第46回「人間にとって一番大切なこと」2021/2/21【毎日の管長日記と呼吸瞑想】| 臨済宗円覚寺派管長 横田南嶺老師

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  • เผยแพร่เมื่อ 19 ก.พ. 2021
  • 本日の管長日記は、「人間にとって一番大切なこと」です。
    最後に一日のはじまりを整える、呼吸瞑想がございます。
    本日もよろしくお願いいたします。
     
    ■管長日記「人間にとって一番大切なこと」
    www.engakuji.or.jp/blog/33239/
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    『天台小止観』という書物があります。
    岩波文庫にも入っています。わずか二百ページほどの書物です。
    関口真大博士は、『天台小止観』を、坐禅を学びたいと思う初心者にとって、最上のテキストであると言われ、また坐禅のやり方を教えた書物のなかでは、一番古い時代にできたものであり、一番詳しく書かれたものであると仰っています。
    しかもそれから以後にできた中国や日本の坐禅の指導書は、例外無しにこの本の直接また間接の引用か、焼き直しであると言ってられるそうです。
    我々修行していても、臨済禅師がどういう修行をされていたのか明らかではありませんので、修行のよすがとなるものがありません。
    『臨済録』を見ても、修行の方法は説かれていません。
    恐らく、臨済禅師も『天台小止観』に説かれているような坐禅をなさっていたのではないかと察するのであります。
    私と『天台小止観』との出会いは、昭和五十三年にさかのぼります。
    私がまだ十四歳の頃であります。
    NHKラジオ宗教の時間で、松居桃楼(とうる)先生が講義されたのでした。
    毎月一回で、十二回にわたっての講義でした。
    その十二回の講義が、一冊の本になっています。
    一九七九年に、『禅の源流をたずねてー天台小止観講話』として柏樹社から刊行され、その後、潮文社から『微笑む禅 生きる奥義をたずねて』と題して新たに出版されています。
    今はもう入手困難な本であります。
    松居先生の語り口が穏やかで、実にご丁寧であったことを覚えています。
    松居先生は、幼少の頃から、死の問題について考え悩まれていたそうです。
    だんだんと年と共に、死の問題も薄らいでいた二十代の時に、父親が急に亡くなるという体験をされて、「こんなに世の中が進歩しているのに、なぜ人間は死ななければならないのか」疑問に思われ、それと同時に、ほとんどの人が、死ということを問題にしていないのが不思議に思われました。
    「あの人たちは、どうして死ぬのを平気でいられるのだろうか」と思ったのでした。
    こういう思いは、私の幼少からの思いに共通しているので、大いに興味を持ったのでした。
    その頃、まわりの人たちからいわれたことは、
    「ヒマがありすぎるからそんなつまらないことが気になるのだ、朝から晩まで忙しく働いたら、そんな問題は解決するよ」とか、
    「結婚して子どもができれば、そんなことなんか、考えてるヒマがなくなるよ」
    と言われたのでした。
    もちろん、そんな答えで満足できるはずもなく、悩み苦しんだ末に、松居先生が出合ったのが、『天台小止観』だったというのです。
    『天台小止観』は、
    「それ泥洹(ないおん)の真法は、入るにすなわち多途あれども、その急要を論ずれば、止観の二法を出ず」
    という文章で始まります。
    仏教で言う悟りを開く道は、いろいろあるけれども、止観の修行こそ最も近道だということです。
    この止観ということを、松居先生は、
    「感情を波立たせないこと」と
    「思考力を正しくはたらかせること」
    と解釈されています。
    そこから、更に松居先生は、
    「人間にとっての一番大切なことは、「感情を波立たせないこと」と「思考力を正しくはたらかせること」ーつまり止と観という二つの機能を正確に操作することに尽きる」
    と説いてくださっています。
    とても明晰な言葉で理解しやすいものです。
    止観の説明は、それで良いとして、松居先生は、この泥洹(ないおん)即ち涅槃について更に深く考察されます。
    涅槃とは何か、悟りとは何かということです。
    本書には、松居先生のいろいろの考察が示されていますが、結論をいうと、
    悟りの境地に達した人というのは、「いつでも、どこでも、なにものにも、ほほえむことができる人」
    という解釈に到っています。
    松居先生は、仏になろうと言っても多くの人にはピンときませんが、
    「いつでも、どこでも、なにものにもほほえめるような人」になろうと説かれるのです。
    「人間は、どうしたらニコニコになりきれるか?
    ひと口にいえば、「感情を波だたせないこと」と、「思考力を正しく働かせること」の二つきり。
    なぜならば、よきにつけ、あしきにつけ、何かが気になってたまらないのは、あなたの感情が、波だっている証拠。
    ああか、こうか、と迷うのは、思考力が正しく働いていないからだ。
    感情が波だっていては、色めがねでしか、ものが見えず、思考力が正しく働いていないと、もののうわべしかわからない。
    感情が波だっていなければ、どんなことにも動揺せず、思考力が正しく働いておれば、如何なる難問題も解決できる。
    あなたが、感情をしずめ、思考力を正しく働かせることができたならば、自分もしあわせ、周囲の人々もしあわせ。何をやってもまちがいない」
    と分かりやすく解説されているのです。
    とりわけ松居先生はこの『天台小止観』を講義するのに、巻頭に書かれている七仏通誡偈から説かれていたことを覚えています。
    七仏通誡偈というのは、
    諸悪莫作
    衆善奉行
    自浄其意
    是諸仏教
    というものです。
    もろもろの悪を作すこと莫く
    もろもろの善を奉行し、
    自ら其の意を浄くす
    是れ諸仏の教えなり
    と読みます。
    悪いことはしなように、良いことをして、自らの心を浄める、これが諸仏の教えだという意味です。
    お釈迦様以前に過去七人の仏さまがいらっしゃって、その仏さま方が共通して説かれた教えだというのです。
    これを講義されて、松居先生は、何が善で何が悪であるのかが、大きな問題であって、悩まれたと仰っていました。
    善と悪の問題というのは難しいものです。
    松居先生の結論は、「いつでもどこでもなにものにもほほえむ心」を仏の心であるとして、その仏の心に一歩でも近づけるようにするのが善であり、それに背を向けることが悪だと解釈されました。
    そこから、この七仏通誡の偈を次のように意訳されました。
    「一粒でも播くまい、ほほえめなくなる種は
     どんなに小さくても、大事に育てよう、ほほえみの芽は
     この二つさえ、絶え間なく実行してゆくならば、
     人間が生まれながらに持っている、
     いつでも、どこでも、なにものにも、ほほえむ心が輝きだす
     人生で、一ばん大切なことのすべてが、この言葉の中に含まれている」
    というのです。
    元来お釈迦様の仏教は、超越的な何者かによって救われるというものではありませんでした。
    お互いが地道な精進努力によって、苦を滅する道を歩むものです。
    それが「止観」です。
    「止」と「観」の二つが、人間にとって一番大切なことです。
    「感情を波立たせないこと」と
    「思考力を正しくはたらかせること」
    そして、
    「いつでも、どこでも、なにものにも、ほほえむことができる人」になることです。
    松居先生の説かれた『天台小止観』を久しぶりに学び直しています。
    先の二十日には、大阪の中之島人間学塾で、『天台小止観』をもとに講演しました。
    三月には、横浜の朝日カルチャーセンターでも講義をする予定です。
    不安が消えない今の状況ですが、お互いが自らの心と体を調える智慧を学びたいと思っています。
    横田南嶺
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