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紀州のけんちゃん923
Japan
เข้าร่วมเมื่อ 22 ก.พ. 2014
当チャンネルをご視聴いただきありがとうございます! 最初の東京オリンピックや大阪万国博、現役時代の蒸気機関車もこの目で見ている昭和世代です(^^; 出身は和歌山県。その後大阪、福岡、長野、新潟、埼玉などに移り住み、現在は和歌山県に戻っています。子供の頃から鉄道やカメラが大好きでいろいろ撮りましたが、昔の記録はことごとく消え去っています。初めて撮影した写真は和歌山線のC57形蒸気機関車や、和歌山市内を走る市電でした。高校時代は8ミリフィルムカメラ(音無し)などでも撮影しました。趣味が高じて最終学歴は大阪芸術大学の写真学科です。小学校時代は地元の鉄道、中学時代は関西本線・中央西線・山陰本線などに行き、高校時代になると北海道(季節は冬ばかり)に何度も足を運びました。SLが消えた後は、長野県に住んでいた関係で山の写真や風景写真が多くなり、しばらく鉄道写真から離れていました。今振り返ると国鉄民営化の時期の記録がほとんど残っていないのが悔やまれます(≧▽≦) 若い頃のように精力的にあちこち回れませんが、足腰が丈夫なうちに少しでも鉄道を撮り続けたいと思っています。今後ともよろしくお願い致します(*´▽`*)
撮影機材=カメラ・CANON EOD5DMarkⅢ PowerShot SX740HS
ビデオ・SONY デジタル4K FDR-AX100 デジタル4K FDR-AX40
撮影は北海道、東北、九州などの遠方は基本空路+レンタカー。それ以外の近場はマイカーで回ることが多いです。
マイカーだと機材の重さなどを考えなくでもよいので。空路のPeachでは何度も追加料金を払わされました(;´∀`)
撮影機材=カメラ・CANON EOD5DMarkⅢ PowerShot SX740HS
ビデオ・SONY デジタル4K FDR-AX100 デジタル4K FDR-AX40
撮影は北海道、東北、九州などの遠方は基本空路+レンタカー。それ以外の近場はマイカーで回ることが多いです。
マイカーだと機材の重さなどを考えなくでもよいので。空路のPeachでは何度も追加料金を払わされました(;´∀`)
タウシュベツ川橋梁・真夏の早朝見学ツアー
2024年6月大規模崩落があったタウシュベツ川橋梁。糠平湖の水位によって見え隠れする[幻の橋]と呼ばれる橋です。ニュースを見て急きょ撮影計画を立てました。3年前の同時期は完全水没でしたので、今回はそのリベンジ戦。11連アーチの姿が見えなくなる Xデーは近いようです。
参考資料:ひがし大雪アーチ橋友の会様HP ひがし大雪自然ガイドセンター様HP
参考資料:ひがし大雪アーチ橋友の会様HP ひがし大雪自然ガイドセンター様HP
มุมมอง: 757
วีดีโอ
引退迫る最後の国鉄特急381系&足立駅今昔
มุมมอง 1838 หลายเดือนก่อน
伯備線電化で運行を始めた振子式381系。最後の国鉄型特急でありましたが、ここが最後の活躍の場となりました。2024.4以降、新型273系に置換えられます。足立駅ではSL時代の遺構を発見! 出典:広瀬和彦様の思い出の箱 okazu1945.moo.jp/hakubisen/nunohara.htm
SL撮影の聖地だった布原信号所の今!
มุมมอง 20510 หลายเดือนก่อน
SL【蒸気機関車】終焉の頃、最も人気のあった撮影地が伯備線の布原信号所でした。国鉄民営化で駅に昇格し、電化後は振子特急の381系が活躍して来ましたが、2024年4月に新型273系が導入されます。そんなSLの引退から、52年が経過した布原駅を訪ねてみました! お勧めの動画はこちら ➡ th-cam.com/video/4BtkKVJr6sQ/w-d-xo.html こちらの楽曲もお勧め ➡ th-cam.com/video/0vYW6Ph3Pc0/w-d-xo.html
秋田から来た五能線カラーのキハが活躍する北条鉄道
มุมมอง 201ปีที่แล้ว
兵庫県加西市の第三セクター北条鉄道では、昨年春にJR東日本からキハ40形気動車の譲渡がありました。無事に1周年もすぎ、秋田時代の五能線カラーで播磨路を駆け抜けています (*´▽`*)
キハ85系特急南紀 引退前グリーン車2両の特別列車も
มุมมอง 200ปีที่แล้ว
令和5年6月30日をもって、紀勢本線のキハ85系特急南紀が引退となりました。6月24と25日には、特別編成の [ありがとうキハ85系南紀] 号が名古屋~新宮間に運転されました。通常では見られない、前後にパノラマグリーン車キロ85形を連結した6両の編成でした。
特急ひだ号 引退前のキハ85と新型HC85との共演
มุมมอง 140ปีที่แล้ว
令和5年6月30日をもって高山本線の人気特急ひだ号はこれまでのキハ85系から、新型ハイブリッド車両のHC85系に置換えられました。なおHC85系の形式表記は電車と同じになっています。キハではなく、モハやクモハなど。 翌月の7月8日~9日には、特別列車「さよならキハ85系」号が運転されました。
臨時キハ183系オホーツク 異色7両編成で最後の花道
มุมมอง 550ปีที่แล้ว
石北本線で長きに亘り活躍してきたキハ183系気動車が、2023年3月17日をもって引退となりました。翌月の4月9日~10日には最後のさよなら運転が行われました。その列車の編成が凄くて、全車座席指定、国鉄時代にも無かったグリーン車キロを3両連結して最後の花道を駆け抜けました!
伝説の大雪くずれ1527レ あれから半世紀の北見駅へ
มุมมอง 1.8Kปีที่แล้ว
昭和50年3月、最後の蒸気機関車を追って北海道へ! 北見駅でのSL映像は数日間の雪害運休が解除された直後でした。この当時撮影した踏切を48年ぶりに再訪。現在の列車との走りを比較してみました。SLを撮影した場所は183系を撮影した場所よりもう少し後方でしたので、走破タイムはの差はもう少し短いかと思います。
令和4年9月30日 キハ281引退 283系は石北本線へ
มุมมอง 2.8K2 ปีที่แล้ว
JR北海道初の振子式気動車キハ281系が、2022年9月30日に定期運用から引退します。また弟分のキハ283系も引退かと思われましたが、こちらは石北本線への転用が決まったようでひと安心。しかしグリーン車は全車廃車となったようです。これらのこれまでの活躍をまとめてみました!
士幌線の後編です 。黒石平駅~十勝三股駅
มุมมอง 9K2 ปีที่แล้ว
士幌線廃線跡巡りの後編、黒石平~終点十勝三股です。平成6年の比較映像あり。民営化直前に廃止のため、8:27にJR時代とあるのは間違いです。車載動画はHD画質。動画が止まるため同じものを再アップしました。
日本最東端の釧路貨物(タ)駅 新富士駅のホームより
มุมมอง 1.7K3 ปีที่แล้ว
JR貨物日本最東端の釧路貨物ターミナル駅です。現在1日2便運行されています。かつては雄別鉄道なども乗入れていた広い構内。職人技で手際よく捌かれるコンテナたちはどこからやって来たのでしょう。撮影終了後は釧路の市場に立ち寄り、その後空港から帰路につきました(*´▽`*)
帯広~釧路へ・幸福駅のSL映像と釧路名物炉ばた
มุมมอง 5273 ปีที่แล้ว
国鉄士幌線の撮影を終え、今朝は十勝川橋梁での撮影から。その後帯広から釧路まで、懐かしい朱色4号に塗装されたキハ40で釧路へ。国鉄広尾線幸福駅での映像や、途中駅では過去の映像との比較。そして今夜は本場釧路の炉端焼を堪能しました(*´▽`*)
士幌線を巡る旅路/前編 帯広駅~清水谷駅 現役時代のSL映像も
มุมมอง 22K3 ปีที่แล้ว
2021年夏、猛暑の北海道十勝地方に国鉄士幌線跡を訪ねました。以前訪れたのはSLが消えた年の昭和50年。当時16歳の私が撮影した同じ場所を再訪しました。前編では帯広駅~清水谷駅を地図と空中写真で辿ります(;´∀`)
狩勝峠の歴史散歩と十勝平野を行く新旧の車両
มุมมอง 1.2K3 ปีที่แล้ว
記録的な暑さだった2021年夏の十勝。幾寅駅、東鹿越駅に続く第3弾は、根室本線旧線の狩勝峠から旧新内駅へ、そして景色の素晴らしい現行路線を行く車両たち。連日37度を超す酷暑の中、アリと戦いながらの撮影でした。なお車載動画はHD画質です。
根室本線 この区間もまもなく廃止に
มุมมอง 4803 ปีที่แล้ว
2016年の台風被害で現在も運休中の根室本線東鹿越~新得。復旧作業は行われずこのまま廃止になるようです。今回は現在鉄路の終着駅となっている東鹿越駅と、不通区間内にある落合駅。さらにその先、かつて延びていた旧線跡に沿って日本三大車窓の狩勝峠を訪ねました(^^)/
もう30年も経つの!?びっくり。
ここ最近昔の事を思い出して動画を漁っていたらこちらに辿り着きました。昔の国道38号線は士幌線を跨ぐため跨線橋になってたけどどの辺だったかなーと懐かしんでまして、、、自分の記憶では西8条辺りにあったと記憶していましたが間違い無かった様です。とてもスッキリした気持ちです
道路版キマロキ編成見たのは初めてでした。名寄の駅そばも朱鞠内の駅舎も、湖畔のよろずやも今は昔ですね😅
この路線が廃止される 1年前に撮影したんですねいやはい もし 廃止されなかったら乗りたかったな
いい動画をありがとうございました。何度見ても胸に沁みます。廃止されて久しいですが、今は現役時代の動画が宝物ですね!(^-^)
武甲山の石灰石が朝鮮特需で莫大な富を得て、秩父夜祭が再興したんですよね!
この路線は、一度だけ乗車したけど、北海道を感じる最後に残った路線だったと思います。1日3本、直通は一本しかないので工程を組むのは大変だったけど、乗れたことには後悔してない。廃止間際、ある週刊誌でこの路線が取り上げられ、売店の人はパンを普段の五倍仕入れたけど、飛ぶように売れた記事を読んだことがあります。
私は大学時代に帯広中心に広尾線釧路、厚岸、根室に行った思い出が有ります
音楽も哀愁を帯びて素晴らしい
「C62-3」に魅せられ、何度も何度も通いました。 当時は線路際を歩いて撮影地に向かっても、JRの職員も承知の上で列車を運行してました。(もちろんファン側も通過する列車に細心の注意を払ってました。) 鉄道ファンも鉄道会社も、「持ちつ持たれつ」という良い関係を築いてました。 小樽に帰ってきた「C62-3」の機関士席に座らせていただき、機関士さんに撮影してもらった写真、大切に保存しています。 簡単に運転室に入れたのも、今は昔です。 機関士さんに改めて御礼申し上げます。
コメントありがとうございます😊 私も機関士さんと一緒に撮ってもらった写真を大切に飾っています。運転室に入れて頂いたのも、忘れられない思い出です❗️
我が高山線はSLが引退ディゼルに初代特急ひだ号名古屋高山富山金沢間一日一往復運転
寝台列車は、復活出来ないものなのか? 人生、速さだけが全てでは無い…。
711系、走ってるー😂
Nice video ❤️❤️
うわ~、すごい! 見応えありますね、ありがとうございます。直近の完全版、やはりいよいよ橋はヤバい感じ、よくわかりました。季節や天候など運任せですが、好条件も揃って、きれいに撮られてわかりやすく、昔の素材まで、・・・私もまた、行きたくなりました。最後の宿の食事など、私にとっては大事なポイントです笑 ガイドツアーは必須なんですよね、今度は泊まりで行きます。機材もいいのが欲しくなります。いや~、ほんとにいいもんですよね、こういう旅は。
コメントありがとうございます(^^) 最初はずっと悪天候の予報だったのが、ある時突然晴れ間表示が出現。急きょ旅を計画しました。早朝ツアーも偶然当日とその前後2日に空きがあるだけでしたので迷わず出発。早朝は風も出にくく湖面が鏡のようになる確率が高いですね! すべて運任せの旅ですが、今回は3年前のリベンジ戦で、神様もお力を貸して頂けたようです。最新の情報では、湖面の水位が上がり橋脚の半分くらいまできているようです。めがね橋になるのは今ですね! 10半ばには水没しそうな勢いです (^^;
最後の方、幌内炭鉱は施設を撤去せず最低限の整備で公開しているのがイイですね。
コメントありがとうございます😊今回は天候に恵まれたのが何よりでした。標高が高く早朝でしたので、快適でした。早朝は風がなく、湖面が鏡のようになるのがいいですね。しかしアブ🪰が多いです。半袖で行ったので、何ヶ所も刺されました😂 糠平湖東側の林道は快適でしたか❓今は一般車通行止になっているかもしれませんね(*´꒳`*)
行動力羨ましいです。0:50橋前後の築堤は削られていないんですね。森林があるとないとでは橋梁の存在感と印象が全く違います。2:22私も同じく90年頃に然別湖のキャンプ場にテント泊してその後、糠平湖東岸の林道を走ったんですが、その時はトムラウシ川橋梁のことを知らず通過してしまいました😿 でも8月なので水没中だったんですね。9:30 10:10この流木とのコラボは画になります。何度もこんな流木に当たられてたでしょうに。15:33メトセップ展望台からの眺めも観てなかった感じです… ありがとうございました
あんな近くに住んでいたのに………全く行かなかったですね 何故だ!
どれも素敵な動画素敵な動画ですね。 自分の訪れた場所を見る度にBGMも重なり、懐かしく泣けてきました。 そして半世紀前に戻ることができました。 ありがとうございます。
ついこの前と思っていたら、半世紀が経っていたという感じですね(^^;;
音楽無し版をよろしくお願いいたします
関西線よく愛知から夜勤明けで通いました若さ故でしょうか今では考えられません一緒に行った友人もなくなり寂しくなりました
公開ありがとうございます。力作です。白樺/蕗の台なんて、車でも行くのが容易ではないところへよく行けましたね。朱鞠内の方には通行止めで抜けれなかったのでは。
私も廃止が近い時に乗りました。キハ53が懐かしいです。朱鞠内駅でキハ53を撮影したのを覚えています。
こんな山盛りに積んで崩れないのが不思議ですね😅
私が訪れたのは昭和末期 代行バスでした 雪深い日で当時の様子を伺い知ることはできませんでした 駅前にあった商店の方とお話しすることができて福岡大学の学生だと知るとヒグマに襲われた福岡大学生の話をしてくれました もう30年以上前の話です 懐かしいです
ありがとうございます😊。懐かしくて素晴らしい動画を見て感激しております。涙を流しつつ見ました。 昭和39年に上砂川町奥沢から栃木県小山市に転居しました。現在千葉県印西市に住んでおります。岩﨑(小関)和紀
貴重な映像ありがとうございます。 廃線後、JRバスで名寄や深川から乗車しましたが、ほとんど乗客はいません。 この夏はレンタカーで名寄から幌加内あたりまで行く予定です。朱鞠内や幌加内で駅名標が見られますね。
コメントありがとうございます。今年はクマ🐻との遭遇が多いようなので、気をつけて行ってきてください。蕗の台や白樺駅跡は貨物ホームもあっていいのですが、いかにもクマさん🐻が出そうで怖かったです(≧∀≦)
なつかしくて感動しましたよ。 帯広ガスの近くの小学校だったのでグランドの目の前を汽車が通るのを毎日見ていました。
コメントありがとうございます(^^) 私もそうですが、子供の頃に記憶した情景というものは、年を取ればとるほど鮮明に思い出してきますね。
実家が帯広ガス付近なので懐かしい、糠平のスキー場で士幌線に乗車しましたね。しかし然別湖でボートに乗ると大自然丸出しでね、メチャ開拓者とか、野生の熊になったような気分になります、ボートお勧めです。
ご自身の懐かしい地元を思い出して頂けたようで、映像がお役に立てたことを嬉しく思います。
思い出がいっぱい。食堂車でディナーを食べ、ロビーカーでノートにコメントを書き、ソロが空いてない時は、仕方なくロイヤルに泊まる事も度々あり。 それと比べて、一晩寝たら出発地に戻ってきちゃうクルーズトレインってなんだよ。
ステップを刻むような回転数の上がり方がたまりませんね。よく上り列車の貫通扉から音を聞いたもんです。でもそれも今や昔の話。
早朝長万部駅の蟹飯をホームで買った思い出
人手不足という嘘の理由で外国人労働者を呼び込む昨今ですが、こんな繊細な作業は日本人しかできないでしょうね。
ヤード型の貨物輸送をしている国は今でもあるのでそう言った国ではこの技術もありますよ。
@@AKAMA07 「こんな繊細な作業は日本人しかできないでしょうね。」 を 「こんな繊細な作業は日本人が得意とするところでしょうね」 に訂正します。
@@スノーくん も一つ夢を壊すようで申し訳ないのですが、「匠の技」の陰にものすごい数の労災がありました。 今はめっきり少なくなった駅のキヨスク、あれは元々殉職した職員の配偶者の食い扶持を確保するための事業でしたし、鉄道病院(今のJR病院)は外科はピカイチなんて言われていました。私がかつて勤務していた職場にも隻腕の事務員さんがいました。 貨物の仕分けは多大な犠牲の上に成り立っていた事業でした。
@@AKAMA07 そうなんでしょうね。 皆がみんな、こんな巧の技のような作業ができる人ばかりじゃないと造像できます。 選ばれた優秀で繊細な人だけが作業をするわけでないでしょうから、 中には不器用な人、おっちょこちょいな人、無神経な人、ガサツな人がいて、ブレーキ掛け過ぎて届かなかったり、逆にぶつけてしまったりする人もいたことでしょう。 もしかしたら無人の突放車両を走って追いかけると言うような場面もあったかもしれません。 仕事なので、「私はこんな繊細な作業は苦手なので出来ません」などと拒絶することもできないでしょう。 もしも私のような、しょっちゅう飲み物のカップを倒す、そそっかしい人間なら、間違いなくぶつけてしまったり、車両に挟まれたりすることでしょう。 見方によれば色んな意味で怖い作業だと思います。
鉄道愛に溢れたいい動画でした。今は見ることができない景色ですが、タイムマシンに乗った気分です。ありがとうございました。(^-^)
コメントありがとうございます。あの時からもう30年になるのですね。若かりし頃の自分を見ると、当時の記憶が蘇ってきます。
上士幌町が田舎なので良く乗りましたよ、国鉄時代で同級生の親が国鉄マン、官舎とかにも遊びにいったなぁ、士幌線ラストランの時は上士幌町から帯広まで車で競争したな😅w
やはり、若い頃は地元を離れたくなるものですが、離れてみて始めて故郷の良さを発見できるのですね。
突放はかつて稲沢操車場でよく見られました。機関車に押された貨車が連結を途中開放されて転がり足踏みブレーキを操作して減速し、目的の編成に連結していました。他に。ハンプといって小高いところから貨車を転がし車輪のフランジを締めて貨車を減速するカーリターダーという装置を通過し、目的の編成に連結する光景がかつて良く見られました。三岐鉄道の場合ボギー貨車でデッキにハンドブレーキが付いていて突放のとき編成に連結する時にハンドルを締めてブレーキをかけます。
またSL走らないだろうか、無理ならDLでも可。
奈良界隈では平成以降も何度か走らせる計画は上がるのですが、沿線の警備の面や予算の関係で反対があるので難しいそうですよ。
泣きました😭
私の母と祖父母が十勝三股の住民でした。 小学生の頃に士幌線最終列車にも乗りました。 子供の頃に十勝三股に行ったっきり 魅力というか魔力に取り憑かれ、 先週も昨日も十勝三股までドライブしに 行ってきました。
実際に😳自分で乗車した時の映像があるのが😳凄い
僕が10年くらい前に見たカシオペアの運転士さんもサービス満点でした
いつも心配するのですが、作業ぃの飛び出しとかあって止めてしまったら立ち往生しないのかなー
一番多いのは機関車の蹴りが弱くて途中で止まるやつ 後でもう一回連結して押し込まないいけない
懐かしいな😂 今も上砂川町に住んでるけど😂
鉄道も鉄道職員も鉄道ファンも近い存在だった。みんな楽しんでいた。 いつから罵声を浴びせたりするようになってしまったのか・・・残念でならない。
キハ53系、今のJRの車両にはない車内の温もりを感じられ、エンジンのサウンドにローカル線独自の旅情を感じます。人口の減少で利用者が減り路線の維持が難しいので廃止になったのでしょうが老人、学生には不便が生じたでしょう。JR化後の北海道の鉄道は、ローカル線が次々に姿を消して寂しいですね。😢
これいつまでやってたんだろう
コメントありがとうございます(^^) この作業は現在も行われています!
@@user-C58139 マジすか...もしかして唯一の現役ですか?
カーリング日本代表決定
前編に続き後編も拝見させて頂きました。 士幌線の乗車経験は昭和56年です。 遥々、大阪から特急白鳥(13時間乗車)に乗り青森、青函連絡船で函館、そこからも列車を乗り継ぎ帯広へ😅 目的駅は十勝三股駅、とあるイベント参加とニペソツ山登山が目的でした。 イベント参加者はキャンプ泊で、後の登山用品も有り大荷物、しかも大人数。 当時の士幌線って1日乗降客数は5人とかのレベル。 キハ40、2両編成クンもビックリしたと思います。 列車に乗り込んだ乗客は通路いっぱいになる程の人数! しかも先述の様に大荷物。 次は糠平駅と言う所まで来て動画で閉鎖されていたトンネルまで来ましたが、キハ40君も頑張るんですが、重くてついにトンネル内で力尽き止まってしまったwww 何度か気動車のディーゼルエンジンは勇猛果敢な唸りを響かせるも…… 動きませんwww それでも何度かチャレンジして静々と(訂正)ノロノロと動き出し糠平駅到着。まさに青息吐息、きっとトルコンオイルはオーバーヒート寸前と予想します。 乗車当時、糠平駅〜十勝三股駅はバス代行運転となっていて、事実上の廃線状態。 代行バスはマイクロバス! 人数的に乗り切れるはず無いのですが、そこの記憶が有りません。 臨時に往復運転したのか?帯広駅で多人数乗車は分かっていたはずなので、臨時に増便したのかは不明です(汗) まあ、あのトンネルが映っていたのがホントに感動です。 他の方が上げた士幌線の映像にはトンネル映って居なかった。😅 ただ心残りなのは代行バスだったのでタウシュベツ川橋梁は渡っていないんですよ! 当時、まだ鉄分少なめだったので、後から知って残念無念です。 この旅には色んな出来事が有り士幌線から少し話はそれますが、2つ大きなトラブルが有りました。 15人ほどのグループでしたが大学の私達4人で高校生10人ほどを引率していたんですが、大川山系のニペソツ山登山の下山中高校生の1人がバテてダウン。 ニペソツ山は標高2000m程ですが比較的高緯度地域なので通常の300m級の山と同等の注意が必要何ですよ。ダウンした子はどうも水分不足で脱水症状による熱射病症状で体温は38℃程で日陰で休ませ、自衛隊の方が運んでくれた水で身体を冷し事なきを得ました。 自衛隊員凄い、急坂をものともせず水入り20L鉄缶を運んで来られた。 感動!惚れる❤www 帰路の旅程もトラブルが、 糠平温泉で1泊、帯広でも十勝川温泉に漬かり帯広駅のホテルで1泊。 札幌に向けて特急に乗車! ところが台風崩れの低気圧で大雨が降り滝川駅に停車、数時間後に運休してしまいます。当時の北海道の降雨記録更新と成り道内では氾濫発生、畜牛も多く溺死したと聞きます。滝川駅から臨時のバスで札幌へ移動。途中道路が冠水して乗用車は動けず、バスは何とか札幌へ…… 札幌到着は夜中過ぎ1時ごろ。夕食食べてないので、とりあえずススキの寿司屋へ行き15人分の巻き寿司を購入…… その後3日ほど道内の鉄道は運休で、まあその間も色々有った旅でした。 余談の方が長くなってしまいました(汗) でも士幌線と言えば私の中で、これらの話がセット何ですよ、お許しくださいませ。 これらを思い出させてくれた動画と主様に感謝いたします。 ありがとう御座いました。
士幌線は昭和56年に乗車した記憶が有ります。 当時はさほど鉄分が多くなかったので、今思えばもっと鉄分多めの目線で見ておくべきだったと後悔しています。 士幌線乗車は十勝三股駅からニペソツ山登山とイベント参加が目的でした。この時の1往復が士幌線乗車経験です。帰路では糠平駅(多分)から糠平温泉の宿で1泊した記憶が有ります。 この旅は糠平線以外にも色んな思い出やアクシデントが有るんですが、それは後半部分なのでそちらにコメントさせて頂きます。 さて後半後半w
9:56 機関車ボイラーのカットモデル凄いですね。 伝熱面積をコンパクトに増やす努力が見えます。 ボイラー下部は煙管、ボイラー上部は太い煙管の中に水管が通っているのが観察出来ます。 動態保存されている物はこんな構造のボイラーをバラして作り替えたり補修する。 手間ひまだけじゃ無く何か挫けない強い気持ちが無いと出来ない仕事ですね。