大迫力!【フルトヴェングラーの運命】 (1947年5月27日)
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- เผยแพร่เมื่อ 15 มิ.ย. 2024
- Ludwig van Beethoven
Symphony No. 5 in C minor, Op. 67
00:00 1. Allegro con brio
08:07 2. Andante con moto
19:18 3. Allegro. atacca
25:07 4. Allegro - Presto
Wilhelm Furtwängler (1886-1954), Conductor
Berlin Philharmonic Orchestra - เพลง
名前は自分を象徴し、顔である。だから、フルトヴェングラーと、深みのある独特の響きから、その名に引けを取らないで本人自体もいいです。凄さを名前を聞いただけでも震えが来ます。
大昔、誰の指揮かどこのオーケストラとも知らずなぜか買ったレコードは好きになれず、また偶然聴いた若い指揮者によるこの曲も「若い」演奏でどうも第五にはいい印象がなかったのですがこの演奏は素晴らしい。もともとフルトヴェングラーは好きなのですが若い指揮者はこういう演奏と比べられるのだから気の毒です。
ありがとうございます。最近の演奏って、なんかつまらないと思って聞いています。ピリオド奏法とか流行っているんでしょうかね、自分には良さがわからないです。古臭いかもしれないですがフルトヴェングラーのような大見得を切った演奏は新鮮で楽しいですね。
@@mahkunyoshida7285
クラシックに詳しくないのでピリオド奏法を知らないんですが、
youtubeでもバイロイトの第九を聴いて大好きになりました。躍動感が違う。
大昔第九はライブでも聞きましたが最終楽章まで寝落ちしました。
ぜひタイムスリップして聴きに行きたい
アップ大変有難うございます。これは超有名な戦後、フルトヴェングラーがベルリン・フィルに復帰した時の名演奏ですね。でも私、個人的には5月27日の演奏よりも5月25日の演奏の方が、更に気迫と凄みがあり気に入っています。「出だしのオケの音がずれていて思わず吹き出してしまう」という様なコメント等、読んだ事がありますが私はそういう事は気にしません。自分が感銘、感動を受ける演奏が素直に大好きです。😊
コメント、ありがとうございました。5月25日の演奏ですが、実は自分もその方が好きです。
そちらもアップしていますのでよろしければお聞きください。
th-cam.com/video/40-K1ltPbIU/w-d-xo.html
長年自分はフルトベングラー様を誤解していました。この演奏に心奪われるとは、、
1楽章の終わり方、2楽章のファンファーレ的響き、もう何を取っても素晴らしすぎます。今年からはフルトベングラー様を聴き漁ります‼️名演奏アップありがとうございました😊
ありがとうございます。自分も長い間フルトヴェングラーは敬遠していました。ドカドカとうるさい打楽器やヒステリックな弦の音で、とてもじゃないですが音楽を楽しめなかったからです。
しかし波形を見るとあまりにも不自然なので、自然に響かせたらどうなるかと思いステレオ化してみました。
ようやく今はストレスなくフルトヴェングラーの演奏を楽しめるようになりました。
まさに一音入魂の畢生の神演奏🎉Bravissimo!
コメントありがとうございました。間違いなく神演奏です🔥
私はカルロスクライバーのやつとこれが双璧に好きです。
カルロスクライバーの第五も良いですよね。
俺、ベームのも気に入ってる
最高峰。理想のカラヤン。本物。フルトヴェングラー博士。
自分はカラヤンも大好きですよ😃
@@mahkunyoshida7285 同感です。
血の通ったフルトヴェングラー博士に対して、カラヤンは、逆に機械的に人間としては限界ギリギリまで挑み、上手く言えませんが、人工美の良さ、極致だと感じます。よく、宇野功芳先生が指揮者を有機、無機とに振り分け、カラヤンに対して無機と評論しています。だからといって、わたくしは、決してカラヤンは偽物とは言っていません。ある意味合いでは、有機的だと、曲によっては凄く聴き苦しく、邪魔になります。そこで、カラヤンの方式は、何に於いても、聴いていてとても気分がいいくらいです。しかし、フルトヴェングラー博士もカラヤンも互いに、最高の大指揮者である事は、間違いありません。
クラリネットが冒頭先走る。「一瞬行われたある時代の雰囲気をとらえている。...ぼくもあれは素晴らしいと思う」(井上道義氏)
今なら間違いなく後から録り直して修復することでしょう。ドキュメンタリーを求めるか録音作品として見るかで違うんでしょうけど。
凄い! 凄いぞ!
フルトヴェングラーのの運命のなかでも、ベストワン!
運命は、フルトヴェングラー、ワルター、クナッパーツブッシュの三人に限る!
コメント頂きましてありがとうございました。いまはこういう演奏は聞けないですね。
神はいない! お釈迦様の教えの最も重要なポイント。つまり、平等を唱えている。その平等とは、あくまでも、命と功徳に皆さん平等にあるとされています。
この演奏を聴くと、かの音楽評論家吉田秀和氏が、ベートーヴェンを頂点としてブラームスやワーグナーのようなキラ星のようなドイツオーストラリアの天才たちの音楽が、音楽の最高峰であることを証明しようと闘っていた。という話を説得力が増す。
コメントありがとうございました。自分も独墺の音楽中心に聞いているので納得できます。
Esecuzione leggendarie e storiche ; ma dopo hanno fatto meglio di Furtwängler
精緻精妙。カラヤンの音楽に対する美の追求。カラヤンへの道。フルトヴェングラー博士は、素朴、粗暴、粗悪、恍惚、美の極致…。しかし、音楽愛好家にはフルトヴェングラー博士のレコードこそ、楽しく、味があり、深みがあり、実に面白味を感じている。何れにせよ、カラヤンもフルトヴェングラー博士も基本はインテンポであるが、カラヤンは、完璧を目指した一方。フルトヴェングラー博士は、次から次へと、演奏はどんどん変えていくべきと言う、カラヤンとフルトヴェングラー博士とでは、真っ向に違いを見せていた。とは言え、現代最高の指揮者である事は、間違いないだろう!
コメントありがとうございました。フルトヴェングラーはカラヤンを嫌っていたようですが、なんだかんだカラヤンはフルトヴェングラーの影響を受けているところもあり、リスペクトしているんだろうなと感じています。運命で言うとテンポ的には近いはずのトスカニーニやクライバーとは通じるものがない。あとカラヤンはレコード作品では美しい響きをもとめていますが、ライブだと一気に爆発しますから、結構フルトヴェングラーみたく熱い指揮者なんだと思ってます。
@@mahkunyoshida7285 そうかもしれませんね。確か1988年東京文化会館でムソルグスキーの展覧会の絵を聴きに行きました。結構ミスも目立ちました。しかし、最後のキエフの大門の盛り上がり方何かは、カラヤンならではの盛り上がり方でした。フルトヴェングラー博士もカラヤンも犬猿の仲でありながら、本当は、お互い尊敬は多少なりあったのではないか?カラヤンは過去。フルトヴェングラー博士のベートーヴェンの第九のレコードを視聴したとき。何しろフルトヴェングラーはビルトーゾが凄いし、弦楽器群がまるで弦楽四重奏のように緻密に演奏出来るさまは、当に凄いと讃えたのである。そのカラヤンとフルトヴェングラー博士の共通性はある気がします。
@@user-lf1yg1qo9s 1988年の来日公演に行ったんですね。うらやましいです。自分は当時お金が無くて諦めたので、次こそはって思っていたところ、それが最後になってしまうとは。当時のライブ音源は感動しながら聞いています。ブラ1は涙なくしては聴けません。
出だしは、恰もカラヤンの第五を彷彿とさせる様なアップテンポであるし、ヴェングラーの第五にしては総じて些か速いテンポなのには、戸惑いというか違和感を感じる方もいるかもしれない!? が、聞き進んでいくうちに、カラヤンのような忙しなさを感じさせない、ヴェングラーの第五への思いが、管楽器や打楽器の使い方に端的に現出している様に感じられる、素晴らしい演奏でした❢❢
ご視聴いただきましてありがとうございました。楽しんで頂けたようでよかったです。
ベングラーが南ローマ交響楽団で運命を録音したのを持っていた、引っ越し数回で行方不明、この演奏もよかったのに。
コメント、ありがとうございました。お気に入りのレコードを紛失するのは悲しいですね。いまはサブスクがあるのでそちらで楽しめればよいのですが・・・
最終楽章コーダのアッチェレランド
コメントありがとうございました。これからもアップしていきます
ニーチェもアインシュタインも、お釈迦様も神はいないといった!しかし、神はあるという考えも出来る!人とは必ず、どっちかに依るものだ…。しかしながら、そんな中。二つが正しいと答えるもの!でも、互いにアイデンティティーを確保し、尊重すべきだ!
神はいると思う人は、人間は単なる子羊に過ぎないとなる。たとえ、神はいないと思っても、成功者とか、いい人生を送れる人、多くいます。哲学者。ニーチェはこう言った。神はいない! しかし、その絶対の注意点がある。それは、尊ずるべき存在に対しては、尊重することの大切さです!
日本の神様は万物に宿って崇拝されるのでニーチェに近いのかもしれません。