No.638_城跡巡り 福釜城址(愛知県安城市)
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- เผยแพร่เมื่อ 16 ก.ย. 2024
- 2024年8月14日(水)
福釜城(ふくがまじょう)
所 在:愛知県安城市福釜町蔵前
34.9421712, 137.0432250
駐車場:なし
別 名:なし
⚫︎永正年間に松平長親の次男親盛が築城した
(日本城郭大系9 322ページ)
⚫︎城域は約千四百坪で、三河松平の五代長親の五男親盛が、ここに城を築いて住み、福釜松平を称した。
享禄3年(1530)8月、親盛、親次は、松平清康に従って、東三河の宇利城を攻めたが、戦いに利なく討死した。
弘治2年(1556)徳川家康は福釜城を修理して、酒井忠次などに守らせた。
永禄6年(1563)、一向一揆のとき、親盛の孫親俊が城主として福釜城に押し寄せた一揆軍と戦い、多くの死傷者を出したという。それらの戦死者を埋葬したのが、浪人塚だといわれている。
康親は家康の関東入国に従ったが、福釜城はこのとき廃城になったらしい。
郭跡は宅地、堀跡は田畑と化してしまっている。(日本城郭全集7 187ページより)