車)に似ています。
昭和の京急の顔といえば旧600形だったようですね。
ズミズミ(石原良純)は京急の顔といえば旧600形だったようです。
旧600形の後継車として1982年に登場した2000形も今は全滅し、
今の京急は1985年登場の1500形が最古参になりましたし、
1500形も廃車が出そうです
正面2枚窓のいわゆる湘南顔ですね。
1500は事故廃車だけじゃないですか?
@@さにー4946 ありがとうございます
ご苦労様です。昔の写真有難うございます。
車両単体よりも、風景も一緒の方が思い出感を感じられます・・・
ありがとうございます。
弘明寺に住んでいたので、懐かしい画像
ありがとうございます😊
恐縮です。
当時快速特急で1000形が来るとがっかりしました。品川で向かい側の上り線に600形が来るとわざわざ20分待って600形に乗ってました。高速で飛ばすとモーターがうなって揺れが凄かったです。
私も同じでした。
@@tsu1112k 出力は大差ないはずなのに性能は1000より明らかに低かった。加速最高速ともあまりよくなく110キロが限度だったようだ。
京阪神の阪急2000系と同じくらい長生きしていた
京阪神圏の阪急2800系と同じくらいほぼ長生きしていた
空力的にはどうなんだろう?
トンネルの多い区間では多少の効果はあったのでしょうかね。
オープニングの45Hは、大師線を走っていた車両ではないか?金沢検車区には客席部分がカットされ黄色くペイントされたお仲間かいたけど
大師線は、230形から700形にバトンタッチされているようですね。
写真の元400形は空港線、本線が主だったようです。
空港線がまだローカル線だった頃、京浜蒲田駅(当時は快特の通過駅w)や
品川駅で見た「快特」のこの車両は憧れでした。
国鉄の湘南型よりもこっちの方が好き~♪
豪快なモーター音も魅力でした。
最後の写真に写っていた、636号車を模型にしようとしてますが
たぶん事故ったのでしょうけど、
1000形アンチクライマー取り付けの記録を見かけないのですよね〜(=^ェ^=)
636号車のアンチクライマーは自連化の際、試験的に改造され
一時左右のアンチクライマーの間一杯に縁が欠き取られていたようです。
へぇー初代700形が600形とはね…
700形といえば初代1000形に似た大師線を走った車輌しか頭に無かったからw
浅草線乗入会社は形式の附番が窮屈な為、苦心してますね。