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毎日のように聞いています小さい頃の事思います。
ご視聴ありがとうございます。五木村がまだ集団移転する前、あるサイクリング大会で八代市からスタートして大通り峠を越えて五木村、人吉を巡ってスタート地点まで走ったことがあります。途中五木村に差し掛かったところで「うまいそば屋があるぞ」という話になって、コースを外れ、仲間たち数名と村中心地の頭地に在った、確か「加藤食堂」というそば屋で腹ごしらえをしたことがあります。そして国道455号線を川辺川沿いに人吉に向けて下る時、エメラルドグリーンに光るダム建設予定の川辺川を観ながら「この清流は何とかの残したいよね」と仲間たちと話したことを懐かしく思い出します。その後、集団移転が決まったある時、新聞に「長年親しまれた食堂が閉店」の見出しがあの時の老夫婦の写真と共に掲載されているのが目に留まりました。時代は容赦なく移り変わり、思い出だけが穏やかによみがえりますね。
私は六十年前水害の応援行った当時は道が狭く下を見ると七〇メール下は川辺川でした
コメントありがとうございます。六十年前に水害があったのですね。私が初めて五木村を訪れたのは五十年前、高校生の時、写真(カメラ)好きの友人と五木村に行ってみようという話になって、人吉からバスで川辺川沿いに五木村に行ったことがあります。狭くて曲がりくねった道をバスの運転士は臆するどころかまるで楽しむかのように巧みなハンドルさばきで走っていきました。途中、窓を開け下を覗き込むと、後輪のダブルタイヤの外側のタイヤが道から外れて走っているのを見た時、生きては帰れないと覚悟を決めた思い出があります。一泊二日の五木の旅でしたが修学旅行以外で友と旅に出たのはこの五木村が初めてです。当時宿泊した頭地の民宿(五木荘?)がどの付近にあったか今では見当もつきません。ご視聴ありがとうございました。
@@jaska99jp コメント有りがとうごさいます5○年前のお話読ませた頂きましたその当時道は悪く魔のカ一ブと名が付けられたヘヤピンカ一ブが有りました貴方様は生きて帰れるかと申しておられましたが実は当時私も同じように思っていましたもし転落したら下は7○メール下は川辺川ですからでも現在は違います今では観光バスも随時着ています土産者も多さん有りその場所から下を見ますと頭地と宮園は遥か2○○メ一トル下に見えますなぜかと言いますとダム出来る予定だつたからです有りがとうごさいます
@@松岡英幸-k9o コメントありがとうございます。五木村は5.60年前とはまるで別世界のように変わっていますね。またそこで暮らす人々もダム建設、そして中止、そしてまた建設と時代の流れに翻弄された生活ですが、道路や施設も整備されたことで、これから「子守唄の里五木」として益々栄えることを願うばかりです。ありがとうございます。
毎日のように聞いています小さい頃の事思います。
ご視聴ありがとうございます。
五木村がまだ集団移転する前、あるサイクリング大会で八代市からスタートして大通り峠を越えて五木村、人吉を巡ってスタート地点まで走ったことがあります。途中五木村に差し掛かったところで「うまいそば屋があるぞ」という話になって、コースを外れ、仲間たち数名と村中心地の頭地に在った、確か「加藤食堂」というそば屋で腹ごしらえをしたことがあります。そして国道455号線を川辺川沿いに人吉に向けて下る時、エメラルドグリーンに光るダム建設予定の川辺川を観ながら「この清流は何とかの残したいよね」と仲間たちと話したことを懐かしく思い出します。
その後、集団移転が決まったある時、新聞に「長年親しまれた食堂が閉店」の見出しがあの時の老夫婦の写真と共に掲載されているのが目に留まりました。
時代は容赦なく移り変わり、思い出だけが穏やかによみがえりますね。
私は六十年前水害の応援行った当時は道が狭く下を見ると七〇メール下は川辺川でした
コメントありがとうございます。
六十年前に水害があったのですね。私が初めて五木村を訪れたのは五十年前、高校生の時、写真(カメラ)好きの友人と五木村に行ってみようという話になって、人吉からバスで川辺川沿いに五木村に行ったことがあります。
狭くて曲がりくねった道をバスの運転士は臆するどころかまるで楽しむかのように巧みなハンドルさばきで走っていきました。途中、窓を開け下を覗き込むと、後輪のダブルタイヤの外側のタイヤが道から外れて走っているのを見た時、生きては帰れないと覚悟を決めた思い出があります。
一泊二日の五木の旅でしたが修学旅行以外で友と旅に出たのはこの五木村が初めてです。
当時宿泊した頭地の民宿(五木荘?)がどの付近にあったか今では見当もつきません。
ご視聴ありがとうございました。
@@jaska99jp コメント有りがとうごさいます5○年前のお話読ませた頂きましたその当時道は悪く魔のカ一ブと名が付けられたヘヤピンカ一ブが有りました貴方様は生きて帰れるかと申しておられましたが実は当時私も同じように思っていましたもし転落したら下は7○メール下は川辺川ですからでも現在は違います今では観光バスも随時着ています土産者も多さん有りその場所から下を見ますと頭地と宮園は遥か2○○メ一トル下に見えますなぜかと言い
ますとダム出来る予定だつたからです有りがとうごさいます
@@松岡英幸-k9o
コメントありがとうございます。五木村は5.60年前とはまるで別世界のように変わっていますね。またそこで暮らす人々もダム建設、そして中止、そしてまた建設と時代の流れに翻弄された生活ですが、道路や施設も整備されたことで、これから「子守唄の里五木」として益々栄えることを願うばかりです。
ありがとうございます。