何事においても「失敗は成功の母」であり、「成功は失敗の母」となり得ます。日本の旧陸海軍の戦闘機開発の歴史を見ていると、そのことをしみじみ感じます。開発・完成時のゼロ戦は、その時点では、ほぼ完ぺきな(防御能力不足でも、当時の敵国戦闘機相手では小回りの戦闘力がそれを十分にカバーできた)成功モデルだったと思います。しかし、相手方が頑丈な機体で一撃離脱の空戦を仕掛けるようなると、明らかに分が悪くなっています。そこで、陸海軍とも新しい型の戦闘機を開発していくのですが、海外との技術交流が途絶え、しかも資源不足の、当時の日本で新型機の開発が難航するのは必然の流れでしょう。ここで、(今となって)特筆すべきは、イギリスのスピッツファイヤの開発史です。同機の初期型は、1940年の Battle of Britain に間に合った戦闘機で、それをイギリスは何度もバージョンアップしながら大戦末期(厳密にはジェット戦闘機登場)まで使って行き、イギリス上空の制空権をドイツに渡しませんでした。
なお防弾性能…まあ言い出したらキリがないですね。欧米の技術協力が途絶えた状態で独力でこの機体を開発できたのは、素直に凄いと思います。この時期の飛行機の進化は凄すぎて1年2年の差が致命的なのは勿論ですが、陸軍の疾風の整備性も保守部品が優先的に届いた部隊ではそう悪い物じゃなかった話もあるし、まだシーレーンが絶望的ではない時期、生産性の悪いゼロ戦を早いうちに機種転換出来ていればなぁと思います。
兵器は必要な時に必要な数がなければただのゴミ
戦争が長引いて、五式戦車が実戦投入されていてもM26パーシングには歯が立たなかっただろうし、
烈風が実戦投入されていてもベアキャットが相手では悲惨な目に…
五色戦車はデカすぎる割に砲が貧弱だからなあ・・・
まあ人口も高等教育の程度も技術も工業力も劣ってるんだから負けるのは当然としか。
そもそも戦車を戦車で潰す発想が馬鹿げてるってドイツが示してるやんw
快進撃してた時は砲兵や爆撃機の見事な連携があって配備された戦車は機銃しかなかった部隊も普通だったし
敵より強い戦車を持った頃にはシュトルモビクとP-47に好き放題やられて
もうドイツの戦車は脅威じゃないってM-45にJS-2など榴弾砲を優先されてた
両者共時代遅れのデザインで既に負けている。どう見ても高性能には見えんです。折り畳み翼とか空母カタパルトとかが無いので運用でも負けるとです。
そもそも時代的に
零戦⇔F4F
烈風⇔F6F
なので、F8Fが出現している時期に烈風が出てくる時点で、完全に一時代ズレちゃてるんですよね・・・。
「烈風」という貝塚ひろし先生の作品で初めて知った機体ですが、漫画の連載開始も戦記漫画ブームの終わりの頃でしたね。
自分はガルパン初期放映当時にそれ繋がりでファインモールドの公式で初めて知ったので認知かなり遅いです。特徴的な主翼で外観カッコよくて一目惚れしました。
試製と11型、72と48合わせてプラモ6個買って全部作りました。 めっちゃカッコいい!!
日本ってこういう武器に関してモノを要求するんだけど、その屋台骨の基礎のキを支える物にはお金をかけなかったのがこういう飛行機の性能を悪くした要因と思う。
ガソリンのオクタン価、整備に必要な油、エンジンオイル、通信機用の真空管、金属開発・・・そういう基礎技術開発を怠った気がする。
オクタン価や油はハ42~45の性能低下を招いたし真空管は量産性だけ追ったおかげで八木宇田アンテナ採用できなかったし、金属開発ではターボチャージャーが不安定だった。
(ハ42=飛竜のエンジンで火星の18気筒化エンジン、ハ43=金星の18気筒化エンジン、ハ44=ハ109の18気筒化エンジン、ハ45=誉、栄の18気筒化エンジン)
もう一つ言えば、疾風は初めからハ45ありきで設計した機体、烈風はハ43で設計したのに、途中でハ45に変えた機体。性能が発揮できるはずはないと思う。
紫電がダメで紫電改が良かったのは改という割に全面的に機体設計をハ45ありきで変えたと思う。あれ、紫電21型なんだけど、エンジンは誉1xから誉2xに変えているw
「基礎技術開発を怠った」というより、そういう基礎技術が育っていないうちに戦争始めたということでしょう。
@
うん、未発育の技術もありますね。油系や金属系はその可能性が高い。
ハ45が額面通りの出力を発揮していれば、堀越の想定通りの性能が出だろう。
しかし、与えられた量産機の「誉」は頑張って整備しても3割引きの出力しか出ない詐欺エンジンだった。そして、それが当時の誉の実力だった。四式戦も紫電改の性能も激落し、大した活躍はできなくなっていた。
この機材めちゃくちゃでかいんだよね
50年以上前に1/72スケールのプラモ作って零戦と並べてみたことがあるけど、絶対縮尺間違ってると思ったもん
肥満化した戦闘機なんですよね。
「零戦に勝る格闘性能」というコンセプトを打ち出した段階で肥満化は決定してましたね。
@@大東亜解放神-d8p空技廠の試算した、零戦サイズの16試艦戦ならば、予定性能は確実だったと思います。 中島飛行機が大嫌いな、堀越二郎が三菱エンジンハ-43 、2200馬力の搭載にこだわったから無駄にデカイ機体になっている。 太い機体で設計したから重量が増える、増えた重量を130㎏/㎡翼面荷重に抑える為に、30㎡のデカイ主翼になるから。 速度は出ない。 そこまでムダな努力をして、結局は翼面荷重は150㎏/㎡。 しかも、この翼面荷重、実戦装備の防弾鋼板、防弾タンク、武装ナシでの数値と言われているから。 全部実装したら、170㎏/㎡程度に増大。 627㎞/hの速度も610㎞/hに落ちた可能性もある。 もちろん、6000m迄の上昇時間も8分程度に落ちただろう😰。 黙って、紫電改を生産した方がましだし、何なら、疾風の量産に海軍が協力した方が良い。 烈風は、堀越二郎の自己満です。
模型で比べると改めて技術や設計思想の違いを感じれて面白いよね。
F6Fより全幅、全長共に1mもデカい。。。
F8Fには手も足も出ないだろうな・・・
50年前の1/72というとアオシマのキットですかね!?
強いかどうかは一旦置いておいて、機体が巨大化した件は後々の汎用性を考えれば、結果論として時代に則した形だったのではないかと思います。
(すぐに終戦でその先を考える必要も無いとか技術的にどうだったかも一旦置いて)
F8Fが高性能を誇りながら機体の小ささ・汎用性の低さで早晩戦力としては陳腐化し、逆に設計年数が古いにもかかわらず大型のF4Uがその汎用性の高さと大型な故に強力なエンジン載せ替えを許容できる寛容さがあって長年活躍したのを考えれば、別にそれを狙って設計したのでは無いと思いますが、後々レシプロ戦闘機が戦闘爆撃機化する時代の流れを考えて、汎用性・寛容性のある巨大な機体はあながち間違えでは無かった気がします。
ま、本当に後々が無かったのでこういったお話も今では「無駄な議論」ではありますが。
震電と一緒で実機の写真が有って机上空論でないのがロマンを掻き立てられるよ。
現実には制式採用されてものせる空母は作戦行動は既に出来ず、搭乗員の熟練度は下がり、工場は空襲の標的になりで厳しかったでしょうねぇ。
性能的にヘルキャット並で優位は微妙でしたでしょうが、改造零戦よりは現場ではマシだったのかな。
後継機種の開発が出来なかった、開発力が低かったのがアメリカと戦うには厳しかった。
烈風の動画でいつも気になるのは、元々ハ43の搭載を考えて機体が設計されていた、みたいな記述ですね。
海軍からは誉を指定されていた筈なのにいつ出来るかわからないエンジンを待っていた訳になるので海軍の方からすれば、抗命という様な印象を受けた可能性も高いのでは?
そら、川西の紫電改に負けるよね。川西の本命の陣風が出てきたらもう絶対に敵わない
あとね、ハ43積んだ飛行機は1つも実用化されていない。量産化された誉の足下にも及ばない、と思う
海軍と三菱のやり取りの中で、既に三菱からハ-43の搭載を提案されていました。 空技廠は難色を示していましたが、参加した海軍側の提案でハ-43の搭載も視野に入れた機体が良いのではないか?と提案されています。 17試艦戦の仕様を決定する席上で三菱(堀越二郎)は自社エンジンを強く推薦していた事実から、烈風は明らかハ-43の搭載を前提とした機体サイズで設計されているのです。 誉は、21型以降は2000馬力を予定されていたのですが、実質的には1800~1900馬力、2速全開で1570馬力だったのは三菱も知っていた筈ですから、明らかに確信犯的な機体設計なのです。 しかも、採用したエンジンは強制冷却ファン式の誉22型。 強制冷却ファンは100馬力以上の馬力損失のリスクがありますがら、三菱の測定で1200馬力程度なのは当然です。 三菱(堀越二郎)は最初から『誉では性能が出せない戦闘機』を設計したとしか思えないのです。
昔、烈風をモデルにした漫画が有ったね!!
後知恵で言えば、雷電があれほど遅延せずに1942年ごろに投入できてればなあと思わずにはいられない
14試。 順調に行けば17~18年に雷電が陸上基地専用機として配備予定でしたからね。 零戦の金星換装計画が最終的に頓挫したのも、雷電に期待したからなんだけど、、😢
鍾馗使えで終了
世間のイメージと違って、堀越二郎ってあまり優秀な設計者じゃない。
零戦だって、ほとんどは海外技術の模倣なうえ、強度設計でかなりインチキをかましてるからね。
雷電の開発を遅らせた紡錘型の胴体も、鍾馗を見ればわかる通り意味はなかったしね。
@@keifu-mz8kz さん。 強度計算はインチキはしてませんよ。 『三菱海軍戦闘機設計の真実 曽根嘉年技師の秘蔵レポート』と言う書籍があります。 一読して見て下さい、零戦アンチサイトこそインチキ歪曲捏造なのが理解できますよ。
@@呑龍ハルカエンジン不調の機体や、主翼が薄く20ミリ機関砲の搭載出来ない機体を採用しない。
何事においても「失敗は成功の母」であり、「成功は失敗の母」となり得ます。日本の旧陸海軍の戦闘機開発の歴史を見ていると、そのことをしみじみ感じます。開発・完成時のゼロ戦は、その時点では、ほぼ完ぺきな(防御能力不足でも、当時の敵国戦闘機相手では小回りの戦闘力がそれを十分にカバーできた)成功モデルだったと思います。しかし、相手方が頑丈な機体で一撃離脱の空戦を仕掛けるようなると、明らかに分が悪くなっています。そこで、陸海軍とも新しい型の戦闘機を開発していくのですが、海外との技術交流が途絶え、しかも資源不足の、当時の日本で新型機の開発が難航するのは必然の流れでしょう。ここで、(今となって)特筆すべきは、イギリスのスピッツファイヤの開発史です。同機の初期型は、1940年の Battle of Britain に間に合った戦闘機で、それをイギリスは何度もバージョンアップしながら大戦末期(厳密にはジェット戦闘機登場)まで使って行き、イギリス上空の制空権をドイツに渡しませんでした。
成功と失敗は、登場時期も大事です。スピットファイアは、島国である自国上空での迎撃戦闘には良かったが、反攻時の重爆護衛任務が出来ず、侵攻には役立たずでした。欧州の戦闘機思想から抜けるのが遅すぎたですね。
結局、1943年以降は、相手をどれだけ殺しても平気な夜間爆撃だった英国だから、ドイツまで飛んでいけなくてもスピットファイアは、愛想をつかれなかったですね。V1迎撃がありましたからね。
でもアメリカは議会が(米国人20%の故郷/出身国ドイツ民間人への誤爆を防ぐために)ヨーロッパ戦線での夜間爆撃を禁止したので、B17の被害が大きかろうが、護衛戦闘機付きでのドイツ昼間爆撃しか駄目だったから、航続距離が無いイギリス製戦闘機は全く相手にしなかった。
日本もアメリカも、戦闘機の航続距離は大事でした。
@@伊達孔明 イギリス空軍は、スピットファイアを防空(局地)戦闘機として開発・運用しており、長距離護衛戦闘機はアメリカのノースアメリカン社へ開発を依頼しました。出来上がったのがP51ムスタングの原型で、(御存知とは思いますが)これのエンジンをロールス・ロイス製マーリンエンジンへ換装したのが、あの、名機のムスタングとなりました。こうした流れで見ると、スピットファイアは、局地戦闘機として活躍できればよいわけで、その役割を果たしたのではないでしょうか?
まあ、肥満化した戦闘機でしたね。
零戦に金星を積んだ方が現実的でしたね。
「零戦に勝る格闘性能」というコンセプトそのものが間違いでした。
想定すべき敵機は米軍機であり、零戦ではなかったのです。
零戦をライバル視した段階で既に終わってました。
海軍の「零戦22型に準じる格闘戦能力」っていう、頭が97式戦から進化してない要求が問題の根幹だからね。
源田とその弟子たちに問題の9割がある。
@@eiji_kumaさん。 目標とされた運動性能は零戦32型。 32型は零戦の中で一番ロール性能が良かったとされていますから、旋回性能とロール性能を32型並みに要求したのです。 あと、97戦は陸軍の戦闘機ですよ。
終戦間際に実戦配備されても、F8Fには惨敗、F6Fにも苦戦しただろうね。
戦わないから、伝説でいられる。 ロマンだけの戦闘機😢。 戦後に、設計者の堀越二郎氏が『自画自賛』。 痛い戦闘機なんですよ。
隼より使えない機体を末期も末期に運用しようって方が無茶よw
運動性能に加速力も52丙<F6F<隼3型になっちゃったしな
三菱は1970年代には三菱F-1戦闘機が飛んでたくらいアメリカから警戒されてなかったけれど
中島はスバルとなってから今なお監視対象
「雷電」で露呈したが、堀越は胴体設計に関してはまるでセンスが無かった。
というかもともと堀越は計算屋であって、実際に図面を書く作業を製図工にに丸投げしていたことが、詰めの甘さに繋がっていた。
これは当時の日本の工業界に蔓延っていた悪習と言っても良い。
とにかく色々デリケートな部分が多い航空機の場合、設計主務者がどこまで細部に拘るか、というのは重要なこと。特にこの時代は。
やはり欧米の著名な設計者は、自ら図面を書きまくる方が殆どだ。
そういう作業をする事で、本当に合理的な設計が出来るものらしい。
「烈婦」の図面を見ていて、何とも引き締まりの悪さを感じてしまうのは、海軍の過剰な要求のせいばかりではないと思う。
堀越二郎のセンスが無いのは胴体設計だけじゃないぞ。
零戦の成功は、人命や機体強度の規定を無視したど外れた軽量化という、誰でも思いつくが決してやらない姉歯マンションのようなもので、決して優れた設計じゃないからね。
@@keifu-mz8kzさん。 零戦の設計強度に関しては誤解があるようですね、基準となる荷重は1,8倍で設計されています。 荷重負荷試験では12,6Gまで耐えているんですよ。 試作機と実用初期型の空中分解の原因は、一回目はエレベーターマスバランス腕の亀裂断裂によるフラッターで墜落。 2回目はエルロンタブバランスを装備した初期機体に発生したのですが、発生した降下速度が想定より低かったのでエルロンタブバランスの撤去と主翼補強で対応して解決しています。 どちらも動翼部品の強度不足が原因であり、機体や主翼の強度不足ではありませんでした。 この空中分解事故を理由に『機体強度が無い‼️』とアンチサイトでは叩いてますけど、原因は動翼関連であり、改修後は空中分解もしていませんし、なんなら急降下制限速度を超えて空戦をしています。 343空のエピソードで紫電改の胴体が捻れる事故が複数発生したのですが、原因が制限速度の超過と急操作の過負荷で胴体が捻れたのですが。 343空のパイロットに制限速度の厳守を技術者が説明したら『零戦は制限速度を超えても壊れなかったのに🤔』と納得しなかった話しがあります。 彼らが紫電改に乗る前は零戦52型を経験しているはずですから、制限速度670㎞/hを超過して飛行していたのは明らかです。 さらに言えば、ソロモン諸島方面でのアメリカ陸、海軍パイロットの証言でも、急降下性能が低いとされた零戦が『いつまでも追いかけてきた‼️』『なかなか振り切れなかった‼️』と驚嘆する証言もありますから。 強度不足はアンチサイトの捏造ですよ。 最近は、隼を過大評価する方々が零戦を悪く過小評価してますが。 隼の方が機体強度が脆弱で1型は『急旋回で主翼が折れる』欠陥機なのに、アンチ零戦の方々は隼の欠陥は無視しています。 また、隼の12,7ミリは腔内爆発を頻発しており多数の隼パイロットが死亡しています。 零戦は20ミリの初期不良には苦戦していますが腔内爆発で自滅は聞いたこともないですね。 20ミリが『当たらない‼️』も過小評価ですね、初期の高G飛行中の給弾不良は零戦を最初に実戦運用した12空で不具合が概ね改善されていて。 空戦で戦果を上げてからは称賛されています。 確かに、急旋回時に主翼の撓みで命中精度は落ちましたが。 主翼に機銃を装備した戦闘機全般の弱点であり零戦だけが命中精度が低いのではないのです。そもそもですが、命中しない20ミリだったら流石に海軍も20ミリを辞めるでしょう。 零戦関連の書籍を読めばわかりますが、パイロットの大半が20ミリの威力を認めていて、初期の20ミリの改善要求は命中精度の向上ではなく『威力向上と弾数増加』なんですよ。 ほとんど同じ形式のMGFF20ミリを搭載したBf109Eのパイロットも命中精度にそれほどクレームは入れていません。 20ミリが当たらないではなく、20ミリを当てる技量がないが真実です。
計画だけでなく試作機まで完成していたので、震電、橘花と同じく「惜しい戦闘機」「間に合っていれば」と思わせる機体。
仮に実戦化された場合の評価様々あるけど「仮想戦記」では大活躍。それはそれで幸福だったのかもね。
エンジンが完成してればね。肝心の三菱エンジンがこの段階でもまだ試作段階。どんなに頑張っても年内に試作を終えれたか微妙だった。誉ですらトラブル続きだったのに、試作エンジンでは尚更ね
零戦ですら半世代の周回遅れなのに、十七試じゃそもそも間に合わんよね
烈風の外翼側は6.9度の上反角がつけられているけど内翼側は水平だから、内翼に下反角が付く逆ガル翼じゃないぞ
生産性考えていない翼型だな
1種類の兵器が戦局に及ぼす影響なんて微々たるものでしょ?
核兵器って反論があるでしょうが、それを大量に落とせる戦局の有利さそのものが核を使用する側にあるということ。
艦上戦闘機レベルならなおのこと。
「戦争に負けているのは海軍が主役をしている海上戦に負けているからである。海上戦に負けるのは航空戦で圧倒されているからである。航空戦が有利に展開しない原因は、わが戦闘機が制空権を獲得出来ないからだ。つまり、戦闘機が負けるから戦争に負けるのだ。」という思考もあってね?上記の論を吐いたのは賛否両論ある源田実氏だけど、近代戦では海でも陸でも空を押さえられたら勝てないのは当たり前なので、高性能レーダーや対空誘導ミサイルなんてものもない時代なんだし、強い戦闘機を欲するのは必然なんですよ。
@@りり-i7s6l そもそも真珠湾攻撃をしなければ、アメリカが堂々と参戦することはできなかった。
対米交渉などずるずる引き伸ばしながら、仏印だけ抑えて石油を確保しとけばいいものを、絶対的強者に不意打ちをしかけて本気で怒らせるという大バカ者が海軍だ。
のび太が昼寝しているジャイアンの頭を蹴とばしたら、早期講和なんて出来る訳が無いという、小学生でも分かる事が理解できなかったのが山本五十六な。
そして、圧倒的に数で勝り、次々と高速一撃離脱を繰り出す米軍機に、紙装甲の機体で未熟な搭乗員が格闘戦を挑むとどうなるか、最後まで気が付かなかったのが源田実な。
問題はパイロットの育成やけどな。
戦場に間に合ってもF8Fが待機していたから無理。
新造せず零戦を拡大改良しハ43を積めば生産ラインも大変更せずに済み実用化は少しは早くなっただろうに。ME109などは初期と後期では馬力倍増してたもんな。
そもそもの試案(空技廠)の機体サイズは、零戦22型に近いサイズ。 重量も3100㎏。 この重量で約23㎡の主翼にて『翼面荷重130㎏/㎡』なんですよ。 エンジンは勿論、誉。 堀越二郎がハ-43に固執しなければ。 普通に、疾風か紫電改程度の戦闘機が出来たのです。
海軍の要求を満たしたら、そんな重量・サイズに収まるわけないでしょ。紫電改も短い航続距離で翼面荷重は170ぐらいですからね。おまけに当時の誉の実力はカタログ値の3割引きの詐欺エンジンだ。
@miyamiya2237 さん。結局、海軍の要求した翼面荷重では収まっていないのです。 それであるならば、誉のサイズに合わせた方が正解です。 おそらく、空技廠の思案に近い設計をしたら重量や性能は紫電改や疾風に近い数値になるでしょう。ついでに言えば、紫電改も疾風もテスト時点での航続性能は2000㎞を越えていますから、烈風に要求された性能に近似しています。 実際に巡航速度360~370㎞/hの疾風は翼面荷重180以上の機体ですが南九州~沖縄まで飛んで帰って来ています。 紫電改は343空が沖縄まで飛べないとしていますが、疑問が残ります。 当時、343空は南九州防空戦に参加、喜界島までの援護と迎撃任務に出撃していますが、巡航速度を370㎞/hから400㎞/hに上げて飛んでいますから燃料消費量が上がっています。 もっとも、沖縄~南九州の距離は直線距離で片道約960㎞ですから、貴重な戦力である紫電改を損失させるリスクが多い任務を避けた可能性は否定できません。 また、誉の馬力が1200~1300馬力に低下していた時期が丁度、烈風11型を試験した時期と重なります。 その後、馬力低下原因を究明して2速全開馬力を1500~1600馬力に改善しています。 この馬力は、疾風初期型が搭載した誉21型(特)の2速全開馬力1450馬力よりも上です。
烈風よりもF-80の方が初飛行も量産開始も早いのには、絶望しか感じない。
欧米の総合力に敵わなかったと云う事。
零戦の後継機と言うまぼろしを追ってしまった海軍の愚行
「烈風」と言い「震電」と言い、もし実戦に参戦していたらどんな戦果をあげたろうか。
烈風。 P-51H、P-47H、そしてF8Fに叩き落とされる 震電。 冷却不足で実用不可能(数回の飛行テストで、速度290㎞/h程度でオーバーヒートしてますからね、全開運転したら、、、😑) キビシイけど、コレが現実。 疾風と紫電改の方がマシ。 誉も23型で馬力が2000馬力以上が目前だったからね(誉21型は実質的に1800馬力だったからね) そうなると、馬力アップした疾風と紫電改の速度は20㎞/hは底上げされる。 疾風だと660~680㎞/hは期待できるし、紫電改でも630~650㎞/hは期待できるからね。 烈風より遥かにマトモです。
震電は、カナードのサイズ不足と迎角不足、インテークのサイズ不足などかなり機体改修しないとまともに飛ぶのが難しい状態で開発中止寸前だったらしいので、烈風の方がまだ活躍の可能性があったと思います。
ありがとうございます。
震電はゴジラ映画で活躍したり、押井守監督の「スカイ・クロラ」で震電をオマージュしたような機体が出ていたのでなかなかのものと思っていましたがそうだったんですね。勉強になりました。
雷撃機に転用すれば?
載せる空母が既になかったんじゃ?
@@jx6004
雲竜級をはじめ空母はあるよ
搭乗員も余計な重油もないからクソの役にも立たなかったけれど
流星の立場は?
アサヒ飲料「三ツ矢サイダー」CMに出てるね、、、@@takhyde8208
圧倒的に数の多い敵に格闘戦で後ろを取るという戦い方は、もたもたしてると簡単に他の敵に後ろを取られるので、紙装甲の日本機は一撃で火だるまにされる。
高速で次々と一撃離脱を駆使する米軍に、未熟なパイロットが格闘戦で対抗するのは愚の骨頂なんだが、結局海軍は陸軍と違って終戦まで戦闘機の戦い方を理解することが出来なかった。
ま、真珠湾攻撃をしてアメリカを本格的に参戦させたり、ミッドウエーでどっちつかずの戦い方をして大敗したり、おとり部隊が敵前逃亡したりと、海軍は頭の悪い作戦ばかりだったな。
日本版F6Fみたいなものだが、誉という詐欺エンジンに騙されて性能が出なかった。クルマで言えば、2Lエンジン搭載のはずが、実際は1.5lLぐらいのイメージになる。それぐらい出力がでなかった。四式戦も紫電改も彩雲も性能は激落して、大した活躍はできなかった。整備すれば飛べるのだけどね。
そうでしょうか?。 馬力不足のハ-45(特)1800馬力、2速6000mで1450馬力の疾風は、620~650㎞/hの速度を発揮。 初実戦の中支方面でP-51C、P-47Bと互角な空戦を展開しています。
また、海軍の紫電ですら誉の性能が安定していた時期には602㎞/hを発揮していましたし、紫電改は横空の雷電21型との比較テストで実測で610~620㎞/hを出していて、雷電よりも優秀である事を証明しています。 また、343空のパイロットの証言から610㎞/h以上は発揮していたのは確実です。 彩雲も初期試作機が発揮した635㎞/hが最高で、プロペラを3翅にした実用機体の解体公式データの609㎞/hが最大速度とされていますが。 数少ない彩雲パイロットの証言から実際は610㎞/h以上の速度を発揮していたのは確実です。 誉は確かに昭和19年の一時期、仕様変更に伴う馬力低下があったのは事実ですが昭和20年1月には原因を解明して馬力が回復しています。 烈風が試験飛行を実施した時期は、まさしく誉が馬力不足に直面した時期にあたります。 それと、烈風が搭載した『誉22型』は強制冷却ファン装備型、強制冷却ファンは馬力損失を招きますから、馬力不足が酷くなるのは必然です。 そんな馬力不足の誉21型でも疾風は610~620㎞/h、紫電580㎞/h、紫電改590㎞/h、彩雲609㎞/h、流星56
0㎞/h、銀河550㎞/hを発揮しています。 答えは明白、烈風が誉には合っていないと言うことです。
こんなのに資金と資材回すなら疾風3型に回すほうがずっと良い
空母はあっても重油も搭乗員もないんだから
海軍と陸軍は別予算なので・・