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家康の子の中でいちばん生きていたのが家康が嫌っていた忠輝っていう皮肉
老化は紫外線の影響が凄く大きいからね一生涯幽閉されてると日光浴びないから中々老いないかもしれない
幽閉ってそんな囚人みたいな生活じゃないと思いますよw
こんな奴に付き従う従者が一番哀れ
憎まれっ子世に憚る
以外と幽閉されたり隠遁したりすると長生きするもんよ足利尊氏の子で一番長生きしたのは皮肉にも殺し合いをした直冬だし
忠輝が92歳と長生き出来たのは最終的な流罪先の諏訪で地元住民との交流や諏訪湖で水泳等のある程度の自由行動が出来たおかげで心身共に健康でストレスフリーな生活が出来たからなのかもしれない。ましてや政務や領地運営等の神経を使う仕事に携わる事もないので尚更の事。この点においては同じく長生きした宇喜多秀家と生活環境が一緒なのかもしれない。
あと、諏訪の銘酒・真澄を愛飲してたとか……🍶
同じ信濃で最晩年まで隠居もできずに子孫の後始末などストレスに振り回されながら93歳まで生きた真田信之…
@@じろうコマ-q7m ある程度自由な流人と大名の違いかな……?
@@じろうコマ-q7m ま、まあ人間色々なタイプがいるから・・・・・やることがなくなると案外急にポっくり逝ったり老け込む人とかなんかは多少忙しいぐらいがいいまあ真田信之は多少忙しいどころじゃないけど・・・・・
真田信之『ワシも歳なので隠居したい』幕府『 ダ メ ♡ 』😂
67年も幽閉されながらも、家康の息子の中で1番長生きしたという皮肉そして今や桜の花見で有名な高田城の築城に携わったという功績も地元民からすると嬉しい
義父伊達政宗が富岡あたりに宿泊して高田城築城を差配したとか、ウイング辺りに行くとこの辺りで泊まっていたのかなぁなんて思います
@@ぞっきいゆっきい 新潟と宮城、近いようで遠い場所ですがこういった繋がりを知るとなにかロマンを感じますね
@@白鳥上沼垂 仰るとおりです。そういうロマンを感じるから歴史好きには堪らないんですよね!
つか一番家康の息子で一番長生きしたのがこの忠輝なのがなんつうか皮肉過ぎるわ。
ゆる幽閉、逆に楽だった(肉体的にも精神的にも)説。・・・って事は現代人もゆる幽閉?
(*ΦωΦ*)将軍様の食生活ヤバいからねあれは早死にする
@@弓原家康の死因は胃がんだよ天ぷらの食べ過ぎは死因にならないただ、脚気で亡くなる徳川将軍が多かったから、食事に問題無かった訳じゃない
@@1どらごん 天ぷらとは言ってないだろ。胃がんだと井戸のピロリ菌だな。だが将軍様というか昔の人の炊飯の水がヤバいってことだ。歴代将軍っていうのは、獣肉を食わないので、短命だったかもな。遺骨の顔が貴族化って肉を食ってないだろ。大名の若殿も早死にする理由は、乳母の白粉の水銀だろ。水銀は見た目が奇麗なので、始皇帝は飲んで長寿になろうとして50代で亡くなった。脚気はビタミン不足の銀シャリ(白米)のみで野菜も食わずに、江戸時代の人は肉食も少ないので背が低い。関ヶ原で負けた宇喜多秀家は八丈島に島流しで、福島正則の家臣に酒を恵んでもらうほど飲酒量も少なく不自由だったが84歳まで生きた。勝ち組の小早川秀秋は酒の飲みすぎで早世。今の百歳以上も飲酒・喫煙が少なく、牛乳を飲むのは多いので長生き。
長男→謀反疑惑で切腹次男→34歳?で亡くなる三男→江戸幕府2代目将軍四男、五男→20代で亡くなる六男(忠輝)→92歳まで生きたけど、人生の軽く半分以上幽閉生活七男→6歳で亡くなる八男→家臣の養子になった?らしいけど6歳で亡くなる九男、十男、十一男→御三家になる家康の息子さんって半分以上安泰な人生送る、もしくは天寿を全うしてないな
途中で宗家の血は断絶してるし、呪いでもかかってそうだよね……
@@bluestar_1213 結果、徳川家の血筋は頼宜を祖とする南紀系統と頼房を祖とする水戸系統のみとなった。
家康の孫が雑賀孫市(水戸徳川家から鈴木家に養子入り)となったのはビックリ。
もしかして秀忠いないと徳川幕府ってやばかったんじゃないですか?
まあ「徳川の子」ていう立場のプレッシャーだけでも、相当重さがあっただろうし…他の有名な武将も二世になると途端に脆弱になっちゃったパターン多かったからね…
政宗が忠輝によくしてあげたのは家康から嫌われている忠輝を母から忌み嫌われた幼い頃の自分に準えていたからじゃないかと思う
種だけ撒いたらあとは生まれてくるのを待つだけみたいな父親と違って自分の腹痛めて産んだ母親から疎まれるって相当だよな
それはあるかも……?
大河ドラマだと、忠輝を担ぎ上げて天下への野望を成就したいという思いと、忠輝に若き日の自分を重ねてる感じだったな。
近年の研究だと毒殺未遂事件も後年の捏造が有力だし小田原参陣後に政宗が義姫に贈り物を頻繁に届けていたりマメに書状のやりとりをしていた事もわかっているから(書状も現存する)母親から嫌われているとか母子仲が悪いとかいうのは否定的な説になっていますよ。
政宗と母親との間に確執があったという説は最近では否定されていますけどね。
留守居が裏切ると大坂から撤退しなければばらなくなるから、相当信頼されてたと思うけどな人の心とプライドは難しいものだね
夏の陣のミスさえ無ければそれなりに認められたんじゃない?とかみてて思いましたよね
@@si-rh5mo 隆慶一郎先生の小説では忠輝の軍勢は武功をたてたけど秀忠によって記録を消されたとされている。幕府の記録にはないけど他藩の記録では全軍の順位では討ち取った首の数は13位。
五郎八は忠輝と離縁させられたあと、再婚せずそのまま独身を貫いたんですよね…。なんというか、切ない話ですよね…。
生涯仕送りしたかもですね。
人生の大半を幽閉生活を送り5代将軍綱吉の頃まで生きていたのか。正式に赦免されたのが死後300年経ってからとか扱いが酷いな。
この人が赦免されたきっかけもまた凄いんだよね。昭和の頃に菩提寺の住職の枕元に立ってそろそろ許してくれないだろうかと願ったんだよね。それを受けて当時の住職が徳川家の当主にその旨を書いた書状を何度か送ってようやく謹慎が解かれたみたいだし。
能楽のストーリーに有りがちなエピソード。実行されたのは能好きな人が多かった徳川家ならではですねぇ。
最近は家康との仲はなんだかんだ70万石以上の領土を与えられたことを鑑みてそれなりに埋まっていたとの説もむしろ秀忠との仲が険悪だったらしい
そう思うと秀忠って他の兄弟との関係があまり良くないような。ドラマでは秀康の暗殺を指示した設定もありましたし。
@@ニクタ-u6u まあ史実では秀忠は秀康、忠吉とは仲が良かったらしいが特に忠吉は同腹の弟だった事もあり死んだ時にめちゃ悲しんだらしい
諏訪では意外と自由に行動出来たりしてたようなのでやはり寿命にストレスが関係するのはいつの時代も同じですね。
大河ドラマ「独眼竜正宗」では、今、最も輝いている真田広之さんが忠輝の役を演じていましたね!!!18部門での受賞、おめでとうございます&ありがとうございます!こんなわけ分からん時代に明るいニュース、本当に嬉しいです!!!!!!!!!!
私も独眼竜政宗見てました❤そう言えば1人だけいけ好かないクソ生意気なキャラが居たけど、今思うと、アレが忠輝だったのね❣️(⚠️実は私、真田広之さんのファーストアルバム持ってる💕似合わない役演じてるなー、あーあ、と当時ファンながら思ってました‥今そのパパ(がモデル)の役を演じてハリウッドで人気が出るなんて‼️人生って皮肉ですよね💧😅)
後に主役の時に夫婦役となる沢口さんとは、この時も夫婦役だったな。
冷遇されていたのに、忠輝は歴代の徳川家の中で一番長生きしたのは、『皮肉』ですかね・・・・😓
ある意味、毒を全部引き受けたのかもしれませんね^^;;;おかげで15代260年。スピリチュアル過ぎですね🤣
92まで生きて天寿全うしたって事は監視されてたがなんだかんだ行動の自由以外は不自由無く暮らしてたって事なのよね。
忠輝を本当に嫌っていたのは家康ではなく、兄の秀忠だった説もある。家康存命中は書状等で叱責こそされてはいるが目立った処罰は受けておらず、むしろどんどん加増されてた。秀忠の代になって急に改易されたのは、徳川一族を将軍宗家と御三家のみにまとめて権力争いを予防しようという秀忠自身の政権構想もあったのかもしれない。現に、秀忠の兄である結城秀康の長男・松平忠直も幕府に反抗的であるなどを理由に配流に処されている(家自体は越後松平家として残ったが
駿河大納言忠長も過度な素行不良、大坂転封を望んだりして秀忠の怒髪天を突いて改易に処されて全てを失い破滅した。豊臣秀頼排除においても一番積極的だった説もあり、身内への容赦の無さでは家康以上だったのかもしれない・・・・・・・・
一説には秀忠は忠輝を切腹させるように家康に進言したとか家康はさすがにやりすぎだと取り合わなかったらしいけど
@@1987lionkid 大河ドラマの葵徳川三代では家光が忠長を疎み秀忠が忠長を庇う構図ですが実際は逆だったみたいですね
@@kestgentle5782 秀忠は規律を乱したものにはめちゃ厳しいからな。規律を守らない忠輝と合わないのは仕方ない
そして秀忠様当人は、孫(家光様)が可愛いお爺ちゃんと化した父親と長男より弟(忠長様)が可愛い奥さん(浅井三姉妹で淀君様の妹)との間で挟まれる羽目に・・・・・・
幽閉されてこんだけ長生きできたって、案外諏訪の暮らし自体は肌にあってたのかもな。
幽閉先の諏訪は武田勝頼ゆかりの地でその勝頼も信玄にあまりよく思われてなかったとも言われているので、武田旧臣を多く召し抱えた徳川家にとっては、どこか運命を感じますね。
兄貴の秀康も嫌われてたし家康は兄弟で待遇に差つけすぎなんよなぁ
従順な息子以外はいらないというのが家康
それだけお家の存続を最重要としていた証。
秀康は要地の藩主になってるから言うてそんなに秀康の頃の福井藩は加賀前田、薩摩薩摩、徳川御三家以上の名家で徳川幕府も手出しができないほど大きな藩だったし
秀康はむしろ優遇されてた秀忠に後継を取られたと言われるが元々庶子である秀康が徳川家を継げる可能性は元からなかった代わりに跡取りの秀忠の庶兄として制外の家(将軍の命令を聞かなくてもいい家)になり75万石の太守に任命されたのだから
家康は陰湿
伊達政宗あてがわれたんだから、期待されてた筈なんですけどね。冷たくしたのは、鍛えるためじゃないのかなー。でも、にーちゃんの家臣切っちゃうのはダメだよね
この『にーちゃんの家臣を斬った』という話……かなりキナ臭い話なのです忠輝の軍勢は予定よりかなり遅れて進軍していたのですが……秀忠の家臣が『軍勢の前に割り込んで馬を乗り付けた』というのですこれは当時の感覚ならその場で殺されるのが当たり前なのです秀忠の部下のほうが忠輝の軍勢を避けないといけません💦(どちらの主君が立場が上か?なんて全く関係なく、合戦関係となるとお互いの為にこうなるのです)忠輝の部下はこれを見逃すと処罰されるわけで……まるでこういうトラブルが起きるのを呼び込んでいるような極めて非常識な行為なのです少なくとも【まともな武士】は絶対にしません (;゚д゚)なぜこの事件が起こったのか?全くの謎なのです………
信康、秀康、忠輝は血の気が多いイメージがある
92歳まで生きたなんて凄え
家康って親に育ててもらってないから父親というモノがどういうものかよくわかっていなかったんじゃないかと思う信康・秀康・忠輝あたりの我の強いタイプの息子には恐ろしい位冷淡
そういえば、数え3歳(満2歳くらい)で生き別れたんですよね。他人の家で育ったから感覚がバグってそう。
確かにそれはありそうですね🤔愛情のかけ方が良く分かってないというか、冷淡な印象が拭えない感じします。
隆慶一郎『捨て童子 松平忠輝』が面白いからオススメ😊
忠輝を殺させないために大御所裁定で勘当、あとは合戦が何度もできる程の金を忠輝に与え、その噂を流布し、忠輝伊達キリシタンVS秀忠幕府の力を均衡させ戦争を抑止した話ね。最高!大河にならんかな
67年間幽閉されているてのがヤバすぎるな、よくここまで幽閉されたもんだよ
ゆる幽閉だから。
牢獄や閉門蟄居等のカンヅメ幽閉じゃないからね。
生涯ニート生活やで
一応将軍様の息子ですからね
家康の息子だから死罪にできなかったのかな。
兄弟や親族で骨肉の争いを繰り広げた足利将軍家や有力守護大名家の末路を見れば、二代将軍秀忠に年齢的に近い弟は危険人物。権力から遠ざけるのは必然。特に忠輝の舅は伊達政宗であり外戚として幕府をコントロールしかねない。併せて徳川一門は天下を獲った頃から不遜で横柄なイキリが多かった。こういう権力を傘に着た輩は不興を買いやがて放置すれば権力の源泉である幕府の統治を揺るがしかねない。よって粛清のスケープゴートにされた。後の駿河殿こと忠長も構造的な問題は一緒。
葵徳川三代での家康(津川雅彦)と秀忠(西田敏行)のやり取りが強い印象。「もっと疑え!!!」↑個人的な名言
家康は忍耐強いと思われがちだが好き嫌いが激しかったらしい.なので初手で嫌われると忠輝の様な扱いを受ける.聖君が訊いて呆れる...
幼少から人質生活の虐められっ子だもんなあ。その時点で立場が低いから忍耐せざるを得なかった訳で別に忍耐強い訳ではない。忍耐している内に精神は歪んでいくもんなんだよね。それ故に遠慮しなくていい相手には虐めっ子になるのだ。
(*ΦωΦ*)信康の謀反が影響してるわ忠輝なんか信康に似てるし、あっこいつやべえと思ったんやろ
どう考えても戦国最高の聖人はノッブだよね。
駿府人質時代に隣の人が虐めたから後にそいつが捕虜になると他の人は除名されたのにそいつだけ切腹させたからね
@@youyah7440助命?
征夷大将軍である家康が息子のうちの一人だけを冷遇するのは可哀想だけど、でも伊達家だけは忠輝の心配してくれてるのは嬉しい
信康や秀康は?
五郎八は今で言うサバサバ系の良い女って感じだな伊達政宗も陽キャなイメージだしいかにも親子って感じ幽閉っていうと暗い牢屋で鎖に繋がれて…って光景が浮かびがちだけど案外自由で快適らしいね真田昌幸信繁親子も九度山で割と悠々自適だったみたいだし
実の父にこんな扱いをされては多少性格が歪んでしまうのも仕方ありません。
焦ってたのだろうが次期将軍の部下を斬り殺すようではな
初めて知りましたし、勉強になりました。✏️
魔人・大久保長安が後見に付いてから、伊達家と縁組したり、豊臣秀頼と親しくなったり、川中島→越後高田と加増したり、と大躍進だったんだけど、長安亡き後、全部が裏目に出たんだよね。豊臣・伊達・キリシタンと組んでクーデター起こして将軍になろうとしてたとか何とか。
隆慶一郎さんの小説「捨て童子・松平忠輝」で、その存在を知りました。超人的な才能を持って生まれたが故に、羨望、嫉妬、誤解を集め、恐れられて数奇な人生を歩んだ人物が纏う寂しさが心に響く作品でした
ちなみに、横山光輝が漫画化したそうです。
隆慶一郎の作品ではきれいに完結してますよね。最初から最後まで無邪気なガキ大将で終わっているから前田慶次のようなケンシロウばりの漫画にはできなかったのかな。真田広之が忠輝を演るとしてもスタントマン全盛期の頃で捨て童子・松平忠輝を見たかった。
あの小説の何でも出来るエピソードは盛ってるんじゃないの?
@@sushiwo3063確かに西洋の言語を流暢に話して、西洋の医学に精通して、柳生宗矩以上の剣の達人。
子供の頃に新聞朝刊で連載していた忠輝を主人公にした隆 慶一郎の小説「捨て童子・松平忠輝」を読んでいたんで自分の中では超人的な戦闘力を持つ主人公なイメージがある幼い頃に鉄扇を武器に刺客と戦ってたような大河ドラマ「独眼竜政宗」では真田広之さんが忠輝を演じていましたね
松平忠輝、足利尊氏共に真田広之さんが演じられてましたね
妻はどっちも沢口靖子でしたね。
「徳川無頼帳」では師匠の千葉真一さんが忠輝を演じてましたね。この忠輝は、かなり自由奔放でしたが。
徳川家の中で死んでも罪人として墓に金網かけられたのはこの松平忠輝と尾張藩主だった徳川宗春だったかな。徳川宗春も倹約家で疑り深い米将軍に嫌われただけで尾張藩の経済政策は藩内で受け入れられたしいまの名古屋の基礎つくったと言う人もいる。 忠輝と違って徳川家のなかでは忘れた存在なのか。
生まれたとき容姿が悪かったとか冷遇された話は江戸中期以降の史料に多く見られるのですが、それ以前の資料にはそのようなことは書かれてはいません。家康が忠輝に譲った笛があるのですが、これは織田信長が愛用した乃可勢という笛です信長が秀吉に譲りさらに秀吉が家康に譲った大事な物です。更には家老や家臣たちが忠輝の素行が改まらないことを駿府の家康に訴えるのですが忠輝の弁明があったとはいえ、訴えた家老たちは逆に不適格とされそのうちの一名は切腹となりました。これらのエピソードからも家康に嫌われていたというのは考えにくいと思います。領土も史料によっては30万石と書かれているものもあれば75万石と書かれている物もありよく解っていません。あとは若干性格に問題があった様に記されていますので戦で兵士をまとめるのは不向きだったのかもしれませんね。
石高が弟より少ないのはよっぽどの屈辱だったなだろうな
石高より徳川姓貰えないことが悔しかったんかなぁとも思ったり徳川姓は秀忠と御三家以外は貰えなかったから(後は全部松平止まり)
@@フォード-i1wまあその点に関しては信康、秀康、忠吉、信吉も一緒だと思うけど…
秀康は秀吉への人質から結城家に養子に出されてるから、松平姓を許されたのは出世とも言えますよ。
そもそも忠吉が松平なのは東条松平の養子になり、忠輝が松平なのは長沢松平の養子になったから。でも水戸の頼房は駿河の忠長存命中は松平だった。
結果として長生きしましたが、何故ここまで一族揃って差別的扱いをしたのかが全く分かりません。失態があったにしても家康の代は終わっており最終的には5代将軍の時代まで許されないとは…クーデターと言う話なら、では何故伊達家は平気なのかと言う謎も残ります。
大久保長安事件に連座。という疑いもありますね。徳川家の代官の代官で、佐渡金山や石見銀山を管轄していたのですが、死後に感情が合わないと発覚。葬儀も差し止められて調査の結果、ちょろまかしていた。というので、息子七人が切腹を命じられて断絶。関係者も連座。共謀して知行隠しを行っていた大名も改易などされた。忠輝付きの家老の一人が、大久保長安だった(他役職と兼任)。忠輝の重臣の一人は、息子のの嫁に大久保町長安の娘を迎え、自分の娘を長安の息子に嫁がせていたので縁が深かった。まだ、岳父が〝あの〟伊達政宗。本人は文武両道で、やらかしも色々あるけど、磊落な好人物で人誑しでもあった。反骨でさえ魅力と見れれていた。 (何故か他人に、俺が面倒を見てやらねば。と思わせるところがあったらしい)有能なな家臣を多く召し抱えていた事(新参と古株での争いも多かった事)母親の茶阿局が聡明で、政治的に力もあり、慕う人間が多かったこと(家康の気に入りの側室の一人だった)長兄の信康に顔が似ていた事顔のせいで家康に疎まれているのを、同情する大名が多かった事(最右翼が伊達政宗)秀忠(どっちかというと陰険)に権力集中を図る意思があった事と、色々原因は言われていますね。個人的には、一番下が一番大きかったのかと。一説によると『秀忠より家臣受けが良かった』という話もあるので
@@colocalo100忠輝の母親は茶阿局で阿茶局とは別人。
@@yh6146 素手間違えました。すみません
子沢山の家康。どうする家康では忠輝出番無かった気がします。数奇な人生ですね。そして逃げ若アニメ乗っかり尊氏キターー!北条時行、楠木正成、北畠顕家、足利直義おなしゃす🙏
秀吉死後家康が遺言守らず大名同士の婚姻して他の大老から詰められるエピがこの忠輝のことだと知った時少し驚いた。
横山光輝先生の漫画捨て童子松平忠輝で知りました。昔、笑っていいとも!で歴史上の有名人の子孫を呼んで先祖が誰かを当てるコーナーで家系図に忠輝の名前があり、徳川家の子孫だ!と興奮したな。
めちゃわかりやすいし面白い!
歴代将軍に、参勤交代で江戸に来るたびに「忠輝って元気にしてる?」とか友達の犬とか猫感覚で聞かれてそう
いっぱい産まれたから友達に1匹引き取ってもらったみたいな感じ
これわろた
失礼だなお前
なんかの本で「武田信虎が信玄を嫌った理由は自分に似過ぎていたから」みたいなことが書いてあった子どもが自分と同じ価値観を持っていたりすると子どもとしてよりライバルとして認識してしまう傾向があるんだとか家康と忠輝も案外そうだったのかも
真田広之さんのエミー賞受賞絡みで彼が大河ドラマで演じた松平忠輝、足利尊氏と続くのかな
松平信康=25歳没亀姫=66歳没督姫=51(又は41)歳没結城秀康=34歳没徳川秀忠=52歳没松平忠吉=28歳没振姫=38歳没武田信吉=21歳没尾張義直=50歳没紀州頼宣=70歳没水戸頼房=59歳没松平忠輝=92歳没
親からの愛は無償ではなく必ず愛されるとは限らない。がだからといってこれは余りにも理不尽すぎる。
子は親を選べないが、親も子を選べない。
@@大澤正人-v2r 子は間引けますよ。
@@綾鷹ほのか-d8r 最初から選べていれば間引く必要も無いんですよね。
忠輝大失態をやらかしたためさらに嫌われてしまったことに一理はあるがその前に嫌われた理由は何だったんだよ
流罪先に諏訪が選ばれたとなると、武田家か諏訪家の関係者が母だったのかな武田、真田には家康も苦汁を飲まされてたから余計にそう思う
血の気がある点や自領で南蛮貿易を推進しようとしていたらしいので、どちらかというと家康よりは信長寄りの考え方だったのかなと思います。
伊達家との結婚がまさに諸刃の剣だったな
いろは姫もキリシタンだったり、所領が越後だったりで、期待と綱渡りな二十台ですよね。忠長さんとこの方が成功していたら、その後の江戸時代ってどうなっていたかなあと。
おすすめに出てきたからみたけど、面白かったし勉強になった!
ドラマ独眼竜政宗で松平忠輝を演じたのが、SHOGUN で家康をモデルにした吉井虎長役の真田広之さん
92歳は現在でもすごい後期高齢者。軟禁状態でも ストレスなく 生きたんだ。慶喜は 76歳。
戦の遅参と失態を秀忠にも指摘されるのか…
おまいう
謙信といい信玄といい、親に疎まれるってことがあるんやなぁ家を守っていくために甘くなかったのかもしれんが
地下牢で幽閉でもされてたのかと思いきや島送り先で結構自由に楽しんでるやん
息子全員に厳しいならそれはそれで納得も行くけど家康が歳喰ってからできた御三家の弟三人にはクッソ甘いのがなあ
信康と似てる点として先を見通す力が乏しく周りをちゃんと見ておらず視野の狭く忍耐に弱いところが挙げられる
渡辺謙さん主演の『伊達政宗』では『SHOGUN』で今をときめく真田広之さんが演じてられてましたねお二方共にアメリカでも活躍されてるのに、何か縁の様なものを感じます
死ぬことも許されず67年も幽閉されたって考えるだけでも悍ましい、普通は正気を失ってもおかしくないですね、長寿したとはいえ生き地獄だったでしょう。しかも許されたのがその300年後ってどんだけついてないんだ😢
幽閉って言っても家康の死後は結構監視も緩くて結構悠々自適に暮らしてたみたいだよ?長生き出来たのも武将としてのストレスから解放されて気楽になったからだろうね八丈島に流された宇喜多秀家もそんな感じだったし
平均寿命が60あるかないかの時代に92歳まで生きるって今の時代に例えると120歳くらいまで生きるくらいの物凄い長寿…幸せだったかどうかはともかく…しかし、2代目の頃に改易されて5代目の頃に亡くなって赦免が18代目の時って…
独眼竜政宗では今、日米で大注目の真田広之が演じてましたね。ちなみに五郎八姫は沢口靖子。
双子だったから…というのは、兄の秀康がそうですね!
秀康も妾の子故に酷く嫌われたと言うし、似た流れだったのかもしれない。秀忠の場合といい妾の子(保科正之)が有能になるというのはなんとも皮肉だなと思う。
豊臣鶴松がそうであったように夭折する可能性もある。母親の身分がーとか贅沢言わず作れるなら作っとけ的な風潮はあったんですよね。それにしても長じた後がほんとに謎の冷遇…
一説によると家康の種か怪しいと思われたらしい 秀康もそうだが弟が忠輝と違い可愛がられたのはもう疑いようがなかったから
松平忠輝と言えば…真田広之さん、受賞おめでとうございます🎉
忠輝、忠直、忠長、忠を名乗る徳川一門は不遇な生涯…
嫌われた理由が謎すぎて、隆慶一郎先生により超能力者(異形の者)として忍者と戦ったり吉原に幕府も手を出せない租界を作った、という物語も生まれる(隆慶一郎著『捨て童子・松平忠輝』~『吉原御免状』)
出家すら許されず幽閉とは手厳しいなというか60年も経ったら忘れられてたんじゃなかろうか
五郎八姫も20代で離縁させられてから再婚してないんですよね思ってるより悪い人ではなかったんではないかなと
夫婦仲は良かったらしいですね。「捨て童子」だと離縁の後に忠輝の子を流産したとあったような・・・
そういや松平忠輝の勘当を1984年に当時の徳川当主が解いたら何故か歴史学者はそれを非難したらしいね徳川の家の問題になんで口を出すのかと
忠輝役の真田広之も政宗役の渡辺謙も海外でサムライがウケると思わなかったんだろうな
野心家の正宗につけこまれた感じがしなくもないが、大阪城くれとねだってみたりワガママな性格だったのかも?家光の弟の忠長もワガママすぎて切腹したしなぁ。😅
捨て童子忠輝という漫画ではかなりの武人で奇行が多い人として描かれていたな~。
忠輝君長生きしたね😢300年後名誉回復😢
徳川家康がいかに肝の小さい漢だということがよくわかるエピソード
本当にショック😢悲しすぎる😅 確かに次男の結城秀康も家康に嫌われていたな😅悲しいなー😭
父・家康が嫌うわが子の特徴、気性が激しい、外見が気に入らない、母親の出自が低いか愛着が薄い。忠輝は全て兼備していた。なお、三男の秀忠は、全部外している。性格が穏やか、外見はワリとまとも(魚にも鬼にも犬にも見えない)、母親は家康の執着が深かった上に、母の死後わ知恵者で知られる愛人を世話役に就けてもらった。
架空戦記の登場キャラの印象強いけど・・・架空戦記のような謀反やらクーデターやらにかかわらず 引きこもり生活で92歳まで生きられて幸せだったんだな。
いろは姫は男で生まれていたらと伊達政宗が嘆いたほどの女
しかも美女実は忠輝の子を産んでいたという説があるらしいんですが、ファンタジーですかね?
同じ時代の出来事も立場によって全く見え方が変わっていて面白いよね
めっちゃ長生きしてるあたり、諏訪では結構健康的な生活を送れたんだな
浜口雄幸も、親が幸子という名前しか用意してなかったので幸雄としてから逆にして雄幸になった。因みに私は雄幸の甥の孫です🎵
産まれた時期も悪かったように思える。血気に逸る性格、産まれたのがもっと早く(関ヶ原以前には成人するくらい)に産まれていれば、或いは武勇に秀でた倅として、父から目をかけられていたかも知れない。
次回足利尊氏キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!
忠輝といえば葵徳川三代の印象が強いな
徳川家康の最後で笛を吹いていたのも有名。
葵徳川三代では、阪本浩之がやっていた。この人、「八代将軍吉宗」で吉宗少年時代(頼方)役だった。葵〜では西田敏行が秀忠だったから、2人の吉宗が、兄と弟になったという事ですね。
@@二見裕司-r6t 横山光輝徳川家康でも吹いていたな。
家康に嫌われたのは理由の一つに利発すぎた≒バイタリティがありすぎたという説もあり、実際血気にはやってやらかした&92歳まで生きた訳で、自分は当たってる気がします。あと故隆慶一郎先生の「捨て童子 松平忠輝」の印象が強いです。横山光輝先生が漫画化してますが、そちらは未読です…
[捨て童子 松平忠輝]隆慶一郎先生の傑作です。
秀忠も嫌われてたって聞いたことある。もしかすると、才能とかを見抜いていて、政務とかから遠ざけようとしたのかもよ?臨終に立ち会わせなかったのも、家康は危篤だし他の兄弟や家臣たちの思惑かもしれない。
ナレーターのハスキーボイスが好き。
岡村賢治著書の漫画(伊達政宗)では確かに好きになれない(言い方悪いけどウザい感じであまり好感持てない)キャラでしたが、こっちの動画では逆に頑張れと応援したくなるキャラに思えました。
良く言えば、67年間ベーシックインカムをもらい続けた人生だな。
皮肉にも家康の子としては最後の生き残りだった。甥に松平忠明、3代将軍、徳川家光、徳川光圀(水戸黄門 )がいる。彼が亡くなった時は秀忠や亀姫、市姫など兄弟姉妹は勿論、家光、忠明、松平忠直など甥もみんな先立った。
理不尽すぎる冷遇。謎故に想像を掻き立てる。
独眼竜政宗で松平忠輝役を演じたのが真田広之そして徳川家康をモデルとした吉井虎長を演じたのも真田広之事実は小説よりも奇なり😅
そもそも癇癪起こして人殺しても多少自由な幽閉で済むこの時代が激ヤバだと思いました
家康の子の中でいちばん生きていたのが家康が嫌っていた忠輝っていう皮肉
老化は紫外線の影響が凄く大きいからね
一生涯幽閉されてると日光浴びないから中々老いないかもしれない
幽閉ってそんな囚人みたいな生活じゃないと思いますよw
こんな奴に付き従う従者が一番哀れ
憎まれっ子世に憚る
以外と幽閉されたり隠遁したりすると長生きするもんよ
足利尊氏の子で一番長生きしたのは皮肉にも殺し合いをした直冬だし
忠輝が92歳と長生き出来たのは最終的な流罪先の諏訪で地元住民との交流や諏訪湖で水泳等のある程度の自由行動が出来たおかげで心身共に健康でストレスフリーな生活が出来たからなのかもしれない。
ましてや政務や領地運営等の神経を使う仕事に携わる事もないので尚更の事。この点においては同じく長生きした宇喜多秀家と生活環境が一緒なのかもしれない。
あと、諏訪の銘酒・真澄を愛飲してたとか……🍶
同じ信濃で最晩年まで隠居もできずに子孫の後始末などストレスに振り回されながら93歳まで生きた真田信之…
@@じろうコマ-q7m
ある程度自由な流人と大名の違いかな……?
@@じろうコマ-q7m
ま、まあ人間色々なタイプがいるから・・・・・
やることがなくなると案外急にポっくり逝ったり老け込む人とかなんかは多少忙しいぐらいがいい
まあ真田信之は多少忙しいどころじゃないけど・・・・・
真田信之『ワシも歳なので隠居したい』
幕府『 ダ メ ♡ 』
😂
67年も幽閉されながらも、家康の息子の中で1番長生きしたという皮肉
そして今や桜の花見で有名な高田城の築城に携わったという功績も地元民からすると嬉しい
義父伊達政宗が富岡あたりに宿泊して高田城築城を差配したとか、ウイング辺りに行くとこの辺りで泊まっていたのかなぁなんて思います
@@ぞっきいゆっきい 新潟と宮城、近いようで遠い場所ですがこういった繋がりを知るとなにかロマンを感じますね
@@白鳥上沼垂 仰るとおりです。
そういうロマンを感じるから歴史好きには堪らないんですよね!
つか一番家康の息子で一番長生きしたのがこの忠輝なのが
なんつうか皮肉過ぎるわ。
ゆる幽閉、逆に楽だった(肉体的にも精神的にも)説。
・・・って事は現代人もゆる幽閉?
(*ΦωΦ*)将軍様の食生活ヤバいからね
あれは早死にする
@@弓原家康の死因は胃がんだよ
天ぷらの食べ過ぎは死因にならない
ただ、脚気で亡くなる徳川将軍が多かったから、食事に問題無かった訳じゃない
@@1どらごん 天ぷらとは言ってないだろ。胃がんだと井戸のピロリ菌だな。だが将軍様というか昔の人の炊飯の水がヤバいってことだ。歴代将軍っていうのは、獣肉を食わないので、短命だったかもな。遺骨の顔が貴族化って肉を食ってないだろ。
大名の若殿も早死にする理由は、乳母の白粉の水銀だろ。水銀は見た目が奇麗なので、始皇帝は飲んで長寿になろうとして50代で亡くなった。脚気はビタミン不足の銀シャリ(白米)のみで野菜も食わずに、江戸時代の人は肉食も少ないので背が低い。
関ヶ原で負けた宇喜多秀家は八丈島に島流しで、福島正則の家臣に酒を恵んでもらうほど飲酒量も少なく不自由だったが84歳まで生きた。勝ち組の小早川秀秋は酒の飲みすぎで早世。今の百歳以上も飲酒・喫煙が少なく、牛乳を飲むのは多いので長生き。
長男→謀反疑惑で切腹
次男→34歳?で亡くなる
三男→江戸幕府2代目将軍
四男、五男→20代で亡くなる
六男(忠輝)→92歳まで生きたけど、人生の軽く半分以上幽閉生活
七男→6歳で亡くなる
八男→家臣の養子になった?らしいけど6歳で亡くなる
九男、十男、十一男→御三家になる
家康の息子さんって半分以上
安泰な人生送る、もしくは天寿を全うしてないな
途中で宗家の血は断絶してるし、呪いでもかかってそうだよね……
@@bluestar_1213 結果、徳川家の血筋は頼宜を祖とする南紀系統と頼房を祖とする水戸系統のみとなった。
家康の孫が雑賀孫市(水戸徳川家から鈴木家に養子入り)となったのはビックリ。
もしかして秀忠いないと徳川幕府ってやばかったんじゃないですか?
まあ「徳川の子」ていう立場のプレッシャーだけでも、相当重さがあっただろうし…
他の有名な武将も二世になると途端に脆弱になっちゃったパターン多かったからね…
政宗が忠輝によくしてあげたのは家康から嫌われている忠輝を母から忌み嫌われた幼い頃の自分に準えていたからじゃないかと思う
種だけ撒いたらあとは生まれてくるのを待つだけみたいな父親と違って
自分の腹痛めて産んだ母親から疎まれるって相当だよな
それはあるかも……?
大河ドラマだと、忠輝を担ぎ上げて天下への野望を成就したいという思いと、忠輝に若き日の自分を重ねてる感じだったな。
近年の研究だと毒殺未遂事件も
後年の捏造が有力だし
小田原参陣後に政宗が義姫に
贈り物を頻繁に届けていたり
マメに書状のやりとりをしていた事もわかっているから
(書状も現存する)
母親から嫌われているとか
母子仲が悪いとかいうのは
否定的な説になっていますよ。
政宗と母親との間に確執があったという説は最近では否定されていますけどね。
留守居が裏切ると大坂から撤退しなければばらなくなるから、相当信頼されてたと思うけどな
人の心とプライドは難しいものだね
夏の陣のミスさえ無ければそれなりに認められたんじゃない?とかみてて思いましたよね
@@si-rh5mo 隆慶一郎先生の小説では忠輝の軍勢は武功をたてたけど秀忠によって記録を消されたとされている。幕府の記録にはないけど他藩の記録では全軍の順位では討ち取った首の数は13位。
五郎八は忠輝と離縁させられたあと、再婚せずそのまま独身を貫いたんですよね…。なんというか、切ない話ですよね…。
生涯仕送りしたかもですね。
人生の大半を幽閉生活を送り5代将軍綱吉の頃まで生きていたのか。正式に赦免されたのが死後300年経ってからとか扱いが酷いな。
この人が赦免されたきっかけもまた凄いんだよね。昭和の頃に菩提寺の住職の枕元に立ってそろそろ許してくれないだろうかと願ったんだよね。
それを受けて当時の住職が徳川家の当主にその旨を書いた書状を何度か送ってようやく謹慎が解かれたみたいだし。
能楽のストーリーに有りがちなエピソード。実行されたのは能好きな人が多かった徳川家ならではですねぇ。
最近は家康との仲はなんだかんだ70万石以上の領土を与えられたことを鑑みてそれなりに埋まっていたとの説も
むしろ秀忠との仲が険悪だったらしい
そう思うと秀忠って他の兄弟との関係があまり良くないような。ドラマでは秀康の暗殺を指示した設定もありましたし。
@@ニクタ-u6u
まあ史実では秀忠は秀康、忠吉とは仲が良かったらしいが
特に忠吉は同腹の弟だった事もあり死んだ時にめちゃ悲しんだらしい
諏訪では意外と自由に行動出来たりしてたようなのでやはり寿命にストレスが関係するのはいつの時代も同じですね。
大河ドラマ「独眼竜正宗」では、今、最も輝いている真田広之さんが忠輝の役を演じていましたね!!!
18部門での受賞、おめでとうございます&ありがとうございます!
こんなわけ分からん時代に明るいニュース、本当に嬉しいです!!!!!!!!!!
私も独眼竜政宗見てました❤そう言えば1人だけいけ好かないクソ生意気なキャラが居たけど、今思うと、アレが忠輝だったのね❣️(⚠️実は私、真田広之さんのファーストアルバム持ってる💕似合わない役演じてるなー、あーあ、と当時ファンながら思ってました‥今そのパパ(がモデル)の役を演じてハリウッドで人気が出るなんて‼️人生って皮肉ですよね💧😅)
後に主役の時に夫婦役となる沢口さんとは、この時も夫婦役だったな。
冷遇されていたのに、忠輝は歴代の徳川家の中で一番長生きしたのは、『皮肉』ですかね・・・・😓
ある意味、毒を全部引き受けたのかもしれませんね^^;;;
おかげで15代260年。スピリチュアル過ぎですね🤣
92まで生きて天寿全うしたって事は監視されてたがなんだかんだ行動の自由以外は不自由無く暮らしてたって事なのよね。
忠輝を本当に嫌っていたのは家康ではなく、兄の秀忠だった説もある。
家康存命中は書状等で叱責こそされてはいるが目立った処罰は受けておらず、むしろどんどん加増されてた。
秀忠の代になって急に改易されたのは、徳川一族を将軍宗家と御三家のみにまとめて権力争いを予防しようという秀忠自身の政権構想もあったのかもしれない。
現に、秀忠の兄である結城秀康の長男・松平忠直も幕府に反抗的であるなどを理由に配流に処されている(家自体は越後松平家として残ったが
駿河大納言忠長も過度な素行不良、大坂転封を望んだりして秀忠の怒髪天を突いて改易に処されて全てを失い破滅した。豊臣秀頼排除においても一番積極的だった説もあり、身内への容赦の無さでは家康以上だったのかもしれない・・・・・・・・
一説には秀忠は忠輝を切腹させるように家康に進言したとか
家康はさすがにやりすぎだと取り合わなかったらしいけど
@@1987lionkid
大河ドラマの葵徳川三代では家光が忠長を疎み秀忠が忠長を庇う構図ですが
実際は逆だったみたいですね
@@kestgentle5782
秀忠は規律を乱したものにはめちゃ厳しいからな。
規律を守らない忠輝と合わないのは仕方ない
そして秀忠様当人は、孫(家光様)が可愛いお爺ちゃんと化した父親と
長男より弟(忠長様)が可愛い奥さん(浅井三姉妹で淀君様の妹)との間で挟まれる羽目に・・・・・・
幽閉されてこんだけ長生きできたって、案外諏訪の暮らし自体は肌にあってたのかもな。
幽閉先の諏訪は武田勝頼ゆかりの地でその勝頼も信玄にあまりよく思われてなかったとも言われているので、武田旧臣を多く召し抱えた徳川家にとっては、どこか運命を感じますね。
兄貴の秀康も嫌われてたし家康は兄弟で待遇に差つけすぎなんよなぁ
従順な息子以外はいらないというのが家康
それだけお家の存続を最重要としていた証。
秀康は要地の藩主になってるから言うてそんなに
秀康の頃の福井藩は加賀前田、薩摩薩摩、徳川御三家以上の名家で徳川幕府も手出しができないほど大きな藩だったし
秀康はむしろ優遇されてた
秀忠に後継を取られたと言われるが元々庶子である秀康が徳川家を継げる可能性は元からなかった
代わりに跡取りの秀忠の庶兄として制外の家(将軍の命令を聞かなくてもいい家)になり75万石の太守に任命されたのだから
家康は陰湿
伊達政宗あてがわれたんだから、期待されてた筈なんですけどね。
冷たくしたのは、鍛えるためじゃないのかなー。でも、にーちゃんの家臣切っちゃうのはダメだよね
この『にーちゃんの家臣を斬った』という話……かなりキナ臭い話なのです
忠輝の軍勢は予定よりかなり遅れて進軍していたのですが……秀忠の家臣が『軍勢の前に割り込んで馬を乗り付けた』というのです
これは当時の感覚ならその場で殺されるのが当たり前なのです
秀忠の部下のほうが忠輝の軍勢を避けないといけません💦
(どちらの主君が立場が上か?なんて全く関係なく、合戦関係となるとお互いの為にこうなるのです)
忠輝の部下はこれを見逃すと処罰されるわけで……まるでこういうトラブルが起きるのを呼び込んでいるような極めて非常識な行為なのです
少なくとも【まともな武士】は絶対にしません
(;゚д゚)
なぜこの事件が起こったのか?
全くの謎なのです………
信康、秀康、忠輝は血の気が多いイメージがある
92歳まで生きたなんて凄え
家康って親に育ててもらってないから父親というモノがどういうものかよくわかっていなかったんじゃないかと思う
信康・秀康・忠輝あたりの我の強いタイプの息子には恐ろしい位冷淡
そういえば、数え3歳(満2歳くらい)で生き別れたんですよね。
他人の家で育ったから感覚がバグってそう。
確かにそれはありそうですね🤔
愛情のかけ方が良く分かってないというか、冷淡な印象が拭えない感じします。
隆慶一郎『捨て童子 松平忠輝』が面白いからオススメ😊
忠輝を殺させないために大御所裁定で勘当、あとは合戦が何度もできる程の金を忠輝に与え、その噂を流布し、忠輝伊達キリシタンVS秀忠幕府の力を均衡させ戦争を抑止した話ね。最高!大河にならんかな
67年間幽閉されているてのがヤバすぎるな、よくここまで幽閉されたもんだよ
ゆる幽閉だから。
牢獄や閉門蟄居等のカンヅメ幽閉じゃないからね。
生涯ニート生活やで
一応将軍様の息子ですからね
家康の息子だから死罪にできなかったのかな。
兄弟や親族で骨肉の争いを繰り広げた足利将軍家や有力守護大名家の末路を見れば、
二代将軍秀忠に年齢的に近い弟は危険人物。
権力から遠ざけるのは必然。
特に忠輝の舅は伊達政宗であり外戚として幕府をコントロールしかねない。
併せて徳川一門は天下を獲った頃から不遜で横柄なイキリが多かった。
こういう権力を傘に着た輩は不興を買いやがて放置すれば権力の源泉である幕府の統治を揺るがしかねない。
よって粛清のスケープゴートにされた。
後の駿河殿こと忠長も構造的な問題は一緒。
葵徳川三代での家康(津川雅彦)と秀忠(西田敏行)のやり取りが強い印象。
「もっと疑え!!!」
↑個人的な名言
家康は忍耐強いと思われがちだが好き嫌いが激しかったらしい.なので初手で嫌われると忠輝の様な扱いを受ける.聖君が訊いて呆れる...
幼少から人質生活の虐められっ子だもんなあ。その時点で立場が低いから忍耐せざるを得なかった訳で別に忍耐強い訳ではない。
忍耐している内に精神は歪んでいくもんなんだよね。それ故に遠慮しなくていい相手には虐めっ子になるのだ。
(*ΦωΦ*)信康の謀反が影響してるわ
忠輝なんか信康に似てるし、あっこいつやべえと思ったんやろ
どう考えても戦国最高の聖人はノッブだよね。
駿府人質時代に隣の人が虐めたから後にそいつが捕虜になると他の人は除名されたのにそいつだけ切腹させたからね
@@youyah7440
助命?
征夷大将軍である家康が息子のうちの一人だけを冷遇するのは可哀想だけど、でも伊達家だけは忠輝の心配してくれてるのは嬉しい
信康や秀康は?
五郎八は今で言うサバサバ系の良い女って感じだな
伊達政宗も陽キャなイメージだしいかにも親子って感じ
幽閉っていうと暗い牢屋で鎖に繋がれて…って光景が浮かびがちだけど案外自由で快適らしいね
真田昌幸信繁親子も九度山で割と悠々自適だったみたいだし
実の父にこんな扱いをされては多少性格が歪んでしまうのも仕方ありません。
焦ってたのだろうが次期将軍の部下を斬り殺すようではな
初めて知りましたし、勉強になりました。✏️
魔人・大久保長安が後見に付いてから、伊達家と縁組したり、豊臣秀頼と親しくなったり、川中島→越後高田と加増したり、と大躍進だったんだけど、長安亡き後、全部が裏目に出たんだよね。豊臣・伊達・キリシタンと組んでクーデター起こして将軍になろうとしてたとか何とか。
隆慶一郎さんの小説「捨て童子・松平忠輝」で、その存在を知りました。超人的な才能を持って生まれたが故に、羨望、嫉妬、誤解を集め、恐れられて数奇な人生を歩んだ人物が纏う寂しさが心に響く作品でした
ちなみに、横山光輝が漫画化したそうです。
隆慶一郎の作品ではきれいに完結してますよね。
最初から最後まで無邪気なガキ大将で終わっているから
前田慶次のようなケンシロウばりの漫画にはできなかったのかな。
真田広之が忠輝を演るとしてもスタントマン全盛期の頃で捨て童子・松平忠輝を見たかった。
あの小説の何でも出来るエピソードは盛ってるんじゃないの?
@@sushiwo3063確かに西洋の言語を流暢に話して、西洋の医学に精通して、柳生宗矩以上の剣の達人。
子供の頃に新聞朝刊で連載していた忠輝を主人公にした隆 慶一郎の小説「捨て童子・松平忠輝」を読んでいたんで自分の中では超人的な戦闘力を持つ主人公なイメージがある
幼い頃に鉄扇を武器に刺客と戦ってたような
大河ドラマ「独眼竜政宗」では真田広之さんが忠輝を演じていましたね
松平忠輝、足利尊氏共に真田広之さんが演じられてましたね
妻はどっちも沢口靖子でしたね。
「徳川無頼帳」では師匠の千葉真一さんが忠輝を演じてましたね。
この忠輝は、かなり自由奔放でしたが。
徳川家の中で死んでも罪人として墓に金網かけられたのは
この松平忠輝と尾張藩主だった徳川宗春だったかな。
徳川宗春も倹約家で疑り深い米将軍に嫌われただけで
尾張藩の経済政策は藩内で受け入れられたし
いまの名古屋の基礎つくったと言う人もいる。
忠輝と違って徳川家のなかでは忘れた存在なのか。
生まれたとき容姿が悪かったとか冷遇された話は江戸中期以降の史料に多く見られるのですが、それ以前の資料にはそのようなことは書かれてはいません。家康が忠輝に譲った笛があるのですが、これは織田信長が愛用した乃可勢という笛です信長が秀吉に譲りさらに秀吉が家康に譲った大事な物です。
更には家老や家臣たちが忠輝の素行が改まらないことを駿府の家康に訴えるのですが忠輝の弁明があったとはいえ、訴えた家老たちは逆に不適格とされそのうちの一名は切腹となりました。
これらのエピソードからも家康に嫌われていたというのは考えにくいと思います。
領土も史料によっては30万石と書かれているものもあれば75万石と書かれている物もありよく解っていません。
あとは若干性格に問題があった様に記されていますので戦で兵士をまとめるのは不向きだったのかもしれませんね。
石高が弟より少ないのはよっぽどの屈辱だったなだろうな
石高より徳川姓貰えないことが悔しかったんかなぁとも思ったり
徳川姓は秀忠と御三家以外は貰えなかったから(後は全部松平止まり)
@@フォード-i1wまあその点に関しては信康、秀康、忠吉、信吉も一緒だと思うけど…
秀康は秀吉への人質から結城家に養子に出されてるから、松平姓を許されたのは出世とも言えますよ。
そもそも忠吉が松平なのは東条松平の養子になり、忠輝が松平なのは長沢松平の養子になったから。でも水戸の頼房は駿河の忠長存命中は松平だった。
結果として長生きしましたが、何故ここまで一族揃って差別的扱いをしたのかが全く分かりません。
失態があったにしても家康の代は終わっており最終的には5代将軍の時代まで許されないとは…
クーデターと言う話なら、では何故伊達家は平気なのかと言う謎も残ります。
大久保長安事件に連座。という疑いもありますね。
徳川家の代官の代官で、佐渡金山や石見銀山を管轄していたのですが、死後に感情が合わないと発覚。葬儀も差し止められて調査の結果、ちょろまかしていた。というので、息子七人が切腹を命じられて断絶。関係者も連座。
共謀して知行隠しを行っていた大名も改易などされた。
忠輝付きの家老の一人が、大久保長安だった(他役職と兼任)。
忠輝の重臣の一人は、息子のの嫁に大久保町長安の娘を迎え、自分の娘を長安の息子に嫁がせていたので縁が深かった。
まだ、岳父が〝あの〟伊達政宗。
本人は文武両道で、やらかしも色々あるけど、磊落な好人物で人誑しでもあった。反骨でさえ魅力と見れれていた。
(何故か他人に、俺が面倒を見てやらねば。と思わせるところがあったらしい)
有能なな家臣を多く召し抱えていた事(新参と古株での争いも多かった事)
母親の茶阿局が聡明で、政治的に力もあり、慕う人間が多かったこと(家康の気に入りの側室の一人だった)
長兄の信康に顔が似ていた事
顔のせいで家康に疎まれているのを、同情する大名が多かった事(最右翼が伊達政宗)
秀忠(どっちかというと陰険)に権力集中を図る意思があった事
と、色々原因は言われていますね。
個人的には、一番下が一番大きかったのかと。一説によると『秀忠より家臣受けが良かった』という話もあるので
@@colocalo100忠輝の母親は茶阿局で阿茶局とは別人。
@@yh6146 素手間違えました。すみません
子沢山の家康。どうする家康では忠輝出番無かった気がします。数奇な人生ですね。そして逃げ若アニメ乗っかり尊氏キターー!北条時行、楠木正成、北畠顕家、足利直義おなしゃす🙏
秀吉死後家康が遺言守らず大名同士の婚姻して他の大老から詰められるエピがこの忠輝のことだと知った時少し驚いた。
横山光輝先生の漫画捨て童子松平忠輝で知りました。昔、笑っていいとも!で歴史上の有名人の子孫を呼んで先祖が誰かを当てるコーナーで家系図に忠輝の名前があり、徳川家の子孫だ!と興奮したな。
めちゃわかりやすいし面白い!
歴代将軍に、参勤交代で江戸に来るたびに「忠輝って元気にしてる?」とか友達の犬とか猫感覚で聞かれてそう
いっぱい産まれたから友達に1匹引き取ってもらったみたいな感じ
これわろた
失礼だなお前
なんかの本で「武田信虎が信玄を嫌った理由は自分に似過ぎていたから」みたいなことが書いてあった
子どもが自分と同じ価値観を持っていたりすると子どもとしてよりライバルとして認識してしまう傾向があるんだとか
家康と忠輝も案外そうだったのかも
真田広之さんのエミー賞受賞絡みで彼が大河ドラマで演じた松平忠輝、足利尊氏と続くのかな
松平信康=25歳没
亀姫=66歳没
督姫=51(又は41)歳没
結城秀康=34歳没
徳川秀忠=52歳没
松平忠吉=28歳没
振姫=38歳没
武田信吉=21歳没
尾張義直=50歳没
紀州頼宣=70歳没
水戸頼房=59歳没
松平忠輝=92歳没
親からの愛は無償ではなく必ず愛されるとは限らない。が
だからといってこれは余りにも理不尽すぎる。
子は親を選べないが、親も子を選べない。
@@大澤正人-v2r 子は間引けますよ。
@@綾鷹ほのか-d8r
最初から選べていれば間引く必要も無いんですよね。
忠輝
大失態をやらかしたため
さらに嫌われてしまったことに一理はあるが
その前に嫌われた理由は何だったんだよ
流罪先に諏訪が選ばれたとなると、武田家か諏訪家の関係者が母だったのかな
武田、真田には家康も苦汁を飲まされてたから余計にそう思う
血の気がある点や自領で南蛮貿易を推進しようとしていたらしいので、どちらかというと家康よりは信長寄りの考え方だったのかなと思います。
伊達家との結婚がまさに諸刃の剣だったな
いろは姫もキリシタンだったり、所領が越後だったりで、期待と綱渡りな二十台ですよね。忠長さんとこの方が成功していたら、その後の江戸時代ってどうなっていたかなあと。
おすすめに出てきたからみたけど、面白かったし勉強になった!
ドラマ独眼竜政宗で松平忠輝を演じたのが、SHOGUN で家康をモデルにした吉井虎長役の真田広之さん
92歳は現在でもすごい後期高齢者。軟禁状態でも ストレスなく 生きたんだ。慶喜は 76歳。
戦の遅参と失態を秀忠にも指摘されるのか…
おまいう
謙信といい信玄といい、親に疎まれるってことがあるんやなぁ
家を守っていくために甘くなかったのかもしれんが
地下牢で幽閉でもされてたのかと思いきや島送り先で結構自由に楽しんでるやん
息子全員に厳しいならそれはそれで納得も行くけど
家康が歳喰ってからできた御三家の弟三人にはクッソ甘いのがなあ
信康と似てる点として先を見通す力が乏しく周りをちゃんと見ておらず視野の狭く忍耐に弱いところが挙げられる
渡辺謙さん主演の『伊達政宗』では『SHOGUN』で今をときめく真田広之さんが演じてられてましたね
お二方共にアメリカでも活躍されてるのに、何か縁の様なものを感じます
死ぬことも許されず67年も幽閉されたって考えるだけでも悍ましい、
普通は正気を失ってもおかしくないですね、長寿したとはいえ生き地獄だったでしょう。
しかも許されたのがその300年後ってどんだけついてないんだ😢
幽閉って言っても
家康の死後は結構監視も緩くて
結構悠々自適に暮らしてたみたいだよ?
長生き出来たのも武将としてのストレスから解放されて気楽になったからだろうね
八丈島に流された宇喜多秀家もそんな感じだったし
平均寿命が60あるかないかの時代に92歳まで生きるって今の時代に例えると120歳くらいまで生きるくらいの物凄い長寿…幸せだったかどうかはともかく…
しかし、2代目の頃に改易されて5代目の頃に亡くなって赦免が18代目の時って…
独眼竜政宗では今、日米で大注目の真田広之が演じてましたね。ちなみに五郎八姫は沢口靖子。
双子だったから…というのは、兄の秀康がそうですね!
秀康も妾の子故に酷く嫌われたと言うし、似た流れだったのかもしれない。秀忠の場合といい妾の子(保科正之)が有能になるというのはなんとも皮肉だなと思う。
豊臣鶴松がそうであったように夭折する可能性もある。母親の身分がーとか贅沢言わず作れるなら作っとけ的な風潮はあったんですよね。それにしても長じた後がほんとに謎の冷遇…
一説によると家康の種か怪しいと思われたらしい 秀康もそうだが
弟が忠輝と違い可愛がられたのはもう疑いようがなかったから
松平忠輝と言えば…
真田広之さん、受賞おめでとうございます🎉
忠輝、忠直、忠長、
忠を名乗る徳川一門は不遇な生涯…
嫌われた理由が謎すぎて、隆慶一郎先生により超能力者(異形の者)として忍者と戦ったり吉原に幕府も手を出せない租界を作った、という物語も生まれる(隆慶一郎著『捨て童子・松平忠輝』~『吉原御免状』)
出家すら許されず幽閉とは手厳しいな
というか60年も経ったら忘れられてたんじゃなかろうか
五郎八姫も20代で離縁させられてから再婚してないんですよね
思ってるより悪い人ではなかったんではないかなと
夫婦仲は良かったらしいですね。
「捨て童子」だと離縁の後に忠輝の子を流産したとあったような・・・
そういや松平忠輝の勘当を1984年に当時の徳川当主が解いたら何故か歴史学者はそれを非難したらしいね
徳川の家の問題になんで口を出すのかと
忠輝役の真田広之も政宗役の渡辺謙も海外でサムライがウケると思わなかったんだろうな
野心家の正宗につけこまれた感じがしなくもないが、
大阪城くれとねだってみたりワガママな性格だったのかも?
家光の弟の忠長もワガママすぎて切腹したしなぁ。😅
捨て童子忠輝という漫画ではかなりの武人で奇行が多い人として描かれていたな~。
忠輝君長生きしたね😢300年後名誉回復😢
徳川家康がいかに肝の小さい漢だということがよくわかるエピソード
本当にショック😢悲しすぎる😅 確かに次男の結城秀康も家康に嫌われていたな😅悲しいなー😭
父・家康が嫌うわが子の特徴、気性が激しい、外見が気に入らない、母親の出自が低いか愛着が薄い。忠輝は全て兼備していた。なお、三男の秀忠は、全部外している。性格が穏やか、外見はワリとまとも(魚にも鬼にも犬にも見えない)、母親は家康の執着が深かった上に、母の死後わ知恵者で知られる愛人を世話役に就けてもらった。
架空戦記の登場キャラの印象強いけど・・・架空戦記のような謀反やらクーデターやらにかかわらず 引きこもり生活で92歳まで生きられて幸せだったんだな。
いろは姫は男で生まれていたらと伊達政宗が嘆いたほどの女
しかも美女
実は忠輝の子を産んでいたという説があるらしいんですが、ファンタジーですかね?
同じ時代の出来事も立場によって全く見え方が変わっていて面白いよね
めっちゃ長生きしてるあたり、諏訪では結構健康的な生活を送れたんだな
浜口雄幸も、親が幸子という名前しか用意してなかったので幸雄としてから逆にして雄幸になった。因みに私は雄幸の甥の孫です🎵
産まれた時期も悪かったように思える。血気に逸る性格、産まれたのがもっと早く(関ヶ原以前には成人するくらい)に産まれていれば、或いは武勇に秀でた倅として、父から目をかけられていたかも知れない。
次回足利尊氏キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!
忠輝といえば葵徳川三代の印象が強いな
徳川家康の最後で笛を吹いていたのも有名。
葵徳川三代では、阪本浩之がやっていた。この人、「八代将軍吉宗」で吉宗少年時代(頼方)役だった。葵〜では西田敏行が秀忠だったから、2人の吉宗が、兄と弟になったという事ですね。
@@二見裕司-r6t 横山光輝徳川家康でも吹いていたな。
家康に嫌われたのは理由の一つに利発すぎた≒バイタリティがありすぎたという説もあり、実際血気にはやってやらかした&92歳まで生きた訳で、自分は当たってる気がします。あと故隆慶一郎先生の「捨て童子 松平忠輝」の印象が強いです。横山光輝先生が漫画化してますが、そちらは未読です…
[捨て童子 松平忠輝]隆慶一郎先生の傑作です。
秀忠も嫌われてたって聞いたことある。もしかすると、才能とかを見抜いていて、政務とかから遠ざけようとしたのかもよ?
臨終に立ち会わせなかったのも、家康は危篤だし他の兄弟や家臣たちの思惑かもしれない。
ナレーターのハスキーボイスが好き。
岡村賢治著書の漫画(伊達政宗)では確かに好きになれない(言い方悪いけどウザい感じであまり好感持てない)キャラでしたが、こっちの動画では逆に頑張れと応援したくなるキャラに思えました。
良く言えば、67年間ベーシックインカムをもらい続けた人生だな。
皮肉にも家康の子としては最後の生き残りだった。
甥に松平忠明、3代将軍、徳川家光、徳川光圀(水戸黄門 )がいる。
彼が亡くなった時は秀忠や亀姫、市姫など兄弟姉妹は勿論、家光、忠明、松平忠直など甥もみんな先立った。
理不尽すぎる冷遇。謎故に想像を掻き立てる。
独眼竜政宗で松平忠輝役を演じたのが真田広之
そして徳川家康をモデルとした吉井虎長を演じたのも真田広之
事実は小説よりも奇なり😅
そもそも癇癪起こして人殺しても多少自由な幽閉で済むこの時代が激ヤバだと思いました