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当時の府中、ダービー当日の芝コースは幅が一番広い「Aコース」を使用して実施。
何か急におススメに上がってきたw 小学生だったけどワクワクして見てた。この年、あさま山荘事件、札幌とミュンヘン五輪、横井さんの帰国とか記憶に残るものは多くあるけど、関西三強の叩き合い、武邦さんの最初で最後のダービー制覇も忘れられん。
ロングエースはハードリドン、ランドプリンスはテスコボーイ、タイテエムはセントクレスピンとか、父の名前を聞いただけで熱くなる。ハクホオショウはヒンドスタン最後の傑作と言われたんだっけ。秋の天皇賞一番人気でスタートしてすぐに競争中止したのも強烈な思い出。
横綱みたいな名前の馬がいたのか>ハクホウショウ
27頭立てですよ実況のアナウンサーも大変だよなー☺🙆
名人武邦彦騎手のコース取りが馬の能力と相俟って日本ダービー馬へとエスコートされた。
1972年とは思えない映像のきれいさやな
それな
平成初期の映像と言われても信じそう。
馬の名前がいちばん大事やのに、関東のアナウンサーは馬名が聞き取りにくいなぁ😢
しかし、1972年とは思えないほど映像がきれいですね。昭和末期(ミスターシービーやタマモクロスが活躍してた頃)の映像と言われても信じそうだし。ちなみにこの頃のカラーテレビ普及率は約60%ぐらいだから、まだ普通に白黒テレビに見てた人も多いのだよな。あと、ハイセイコーブーム前だからか、観客の大半は大人の男性ばかりですね。まだまだ競馬は賭け事の一種だった時代だからね。
27頭って😅多いな💦
鳥居滋夫最後の日本ダービー実況
鳥居アナの本当に最後の競馬実況はいつだったのでしょうか?
@@wurry77 1973年のオークスではないかと。同年のダービーから盛山さんに交代しました。
鳥居さんは最後秘書部門で退職しました。元文化のアナでした。
何となく追い方が豊に似てるような気がする。
この時の皐月賞馬・ランドプリンスの母系はサラブレッドとは認められない血統不詳のサラ系。しかし強い馬を作るなら血統などどうでもいいではないか?
皐月賞2着のイシノヒカルは6着だった。左回り苦手の足回りだったとの事。実況では途中のイシノヒカルが何処に居たのか不明だが、かなり後方から追い込んでやっと6着。しかし競馬場で見て居た私には、イシノヒカルのくやしさが突き刺さってきた。競馬仲間に私はダービー後、菊花賞はイシノヒカルでは無いかと予測した。ロングエースはバドックで観ていると、態度が大きい俺が俺が親分だみたいな雰囲気がプンプンしていて、ランドプリンスは地味で、タイティムはお利口さんで最後はこいつだ雰囲気だった。雑草イシノヒカルは有馬記念も勝ったが、この2戦で燃え尽きた。
ロングエースは ダービーだけ 。ランドプリンスは地味な印象の馬だったけど、クラシックは2度ロングエースに先着している
ロングエース タイテエム ランドプリンスこの3頭の争いがすごかったんですね(^ ^)
此れは、50年前の東京優駿大競走ですか?
そう。7月開催の日本ダービー。
懐かしい映像ですね!
花の47年組
ランドプリンスにタイテエムまでいる(゚A゚;)ゴクリターフの魔術師、武邦彦おそるべし
ヒデハヤテが出ていたら、ロングエースの次3枠⚪番を引いていたら、この3頭に加わっていたはず
加賀騎手はイシノヒカル、菊花賞のときは増沢
私が思うに、戦後最強の世代!関西3強、ロングエース、ランドプリンス、タイテエム!実は、ヒデハヤテ、ランドジャガーで5強でした。迎え撃つ関東馬も、イシノヒカル、ハクホオショウを筆頭に、スガノホマレ、タケクマヒカル、ストロングエイト、クリイワイ、ソロナオール、、、etc すごい世代❣️
花の47年組はほんとに粒ぞろい。これに骨折で離脱していたタニノチカラもいますからね。激戦続きでライバルが消耗引退する中で、ダービーで沈んだストロングエイトが翌年の有馬を勝つくらいの高世代
何時も全く折り合わないでクビ上げて走ってたヌアージターフも好きだった。
三白流星タイテイム!
四白流星ですね
ロングプリンス?3:53
ランドプリンスは川端騎手や!!。加賀では無い。盛り下がる事を抜かすな!!。
川端っていってるじゃん。加賀って勝手にお前が聞き間違えてるだけ
@@willywonka6468 これ実況は盛山アナじゃないと思う。別の人が書いてるけど、鳥居アナだから間違えてないと思う。
@@PEACE2900 いや実況は間違っとらんのだけどナレーションがランドプリンス加賀武見騎手って間違っとるんよね。コメ主はその事を言ってるんやと思うよ
摘発、アローエクスプレスだから、義元だから
当時の府中、ダービー当日の芝コースは幅が一番広い「Aコース」を使用して実施。
何か急におススメに上がってきたw 小学生だったけどワクワクして見てた。この年、あさま山荘事件、札幌とミュンヘン五輪、横井さんの帰国とか記憶に残るものは多くあるけど、関西三強の叩き合い、武邦さんの最初で最後のダービー制覇も忘れられん。
ロングエースはハードリドン、ランドプリンスはテスコボーイ、タイテエムはセントクレスピンとか、父の名前を聞いただけで熱くなる。ハクホオショウはヒンドスタン最後の傑作と言われたんだっけ。秋の天皇賞一番人気でスタートしてすぐに競争中止したのも強烈な思い出。
横綱みたいな名前の馬がいたのか>ハクホウショウ
27頭立てですよ実況のアナウンサーも大変だよなー☺🙆
名人武邦彦騎手のコース取りが馬の能力と相俟って日本ダービー馬へとエスコートされた。
1972年とは思えない映像のきれいさやな
それな
平成初期の映像と言われても信じそう。
馬の名前がいちばん大事やのに、関東のアナウンサーは馬名が聞き取りにくいなぁ😢
しかし、1972年とは思えないほど映像がきれいですね。
昭和末期(ミスターシービーやタマモクロスが活躍してた頃)の映像と言われても信じそうだし。
ちなみにこの頃のカラーテレビ普及率は約60%ぐらいだから、まだ普通に白黒テレビに見てた人も多いのだよな。
あと、ハイセイコーブーム前だからか、観客の大半は大人の男性ばかりですね。
まだまだ競馬は賭け事の一種だった時代だからね。
27頭って😅
多いな💦
鳥居滋夫最後の日本ダービー実況
鳥居アナの本当に最後の競馬実況はいつだったのでしょうか?
@@wurry77 1973年のオークスではないかと。
同年のダービーから盛山さんに交代しました。
鳥居さんは最後秘書部門で退職しました。元文化のアナでした。
何となく追い方が豊に似てるような気がする。
この時の皐月賞馬・ランドプリンスの母系はサラブレッドとは認められない血統不詳のサラ系。
しかし強い馬を作るなら血統などどうでもいいではないか?
皐月賞2着のイシノヒカルは6着だった。左回り苦手の足回りだったとの事。実況では途中のイシノヒカルが何処に居たのか不明だが、かなり後方から追い込んでやっと6着。しかし競馬場で見て居た私には、イシノヒカルのくやしさが突き刺さってきた。競馬仲間に私はダービー後、菊花賞はイシノヒカルでは無いかと予測した。ロングエースはバドックで観ていると、態度が大きい俺が俺が親分だみたいな雰囲気がプンプンしていて、ランドプリンスは地味で、タイティムはお利口さんで最後はこいつだ雰囲気だった。雑草イシノヒカルは有馬記念も勝ったが、この2戦で燃え尽きた。
ロングエースは ダービーだけ 。
ランドプリンスは地味な印象の馬だったけど、クラシックは2度ロングエースに先着している
ロングエース タイテエム ランドプリンス
この3頭の争いがすごかったんですね(^ ^)
此れは、50年前の東京優駿大競走ですか?
そう。7月開催の日本ダービー。
懐かしい映像ですね!
花の47年組
ランドプリンスにタイテエムまでいる(゚A゚;)ゴクリ
ターフの魔術師、武邦彦おそるべし
ヒデハヤテが出ていたら、ロングエースの次3枠⚪番を引いていたら、この3頭に加わっていたはず
加賀騎手はイシノヒカル、菊花賞のときは増沢
私が思うに、戦後最強の世代!
関西3強、ロングエース、ランドプリンス、タイテエム!
実は、ヒデハヤテ、ランドジャガーで5強でした。
迎え撃つ関東馬も、イシノヒカル、ハクホオショウを筆頭に、スガノホマレ、タケクマヒカル、ストロングエイト、クリイワイ、ソロナオール、、、etc すごい世代❣️
花の47年組はほんとに粒ぞろい。これに骨折で離脱していたタニノチカラもいますからね。激戦続きでライバルが消耗引退する中で、ダービーで沈んだストロングエイトが翌年の有馬を勝つくらいの高世代
何時も全く折り合わないでクビ上げて走ってたヌアージターフも好きだった。
三白流星タイテイム!
四白流星ですね
ロングプリンス?3:53
ランドプリンスは川端騎手や!!。加賀では無い。盛り下がる事を抜かすな!!。
川端っていってるじゃん。加賀って勝手にお前が聞き間違えてるだけ
@@willywonka6468 これ実況は盛山アナじゃないと思う。別の人が書いてるけど、鳥居アナだから間違えてないと思う。
@@PEACE2900 いや実況は間違っとらんのだけどナレーションがランドプリンス加賀武見騎手って間違っとるんよね。コメ主はその事を言ってるんやと思うよ
摘発、アローエクスプレスだから、義元だから