貨物列車が待避した駅は、水戸線の分岐駅の友部駅ですね。
現代の定時運行と比べて扱う機器の多さを考えると「神業」の連続だと思わせられる動画でした。定時で駅に着く当たり前が人力で支えられていた時代・・・・
ナレーションは若い頃の川口浩さんですね
近代化された電車区間に 気を遣いながら走破していく SL王者シロクニ尊い……
取手定時通過後の一服がカッコいい
列車は、1次元の動きしかしないのに 3次元の動きをする飛行機並みに 操作しっぱなし
60年近い前にこのようなカッコ良すぎる人たちがいたとは。今ならしゃーねーやになりますがね。中島機関士と青沼助士の最高の2人っす!
ポイント操作が重くて 大変そうだ? SLの運転はホント 命掛けの仕事なのが 伝わる。 今でこそSLは日本の宝の ように取られるが 当時の乗客には 臭い汚い うるさいの 苦情に 沿線住民は すさまじい煙に悩まされた。
東北本線が本来の奥州街道に沿って古川に行くのではなく、塩竈・松島を経由して小牛田に停車する路線にした理由が、当時の迷信で蒸気機関車の煙で米が取れなくなるという、農家や沿線住民の反対でそうなったと言う話は聞いたことがあります。
C62 22は数少ない?シールドビームに改造された缶ですね。
日暮里を通過したあと、鶯谷辺りで絶気するんですね。
水戸駅の入れ換え機に使われているハチロクは汽笛が三段弁のままなんですね。
私鉄ですが、 会社の研修で、第2種列車防護として発煙筒を回しながら400m走りました。
電車は変われど、線路はあんま変化がないんだな
定時回復後、機関士がタバコに火をつけるところがなんともカッコいい!
カツミ のあのフリースタイルの機関車や信号が試験で使われていたなんてすごい!
この機関助士さんは経験が浅そうですね。もう少し水戸の手前で釜替えを済ませておき、水戸に着いたら火床の火は落ち着いてうす暗くなっておくべきです。でないと溶け栓が上手く見えません。
こちらの小沼機関助士は昭和37年当時23歳で、機関助士職となって3年目だったそうですが、やはり3年で急行の釜炊きは早過ぎなんですかね? 当時の常磐線経由の急行は、常磐線内非電化区間は原則として全てC62による牽引でした。 ちなみに、この翌年から機関士に昇格されたそうです。
@@user-fo6ny2yo2v さん この当時は人手不足だったのですね。
@@akiomatsumoto7923 様 のようですね。 私の父の同級生が、昭和41年に中卒ながら国鉄に就職した位の人手不足であったと聞いている程ですから。 ちなみにコメ主様は何年目で助士職を拝命されて、何年目に甲組に昇格されたのですか?
@@user-fo6ny2yo2v さん 最初は点保火番から始まり、10代の終わりには、さくら、あさかぜ、はやぶさ、を牽いていました。
@@user-fo6ny2yo2v さん なぜ、こんな個人的なご質問をなさるのか分かりませんが、助士さんの拙さを指摘したからかもしれませんね?その後直ぐに機関士に昇格したことを書かれていますから。機関士にもピンキリがあります。定時にこだわるのは、それで評価され、上手くいけばお召列車の機関士になったりしますから。機関助士は機関士のような評価はされません。助士の評価は機関士がすることになります。助士の技量は、それこそピンキリです。少ない石炭で上手く蒸気をつくれる者、クリンカーばかりつくり、釜の圧力を保てない者。拙い助士と同乗すると機関士は負担を負います。経験年数はあまり関係ありません。必要なのは賢さです。しかし、目指す中に賢い人は少ない。乗務員は環境の悪い所で働き重労働です。映像で見るとカッコよく見えますが、現実は辛い職場です。行き帰りの間にはかなりの休憩時間があります。その間、大酒を飲んで、乗務が出来なくなった機関助士がいました。上りのあさかぜ号でしたが、徳山から広島まで車掌に頼んで客車に乗せてもらいました。そんなレベルが甲組の機関助士ですから、呆れたものです。見た目と現実はかなり違います。
「もう少しブロアーを開けてごらん」これは通風が足りなくて釜の温度が上がっていないと機関士が感じてるんだ。時折100キロくらいで走らなきゃ短縮ができない。それにはパワーのある蒸気が欲しい。だと思います。
485系はそういう所で言えば、物凄く簡単な車両になったという事ですかね。動力集中方式から動力分散方式に変わったわけですが、485系の最高速度は120㎞/h。蒸気機関車の何倍も速いわけですが、この程度の遅れを数駅で取り返す。カルダン駆動+動力分散方式が如何に偉大な方式であり、鉄道という分野において優れるのかというのが、集中方式の列車を見てわかることができますね。日本の鉄路はやはり分散方式こそあっている。
@@asokai2346 しかし動力近代化はそれだけ人員削減も必要になる。 今まで2人いた機関士・機関助士が1人で済むようになり、リストラを恐れた労組は電気機関車でも助士を乗せたが、やがては1人乗務になった。 その後貨車は車掌廃止、旅客もワンマン化が進んで車掌が減った。 更には完全無人自動運転が見えてきている…
機関士も機関助士を経てなるわけですし、力行時の反応もわかるから、経験値は機関士の方が豊富なんでしょうね。
@@sanniichikei さん 機関士への昇格は時期によります。技量に乏しいままで機関士になる人もいました。考えようによっては機関士より助士の方が難しいかもしれません。
@@sanniichikeiさん 1970年代に当時の国鉄は、兆円単位の累積赤字を減らすために、機関助手を中心に40万人いた国鉄職員を5万人削減するよう政府に要請しました。のちにこれがきっかけで、国労と動労が1975年末に8日間にわたってスト権ストに繋がりました。
本当に凄い名作だよな。当時の国労に許可取ってまで。
5:00からの1シーンかっこいい
4:30 から聞こえてるイッセキとは一関で大船渡しはそのまま大船渡です。 荷物を分ける際に暗号にして 間違えないようにしていたそうです。
9:43 文太のハチロクかよ❗
5:53 95km/h 😩 ※当時の最高認可速度 新快速も最初そうであった‼️
現在の信号所は ボタンが増えただけのような
特急の鏡‼️😁 シィロクニィ‼️
普通なら機関士が機関助士の領分に口出しすることはない。
自分も鉄道業界で勤務してますが、この映像のような詰所でのお茶を入れたり、経験談だったり、とても大切なコミュニケーションだと思います。今では、こういった気遣いができない、スマホがお友達の世代で孤立してるのが現状ですね。そういった環境で技術的な伝承ができてないことで、最近の鉄道故障が増えてきたのも一つの原因なのかも知れないですね。自分は、この映像を見て、先輩達や仲間との会話を積極的にするようにしています。
甲組機関士カッコいいなあ
C62は優秀なカマとはいえ、SLで3分遅れを回復とはすごい。 同時に安全にも十分に配慮している。 とにかくSL列車の走行シーンは圧巻。 でも運転中にタバコを吸ったりとかは、当時は機関士なら許されたのですね。
このスピードってもしや、クリープってやつですか?
かっこいい 漢の仕事ですわ
検索してみたら、昭和38年制作の国鉄PRのための映画ですね 画質が割と良いのが印象的
冒頭はD51364号機の残骸ですね この頃はまだ廃車されずに証拠物件として留置されていました。結局修理されることなくそのまま放置され1972年頃解体されたようです
相当古い映像ですね
低評価つけた人、どんな人なんだろう。? その人に興味津々。・
maki tomota 変態かよ 。気持ち悪いな君
石炭&煙は🙅🏻♀️の環境原理主義者もしくはかつての極左労働組合の関係者?
水戸~ 水戸~ 水戸~水郡線乗り換え~ 懐かしさを感じます。 今と昔の沿線風景や、列車、踏切などもだいぶ違います。 最後まで見ると何か感激しちゃいます。 私はこの動画を観てから、喚呼をマネするようになりました。 この動画はこれからの世代に伝える大事な動画です。 削除なんてありえません。
この時代から「三分ほど遅れて到着します・・・」とかやってるんだからすごいよな
スジ屋すげぇw
現代人の感覚からすると、あの重たい機関車が時速100キロ近くで走っていたというのがなかなか想像しがたいですね。
陸海空の乗り物全てにおいて、人の命を守るのは、最終的には“人”の力なんだよね。
かなりのハードワーク‥煤と灼熱と石炭くべりに圧力加減にキャブの右方確認...機関車が好きだけじゃ通用できないですね。
突放は怖いよね。
漢の仕事ですなぁ・・・
信号未整備で多数の列車と速度、加速減速の違う車(特性が違う)が同一線上で走行するという状況ですから尚更ダイヤ重視に沿った運行だったのではないでしょうか。 今は運行、車両、サービスまでコンピューター制御、何かあれば直ぐに止める事ができる。 当時は列車無線さえ無かった。2大事故はそういう状況で起きた、 ナレーターはなべおさみでしょうか?。
ここまで観終って気が付いた事、それは、機関助士の青沼君より機関士の人の方が主役っぽいなぁw 人間が支えていた時代、この映画は全てを撮り尽くしている。
教材として制作された映画のようですね、依頼主は国鉄、 三大事故が続いての制作でしょうか?、三河島事故の機関車は事故を本で読んだよりリアルに映されてます。 新しい車両の登場、輸送量の増大、貧弱な信号システムに人に頼る思想、今からみるとアンバランスな状況。
今では考えられない位人で支えられていた時代、 重労働で重負担、信号も人、踏切警手も人、駅員も人何から何まで人、 そんな時代。
考え深い。たった一年ばかり前同じルート上、三河島駅構内であれだけの大事故があった なんて。二人はさぞかし神経使っていたんだろうね。特に取手過ぎてから。蒸気は大変、 例え信号の故障がなくても、ボイラーで前視界は悪いのに加えて石炭煙で常時目を開けて おれない。夜間ならなおさら。それで以って時刻厳守全責任。
さっきまで見てた少しだけあの事故のことが出てた
雷管が使われるシーンじめて見た!!
鉄道時計が何気にオメガ製
貨物列車が待避した駅は、水戸線の分岐駅の友部駅ですね。
現代の定時運行と比べて扱う機器の多さを考えると「神業」の連続だと思わせられる動画でした。定時で駅に着く当たり前が人力で支えられていた時代・・・・
ナレーションは若い頃の川口浩さんですね
近代化された電車区間に 気を遣いながら走破していく SL王者シロクニ尊い……
取手定時通過後の一服がカッコいい
列車は、1次元の動きしかしないのに 3次元の動きをする飛行機並みに 操作しっぱなし
60年近い前にこのようなカッコ良すぎる人たちがいたとは。今ならしゃーねーやになりますがね。中島機関士と青沼助士の最高の2人っす!
ポイント操作が重くて 大変そうだ? SLの運転はホント 命掛けの仕事なのが 伝わる。 今でこそSLは日本の宝の ように取られるが 当時の乗客には 臭い汚い うるさいの 苦情に 沿線住民は すさまじい煙に悩まされた。
東北本線が本来の奥州街道に沿って古川に行くのではなく、塩竈・松島を経由して小牛田に停車する路線にした理由が、当時の迷信で蒸気機関車の煙で米が取れなくなるという、農家や沿線住民の反対でそうなったと言う話は聞いたことがあります。
C62 22は数少ない?シールドビームに改造された缶ですね。
日暮里を通過したあと、鶯谷辺りで絶気するんですね。
水戸駅の入れ換え機に使われているハチロクは汽笛が三段弁のままなんですね。
私鉄ですが、 会社の研修で、第2種列車防護として発煙筒を回しながら400m走りました。
電車は変われど、線路はあんま変化がないんだな
定時回復後、機関士がタバコに火をつけるところがなんともカッコいい!
カツミ のあのフリースタイルの機関車や信号が試験で使われていたなんてすごい!
この機関助士さんは経験が浅そうですね。もう少し水戸の手前で釜替えを済ませておき、水戸に着いたら火床の火は落ち着いてうす暗くなっておくべきです。でないと溶け栓が上手く見えません。
こちらの小沼機関助士は昭和37年当時23歳で、機関助士職となって3年目だったそうですが、やはり3年で急行の釜炊きは早過ぎなんですかね? 当時の常磐線経由の急行は、常磐線内非電化区間は原則として全てC62による牽引でした。 ちなみに、この翌年から機関士に昇格されたそうです。
@@user-fo6ny2yo2v さん この当時は人手不足だったのですね。
@@akiomatsumoto7923 様 のようですね。 私の父の同級生が、昭和41年に中卒ながら国鉄に就職した位の人手不足であったと聞いている程ですから。 ちなみにコメ主様は何年目で助士職を拝命されて、何年目に甲組に昇格されたのですか?
@@user-fo6ny2yo2v さん 最初は点保火番から始まり、10代の終わりには、さくら、あさかぜ、はやぶさ、を牽いていました。
@@user-fo6ny2yo2v さん なぜ、こんな個人的なご質問をなさるのか分かりませんが、助士さんの拙さを指摘したからかもしれませんね?その後直ぐに機関士に昇格したことを書かれていますから。機関士にもピンキリがあります。定時にこだわるのは、それで評価され、上手くいけばお召列車の機関士になったりしますから。機関助士は機関士のような評価はされません。助士の評価は機関士がすることになります。助士の技量は、それこそピンキリです。少ない石炭で上手く蒸気をつくれる者、クリンカーばかりつくり、釜の圧力を保てない者。拙い助士と同乗すると機関士は負担を負います。経験年数はあまり関係ありません。必要なのは賢さです。しかし、目指す中に賢い人は少ない。乗務員は環境の悪い所で働き重労働です。映像で見るとカッコよく見えますが、現実は辛い職場です。行き帰りの間にはかなりの休憩時間があります。その間、大酒を飲んで、乗務が出来なくなった機関助士がいました。上りのあさかぜ号でしたが、徳山から広島まで車掌に頼んで客車に乗せてもらいました。そんなレベルが甲組の機関助士ですから、呆れたものです。見た目と現実はかなり違います。
「もう少しブロアーを開けてごらん」これは通風が足りなくて釜の温度が上がっていないと機関士が感じてるんだ。時折100キロくらいで走らなきゃ短縮ができない。それにはパワーのある蒸気が欲しい。だと思います。
485系はそういう所で言えば、物凄く簡単な車両になったという事ですかね。動力集中方式から動力分散方式に変わったわけですが、485系の最高速度は120㎞/h。蒸気機関車の何倍も速いわけですが、この程度の遅れを数駅で取り返す。カルダン駆動+動力分散方式が如何に偉大な方式であり、鉄道という分野において優れるのかというのが、集中方式の列車を見てわかることができますね。日本の鉄路はやはり分散方式こそあっている。
@@asokai2346 しかし動力近代化はそれだけ人員削減も必要になる。 今まで2人いた機関士・機関助士が1人で済むようになり、リストラを恐れた労組は電気機関車でも助士を乗せたが、やがては1人乗務になった。 その後貨車は車掌廃止、旅客もワンマン化が進んで車掌が減った。 更には完全無人自動運転が見えてきている…
機関士も機関助士を経てなるわけですし、力行時の反応もわかるから、経験値は機関士の方が豊富なんでしょうね。
@@sanniichikei さん 機関士への昇格は時期によります。技量に乏しいままで機関士になる人もいました。考えようによっては機関士より助士の方が難しいかもしれません。
@@sanniichikeiさん 1970年代に当時の国鉄は、兆円単位の累積赤字を減らすために、機関助手を中心に40万人いた国鉄職員を5万人削減するよう政府に要請しました。のちにこれがきっかけで、国労と動労が1975年末に8日間にわたってスト権ストに繋がりました。
本当に凄い名作だよな。当時の国労に許可取ってまで。
5:00からの1シーンかっこいい
4:30 から聞こえてるイッセキとは一関で大船渡しはそのまま大船渡です。 荷物を分ける際に暗号にして 間違えないようにしていたそうです。
9:43 文太のハチロクかよ❗
5:53 95km/h 😩 ※当時の最高認可速度 新快速も最初そうであった‼️
現在の信号所は ボタンが増えただけのような
特急の鏡‼️😁 シィロクニィ‼️
普通なら機関士が機関助士の領分に口出しすることはない。
自分も鉄道業界で勤務してますが、この映像のような詰所でのお茶を入れたり、経験談だったり、とても大切なコミュニケーションだと思います。今では、こういった気遣いができない、スマホがお友達の世代で孤立してるのが現状ですね。そういった環境で技術的な伝承ができてないことで、最近の鉄道故障が増えてきたのも一つの原因なのかも知れないですね。自分は、この映像を見て、先輩達や仲間との会話を積極的にするようにしています。
甲組機関士カッコいいなあ
C62は優秀なカマとはいえ、SLで3分遅れを回復とはすごい。 同時に安全にも十分に配慮している。 とにかくSL列車の走行シーンは圧巻。 でも運転中にタバコを吸ったりとかは、当時は機関士なら許されたのですね。
このスピードってもしや、クリープってやつですか?
かっこいい 漢の仕事ですわ
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冒頭はD51364号機の残骸ですね この頃はまだ廃車されずに証拠物件として留置されていました。結局修理されることなくそのまま放置され1972年頃解体されたようです
相当古い映像ですね
低評価つけた人、どんな人なんだろう。? その人に興味津々。・
maki tomota 変態かよ 。気持ち悪いな君
石炭&煙は🙅🏻♀️の環境原理主義者もしくはかつての極左労働組合の関係者?
水戸~ 水戸~ 水戸~水郡線乗り換え~ 懐かしさを感じます。 今と昔の沿線風景や、列車、踏切などもだいぶ違います。 最後まで見ると何か感激しちゃいます。 私はこの動画を観てから、喚呼をマネするようになりました。 この動画はこれからの世代に伝える大事な動画です。 削除なんてありえません。
この時代から「三分ほど遅れて到着します・・・」とかやってるんだからすごいよな
スジ屋すげぇw
現代人の感覚からすると、あの重たい機関車が時速100キロ近くで走っていたというのがなかなか想像しがたいですね。
陸海空の乗り物全てにおいて、人の命を守るのは、最終的には“人”の力なんだよね。
かなりのハードワーク‥煤と灼熱と石炭くべりに圧力加減にキャブの右方確認...機関車が好きだけじゃ通用できないですね。
突放は怖いよね。
漢の仕事ですなぁ・・・
信号未整備で多数の列車と速度、加速減速の違う車(特性が違う)が同一線上で走行するという状況ですから尚更ダイヤ重視に沿った運行だったのではないでしょうか。 今は運行、車両、サービスまでコンピューター制御、何かあれば直ぐに止める事ができる。 当時は列車無線さえ無かった。2大事故はそういう状況で起きた、 ナレーターはなべおさみでしょうか?。
ここまで観終って気が付いた事、それは、機関助士の青沼君より機関士の人の方が主役っぽいなぁw 人間が支えていた時代、この映画は全てを撮り尽くしている。
教材として制作された映画のようですね、依頼主は国鉄、 三大事故が続いての制作でしょうか?、三河島事故の機関車は事故を本で読んだよりリアルに映されてます。 新しい車両の登場、輸送量の増大、貧弱な信号システムに人に頼る思想、今からみるとアンバランスな状況。
今では考えられない位人で支えられていた時代、 重労働で重負担、信号も人、踏切警手も人、駅員も人何から何まで人、 そんな時代。
考え深い。たった一年ばかり前同じルート上、三河島駅構内であれだけの大事故があった なんて。二人はさぞかし神経使っていたんだろうね。特に取手過ぎてから。蒸気は大変、 例え信号の故障がなくても、ボイラーで前視界は悪いのに加えて石炭煙で常時目を開けて おれない。夜間ならなおさら。それで以って時刻厳守全責任。
さっきまで見てた少しだけあの事故のことが出てた
雷管が使われるシーンじめて見た!!
鉄道時計が何気にオメガ製