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【清少納言の読みについて】今回の動画までは一般的な読み方に合わせてきましたが、次回以降ドラマナレーションに合わせて「せい・しょうなごん」で読もうと思います。ちなみに「清」は清原、「少納言」は中宮定子が命名したとする説が有力です。清少納言の解説は前回の動画で解説しましたので、お時間のある方は予習・復習ぜひ!th-cam.com/video/0g459Q7wEPY/w-d-xo.htmlsi=JtWoduhUOlvAhN8y
「ちはやぶる 神のいがきも越ゆるべし恋しき人のみまく欲しさに」おーっ、道長が積極的に恋の歌をまひろに送っちゃいましたねー。まひろとの関係、倫子との結婚はどうなってゆくのか、ワイドショー的な思いでドキドキ💓しながら見てました。大河ドラマを恋のゆくえを気にしながら見るの、直虎以来です。
その時のまひろの表情が!!両想いかもね。
頼忠は花山天皇に反発していても、その子公任は天皇と良好な関係だったというのは面白いですね。清少納言と斉信が近しい間柄だったというのも、初耳でした。でも、夫の上司であれば少々大げさに褒めるのも、アリですね。これが、後に彼女の出仕後どのように二人の仲が描かれるのか、興味深いです。”蜻蛉日記”はネガティブな内容ばかりではなく、見られることを意識して書かれていて、作者の心理描写が克明で”源氏物語”にも影響を与えているという指摘、なるほどです。
更新早すぎます😂
早速の解説有難うございます!人に見られることを前提にした日記文学は現代のSNSに通じるところもあって興味深々です。
今日もわかりやすい解説ありがとうございます🙇いよいよ寛和の変が近づいてきて楽しみになってきました。漢詩の会は史実ではないようですが、企画した貴子の優秀さや公任の才能、道隆による右大臣家への権力に流れが変わっていくところがわかりやすくて良かったのではないかと思いました。
公任と花山天皇の関係では、三番目の勅撰和歌集、拾遺和歌集は、花山天皇(正確には当時は既に出家し法皇ですが)の命によって公任が編纂したとも、公任が編纂した歌集拾遺抄を元に、花山天皇が自ら増補したとも言われています。
うまくいかないことが続く時はなるべく不満に思わず、今私は根を張っている時なんだ、目に見えずとも成長しているんだと自分に言い聞かせ淡々と過ごすことにしています。木が大きく育つにはしっかりと根を張る必要がありますからね😃人に親切にするなどは目に見える陽徳ですが、陰徳の方が徳積みになるそうなので、今度陰徳について詳しく教えていただけるとありがたいてす😊
名前の読み方が難しいですね。フリガナがあれば有難いです(汗)
清少納言と斉信との間にそんな噂がささやかれていたとは。いつの時代も世間はゴシップ好きということでしょう。今さらかもしれませんが、この物語を見るにつけ、藤原氏の子たちは権力奪取と維持のための道具に過ぎないように見えるのはさすがに失礼でしょうか。
🐰2024 2 11日曜日夜❤またね
【清少納言の読みについて】
今回の動画までは一般的な読み方に合わせてきましたが、次回以降ドラマナレーションに合わせて「せい・しょうなごん」で読もうと思います。
ちなみに「清」は清原、「少納言」は中宮定子が命名したとする説が有力です。
清少納言の解説は前回の動画で解説しましたので、お時間のある方は予習・復習ぜひ!
th-cam.com/video/0g459Q7wEPY/w-d-xo.htmlsi=JtWoduhUOlvAhN8y
「ちはやぶる 神のいがきも越ゆるべし
恋しき人のみまく欲しさに」
おーっ、道長が積極的に恋の歌をまひろに送っちゃいましたねー。
まひろとの関係、倫子との結婚はどうなってゆくのか、ワイドショー的な思いでドキドキ💓しながら見てました。
大河ドラマを恋のゆくえを気にしながら見るの、直虎以来です。
その時のまひろの表情が!!両想いかもね。
頼忠は花山天皇に反発していても、その子公任は天皇と良好な関係だったというのは面白いですね。
清少納言と斉信が近しい間柄だったというのも、初耳でした。でも、夫の上司であれば少々大げさに褒めるのも、アリですね。これが、後に彼女の出仕後どのように二人の仲が描かれるのか、興味深いです。
”蜻蛉日記”はネガティブな内容ばかりではなく、見られることを意識して書かれていて、作者の心理描写が克明で”源氏物語”にも影響を与えているという指摘、なるほどです。
更新早すぎます😂
早速の解説有難うございます!人に見られることを前提にした日記文学は現代のSNSに通じるところもあって興味深々です。
今日もわかりやすい解説ありがとうございます🙇
いよいよ寛和の変が近づいてきて楽しみになってきました。
漢詩の会は史実ではないようですが、企画した貴子の優秀さや公任の才能、道隆による右大臣家への権力に流れが変わっていくところがわかりやすくて良かったのではないかと思いました。
公任と花山天皇の関係では、三番目の勅撰和歌集、拾遺和歌集は、花山天皇(正確には当時は既に出家し法皇ですが)の命によって公任が編纂したとも、公任が編纂した歌集拾遺抄を元に、花山天皇が自ら増補したとも言われています。
うまくいかないことが続く時はなるべく不満に思わず、今私は根を張っている時なんだ、目に見えずとも成長しているんだと自分に言い聞かせ淡々と過ごすことにしています。木が大きく育つにはしっかりと根を張る必要がありますからね😃人に親切にするなどは目に見える陽徳ですが、陰徳の方が徳積みになるそうなので、今度陰徳について詳しく教えていただけるとありがたいてす😊
名前の読み方が難しいですね。フリガナがあれば有難いです(汗)
清少納言と斉信との間にそんな噂がささやかれていたとは。いつの時代も世間はゴシップ好きということでしょう。今さらかもしれませんが、この物語を見るにつけ、藤原氏の子たちは権力奪取と維持のための道具に過ぎないように見えるのはさすがに失礼でしょうか。
🐰2024 2 11日曜日夜❤またね