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私は50代になってからの独学で3年8ヶ月程になります。小中高大と日本の教育システムで育つと「入門」「初級」「中級」「上級」という段階を意識してしまう気持ちは解るんですが、他人と比べた自分の位置・場所を知る事に拘る必要は全くない、意味がないと思っています。また、一生を終えるまでの時間を短く考えるような方が多いようですが、子供時代の時間のなさと、大人になってからの時間の無さは性質が変わると思います。子供時代は例えば3歳~22歳までの19年という限りが現実にありますが、大人になってからは物理的な時間は全く関係なく、本人次第の精神的な時間・余裕がどれくらいあるのかの問題でしょう。そもそも初級・中級という明確な境はないですよね。そんな事を意識するより自分の身の丈にあった曲を数多く経験して、それぞれの曲のテーマ・特徴・テクニック・素晴らしさを身体で理解し続ければ、中級と言えるかも知れないレベルに自然に上がっていくのだと思います。自分のレベルを上げる事にばかり意識してしまう方は「レベルが上がらない」と解った瞬間にせっかく始めたピアノという素晴らしい取り組みを放り投げてしまう可能性が高いのではないでしょうか。レベル向上を意識するより「やめない事、続ける事、音を楽しむ事」が一番大事だと思います。ライブ動画内で野口先生も仰っていますが、一見つまらないと思われるような初級曲の中にその曲の素晴らしい点をいかに見つけるのか?が重要だと思います。例えばバイエル教則本の中にも、とっても叙情的で素敵な曲がたくさんあります。そもそもバイエル前半だけを眺めてみてもCからGまでの僅か5本の指だけで「よくぞここまで曲にできるな」と感心しますし、それを約200年とういう長い年月を経て、現代のおっさん(自分)が学んでいる事に真摯な気持ちになったりします。今からプロになれる事はそもそもないのですから「レベルUpを急ぐより楽しむ事、自分の音を追求する事」が大人ピアノには大事だと思います。
ステキなお考えだと思います😊
ドMは初心者でも「弾けるようになるまでその曲だけを練習して」カンパネラや熱情第三章に手を出すものです。 そして、腱鞘炎になろうが、他人に無理だのバカだの言われようが どーでもいいんですよ。 「この曲が弾けるようになりたい。どーーーしても」って気持ちが止まらない、諦められないのです。 楽譜をみて愕然としてますが、1音づつ音符にフリガナ振って頑張りますー。 楽しいでーーす。
ハッキリ言って大人でも子供でも中級者になれる人は、それを「目指す」とか必死に頑張らなくても、初級課程なんかアッという間に通過して中級の入口に立つものだと思います。そしてそれくらいの人でないと、中級を先へと進んでいけないでしょう。中級を目指して「頑張っている」時点で、初級を終えるあたりまでが限界ではないかと。また「中級者」と、1つの中級レベル曲を何ヶ月か何年かしらないが延々と練習して何とか弾けるようにした人では、実力的に雲泥の差があります。後者の実態は初級者なんですよね…実力相応の曲を練習しているのなら、1ヶ月もあればほぼ問題なく弾けるんですから。そう考えると、真の中級者ってそんなに多くないと分かります。(誰でもなんとかこなせるレベルを初級、そうでないのを中級というのだ!)それにしてもよく聞く「弾きたい曲はどれも自分の実力を大きく超えている」現象、私にはまったく理解できません。「少し練習すれば弾けそうな弾きたい曲」ってそんなに無いものなんですか?私はピアノを再開してからそういう曲ばかりもう何百曲も弾いていますが、弾いても弾いても尽きることがなく、楽しくてしょうがないです♪そして、そのようにして続けていけば「少し練習すれば弾けそうな」レベルも、いつの間にか上がってきます。上達は難しい曲と格闘して力づくでもぎ取るものでなく、ふとした折に静かに感じるものですね。
最近は、初級・中級・上級はあてにならないなと思っています。初級に分類されていても、キチンと演奏するのは難しいです。ただ、音数が多く、速いパッセージを無理して弾いていると私のようにジストニアなど故障の原因にもなるので、注意は必要だと思いますが、「難しさ・難易度」というのとは少し違うように思います。
仰る通りだと思います。難易度には様々なアプローチがありますね😃
私は50代になってからの独学で3年8ヶ月程になります。
小中高大と日本の教育システムで育つと「入門」「初級」「中級」「上級」という段階を意識してしまう気持ちは解るんですが、他人と比べた自分の位置・場所を知る事に拘る必要は全くない、意味がないと思っています。また、一生を終えるまでの時間を短く考えるような方が多いようですが、子供時代の時間のなさと、大人になってからの時間の無さは性質が変わると思います。子供時代は例えば3歳~22歳までの19年という限りが現実にありますが、大人になってからは物理的な時間は全く関係なく、本人次第の精神的な時間・余裕がどれくらいあるのかの問題でしょう。
そもそも初級・中級という明確な境はないですよね。そんな事を意識するより自分の身の丈にあった曲を数多く経験して、それぞれの曲のテーマ・特徴・テクニック・素晴らしさを身体で理解し続ければ、中級と言えるかも知れないレベルに自然に上がっていくのだと思います。自分のレベルを上げる事にばかり意識してしまう方は「レベルが上がらない」と解った瞬間にせっかく始めたピアノという素晴らしい取り組みを放り投げてしまう可能性が高いのではないでしょうか。レベル向上を意識するより「やめない事、続ける事、音を楽しむ事」が一番大事だと思います。
ライブ動画内で野口先生も仰っていますが、一見つまらないと思われるような初級曲の中にその曲の素晴らしい点をいかに見つけるのか?が重要だと思います。例えばバイエル教則本の中にも、とっても叙情的で素敵な曲がたくさんあります。そもそもバイエル前半だけを眺めてみてもCからGまでの僅か5本の指だけで「よくぞここまで曲にできるな」と感心しますし、それを約200年とういう長い年月を経て、現代のおっさん(自分)が学んでいる事に真摯な気持ちになったりします。
今からプロになれる事はそもそもないのですから「レベルUpを急ぐより楽しむ事、自分の音を追求する事」が大人ピアノには大事だと思います。
ステキなお考えだと思います😊
ドMは初心者でも「弾けるようになるまでその曲だけを練習して」カンパネラや熱情第三章に手を出すものです。
そして、腱鞘炎になろうが、他人に無理だのバカだの言われようが どーでもいいんですよ。
「この曲が弾けるようになりたい。どーーーしても」って気持ちが止まらない、諦められないのです。
楽譜をみて愕然としてますが、1音づつ音符にフリガナ振って頑張りますー。
楽しいでーーす。
ハッキリ言って大人でも子供でも中級者になれる人は、それを「目指す」とか必死に頑張らなくても、初級課程なんかアッという間に通過して中級の入口に立つものだと思います。
そしてそれくらいの人でないと、中級を先へと進んでいけないでしょう。
中級を目指して「頑張っている」時点で、初級を終えるあたりまでが限界ではないかと。
また「中級者」と、1つの中級レベル曲を何ヶ月か何年かしらないが延々と練習して何とか弾けるようにした人では、実力的に雲泥の差があります。
後者の実態は初級者なんですよね…実力相応の曲を練習しているのなら、1ヶ月もあればほぼ問題なく弾けるんですから。
そう考えると、真の中級者ってそんなに多くないと分かります。
(誰でもなんとかこなせるレベルを初級、そうでないのを中級というのだ!)
それにしてもよく聞く「弾きたい曲はどれも自分の実力を大きく超えている」現象、私にはまったく理解できません。
「少し練習すれば弾けそうな弾きたい曲」ってそんなに無いものなんですか?
私はピアノを再開してからそういう曲ばかりもう何百曲も弾いていますが、弾いても弾いても尽きることがなく、楽しくてしょうがないです♪
そして、そのようにして続けていけば「少し練習すれば弾けそうな」レベルも、いつの間にか上がってきます。
上達は難しい曲と格闘して力づくでもぎ取るものでなく、ふとした折に静かに感じるものですね。
最近は、初級・中級・上級はあてにならないなと思っています。
初級に分類されていても、キチンと演奏するのは難しいです。
ただ、音数が多く、速いパッセージを無理して弾いていると私のようにジストニアなど故障の原因にもなるので、注意は必要だと思いますが、「難しさ・難易度」というのとは少し違うように思います。
仰る通りだと思います。難易度には様々なアプローチがありますね😃