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想い出イッパイのお写真拝見させていただきました。もうじき91歳ですが「東京タワー」まだ登ったことないんですよ、でも僕も何故か懐かしかったです。素敵なお写真有り難う御座いました。
恐らく同じ年齢を親に持つ私には、なぜか懐かしく胸が詰まる様な思い。40年、50年なんてあっという間だなって改めて思いました。
人はこうやって歴史の一瞬を行き過ぎて行くんですね・・なんだろう、まだ涙腺弱くなる歳でもないのに泣けてきちゃう・・・BGMとステキな解説に人生大切に生きようと思いました。
子孫でしょうかはうけましたwいつもながら昭和を感じれてあ~と思いになります。
小田急TIMEさんのアルバムシリーズ大好きです。かつて、一生懸命に働き、子ども時代を、そして社会人になり、懸命に生きた人がいた。市井の人として無名ではあったけれど、自分が子ども時代に隣に住んでいた人、電車で隣に座っていた人です。懐かしく温かく、そしてちょっとうら寂しい。いつも最後まで見てしまいます。ありがとう。
写真の主の人生に思いを馳せるこのシリーズ好きです。紙ベースの写真は残りますね。今のスマホに残っている画像は消えてしまう運命。
当時の東京タワーからは、スモッグがひどくて何も見えなかった記憶がありますね。あの頃と比べると今の東京は本当に空が青くなりました
アルバムそのものにも敬服の念を抱くけど、主様の知識の幅にも感心致します。地理、歴史、文化等、詳しく説明して下さったり、調べたりしてるのがいつもながら凄いです!!!
マイカーブームの前に自家用車を購入出来るなんてものすごく裕福な家庭ですね。
懐かしいです、犬の像は確かに東京タワーの下にありました🗼🐕
おそらくもし今もご存命であれば優に百歳越えてらっしゃる方ですが、無名な普通の方たちの人生の淡々とした一風景を眺めさせて貰っただけで切ない気分なのは、自分も老齢に来たせいでしょう。
昭和30年代…ありふれた表現ですが昭和は遠くなりにけり
お疲れ様です、皆さん其々にアルバム持っていると思いますが多分最後は処分されるアルバムも多いと感じてます。私もアルバム持ってますが、母が生前・・と言っても私が青年になる頃までにとったものを整理しているって感じで終わってますし、バツイチ前のアルバムは前妻がすべて持っているので実際は青年時代までとなってますねー、又その写真たちにプラスして生前の父母の若い頃の写真は私が持ってますが、それを見ても当時の白黒写真にはやはり小田急タイムさんと同じ感情が沸き上がってきます。人間生きている時が花なので、その記録も後世に残せ意味を持つものに出来たらとおもいますねー、せめて後ろにその記録を足すと更に良いと思いました。
日野コンテッサ乗っていたんだ。何か誇らしげで良い写真です。
全く赤の他人のアルバムが古本屋で売っているのでしょうか? 生きた証でもある写真が…何故…?それが一番気がかりです。
知人からお借りしたと説明書きがありますよ
タロジロ達の銅像は「あ、これ東京タワーだな」ってすぐわかりました。確か当時の動物愛護協会が置き去りにされた15匹の南極観測での功績を讃えるのと亡くなった13匹の慰霊の意を込めて設置したそうです。写真の主の人も15匹の銅像を見て何を思ったのでしょう、気になります。
戦争の時代が欠落してるのですね
7:58〜1962年型AMCランブラーが走っていますね。珍しい。
ラストの車は日野コンテッサ900ですね。ノッチバック3BOXボディなのにリヤエンジン・リヤドライブなのはルノー4CVのノックダウン生産による技術経験の延長らしいですね。
クルマにお詳しいですね。自分はクルマ音痴で乗用車、バス、トラック、バイクの区別しか出来ません。乗用車で自信をもって区別できるのはスバル360だけです。中学校の先生たちの愛車で、55年前に乗せてもらったらエンジン音がうるさかったのを覚えています。
お疲れ様です。東京スカイツリーを毎日見ていますが、東京タワーより大きいとは思えません。実際には東京タワーの2倍の高さは有るはずなのですが東京タワーの圧倒感が無いように思えます。東京タワーの蝋人形館に行って見たかった。
東京タワー自体が丘の上にあることと周りの建物の密度の違いでそう見えるのでしょう、ここより上の六本木1丁目あたりのビルからは見下ろす形になります。
1959年、私の生まれた年です😆カラーに加工するとハッキリするんですね!冒頭の赤ちゃんの後ろに映っているのは赤ちゃんのお母さんなのかな?
いつも楽しみに拝見させて頂いております。桔梗門から撮影した後方に写っているのはGHQが入っていた保険会社のビルでしょうか?私は地方の人間なので東京には詳しくなくて申し訳ございません。
自分も東京タワー南極物語のモデルになった。タロとジロもなくなったんですね!
東京タワーは建設からずっと見ていましたが、初めて上ったのは1971年でした。タワーの隣の施設には良く行っていたのに、何故かタワーには入りませんでした。タワーは見慣れた景色の一部だったんだと思います。ちなみに初タワーでは展望台まで階段で登り、強烈に記憶に残るものでした。
それにしてもタロ、ジロは東京タワーの方がいいですよね🥺😔みんなが見てくれて…🥲🥹研究所なんて、何でだろ😰😤🥲
東文の写真の右側に見切れているのはプラネタリウムのドームですね。平成の初めに、そこ(屋上)にあったゲームコーナーで店員をしたことがあります。
もう、古いアルバム発見したら小田急TIMEさんに贈るしかない
建設当時見ていました そして登りました 第二展望台にはおトイレがなかっや時です
戦後そして高度経済成長…どの様に生きられたのでしょうか、思いを馳せてしまいます。
古いアルバムシリーズ好きです。自分の知らない他人の人生に思いを馳せてしまう。アルバムの主の生まれた頃~50代位までの写真か。会社の慰安旅行?の写真を見ていると、当時はきっといろんな会社が社員旅行をやっていたと思うけど、年月を経るにしたがって同じ思い出を共有している人がいなくなり、最終的にはこのような出来事があったことも時代の中に埋もれてしまうのだろう。写真はそういう意味で記録になるからいいな。私の父が現在70代前半で、あと10年もすれば亡くなっているかもわからない。何となくこの写真の主と父の姿を重ねてしまった。「東京に出張に行った際に名所で写した写真?」の数々に、私が生まれる前の父親もこのような風景を見ていたのかもしれないと思いました。この方のアルバムも途中で終わっているのが気になります。アルバムに写真を残せるというのは人生に余裕がある証拠。人生にはあまりにも山あり谷ありが多すぎて、その後は写真を撮る余裕が無い人生だったのかなとも思えました。
お金持ちの記録だけが残る今も昔も変わらないのかな
垢抜けた港区が好き。
多摩に住んでおられたのでしょうか。大会社に勤めて見えたのでしょうか?東京タワー、帝国劇場、中学の修学旅行で行ったのを思い出しました。
車は日野自動車のコンテッサでしょうか?懐かしいです。
親父か乗ってた。
都心の人ではないのかな。時代もあるけどはとバスツアーのコースみたいだ。最後の自家用車が多摩ナンバーだね。
当時は東横百貨店だったかな?
当時は東横百貨店ですね、文化会館は今のヒカリエの場所で映画館や屋上に半球状の五島プラネタリウムがありました。
再開発の波には、勝てんわな!
すみません、冒頭に出てくるアルバムの主役の赤ちゃんの写真ですが心霊写真じゃないでしょうか・・・赤ちゃんの後ろに不自然な顔が・・・・
同じく思いました、ちょっと怖いですね
転ばない様、誰かが椅子の後ろから赤ちゃんを押さえていた…と思いたいですね😓
@@あぶらこ-s2y私もそう思いました。お母さんが支えていたのでしょうね。赤の他人から見れば、気持ち悪く見えてしまったとしても、家族から見ればそうでは無いですからね。
ハッキリし過ぎで……ゾッとしました😖
AI着色でちゃんと人の顔として着色されてることに少し笑ってしまいました
想い出イッパイのお写真拝見させていただきました。もうじき91歳ですが「東京タワー」まだ登ったことないんですよ、
でも僕も何故か懐かしかったです。素敵なお写真有り難う御座いました。
恐らく同じ年齢を親に持つ私には、なぜか懐かしく胸が詰まる様な思い。
40年、50年なんてあっという間だなって改めて思いました。
人はこうやって歴史の一瞬を行き過ぎて行くんですね・・
なんだろう、まだ涙腺弱くなる歳でもないのに泣けてきちゃう・・・
BGMとステキな解説に人生大切に生きようと思いました。
子孫でしょうかはうけましたw
いつもながら昭和を感じれてあ~と思いになります。
小田急TIMEさんのアルバムシリーズ大好きです。
かつて、一生懸命に働き、子ども時代を、そして社会人になり、懸命に生きた人がいた。市井の人として無名ではあったけれど、自分が子ども時代に隣に住んでいた人、電車で隣に座っていた人です。懐かしく温かく、そしてちょっとうら寂しい。
いつも最後まで見てしまいます。ありがとう。
写真の主の人生に思いを馳せるこのシリーズ好きです。紙ベースの写真は残りますね。今のスマホに残っている画像は消えてしまう運命。
当時の東京タワーからは、スモッグがひどくて何も見えなかった記憶がありますね。あの頃と比べると今の東京は本当に空が青くなりました
アルバムそのものにも敬服の念を抱くけど、主様の知識の幅にも感心致します。
地理、歴史、文化等、詳しく説明して下さったり、調べたりしてるのがいつもながら凄いです!!!
マイカーブームの前に自家用車を購入出来るなんてものすごく裕福な家庭ですね。
懐かしいです、犬の像は確かに東京タワーの下にありました🗼🐕
おそらくもし今もご存命であれば優に百歳越えてらっしゃる方ですが、無名な普通の方たちの人生の
淡々とした一風景を眺めさせて貰っただけで切ない気分なのは、自分も老齢に来たせいでしょう。
昭和30年代…ありふれた表現ですが昭和は遠くなりにけり
お疲れ様です、皆さん其々にアルバム持っていると思いますが多分最後は処分されるアルバムも多いと感じてます。
私もアルバム持ってますが、母が生前・・と言っても私が青年になる頃までにとったものを整理しているって感じで終わってますし、バツイチ前のアルバムは前妻がすべて持っているので実際は青年時代までとなってますねー、又その写真たちにプラスして生前の父母の若い頃の写真は私が持ってますが、それを見ても当時の白黒写真にはやはり小田急タイムさんと同じ感情が沸き上がってきます。
人間生きている時が花なので、その記録も後世に残せ意味を持つものに出来たらとおもいますねー、せめて後ろにその記録を足すと更に良いと思いました。
日野コンテッサ乗っていたんだ。何か誇らしげで良い写真です。
全く赤の他人のアルバムが古本屋で売っているのでしょうか? 生きた証でもある写真が…何故…?それが一番気がかりです。
知人からお借りしたと説明書きがありますよ
タロジロ達の銅像は「あ、これ東京タワーだな」ってすぐわかりました。確か当時の動物愛護協会が置き去りにされた15匹の南極観測での功績を讃えるのと亡くなった13匹の慰霊の意を込めて設置したそうです。写真の主の人も15匹の銅像を見て何を思ったのでしょう、気になります。
戦争の時代が欠落してるのですね
7:58〜
1962年型AMCランブラーが走っていますね。珍しい。
ラストの車は日野コンテッサ900ですね。ノッチバック3BOXボディなのにリヤエンジン・リヤドライブなのはルノー4CVのノックダウン生産による技術経験の延長らしいですね。
クルマにお詳しいですね。自分はクルマ音痴で乗用車、バス、トラック、バイクの区別しか出来ません。乗用車で自信をもって区別できるのはスバル360だけです。中学校の先生たちの愛車で、55年前に乗せてもらったらエンジン音がうるさかったのを覚えています。
お疲れ様です。東京スカイツリーを毎日見ていますが、東京タワーより大きいとは思えません。実際には東京タワーの2倍の高さは有るはずなのですが東京タワーの圧倒感が無いように思えます。
東京タワーの蝋人形館に行って見たかった。
東京タワー自体が丘の上にあることと周りの建物の密度の違いでそう見えるのでしょう、ここより上の六本木1丁目あたりのビルからは見下ろす形になります。
1959年、私の生まれた年です😆カラーに加工するとハッキリするんですね!
冒頭の赤ちゃんの後ろに映っているのは赤ちゃんのお母さんなのかな?
いつも楽しみに拝見させて頂いております。桔梗門から撮影した後方に写っているのはGHQが入っていた保険会社のビルでしょうか?私は地方の人間なので東京には詳しくなくて申し訳ございません。
自分も東京タワー南極物語のモデルになった。タロとジロもなくなったんですね!
東京タワーは建設からずっと見ていましたが、初めて上ったのは1971年でした。タワーの隣の施設には良く行っていたのに、何故かタワーには入りませんでした。タワーは見慣れた景色の一部だったんだと思います。ちなみに初タワーでは展望台まで階段で登り、強烈に記憶に残るものでした。
それにしてもタロ、ジロは東京タワーの方がいいですよね🥺😔
みんなが見てくれて…🥲🥹
研究所なんて、何でだろ😰😤🥲
東文の写真の右側に見切れているのはプラネタリウムのドームですね。
平成の初めに、そこ(屋上)にあったゲームコーナーで店員をしたことがあります。
もう、古いアルバム発見したら小田急TIMEさんに贈るしかない
建設当時見ていました そして登りました 第二展望台にはおトイレがなかっや時です
戦後そして高度経済成長…どの様に生きられたのでしょうか、思いを馳せてしまいます。
古いアルバムシリーズ好きです。自分の知らない他人の人生に思いを馳せてしまう。
アルバムの主の生まれた頃~50代位までの写真か。会社の慰安旅行?の写真を見ていると、当時はきっといろんな会社が社員旅行をやっていたと思うけど、年月を経るにしたがって同じ思い出を共有している人がいなくなり、最終的にはこのような出来事があったことも時代の中に埋もれてしまうのだろう。写真はそういう意味で記録になるからいいな。私の父が現在70代前半で、あと10年もすれば亡くなっているかもわからない。何となくこの写真の主と父の姿を重ねてしまった。「東京に出張に行った際に名所で写した写真?」の数々に、私が生まれる前の父親もこのような風景を見ていたのかもしれないと思いました。この方のアルバムも途中で終わっているのが気になります。アルバムに写真を残せるというのは人生に余裕がある証拠。人生にはあまりにも山あり谷ありが多すぎて、その後は写真を撮る余裕が無い人生だったのかなとも思えました。
お金持ちの記録だけが残る
今も昔も変わらないのかな
垢抜けた港区が好き。
多摩に住んでおられたのでしょうか。大会社に勤めて見えたのでしょうか?東京タワー、帝国劇場、中学の修学旅行で行ったのを思い出しました。
車は日野自動車のコンテッサでしょうか?懐かしいです。
親父か乗ってた。
都心の人ではないのかな。
時代もあるけどはとバスツアーのコースみたいだ。
最後の自家用車が多摩ナンバーだね。
当時は東横百貨店だったかな?
当時は東横百貨店ですね、文化会館は今のヒカリエの場所で映画館や屋上に半球状の五島プラネタリウムがありました。
再開発の波には、勝てんわな!
すみません、冒頭に出てくるアルバムの主役の赤ちゃんの写真ですが
心霊写真じゃないでしょうか・・・赤ちゃんの後ろに不自然な顔が・・・・
同じく思いました、ちょっと怖いですね
転ばない様、誰かが椅子の後ろから赤ちゃんを押さえていた…と思いたいですね😓
@@あぶらこ-s2y私もそう思いました。お母さんが支えていたのでしょうね。
赤の他人から見れば、気持ち悪く見えてしまったとしても、家族から見ればそうでは無いですからね。
ハッキリし過ぎで……ゾッとしました😖
AI着色でちゃんと人の顔として着色されてることに少し笑ってしまいました
自分も東京タワー南極物語のモデルになった。タロとジロもなくなったんですね!