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昨日、サンバー箱バンを廃車にしました。31万キロ超え車検修理見積もりで20万円代ということでお別れする事になりました。今まで色んな所に連れって行ってくれてありがとございました。スバルサンバー良い車でした。
ホンダの看板掲げたバイク屋のおっちゃんが、事あるごとに「軽トラはスバルに限る」って力説していたのを思い出します。
BC5レガシイRS乗ってました懐かしいです。その前はAE86に乗っていて峠走りしていましたが結婚して家族を持つタイミングで4ドア車へ乗り換える事となり、2駆に限界を感じていた事もあり次は4WDと言うことでギャランVR4も候補でしたが全日本ラリーの舗装で早いBC5レガシイRS!そして、あの辰己さんがセッティングした足回りと言うことが決め手となりBC5レガシイに乗り換えました。決め方が変態的ですが・・・その後にRS-R、そしてRS-RAが登場したのでRS-RAの足回りに入れ換えて長く乗りました、良い車でしたよ。
初代レガシィは本当に衝撃だったなぁ。それまでレオーネとか機能優先で武骨だけど室内装は商用車っぽく外見は野暮ったくて一般人に訴求力が弱い車ばっかりだったのに突然高性能で洗練されたカッコいい見た目と他社に引けを取らない内装の質感をもった車が出てくるんだからw
このクルマからスバルが大きく変わったな…と思います。レオーネからは考えられないデザイン・フォルム・カラーリング…それまで実用を考えられエンジン内部に鎮座していたスペアタイヤは取られら、代わりにターボやインタークーラーを配備するスペースが設けられ、当時当たり前(考えてみたらダサかったが…)外装に堂々と赤字で「4WD」を示すデカールがなくなる等、大凡同じスバルかな?と思わせるくらい衝撃的でした。ただそこは技術屋真面目集団スバル。一見おしゃれなCMの中に10万キロ世界速度記録の栄光を然りげ無く語るなど、従来のファンすらも唸らせるところも残す等は当に「レガシィ=伝承」となるのが決められたクルマでもあったように思えます。
初代レガシーのキャッチコピーが、もっと車になる。ディーラーさんの営業マンは、やっと売れる車になる。と言っていました。
故田島社長の名前がでてきて本当に良かった。この人がいなければスバルの名前は残っていなかっただろう。
レガシーWRC仕様のステアリングギヤボックスは奈良の光洋ベアリング社製 何故知ってるかと言うと 私の友人が設計したから プロドライブ製じゃないんだよねw
サラッと凄いこと言わないで(褒め言葉)
スバルといすゞは変態枠だった。
エブリー→エブリイレガシー→レガシィみんな、棒伸ばしが好きなんだな!でも、EJ20ターボに乗れて幸せしかないです(ツインターボではなくツインスクロールターボだけど)
キャリー→キャリィもそうです!
ギャランvsレガシィが後のランエボvsインプに繋がる
ギャランvsレガシィの頃はバブル期も相まってハイソカー同士が戦うと言った感じでしたよね。^^
当時スバル社長がレガシーで勝つまではインプレッサのデビューはしない、とまで言ってた、その言葉でスバルファンになってしまった
初代レガシィツーリングワゴンはスバルを救ったのもあるけど日本のモータリゼーションにこれほど影響与えた車は無いっしょワゴン専用のかっこいいボディでイメージの悪いバンから決別僕は狭い日本でなんでスペースユーティリティーの悪いセダンばかりが売れるとずっと疑問に思っていてミニバンブームの前から1BOXを親父に買わせたが(笑)荷物が詰める事のすばらしさを日本国民に徹底的に知らしめたのはこの車だった♪結果的にはセダン主体からミニバン主体に変わる橋渡しの過渡期だったのがワゴンだったけどもレガシィツーリングワゴンが出なければ今でも日本ではセダンばかりて世界だったかも(笑)
スバルがアレン バタネン マクレーを擁して戦ったあの時 面白いチームが出てきたぞと当時あったカーグラTVを観て思ったものです戦績的にはインプレッサなのは間違いのですが愛してやまなかったのはレガシーですね
長年レガシィ乗りをして来たものとしては、このWRC出場のレガシィの優勝は元よりその開発軌跡を知り、丁度クルマを買い替える必要から候補をレガシィに絞りディーラーと交渉を開始。その折のディーラーセールスが支店長で且つディーラーメカニックを長年経験された方でしたので、芯から安心してお任せした次第です。また、私がラリーとくにWRCに興味を持っていることを知り、当方へ訪問頂くごとにその折スバルが出していた「Boxer Sound」をご持参頂いたことも有り難かったですね。その支店長から購入した車両は、レガシィ二代目セダンTS typeRで、足回りをビルシュタインに架装、ヘッドライトをその頃出たてのHIDにするなど手を入れて28万キロ以上走り、三代目レガシィ2.5Lセダンにスイッチ。その折、二代目レガシィをディーラー下取りとしましたが、其れをディーラーでは代車として貸し出したり、あげく社員がすこぶる調子が良いクルマだからと買取したと伺い、其処はやはりSUBARU車ならではの強靭なエンジンやボディだなと納得したものです。その後も、四代目レガシィセダンFlat6(3L EZ3.0)も長年乗り、五代目でアメリカンスタイルにテイストが変わった時点でそのスタイルに嫌気がさし、且つ需要の変化もあり初代エクシーガに乗り換え、のちエクシーガを3台乗り継ぎ現在もEJ20のエクシーガに乗り続けております。今考えると、レオーネまでのSUBARUエクステリアデザインは、如何にも無骨でよく言えば質実剛健、しかしながらレガシィ初代から四代目までの其れは確かに流麗なヨーロッパテイストを纏っており、このスタイルもよく売れた原因の大きな要素と思っております。
当時、スバルディーラーが今まで経験したことの無い来客者でセールスマンが驚いたらしいw
マクレーのレガシーは一度としてトランクルームが歪まずにゴールしたことがなかったな〜。懐かしい。
ある年の1000湖は、『何でああなっても走れるのかなー(?_?)』て状態で完走しましたよね。白いレガシィが(^^;)
@@miravan275 ボディはいくらでもある!とプロドライブに言われた通りのことをやりぬいたマクレーが色んな意味で凄かったですねー
@@miravan275 エンジンと駆動系が生きていてブレーキが効けば走れるドライバー
当時のオートスポーツ誌に「プロドライブのメカニックたちは12ポンドの大ハンマーを振るって、2ドアハッチバックのような姿の車をスバル・レガシィに見えるように叩いていった」という記事が載っていたな。今だったらロールケージにダメージが見つかって一発アウトだが
ステーションワゴンブームの火付け役あのスバルらしからぬ垢ぬけたデザインは殻を突き破った感があったWRC車両の開発費はトヨタの10分の1とも言われ素性の良さがうかがえた
レガシーRS乗ってました。買ってすぐに東京から広島に転勤になって、引っ越しのとき自分で広島まで運転していったのが良き思い出です。そのころは中国自動車道しかなく、しかも真夜中の大雨で、フルタイム4WDの恩恵を受けまくったっけ!
初代〜3代目レガシィの頃のスバルが好きだった・・・・今のスバル車よりも魅力的・・・・元GC8、BE5BLITZEN乗りより。
「その頃は」良かったですね
レガシーがマクレーで初優勝する動画をようつべで探そうと思ったら概要欄に周到に記載されててうぷ主の熱量に更に感動したわ🥹
当初スバルやプロドライブは「代わりはいくらでも用意するからガンガン行け」というスタンスだったがマクレーの破壊振りが尋常でないためさすがに「いい加減にしろ!」とクギを刺されたとか。
BC-5乗ってた。紹介して頂いてめっちゃ嬉しいです。ちなみに、スバリストの語源は諸説ありますが、昔はスバル360,スバル1000、スバル1300といったスバルと名の付く車ばかりだったので、スバリストは何を乗ってるのか聞かれると「スバル」と答えていたから車屋さんたちがスバリストと皮肉を込めて呼び出した説が有力みたいです。あと、映像のEJ20はインプレッサのEJ20Kですね。空冷インタークーラーのやつ。BCは水冷インタークーラーですよ。
初代レガシーに乗ってました。スキーに行くなら、絶対レガシー!でした。暴力的とも言えるターボの加速感は、凄かった。
平成元年式のBF5,AZエアサスのツーリングワゴンに乗っていました。駐車場で人から羨ましく見られていたのを今でも印象的でした。
レガシィとスバルの思い出を書いてみます。1.レースをやってた若い頃、ダートラのオフィシャルも手伝ってました。(クラブあるあるですね)そのころはギャランVR4が速いイメージで多数出てましたが、2台だけ出てたレガシィRSが1本目からバカッ速で「なんだコレ」って思ってたら、午後の2本目で速すぎて目の前のコーナーで大転倒して驚きました。2.そのころプジョー205ターボ16でダートラに出てた某選手が後日ダートラ車両をレガシィに乗り換えたのを見て、やっぱいレガシィは速いんだなと思った。3.レースではスバルのミッションを積んだ車に乗ってたが、ミッションのリンケージがガタガタで慎重にシフトしないと3速→4速のつもりで安易に引くと2速に入った事があった。まあリンケージ部分はシャーシ側の設計範囲なのでスバルに罪はないが、今だったらリンケージに入ってるユニバーサルジョイントのガタを徹底的に取るようにメンテすると思う。4.サーキットに限らないがシフトチェンジする間は加速が途切れる訳で、慎重にゆっくりチェンジするとタイムに響く(遅い)。かといって乱暴にチェンジするとシフトミスしたりミッションを壊したりしてしまう。壊さないにしても痛めてしまうと1年持つモノが2~3レースで壊れてしまうのでO/Hするかスペアに載せ替えることになる。それは限られた予算でレースしてる身としてはイタイ。 コリン・マクレーはミッションに優しい運転をすると当時の雑誌記事で読んだことがある。ミッションを壊さずにチェンジが速かったのなら、そりゃあタイムも早いだろうと思った。 ちなみにかの星野和義さんの速さの一端も、シフトが速くてミッションを壊さなかった事にあったのではないかと思ってる。またはスペアミッションを沢山用意できる資金力だったのかもしれない。 昔の「ワークス系」ドライバーはみんなそのへんが優れていたのではないかな?5.レガシィの「クロスメンバー」の話。最初に乗ったワンメイクレースの車両はFF車だったが、左右のフロントサス付根をつなぐクロスメンバーは無かったのでフロント廻りの剛性は低かったと思う。 シーズン2年目はその頃レースカーでは珍しかった「スポット増し」フル補強をしてもらった(所属のダート系クラブショップの勧め)。効果はすばらしくて1周約3kmちょいだったと思うが1秒~1.5秒近く(正確には覚えてない)タイムが上がったのにはびっくりした。乗った感じとして印象的だったのはGが掛かった段階でもハンドルを切り増しすると自分を中心に向きが変わる感じだった事。あれでもともとクロスメンバーが通ってたらもっと剛性があっただろうと思う。地味な事だがレガシィ(スバル)のフロントのクロスメンバーが真っ直ぐに通ってるのは車体屋から見たも魅力だったのは良く分かる。それと同時に他メーカーエンジン横置き勢がいかに苦労してたのかも想像できるので、他メーカーの技術者も素直に尊敬する。6.スバルの「足」の話。レースを辞めてから借金を返し終わった数年後、元ダートラ屋の友人を通じてダートラ車上がりのGC8ーRA(初代)中古を買った。 ※それまで街乗り車はトヨタ(普通の車人生)ばかりだったのでスバルに乗り換えるにあたり少し不安があったのだが、趣味の友達にスバルのメカニックがいたのでディーラーを紹介してもらって以後25年近くスバルに乗る事になるとは不思議な縁を感じる。 それはさておき、GC8で感動したのにハンドリングがある。1速~2速で曲がる車1台分の道で飛ばしてた時の事、初めての道の左コーナーでRがキツくなったのに合わせて切り込むとグイっと普通に曲がった!。今までの車ならアクセルをダブるかハンドルをソーイングするか、ブレーキを当てるか、それぞれ組み合わせて対処するのだけれど、インプの場合ハンドルの切り増しだけで変化したRに対処できた。これにはビックリした。これがダートラで見たレガシィの速さの秘密かーと思った。 それと同時にハンドルを切り増しすると曲がる力が増えるので速度エネルギーは曲がる力に変換されて速度が落ちるのだとも分かった。逆に言えば曲がらない車は速度も落ちにくいと同時に外側に向かって勢いをつけて飛び出ると・・・7.スバルのハンドリングですが、さらに良くしようとして何度も墓穴を掘りました。8.初代GC8と後半のGC8はトレッドが違うので真似して初代にホイールスペーサ(何ミリか忘れた)をいれて弱ワイド仕様にしたのだがグイグイ曲がる感じがなくなった(薄れた)9.ダートラ車上がりなのですが、何故かリヤに強め(数値失念)のトーインが付いてた。友人メカニックにトーゼロにしてもらうと低速コーナーでリヤの「曲がり」が悪くなった。フロントのアッカーマンによるトーアウトとリヤのトーインによる4WSのような効果が薄れたからだと思った。10.センターデフはSTI強化ビスカス、フロント多分STIワンウエィLSD、リヤSTIツーウェイLSD仕様でしたが、夜中に雪道を走った感じではハナの入りが1発目を外すとアンダーが強かったです。半面、姿勢が決まると曲がるのではなく平行移動な感じでアウトに膨らみながら立ち上がるので巻き込む不安がなくて素晴らしかったですね。イメージでいえばトミマキネンのランサー時代の立ち上がり姿勢な感じ。 後日センターデフを純正ビスカスLSDに交換したのですが、何だかんだで一番乗りやすかったです。11.ダートラ車上がりなのでフロントハブにガタがあり、1発目のブレーキ抜けとかありましたが1番恐ろしかったのはコーナリング中の突然アンダーでした。幸い事故を起こしたりはなかったのですが側溝が迫ってくるのでヒヤヒヤでした。これも純正の新品ハブに交換してもらい解消しました。この現象で怖いのがディーラーでリフトアップしてタイヤを揺さぶっても殆ど分からない(実際目の前でみてましたが深刻に見えなかった)のが恐ろしいところです。中古のGC8を買って原因不明の突然アンダーに悩まされてる方は交換してみたほうが良いかもしれません。以上長文失礼しました。管理人さんいつも楽しい動画を有難うございます。リクエストですがレーシングカーデザイナーの「アンドレ・デ・コルタンツ」さんをお願いします。サスペンション片持ちの変態バイク「モトエルフ」の設計者であり、プジョー205ターボ16、トヨタGT-ONEの設計者でもある「す、ご、い」変態です。※後日訂正。星野和義さん→星野一義さん(日本一速い男)ですね。失礼しました。
他に片サスだなんてその辺じゃH2くらいでしか見れないや、うん変態
タイムを出す人は、クルマ自体を壊さない傾向にあると思います。個人的に、国内有名どころのWRC参戦経験者が運転するクルマに横乗りしましたが、操作自体はとっても早いけどとっても丁寧な操作をしていました。ある時、某ラリーショップ社長でありWRC参戦経験者でもある某氏に、「日本で1番速い人は?」と聞いたところ、「星野一義」さんと即答でした。あとは、「圭市かなぁ~」個人的見解ですが、二輪車で浅間サーキット等のダートで速かった人は、四輪でも速いです。レースとラリーの二刀流ができる、関根基司さんの運転が好きでした。増岡浩さんのブルでドリフト運転は、自身の経験が少なすぎてマネできませんでした。
うちの大叔父が変態スバリストでした。レオーネ4台ぐらい乗り継いでたな。
BC5は印象的なマシンでしたネ。当時、マルク・アレンとフランソワ・シャトリオのドライブには熱くなったモンです。エグゾーストの音がスゴかった!あの、ドコドコ音が響き渡るのが良かったですネ。
私のおじさん(元ギャンブルレーサー故人)がスバリストでしたよ。レガシイ以前の!レオーネRXのサイドシートで天井にアタマぶつけてました。もちろん私も影響受けましたともwww
アルシオーネとレオーネRX-2が出た時格好いいけど…スペック大した事無いなって思ってて、その時期に危機感感じていたって話に納得でした。初代レガシィってツーリングワゴンが売れてて、レガシィ=ツーリングワゴンだった事を思い出します。当時はステーションワゴン=商業車・営業車のイメージが強く、ツーリングワゴンが出てからそのイメージを払拭して、その後各メーカーが後追いで出すって言う図式でブームの先駆者でした。しかしセダンは各社同クラスに多種多様な車が多く、レガシィは内外装地味で目立たなかったと感じます。RSが出た時も他社製品より地味で、ラリーの活躍がクローズアップされるまで注目されなかったと記憶しています。自分もいいなって思ってたけど、クーペのST165やハッチバックのファミリアの方が好みで、しかもレガシィにクーペが出るかもってガセ信じて期待してたからセダンは眼中無かったですね…今考えたら220PSのエンジンや軽いボディとフルタイム4WDで、ドアはサッシュレスとよく出来た車だったと感じ、もしかしたら少し時代先取りしてたかも知れませんね。
スペックはお飾りようは中身あの時代にABSやVDCとかすげーよ
会社の先輩が初代のレガシィを買って間が無い頃雪が降ってきたら四駆だから雪に強いんだぜと会社の敷地内を急加速してから急ブレーキ輪止めにタイヤを思いっきりぶつけてサスがひん曲がった制動と四駆は関係無いってえの
パイセン、絶頂から奈落へGO!
日産系ディーラーの営業マンでしたが、BF1のRS-TypeRAが愛車でした。R32TypeMとの二刀流でしたが、走行会にツーリングとあらゆるシュチュエーションでレガシィの方が優れていた。スバルに勤めれば良かったと後悔しました。お客様がついてくれなかったらスバルに転職したかった。もう一度走りたいが、中古車相場で300万〜500万円なんて不可能!相場の吊り上げしてる奴らが憎い!決断力の無さに後悔…。
待ってましたレガシィ!初代RS-RAが欲しがったですが当時免許取立てでは色々叶わずw月日がたちワゴンボディですがBH5アプライドCのCPチューンブーストアップ仕様で楽しんでました☘今でもいい思い出です。
こんにちは😀当時の車雑誌を読んでいたら、読者投稿コーナーに「○○サービスエリアに駐車していたレオーネから、ツインカムの音がしていた!」というのがありました。いまだOHVエンジンを積んでいたレオーネが次モデルにはいよいよDOHC化されるんだ〜👏と思っていたら、レガシィが現れたんだよね。あれは感動的だったな。
レオーネの頃は「パワーがない」「サイドブレーキが前にあるからサイドターンに使えない」とモータースポーツにも使えない車だったがレガシーが出たときは「スバルもやればできるじゃん」と思ったね
スバルは大衆が使える車を考えたからFF導入したんだよな馬鹿なトヨタの車は曲がらない殺しの車が今のプリウスに繋がる
@@kathuyaaa-1115 プリウスdisるのはどうで良いがFFがダメとか言ってないぞ。もう少し勉強してから書こうや
親戚が初期のスバルの社員だったスバル360からずっとスバル車を家族が乗ってました。レガシィは名前に通りの車になりました。レガシィの乗り心地最高でした。嬉しい情報ありがとうございます。プロドライブも知らない人間でした。
マルク・アレンに『more power』って言われてたのが懐かしい。
ノーパワーノーエンジン!とも言ってました。「アイハブ、ノーパワーノーエンジンカー」と、本人の前で言ったら、ちょっとウケました。
レガシィがあったからこそ、今のスバルがある。レガシィといえば、確かうちの父親が3世代乗り継いでたような…
後ろでクッソノロノロ走ってる360君かわいい
初代のレガシーRSタイプRAに乗っていました。パワーもすごかったけどブレーキもすごかったね減速性能は特筆ものだったよ。
『名は体を表す』を地で行ってる車。
前期BC5レガシィRS-RAに乗ってダートラしてました。
わたしもRAに乗ってダートラに出ていました。
よくスバルを捉えているね。親戚のアニキが(何しろお膝元の大泉だったから)初代レオーネ1400GRXに乗っけてもらった。もう50年前だなあ。いや、このスレすごく面白い、分かりやすい、素晴らしい‼️
レガシィといえば、ツーリングワゴンのイメージも強いです!
F1の話の前に、WEC(世界耐久選手権)の話もあったとSTIの元常務の成田さんがおっしゃっていますね。ポルシェ956/962が水平対向エンジンたったから触発されたのかな。ちなみにF1はミナルディと組むことがほぼ決まっていたとのこと。
初代レガシィかっこいいから好き
初代BCレガシィは、今でも格好良いし、欲しい。ツリ目の前期型が、格好良いし、好き
RS―RAが欲しかったんですが100台限定の為買えず、RS―RのA型を買いました。初期型ホイールは、サファリラリーに耐えられるほどの強度を持ったホイールなのに、めちゃくちゃ軽いと言う理想的なホイールでしたが、B型になってコストダウンにより普通のホイール能力になってしまいました。納車は、何故か鉄チンホイールで納車され、3ヶ月後にアルミが届きましたので、鉄チンホイールはそのままスタッドレス用になりました。国内外ラリー関係者にいっぱいサインをもらったのも、このクルマのおかげでした。
初優勝のマクレードライブは、神がかってた‼️でもその後、ホームラン打者の様なSSトップタイム出すか、車壊してリタイアかの危ない若さが出てた印象だったね555カラーも、レガシーよりインプの方が定着して、スバルも四天王(ランチア•トヨタ•三菱•スバル)で次点にFordで、最後は頑張れシュコダ‼︎ww
BC5 レガシィ CタイプのRSタイプRAに乗っていました。受注生産車なので納車に時間がかかりました。ノーマルのRSとはかなり違う車でした。足回りはノーマルで丁度良い感じでそのまま乗っていました。
正にスバルに一大革命を齎した救世主ですよね。^^
スバルはコーナーそのまま曲がっていってましたね トヨタはコーナー曲がんないのでアウトにふってドリフトぎみに曲がってましたよね
初代が出たときのテレビCMで、バッハの音楽が流れるのが最高にカッコよかった
初代CMのコマソンはルイジ・ボッケリーニの「マドリード夜警隊の行進」でした。バッハのトッカータ&フーガニ短調が流れたのはは2代目レオーネの初期CM「明日と語り合った」です。
360の玩具感がたまらない魅力。先日千葉の田舎で個人宅の伐採してる時、屋根付き駐車場に止まって埃だらけのアルシオーネ観た時の感動。
LEGACYがSUBARUのディーラーに納車されて初めて公道を市場した30数年前を思い出します。 運転して思った事は、3名の同乗者は速さに驚いておりましたが、運転していた私は全く速さを感じずメーターを見て初めて相当なスピードが出ていた事を感じました。 あくまで市販車のLEGACY RSでしたが、ブレーキの効き方はマスターバック無しの感覚で、踏力でガツンと効かせる良い感覚でした。※そしてレオーネのラリー出場の原点となり、黄金のSUBARU3連覇に導いた3人の侍【小関親分・久世元STi社長・高岡祥郎氏】は、今頃天国で何を語っているのかなぁ〜
レガシー、いい車でした、バランスがいい、乗るたびに新鮮さを感じさせる車は、後にも先にもレガシーしかありませんでした❣❣
もう「レガシー」とか「ビビオ」はツッコんだら負け…
「ビビオ」→「ヴィヴィオ(VIVIO)」アルファベットは“V”だからウ濁音の筈だけど非常に混乱する!※因みに、ヴィヴィオの前身レックス(3代目)の初中期型に「ビキ」→「ヴィキ(Viki)」や特別仕様車「ビッキー」→「ヴィッキー(Vicky)」のケースも…
ん?まあ、それをやったら負けだと書いたつもりですが。
ギャランVR-4とレガシィは切磋琢磨して強くなっていった
いまや、3ナンバーの車しか造ってないメーカーだもんな。昔、WRCのメカニックで高校の同級生が映っていたな。
スバル車はとにかく頑丈!昔親父の経営する建築屋の職人が杜撰なヤツで海辺の駐車場に貸していたうちの作業車のサンバーの箱バンをほっぽらかして夜逃げ。半年後にようやく見つけてバッテリー持ってってエンジンかけたら一発始動!ブレーキ、クラッチ固着なし。同年式のスズキ車は似たような境遇の車はクラッチ、ブレーキ、アクセルワイヤーまで固着三菱はデスビが脆く雨の日止まる。本当に驚いた思い出。
スバルに勤めてた友達が初代のレガシィに乗ってました。懐かしいです。
レガシィツーリングワゴン✕3台、WRXワゴン✕2台乗り継いでレガシィB4に戻ってきました。やはりいい車
面白い話で勉強になったぜ👍聞き慣れない専門用語が飛び交うので細かい点は理解でにないところもあるがつかみ、話の流れは面白い。しかし、番組主は車マニアなのは間違いないな😁
BC5 RS-RA海苔の変態として一言、レガシーではなくレガシィです。
最後のクルマになるかも知れないとの思いがレガシィの車名から伝わってくる
レガシーが出た時に、一発目に感じた事「高いカローラ」デザインの共通性と、エンジン音が無難になって、そう感じた。レオーネは、遠くから聴いても水平対向だと感じるエンジン音だったと覚えている。
初期のスバルレガシィですね。私のお気に入りでした。セダンとステ一ションワゴンの2種類でした。ブルースウィルスのCMをおぽえてます。スバルの救世主ですね。
いい車です。ファミリアGT-Rの後はこれか、インプかで悩んだ。どっちも買えなかったけど。
レガシー懐かしいです父ちゃんがレガシー乗ってた頃、雨が降ってるのにレガシー乗せられて海辺まで走って車の中でお弁当食べたり、キャンプとかって細い恐ろしい山道を爆走したり、時々エンジン音に「おお、オイル変えたからご機嫌だね!」って話しかけたり…あれ?父ちゃん重度のスバリストだったんかな?
BC5は初期型2台、後期型1台の計3台乗り継ぎました。現在のスバルの原点のような車だと思います。
尾木ママも初代レガシィに乗ってて一番のお気に入りの車だったらしい。
レガシィ以前のスバル車って、デザインからして古くて稚拙だったからな。最終レオーネのラインとか完全に平面。トヨタとかだと四角いクルマでも先端に向かってラインを絞るなどしてたが、スバルは全くまっすぐで学生が適当に線を引いたようだった。レガシィでようやく他社並みの近代的なクルマだったので、これ出さないとダサいメーカーとして終わっていたろう。
最初に買った車でした サーキットとか走ってましたね 今でもスバリストです
フルエアロのツーリングワゴン乗ってたな〰️(*´∀`*)雪道でも安心して振り回して遊べる楽しい車でした。サンルーフの雨漏りやらパワーウインドウが動かなくなったり足回りの故障やらで色々金かかったけどボクサーサウンド聴くだけで満足だったな♪
レガシィと言えば、寧ろツーリングワゴンだったと思うのですが?販売台数では ワゴン>>>>セダン でしょ?当時のワゴンブームの火付け役だったし。 あと、ロールゲージやない、ロールケージや!!
レガシィRSとインプレッサ555のアイドリングのばらつきが、好き。
4ドアが欲しくて、ギャランVR4とスカイラインGTS-4とで悩んでました。結局4ドアを諦めGT-Rになってしまいました。なんで?と聞く人に答えた内容は、三菱の営業は駄目駄目で、なんで他社の車をけなす事しか言わないので不愉快になった、そしてGTS-4はカタログスペックで車重は5ナンバーなんだけど、実際はTYPE-Mにフルオプション+4wd搭載車になるので、実車の重量がカタログどおりじゃないとの判明した。後日担当の営業さんが、納車前に重量を測ったら1.7t越えてたって聞いた。(2リッター車が2.6リッター車より思いってワロタ)そして、2ドアならセリカが候補に加わったけど、知人がセリカは飽きる、セリカよりスープラが良いとか言うので、最終的にGT-Rしか残らなかった、まあ、車を購入する為にNS-Xをキャッシュで購入するくらい預金があったのだが、三菱の営業な何度から何度も電話があって、安価なローンがあるので、これで、VR4を購入されてわ、と余計なお世話ばかりするので、車はいいものか知りませんが、貴方が嫌いなので購入を止めましたと言い切ってやったら、2度と電話が来なくなったよ。w
ホントまじレガシィで来ましたョねー!富士重は!よかったよかった
初代もセダンは当時の感覚でもスタイルは野暮ったい感じだった記憶がある注目されたのはステーションワゴンが出てからだと思う
B4ブリッツェンの走行場面が胸熱ですねw私は黒のブリッツェン2001ツーリングワゴンに乗っていたのであのデザインは大好きです。今はBPE乗りですがボクサー6が好き過ぎてレヴォーグに乗り換えられないのが悲しい、、、、ちなみにスバル好きとアップル好きを併発しているので『ど変態』呼ばわりされていますwww悲しい、、、
6発の滑らかさはは4発に遠く及ばない、素晴らしい。BLのA型レガシー乗りです
@@blss8613 良いですね、B4も好きですが仕事柄物を積むのでツーリングワゴン一択です。BPEのA型をガソリン高騰時に手放して、今はC型を乗っています。
すみません・・・バックのスバル360の遅さが気になって解説が頭に入ってきませんでしたw
レガシィは、もちろん当時からWRCみてた自分としてはWRCでの活躍を推したいところですが、どっちかっていうとモータースポーツより市販車の方の印象が大きいですね。CMにブルースウィリスを起用したり、あとなんといってもツーリングワゴンの爆売れですよね。今は普通にワゴンって市民権得て、普通に若者やファミリーカーとして定着してますけど、レガシィツーリングワゴン以前は商用車だけのイメージでしたから。今のSUVというジャンルを定着させる先祖のRVブームの元祖がレガシィツーリングワゴンでしたものね。スバル内部でもそういう印象のが強いんじゃないですかね。どちらにせよ、スバルの救世主だったと思います。開発費をぶっこめたのはバブルだったってのもあるかなって思います。
レガシー出た時有恒先生が惚れ込んでたもんね。
F-1かぁ😊スバルコローニでしたっけ本戦に出場なしで撤退しちゃいましたよね😅スバルは水平対向、でもコローニはV型を想定してマシンの設計をしてたんですよね😭
スバルのF1エンジンは水平対向ではなくVバンク180度のV型エンジンです
@@toshi_rs 学術的にはそうでも一般的には対向してたら水平対向通じてるからいいよそれともフェラーリにも喧嘩売るのかい?
@@kureyon-shinchan まあ、それもそうですね。フェラーリはちゃんとV型って言ってますよ。TRとか512BBとかですよね。
レオーネなんかはサイドブレーキ引くとフロントタイヤがロックするからなあ車屋勤めてる頃1度だけ見てびっくりしたアルシオーネは触ったこともないからわからねー
レガシー乘ってたよ。とにかく零戦(れいせん)栄21型のエンジン音がするのがすごく楽しかった。ひゅ~んひゅ~んと言う音がした。今はマフラー設計変わりしないらしい。
最近のグランツーリスモだと、レガシィはブリッツェンとかしか無いんですよね・・・GT2ではたーくさん選択肢があったのに、悲しい。ゲームの世界だけでも乗りたいのになぁ。今でも実車でGC8G型STiに乗ってる自分としては、5ナンバーサイズのレガシィは現在でもスゴくカッコいいと思うんですけどねぇ。
グランツーリスモSportや現時点でグランツーリスモ7にレガシィの収録は無いですが、グランツーリスモ6はブリッツェン以外にも収録されてますよ
スバルの技術と情熱を凝縮したハイパフォーマンスセダン&ワゴン
「当初はレオーネ搭載を考えてテストをするも今度はエンジンの出力にレオーネの車体が追い付かない」面白いなぁ。
こういう話は何時聞いていてもよだれが出そうになる。
レガシィの運動性能、へばり着く走り名車レガシィ好きです。~
初代レガシィツーリングワゴンのターボから3台目レガシィランカスター3000ccH6まで乗っていました。
変革の車なのに名前がレガシーなのは面白いね
レガシィ爆売れの時代にスバル版ロードスターを作れなかったものか?又はMRSドライサンプでこれを作れていたらトヨタと一緒にならずにすんだかも
楽しい動画をありがとうございます。私はOHCレオーネからのスバリストです。「変態」を否定する言葉が一切見つかりません。軽トラに4気筒スーパーチャージャーを搭載する変態メーカーが大好きでした。スバリストが変態である以上に、その車を作る連中のほうが数十倍変態でしたね。今は優等生になってしまいましたが。
逆にプロドライブにとってもM3ではターマック以外では期待できなかったし、スバルとの参戦は是が非でも成功させないと後がない状況だったんだよ。当時は4wdターボなんてグループAベースとなり得るクルマ自体がレアだったし。
ミツビシストが通りますよ。今でこそパジェロのヒットやエボ系統は四駆制御の博士が開発してて「四駆のミツビシ」って言ってますが。四駆の元祖はそれこそアウディクワトロよりスバル・レオーネだよね?って思ってます。
当時高校生だったけど、トヨタマークⅡ系統、日産ローレル&スカイラインがひしめき合ってる2Lセダン市場にスバルが勝負しても勝ち目ないって言われながらデビューした。
まさに言葉どおりのレガシー でしたねえ。ちゅうか GTRを 本気で追い上げていたことについても 言わないとねえ尺の問題もありましょうけどスバリストたちから言われまっせ‼️半端したらいかんデー〜〜
「レガシー」じゃなくって「レガシィ」っすよ!
BC5のRSが雑誌で220馬力と出ていたのを見て、ウソじゃねえのか思ったよ。レオーネなんてGTターボが1.8lで135psのEA82ターボしか作れないメーカーがそんなすごいエンジン作れるわけないだろうと疑わしい目で見ていた。当時最強のギャランVR−4に馬力で上回っちゃったもんだから一気に馬力競争でトップに登り出てしまってスバルが一気に注目される存在になってしまったのが懐かしい。親父がレオーネからレガシィに乗り換えて、自然吸気エンジンだったが通常域では大人しいのに回したとき結構パワーあると感動した思い出があります。本当にレガシィは富士重工の救世主ですわ。
レガシーはスバルの救世主だったね😊初代レガシーは格好良かったしな〜WRCの最初の頃はディーラーエンジニアで整備してたよね〜コロー二へのエンジン供給は余計だったかなw予備予選落ち常連だったしな
エブリィ4駆でも雪坂おっかなかったが、ミラバンFFでも雪坂平気な事を最近乗って知った事は内緒🙊💓
やっぱり、車はデザインが大事ですからねェ❗😷レガシィ前のデザインはよっぽど好きじゃあないと買わないわなァ~😅
節子、レガシーちゃうやろ!レガシィじゃあ!
昨日、サンバー箱バンを廃車にしました。31万キロ超え車検修理見積もりで20万円代ということでお別れする事になりました。
今まで色んな所に連れって行ってくれてありがとございました。スバルサンバー良い車でした。
ホンダの看板掲げたバイク屋のおっちゃんが、事あるごとに「軽トラはスバルに限る」って力説していたのを思い出します。
BC5レガシイRS乗ってました懐かしいです。その前はAE86に乗っていて峠走りしていましたが結婚して家族を持つタイミングで4ドア車へ乗り換える事となり、2駆に限界を感じていた事もあり次は4WDと言うことでギャランVR4も候補でしたが全日本ラリーの舗装で早いBC5レガシイRS!そして、あの辰己さんがセッティングした足回りと言うことが決め手となりBC5レガシイに乗り換えました。決め方が変態的ですが・・・その後にRS-R、そしてRS-RAが登場したのでRS-RAの足回りに入れ換えて長く乗りました、良い車でしたよ。
初代レガシィは本当に衝撃だったなぁ。それまでレオーネとか機能優先で武骨だけど室内装は商用車っぽく外見は野暮ったくて一般人に訴求力が弱い車ばっかりだったのに突然高性能で洗練されたカッコいい見た目と他社に引けを取らない内装の質感をもった車が出てくるんだからw
このクルマからスバルが大きく変わったな…
と思います。レオーネからは考えられないデザイン・フォルム・カラーリング…
それまで実用を考えられエンジン内部に鎮座していたスペアタイヤは取られら、代わりにターボやインタークーラーを配備するスペースが設けられ、当時当たり前(考えてみたらダサかったが…)外装に堂々と赤字で「4WD」を示すデカールがなくなる等、大凡同じスバルかな?と思わせるくらい衝撃的でした。
ただそこは技術屋真面目集団スバル。一見おしゃれなCMの中に10万キロ世界速度記録の栄光を然りげ無く語るなど、従来のファンすらも唸らせるところも残す等は当に「レガシィ=伝承」となるのが決められたクルマでもあったように思えます。
初代レガシーのキャッチコピーが、もっと車になる。
ディーラーさんの営業マンは、やっと売れる車になる。と言っていました。
故田島社長の名前がでてきて本当に良かった。この人がいなければスバルの名前は残っていなかっただろう。
レガシーWRC仕様のステアリングギヤボックスは奈良の光洋ベアリング社製 何故知ってるかと言うと 私の友人が設計したから プロドライブ製じゃないんだよねw
サラッと凄いこと言わないで(褒め言葉)
スバルといすゞは変態枠だった。
エブリー→エブリイ
レガシー→レガシィ
みんな、棒伸ばしが好きなんだな!
でも、EJ20ターボに乗れて幸せしかないです(ツインターボではなくツインスクロールターボだけど)
キャリー→キャリィもそうです!
ギャランvsレガシィが後の
ランエボvsインプに繋がる
ギャランvsレガシィの頃はバブル期も相まってハイソカー同士が戦うと言った感じでしたよね。^^
当時スバル社長がレガシーで勝つまではインプレッサのデビューはしない、
とまで言ってた、その言葉でスバルファンになってしまった
初代レガシィツーリングワゴンはスバルを救ったのもあるけど
日本のモータリゼーションにこれほど影響与えた車は無いっしょ
ワゴン専用のかっこいいボディでイメージの悪いバンから決別
僕は狭い日本でなんでスペースユーティリティーの悪いセダンばかりが売れるとずっと疑問に思っていて
ミニバンブームの前から1BOXを親父に買わせたが(笑)
荷物が詰める事のすばらしさを日本国民に徹底的に知らしめたのはこの車だった♪
結果的にはセダン主体からミニバン主体に変わる橋渡しの過渡期だったのがワゴンだったけども
レガシィツーリングワゴンが出なければ今でも日本ではセダンばかりて世界だったかも(笑)
スバルがアレン バタネン マクレーを擁して戦ったあの時 面白いチームが出てきたぞと
当時あったカーグラTVを観て思ったものです
戦績的にはインプレッサなのは間違いのですが愛してやまなかったのはレガシーですね
長年レガシィ乗りをして来たものとしては、このWRC出場のレガシィの優勝は元よりその開発軌跡を知り、丁度クルマを買い替える必要から候補をレガシィに絞りディーラーと交渉を開始。
その折のディーラーセールスが支店長で且つディーラーメカニックを長年経験された方でしたので、芯から安心してお任せした次第です。
また、私がラリーとくにWRCに興味を持っていることを知り、当方へ訪問頂くごとにその折スバルが出していた「Boxer Sound」をご持参頂いたことも有り難かったですね。
その支店長から購入した車両は、レガシィ二代目セダンTS typeRで、足回りをビルシュタインに架装、ヘッドライトをその頃出たてのHIDにするなど手を入れて28万キロ以上走り、三代目レガシィ2.5Lセダンにスイッチ。
その折、二代目レガシィをディーラー下取りとしましたが、其れをディーラーでは代車として貸し出したり、あげく社員がすこぶる調子が良いクルマだからと買取したと伺い、其処はやはりSUBARU車ならではの強靭なエンジンやボディだなと納得したものです。
その後も、四代目レガシィセダンFlat6(3L EZ3.0)も長年乗り、五代目でアメリカンスタイルにテイストが変わった時点でそのスタイルに嫌気がさし、且つ需要の変化もあり初代エクシーガに乗り換え、のちエクシーガを3台乗り継ぎ現在もEJ20のエクシーガに乗り続けております。
今考えると、レオーネまでのSUBARUエクステリアデザインは、如何にも無骨でよく言えば質実剛健、しかしながらレガシィ初代から四代目までの其れは確かに流麗なヨーロッパテイストを纏っており、このスタイルもよく売れた原因の大きな要素と思っております。
当時、スバルディーラーが今まで経験したことの無い来客者でセールスマンが驚いたらしいw
マクレーのレガシーは一度としてトランクルームが歪まずにゴールしたことがなかったな〜。懐かしい。
ある年の1000湖は、
『何でああなっても走れるのかなー(?_?)』
て状態で完走しましたよね。白いレガシィが(^^;)
@@miravan275
ボディはいくらでもある!とプロドライブに言われた通りのことをやりぬいたマクレーが色んな意味で凄かったですねー
@@miravan275 エンジンと駆動系が生きていてブレーキが効けば走れるドライバー
当時のオートスポーツ誌に「プロドライブのメカニックたちは12ポンドの大ハンマーを振るって、2ドアハッチバックのような姿の車をスバル・レガシィに見えるように叩いていった」という記事が載っていたな。
今だったらロールケージにダメージが見つかって一発アウトだが
ステーションワゴンブームの火付け役あのスバルらしからぬ垢ぬけたデザインは殻を突き破った感があった
WRC車両の開発費はトヨタの10分の1とも言われ素性の良さがうかがえた
レガシーRS乗ってました。買ってすぐに東京から広島に転勤になって、引っ越しのとき自分で広島まで運転していったのが良き思い出です。
そのころは中国自動車道しかなく、しかも真夜中の大雨で、フルタイム4WDの恩恵を受けまくったっけ!
初代〜3代目レガシィの頃のスバルが好きだった・・・・
今のスバル車よりも魅力的・・・・
元GC8、BE5BLITZEN乗りより。
「その頃は」良かったですね
レガシーがマクレーで初優勝する動画をようつべで探そうと思ったら概要欄に周到に記載されててうぷ主の熱量に更に感動したわ🥹
当初スバルやプロドライブは「代わりはいくらでも用意するからガンガン行け」というスタンスだったがマクレーの破壊振りが尋常でないためさすがに「いい加減にしろ!」とクギを刺されたとか。
BC-5乗ってた。紹介して頂いてめっちゃ嬉しいです。
ちなみに、スバリストの語源は諸説ありますが、昔はスバル360,スバル1000、スバル1300といったスバルと名の付く車ばかりだったので、スバリストは何を乗ってるのか聞かれると「スバル」と答えていたから車屋さんたちがスバリストと皮肉を込めて呼び出した説が有力みたいです。
あと、映像のEJ20はインプレッサのEJ20Kですね。空冷インタークーラーのやつ。BCは水冷インタークーラーですよ。
初代レガシーに乗ってました。スキーに行くなら、絶対レガシー!でした。暴力的とも言えるターボの加速感は、凄かった。
平成元年式のBF5,AZエアサスのツーリングワゴンに乗っていました。駐車場で人から羨ましく見られていたのを今でも印象的でした。
レガシィとスバルの思い出を書いてみます。
1.レースをやってた若い頃、ダートラのオフィシャルも手伝ってました。(クラブあるあるですね)
そのころはギャランVR4が速いイメージで多数出てましたが、2台だけ出てたレガシィRSが1本目からバカッ速で「なんだコレ」って思ってたら、午後の2本目で速すぎて目の前のコーナーで大転倒して驚きました。
2.そのころプジョー205ターボ16でダートラに出てた某選手が後日ダートラ車両をレガシィに乗り換えたのを見て、やっぱいレガシィは速いんだなと思った。
3.レースではスバルのミッションを積んだ車に乗ってたが、ミッションのリンケージがガタガタで慎重にシフトしないと3速→4速のつもりで安易に引くと2速に入った事があった。まあリンケージ部分はシャーシ側の設計範囲なのでスバルに罪はないが、今だったらリンケージに入ってるユニバーサルジョイントのガタを徹底的に取るようにメンテすると思う。
4.サーキットに限らないがシフトチェンジする間は加速が途切れる訳で、慎重にゆっくりチェンジするとタイムに響く(遅い)。かといって乱暴にチェンジするとシフトミスしたりミッションを壊したりしてしまう。壊さないにしても痛めてしまうと1年持つモノが2~3レースで壊れてしまうのでO/Hするかスペアに載せ替えることになる。それは限られた予算でレースしてる身としてはイタイ。
コリン・マクレーはミッションに優しい運転をすると当時の雑誌記事で読んだことがある。
ミッションを壊さずにチェンジが速かったのなら、そりゃあタイムも早いだろうと思った。
ちなみにかの星野和義さんの速さの一端も、シフトが速くてミッションを壊さなかった事にあったのではないかと思ってる。またはスペアミッションを沢山用意できる資金力だったのかもしれない。
昔の「ワークス系」ドライバーはみんなそのへんが優れていたのではないかな?
5.レガシィの「クロスメンバー」の話。
最初に乗ったワンメイクレースの車両はFF車だったが、左右のフロントサス付根をつなぐクロスメンバーは無かったのでフロント廻りの剛性は低かったと思う。
シーズン2年目はその頃レースカーでは珍しかった「スポット増し」フル補強をしてもらった(所属のダート系クラブショップの勧め)。効果はすばらしくて1周約3kmちょいだったと思うが1秒~1.5秒近く(正確には覚えてない)タイムが上がったのにはびっくりした。乗った感じとして印象的だったのはGが掛かった段階でもハンドルを切り増しすると自分を中心に向きが変わる感じだった事。あれでもともとクロスメンバーが通ってたらもっと剛性があっただろうと思う。
地味な事だがレガシィ(スバル)のフロントのクロスメンバーが真っ直ぐに通ってるのは車体屋から見たも魅力だったのは良く分かる。
それと同時に他メーカーエンジン横置き勢がいかに苦労してたのかも想像できるので、他メーカーの技術者も素直に尊敬する。
6.スバルの「足」の話。
レースを辞めてから借金を返し終わった数年後、元ダートラ屋の友人を通じてダートラ車上がりのGC8ーRA(初代)中古を買った。
※それまで街乗り車はトヨタ(普通の車人生)ばかりだったのでスバルに乗り換えるにあたり少し不安があったのだが、趣味の友達にスバルのメカニックがいたのでディーラーを紹介してもらって以後25年近くスバルに乗る事になるとは不思議な縁を感じる。
それはさておき、GC8で感動したのにハンドリングがある。1速~2速で曲がる車1台分の道で飛ばしてた時の事、初めての道の左コーナーでRがキツくなったのに合わせて切り込むとグイっと普通に曲がった!。
今までの車ならアクセルをダブるかハンドルをソーイングするか、ブレーキを当てるか、それぞれ組み合わせて対処するのだけれど、インプの場合ハンドルの切り増しだけで変化したRに対処できた。これにはビックリした。これがダートラで見たレガシィの速さの秘密かーと思った。
それと同時にハンドルを切り増しすると曲がる力が増えるので速度エネルギーは曲がる力に変換されて速度が落ちるのだとも分かった。逆に言えば曲がらない車は速度も落ちにくいと同時に外側に向かって勢いをつけて飛び出ると・・・
7.スバルのハンドリングですが、さらに良くしようとして何度も墓穴を掘りました。
8.初代GC8と後半のGC8はトレッドが違うので真似して初代にホイールスペーサ(何ミリか忘れた)をいれて弱ワイド仕様にしたのだがグイグイ曲がる感じがなくなった(薄れた)
9.ダートラ車上がりなのですが、何故かリヤに強め(数値失念)のトーインが付いてた。友人メカニックにトーゼロにしてもらうと低速コーナーでリヤの「曲がり」が悪くなった。フロントのアッカーマンによるトーアウトとリヤのトーインによる4WSのような効果が薄れたからだと思った。
10.センターデフはSTI強化ビスカス、フロント多分STIワンウエィLSD、リヤSTIツーウェイLSD仕様でしたが、夜中に雪道を走った感じではハナの入りが1発目を外すとアンダーが強かったです。半面、姿勢が決まると曲がるのではなく平行移動な感じでアウトに膨らみながら立ち上がるので巻き込む不安がなくて素晴らしかったですね。イメージでいえばトミマキネンのランサー時代の立ち上がり姿勢な感じ。
後日センターデフを純正ビスカスLSDに交換したのですが、何だかんだで一番乗りやすかったです。
11.ダートラ車上がりなのでフロントハブにガタがあり、1発目のブレーキ抜けとかありましたが1番恐ろしかったのはコーナリング中の突然アンダーでした。幸い事故を起こしたりはなかったのですが側溝が迫ってくるのでヒヤヒヤでした。これも純正の新品ハブに交換してもらい解消しました。この現象で怖いのがディーラーでリフトアップしてタイヤを揺さぶっても殆ど分からない(実際目の前でみてましたが深刻に見えなかった)のが恐ろしいところです。中古のGC8を買って原因不明の突然アンダーに悩まされてる方は交換してみたほうが良いかもしれません。
以上長文失礼しました。
管理人さんいつも楽しい動画を有難うございます。
リクエストですがレーシングカーデザイナーの「アンドレ・デ・コルタンツ」さんをお願いします。サスペンション片持ちの変態バイク「モトエルフ」の設計者であり、プジョー205ターボ16、トヨタGT-ONEの設計者でもある「す、ご、い」変態です。
※後日訂正。
星野和義さん→星野一義さん(日本一速い男)ですね。
失礼しました。
他に片サスだなんてその辺じゃH2くらいでしか見れないや、うん変態
タイムを出す人は、クルマ自体を壊さない傾向にあると思います。
個人的に、国内有名どころのWRC参戦経験者が運転するクルマに横乗りしましたが、操作自体はとっても早いけどとっても丁寧な操作をしていました。
ある時、某ラリーショップ社長でありWRC参戦経験者でもある某氏に、
「日本で1番速い人は?」
と聞いたところ、「星野一義」さんと即答でした。
あとは、「圭市かなぁ~」
個人的見解ですが、二輪車で浅間サーキット等のダートで速かった人は、四輪でも速いです。
レースとラリーの二刀流ができる、関根基司さんの運転が好きでした。
増岡浩さんのブルでドリフト運転は、自身の経験が少なすぎてマネできませんでした。
うちの大叔父が変態スバリストでした。レオーネ4台ぐらい乗り継いでたな。
BC5は印象的なマシンでしたネ。当時、マルク・アレンとフランソワ・シャトリオのドライブには熱くなったモンです。エグゾーストの音がスゴかった!あの、ドコドコ音が響き渡るのが良かったですネ。
私のおじさん(元ギャンブルレーサー故人)がスバリストでしたよ。レガシイ以前の!
レオーネRXのサイドシートで天井にアタマぶつけてました。もちろん私も影響受けましたともwww
アルシオーネとレオーネRX-2が出た時格好いいけど…スペック大した事無いなって思ってて、その時期に危機感感じていたって話に納得でした。
初代レガシィってツーリングワゴンが売れてて、レガシィ=ツーリングワゴンだった事を思い出します。
当時はステーションワゴン=商業車・営業車のイメージが強く、ツーリングワゴンが出てからそのイメージを払拭して、その後各メーカーが後追いで出すって言う図式でブームの先駆者でした。
しかしセダンは各社同クラスに多種多様な車が多く、レガシィは内外装地味で目立たなかったと感じます。
RSが出た時も他社製品より地味で、ラリーの活躍がクローズアップされるまで注目されなかったと記憶しています。
自分もいいなって思ってたけど、クーペのST165やハッチバックのファミリアの方が好みで、しかもレガシィにクーペが出るかもってガセ信じて期待してたからセダンは眼中無かったですね…今考えたら220PSのエンジンや軽いボディとフルタイム4WDで、ドアはサッシュレスとよく出来た車だったと感じ、もしかしたら少し時代先取りしてたかも知れませんね。
スペックはお飾り
ようは中身
あの時代にABSやVDCとかすげーよ
会社の先輩が初代のレガシィを買って間が無い頃雪が降ってきたら
四駆だから雪に強いんだぜ
と会社の敷地内を急加速してから急ブレーキ
輪止めにタイヤを思いっきりぶつけてサスがひん曲がった
制動と四駆は関係無いってえの
パイセン、絶頂から奈落へGO!
日産系ディーラーの営業マンでしたが、BF1のRS-TypeRAが愛車でした。R32TypeMとの二刀流でしたが、走行会にツーリングとあらゆるシュチュエーションでレガシィの方が優れていた。スバルに勤めれば良かったと後悔しました。お客様がついてくれなかったらスバルに転職したかった。もう一度走りたいが、中古車相場で300万〜500万円なんて不可能!相場の吊り上げしてる奴らが憎い!決断力の無さに後悔…。
待ってましたレガシィ!
初代RS-RAが欲しがったですが
当時免許取立てでは
色々叶わずw
月日がたちワゴンボディですが
BH5アプライドCの
CPチューンブーストアップ仕様
で楽しんでました☘
今でもいい思い出です。
こんにちは😀
当時の車雑誌を読んでいたら、読者投稿コーナーに「○○サービスエリアに駐車していたレオーネから、ツインカムの音がしていた!」というのがありました。
いまだOHVエンジンを積んでいたレオーネが次モデルにはいよいよDOHC化されるんだ〜👏と思っていたら、レガシィが現れたんだよね。あれは感動的だったな。
レオーネの頃は「パワーがない」「サイドブレーキが前にあるからサイドターンに使えない」とモータースポーツにも使えない車だったがレガシーが出たときは「スバルもやればできるじゃん」と思ったね
スバルは大衆が使える車を考えたからFF導入したんだよな
馬鹿なトヨタの車は曲がらない殺しの車が今のプリウスに繋がる
@@kathuyaaa-1115 プリウスdisるのはどうで良いがFFがダメとか言ってないぞ。
もう少し勉強してから書こうや
親戚が初期のスバルの社員だったスバル360からずっとスバル車を家族が乗ってました。
レガシィは名前に通りの車になりました。レガシィの乗り心地最高でした。嬉しい情報ありがとうございます。プロドライブも知らない人間でした。
マルク・アレンに『more power』って言われてたのが懐かしい。
ノーパワーノーエンジン!
とも言ってました。
「アイハブ、ノーパワーノーエンジンカー」
と、本人の前で言ったら、ちょっとウケました。
レガシィがあったからこそ、今のスバルがある。
レガシィといえば、確かうちの父親が3世代乗り継いでたような…
後ろでクッソノロノロ走ってる360君かわいい
初代のレガシーRSタイプRAに乗っていました。パワーもすごかったけどブレーキもすごかったね減速性能は特筆ものだったよ。
『名は体を表す』を地で行ってる車。
前期BC5レガシィRS-RAに乗ってダートラしてました。
わたしもRAに乗ってダートラに出ていました。
よくスバルを捉えているね。親戚のアニキが(何しろお膝元の大泉だったから)初代レオーネ1400GRXに乗っけてもらった。もう50年前だなあ。いや、このスレすごく面白い、分かりやすい、素晴らしい‼️
レガシィといえば、ツーリングワゴンのイメージも強いです!
F1の話の前に、WEC(世界耐久選手権)の話もあったとSTIの元常務の成田さんがおっしゃっていますね。ポルシェ956/962が水平対向エンジンたったから触発されたのかな。ちなみにF1はミナルディと組むことがほぼ決まっていたとのこと。
初代レガシィかっこいいから好き
初代BCレガシィは、今でも格好良いし、欲しい。
ツリ目の前期型が、格好良いし、好き
RS―RAが欲しかったんですが100台限定の為買えず、RS―RのA型を買いました。
初期型ホイールは、サファリラリーに耐えられるほどの強度を持ったホイールなのに、めちゃくちゃ軽いと言う理想的なホイールでしたが、B型になってコストダウンにより普通のホイール能力になってしまいました。
納車は、何故か鉄チンホイールで納車され、3ヶ月後にアルミが届きましたので、鉄チンホイールはそのままスタッドレス用になりました。
国内外ラリー関係者にいっぱいサインをもらったのも、このクルマのおかげでした。
初優勝のマクレードライブは、神がかってた‼️
でもその後、ホームラン打者の様なSSトップタイム出すか、車壊してリタイアかの危ない若さが出てた印象だったね
555カラーも、レガシーよりインプの方が定着して、スバルも四天王(ランチア•トヨタ•三菱•スバル)で次点にFordで、最後は頑張れシュコダ‼︎ww
BC5 レガシィ CタイプのRSタイプRAに乗っていました。受注生産車なので納車に時間がかかりました。
ノーマルのRSとはかなり違う車でした。足回りはノーマルで丁度良い感じでそのまま乗っていました。
正にスバルに一大革命を齎した救世主ですよね。^^
スバルはコーナーそのまま曲がっていってましたね トヨタはコーナー曲がんないのでアウトにふってドリフトぎみに曲がってましたよね
初代が出たときのテレビCMで、バッハの音楽が流れるのが最高にカッコよかった
初代CMのコマソンはルイジ・ボッケリーニの「マドリード夜警隊の行進」でした。バッハのトッカータ&フーガニ短調が流れたのはは2代目レオーネの初期CM「明日と語り合った」です。
360の玩具感がたまらない魅力。先日千葉の田舎で個人宅の伐採してる時、屋根付き駐車場に止まって埃だらけのアルシオーネ観た時の感動。
LEGACYがSUBARUのディーラーに納車されて初めて公道を市場した30数年前を思い出します。
運転して思った事は、3名の同乗者は速さに驚いておりましたが、運転していた私は全く速さを感じず
メーターを見て初めて相当なスピードが出ていた事を感じました。
あくまで市販車のLEGACY RSでしたが、ブレーキの効き方はマスターバック無しの感覚で、踏力でガツンと効かせる良い感覚でした。
※そしてレオーネのラリー出場の原点となり、黄金のSUBARU3連覇に導いた3人の侍【小関親分・久世元STi社長・高岡祥郎氏】は、今頃天国で何を語っているのかなぁ〜
レガシー、いい車でした、バランスがいい、乗るたびに新鮮さを感じさせる車は、後にも先にもレガシーしかありませんでした❣❣
もう「レガシー」とか「ビビオ」はツッコんだら負け…
「ビビオ」→「ヴィヴィオ(VIVIO)」アルファベットは“V”だからウ濁音の筈だけど非常に混乱する!
※因みに、ヴィヴィオの前身レックス(3代目)の初中期型に「ビキ」→「ヴィキ(Viki)」や特別仕様車「ビッキー」→「ヴィッキー(Vicky)」のケースも…
ん?まあ、それをやったら負けだと書いたつもりですが。
ギャランVR-4とレガシィは
切磋琢磨して強くなっていった
いまや、3ナンバーの車しか造ってないメーカーだもんな。
昔、WRCのメカニックで高校の同級生が映っていたな。
スバル車はとにかく頑丈!
昔親父の経営する建築屋の職人が
杜撰なヤツで海辺の駐車場に貸していたうちの作業車のサンバーの箱バンをほっぽらかして夜逃げ。
半年後にようやく見つけてバッテリー持ってってエンジンかけたら一発始動!ブレーキ、クラッチ固着なし。同年式のスズキ車は似たような境遇の車はクラッチ、ブレーキ、アクセルワイヤーまで固着
三菱はデスビが脆く雨の日止まる。
本当に驚いた思い出。
スバルに勤めてた友達が初代のレガシィに乗ってました。
懐かしいです。
レガシィツーリングワゴン✕3台、WRXワゴン✕2台乗り継いでレガシィB4に戻ってきました。
やはりいい車
面白い話で勉強になったぜ👍
聞き慣れない専門用語が飛び交うので細かい点は理解でにないところもあるがつかみ、話の流れは面白い。しかし、番組主は車マニアなのは間違いないな😁
BC5 RS-RA海苔の変態として一言、レガシーではなくレガシィです。
最後のクルマになるかも知れないとの思いがレガシィの車名から伝わってくる
レガシーが出た時に、一発目に感じた事「高いカローラ」デザインの共通性と、エンジン音が無難になって、そう感じた。レオーネは、遠くから聴いても水平対向だと感じるエンジン音だったと覚えている。
初期のスバルレガシィですね。私のお気に入りでした。セダンとステ一ションワゴンの2種類でした。ブルースウィルスのCMをおぽえてます。スバルの救世主ですね。
いい車です。ファミリアGT-Rの後はこれか、インプかで悩んだ。どっちも買えなかったけど。
レガシー懐かしいです
父ちゃんがレガシー乗ってた頃、
雨が降ってるのにレガシー乗せられて海辺まで走って車の中でお弁当食べたり、キャンプとかって細い恐ろしい山道を爆走したり、時々エンジン音に「おお、オイル変えたからご機嫌だね!」って話しかけたり…
あれ?父ちゃん重度のスバリストだったんかな?
BC5は初期型2台、後期型1台の計3台乗り継ぎました。
現在のスバルの原点のような車だと思います。
尾木ママも初代レガシィに乗ってて一番のお気に入りの車だったらしい。
レガシィ以前のスバル車って、デザインからして古くて稚拙だったからな。最終レオーネのラインとか完全に平面。
トヨタとかだと四角いクルマでも先端に向かってラインを絞るなどしてたが、スバルは全くまっすぐで学生が適当に線を引いたようだった。
レガシィでようやく他社並みの近代的なクルマだったので、これ出さないとダサいメーカーとして終わっていたろう。
最初に買った車でした サーキットとか走ってましたね 今でもスバリストです
フルエアロのツーリングワゴン乗ってたな〰️(*´∀`*)
雪道でも安心して振り回して遊べる楽しい車でした。
サンルーフの雨漏りやらパワーウインドウが動かなくなったり足回りの故障やらで色々金かかったけどボクサーサウンド聴くだけで満足だったな♪
レガシィと言えば、寧ろツーリングワゴンだったと思うのですが?
販売台数では ワゴン>>>>セダン でしょ?当時のワゴンブームの火付け役だったし。
あと、ロールゲージやない、ロールケージや!!
レガシィRSとインプレッサ555のアイドリングのばらつきが、好き。
4ドアが欲しくて、ギャランVR4とスカイラインGTS-4とで悩んでました。結局4ドアを諦めGT-Rになってしまいました。
なんで?と聞く人に答えた内容は、三菱の営業は駄目駄目で、なんで他社の車をけなす事しか言わないので不愉快になった、そしてGTS-4はカタログスペックで車重は5ナンバーなんだけど、実際はTYPE-Mにフルオプション+4wd搭載車になるので、実車の重量がカタログどおりじゃないとの判明した。後日担当の営業さんが、納車前に重量を測ったら1.7t越えてたって聞いた。(2リッター車が2.6リッター車より思いってワロタ)
そして、2ドアならセリカが候補に加わったけど、知人がセリカは飽きる、セリカよりスープラが良いとか言うので、最終的にGT-Rしか残らなかった、まあ、車を購入する為にNS-Xをキャッシュで購入するくらい預金があったのだが、三菱の営業な何度から何度も電話があって、安価なローンがあるので、これで、VR4を購入されてわ、と余計なお世話ばかりするので、車はいいものか知りませんが、貴方が嫌いなので購入を止めましたと言い切ってやったら、2度と電話が来なくなったよ。w
ホントまじレガシィで来ましたョねー!富士重は!よかったよかった
初代もセダンは当時の感覚でもスタイルは野暮ったい感じだった記憶がある
注目されたのはステーションワゴンが出てからだと思う
B4ブリッツェンの走行場面が胸熱ですねw
私は黒のブリッツェン2001ツーリングワゴンに乗っていたのであのデザインは大好きです。
今はBPE乗りですがボクサー6が好き過ぎてレヴォーグに乗り換えられないのが悲しい、、、、
ちなみにスバル好きとアップル好きを併発しているので『ど変態』呼ばわりされていますwww悲しい、、、
6発の滑らかさはは4発に遠く及ばない、素晴らしい。BLのA型レガシー乗りです
@@blss8613
良いですね、B4も好きですが仕事柄物を積むのでツーリングワゴン一択です。
BPEのA型をガソリン高騰時に手放して、今はC型を乗っています。
すみません・・・バックのスバル360の遅さが気になって
解説が頭に入ってきませんでしたw
レガシィは、もちろん当時からWRCみてた自分としてはWRCでの活躍を推したいところですが、どっちかっていうとモータースポーツより市販車の方の印象が大きいですね。CMにブルースウィリスを起用したり、あとなんといってもツーリングワゴンの爆売れですよね。今は普通にワゴンって市民権得て、普通に若者やファミリーカーとして定着してますけど、レガシィツーリングワゴン以前は商用車だけのイメージでしたから。今のSUVというジャンルを定着させる先祖のRVブームの元祖がレガシィツーリングワゴンでしたものね。スバル内部でもそういう印象のが強いんじゃないですかね。どちらにせよ、スバルの救世主だったと思います。開発費をぶっこめたのはバブルだったってのもあるかなって思います。
レガシー出た時有恒先生が惚れ込んでたもんね。
F-1かぁ😊スバルコローニでしたっけ
本戦に出場なしで撤退しちゃいましたよね😅
スバルは水平対向、でもコローニはV型を想定してマシンの設計をしてたんですよね😭
スバルのF1エンジンは水平対向ではなくVバンク180度のV型エンジンです
@@toshi_rs 学術的にはそうでも一般的には対向してたら水平対向通じてるからいいよ
それともフェラーリにも喧嘩売るのかい?
@@kureyon-shinchan まあ、それもそうですね。
フェラーリはちゃんとV型って言ってますよ。TRとか512BBとかですよね。
レオーネなんかはサイドブレーキ引くとフロントタイヤがロックするからなあ
車屋勤めてる頃1度だけ見てびっくりした
アルシオーネは触ったこともないからわからねー
レガシー乘ってたよ。とにかく零戦(れいせん)栄21型のエンジン音がするのがすごく楽しかった。ひゅ~んひゅ~んと言う音がした。今はマフラー設計変わりしないらしい。
最近のグランツーリスモだと、レガシィはブリッツェンとかしか無いんですよね・・・
GT2ではたーくさん選択肢があったのに、悲しい。ゲームの世界だけでも乗りたいのになぁ。
今でも実車でGC8G型STiに乗ってる自分としては、5ナンバーサイズのレガシィは現在でもスゴくカッコいいと思うんですけどねぇ。
グランツーリスモSportや現時点でグランツーリスモ7にレガシィの収録は無いですが、グランツーリスモ6はブリッツェン以外にも収録されてますよ
スバルの技術と情熱を凝縮したハイパフォーマンスセダン&ワゴン
「当初はレオーネ搭載を考えてテストをするも今度はエンジンの出力にレオーネの車体が追い付かない」面白いなぁ。
こういう話は何時聞いていてもよだれが出そうになる。
レガシィの運動性能、へばり着く走り名車レガシィ好きです。~
初代レガシィツーリングワゴンのターボから3台目レガシィランカスター3000ccH6まで乗っていました。
変革の車なのに名前がレガシーなのは面白いね
レガシィ爆売れの時代にスバル版ロードスターを作れなかったものか?又はMRS
ドライサンプでこれを作れていたらトヨタと一緒にならずにすんだかも
楽しい動画をありがとうございます。私はOHCレオーネからのスバリストです。「変態」を否定する言葉が一切見つかりません。軽トラに4気筒スーパーチャージャーを搭載する変態メーカーが大好きでした。
スバリストが変態である以上に、その車を作る連中のほうが数十倍変態でしたね。
今は優等生になってしまいましたが。
逆にプロドライブにとってもM3ではターマック以外では期待できなかったし、スバルとの参戦は是が非でも成功させないと後がない状況だったんだよ。
当時は4wdターボなんてグループAベースとなり得るクルマ自体がレアだったし。
ミツビシストが通りますよ。
今でこそパジェロのヒットやエボ系統は四駆制御の博士が開発してて「四駆のミツビシ」って言ってますが。
四駆の元祖はそれこそアウディクワトロよりスバル・レオーネだよね?って思ってます。
当時高校生だったけど、トヨタマークⅡ系統、日産ローレル&スカイラインがひしめき合ってる2Lセダン市場にスバルが勝負しても勝ち目ないって言われながらデビューした。
まさに言葉どおりのレガシー でしたねえ。ちゅうか GTRを 本気で追い上げていたことについても 言わないとねえ尺の問題もありましょうけどスバリストたちから言われまっせ‼️半端したらいかんデー〜〜
「レガシー」じゃなくって「レガシィ」っすよ!
BC5のRSが雑誌で220馬力と出ていたのを見て、ウソじゃねえのか思ったよ。
レオーネなんてGTターボが1.8lで135psのEA82ターボしか作れないメーカーがそんなすごいエンジン作れるわけないだろうと疑わしい目で見ていた。
当時最強のギャランVR−4に馬力で上回っちゃったもんだから一気に馬力競争でトップに登り出てしまってスバルが一気に注目される存在になってしまったのが懐かしい。
親父がレオーネからレガシィに乗り換えて、自然吸気エンジンだったが通常域では大人しいのに回したとき結構パワーあると感動した思い出があります。
本当にレガシィは富士重工の救世主ですわ。
レガシーはスバルの救世主だったね😊
初代レガシーは格好良かったしな〜
WRCの最初の頃はディーラーエンジニアで整備してたよね〜
コロー二へのエンジン供給は余計だったかなw予備予選落ち常連だったしな
エブリィ4駆でも雪坂おっかなかったが、ミラバンFFでも雪坂平気な事を最近乗って知った事は内緒🙊💓
やっぱり、車はデザインが大事ですからねェ❗😷レガシィ前のデザインはよっぽど好きじゃあないと買わないわなァ~😅
節子、レガシーちゃうやろ!レガシィじゃあ!