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補足→【高虎が味方に銃弾をあびせた】といってますが、厳密には鏃のない矢だったり、鉄砲の空撃ちみたいな感じです!動画内で補足し忘れましたm(__)m今回は細かい動きを表現するためにめいっぱい駒を使ってみました!おかげでエンコードが計21時間かかるっていう、わけわからんぐらい事態になりましたわwま、それでも細部は表現しきれない所もありますので、そこはご了承くださいませ。【追加ネタ】・立花宗茂が味方のピンチを救うために敵へ側面射撃をしたけど、そこでも「裏切りや!」って大騒ぎになる場面があったw・あるベテラン武士は思っきし太刀をぶん回して逃げてくる味方を威嚇して追っ払ったりしてました。・味方崩れには【友崩】→逃げる兵が味方陣形になだれ込んで、そこもまた崩れるみたいな【裏崩】→戦ってない後方の部隊がひょんな事で崩れるみたいな事が多発してしっちゃかめっちゃかだったらしい。どしどしチャンネル登録、評価、コメよろです~
伊達政宗は鉄砲撃ちかけてますよね…(小説ダケの話しかもしれませんが
良い発言をありがとう
お疲れ様です。友崩は崩れてなくても味方に逃げ込まれて直後に敵に突っ込んでこられたらめっちゃ柔らかそうですね。いつかやる社長さんの過去動画でそんな場面があったようななかったような・・・・・
とても面白かったです。毛利勝永隊の活躍はもっと語られるべきですね。戦国時代の陣形は基本的に梯団編成で防御縦深があり、一見すると強固に見えますが先鋒が崩れると敗走する味方がなだれ込んできて空手の瓦割りみたいに連鎖的に崩れることがよくあったらしいです。同時代のヨーロッパのテルシオ陣形のように密集隊形で兵を閉じ込めれば崩れにくかったかもしれませんが、日本の地形には合わないし兵がめっちゃ死ぬので良し悪しなんですよね。
14:20からのbgmはなんですか出来れば教えて欲しいです🙇♀️
「惜しいかな後世、真田を云いて毛利を云わず」って言葉好きなんだよなぁ
これ正直MVPって勝永なんですよね。悲しいかな後世・・・まさにそうです!
細かいようですけど、「惜しいかな」じゃありませんでしたっけ?
@@user-ti5ds5pj5n ほんとですね!自分が間違えてました。ご指摘感謝いたします
@@非株式会社いつかやる冬と夏 総合的に考えたら 真田さんですよ。
ゲームとかだと敵を崩しても戻って陣地で防御嵌め込みするんだろうけど、実戦だとチャンスに飛び込むよね、 信長の長篠って凄い統率で陣地戦だし比較しちゃいけないけど、悪く見れば敵のミスに釣られて突出して疲弊の限界で負け確定に見えるから伝説残せたから結果オーライでしょうか
毛利勝永は戦場で暴れた後大阪城に無事撤退して秀頼の介錯を務めたそうなのでそこまで解説して欲しかったなぁ
子供の頃ドラマで幸村が突撃するとき本気で「頑張れー!!」と応援してたな
そう!草刈正雄の真田幸村!めちゃめちゃ格好良かった👍
俺も草苅正雄の幸村に一票。
@verdure023真田丸の時、俺の母ちゃんが「草刈さんは幸村にしか見えない」って言ってたなぁ。ワイも真田太平記リアタイしてない(というか生まれる前w)世代です←by二十歳
@@MarceRonald712 あ!そういうことなんですね!理解しましたわ
配役で言うと、真田丸の茶々が忘れられない。微笑を浮かべながらも内面には悲劇的な愛憎が渦巻いている危うい感じがピッタリだった。今振り返ると、竹内結子さんは奇跡的な適役だったなあと。ご冥福をお祈りします😢
徳川軍の前衛をボコボコにするにとどまらず、真田隊も含めて豊臣軍が総崩れに崩れ去る中壊滅しないどころか遅滞戦闘を繰り広げて退却を成し遂げる毛利勝永とその隊の精強さたるや
毛利勝永の活躍に焦点を当ててくれたのは嬉しいウェキでの毛利勝永の活躍を見た時は驚いたものですこんなに撃破してるのに…と。
しかも大坂城に退却するとき追いかけられたから振り返って一発ボコしたりしてますからねwそのときも幕府軍はまさか反撃されるとは思わず、毛利の射撃一発でパニック状態になってわちゃわちゃしましたww
研究が進んで、リアルな戦場が分かるようになりそれを面白く解説してくれる、いつかやるさん大好きです。
毛利隊の奮戦にまじで痺れた。やっぱ副社長の解説めちゃくちゃ引き込まれる。大好き
真田丸の家臣「馬印はどういたしますか?」大野治長「勿論持っていく!」ナレ「この決断が、歴史を変えた」〜大阪城到着〜「味方が混乱しております」「真田隊、毛利隊、壊滅!」大野治長「何で持ってきたァァ!」家臣(いやお前がゆうたやん...)のシーンが好き笑家康好きだけど、夏の陣はどうしても幸村を応援してしまうw。サッカーの合宿で上田の菅平高原よく行ってて、行くたびに真田グッズ買ってたから真田も好きなんよなぁ😊
なつかしいwありましたねそんなシーンwでもやっぱり「だまれこわっぱぁ!」が好きw
@@非株式会社いつかやる 室賀殿www
勝永が作った想定外の好機を逃さない信繁の動きはマールバラとオイゲンを彷彿させるものがありますね。勉強させてもらいました!
確かに家康を追い詰めたのは幸村でも、そのきっかけを作った勝永だから彼の活躍ももっとみんなに知られたらなぁって思ってます
勝永が釣られたという見方もできる、それを咄嗟に頭切り替えて真田が特攻かけて、また毛利も呼応するから、実戦経験凄いけど作戦をきちんと守って固まってた大野は気の毒な気もする。そもそも、戦場で大将代行の大野が連絡で戻るとかあり得ない、陣地戦なら、ミスにはならなかったかも。乱戦に対応可と不可が混ざってた。
又兵衛がまだ生きてたらなあとか、秀頼が出てこれたらとかのタラレバを考えるのも夢があっていいな家康を追い詰めたのが2回とも武田由来の赤い部隊ってのもドラマがあっていい
ありがとうございます!
熟練兵「これが味方崩れやで…」本陣兵「はえ〜」可愛すぎる笑
名将は敵の隙を見逃さずにそこに漬け込むことのできる人なんだと感心しました
真田信繁が秘策&鬼気迫る突撃で活躍したというより幕府軍が新兵だらけでグダグダだったんだなそして逃亡する新兵にブチ切れて先陣に立ち茶臼山を攻め落とし信繁の背後を断つという大活躍したのに、前回に続いてスルーされる水野勝成何気に豊臣側の浪人衆をことごとく撃退してるんですね・・・
水野さんの活躍はいずれ動画にするので、その時にでも!茶臼山に乗り込んでいったりしてますもんね~
真田信繁だけじゃなくて毛利勝永の活躍も凄かったというのは知ってましたがイマイチどういう状況だったのかは知らなかったのでとても分かりやすかったです。
大阪夏の陣と道明寺の戦いを知りたかったので本当に面白かったです ありがとうございます😌
毛利勝永の快進撃が凄い...今回の解説も面白かった〜
夏の陣において敗北した毛利家が、その後200年以上経って徳川幕府を滅ぼす事になるとは、歴史とはなんたる数奇なめぐり合わせの連続だろうか···。やっぱり地元が、いつかやる㈱さんのいつもの地形図で描かれるの最高です!!。ありがとうございます!
その毛利勝永と長州の毛利さんは全く血縁関係無いっす・・・。
夏の陣ってかなり端折られた説明ばかりなので、詳細が知れて「そうだったのか〜」となれました。ありがとうございます😊
サンクスにサンクスです~
貴チャンネルの説明は本当に秀逸です。ワクワクしながら見進めました。また、別な話題もお願いします。歴史の戦物はここが一番だと思っています。
思ったよりも敵が弱くて突っ込んだ勝永、計画と全然違うけど活躍した勝永に合わせて打って出た信繁、圧倒的有利なはずなのに崩れた味方を見て討ち取られるかもと退いた家康戦場に想定外はつきものでそれを乗りこなしてこそ名将って感じですね
そうですよね~やっぱり計画外、想定外こそ将の腕と才能が問われる気がしますね~
10回位見たら幸村が家康を討ち取ってくれるかもしれないと思って何回も見てる
あ~わかる!僕も関ヶ原の戦い何回見ても「大谷吉継が勝つかも!」って心のどこかで思ったりしますもんw
幸村自身が数回タイムリープすればきっと可能ですよ。
これ勝ってたら、日本史上最大のミラクルやったのに、野球で最終回でエラーで逆転負け食らったみたいな感じの豊臣。
やっぱチャンスに飛び込む勇気ってのが大事なんやなってその為の準備も
大坂城夏の陣で真田隊が家康本陣に突撃したのは知ってたけどここまでは知りませんでした。豊臣恩顧の大名初め九度山に幽閉されてた幸村も負け戦と分かっていてもその恩を忘れず義理を果たした。男の鏡のような人です。日本で1番大好きな武将です。
将棋も「駒損する攻めでも、マイナー戦法や急線で細い攻めガンガン繋げれれば勝ち切れる」とありますが、「攻めが上手く繋がらず時間が経てば駒得している方がだんだん有利になっていく」というがあるのを思いだしました。
15:18 ここから先の展開がいかにも徳川方の兵、前線指揮官の育成不足かがわかるの面白いな。味方が裏切ったという流言の流布、混乱による士気の低下もそうだけどそうなった現場をまとめる前線の指揮官がいなかったのも大きいさらには真田が本陣に突進した際には前線の状況が把握できていないため彼らからしたら真田が松平の軍を蹴散らしてこっちまで走った来たように見える(当の松平は未だ奮戦中)ため必要以上に敵を恐れてパニックになる。唯一の敗因はあそこで総攻撃か最後の攻めの一手が足りなかったこと。元々豊臣軍は数で劣勢であったため深入りしない防衛戦か一か八かの奇襲戦の二択しかなかったのに本来は防衛戦の状態からなし崩し的に奇襲戦になったの状況に適応できなかったことかな。時代が時代だから仕方のないことだけど
全体を指揮する総大将がいなかったのが完全に裏目に出ましたね...。秀頼が秀吉から戦の才覚を受け継いでいたら...。まあ官兵衛みたいな天才軍師がいなかったのもあるけど
@@MarceRonald712 秀吉は両兵衛いたのが大きいよなぁ。
おそらくみんな戦国時代が近いので戦の生きた英才教育はされてましたが、いかんせん実戦不足がでかいですね。どれだけ学ぼうと実戦では役に立てるには場数が必要ってかんじですね。豊臣軍は上記のコメントにある通り、総司令官が戦場にいなかったのが痛かったです。治長も牢人達から信頼が低かったですし・・・そういうのもあって、やっぱここぞという場面で対応できてない気がします
この勝負追い払えたら、豊臣は生き残ったと思います。秀忠も、家康も死ぬ思いしたから、そこまでして滅ぼそうとは思わないはず。
信之が夏の陣の報告を受けて「倅では勝永どのに敵う訳があるまい」(苦笑い)「しかし信繁様が真田の武名を上げてくれましたゆえ┉」「そのことよ」という真田太平記の一節が死ぬほど好き。勝永を持ち上げ、信之の心内も解るような。
やっぱ一番ヤバいの毛利勝永だよなぁ・・・突撃もヤバいけど何であの状況から撤退できるんだよ・・・
まさに四面楚歌って状態から、よく撤退したよね笑。エグすぎるw
死場所求めて突き進んでるんやろなぁ……見事な撤退までしてるやん
関ヶ原から15年たって新兵ばかりなこと考えると、豊臣家が一か八かで勝負に出るにはベストのタイミングだったのかなそれでも数の差は覆せなかったか
マジ話だったんだなぁ。脚色だと思ってた、この話。図で見ると、ちょーわかりやすい。マジ感謝
面白かったです!わかりやすいです。ちょうど高野山と九度山、真田坊に宿泊する予定なのでなんてタイムリーな!勉強になりました。真田家に手を合わせてきます🙏ありがとうございます。
強者どもが夢の後って言葉は、戦国最後の戦場たるこの場所にこそ相応しい言葉じゃないかと思いますね。
毛利勝永の父・毛利勝信は豊臣秀吉の古参の臣である。秀吉から信頼されて九州の玄関口小倉6万石を領したが、関ヶ原の戦いで西軍についたために改易され、同輩・山内一豊が治める土佐の預かりとなった。毛利父子と親交が深かった一豊は、土佐に領地を与えて厚遇したが、父・勝信は1611年に死去。父の死後、勝永は恩義のある豊臣家が窮地に陥ると、山内家の反対を押し切って土佐を脱出。豊臣方に加わり勇戦し、天王寺の戦いで天下に武名を轟かせた。大坂の陣の敗戦後、毛利勝永は徳川軍の包囲網を突破して大坂城に帰還し、秀頼の介錯を行った後、息子とともに自害して果てた。享年37歳。「惜しいかな後世、真田を云いて、毛利を云わず」 彼こそは豊臣家、誠の忠臣である。
19:55 信繁が突撃中の茶臼山の様子を見ると、明らかに陥落は時間の問題。だからこそ真田の突撃は単にどでかい間隙ができて千載一遇のチャンスが訪れたというだけではなく、ここ(茶臼山)を落とされようが刺し違えてでも家康は必ず討ち取る、という壮絶な覚悟があったんだろうなと思いました。
つくづく思います。人間の戦いだから、いろんな事が起こるんだなあ、、、って、今回も分かりやすく学べました。ありがとうございます。
お手本のような量より質vs質より量の大決戦ここまでグダグダになると指揮官も頭痛かっただろうな
Thanks!
副社長とピロ助のコンビ解説!面白くて!たまらない!
忠直は色々しくじって家康に叱られてたがゆえの焦りの突撃だったんだよなぁ。一時は崩壊危機だったけど踏ん張って武功を挙げたは良いけど加増が少なかったのが彼の運命を狂わせた。戦後の転落ぶりが酷い人物の1人。
3:19~ 茶臼山って確か古墳だったはず
いつも楽しく拝聴しています。出来たら八尾・若江の戦いも取り上げてください!長曾我部盛親や木村重成の活躍をもっとみんな知ってほしい
木村は討死したし長宗我部は次の日戦えないほど損害喰らったけど逆に次の日井伊と藤堂が殆ど戦えない程損害与えてるんだよな
大坂城陥落後もすんごいねちっこい残党狩りが行われた辺り、徳川軍も相当トラウマなってたんちゃうかなって思った
関ヶ原の時と言い、歴史上目立たないながらもいぶし銀の働きを見せ続けた藤堂高虎とその部隊個人的にはいつか大河の主役にして欲しい程の名将だと思っている
主要銭湯にも参加しているので、大河でしてほしいですよね。そして、「忠義者」という印象を植え付けてほしいと思っています。(秀長と家康には忠義を尽くしたんだよなあ)ネックは、在日まみれのHNKが朝鮮出兵でも活躍している高虎をやりたがらないことだろうなあ。大河で島津家、立花家をしない理由もそれだろうし。
このタイミングでの更新はホントにクリスマスプレゼント!待ってました😊
昔ブラタモリでもやってましたけど、現地行くと意外と高低差があるんですよね。
待ってましたー❤ 大坂、夏の陣お疲れ様です。次回も楽しい動画を無理の無い範囲で宜しくお願いします🙇
このチャンネルはまじで良良
戦国だと、この辺りからお互いの正義で殴り合いしてるから面白いどの年代の戦争もお互いの正義で殴り殴り合いをしてるから面白い
有難う!副社長!
関ヶ原、夏の陣、冬の陣、この辺から戦のグダグダ感が途方もなく広がった感じだったんですね😂(笑)🎉オモロイです。🙇♂️
毛利勝永はあれだけ進撃をしたのにも関わらず、劣勢になった後もそのまま野戦で討ち取られることはなく大阪城に戻った、と思ってました。
それで合ってるよ
しかも敗残兵をまとめながら
某大河ドラマと解釈一致の展開ですね三方ヶ原で追い詰められた時も赤備えの猛将、山縣昌景に浜松まで追撃され追い回されたされたそうですからねぇ家康さんはきっと赤色が嫌いだったに違いないです笑
本多忠勝の次男、忠朝は冬の陣で酒に酔って敵の猛攻により敗走…その事を家康から「親の平八郎に似ず役に立たぬやつめ」と罵倒されたとされています。そう言った経緯もあり夏の陣では焦っていたのかも知れませんね。忠朝の死を知らされた家康は「惜しい男を死なせてしまった」と伝わっています。
やっぱり真田幸村の徳川本陣に突撃😍👍堺雅人真田幸村👍😍
防御に徹していれば上手く連携できていたかもな。活躍したのも勝永だけどやらかしたのも勝永という感じ
どうでしょうか?大軍である以上は、時間をかければ幕府軍が有利になってきますからね。
又兵衛達死んじゃったし真田隊は伊達隊止めたけどそれで隊が傷んでたし、俺がやらんとってのがあったんだろうかまあ勝った徳川方の軍規違反抜け駆けするぞ勢の扱い見ると勝永が当時称えられなかったのは分かる気がする
こう見ると割と秀頼出て士気高揚させて補強してたらワンチャンあったかもな
開戦前から意見が真っ二つだったから意思統一できてませんでしたからね…(茶々はイメージに反してハト派で片桐いなくなってから大野治長もハト派に転向、秀頼はタカ派で大野治房もタカ派) この期に及んで大野を呼んで聞く辺りまだどこかで「自分が安全な場面で出たい」みたいな保身的なところはあったんかなぁとは思ったり秀忠でさえ傷まみれ(後に発掘された遺体)だったりするくらい覚悟決まってたけど秀頼にはその覚悟が足りてなかった
勝つのは無理だったかもしれませんが、一回は幕府軍を後退させる事ができたかもしれません。まぁ秀頼が参戦できなかったのもあまりにも早く戦が終わってしまったって事もありますが・・・
最終盤は色んな話がありますよね。追い詰められた家康が使者を出して緊急和議(しかもこれが謀略)を提案してその為に秀頼は治長を召したとか、秀忠本陣に素肌武者が雪崩れ込んで柳生宗矩が凄まじい勢いで切りまくり壊滅させたとかね。七手組がヤケ起こして突貫するか秀頼自ら出陣すれば最初からかなり押し込んだ状態には行けたかもですよね。
悲しいかな後世、真田を云いて毛利を云わず。やはり評価されるべき!それと忠朝の兄の忠政は?
勝手な妄想なんだけど、家康は、かつて歴戦の三河武士を率いていた頃と違って、思うように動かない経験不足の軍と自身の老いた体に、歯がゆい思いをしたんじゃないかな。さらには果敢に戦う敵方武将たちを見れば、その思いはひとしおだったと思う。陣前がかって開いた時は「え?何勝手に空城計やってんの?」と思ったでしょうね。まさに三方ヶ原の再来。豊臣もただでは滅びなかったんですね。戦国の大きな最後を飾る戦がグダグダに終わるのは何とも皮肉ですが、そこも家康はいろいろ感じたところがあるでしょう。ここまでいろんな妄想ができるのもこの動画のおかげです!
いつ聴いても分かり易いし、歴史好きとしては何よりもとにかく聴いてて「楽しい」です😀
先日の大河ドラマでは信繁が家康の眼前まで迫る描写がされていましたが、その裏でこんなグダグダ劇があったんですね今回も面白かったです解説前のぴろすけさんの発言「最高やん」が見てる側の気持ちを代弁してくれてました
いつも勉強になる動画をありがとうございます。いつも楽しみに見てます。次は応仁の乱をお願いします。
越前松平隊を誘って茶臼山を陥落させ、後方から真田隊に突撃して真田隊の戦線崩壊させた水野勝成さん無事忘れられる。真田信繁の首を取ったのはこの突撃についてきた越前松平の兵でした。
真田幸村の息の根を止めたのはまじで半端ねぇ!
鬼日向さんはあちらこちらでナイスアシストしてるのですが、何故か注目されない。
結果的に敗れたけど、真田隊や特に毛利隊が凄まじい活躍しましたねしかも毛利隊は15万のうち約6万の徳川軍と交戦したというから驚きです…ちなみに真田の大坂城入城の報を聞いたときに家康は「入城したのは親(昌幸)か子(信繁)か?」と聞いて「子の方らしい」と返答があって胸を撫で下ろしたというエピソードがあったみたいですが、まさか子の方にも恐ろしい目に遭わされるとはね…
どうする家康の松潤家康が前に出て真田幸村を呼んで一対一になるところが👍
幸村が家康を追い詰めた話しは知っていたけど、ここまで惜しい戦いになっているとは知らなかったです。
大阪府堺市の南宗寺に徳川家康の墓があります。大阪夏の陣で敗走した家康は、目の前を通り過ぎる葬式の行列に頼み込んで棺桶の中に入って逃げようとしましたが、後藤又兵衛隊に追いつかれ、後藤又兵衛に槍でひと突きされましたが、槍には血は付いておらず通り過ぎていきました。徳川家康の家臣達は慌てて近くの南宗寺に走り込み棺桶を開けたところ、家康の息は事切れていた。阪堺電気軌道阪堺線御陵前駅から徒歩2分の所に南宗寺があります。
見応えありました完璧です
左近将監が総指揮を執っていたらどうだったでしょうね?私はもしかしたら勝っていたかと思っていたりします。この時の豊臣軍は総指揮官不在っぽいですし。
楽しい動画ありがとうございます😊
今も昔も大野治長ってロクデナシの評価なんだな。
後藤の陣地建築用の資材を無断で使って真田丸作ろうとして大喧嘩になった真田と後藤の諍いを止めたのも治長(真田丸の建築許可を出す代わりに二人を仲裁しようとした明石と後藤を盛親と扱い同格にする)で、戦時中中枢から大きな裏切りなく軍をまとめあげたのも大野治長のお陰でもあるからなぁ(夏の陣には既に反戦派にも関わらず)
大阪方の浪人たちはもう行き場のない、食い詰め者の成れの果て、ここが死に場所で必死に戦ったり金持って逃げようとしてる者もいたりしたんだろうな・・・・・・
にげる人も多かったのですが、すさまじい落ち武者狩りに遭いました。
『家康はここじゃあー』を思い出す👍
動画取り纏めご苦労様です。順序が逆になりますが楽しみにします。真田丸有名だけど着目点は何かな?
どんな形だったか?なんで南方の東よりにあったのか?邪魔なのはわかるけど、じゃあ具体的にどんだけ邪魔だったのか?・・・ここらへんですかね。
大阪冬の陣を是非出してください🙇
今まで読んできた歴史小説での各部隊の動きが初めてしっくりきました。おもしろかった~「冬の陣」楽しみ!!
豊臣軍は歴戦の猛将揃ってるんだけど、“軍の中間を指揮する将”も不足してるからなんせ連携が上手くいかない!もっと真田信繁と毛利勝永が連携出来てればワンチャン勝てたかもしれない!
捨て鉢にならず、最後まで望みを捨てない者にのみ、道は開けるのです。by真田親子
すごい細い分かれ道を通り抜けましたね
ずっと長い事、治長が豊臣の馬印を城に普通に持って行ったのが、最後のトドメであり、混乱の原因かなと思っていたんですけど、元々の豊臣方と徳川の兵力差、このチャンネルをいつも見ていて分かるんですけど、予備戦力って本当に重要過ぎますね。あとはそれぞれ付いている武将とその数の差も結局原因なんだろうなと(指揮官が足りなすぎるんですかね?)もしかしたら大阪での戦い以前に関ヶ原の時に大阪にいた秀頼とか輝元が別の決断していたらかなり豊臣の運命も少しぐらいは違ったのだろうかと想像しちゃいますね。でもそれだと淀殿が過保護モードで出てくる予感しかしないので笑
冬の陣、期待してます。
凄く生々しい雰囲気が伝わってくる解説。たかが数千でなぜ大軍を要する家康を信繁が追い込んだのか?が良く分かる動画ですね。
そろそろ家康の従兄にして戦国1の歌舞伎水野勝成をオナシャス🙇🙇🙇
真田丸で毛利勝永の方がやばくない?って思ったけどやっぱりやばかったんやな
毛利勝永めっちゃカッコよかったよな。冬の陣で、石落としの扉の鍵が開かなかった時火縄銃で撃ち抜いて開けるシーンが特に。あと、又兵衛と信繁が徳川から誘われたって話聞いて「何で俺には来ないんだ?」って嫉妬してたシーンもおもろかったw
元々真田って武田の武将だったから(祖父の代かな?)、三方ヶ原の戦いの再現になって胸が熱くなるな
相変わらず、面白い
東軍好きとしては忠朝の討死が痛い
すごい!小説とかと違って、手にとるように分かる!絶望的な中、具体的な勝策を立案。ハプニングをついて、大善戦した大坂方には泣けてくる……。
大野治長は、秀頼の父。本当に秀頼が秀吉の血を受け継いでいたら、豊臣政権はもっと続いてたはず。家康やその他の武将、豊臣家に従った武将らも、当時うすうす勘付いてたはず。猿と云われた小柄(152センチ)の秀吉の子が身長197センチ体重161キロの現代のプロレスラーでも大柄な部類の体躯のはずがない。
治長が父かどうかは置いといて、体格含めめ諸々と秀吉の子っていうのはやっぱり怪しいですよね。
完全に怪しいですよねぇ〜 秀吉の遺伝子継いでたら引きこもりでもない気がするし。この時も出張ったんじゃないかなぁとかとか…
大阪夏の陣の戦犯は秀頼を止めた淀殿
家康が死んだのはこの1年後だから、話がうますぎる。じつはこの戦場で討ち取られていて、1年は影武者で押し通した説ある。それにしても幸村と勝永が、戦場で独立して戦ってるにも関わらず、お互いの動きに呼応して動き方を変えて家康を追い込んでいく連携プレーすごいなと。
伊達の味方撃ちってパニックを防ぐ理由もあったんだね
毛利勝永の勇姿はもっと語るべき。夏の陣のダントツの英雄
勝永無双は知識としては知っていたけど、なるほど徳川側の指揮官や兵の経験不足も大きかったのね言われてみたら大きな戦闘はしばらく無いから歴戦の将や兵とまともに経験の無いものでは当然大きな差があるよねだからこそ、戦闘経験豊富で名将として名高い立花宗茂を戦下手の秀忠のお守りにつけて事故が起きない様にしたんでしょうねそれを差し置いてもこの勝永無双はいつ聞いても凄いわ
この感じの古墳も載ってる日本地図ほしい
9:53 本多さん汚名挽回のためだっけかな
毛利はそのまま前に突撃するのではなくて、真田と相対する敵を挟撃して、敵の殲滅と、防御陣形を崩さない利点を両立させれば良かったのに。
補足→【高虎が味方に銃弾をあびせた】といってますが、厳密には鏃のない矢だったり、鉄砲の空撃ちみたいな感じです!動画内で補足し忘れましたm(__)m
今回は細かい動きを表現するためにめいっぱい駒を使ってみました!おかげでエンコードが計21時間かかるっていう、わけわからんぐらい事態になりましたわw
ま、それでも細部は表現しきれない所もありますので、そこはご了承くださいませ。
【追加ネタ】
・立花宗茂が味方のピンチを救うために敵へ側面射撃をしたけど、そこでも「裏切りや!」って大騒ぎになる場面があったw
・あるベテラン武士は思っきし太刀をぶん回して逃げてくる味方を威嚇して追っ払ったりしてました。
・味方崩れには
【友崩】→逃げる兵が味方陣形になだれ込んで、そこもまた崩れるみたいな
【裏崩】→戦ってない後方の部隊がひょんな事で崩れる
みたいな事が多発してしっちゃかめっちゃかだったらしい。
どしどしチャンネル登録、評価、コメよろです~
伊達政宗は鉄砲撃ちかけてますよね…(小説ダケの話しかもしれませんが
良い発言をありがとう
お疲れ様です。友崩は崩れてなくても味方に逃げ込まれて直後に敵に突っ込んでこられたらめっちゃ柔らかそうですね。いつかやる社長さんの過去動画でそんな場面があったようななかったような・・・・・
とても面白かったです。
毛利勝永隊の活躍はもっと語られるべきですね。
戦国時代の陣形は基本的に梯団編成で防御縦深があり、一見すると強固に見えますが先鋒が崩れると
敗走する味方がなだれ込んできて空手の瓦割りみたいに連鎖的に崩れることがよくあったらしいです。
同時代のヨーロッパのテルシオ陣形のように密集隊形で兵を閉じ込めれば
崩れにくかったかもしれませんが、日本の地形には合わないし兵がめっちゃ死ぬので
良し悪しなんですよね。
14:20からのbgmはなんですか出来れば教えて欲しいです🙇♀️
「惜しいかな後世、真田を云いて毛利を云わず」って言葉好きなんだよなぁ
これ正直MVPって勝永なんですよね。悲しいかな後世・・・まさにそうです!
細かいようですけど、「惜しいかな」じゃありませんでしたっけ?
@@user-ti5ds5pj5n ほんとですね!自分が間違えてました。ご指摘感謝いたします
@@非株式会社いつかやる
冬と夏 総合的に
考えたら 真田さんですよ。
ゲームとかだと敵を崩しても戻って陣地で防御嵌め込みするんだろうけど、実戦だとチャンスに飛び込むよね、 信長の長篠って凄い統率で陣地戦だし比較しちゃいけないけど、悪く見れば敵のミスに
釣られて突出して疲弊の限界で
負け確定に見えるから
伝説残せたから結果オーライでしょうか
毛利勝永は戦場で暴れた後大阪城に無事撤退して秀頼の介錯を務めたそうなのでそこまで解説して欲しかったなぁ
子供の頃ドラマで幸村が突撃するとき本気で「頑張れー!!」と応援してたな
そう!草刈正雄の真田幸村!
めちゃめちゃ格好良かった👍
俺も草苅正雄の幸村に一票。
@verdure023
真田丸の時、俺の母ちゃんが「草刈さんは幸村にしか見えない」って言ってたなぁ。ワイも真田太平記リアタイしてない(というか生まれる前w)世代です←by二十歳
@@MarceRonald712
あ!そういうことなんですね!理解しましたわ
配役で言うと、真田丸の茶々が忘れられない。微笑を浮かべながらも内面には悲劇的な愛憎が渦巻いている危うい感じがピッタリだった。今振り返ると、竹内結子さんは奇跡的な適役だったなあと。
ご冥福をお祈りします😢
徳川軍の前衛をボコボコにするにとどまらず、真田隊も含めて豊臣軍が総崩れに崩れ去る中壊滅しないどころか遅滞戦闘を繰り広げて退却を成し遂げる毛利勝永とその隊の精強さたるや
毛利勝永の活躍に焦点を当ててくれたのは嬉しい
ウェキでの毛利勝永の活躍を見た時は驚いたものです
こんなに撃破してるのに…と。
しかも大坂城に退却するとき追いかけられたから振り返って一発ボコしたりしてますからねw
そのときも幕府軍はまさか反撃されるとは思わず、毛利の射撃一発でパニック状態になってわちゃわちゃしましたww
研究が進んで、リアルな戦場が分かるようになり
それを面白く解説してくれる、いつかやるさん大好きです。
毛利隊の奮戦にまじで痺れた。
やっぱ副社長の解説めちゃくちゃ引き込まれる。大好き
真田丸の
家臣「馬印はどういたしますか?」
大野治長「勿論持っていく!」
ナレ「この決断が、歴史を変えた」
〜大阪城到着〜
「味方が混乱しております」「真田隊、毛利隊、壊滅!」
大野治長「何で持ってきたァァ!」
家臣(いやお前がゆうたやん...)
のシーンが好き笑
家康好きだけど、夏の陣はどうしても幸村を応援してしまうw。
サッカーの合宿で上田の菅平高原よく行ってて、行くたびに真田グッズ買ってたから真田も好きなんよなぁ😊
なつかしいwありましたねそんなシーンw
でもやっぱり「だまれこわっぱぁ!」が好きw
@@非株式会社いつかやる 室賀殿www
勝永が作った想定外の好機を逃さない信繁の動きはマールバラとオイゲンを彷彿させるものがありますね。勉強させてもらいました!
確かに家康を追い詰めたのは幸村でも、そのきっかけを作った勝永
だから彼の活躍ももっとみんなに知られたらなぁって思ってます
勝永が釣られたという見方もできる、それを咄嗟に頭切り替えて
真田が特攻かけて、また毛利も呼応するから、実戦経験凄いけど
作戦をきちんと守って固まってた
大野は気の毒な気もする。
そもそも、戦場で大将代行の大野が連絡で戻るとかあり得ない、陣地戦なら、ミスにはならなかったかも。乱戦に対応可と不可が混ざってた。
又兵衛がまだ生きてたらなあとか、秀頼が出てこれたらとかのタラレバを考えるのも夢があっていいな
家康を追い詰めたのが2回とも武田由来の赤い部隊ってのもドラマがあっていい
ありがとうございます!
熟練兵「これが味方崩れやで…」
本陣兵「はえ〜」
可愛すぎる笑
名将は敵の隙を見逃さずにそこに漬け込むことのできる人なんだと感心しました
真田信繁が秘策&鬼気迫る突撃で活躍したというより幕府軍が新兵だらけでグダグダだったんだな
そして逃亡する新兵にブチ切れて先陣に立ち茶臼山を攻め落とし信繁の背後を断つという大活躍したのに、前回に続いてスルーされる水野勝成
何気に豊臣側の浪人衆をことごとく撃退してるんですね・・・
水野さんの活躍はいずれ動画にするので、その時にでも!
茶臼山に乗り込んでいったりしてますもんね~
真田信繁だけじゃなくて毛利勝永の活躍も凄かったというのは知ってましたが
イマイチどういう状況だったのかは知らなかったのでとても分かりやすかったです。
ありがとうございます!
大阪夏の陣と道明寺の戦いを知りたかったので本当に面白かったです ありがとうございます😌
毛利勝永の快進撃が凄い...
今回の解説も面白かった〜
夏の陣において敗北した毛利家が、その後200年以上経って徳川幕府を滅ぼす事になるとは、歴史とはなんたる数奇なめぐり合わせの連続だろうか···。
やっぱり地元が、いつかやる㈱さんのいつもの地形図で描かれるの最高です!!。
ありがとうございます!
その毛利勝永と長州の毛利さんは全く血縁関係無いっす・・・。
夏の陣ってかなり端折られた説明ばかりなので、詳細が知れて「そうだったのか〜」となれました。ありがとうございます😊
ありがとうございます!
サンクスにサンクスです~
貴チャンネルの説明は本当に秀逸です。ワクワクしながら見進めました。また、別な話題もお願いします。歴史の戦物はここが一番だと思っています。
思ったよりも敵が弱くて突っ込んだ勝永、計画と全然違うけど活躍した勝永に合わせて打って出た信繁、圧倒的有利なはずなのに崩れた味方を見て討ち取られるかもと退いた家康
戦場に想定外はつきものでそれを乗りこなしてこそ名将って感じですね
そうですよね~やっぱり計画外、想定外こそ将の腕と才能が問われる気がしますね~
10回位見たら幸村が家康を討ち取ってくれるかもしれないと思って何回も見てる
あ~わかる!僕も関ヶ原の戦い何回見ても「大谷吉継が勝つかも!」って心のどこかで思ったりしますもんw
幸村自身が数回タイムリープすればきっと可能ですよ。
これ勝ってたら、日本史上最大のミラクルやったのに、野球で最終回でエラーで逆転負け食らったみたいな感じの豊臣。
やっぱチャンスに飛び込む勇気ってのが大事なんやなって
その為の準備も
大坂城夏の陣で真田隊が家康本陣に突撃したのは知ってたけどここまでは知りませんでした。
豊臣恩顧の大名初め九度山に幽閉されてた幸村も負け戦と分かっていてもその恩を忘れず義理を果たした。
男の鏡のような人です。
日本で1番大好きな武将です。
将棋も「駒損する攻めでも、マイナー戦法や急線で細い攻めガンガン繋げれれば勝ち切れる」とありますが、「攻めが上手く繋がらず時間が経てば駒得している方がだんだん有利になっていく」というがあるのを思いだしました。
15:18 ここから先の展開がいかにも徳川方の兵、前線指揮官の育成不足かがわかるの面白いな。
味方が裏切ったという流言の流布、混乱による士気の低下もそうだけどそうなった現場をまとめる前線の指揮官がいなかったのも大きい
さらには真田が本陣に突進した際には前線の状況が把握できていないため彼らからしたら真田が松平の軍を蹴散らしてこっちまで走った来たように見える(当の松平は未だ奮戦中)ため必要以上に敵を恐れてパニックになる。
唯一の敗因はあそこで総攻撃か最後の攻めの一手が足りなかったこと。元々豊臣軍は数で劣勢であったため深入りしない防衛戦か一か八かの奇襲戦の二択しかなかったのに本来は防衛戦の状態からなし崩し的に奇襲戦になったの状況に適応できなかったことかな。時代が時代だから仕方のないことだけど
全体を指揮する総大将がいなかったのが完全に裏目に出ましたね...。
秀頼が秀吉から戦の才覚を受け継いでいたら...。まあ官兵衛みたいな天才軍師がいなかったのもあるけど
@@MarceRonald712 秀吉は両兵衛いたのが大きいよなぁ。
おそらくみんな戦国時代が近いので戦の生きた英才教育はされてましたが、いかんせん実戦不足がでかいですね。どれだけ学ぼうと実戦では役に立てるには場数が必要ってかんじですね。
豊臣軍は上記のコメントにある通り、総司令官が戦場にいなかったのが痛かったです。治長も牢人達から信頼が低かったですし・・・
そういうのもあって、やっぱここぞという場面で対応できてない気がします
この勝負追い払えたら、豊臣は生き残ったと思います。秀忠も、家康も死ぬ思いしたから、そこまでして滅ぼそうとは思わないはず。
信之が夏の陣の報告を受けて
「倅では勝永どのに敵う訳があるまい」(苦笑い)
「しかし信繁様が真田の武名を上げてくれましたゆえ┉」
「そのことよ」
という真田太平記の一節が死ぬほど好き。
勝永を持ち上げ、信之の心内も解るような。
やっぱ一番ヤバいの毛利勝永だよなぁ・・・突撃もヤバいけど何であの状況から撤退できるんだよ・・・
まさに四面楚歌って状態から、よく撤退したよね笑。エグすぎるw
死場所求めて突き進んでるんやろなぁ……
見事な撤退までしてるやん
関ヶ原から15年たって新兵ばかりなこと考えると、豊臣家が一か八かで勝負に出るにはベストのタイミングだったのかな
それでも数の差は覆せなかったか
マジ話だったんだなぁ。脚色だと思ってた、この話。
図で見ると、ちょーわかりやすい。マジ感謝
面白かったです!わかりやすいです。ちょうど高野山と九度山、真田坊に宿泊する予定なのでなんてタイムリーな!勉強になりました。真田家に手を合わせてきます🙏ありがとうございます。
強者どもが夢の後って言葉は、戦国最後の戦場たるこの場所にこそ相応しい言葉じゃないかと思いますね。
毛利勝永の父・毛利勝信は豊臣秀吉の古参の臣である。
秀吉から信頼されて九州の玄関口小倉6万石を領したが、
関ヶ原の戦いで西軍についたために改易され、
同輩・山内一豊が治める土佐の預かりとなった。
毛利父子と親交が深かった一豊は、土佐に領地を与えて厚遇したが、
父・勝信は1611年に死去。
父の死後、勝永は恩義のある豊臣家が窮地に陥ると、山内家の反対を押し切って土佐を脱出。
豊臣方に加わり勇戦し、天王寺の戦いで天下に武名を轟かせた。
大坂の陣の敗戦後、毛利勝永は徳川軍の包囲網を突破して大坂城に帰還し、
秀頼の介錯を行った後、息子とともに自害して果てた。享年37歳。
「惜しいかな後世、真田を云いて、毛利を云わず」
彼こそは豊臣家、誠の忠臣である。
19:55 信繁が突撃中の茶臼山の様子を見ると、明らかに陥落は時間の問題。だからこそ真田の突撃は単にどでかい間隙ができて千載一遇のチャンスが訪れたというだけではなく、ここ(茶臼山)を落とされようが刺し違えてでも家康は必ず討ち取る、という壮絶な覚悟があったんだろうなと思いました。
つくづく思います。
人間の戦いだから、いろんな事が起こるんだなあ、、、って、今回も分かりやすく学べました。ありがとうございます。
お手本のような量より質vs質より量の大決戦
ここまでグダグダになると指揮官も頭痛かっただろうな
Thanks!
副社長とピロ助のコンビ解説!
面白くて!たまらない!
忠直は色々しくじって家康に叱られてたがゆえの焦りの突撃だったんだよなぁ。一時は崩壊危機だったけど踏ん張って武功を挙げたは良いけど
加増が少なかったのが彼の運命を狂わせた。
戦後の転落ぶりが酷い人物の1人。
3:19~ 茶臼山って確か古墳だったはず
いつも楽しく拝聴しています。出来たら八尾・若江の戦いも取り上げてください!
長曾我部盛親や木村重成の活躍をもっとみんな知ってほしい
木村は討死したし長宗我部は次の日戦えないほど損害喰らったけど逆に次の日井伊と藤堂が殆ど戦えない程損害与えてるんだよな
大坂城陥落後もすんごいねちっこい残党狩りが行われた辺り、徳川軍も相当トラウマなってたんちゃうかなって思った
関ヶ原の時と言い、歴史上目立たないながらもいぶし銀の働きを見せ続けた藤堂高虎とその部隊
個人的にはいつか大河の主役にして欲しい程の名将だと思っている
主要銭湯にも参加しているので、大河でしてほしいですよね。そして、「忠義者」という印象を植え付けてほしいと思っています。(秀長と家康には忠義を尽くしたんだよなあ)ネックは、在日まみれのHNKが朝鮮出兵でも活躍している高虎をやりたがらないことだろうなあ。大河で島津家、立花家をしない理由もそれだろうし。
このタイミングでの更新はホントにクリスマスプレゼント!待ってました😊
昔ブラタモリでもやってましたけど、現地行くと意外と高低差があるんですよね。
待ってましたー❤
大坂、夏の陣お疲れ様です。
次回も楽しい動画を無理の無い範囲で宜しくお願いします🙇
このチャンネルはまじで良良
戦国だと、この辺りからお互いの正義で殴り合いしてるから面白い
どの年代の戦争もお互いの正義で殴り殴り合いをしてるから面白い
有難う!副社長!
関ヶ原、夏の陣、冬の陣、この辺から戦のグダグダ感が途方もなく広がった感じだったんですね😂(笑)🎉
オモロイです。🙇♂️
毛利勝永はあれだけ進撃をしたのにも関わらず、劣勢になった後もそのまま野戦で討ち取られることはなく大阪城に戻った、と思ってました。
それで合ってるよ
しかも敗残兵をまとめながら
某大河ドラマと解釈一致の展開ですね
三方ヶ原で追い詰められた時も赤備えの猛将、山縣昌景に浜松まで追撃され追い回されたされたそうですからねぇ
家康さんはきっと赤色が嫌いだったに違いないです笑
本多忠勝の次男、忠朝は冬の陣で酒に酔って敵の猛攻により敗走…その事を家康から「親の平八郎に似ず役に立たぬやつめ」と罵倒されたとされています。そう言った経緯もあり夏の陣では焦っていたのかも知れませんね。
忠朝の死を知らされた家康は「惜しい男を死なせてしまった」と伝わっています。
やっぱり真田幸村の徳川本陣に突撃😍👍堺雅人真田幸村👍😍
防御に徹していれば上手く連携できていたかもな。活躍したのも勝永だけどやらかしたのも勝永という感じ
どうでしょうか?
大軍である以上は、時間をかければ幕府軍が有利になってきますからね。
又兵衛達死んじゃったし真田隊は伊達隊止めたけどそれで隊が傷んでたし、俺がやらんとってのがあったんだろうか
まあ勝った徳川方の軍規違反抜け駆けするぞ勢の扱い見ると勝永が当時称えられなかったのは分かる気がする
こう見ると割と秀頼出て士気高揚させて補強してたらワンチャンあったかもな
開戦前から意見が真っ二つだったから意思統一できてませんでしたからね…(茶々はイメージに反してハト派で片桐いなくなってから大野治長もハト派に転向、秀頼はタカ派で大野治房もタカ派) この期に及んで大野を呼んで聞く辺りまだどこかで「自分が安全な場面で出たい」みたいな保身的なところはあったんかなぁとは思ったり
秀忠でさえ傷まみれ(後に発掘された遺体)だったりするくらい覚悟決まってたけど秀頼にはその覚悟が足りてなかった
勝つのは無理だったかもしれませんが、一回は幕府軍を後退させる事ができたかもしれません。まぁ秀頼が参戦できなかったのもあまりにも早く戦が終わってしまったって事もありますが・・・
最終盤は色んな話がありますよね。追い詰められた家康が使者を出して緊急和議(しかもこれが謀略)を提案してその為に秀頼は治長を召したとか、秀忠本陣に素肌武者が雪崩れ込んで柳生宗矩が凄まじい勢いで切りまくり壊滅させたとかね。七手組がヤケ起こして突貫するか秀頼自ら出陣すれば最初からかなり押し込んだ状態には行けたかもですよね。
悲しいかな後世、真田を云いて毛利を云わず。やはり評価されるべき!
それと忠朝の兄の忠政は?
勝手な妄想なんだけど、家康は、かつて歴戦の三河武士を率いていた頃と違って、思うように動かない経験不足の軍と自身の老いた体に、歯がゆい思いをしたんじゃないかな。さらには果敢に戦う敵方武将たちを見れば、その思いはひとしおだったと思う。
陣前がかって開いた時は「え?何勝手に空城計やってんの?」と思ったでしょうね。まさに三方ヶ原の再来。豊臣もただでは滅びなかったんですね。
戦国の大きな最後を飾る戦がグダグダに終わるのは何とも皮肉ですが、そこも家康はいろいろ感じたところがあるでしょう。
ここまでいろんな妄想ができるのもこの動画のおかげです!
いつ聴いても分かり易いし、歴史好きとしては何よりもとにかく聴いてて「楽しい」です😀
先日の大河ドラマでは信繁が家康の眼前まで迫る描写がされていましたが、その裏でこんなグダグダ劇があったんですね
今回も面白かったです
解説前のぴろすけさんの発言「最高やん」が見てる側の気持ちを代弁してくれてました
いつも勉強になる動画をありがとうございます。いつも楽しみに見てます。次は応仁の乱をお願いします。
越前松平隊を誘って茶臼山を陥落させ、後方から真田隊に突撃して真田隊の戦線崩壊させた水野勝成さん無事忘れられる。
真田信繁の首を取ったのはこの突撃についてきた越前松平の兵でした。
真田幸村の息の根を止めたのはまじで半端ねぇ!
鬼日向さんはあちらこちらでナイスアシストしてるのですが、何故か注目されない。
結果的に敗れたけど、真田隊や特に毛利隊が凄まじい活躍しましたね
しかも毛利隊は15万のうち約6万の徳川軍と交戦したというから驚きです…
ちなみに真田の大坂城入城の報を聞いたときに家康は「入城したのは親(昌幸)か子(信繁)か?」と聞いて「子の方らしい」と返答があって胸を撫で下ろしたというエピソードがあったみたいですが、まさか子の方にも恐ろしい目に遭わされるとはね…
どうする家康の松潤家康が前に出て真田幸村を呼んで一対一になるところが👍
幸村が家康を追い詰めた話しは知っていたけど、ここまで惜しい戦いになっているとは知らなかったです。
大阪府堺市の南宗寺に徳川家康の墓があります。大阪夏の陣で敗走した家康は、目の前を通り過ぎる葬式の行列に頼み込んで棺桶の中に入って逃げようとしましたが、後藤又兵衛隊に追いつかれ、後藤又兵衛に槍でひと突きされましたが、槍には血は付いておらず通り過ぎていきました。徳川家康の家臣達は慌てて近くの南宗寺に走り込み棺桶を開けたところ、家康の息は事切れていた。
阪堺電気軌道阪堺線御陵前駅から徒歩2分の所に南宗寺があります。
見応えありました
完璧です
左近将監が総指揮を執っていたらどうだったでしょうね?私はもしかしたら勝っていたかと思っていたりします。この時の豊臣軍は総指揮官不在っぽいですし。
楽しい動画ありがとうございます😊
今も昔も大野治長ってロクデナシの評価なんだな。
後藤の陣地建築用の資材を無断で使って真田丸作ろうとして大喧嘩になった真田と後藤の諍いを止めたのも治長(真田丸の建築許可を出す代わりに二人を仲裁しようとした明石と後藤を盛親と扱い同格にする)で、戦時中中枢から大きな裏切りなく軍をまとめあげたのも大野治長のお陰でもあるからなぁ(夏の陣には既に反戦派にも関わらず)
大阪方の浪人たちはもう行き場のない、食い詰め者の成れの果て、ここが死に場所で必死に戦ったり
金持って逃げようとしてる者もいたりしたんだろうな・・・・・・
にげる人も多かったのですが、すさまじい落ち武者狩りに遭いました。
『家康はここじゃあー』を思い出す👍
動画取り纏めご苦労様です。
順序が逆になりますが楽しみにします。
真田丸有名だけど着目点は何かな?
どんな形だったか?なんで南方の東よりにあったのか?邪魔なのはわかるけど、じゃあ具体的にどんだけ邪魔だったのか?・・・ここらへんですかね。
大阪冬の陣を是非出してください🙇
今まで読んできた歴史小説での各部隊の動きが初めてしっくりきました。
おもしろかった~
「冬の陣」楽しみ!!
豊臣軍は歴戦の猛将揃ってるんだけど、“軍の中間を指揮する将”も不足してるからなんせ連携が上手くいかない!
もっと真田信繁と毛利勝永が連携出来てればワンチャン勝てたかもしれない!
捨て鉢にならず、最後まで望みを捨てない者にのみ、道は開けるのです。by真田親子
すごい細い分かれ道を通り抜けましたね
ずっと長い事、治長が豊臣の馬印を城に普通に持って行ったのが、最後のトドメであり、混乱の原因かなと思っていたんですけど、元々の豊臣方と徳川の兵力差、このチャンネルをいつも見ていて分かるんですけど、予備戦力って本当に重要過ぎますね。あとはそれぞれ付いている武将とその数の差も結局原因なんだろうなと(指揮官が足りなすぎるんですかね?)もしかしたら大阪での戦い以前に関ヶ原の時に大阪にいた秀頼とか輝元が別の決断していたらかなり豊臣の運命も少しぐらいは違ったのだろうかと想像しちゃいますね。でもそれだと淀殿が過保護モードで出てくる予感しかしないので笑
冬の陣、期待してます。
凄く生々しい雰囲気が伝わってくる解説。
たかが数千でなぜ大軍を要する家康を信繁が追い込んだのか?
が良く分かる動画ですね。
そろそろ家康の従兄にして戦国1の歌舞伎
水野勝成をオナシャス🙇🙇🙇
真田丸で毛利勝永の方がやばくない?って思ったけどやっぱりやばかったんやな
毛利勝永めっちゃカッコよかったよな。冬の陣で、石落としの扉の鍵が開かなかった時火縄銃で撃ち抜いて開けるシーンが特に。
あと、又兵衛と信繁が徳川から誘われたって話聞いて「何で俺には来ないんだ?」って嫉妬してたシーンもおもろかったw
元々真田って武田の武将だったから(祖父の代かな?)、三方ヶ原の戦いの再現になって胸が熱くなるな
相変わらず、面白い
東軍好きとしては忠朝の討死が痛い
すごい!小説とかと違って、手にとるように分かる!
絶望的な中、具体的な勝策を立案。ハプニングをついて、大善戦した大坂方には泣けてくる……。
大野治長は、秀頼の父。本当に秀頼が秀吉の血を受け継いでいたら、豊臣政権はもっと続いてたはず。家康やその他の武将、豊臣家に従った武将らも、当時うすうす勘付いてたはず。猿と云われた小柄(152センチ)の秀吉の子が身長197センチ体重161キロの現代のプロレスラーでも大柄な部類の体躯のはずがない。
治長が父かどうかは置いといて、体格含めめ諸々と秀吉の子っていうのはやっぱり怪しいですよね。
完全に怪しいですよねぇ〜 秀吉の遺伝子継いでたら引きこもりでもない気がするし。この時も出張ったんじゃないかなぁとかとか…
大阪夏の陣の戦犯は秀頼を止めた淀殿
家康が死んだのはこの1年後だから、話がうますぎる。
じつはこの戦場で討ち取られていて、1年は影武者で押し通した説ある。
それにしても幸村と勝永が、戦場で独立して戦ってるにも関わらず、お互いの動きに呼応して動き方を変えて家康を追い込んでいく連携プレーすごいなと。
伊達の味方撃ちってパニックを防ぐ理由もあったんだね
毛利勝永の勇姿はもっと語るべき。夏の陣のダントツの英雄
勝永無双は知識としては知っていたけど、なるほど徳川側の指揮官や兵の経験不足も大きかったのね
言われてみたら大きな戦闘はしばらく無いから歴戦の将や兵とまともに経験の無いものでは当然大きな差があるよね
だからこそ、戦闘経験豊富で名将として名高い立花宗茂を戦下手の秀忠のお守りにつけて事故が起きない様にしたんでしょうね
それを差し置いてもこの勝永無双はいつ聞いても凄いわ
この感じの古墳も載ってる日本地図ほしい
9:53 本多さん汚名挽回のためだっけかな
毛利はそのまま前に突撃するのではなくて、真田と相対する敵を挟撃して、敵の殲滅と、防御陣形を崩さない利点を両立させれば良かったのに。