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土蜘蛛の研究をしている者です。正体は縄文系弥生人です。別名八束脛といい、群馬県に八束脛の骨があるという伝説の残る八束脛洞窟遺跡という遺跡があり、そこから出た人骨はDNA鑑定で縄文系の弥生人と判明しました。ちなみに身長が短く手足が長いというのは縄文人の身体的特徴であります。八束脛もふくらはぎが長いという意味。ナガスネヒコも同義。また手長足長という土蜘蛛も出てきます。記紀よりも風土記に土蜘蛛伝説は多く含まれており、常陸茨城は茨で作った城で土蜘蛛を殺したからだと、地名の由来にも土蜘蛛が関わっていたりします。実は弥生時代〜古墳にかけては、東日本以東以北では縄文模様ゴテゴテであまり水田稲作をしない、縄文の伝統を色濃く残す弥生文化が営まれて居ました。北東北、北海道は続縄文時代です。そこまでいくと蝦夷と呼ばれていたみたいです。陸奥国風土記逸文には宮城県、槻木で土蜘蛛が津軽の蝦夷と通じ計ってとあるので、土蜘蛛と蝦夷は意思疎通ができていたようです。また、九州北部中部にも土蜘蛛伝説が多く残っています。肥前国より南の先住民を熊襲、隼人と言ったみたいです。 6:18大耳、垂耳というのも縄文人の耳が大きいことを指していると思われます。
土蜘蛛の話で出てきた葛城山といえば、有力な古代豪族の一つに葛城氏という氏族がいますね。葛城氏といえば渡来系の技術者を多く抱え対朝鮮の外交も担っていた氏族で、後にその役目は蘇我氏に継承されたとも言われているので、この動画と関連付けて考えると、葛城の土蜘蛛は渡来人の一派であったとも考えられるし、天皇家がそういった従順な土蜘蛛勢力を配下に組み込んで勢力を増していったとも考えられますねあと、minerve scientica氏の動画の一つで、長江流域のオーストロネシア語族と日本語の関連性の深さも指摘されていますし、長江流域の民族の一つが長崎などの九州西岸に移住、土着して日本語との交流があったというのもそれほど突飛な説ではないのかもしれませんね😂
賀茂氏も。
みやま市には土蜘蛛の首長の田油津媛(たぶらつひめ)の古墳が蜘蛛塚として残っていますね、時代がもう少し古ければ卑弥呼っぽいですけどね
土蜘蛛の目がいちいちカワイイ@_@w
8:06 吉野山伏の始祖井角乗の祖先です。つまり修験山伏は国栖族が関係していたということです。
大和王権に属するとどういう特典があったのか?侵略者には普通に抵抗するわな
弥生終末期から古墳時代の出来事に縄文人ないよね😂弥生文化が活発だった地域で討伐がなされたということは、つまり…
妖怪扱いは酷いよね単に中央政府に反抗的な部族だっただけなんだけどねまあ、どこの国でも勝った方が都合良いように歴史改竄するのは常識と言えば常識だが……
土蜘蛛、国巣は日本の先住民ではないかといわれている
この話は、正しい話なのか、正しくない話なのか
縄文人を弥生人が蔑称で呼んでいた話なんじゃないの?
それであってるはずだな
価値観、正義論、解釈の仕方、体制の意識、恐らく現在の世の中での理解はないでしょうね。悲しい哉、歴史の側面です。忘れないということが1つの意思表示になると信じてます。
コロポックル☆
土蜘蛛の研究をしている者です。正体は縄文系弥生人です。別名八束脛といい、群馬県に八束脛の骨があるという伝説の残る八束脛洞窟遺跡という遺跡があり、そこから出た人骨はDNA鑑定で縄文系の弥生人と判明しました。
ちなみに身長が短く手足が長いというのは縄文人の身体的特徴であります。八束脛もふくらはぎが長いという意味。ナガスネヒコも同義。また手長足長という土蜘蛛も出てきます。記紀よりも風土記に土蜘蛛伝説は多く含まれており、常陸茨城は茨で作った城で土蜘蛛を殺したからだと、地名の由来にも土蜘蛛が関わっていたりします。
実は弥生時代〜古墳にかけては、東日本以東以北では縄文模様ゴテゴテであまり水田稲作をしない、縄文の伝統を色濃く残す弥生文化が営まれて居ました。北東北、北海道は続縄文時代です。そこまでいくと蝦夷と呼ばれていたみたいです。陸奥国風土記逸文には宮城県、槻木で土蜘蛛が津軽の蝦夷と通じ計ってとあるので、土蜘蛛と蝦夷は意思疎通ができていたようです。
また、九州北部中部にも土蜘蛛伝説が多く残っています。肥前国より南の先住民を熊襲、隼人と言ったみたいです。 6:18大耳、垂耳というのも縄文人の耳が大きいことを指していると思われます。
土蜘蛛の話で出てきた葛城山といえば、有力な古代豪族の一つに葛城氏という氏族がいますね。
葛城氏といえば渡来系の技術者を多く抱え対朝鮮の外交も担っていた氏族で、後にその役目は蘇我氏に継承されたとも言われているので、この動画と関連付けて考えると、葛城の土蜘蛛は渡来人の一派であったとも考えられるし、天皇家がそういった従順な土蜘蛛勢力を配下に組み込んで勢力を増していったとも考えられますね
あと、minerve scientica氏の動画の一つで、長江流域のオーストロネシア語族と日本語の関連性の深さも指摘されていますし、長江流域の民族の一つが長崎などの九州西岸に移住、土着して日本語との交流があったというのもそれほど突飛な説ではないのかもしれませんね😂
賀茂氏も。
みやま市には土蜘蛛の首長の田油津媛(たぶらつひめ)の古墳が蜘蛛塚として残っていますね、時代がもう少し古ければ卑弥呼っぽいですけどね
土蜘蛛の目がいちいちカワイイ@_@w
8:06 吉野山伏の始祖井角乗の祖先です。つまり修験山伏は国栖族が関係していたということです。
大和王権に属するとどういう特典があったのか?
侵略者には普通に抵抗するわな
弥生終末期から古墳時代の出来事に縄文人ないよね😂弥生文化が活発だった地域で討伐がなされたということは、つまり…
妖怪扱いは酷いよね
単に中央政府に反抗的な部族だっただけなんだけどね
まあ、どこの国でも勝った方が都合良いように歴史改竄するのは常識と言えば常識だが……
土蜘蛛、国巣は日本の先住民ではないかといわれている
この話は、正しい話なのか、正しくない話なのか
縄文人を弥生人が蔑称で呼んでいた話なんじゃないの?
それであってるはずだな
価値観、正義論、解釈の仕方、体制の意識、恐らく現在の世の中での理解はないでしょうね。悲しい哉、歴史の側面です。忘れないということが1つの意思表示になると信じてます。
コロポックル☆