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大河ドラマでは 新発田重家に関することは一切 放送されてませんでしたね まあ 景勝 兼続主従 からすれば 明らかな 大失態でしたからね重家の最期は凄まじかったんですよね色部勢に突入して「親戚のよしみをもって、我が首を与えるぞ。誰かある。首をとれ」と自刃 したんですよね
コメントありがとうなのだ!
景勝の肖像画見た記憶ないからわからんけど…徳川吉宗の肖像画みたいに見えるのは気のせい?w
ひぃ〜!すぐなおすのだ!
そこに気付くとは(ry
日本史なのか毛沢東の理論話なのか。
ご視聴ありがとうなのだ!
岩殿城に行ってみたら、こんなことが解説されていた。武田勝頼を岩殿城に入れると(岩殿城のある)郡内の民を戦に巻き込んでしまうことになる。小山田信茂は家臣に説得され、郡内領とその民が戦に巻き込まれてしまうことを防ぐため、勝頼を城に入れないことを決めた。そして「郡内領不犯」を条件に織田に寝返った。小山田信茂は織田信忠に処刑されたが、「郡内不犯」は守られ、郡内領と領民は戦禍に巻き込まれることはなかった。信茂は郡内の民を救ったのだ、と。
またひとつの歴史の真実なのだ…
小山田信茂の岩殿城は写真でも見れば分かりますが要害堅固な山城でしたので、籠もればそれなりに長期戦は戦えたでしょう。ただ北条から嫁いだ姫がいるとはいえ、北条が援軍を出す可能性は低かったですからやはり上杉の支援が見込める真田領への逃亡を諦めた時点で運命は決まっていたのかもしれません。後信忠が激怒していたのは、もしかしたら仁科信盛が激戦の末全滅しながらも忠義を貫いたのを見た後で勝頼を追い詰めてからのこのこやってきた信茂に対して、普段以上に怒りが湧いたのかもしれませんね。ただ武田の親族や残党狩りの苛烈さを考えると、信茂があの場で処刑されなくてもあまり良い未来はなかったかもしれませんね。
大軍で攻め込む事のできない岩殿城やったら3ヶ月ぐらいは楽勝で耐えれるのでは……3ヶ月後は本能じゃ🔥
あと3ヶ月ってわかっていたら・・・歴史のIFも面白いのだ
いつもコメントありがとうなのだ!これからもよろしくお願いします!なのだ
松永久秀を主人公にした小説の「じんかん」も三好家に忠実に仕えたという視点で描かれていて面白かったですね。
おもしろかったのだ!
松永久秀は三好長慶には絶対の忠誠を尽くしているし、信長の危機も救っているなど、相応の義理は果たしているから、単純に「裏切者」ではない。新発田重家の場合は、完全に景勝と兼続が悪い。手に入れた土地などを自分たち(景勝と兼続の派閥だけ)だけで全てを独占したのだから。まあ、これが原因で上杉家は弱体化して天下を望めなくなったので、因果応報とも言える。小山田信成は・・・まあ、当然の結果としか・・・。侵攻前に降伏すれば信長は許したかも、ですが侵攻した後に「主君や同僚を見捨てて自分だけは助かる」のは、戦国時代でもタブーの一つだからね・・・なお、真田家は生き残りましたw
すばらしい補足コメントありがとうなのだ!
一応景勝の立場から言えば謙信ほどの名声がない時点で直臣に近い上田衆を優先して中央集権化するしかないという事情もあったなお小山田信茂はあまり弁護しようがない模様
後で光秀が謀反を起こすって解ってたら久秀さんは謀反を起こさないかな?
それは本人のみぞ知る話なのだ!
御恩と奉公は幕府と守護の関係であって守護と在地領主との関係まで含めるのは流石に暴論でしょあと新発田の乱が鎮圧できなかったのは新発田側が頑張ったからじゃなくて、秀吉が皇族出身の坊さんまで引っ張り出して和睦に動いていたから新発田側は初戦には勝利したけど、暫くして城の近くに砦を築かれまともな軍事行動ができていない
コメントうありがとうなのだ!
御恩と奉公は幕府と御家人の間の関係が基ですから、武士の主従関係の原型とも言えますそして揚北衆は元々は鎌倉御家人由来の武士たちだから、別に不自然ではないよ
新発田重家も白山城まで取って、景勝も木場城を抑えて睨み合いと小競り合いが続いていたから長引いたわけですね。攻め手を欠いたけど、秀吉の和睦斡旋をはねのけた後の鎮圧では景勝もだいぶ被害を受けてる
小山田信茂は土豪というほど身分低くないですね(父親が武田信虎と相婿説あり)
前置きが長過ぎる
ご指摘ありがとうなのだ!改善するのだ
筒井順慶
松永久秀は三好 義継までは忠誠を誓っていたし、どうにしても詰んでいる状態だったんだよな・・・
コメント嬉しいのだ!
大河ドラマでは 新発田重家に関することは一切 放送されてませんでしたね まあ 景勝 兼続主従 からすれば 明らかな 大失態でしたからね重家の最期は凄まじかったんですよね色部勢に突入して「親戚のよしみをもって、我が首を与えるぞ。誰かある。首をとれ」と自刃 したんですよね
コメントありがとうなのだ!
景勝の肖像画見た記憶ないからわからんけど…徳川吉宗の肖像画みたいに見えるのは気のせい?w
ひぃ〜!すぐなおすのだ!
そこに気付くとは(ry
日本史なのか毛沢東の理論話なのか。
ご視聴ありがとうなのだ!
岩殿城に行ってみたら、こんなことが解説されていた。
武田勝頼を岩殿城に入れると(岩殿城のある)郡内の民を戦に巻き込んでしまうことになる。小山田信茂は家臣に説得され、郡内領とその民が戦に巻き込まれてしまうことを防ぐため、勝頼を城に入れないことを決めた。そして「郡内領不犯」を条件に織田に寝返った。
小山田信茂は織田信忠に処刑されたが、「郡内不犯」は守られ、郡内領と領民は戦禍に巻き込まれることはなかった。信茂は郡内の民を救ったのだ、と。
またひとつの歴史の真実なのだ…
小山田信茂の岩殿城は写真でも見れば分かりますが要害堅固な山城でしたので、籠もればそれなりに長期戦は戦えたでしょう。
ただ北条から嫁いだ姫がいるとはいえ、北条が援軍を出す可能性は低かったですからやはり上杉の支援が見込める真田領への逃亡を諦めた時点で運命は決まっていたのかもしれません。
後信忠が激怒していたのは、もしかしたら仁科信盛が激戦の末全滅しながらも忠義を貫いたのを見た後で勝頼を追い詰めてからのこのこやってきた信茂に対して、普段以上に怒りが湧いたのかもしれませんね。
ただ武田の親族や残党狩りの苛烈さを考えると、信茂があの場で処刑されなくてもあまり良い未来はなかったかもしれませんね。
大軍で攻め込む事のできない岩殿城やったら3ヶ月ぐらいは楽勝で耐えれるのでは……3ヶ月後は本能じゃ🔥
あと3ヶ月ってわかっていたら・・・歴史のIFも面白いのだ
いつもコメントありがとうなのだ!これからもよろしくお願いします!なのだ
松永久秀を主人公にした小説の「じんかん」も三好家に忠実に仕えたという視点で描かれていて面白かったですね。
おもしろかったのだ!
松永久秀は三好長慶には絶対の忠誠を尽くしているし、信長の危機も救っているなど、相応の義理は果たしているから、単純に「裏切者」ではない。
新発田重家の場合は、完全に景勝と兼続が悪い。手に入れた土地などを自分たち(景勝と兼続の派閥だけ)だけで全てを独占したのだから。
まあ、これが原因で上杉家は弱体化して天下を望めなくなったので、因果応報とも言える。
小山田信成は・・・まあ、当然の結果としか・・・。侵攻前に降伏すれば信長は許したかも、ですが侵攻した後に「主君や同僚を見捨てて自分だけは助かる」のは、戦国時代でもタブーの一つだからね・・・
なお、真田家は生き残りましたw
すばらしい補足コメントありがとうなのだ!
一応景勝の立場から言えば
謙信ほどの名声がない時点で直臣に近い上田衆を優先して中央集権化するしかないという事情もあった
なお小山田信茂はあまり弁護しようがない模様
後で光秀が謀反を起こすって解ってたら久秀さんは謀反を起こさないかな?
それは本人のみぞ知る話なのだ!
御恩と奉公は幕府と守護の関係であって守護と在地領主との関係まで含めるのは流石に暴論でしょ
あと新発田の乱が鎮圧できなかったのは新発田側が頑張ったからじゃなくて、秀吉が皇族出身の坊さんまで引っ張り出して和睦に動いていたから
新発田側は初戦には勝利したけど、暫くして城の近くに砦を築かれまともな軍事行動ができていない
コメントうありがとうなのだ!
御恩と奉公は幕府と御家人の間の関係が基ですから、武士の主従関係の原型とも言えます
そして揚北衆は元々は鎌倉御家人由来の武士たちだから、別に不自然ではないよ
新発田重家も白山城まで取って、景勝も木場城を抑えて睨み合いと小競り合いが続いていたから長引いたわけですね。攻め手を欠いたけど、秀吉の和睦斡旋をはねのけた後の鎮圧では景勝もだいぶ被害を受けてる
小山田信茂は土豪というほど身分低くないですね(父親が武田信虎と相婿説あり)
コメントありがとうなのだ!
前置きが長過ぎる
ご指摘ありがとうなのだ!改善するのだ
筒井順慶
松永久秀は三好 義継までは忠誠を誓っていたし、どうにしても詰んでいる状態だったんだよな・・・
コメント嬉しいのだ!