心の葛藤を断ち切る道 ダンマパダ(法句経)293偈を読む|ゆるねこ仏教オンライン講座35(16 Apr 2024)
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- เผยแพร่เมื่อ 8 ต.ค. 2024
- スマナサーラ長老監修『ゆるねこ×ブッダの言葉』インプレス刊をテキストにした〈ゆるねこ仏教オンライン講座〉第35回の動画です。2024年4月16日(火)19時から宮崎ダンマサークル勉強会としてZOOM開催した内容をもとに編集しました。(約78分09秒)
■こころおだやかにニャる ゆるねこ×ブッダの言葉 2024年4月の言葉
自分がいますべきことはなにか?
自ら問う人は、心がきれいになります。
(ダンマパダ 293偈)
■Dhammapada 21.Pakiṇṇakavagga
法句経 21.種々なるものの章
293.
Yesañca susamāraddhā, niccaṃ kāyagatā sati;
Akiccaṃ te na sevanti, kicce sātaccakārino;
Satānaṃ sampajānānaṃ, atthaṃ gacchanti āsavā.
第293偈
常に念【サティ】をば身にむけて
なしてはならぬに遠ざかり
なすべきをなす正智者は
もろもろの漏【アーサワ】消え行かん
(和訳:江原通子)
【参考文献】アルボムッレ・スマナサーラ『ダンマパダ法話全集 第八巻 第21種々なるものの章、第22地獄の章、第23象の章』サンガ新社
amzn.to/44g05FF
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監修:アルボムッレ・スマナサーラ長老
こころおだやかにニャる ゆるねこ×ブッダの言葉 (インプレスカレンダー2024)
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アルボムッレ・スマナサーラ(監修)/小川晃代・湯沢佑介(写真)
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佐藤 哲朗(さとう てつろう)
1972年、東京都生まれ。東洋大第二部文学部印度哲学科卒業。ライター・雑誌編集者などを経て2003年から日本テーラワーダ仏教協会事務局長、現・編集局長。インターネットを通じた伝道活動、アルボムッレ・スマナサーラ長老の著作編集を担当。
著書に『大アジア思想活劇―仏教が結んだ、もうひとつの近代史』『日本「再仏教化」宣言!』共にサンガ。共著に『日本宗教史のキーワード』慶應義塾大学出版会などがある。
note: note.com/naagita/
Twitter: / naagita
~生きとし生けるものに悟りの光が現れますように~
サムネイル画像出典
pixabay.com/ja...
#パーリ仏典 #仏教心理学 #スマナサーラ長老
今回も素晴らしい法話をして下さり誠にありがとうございました。
スマナサーラ長老の大分昔のご法話で、仕事を選ぶ際に「好きなことを仕事に選べばよい」という人も多いが、それは必ずしも良いことではなく、自分にやりこなせる能力がある仕事につくのがよい、という趣旨のお話をされていた記憶があります。今回の法話で、好きか嫌いかで仕事を決めたり、やる気がでないのでやるべき仕事をやらない、というのは、貪・瞋・痴の感情・煩悩を働かせることだから、良くないのは当然だとよく分かりました。
また、最後の方の質問の中にあった、車の運転をしているときや、サーフィンをしているときの仏教的に正しい態度はどうあるべきか、ということも興味深いところでした。その点について、佐藤様は「正知・サンパジャーナ」を指摘されていました。
私はこの点について、「お釈迦様のお見舞い 気づきと正知による覚りへの道」という素晴らしいご本があることを思い出して、読み直してみました。このご本は、日本テーラワーダ仏教協会のHPの「法話と解説」の施本文庫にて無料で読めますし、Kindle本で購入もできます。
このご本の中で、スマナサーラ長老は、正知とは、「(今、自分がやっていること、今、自分が置かれている状況等を)しっかり理解すること」であり、正念・サティの訓練により、このような正知(理解)をも育てる必要があると説かれています。「車を運転するときはいちいち実況中継(サティ)をしている余裕はない。しかし、ドライバーはサンパジャーナにより、例えば、自分が運転している道路やまわりの状況を知っていて、自車と他車の位置・間隔やスピードを把握しており、頭で考えなくても危険な状況を察知して即座にブレーキをふめる。」
このように、何事を行うときも、できるならサティ(実況中継)をする、その余裕がないときも、サンパジャーナを働かせて、今行っていることに集中して何をしているのかを理解しながらやる(他の余計なことは考えない)、ということが重要だ、ということでしょうか。この「正知=理解」は「理性・智慧」に繋がっていくようにも思います。
私はサーフィンをしませんが、サーフィンをするときは、瞬時に変化し続ける波の状態を知りつつ、どのようなタイミングで、どのように身体のバランスを取るかを瞬間ごとに知って把握していなければ、波に乗れないのだろうと思います。サーフィンをしたいと思う動機は貪・欲かもしれませんが、サーフィンをしているときに、集中して正知・サンパジャーナの感覚をつかむようにするならば、サーフィンが上手くなると同時に、仏教的にも一定の有意義な経験にはなりうるのではないだろうか、と思いました。
コメントありがとうございます。サーフィンしながら気づきも入れることも出来ますけど、動中の工夫的な話は「日常生活でサティ入れてるから、特別に時間取って瞑想しなくていいや」という言い訳に使われがちなので、自分のやることにメリハリつけることが大事だよ、というポイントを強調しました。
@@naagitaさま なるほど、その点も大事なことですね。「サーフィンしながら」は所詮は「おやつ」的な瞑想であって、あくまでもメインの格別な瞑想タイムの訓練が基本かつ重要だと。
🪷こんにちは
こんにちは!