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それなりに有能な2代目3代目が相次いで短命だったのは気の毒だよね
曹叡は公式の父親である曹丕、真の父親疑惑のある袁煕の両者と異なり内政より軍事面の才覚が高かったというのが面白い所ですね。曹操の要素を隔世遺伝で受け継いだのか、もしくは曹操の・・・孔明からしたら代替わりの直後、さらに国としても北伐に無警戒という状況で曹叡がここまで適切な行動を取ってくるというのは想定外だったでしょうね。
ある小説で孫権が言ったセリフ。「曹叡は有能だ。だから怖くない。有能であるがゆえにダメな事も通ってしまう。劉禅は無能だ。だから手強い。すべて諸葛亮を相手にする事になるからだ。」
自分の器を知るという意味の大きさよ
敵を知り己を知れば百戦して危うからずってことですね
辛毗からは「聡明と称されるまでには至っていないが、闇劣ではない」とやや厳しい評価がされている。
なんか名士官僚たちからの評価は辛口ですよね
才覚はあっても浪費癖とかあるのも名を残す人物にある欠点でもありますよね
英邁が故の病みたいなところありますよね
曹叡が後二十年くらい長生きして、曹操並みに跡取り候補の男子がぽこぽこ生まれていれば魏はもう少し保ったのかも?
それは俺も思います。
曹叡の凄いところは第一次北伐のとき張郃を送りこんだことよね。馬謖からしたら、「何故ここに張郃が!?」って驚いただろうね。
だから慌てて山に登った、のかもですね
曹叡は司馬懿に毒殺されたと固く信じている大国の二代目が派手好きというのは良くあることではあります(隋の廃された元皇太子とか曹真は優秀だったのに演義だと全部司馬懿に手柄持っていかれるのよね
浪費癖は複雑な家庭環境によるものと推測しています。曹操にも愛された才覚の持ち主故に早逝が悔やまれます。養生に努める教訓を得ました。リクエスト:現代で何気なく使われている三國志由来の言葉(画餅、白眉、刮目etc)。
対諸葛亮で功績をあげ、公孫淵討伐もあっさりこなしてすぐ帰ってくる。何をしてもテキパキこなす司馬懿をもう抑えられないと無念のまま死んでいくのが軍師連盟では印象的でしたね。
それでも最後には幼い日の自分を救ってくれた司馬懿の背中に縋り、唯一、自分を皇帝ではなく曹叡として見てくれていた司馬懿に「愛」を見出すという展開もまた…
幼い秀頼を残して、徳川家康に後事を託した太閤秀吉の気持ちでしょうね。
出生から謎が多く曹操と曹丕で取り合ったともされる甄夫人で、曹叡の母親であることは間違いはない。曹丕も変わっており甄夫人に愛情を注いでいるうちは良かったが、猜疑心も強く悪口を言ったとかの伝聞だけで申し付けることに。多感な頃に曹叡もおかしくなってもしょうがないが、そこまで曲がることなく成長したのは奇跡的。魏の基盤は確かに曹家・夏侯家の一族よりも軍師などの名士への力が強まっていた感が否めないので、パワーバランスに苦心せざるを得なかった。
曹叡も曹操と同じくクセが凄かったんでしょうね。ただ才能はあるだけに本当に勿体ない。皇帝になるまでが徳川三代みたいで見ている側としては結構面白い展開ですよね。
宮殿の増改築をせずに、内政と後継者問題に力を入れれば司馬懿の介入がなかったかもしれませんしかし、宗族も曹休と曹真の一族が選ばれるほど宗族側も人材が不足していたのですかね曹宇が謙虚な性格だったのも宗族にある意味で止めになったことに
今日も台北で楽しく拝見しました."軍師連盟"だと言えば,第7回に,司馬懿と曹操の初対面のやり取りは私が数々の時代劇の中でもかなりな名シーンだと思います🐉 陳羣の貢献は分かりやすく透明化の官僚制度を立て直す事ですね.若い皇帝が受け入れるか陳本人も難しいと思ったはずなのに正直者ですから新しい制度を守る側の主張になったかもしれません.
呉と季漢の北伐の時は親征するし対処も良い…んだけど親父と一緒で早逝して世代を作れなかったのが魏帝国の痛手
1代目と2代目の早逝は致命的ですよねぇ
軍師同盟の曹叡は神がかってましたね。司馬懿のおんぶシーンも素晴らしかった。
マジで曹叡が一番良い役してましたね
軍師連盟の曹叡は亡き母を愛し過ぎた為自分の想いで見た事ない母の容姿を語りそれを何人もの似顔絵師に描かせたり女装したり異常な行動が多かった。
蜀の北伐は司馬懿と曹叡、曹真の名を大いに上げたしかし、実まで取ったのは司馬懿だけという
長生きは最強
政治的な陰謀だけでなく、毒殺や薬物とかへの警戒、健康に気を使い続けた司馬懿には徳川家康みたいな古狸なイメージがあります@@KOUMEI_NO_WANADA
曹叡は母親思いで母親の死の理由になった義母に父の死後 母親よりも酷い事をしたりとエグイからね。
曹丕と曹叡の早死により老顧の相の持ち主の魏の乗っ取りスタートのスイッチが入ったな曹叡、本当に曹丕の子なのか、わからん。
「曹叡が秦始皇帝・漢武帝に類する」うんぬんは、能力的なこともあるでしょうがどちらも法家であるという意味も含んでいるでしょう。原文では「儔(ともがら)」。これが使われている有名な事例がありますね。「賈詡は程昱・郭嘉の儔。荀彧・荀攸と一緒にするな。」(裴松之)
北方三国志でちょい役で出る曹叡ですが、才能だけの天才で短命。絶望的に飽き性。曹操の血筋だと思いますね。
楽しく拝見しました。参考になります。明帝末期の政治的暗闘が気になるので、つぎは夏侯献に詳しくついて知りたいのですがどうでしょうか🤔。むかし市販本で曹操の外孫(夏侯楙の子)と設定した小説があった記憶もあります。
第一次北伐って涼州を舞台にした魏と蜀漢の外交戦という一面もありまして、漢中出陣の際の詔には「涼州諸国王」が呼応するとありますが実際に呼応したのは3郡のみ、これは諸葛亮にすると想定外だったのではないでしょうか。正直第一次北伐は戦術レベルでは直接的な敗因は馬謖のやらかしですが、戦略・外交レベルでは諸葛亮が曹叡(と謀臣達)に敗れたと言わざるを得ないですね。実際北伐の前に涼州刺史が徐邈に交代していますが前任者は諸葛亮の荊州時代の友人の孟建と蜀漢の狙いがバレている節があります。そう考えると街亭に馬謖を派遣した意図も別の見方ができるかも。もしかすると涼州付近へ軍を動かすことで反乱を扇動する狙いがあったかもしれません。それならば諸葛亮の側で策を練っていたであろう馬謖が選ばれた理由が説明できるかも。まあほとんど妄想ですが。
兵力がカツカツの蜀漢は、やっぱり周辺の諸勢力の力を借りるしかない状況でしたしねぇ🤔
勝手なイメージだけど、司馬懿は曹丕と曹叡の父子が大好きだったんだと思う。本当に生涯の君主として仰ぐつもりだったけど、不幸にも2人して早世してしまった。そこで、曹魏に尽くす気が失せて、周りの名士層に推されて流れるように簒奪への切符を切ってしまったのかもしれない。
曹叡はこと有事に関してはすこぶる有能だったイメージがある
軍師連盟で郭夫人のところに司馬懿とともに逃げたシーンはドッキドキのシーンだったなぁ
曹丕、曹植の兄弟は世に知られているが。二代皇帝曹叡は余り知られずにいるような感じですね。本当に影が薄い。
曹操の男子は25人、曹丕の男子は7人で曹叡の男子は0人。これは偶然とは考えにくいし、魏王朝滅亡の一因とも言えるわけだし🤔
結構、曹叡の子どもの多くが夭折してるのがちょっと闇を感じる…
@@KOUMEI_NO_WANADA ありがちなところでは、おしろいの鉛毒に錬丹などのクスリによる早世ですが...ひょっとすれば、曹叡がイレギュラーな存在で、宮中府中の空気は彼の血統を残したくない、だったとか?
才能は曹操譲り、浪費家だったのは「自分はここまで大規模な人員を集められるんだ!」と自分の力を臣下に誇示したかったからって所もありそうですね〜やり方は間違えてるけど…
曹叡は妻の毛皇后への寵愛が薄れ、郭皇后を愛するようになった。ある日、曹叡は後宮の庭園で遊び、宴を催した際に郭工合から毛皇后もお招きなさるようにと言われるも許さず、箝口令をしいた。しかし、毛皇后はこれを知り、翌日、曹叡に会った際「昨日は北の庭園で宴を開かれ、楽しゅうございましたか」と嫌味を言った。曹叡は秘密が漏れたということで側仕えの女官たちを処刑し、毛皇后も死を賜った。皇后への愛の移り変わりと仕打ちたるや父曹丕によく似ている。まさに「この親子にしてこの子あり」だ。
まだ曹操は妻達には甘かったけど、曹丕に対する躾がちょっと、みたいな感じはある🫠
人間の業の深さですね。
曹叡時代の内政における主なトピックを挙げておきます1.中書監の台頭 →教科書的には前漢は三公、後漢は尚書、魏晋は中書が政治の実権を握ったとされます。 曹丕が秘書から中書に改めたわけですが「専権の任」とまで呼ばれ尚書を上回るのは曹叡の時代からです。2.唯才主義の終焉 →曹操が始めた求賢令はあまりにも有名ですが、やはり戦乱期という特殊な時期のものでした。 太和四年(230)2月の詔勅では能力は当然として道義も重視されています。3.宗室の強化 →曹丕の宗室への冷遇を反省したのでしょう。 太和五年(231)8月、六年(232)2月の詔勅で一族の融和を図っています。4.刑罰の緩和 →鞭打ちの回数、死刑の条項を削減しています。 鞭打ちといっても(蒼天航路で曹操がやってたように)事実上死刑といっていいものがありました。5.九品官人法 →曹丕が始めた九品官人法ですが彼はすぐ亡くなり、曹芳の代で司馬懿に骨抜きにされます。 ①文官が地方に派遣され ②現地の評価を聞いてリストを作り ③中央の役人が最終決定する という形式は曹叡の時代にのみ機能していたかもしれません。こうやって見ると、全般に曹操・曹丕がやってきたことの発展・緩和という印象がありますね。
いつも楽しく拝見しています^ ^曹叡の出自問題は、人妻フェチな曹丕の性癖が1番の問題だと思いました(KONAMI
そりゃ昔は子どもを無事に産める保証付きの人妻の価値は高かったですしね笑
出生の秘密がある皇帝
遺骨とかでDNA検定できれば、ですね
徳川家光とジンギスカンを足したような境遇…
うぽつです。新作待ってました
あざます!!
諸葛亮が最も戦った司馬懿の君主だな
曹叡が…いや、その前に曹丕が長生きしていたら司馬一族が天下を取れなかったでしょうか?ただ八王の乱やその後の混乱を見ていると、司馬一族にせよ曹一族にせよ天下を取ったのは一族にとって良い事だったのか疑問に感じるんですよね。
曹丕・曹叡の寿命はめちゃくちゃ歴史に大きな影響与えてる感じは確かにある
孟達に対する司馬懿の行動の件について、君主によっては司馬懿が咎められてた可能性があるってことだけど、司馬懿は曹叡が賢いから大丈夫と思って行動したのだろうか?司馬懿に自分が貧乏くじを引いてまで尽くすという印象はないけど。
司馬懿は確かに政治家だけど、それ以前にちゃんと魏の臣下だと思います
曹操が鄴に銅雀台造らずに洛陽復興させてれば、曹叡がやる必要なかったのよね誰かは、いつかはやらなきゃならないことだけど、やった人間が否定されるのはいつの世も同じ
あー、そういうことか!じゃあ仕方ない側面もあるのか🤔
曹叡が行ったのは、宮殿の造営であって洛陽の復興ではないですよ?無駄に何度も宮殿の造営を行なっていたから、司馬懿は遼東への出兵と引き換えに宮殿の造営を中止するよう要求したらしいのですが?
@@清忠真田 でも司馬懿の子孫はその「無駄な」工事の恩恵を受けたわけですよね?
出性に関しては曹操と曹丕からの女好きな所はしかっり受け継がれるから問題なさそう
少なくとも司馬懿が忠誠を誓う程度には有能だったのは間違いなかった。そのあとに曹爽一派がやりたい放題したのが致命傷だったのが・・・。司馬懿も曹叡には「義理立て」してたようですし。諸葛亮の件は「仕方がない」ですよね。たった5年で強国に復活するなんて、あの時代どころか、近世でも考えられないですよ・・・
北伐を防ぐ対応は、的確な判断でした。この後は、晩節汚しました。ドラマのスリーキングダム。皇帝になった途端に孔明に攻められ。ボンクラ曹真をネチり。ww。孔明の進行を防ぎきった直後に淵の病になるという。可哀想な境遇でした😢
『詩品』にも名が挙げられてる(下品)ぐらい詩才もあった。
×『詞品』→ 〇『詩品』×下品(げひん)→ 〇下品(かひん)
@@shou-sho ご指摘ありがとうございます。直しておきました。
帝を名乗らず最初の一族に任せてれば最古の国になれたろうに
袁煕「曹叡の父です。この度息子が浪費早死にし、ご迷惑をお掛けして申し訳ございません」
ややこしくなるから出てこないで
甄夫人。「NTRばらしたらだめよ。(*_*)」
曹丕「やれ」司馬懿「はっ」
司馬懿「ポチっとな」魏の乗っ取りスタートのボタンを押した
大魏王朝第四代にあたる曹髦は狂人であり自らの母を殺害しようとし衛兵に殺害されてしまいました至急第五代皇帝を即位させなければ大魏は次の正月を迎えることはできないでしょう。 しかし今現在皇太子の座は空位のままとなっているのです。ですが現行の制度の関係上、女子である私が践祚する事は出来ません。空前絶後の戦功、類稀なる政治力を兼ね備えた大魏の柱たる司馬大将軍の厳密なる調査の結果、大魏王朝は貴方こそが帝位継承第一位に値する男子であると断定したのです。お願いです。どうか皇帝位を受け継ぐ者として立太子の礼をあげてください。 貴方様が傍系である以上、太祖の夫人であり、高祖の母でもある武宣皇后の系譜である私と結婚していただく必要があるので無理にとは言いません。私を妻とする事に依存が無ければ、という条件で構いません。ちなみに言うまでもありませんが私の姓は卞。まずは私の美人画を載せた用紙をお送りいたしますので(貴方だけに見せるぷらいべぇと用紙です)、そちらを見て判断して頂けないでしょうか。 もしOKという事であれば、同封いたします *「立太子ボタン」* を押してください。貴方様に断られてしまいますと、三皇五帝以来続いてきた天子による徳が途絶えてしまうのです。良いお返事をお待ちしております。
曹叡は、家臣に諫言される事が有っても、それを理由に家臣を殺したりする事は無かったんですよね。軍才も曹操に匹敵するものであったと思いますし、おまけに天性の美貌の持ち主で威厳に満ち溢れていたとか……。正直、君主としての才覚は、蜀の劉禅とは月とスッポンで比べ物にならない。結局、軍才に恵まれた曹叡が存命の時点で孔明の北伐の成功の可能性はほぼ無かったのではないでしょうか?
まぁ、君主にもタイプがあるので🌵
もしかして曹丕が曹叡に冷たかったから曹操がかまってくれてたのかしら?🤔
法律の勉学に熱心というあたり、曹操好みの子どもというのもまた🐎
曹丕、曹叡と短命に終わったのが魏に取っては痛かったが、どのみち皇族を冷遇したから魏王朝の危機には役に立たなかっただろうな。曹叡の死後、曹爽と司馬懿の対立を何とかしようともしなかったし。いや力を抑えられすぎて何も出来なかったのか。だから後に晋が皇帝を守るために皇族に力を与えたが、逆に皇族同士が野望と私利私欲の塊になり八王の乱を引き起こしたて、中原を阿鼻叫喚にしたのは皮肉なことだな。
来ると思ってました。
げぇっ、孔明!!
@@KOUMEI_NO_WANADAいきなりそれ!?
それと曹昂が生きていれば結果は変わっただろう。
曹丕か曹叡どちらかでも長生きしてれば違ったのかな
字が「仲」だから第二子の可能性無いですか?
一応日本史上の重要人物でもある
いや、曹丕の息子じゃなきゃ後継にはならないんじゃないかな…
私は間違いなく、曹操の血筋だと思います。むしろ曹丕の妻になる前に、曹操がお手付きした可能性すらあるのでは?とも。曹丕よりもずっと曹操の才能のほうがよく見える気がします。ただ、悪いところも…色濃くうけてしまったのでしょうね。
曹操の息子ならあの戦術眼も納得袁煕よりもそちらの疑惑で曹丕に毛嫌いされる方が自然に思えます
袁紹の次男えんき説有りそうな曹丕の息子曹叡君😅
あ、そっか確かに(皇帝としては)二代目だった。
間違えやすいところ。試験に出ます(出ません)
曹叡は優秀ではあったのだろうけど曹家は曹操のような長生きが少ないよね曹叡も六十代まで生きてたらな
曹丕が長生きしてれば司馬懿もずっと忠臣だったのに。
袁煕 どうも父です。
闇深
らんま1/2のパンダ玄馬と同じネタ。
斎藤義龍みたいだな
曹叡に寿命があれば、魏の運命は絶対に大きく変わっていた。少なくとも司馬懿が政権を握る未来はない
司馬懿の後任として名士のまとめ役になりそうなのは、誰だろう。司馬師か、陳泰か、鍾会か…
やはり曹丕の早逝なんだよなぁー
托卵皇帝❤
2015年に発見された洛陽西朱村曹魏大墓(墓主は曹叡の娘、平原懿公主曹淑かもしれない)の女性遺骨の父系遺伝子は、少なくとも曹休墓の男性遺骨のDNAの父系遺伝子、亳県曹操家族墓地の曹操の祖叔辈(曹鼎)の父系遺伝子と大体一致している。O 2*-M 268という高频遺伝子断片が存在し、基本的には血統がかなり純正な曹魏皇族のメンバーと考えられるこの「O 2*-M 268」の遺伝子断片は漢王朝の初期には現れないことは間違いないので、曹操と夏侯氏は相国曹参の末裔である可能性はあまりなく、少なくとも曹参の本家本族ではない
実は、もう一つの側面証拠があり、曹丕と曹叡の親子関係を論証することができる:二人とも急性糖尿病の合併症で死亡した。2人とも死亡前に深刻なショック症状があり、数日連続で正常な食事がなかった曹操の子辈、孫辈の多人はこの家族遺伝病で早死にしているが、卞夫人の遺伝子の不良問題かもしれない?
卞夫人の甥である卞蘭は長期にわたって喉が渇き、頻繁に水を飲んだ記録があり、典型的な糖尿病症状。曹丕本人は甘いものが大好きで、毎日仕事をしながら直接「石蜜」(氷砂糖)を食べるほどだった氷砂糖を果物の薬味にするのではなく、氷砂糖をそのまま摂る、口でそのまま食べる。「蜂蜜にサトウキビをつける」のは、曹丕が発明した行為芸術級グルメである。ブドウ糖、果糖(かとう)と蔗糖(しょとう)の結合そして毎日お酒を飲んで大量のアルコールを摂取する、典型的な自殺的な食習慣です
曹操、曹丕、曹叡、曹植は建安風骨、魏晋文学の代表的な人物として、すべて酒好きの芸術家であるが、曹丕、曹植、曹叡はアルコール嗜好に節度がない。また、食事も問題になります。曹丕、曹叡はご飯と鶏鴨肉を食べる時、脂身とご飯に蜂蜜をつけて調味料にするのに慣れていて、しかも高強度の仕事の前に何度も飽食しなければならない1日多食は少年時代の長期的な兵営生活の習慣、満腹にならない限り、フィットネスの良い習慣になります。しかし皇帝になってからは、1日に多食し、満腹になり、酒をたくさん飲んで、糖分を摂取するのが自殺行為だった。曹叡はさらに極端で、36歳で早世し、成年の子嗣を残さなかった。五石散を吸う官僚や名士と長く接していると、精神状態は徐々に禰衡に近づいていく。暴食の習慣があるが、体はずっとやせこけている。糖尿病による膵炎、急性ショックで急死し、死ぬ前に後継者問題に何の準備もできなかった
短命だったのがな。
点赞了给大家推荐一套中国唯一通译裴松之注的书《三国志裴松之注全文通译》 陈寿原文+裴注原文+陈寿译文+裴注译文 地毯式(即全面、完整、无任何删减)翻译 日本亚马逊有卖
2周目
現代でも托卵が問題になってるんだから、当時の略奪婚なんて…。口うるさいお目付け役と聞くと、孫権と張昭みたいだ。あっちほど過激な大喧嘩はしていないがw
すべて曹操が悪い。そう、甄氏を曹丕に盗られた曹操が悪い。あと「曹丕」で一発変換できないのは曹丕が悪い。
後継争いのゴタゴタさえなければ、ここまで歪まなかったのかなぁ、なんて
相変わらず誤読をそのまま配信してる😅
司馬懿の公孫淵征伐のところ、はしょりまくりじゃないっすか?w実際、そうだったんでしょうが。曹叡は幼少期~思春期での愛着上の問題(ともすればトラウマ)をずっと抱えていたのかな?と思いました(ex. 優秀な反面、お金やアルコールなどの問題を起こしやすい)。ただ晩年で司馬懿に後事を託したというのが面子というかエゴというか、そういったものを超越した英断のように映った。
まぁ、曹叡が出陣してるわけでもないので手短に…笑
@@KOUMEI_NO_WANADA 趣旨が逸れちゃいますね。そういや、見ていて田豫さんも思い出しました。
某鳥人間チャンネルの武帝回見た後だと武帝期の前漢の人口減少えぐすぎて、あの人の次点呼ばわりとか正直劉曄は悪口で言ったんじゃないか感ある
功罪含めての皮肉っぽさは確かにありますね
それなりに有能な2代目3代目が相次いで短命だったのは気の毒だよね
曹叡は公式の父親である曹丕、真の父親疑惑のある袁煕の両者と異なり内政より軍事面の才覚が高かったというのが面白い所ですね。
曹操の要素を隔世遺伝で受け継いだのか、もしくは曹操の・・・
孔明からしたら代替わりの直後、さらに国としても北伐に無警戒という状況で曹叡がここまで適切な行動を取ってくるというのは想定外だったでしょうね。
ある小説で孫権が言ったセリフ。「曹叡は有能だ。だから怖くない。有能であるがゆえにダメな事も通ってしまう。劉禅は無能だ。だから手強い。すべて諸葛亮を相手にする事になるからだ。」
自分の器を知るという意味の大きさよ
敵を知り己を知れば百戦して危うからずってことですね
辛毗からは「聡明と称されるまでには至っていないが、闇劣ではない」とやや厳しい評価がされている。
なんか名士官僚たちからの評価は辛口ですよね
才覚はあっても浪費癖とかあるのも名を残す人物にある欠点でもありますよね
英邁が故の病みたいなところありますよね
曹叡が後二十年くらい長生きして、曹操並みに跡取り候補の男子がぽこぽこ生まれていれば魏はもう少し保ったのかも?
それは俺も思います。
曹叡の凄いところは第一次北伐のとき張郃を送りこんだことよね。
馬謖からしたら、「何故ここに張郃が!?」って驚いただろうね。
だから慌てて山に登った、のかもですね
曹叡は司馬懿に毒殺されたと固く信じている
大国の二代目が派手好きというのは良くあることではあります(隋の廃された元皇太子とか
曹真は優秀だったのに演義だと全部司馬懿に手柄持っていかれるのよね
浪費癖は複雑な家庭環境によるものと推測しています。
曹操にも愛された才覚の持ち主故に早逝が悔やまれます。養生に努める教訓を得ました。
リクエスト:現代で何気なく使われている三國志由来の言葉(画餅、白眉、刮目etc)。
対諸葛亮で功績をあげ、公孫淵討伐もあっさりこなしてすぐ帰ってくる。何をしてもテキパキこなす司馬懿をもう抑えられないと無念のまま死んでいくのが軍師連盟では印象的でしたね。
それでも最後には幼い日の自分を救ってくれた司馬懿の背中に縋り、唯一、自分を皇帝ではなく曹叡として見てくれていた司馬懿に「愛」を見出すという展開もまた…
幼い秀頼を残して、徳川家康に後事を託した太閤秀吉の気持ちでしょうね。
出生から謎が多く曹操と曹丕で取り合ったともされる甄夫人で、曹叡の母親であることは間違いはない。
曹丕も変わっており甄夫人に愛情を注いでいるうちは良かったが、猜疑心も強く悪口を言ったとかの伝聞だけで申し付けることに。
多感な頃に曹叡もおかしくなってもしょうがないが、そこまで曲がることなく成長したのは奇跡的。
魏の基盤は確かに曹家・夏侯家の一族よりも軍師などの名士への力が強まっていた感が否めないので、パワーバランスに苦心せざるを得なかった。
曹叡も曹操と同じくクセが凄かったんでしょうね。
ただ才能はあるだけに本当に勿体ない。皇帝になるまでが徳川三代みたいで見ている側としては結構面白い展開ですよね。
宮殿の増改築をせずに、内政と後継者問題に力を入れれば司馬懿の介入がなかったかもしれません
しかし、宗族も曹休と曹真の一族が選ばれるほど宗族側も人材が不足していたのですかね
曹宇が謙虚な性格だったのも宗族にある意味で止めになったことに
今日も台北で楽しく拝見しました."軍師連盟"だと言えば,第7回に,司馬懿と曹操の初対面のやり取りは私が数々の時代劇の中でもかなりな名シーンだと思います🐉 陳羣の貢献は分かりやすく透明化の官僚制度を立て直す事ですね.若い皇帝が受け入れるか陳本人も難しいと思ったはずなのに正直者ですから新しい制度を守る側の主張になったかもしれません.
呉と季漢の北伐の時は親征するし対処も良い…んだけど親父と一緒で早逝して世代を作れなかったのが魏帝国の痛手
1代目と2代目の早逝は致命的ですよねぇ
軍師同盟の曹叡は神がかってましたね。司馬懿のおんぶシーンも素晴らしかった。
マジで曹叡が一番良い役してましたね
軍師連盟の曹叡は亡き母を愛し過ぎた為自分の想いで見た事ない母の容姿を語りそれを何人もの似顔絵師に描かせたり女装したり異常な行動が多かった。
蜀の北伐は司馬懿と曹叡、曹真の名を大いに上げた
しかし、実まで取ったのは司馬懿だけという
長生きは最強
政治的な陰謀だけでなく、毒殺や薬物とかへの警戒、健康に気を使い続けた司馬懿には徳川家康みたいな古狸なイメージがあります@@KOUMEI_NO_WANADA
曹叡は母親思いで母親の死の理由になった義母に父の死後 母親よりも酷い事をしたりとエグイからね。
曹丕と曹叡の早死により老顧の相の持ち主の魏の乗っ取りスタートのスイッチが入ったな
曹叡、本当に曹丕の子なのか、わからん。
「曹叡が秦始皇帝・漢武帝に類する」うんぬんは、能力的なこともあるでしょうがどちらも法家であるという意味も含んでいるでしょう。
原文では「儔(ともがら)」。
これが使われている有名な事例がありますね。「賈詡は程昱・郭嘉の儔。荀彧・荀攸と一緒にするな。」(裴松之)
北方三国志でちょい役で出る曹叡ですが、才能だけの天才で短命。絶望的に飽き性。曹操の血筋だと思いますね。
楽しく拝見しました。参考になります。明帝末期の政治的暗闘が気になるので、つぎは夏侯献に詳しくついて知りたいのですがどうでしょうか🤔。むかし市販本で曹操の外孫(夏侯楙の子)と設定した小説があった記憶もあります。
第一次北伐って涼州を舞台にした魏と蜀漢の外交戦という一面もありまして、漢中出陣の際の詔には「涼州諸国王」が呼応するとありますが実際に呼応したのは3郡のみ、これは諸葛亮にすると想定外だったのではないでしょうか。正直第一次北伐は戦術レベルでは直接的な敗因は馬謖のやらかしですが、戦略・外交レベルでは諸葛亮が曹叡(と謀臣達)に敗れたと言わざるを得ないですね。実際北伐の前に涼州刺史が徐邈に交代していますが前任者は諸葛亮の荊州時代の友人の孟建と蜀漢の狙いがバレている節があります。
そう考えると街亭に馬謖を派遣した意図も別の見方ができるかも。もしかすると涼州付近へ軍を動かすことで反乱を扇動する狙いがあったかもしれません。それならば諸葛亮の側で策を練っていたであろう馬謖が選ばれた理由が説明できるかも。まあほとんど妄想ですが。
兵力がカツカツの蜀漢は、やっぱり周辺の諸勢力の力を借りるしかない状況でしたしねぇ🤔
勝手なイメージだけど、司馬懿は曹丕と曹叡の父子が大好きだったんだと思う。本当に生涯の君主として仰ぐつもりだったけど、不幸にも2人して早世してしまった。
そこで、曹魏に尽くす気が失せて、周りの名士層に推されて流れるように簒奪への切符を切ってしまったのかもしれない。
曹叡はこと有事に関してはすこぶる有能だったイメージがある
軍師連盟で郭夫人のところに司馬懿とともに逃げたシーンはドッキドキのシーンだったなぁ
曹丕、曹植の兄弟は世に知られているが。二代皇帝曹叡は余り知られずにいるような感じですね。本当に影が薄い。
曹操の男子は25人、曹丕の男子は7人で曹叡の男子は0人。
これは偶然とは考えにくいし、魏王朝滅亡の一因とも言えるわけだし🤔
結構、曹叡の子どもの多くが夭折してるのがちょっと闇を感じる…
@@KOUMEI_NO_WANADA ありがちなところでは、おしろいの鉛毒に錬丹などのクスリによる早世ですが...
ひょっとすれば、曹叡がイレギュラーな存在で、宮中府中の空気は彼の血統を残したくない、だったとか?
才能は曹操譲り、浪費家だったのは「自分はここまで大規模な人員を集められるんだ!」と自分の力を臣下に誇示したかったからって所もありそうですね〜
やり方は間違えてるけど…
曹叡は妻の毛皇后への寵愛が薄れ、郭皇后を愛するようになった。ある日、曹叡は後宮の庭園で遊び、宴を催した際に郭工合から毛皇后もお招きなさるようにと言われるも許さず、箝口令をしいた。しかし、毛皇后はこれを知り、翌日、曹叡に会った際「昨日は北の庭園で宴を開かれ、楽しゅうございましたか」と嫌味を言った。曹叡は秘密が漏れたということで側仕えの女官たちを処刑し、毛皇后も死を賜った。皇后への愛の移り変わりと仕打ちたるや父曹丕によく似ている。まさに「この親子にしてこの子あり」だ。
まだ曹操は妻達には甘かったけど、曹丕に対する躾がちょっと、みたいな感じはある🫠
人間の業の深さですね。
曹叡時代の内政における主なトピックを挙げておきます
1.中書監の台頭
→教科書的には前漢は三公、後漢は尚書、魏晋は中書が政治の実権を握ったとされます。
曹丕が秘書から中書に改めたわけですが「専権の任」とまで呼ばれ尚書を上回るのは曹叡の時代からです。
2.唯才主義の終焉
→曹操が始めた求賢令はあまりにも有名ですが、やはり戦乱期という特殊な時期のものでした。
太和四年(230)2月の詔勅では能力は当然として道義も重視されています。
3.宗室の強化
→曹丕の宗室への冷遇を反省したのでしょう。
太和五年(231)8月、六年(232)2月の詔勅で一族の融和を図っています。
4.刑罰の緩和
→鞭打ちの回数、死刑の条項を削減しています。
鞭打ちといっても(蒼天航路で曹操がやってたように)事実上死刑といっていいものがありました。
5.九品官人法
→曹丕が始めた九品官人法ですが彼はすぐ亡くなり、曹芳の代で司馬懿に骨抜きにされます。
①文官が地方に派遣され ②現地の評価を聞いてリストを作り ③中央の役人が最終決定する
という形式は曹叡の時代にのみ機能していたかもしれません。
こうやって見ると、全般に曹操・曹丕がやってきたことの発展・緩和という印象がありますね。
いつも楽しく拝見しています^ ^
曹叡の出自問題は、人妻フェチな曹丕の性癖が1番の問題だと思いました(KONAMI
そりゃ昔は子どもを無事に産める保証付きの人妻の価値は高かったですしね笑
出生の秘密がある皇帝
遺骨とかでDNA検定できれば、ですね
徳川家光とジンギスカンを足したような境遇…
うぽつです。
新作待ってました
あざます!!
諸葛亮が最も戦った司馬懿の君主だな
曹叡が…いや、その前に曹丕が長生きしていたら司馬一族が天下を取れなかったでしょうか?
ただ八王の乱やその後の混乱を見ていると、司馬一族にせよ曹一族にせよ天下を取ったのは一族にとって良い事だったのか疑問に感じるんですよね。
曹丕・曹叡の寿命はめちゃくちゃ歴史に大きな影響与えてる感じは確かにある
孟達に対する司馬懿の行動の件について、君主によっては司馬懿が咎められてた可能性があるってことだけど、司馬懿は曹叡が賢いから大丈夫と思って行動したのだろうか?
司馬懿に自分が貧乏くじを引いてまで尽くすという印象はないけど。
司馬懿は確かに政治家だけど、それ以前にちゃんと魏の臣下だと思います
曹操が鄴に銅雀台造らずに洛陽復興させてれば、曹叡がやる必要なかったのよね
誰かは、いつかはやらなきゃならないことだけど、やった人間が否定されるのはいつの世も同じ
あー、そういうことか!
じゃあ仕方ない側面もあるのか🤔
曹叡が行ったのは、宮殿の造営であって洛陽の復興ではないですよ?
無駄に何度も宮殿の造営を行なっていたから、司馬懿は遼東への出兵と引き換えに宮殿の造営を中止するよう要求したらしいのですが?
@@清忠真田 でも司馬懿の子孫はその「無駄な」工事の恩恵を受けたわけですよね?
出性に関しては曹操と曹丕からの女好きな所はしかっり受け継がれるから問題なさそう
少なくとも司馬懿が忠誠を誓う程度には有能だったのは間違いなかった。
そのあとに曹爽一派がやりたい放題したのが致命傷だったのが・・・。司馬懿も曹叡には「義理立て」してたようですし。
諸葛亮の件は「仕方がない」ですよね。たった5年で強国に復活するなんて、あの時代どころか、近世でも考えられないですよ・・・
北伐を防ぐ対応は、的確な判断でした。この後は、晩節汚しました。ドラマのスリーキングダム。皇帝になった途端に孔明に攻められ。ボンクラ曹真をネチり。ww。孔明の進行を防ぎきった直後に淵の病になるという。可哀想な境遇でした😢
『詩品』にも名が挙げられてる(下品)ぐらい詩才もあった。
×『詞品』→ 〇『詩品』
×下品(げひん)→ 〇下品(かひん)
@@shou-sho ご指摘ありがとうございます。直しておきました。
帝を名乗らず最初の一族に任せてれば最古の国になれたろうに
袁煕「曹叡の父です。この度息子が浪費早死にし、ご迷惑をお掛けして申し訳ございません」
ややこしくなるから出てこないで
甄夫人。「NTRばらしたらだめよ。(*_*)」
曹丕「やれ」
司馬懿「はっ」
司馬懿「ポチっとな」
魏の乗っ取りスタートのボタンを押した
大魏王朝第四代にあたる曹髦は狂人であり自らの母を殺害しようとし衛兵に殺害されてしまいました至急第五代皇帝を即位させなければ大魏は次の正月を迎えることはできないでしょう。 しかし今現在皇太子の座は空位のままとなっているのです。ですが現行の制度の関係上、女子である私が践祚する事は出来ません。
空前絶後の戦功、類稀なる政治力を兼ね備えた大魏の柱たる司馬大将軍の厳密なる調査の結果、大魏王朝は貴方こそが帝位継承第一位に値する男子であると断定したのです。
お願いです。
どうか皇帝位を受け継ぐ者として立太子の礼をあげてください。 貴方様が傍系である以上、太祖の夫人であり、高祖の母でもある武宣皇后の系譜である私と結婚していただく必要があるので無理にとは言いません。私を妻とする事に依存が無ければ、という条件で構いません。
ちなみに言うまでもありませんが私の姓は卞。まずは私の美人画を載せた用紙をお送りいたしますので(貴方だけに見せるぷらいべぇと用紙です)、そちらを見て判断して頂けないでしょうか。 もしOKという事であれば、同封いたします *「立太子ボタン」* を押してください。
貴方様に断られてしまいますと、三皇五帝以来続いてきた天子による徳が途絶えてしまうのです。
良いお返事をお待ちしております。
曹叡は、家臣に諫言される事が有っても、それを理由に家臣を殺したりする事は無かったんですよね。
軍才も曹操に匹敵するものであったと思いますし、おまけに天性の美貌の持ち主で威厳に満ち溢れていたとか……。
正直、君主としての才覚は、蜀の劉禅とは月とスッポンで比べ物にならない。
結局、軍才に恵まれた曹叡が存命の時点で孔明の北伐の成功の可能性はほぼ無かったのではないでしょうか?
まぁ、君主にもタイプがあるので🌵
もしかして曹丕が曹叡に冷たかったから曹操がかまってくれてたのかしら?🤔
法律の勉学に熱心というあたり、曹操好みの子どもというのもまた🐎
曹丕、曹叡と短命に終わったのが魏に取っては痛かったが、どのみち皇族を冷遇したから魏王朝の危機には役に立たなかっただろうな。曹叡の死後、曹爽と司馬懿の対立を何とかしようともしなかったし。いや力を抑えられすぎて何も出来なかったのか。だから後に晋が皇帝を守るために皇族に力を与えたが、逆に皇族同士が野望と私利私欲の塊になり八王の乱を引き起こしたて、中原を阿鼻叫喚にしたのは皮肉なことだな。
来ると思ってました。
げぇっ、孔明!!
@@KOUMEI_NO_WANADAいきなりそれ!?
それと曹昂が生きていれば結果は変わっただろう。
曹丕か曹叡どちらかでも長生きしてれば違ったのかな
字が「仲」だから第二子の可能性無いですか?
一応日本史上の重要人物でもある
いや、曹丕の息子じゃなきゃ後継にはならないんじゃないかな…
私は間違いなく、曹操の血筋だと思います。
むしろ曹丕の妻になる前に、曹操がお手付きした可能性すらあるのでは?とも。
曹丕よりもずっと曹操の才能のほうがよく見える気がします。
ただ、悪いところも…色濃くうけてしまったのでしょうね。
曹操の息子ならあの戦術眼も納得
袁煕よりもそちらの疑惑で曹丕に毛嫌いされる方が自然に思えます
袁紹の次男えんき説有りそうな曹丕の息子曹叡君😅
あ、そっか確かに(皇帝としては)二代目だった。
間違えやすいところ。試験に出ます(出ません)
曹叡は優秀ではあったのだろうけど曹家は曹操のような長生きが少ないよね曹叡も六十代まで生きてたらな
曹丕が長生きしてれば司馬懿もずっと忠臣だったのに。
袁煕 どうも父です。
闇深
らんま1/2のパンダ玄馬と同じネタ。
斎藤義龍みたいだな
曹叡に寿命があれば、魏の運命は絶対に大きく変わっていた。少なくとも司馬懿が政権を握る未来はない
司馬懿の後任として名士のまとめ役になりそうなのは、誰だろう。司馬師か、陳泰か、鍾会か…
やはり曹丕の早逝なんだよなぁー
托卵皇帝❤
2015年に発見された洛陽西朱村曹魏大墓(墓主は曹叡の娘、平原懿公主曹淑かもしれない)の女性遺骨の父系遺伝子は、
少なくとも曹休墓の男性遺骨のDNAの父系遺伝子、亳県曹操家族墓地の曹操の祖叔辈(曹鼎)の父系遺伝子と大体一致している。
O 2*-M 268という高频遺伝子断片が存在し、基本的には血統がかなり純正な曹魏皇族のメンバーと考えられる
この「O 2*-M 268」の遺伝子断片は漢王朝の初期には現れないことは間違いないので、曹操と夏侯氏は相国曹参の末裔である可能性はあまりなく、
少なくとも曹参の本家本族ではない
実は、
もう一つの側面証拠があり、
曹丕と曹叡の親子関係を論証することができる:
二人とも急性糖尿病の合併症で死亡した。
2人とも死亡前に深刻なショック症状があり、数日連続で正常な食事がなかった
曹操の子辈、孫辈の多人はこの家族遺伝病で早死にしているが、
卞夫人の遺伝子の不良問題かもしれない?
卞夫人の甥である卞蘭は長期にわたって喉が渇き、頻繁に水を飲んだ記録があり、
典型的な糖尿病症状。
曹丕本人は甘いものが大好きで、
毎日仕事をしながら直接「石蜜」(氷砂糖)を食べるほどだった
氷砂糖を果物の薬味にするのではなく、氷砂糖をそのまま摂る、口でそのまま食べる。
「蜂蜜にサトウキビをつける」のは、曹丕が発明した行為芸術級グルメである。ブドウ糖、果糖(かとう)と蔗糖(しょとう)の結合
そして毎日お酒を飲んで大量のアルコールを摂取する、典型的な自殺的な食習慣です
曹操、曹丕、曹叡、曹植は建安風骨、魏晋文学の代表的な人物として、すべて酒好きの芸術家であるが、
曹丕、曹植、曹叡はアルコール嗜好に節度がない。また、食事も問題になります。
曹丕、曹叡はご飯と鶏鴨肉を食べる時、脂身とご飯に蜂蜜をつけて調味料にするのに慣れていて、
しかも高強度の仕事の前に何度も飽食しなければならない
1日多食は少年時代の長期的な兵営生活の習慣、満腹にならない限り、フィットネスの良い習慣になります。しかし皇帝になってからは、1日に多食し、満腹になり、酒をたくさん飲んで、糖分を摂取するのが自殺行為だった。
曹叡はさらに極端で、
36歳で早世し、成年の子嗣を残さなかった。
五石散を吸う官僚や名士と長く接していると、精神状態は徐々に禰衡に近づいていく。
暴食の習慣があるが、体はずっとやせこけている。糖尿病による膵炎、急性ショックで急死し、死ぬ前に後継者問題に何の準備もできなかった
短命だったのがな。
点赞了
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2周目
現代でも托卵が問題になってるんだから、当時の略奪婚なんて…。
口うるさいお目付け役と聞くと、孫権と張昭みたいだ。
あっちほど過激な大喧嘩はしていないがw
すべて曹操が悪い。そう、甄氏を曹丕に盗られた曹操が悪い。あと「曹丕」で一発変換できないのは曹丕が悪い。
後継争いのゴタゴタさえなければ、ここまで歪まなかったのかなぁ、なんて
相変わらず誤読をそのまま配信してる😅
司馬懿の公孫淵征伐のところ、はしょりまくりじゃないっすか?w
実際、そうだったんでしょうが。
曹叡は幼少期~思春期での愛着上の問題(ともすればトラウマ)をずっと抱えていたのかな?と思いました
(ex. 優秀な反面、お金やアルコールなどの問題を起こしやすい)。
ただ晩年で司馬懿に後事を託したというのが面子というかエゴというか、
そういったものを超越した英断のように映った。
まぁ、曹叡が出陣してるわけでもないので手短に…笑
@@KOUMEI_NO_WANADA 趣旨が逸れちゃいますね。
そういや、見ていて田豫さんも思い出しました。
某鳥人間チャンネルの武帝回見た後だと武帝期の前漢の人口減少えぐすぎて、あの人の次点呼ばわりとか正直劉曄は悪口で言ったんじゃないか感ある
功罪含めての皮肉っぽさは確かにありますね