Would love to see this old Japanese footage restored to its original co dictions and re-scanned at high res (like Criterion does for old movies). There is so much detail that can be gained from a better copy of the footage. Thanks for posting.
The KI-44 was terribly under-armed for what it was asked to do. It was supposed to be a bomber destroyer, but was armed with 2 50 Caliber Machine Guns (one in each wing) and 2 rifle caliber Machine Guns mounted to fire over the engine and through the propeller arc. Later versions were equipped with. 40 mm cannon beneath each wing. The 40 mm cannon WOULD shoot down allied bombers but there were never enough of them to make a difference.
Would love to see this old Japanese footage restored to its original co dictions and re-scanned at high res (like Criterion does for old movies). There is so much detail that can be gained from a better copy of the footage.
Thanks for posting.
Its really refreshing to see good footage of Japanese WW2 aircraft other than the Zero. 👍
貴重な映像ありがとうございます❗戦闘機に乗り込む生き生きとしたパイロットの姿はこの人達にとって、戦闘機が青春だったんですね❗
Fantastic footage! Thank you for posting.
The KI-44 was terribly under-armed for what it was asked to do. It was supposed to be a bomber destroyer, but was armed with 2 50 Caliber Machine Guns (one in each wing) and 2 rifle caliber Machine Guns mounted to fire over the engine and through the propeller arc. Later versions were equipped with. 40 mm cannon beneath each wing. The 40 mm cannon WOULD shoot down allied bombers but there were never enough of them to make a difference.
4'12"に部下を次々と特攻に出しておきながら、自分だけはさっさと台湾に逃げた富永恭次の姿が映っている。
こうしてみると、陸海対立せずに大戦後半は陸海ともに疾風に一本化すればもっと戦い方も違ってきたんじゃないかとと思う。
紫電改は好きな戦闘機だけど、運用の巧さで戦果を挙げたような印象がある。
下らない反戦映画に描かれる典型的な日本兵よりも、この記録映画に残る本物の日本兵は表情が生き生きとしていていい顔をしている。まるでサッカーを楽しんだり車いじりに興じる現代の若者と何ら変わらない。
そして日本の軍国主義や富国強兵は間違っていなかった‼
間違ってなかったら滅びてない。
日本の判断は正しかった。
大日本帝国万歳
そりゃあ野垂れ死にした数百万兵隊の姿は映ってないしね。
@@かぶとむし-n5z
大丈夫。死んだら自分の死に姿を見ないから。国の独立不羈を守るために戦うということは日本民族の未来のために戦うということ。後から文句を言うのは誰でもできる。だが日本が他国に蹂躙されれば文句すら言えない。死ぬのが怖くて戦場なんて行けるか!
tAkuyA じゃあ次の戦争で再び野垂れ死を大量に出しても問題なしだね。皮と骨だけの兵隊。
The Ki-44 looks like it would be a fun aircraft to pilot.
Supposedly, it was a handful to fly. Only the most experienced pilots were allowed to fly it.
they had an impressive array of capable aircraft
鍾馗と言えば85戦隊の若松少佐。屠龍と言えば4戦隊の樫出大尉。飛燕と言えば244戦隊の小林少佐。疾風と言えば航空審査部佐々木曹長。
It's a shame the Japanese didn't not win the war, I'm so sad.
Japanese pride is to have fought for own country to the last. There is no shame.
The aircraft tail (Ki-45 Nick) at 4:17 belongs to a Kamikaze unit is taking off on a suicide mission.
ある意味、質と量の見極めをどこに設定するか、、、だったのですね。現在の日本の物作りにも通じると思います。
質も量も両方ダメ
戦後、米国人は【鍾馗(しょうき)】を高く評価したと、なにかで読んだ記憶がある。
【これだけ作れば良かったのに】とか。でもね、当時の日本=空中勤務者(?)の戦法が、アレでね。
飛燕・・・独から発動機図面は貰ったんだが 日本の冶金技術が低くて、同じ品質の物が造れなかったね・・・
それはウソ。 ただ整備士が水冷エンジンの知識と経験不足だっただけ。
@@freeway104 星型空冷に比べ直列V型液冷式はピストンの運動速度が異なるんですよ・・・・その高速運動に耐えるだけの部材制作の技術が低かった=冶金技術が低かった と謂うことです。 また、工作機械は全て独英からの輸入でしたが、大戦の勃発で旧式を修理しながらの工作は精度低下に繋がりました。もちろん、貴殿ご指摘のとうり 殆どの整備士は液冷式の整備は初めてだったはずですし その点も稼働率の低さに繋がりました。
@@和気清麻呂-y5c アンタ、例によって、日本人のフリして日本タタきするコリアンかい?w
戦前の日本の冶金技術は、世界で初めて航空機用の金属「超々ジュラルミン」を開発したように、決して、低いものではなかった。
Oscars?
富永司令官って敵前逃亡して
牟田口と並ぶ最悪軍人と言われている奴か?。
富永軍司令官のご子息、富永靖少尉は尾翼に釜茹でされるドクロを描いた四式戦疾風の写真で有名な、陸軍特攻第85振武隊の一員として、特攻に出撃され、沖縄で散華されています。少尉はプロの軍人ではなく、大学より志願した特別操縦見習士官でしたが、父の汚名を晴らさんと富永の家の名誉のため、敢然、特攻出撃されたのです。
@@NV124KX660 初めて知りました😲
ただお父さんは...😅
@@lncesoric8260
靖少尉は、父から貰った日の丸の旗を胸ポケット。に納めて敢然、突入しました。見送りに来た参謀の、あの堂々とした士官は誰か?との問いに、副官が、富永銀司令官のご子息です。と答えた逸話も残っています。このとき沖縄方面陸軍特攻作戦を指揮していた菅原道大中将のご子息も、海軍白菊特攻隊の一員として、出撃を旬日に控えた配置にありました。(終戦でかろうじて生存)日本の特攻指揮官は、ビン・ラディンのように他家の大事なあととりを誘導弾のかわりに使って、自分は一夫多妻でバカスカ子供を産ませているイスラム教徒のような卑劣漢では断じてありませんでした。日露戦争の旅順の戦いに息子たちのすべてを戦死させた乃木大将の昔から、指揮官率先の国軍の伝統を貫かれたのです。海軍では、人間爆弾桜花の神雷部隊司令の岡村基春大佐が、終戦後、部下たちの突入海面まで出て、洋上慰霊祭を営んだあと、千葉県茂原付近の鉄道に飛び込んで自決し、部下たちとの約束を果たし、特攻創始者大西中将は終戦の日、割腹自決、宇垣中将は、6機の彗星を率いて沖縄に突入しました。この人は部下を道ずれにし、非難されるべきだと思います。