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本当に貴重な映像だと思います。現在の日本の野球の基礎を築き、後の名監督となった選手がオールスター状態で、他では見られないと思います。
仰る通り、まさにオールスター状態で、見てるだけでワクワクしますよね(・∀・)これと似た人的状況は… あえていうなら昭和55年の巨人でしょうか。王、張本がいて、堀内、柴田、高田のV9時代のスターもいて、他球団ですが同時期の浅野啓司もいる。平成になっても現役の鹿取、篠塚、岡崎もいる…みたいな。
@@tsubo-yaroga-channel張本はS55年はもうロッテに移籍してたでしょう!?
@@lennon19401980z そうですね、ロッテ張本はS56の1年のみと勘違いしてましたm(_ _)m
投手に馬場正平さん、プロレスラーのジャイアント馬場さんの名前が載っていて懐かしい。長嶋茂雄さんが最初にキャッチボールしたのが馬場さんだったのは本当に懐かしい。
馬場さんが巨人にいた証しみたいなエピソードですよね!そのキャッチボールが明石キャンプ。そこで知り合ったのが、明石出身の奥様の元子さん。今は明石球場から近い場所に安らかに眠られてます。(私の家から歩いて5分ですw)
@@tsubo-yaroga-channel奥さんも亡くなられたのですか。大変なご苦労をされましたね。
貴重な映像ありがとございます。
著作権問題とかありますが、素晴らしい資料なので多くの方に見ていただきたい一心です。ここまで古いのはあんまり持ってないんですが、昔のプロ野球の映像はたくさん保有してますので、晩年の堀内くらいの登板間隔(使うのは2度目w)になるかもしれませんが、ぼちぼちアップしたいと思ってます。ちょっとだけご期待ください!(・∀・)
凄い映像です。断片的には見た事があるものが沢山ありますが、その前後にある映像はびっくりです。お宝です。王さん昭和34年の春季キャンプからではなく入団、契約直後の昭和33年の秋季練習に出ていたとか今だったらあり得ないことですよね。。それもブルペンでないにせよ投手としての映像は初めて見ました。。その他永久保存ですね。
動く、ベーブ・ルース、、、 貴重な映像です!!
これはすごい断片的には見たことあるがなんたる貴重映像ありがとうございます
そうなんですよ。断片的には出回ってるんですが、出処はこれなんですよね。映画だから使われなかったシーンのフィルムは大量にあるはず。でも当時はアーカイブ意識とか希薄でしょうから廃棄してしまってるんだろうなぁと思います。日映映画ってまだ現存してるのでフィルムは残ってるかもですが。フィルムや後のビデオテープのアーカイブって、維持費が馬鹿にならんですからね(´・ω・`)
33:25 川上さんの引退直後の話しぶりが印象と違いとても若々しくて爽やかで意外でした。 これが素の川上さんなんかも知れないですね。
1を10にするより0を1にするのが凄い 先人達の熱い思いや力は尊いです
名言ですわそれ(どっかで使おっと)『無から有を生み出す』のと『有を複有にする』のはまったく別ですもんね。
馬場正平。後年のジャイアント馬場の名前もあるね
この昭和33年の春季キャンプは明石。ルーキー長嶋と初めてキャッチボールをしたのが馬場さん…というエピソードは有名ですね(・∀・)ただのプロ野球歴史好き(プロレス知らない)の私にすれば、馬場さんは『元巨人の馬場正平』ですわ(笑)
昭和38年制定の現行球団歌『闘魂こめて』がまったく流れてこない異次元の歴史的フィルム
闘魂こめては五年後。
大正力 カミソリ龍二 市岡忠雄の肉声が聞ける大変貴重な映像ですね。
動いてる正力松太郎氏を初めて見た
ありそうで意外と無い『動く松太郎』ですわ。原発、警察、政治関連とか山ほど映像はあるんでしょうけど。
プロ野球を作られた父。正力松太郎さんがコメントされている貴重な映像ですね。長嶋茂雄選手、藤田元司投手とか本当にかっこいいです。偉大な先人が頑張ってきたおかげで、今のプロ野球が楽しめます。いい記録映像です。
野球の歴史好きな私個人からしたら神様ばかりです。
私もそういう想いでこの映画を見ました(・∀・)動く千葉茂二軍監督のグラウンド上での映像なんか、これしか無いんじゃないでしょうか?
序盤の正力松太郎だけでなく、35:37で岸信介も抜かれてる。巨人の選手だけでなく、登場人物が凄すぎる。
これマジでヘヴィーですよね。仮に現在、岸田と山口寿一が東京ドームで観戦して、その映像を65年後の人が見ても「誰、このメガネ?」程度かもしれません。
大隈重信も出てるよ。
初めて見ます!西沢有難うございます!
ここまで古い映像はあんまり持ってないんですが、昔のプロ野球映像は多数保有していますので、今後ぼちぼちアップしたいと思ってます。晩年の堀内くらいの登板間隔くらいになるかもですが、ご期待ください!
女子野球チーム結成もなかなか手こずる但し男子と違ってソフトボールからの獲得で目鼻が立つ欠点はジュニアの場合は互いに少女の取り合いだから難敵ソフトボールと言っても過言ではないやはりプロ化必要性を今後押し進め野球タウン活性化を図れる未来作りが何より
よくこんな映像残っていましたね!黒鷲の中河選手は私でも知っています。戦争が無ければという選手だったとか…
16:02ホームイン→生還これは今でも使われてる表現ですね。
この生還の他に...てか、この時に生まれて現在に至る言葉もあります。フォース・アウト=封殺、earned run=アーンドラン=自責点とか。防御率もそうだったかも?野球は元々軍事用語や戦争を思い起こさせる言葉がかなり多いですよ。『遊撃手』なんか正にそう。
巨人だけがチーム名に軍を付けるのを許されたのは正力松太郎とGHQの関係によるもの。
広岡さん、藤田さんのイケメンぶりが半端ない!
藤田さんはこの顔で「瞬間湯沸かし器」と呼ばれるキレやすい人だったんですねえ
「神様、仏様、稲尾様❗」この名言は子どものころから漫画などで知っていましたが、その超人的な活躍ぶりのフィルムを見たのは初めてです。貴重な映画のアップありがとうございます。
『神様、仏様、稲尾様』とか、昔はそういうコピー(ほとんど新聞の見出し発祥)がホント秀逸ですよねぇ(´~`)戦前の記者「タコ足、猛牛、人間機関車、泣くな別所選抜の華!」その数十年後の記者「番長、クセモノ、あつお、村神様...ラミちゃんペ!!!」
稲尾和久って長嶋茂雄よりプロ入り早かったんだ
1958年当時の巨人軍はまさに新旧交代の過渡期にあったと思います。長嶋さんが鳴り物入りでデビューし、王さんが甲子園優勝投手の肩書きを引っ提げて入団、その長嶋さんや王さんとともにV9を支えてきた森さんも在籍、廣岡さんや藤田さん、藤尾さん、与那嶺さん達が主力として支え、戦前派の川上さんや別所さんも健在でした。またジャイアント馬場さんも当時は巨人に在籍していましたね。1958年の巨人軍は7年後から始まるV9の基礎を作った時代だったと思います。
この『そうそうたるメンバーが並ぶ過渡期感』が良いですよね(・∀・) しかも千葉茂二軍監督までいるという…歴史上、こんなのはこの年の巨人だけかもしれませんね?川上(S13年入団)~王(S55年引退)=42年2人で一塁手カバー。これだけでも単純に凄いことなのに…妄想の類ですが…個人的にはエンディ宮本と藤尾、藤田、堀内庄がV9に被ってた世界が見たかったです。
みんなタバコ吸うてる😮
バッター、ふてぶてしいな〜(30:31)
巨人、西鉄、南海の黄金時代だなぁ。
凄い映像てすね。初めてみました。中堅、遊撃手、右翼など元々軍事用語ですからね。しかし、阪神ファンの自分にとっても興味深い内容で楽しめました!
知ってる方が珍しい軍事用語由来の野球用語雑学を(´ー`)つ『(投手捕手ペアの)バッテリー』…これは砲兵隊が由来。火薬・弾詰めと砲撃する兵のペアですね。最近だと『マシンガン打線』『甲斐キャノン』なんかもその部類かもですね(笑) 甲斐はアニメ由来かもですが、それ自体がカノン(キャノン)砲が元ですし。
凄いお宝動画ですね 後に監督になる藤田さんとミスターがまだ若手の選手時代で一緒の画面に映ってるなんて 笑後正力さんの肉声も凄く貴重ですね笑
藤田さんとミスターは現役時代は仲良しだったらしいですね。当時の雑誌に、ボクシングを一緒に観戦しに行ったとか、そういう記事がちょくちょくあります。第一次長嶋政権で、(牧野はさておき)藤田投手コーチで残さなかったのは最大の謎…と勝手に思ってます。
ジャイアント馬場がジャイアンツの投手だった頃。
国宝動画です😊
プロ野球の歴史を語る上では、まさに国宝級ですよね(・∀・)この時代の試合、まるごと1試合の映像は残ってないのかなぁ。
広岡達朗さんは、この当時からポーカーフェイスですね。
千葉茂さんの著書や、その他同僚の証言ですと、実際の広岡さんって物凄くひょうきんな方らしいです。形態模写が...ま、モノマネですが、凄く上手かったらしい。川上さんとか一流打者のマネはそっくりで、「なんでそんな似てるのに、オマエは打率2割やねん?」ってツッコんでる証言もあります(笑)
懐かしいですねメンバーさん馬場さんは投手
やっぱ馬場さんは人気ありますね(・∀・) もしプロレスの実績が無かったら、とっくの昔に忘れ去られていた、現代では誰も知らんマニアックな存在になってたと思います。ご存命の時に参加されたOB戦での嬉しそうな笑顔が忘れられません。
まだ新幹線が開通していない時代在来線の夜行列車や特急、急行列車で、移動していた。
市岡さんが早稲田の三原を職業野球第1号に契約したエピソードは有名。正力松太郎氏が広岡、長嶋の若手を前に孫が近くにいて自然体で話す様子は本当に野球に対する愛情を感じる。
市岡さんが話してる映像自体が貴重ですよね。余談ですがこの映画の市岡さんは、競輪養成所所長を退任された直後です。長嶋、藤田、広岡に並び藤尾がいるのは、やっぱ当時はスター級だったんだなぁと思わせます。関係ないけど、晩年に阪神移籍が実現しておけば…(´・ω・)
市岡は敵が多かったけどな田部武雄をクビにしたのはもったいなかった。職業野球の田部の成績を見てみたかったな また功労者の沢村栄治をクビにした時も冷たく言い放すようにクビにしたし
ヤクルト・西武・ホークス・中日そして、巨人で一時代を築いた指揮官の名が出てきて感動
投手で小松俊弘がn入っている。春の選抜決勝戦、高知商業のエースで早稲田実業の王投手と投げ合い負けた。同じ巨人に入団したが投手として活躍出来なかったが、スコアラーの先駆けに成って活躍したんだ。
長嶋のランニングホーマー。足の速さに驚き!
ミスターって俊足とか強肩とかいうイメージって(私見ですが)まったく無いんですが、めっちゃ速いですよね(笑)昭和33年の巨人スタメンの1番や俊足っぽい打者は、与那嶺、広岡、岩本、藤尾… 与那嶺は晩年だし意外とスタメンの中では最速だったかも?
川上監督は勇退後のインタビューで、ONの貢献度について答えています。本塁打など長打力では王が上回っているが、長嶋は足が速く、走塁の貢献度が高い。したがってどちらが上ということはなく、五分五分だった。とのこと。確かに、長嶋は入団後の数年は走りまくっていますね。この時期は松井とイチローを足したような走攻守揃った名プレイヤーだといえるでしょうね。
@@mash6684 新人年にトリプルスリー達成したんですよ
@@ゆういち-y7s 幻のホームランを足したらねw
川上哲治と写っている写真があるけど、凄い人と知らずに、サインを貰わなかったのが心残り
川上さんと一緒の写真があるだけで羨ましいです…私、25年くらい前に新幹線で川上さんとバッタリ会って、思わずのけぞりながらも「こんにちは!」と挨拶したら、プイッとそっぽ向かれましたよ…ちょっと広岡さんや藤田元司コーチの気持ちが解りました(´・ω・`)
昭和34年デビューの王選手が、昭和33年に巨人のユニフォームを着て練習しているんですね。
今の感覚からしたら「!?」ですよね(笑)当時はプロ・アマ規定が無いに等しい時代ですし、中卒で働いてる人もたくさんいたので、高校生が大人に混じってても誰も変だとは思わなかったのかも?プロ・アマ間の厳格化(てか決裂)したのはこの3年後の中日による『柳川事件』がキッカケです。ご興味がございましたらググってみてください(・∀・)
長嶋さんて南海ホークスに行きたかったのだよね。病弱の母親の傍にいるために在京球団ジャイアンツを選んだのだそう。。
立大先輩の大沢親分からも誘われていて(半ば南海内定)、親分から「栄養手当」名目で現金を貰ってたとか(当時は合法)
富山の偉人!正力松太郎!
解説(アナウンサー)陣が伝説級
このころは「土俵の鬼 若ノ花物語」とか「名寄岩物語」とか「鉄腕稲尾物語」とか「吉葉山物語」等の映画が作られていた。
巨人が地方巡業してるボックス席、これでもグリーンなんだよなあ。貧乏チームだとあのこげ茶色の客車で移動してたとか。しっかし日本シリーズ長嶋の足速えぇー!
30:38 すごいイケメン!
…観客で草wこの時代の巨人はイケメン多いですよ。本動画には残念ながら登場しないですけど、堀内庄、手塚明治、塩原明(は1960入団だからこの動画にはいなくて当然か)で画像検索してみてください。映画俳優でもいけるやん…ってくらいです。
【訂正】堀内庄投手(悪太郎ではない、元祖堀内)は、動画 35:16 からのシリーズ第7戦で映ってましたわ。背番号10の投手がそうですね(・∀・) 後の名将・広岡達朗のヤクルト初優勝時の投手コーチです。余談だけど、その初優勝の瞬間は、直前の練習中にボールが顔面直撃してベンチにいなかったという…
ジャイアント馬場さんの名前もあった。
馬場さんやっぱ人気ですね(・∀・)
最後の選手達が集合しての撮影で大村崑ちゃんの「元気ハツラツ オロナミンC!」が聞こえてきたねぇ。
公開時の同時上映「隠し砦の三悪人」
それは知りませんでした!情報ありがとうございますm(_ _)m
この頃後楽園球場を巨人、国鉄、大毎が本拠地をしていた。 東映は駒沢球場
国鉄は神宮球場だろ
@@ゆういち-y7s 当時神宮はアマ専用。
出た!小西得郎氏の「なんと申しましょうか!」これが聞きたいばっかりに最後まで観ました( ˙▿˙ )☝
天国のトクローも、まさか令和になってTH-camでそういうお声をいただけるとは思ってもないでしょうね(笑)
35:39 日本シリーズといえども、満員にはならないのか…(観衆20,961人)
巨人じゃないですが、64年のシリーズ阪神vs南海なんかガラガラ。70年代前半でも...71年のvs阪急戦の映像を見たら外野レフト側スタンドはスッカスカです。観衆動員、TV視聴率ともにガーッと上向きになったのは第一次長嶋政権からといわれてますね。現代の感覚だと「え~!パ・リーグの平日くらいやん」ですが、当時の感覚だと「なんで満員にならんねん!」とかには・・・なったんですかね?(笑)
価値観ズレてるわ、時代背景考えないとこの人たちの頑張りのおかげで今3万人4万人って人が入ってるんでしょうが。ちょっと考えれば分かる。
巨人軍第2期黄金時代だなぁ。
解説、小西さんの 何ともうしましょうか が聴けて感激。長嶋加入、川上引退、王加入 と時代が変わる切れ目でのこの映画は名作デス🎉
川上引退→ONの加入は戦争を除いて巨人の最大のターニングポイントだと思います。戦前からの選手がほぼいなくなるタイミングがこの時期。高度成長期突入でテレビの普及という意味でも、プロ野球にとって大転換期ですね(^ー^)
34:25 川上さん、このころ廣岡さんを嫌っていたという言いますが、廣岡さんの能力は高く評価してますね。
不仲本格化は、やはり川上監督になってから、廣岡さんが現役選手の身分で、週ベに球団批判・内部事情を明かす手記を掲載した→打てないクセにホームスチール事件で勝手にキレた…みたいな印象ですね(笑)
アップありがとうございます。ところで1968~71年よみうりテレビ放映の「巨人の星」。幼くまだ野球という競技もルールも、またプロ野球の選手を誰も知らない頃、このTVまんがを大好きで毎週観ていました。その中によく出てくる川上、中尾、藤田、荒川・・・金田、森、長嶋、才所、土井、王、柴田、城之内、堀内、高橋(一)・・・と、当時TVの野球中継でも実際に活躍していた同選手達の姿とも合わさってよく知る存在となりました。ところが広岡さんはずっと後年にヤクルトの監督になって有名になるまで巨人の名ショートだったって事を全く知りませんでした。その頃の自分の気持ち(あれっ、広岡って何で「巨人の星」に出てこなかったんだ?)。その後、広岡監督の西武ライオンズ黄金期の頃、やっとその事情が解りました。(そういうことなんだ~)。🥴
このころは純粋に野球を愛し、野球で勝負する球団でした。9連覇が狂わせたのかな?
長嶋さんがルーキーの年ですねぇまだ別所さん現役投手だったんや
別所さんは昭和36年引退(36年は登板無しなので実質35年)ですので、意外にも4年も被ってるんですよね。背番号11は永久欠番に…って話しすら出なかったんでしょうかね?
新命さん宮内洋のファンですな☺️
@@関西の三重生まれ男9997 青レンジャー!
昭和9年まだ日米は対立してなかったんですね。これから僅か7年後に……
戦争ではなく、野球でアメリカに挑めばよかったんだよ。勝てなかったかもしれないが、多くの人が死なずに済んだ。
アメリカの選手の中にスパイがいて東京中を撮影してたんですよ。 アメリカ軍が東京大空襲の時の参考にしたとか。
フィルムが今と違って連続撮影ができてないせいで皆草野球みたいなプレースタイルに見えてしまうけどリアルで見たら今と変わらない感じなんでしょうね。
実際、投球フォームなんか今と基本が違いますよね(笑)特にリリースポイントが早いせいか、下半身を使ってるように見えないせいか、手投げに見えます。でも藤田さんなんかは今の投手より綺麗なフォームです。いろんな意味でこの時期は過渡期で、歴史上一番好きな時代です(・∀・)
そんなことは絶対ない😂
22:18動画の最後の方で「何と申しましょうか・・」の名セリフを言う方
小西得郎さんですね(・∀・) セパ分裂後初のセ優勝監督であり、審判経験者であり、解説者の先駆者的存在。えー、何と申しましょうか、そりゃもう偉大な先人であります(´ー`)
この頃阪神や中日は優勝こそ巨人にほとんど、持っていかれたが、でも強かった。Aクラスの常連。反対に広島、大洋、国鉄はBクラスの低迷期。
確かに、特に国鉄は大投手金田がいてもビリ争いの常連、孤軍奮闘の金田が可哀想だった。
昔、「消えた巨人軍」って酷い出来のドラマがあったなぁ。。
それは知りませんでした。「何その西村京太郎臭満載タイトル...」と思って検索したら西村京太郎だった(笑) アマプラの東映オンデマンドでありますね(・∀・)
この当時の人に王さんがホームランの世界記録作るって言っても誰も信じられないだろうな
そりゃあセンバツ優勝投手で、鳴り物入りで入団したわけですからねぇ。今年センバツで優勝した健大高崎の石垣投手が卒業後に巨人入りして世界のホームラン王になると想像するするようなもんですからね(笑)
まさに千里の道も一歩から!
ON入団前
正力家は巨人軍オーナーに戻るべきだと思います。
王さん内野とも外野とも扱われてない投げ方ピッチャーだけど 投手としては見切りつけられてた頃か
王さんが入団して2ヶ月で辞めさせられたって言ってましたね
馬場正平…ジャイアント馬場さんの名前もある
ただ映画形式にしてるだけで中身はテレビのドキュメンタリーレベルなんだよね。こんなの映画といっていいのかねえ。
昭和33年では、テレビそんなに普及していなかった。貧乏人はテレビ買えなかったよ。
広岡達郎氏の態度がすでに会社の重役クラス…すごい
@@o武礼 廣岡達朗です
そういうところが川上に嫌われた一因なんだろうね。
愛知嫌い男より。今は、タイガース物語。関西(三重)人の俺より。
巨人は別所を南海から獲得したが、南海ファン並びに巨人ファン以外の人は資金で物を言って、取ったのを汚いと思った人もいたと思う。
今のソフトバンクじゃないか。金で優勝を買っている。
時代を感じさせる、ダボダボのユニフォーム。現在のユニフォームも、レトロな、ダボダボのユニフォームでプレーして欲しいですね。勿論、ソックス、ストッキングを゙出してです。
あのダボダボな仕様は、素材が綿だったからですね。綿=作業服と同じ。ちなみに今の巨人ホーム用は昭和28年の(米ジャイアンツのパクリじゃない方)とほぼ同じデザインですよ(・∀・)28~34年は一見同じデザインですが背番号の書体が違うのです。
昭和33年(1958年)か。ちょうどプロ野球の新旧端境期だね。終戦直後から盛り上げて気T川上らの旧世代人が去っていく一方で、中西だの稲尾だのが絶頂期にあり、そして巨人には長嶋が入団。ここらあたりから投手のボール速度は格段に増し、打者もかなりスイングスピードが上がりパワフルになった。日本プロ野球が更に激変したのは阪急黄金期の70年代後半、さらに江川が登場した80年代以降。
私もまったく同意見です。『長嶋入団=人気が急騰』だけではなく、技術的にも道具も格段に進化が加速しだしたのが昭和30年代半ばだと思います。戦前~戦中~戦後派が残ってて、かつ70年代まで現役の選手がいるこの時期が一番興味深いです。
別所、大友、藤田とかなついな国松はこの頃からいたのか
私はかなりのプロ野球史マニア(自負)なのですが、国松ってV9主力~引退後も球団内でけっこう重要なポジションにいたわりにはあやふやな存在ですわ(笑) 昭和30年に入団、しかも投手だったとか、長嶋・野村の学年1つ上で「イメージよりトイいってたんや」とか・・・無いですか?
日本字の背番号かっこいい。
ある意味斬新、オシャレですよね(笑) でもあれでアメリカ遠征に行って、現地で「あの背中のプラスとかマイナスは何なんだ?」とかなりツッコまれて、普通のアラビア数字にした...という経緯があります。確かにブロック体での漢数字の『一』はマイナス、『十』はプラスとしか見えないですわ(笑)
宮本敏雄選手は、女性から人気があったそうですが、ハンサムで爽やかですね。プロ野球関係者たちが、皆嬉しそうに映画出演していますが、胡散臭い職業の扱いだったのが、世間に認められたと喜んでいたのかも。
初代・リポビタンDのイメキャラ!当時の雑誌には「ニッコリ笑ってエクボのエンディ」と書かれてますよ(笑)エンディ宮本は故障さえなければV9初期くらいまではいたかもしれませんね?ONの後の5番打者探しも、また違ったことになってたかも…とか思います。ちなみに本名は『アンドリュー・トシオ・ミヤモト』で、「エンディやないやろ、アンディやろ!(ノ><)ノ」と
長嶋も煙草吸ってたんだな時代だよなぁ
多摩川の二軍練習で、千葉茂二軍監督のノック姿。新入団の王さんは投球練習みたいな動き。甲子園の優勝投手だっけ。背番号は1だから野手として入団したんでしょうけど。ルーキーの長嶋さんは、まだ先輩が多いため、全てに遠慮がち。
背番号1だから、一桁だから野手というのは現代の感覚ですね。巨人にはいないんですが、他球団...特に阪神は多い。1950年代前半の阪神の背番号一桁は投手の番号だったし。(1955年なんか背番号1 2 3 4 5 6 8 9...要は7以外は投手)王さんは投手で入団です。ベースボールマガジン昭和33年10月号で中島治康(初代三冠王)との対談があります。【抜粋】中島「まあ最初に結論から伺いましょうね。打撃かピッチャーか」 王「それについて宇野(庄治=球団代表)さんや水原さんからは一応ピッチャーでやってもらいたい。いま投手陣が手薄だからという話を受けたんですが、自分ではバッティングで行きたいんです。(以下略)」と本人が当時発言してますので間違いないでしょう。ちなみに投手としては使い物にならんと早々に見切られてます(笑)
千葉茂は翌年の昭和34年から近鉄の監督に就任。
昭和9年、ジャイアンツの誕生!
碁を打っているシーンに出てくる方はどなたでしょうか。
29:41~電車の中の、囲碁盤左側の人物ですか? 横顔だから断言できないですけど、おそらく安原達佳だと思いますよ。
そうです。安原達佳さんですか!教えてくださりありがとうございます!
@@hipares おそらく安原で正解だと思いますけど断言はできません。googleで安原達佳を画像検索してもまともに顔がわかる写真は1枚しかヒットしませんけど見てみてください。ちなみにその前の水原インタビュー以降の29:15~は、これも推測ですけど岩下守道・エンディ宮本読書=大友巻き寿司=岩本新聞=義原藤田・長嶋
川上さんがまとめ役で、宴会を開いて、これがのちの7年後からのV9時代につながって行った。
貴重な映像ですね。興味深いです。この頃のテーマ曲は、今の闘魂込めてではないのでしょうか?始めの曲はエイトマンの曲みたいに思いました。
別のコメントで返信させて頂いたのですが、この時期の球団歌は『ジャイアンツ・ソング』という曲名。映像のオープニングで流れてる「我が憧れは 白き球 真澄の空に てりはえて」の歌詞のやつですね。ちなみにこの『ジャイアンツ・ソング』は二代目で、昭和38年から三代目で『闘魂こめて』です。同名映画も作られてますよ(・∀・)
長嶋さん、藤田さん若い。
存命なら140歳の正力松太郎氏。😂
は?
そんな昔の人なのか?
@@ゆういち-y7s そんな昔の人です。1885年生まれ。
@@佐藤キミアキ 最近でも名前聞くので
王さんが外野!?
別のコメントに返信したやつのコピペになりますが、こういうことです→ 投手では使えねえけど打者なら「川上の半分くらいは打つやろ(当時の千葉茂二軍監督)」→左だから1塁or外野しかない→藤尾の打力を活かすため外野にして、脚力の衰えがあった与那嶺を1塁にコンバートさせる予定→ほな、王はとりあえず外野をやらせてみよか…って感じですね。結果、外野も失格。ちなみに王さんが公式戦で外野を守ったのは1977.8.30と9.3の2試合のみ(いずれも途中から)です。これはハンク・アーロンのタイor抜いた日で、ライトスタンドへのファンサービスです。
【追記】外野失格の理由=おそらくですが足が遅いのが理由なんじゃないかな?と思われます。当時の外野陣…コンバート予定だけど与那嶺、エンディ宮本、坂崎、加倉井(西鉄・豊田さんと高校同期)、岩本に割って入るのは不可能ですわ(・ω・)
31:55 よく見たらペナントがちぎれてる
草w
観覧席に岸伸介氏がいる!
プロ野球史だけで見たら松ちゃん(正力松太郎のことですw)は『読売の社主』『巨人軍の生みの親』で松ちゃん自体の詳細は知られてないかもなんですが、当時は衆議院議員で、岸内閣科学技術庁長官兼国家公安委員長です。それプラス、超画期的だった原子力発電を推し進めたのも正力で、テレビという新しい媒体の普及に努めたのも正力。そこで現れたのが長嶋。岸信介さんにしたら魂を売ってでも仲良くしておきたい人物だったでしょうから(笑)
全員が一騎当千の、錚々たるメンバーばかりだ。
1955年昭和30年に巨人大友が30勝、広島長谷川良平が30勝最多勝を受賞した。大友は川上、青田、南村、千葉、与那嶺ら強力打線がバックだった。ところが長谷川良平は弱くて、お荷物球団の広島で、打線そのものもまだ弱く、それでいて30勝は見事である。通算197勝は大したものです。巨人あたりだったら200勝は間違いない。
もし長谷川良平さんが巨人にいたら… 200勝は軽々突破してたと私も思います。それに加え、大友、藤田、堀内庄の寿命も伸びてただろうという相乗効果もあったと思います。
闘魂こめてが作られる前の映画なんか
そうですね!あれは創立三十周年記念(昭和39年)ですから、その6年前です。
読売巨人軍は、永久に不滅です❤
大正力の台詞はシナリオ通りに話していますね。「まぁ、掛けたまえ」なんて映画やTVドラマでしか聞いたことがない(笑)昔のニュース映像は、ほとんどヤラセだったんでしょうね。後半の川上のトークも同様。
私は、大正力の「まぁ座りたまえ」以上に、その直後の宇野庄治球団代表(画面左の眼鏡の人)が噛みまくってるのが気になります(笑)
「座り給え」たぶん、まんまだったのでは。なんせ内務省特別高等警察を虎ノ門事件でクビになり、柔道は実力の黒帯で、そんな人はこのくらいの言葉は日常茶飯事でしょ。川上の談話は意外に柔らく優等生キャラだからシナリオ丸暗記かもしれないがそれだけに内容は今でも通用しそう。ひろゆきも「若い頃の苦労は買ってでもせい」と言うとるし。 それよりもオータニの大先輩が馬場さん以上に葉巻バッコンバッコンが衝撃的。
これめっちゃ前の映像じゃんか。言葉遣いだって今と違うでしょ
最後の集合して手を振る映像後列左から、別所、?。長嶋、?、廣岡、与那嶺、森、?前列は水原監督しかわからん。右側の2人は映ってもいないし。前列一番左に藤田さんかな。川上さんいないよね。
前列左の切れてて43:47から半身出てくる選手を含めてですが...【前列左より】坂崎 高橋正勝 木戸? 馬場 水原 大友 (不明)(不明) 【後列左より】別所 中尾 長嶋 加倉井 広岡 与那嶺 藤尾 藤本伸...だと思います。不明としたのは、当時の写真が私の手元に無いor名鑑では判別不可能な選手です。
@@tsubo-yaroga-channel 貴重なお返事ありがとうございます。藤田さんや森さんじゃなかったんですね。監督のとなりは馬場?馬場は二軍選手だし、映像からもこれは違うのでは?
@@AQ-hv1en 水原の隣は馬場だと思いますよ!かがんでるので分かり難いですが、周囲の選手と比べて一回り顔がデカい+脛も長い。顔の長さや表情からして馬場です。このキャンプはよっぽどのマニアじゃないと名前が出てこない、当時の書籍や雑誌でも写真を探すのが困難な一軍半選手も参加し、写ってます。二軍監督の千葉がいますしね?恐らくですが選手全員参加してると思われます。1958年の支配下登録選手は、投手21人、捕手6人、内野8人、外野10人の計45人だけですし。
長嶋選手の ベースランニングと ホームベースでの スライディングを観ても 古さを感じさせない別格な感じがしますね Mr.プロ野球と 言われるだけの 人やな
巨人の選手はやっぱり今も昔も見た目にシュッとしてるね。時代の流れありますが令和現代巨人以外のプロ野球チームで見た目暑苦しい見苦しいロン毛の選手が巨人以外で激増が残念。野球少年がプロのプレーよりもロン毛がカッコええと勘違いが増えるわな。2軍レベルでもマネしてロン毛が増えてるけどロン毛は大リーガーになってからやれですな
個人的な推測ですが、大リーガーの真似+それ以上に『高校時代の坊主の反動』があるのかも?と。問題は、大半が似合ってないしダサい痛い奴にしか見えないことだと思います。まだ『長髪=女みたい』っていわれた時代のエモやんや水上善雄なんか「カッコエエなぁ」って思いましたし。要は『自分に合ってるかどうか?』ですな(´ー`)
33:33あたりから。プロアスリートなのにタバコ吸いまくり(笑)
工藤公康「タバコはリラックスするのに必要」長嶋監督、禁煙した堀内に「お前はタバコを吸え。なんやその腹は」
王、金田、広岡
川上さんと藤田さん声かわってないね
長嶋ルーキーか貴重!王選手に至っては2軍!一本足打法を開発するまでスランプだったんだよねぇ。
「王、王、三振王」という野次があって、この頃野球を知らなかった母は「三振王って偉いのかと思っていた」そうです。王さんと対談した黒柳徹子さんが「ホームランって、(「ここで打て」という)サインがあるのですか?」と尋ねたように、昔の女の人は、あまり野球を知らなかったような。
@@竜涎香-g9o>昔の女の人今より男女の壁が高かった時代ですからね。でも王さんは『多摩川ギャルと結婚した第一号』といわれてます。
後楽園球場の美人のウグイス嬢。え、務台鶴さん?
務台鶴さんですね!あのアナウンスは、また違った意味でV9時代の強い巨人の象徴みたいに思います(私見)
37:47 この方?
@@記録動画保管庫 若い頃のお顔は知らないのですが、その方が鶴さんだと思います。特徴的な声とイントネーション(37:50~)が鶴さん声ですから😃 私は上げてませんが、TH-cam上で「長嶋引退試合」「1974 巨人対阪神」とかで検索してみてください。後楽園の試合中継そのまんまの映像があります。本動画のウグイスと同じですよ(・∀・)d
これぞ、日本の野球だ。ベースボールじゃない、巨人軍である❗
59馬場SHOHEI
長嶋さんと張本さんが仲が悪い? 嘘だろ? だって兄弟みたいに似てるもん! 間違いそうだったよ!
本当に貴重な映像だと思います。
現在の日本の野球の基礎を築き、後の名監督となった選手がオールスター状態で、
他では見られないと思います。
仰る通り、まさにオールスター状態で、見てるだけでワクワクしますよね(・∀・)
これと似た人的状況は… あえていうなら昭和55年の巨人でしょうか。
王、張本がいて、堀内、柴田、高田のV9時代のスターもいて、他球団ですが同時期の浅野啓司もいる。
平成になっても現役の鹿取、篠塚、岡崎もいる…みたいな。
@@tsubo-yaroga-channel
張本はS55年はもうロッテに移籍してたでしょう!?
@@lennon19401980z そうですね、ロッテ張本はS56の1年のみと勘違いしてましたm(_ _)m
投手に馬場正平さん、プロレスラーのジャイアント馬場さんの名前が載っていて懐かしい。長嶋茂雄さんが最初にキャッチボールしたのが馬場さんだったのは本当に懐かしい。
馬場さんが巨人にいた証しみたいなエピソードですよね!
そのキャッチボールが明石キャンプ。そこで知り合ったのが、明石出身の奥様の元子さん。今は明石球場から近い場所に安らかに眠られてます。(私の家から歩いて5分ですw)
@@tsubo-yaroga-channel奥さんも亡くなられたのですか。大変なご苦労をされましたね。
貴重な映像ありがとございます。
著作権問題とかありますが、素晴らしい資料なので多くの方に見ていただきたい一心です。
ここまで古いのはあんまり持ってないんですが、昔のプロ野球の映像はたくさん保有してますので、晩年の堀内くらいの登板間隔(使うのは2度目w)になるかもしれませんが、ぼちぼちアップしたいと思ってます。ちょっとだけご期待ください!(・∀・)
凄い映像です。断片的には見た事があるものが沢山ありますが、その前後にある映像はびっくりです。お宝です。王さん昭和34年の春季キャンプからではなく入団、契約直後の昭和33年の秋季練習に出ていたとか今だったらあり得ないことですよね。。それもブルペンでないにせよ投手としての映像は初めて見ました。。
その他永久保存ですね。
動く、ベーブ・ルース、、、 貴重な映像です!!
これはすごい
断片的には見たことあるが
なんたる貴重映像
ありがとうございます
そうなんですよ。断片的には出回ってるんですが、出処はこれなんですよね。映画だから使われなかったシーンのフィルムは大量にあるはず。
でも当時はアーカイブ意識とか希薄でしょうから廃棄してしまってるんだろうなぁと思います。日映映画ってまだ現存してるのでフィルムは残ってるかもですが。
フィルムや後のビデオテープのアーカイブって、維持費が馬鹿にならんですからね(´・ω・`)
33:25 川上さんの引退直後の話しぶりが印象と違いとても若々しくて爽やかで意外でした。 これが素の川上さんなんかも知れないですね。
1を10にするより0を1にするのが凄い 先人達の熱い思いや力は尊いです
名言ですわそれ(どっかで使おっと)
『無から有を生み出す』のと『有を複有にする』のはまったく別ですもんね。
馬場正平。後年のジャイアント馬場の名前もあるね
この昭和33年の春季キャンプは明石。ルーキー長嶋と初めてキャッチボールをしたのが馬場さん…というエピソードは有名ですね(・∀・)
ただのプロ野球歴史好き(プロレス知らない)の私にすれば、馬場さんは『元巨人の馬場正平』ですわ(笑)
昭和38年制定の現行球団歌『闘魂こめて』がまったく流れてこない異次元の歴史的フィルム
闘魂こめては五年後。
大正力 カミソリ龍二 市岡忠雄の肉声が聞ける大変貴重な映像ですね。
動いてる正力松太郎氏を初めて見た
ありそうで意外と無い『動く松太郎』ですわ。原発、警察、政治関連とか山ほど映像はあるんでしょうけど。
プロ野球を作られた父。正力松太郎さんがコメントされている貴重な映像ですね。長嶋茂雄選手、藤田元司投手とか本当にかっこいいです。偉大な先人が頑張ってきたおかげで、今のプロ野球が楽しめます。いい記録映像です。
野球の歴史好きな私個人からしたら神様ばかりです。
私もそういう想いでこの映画を見ました(・∀・)
動く千葉茂二軍監督のグラウンド上での映像なんか、これしか無いんじゃないでしょうか?
序盤の正力松太郎だけでなく、35:37で岸信介も抜かれてる。巨人の選手だけでなく、登場人物が凄すぎる。
これマジでヘヴィーですよね。仮に現在、岸田と山口寿一が東京ドームで観戦して、その映像を65年後の人が見ても「誰、このメガネ?」程度かもしれません。
大隈重信も出てるよ。
初めて見ます!西沢有難うございます!
ここまで古い映像はあんまり持ってないんですが、昔のプロ野球映像は多数保有していますので、今後ぼちぼちアップしたいと思ってます。晩年の堀内くらいの登板間隔くらいになるかもですが、ご期待ください!
女子野球チーム結成もなかなか手こずる但し男子と違ってソフトボールからの獲得で目鼻が立つ欠点はジュニアの場合は互いに少女の取り合いだから難敵ソフトボールと言っても過言ではないやはりプロ化必要性を今後押し進め野球タウン活性化を図れる未来作りが何より
よくこんな映像残っていましたね!黒鷲の中河選手は私でも知っています。戦争が無ければという選手だったとか…
16:02
ホームイン→生還
これは今でも使われてる表現ですね。
この生還の他に...てか、この時に生まれて現在に至る言葉もあります。フォース・アウト=封殺、earned run=アーンドラン=自責点とか。防御率もそうだったかも?野球は元々軍事用語や戦争を思い起こさせる言葉がかなり多いですよ。『遊撃手』なんか正にそう。
巨人だけがチーム名に軍を付けるのを許されたのは正力松太郎とGHQの関係によるもの。
広岡さん、藤田さんの
イケメンぶりが半端ない!
藤田さんはこの顔で「瞬間湯沸かし器」と呼ばれるキレやすい人だったんですねえ
「神様、仏様、稲尾様❗」この名言は子どものころから漫画などで知っていましたが、その超人的な活躍ぶりのフィルムを見たのは初めてです。貴重な映画のアップありがとうございます。
『神様、仏様、稲尾様』とか、昔はそういうコピー(ほとんど新聞の見出し発祥)がホント秀逸ですよねぇ(´~`)
戦前の記者「タコ足、猛牛、人間機関車、泣くな別所選抜の華!」
その数十年後の記者「番長、クセモノ、あつお、村神様...ラミちゃんペ!!!」
稲尾和久って長嶋茂雄よりプロ入り早かったんだ
1958年当時の巨人軍はまさに新旧交代の過渡期にあったと思います。長嶋さんが鳴り物入りでデビューし、王さんが甲子園優勝投手の肩書きを引っ提げて入団、その長嶋さんや王さんとともにV9を支えてきた森さんも在籍、廣岡さんや藤田さん、藤尾さん、与那嶺さん達が主力として支え、戦前派の川上さんや別所さんも健在でした。またジャイアント馬場さんも当時は巨人に在籍していましたね。
1958年の巨人軍は7年後から始まるV9の基礎を作った時代だったと思います。
この『そうそうたるメンバーが並ぶ過渡期感』が良いですよね(・∀・) しかも千葉茂二軍監督までいるという…
歴史上、こんなのはこの年の巨人だけかもしれませんね?
川上(S13年入団)~王(S55年引退)=42年2人で一塁手カバー。
これだけでも単純に凄いことなのに…
妄想の類ですが…個人的にはエンディ宮本と藤尾、藤田、堀内庄がV9に被ってた世界が見たかったです。
みんなタバコ吸うてる😮
バッター、ふてぶてしいな〜(30:31)
巨人、西鉄、南海の黄金時代だなぁ。
凄い映像てすね。初めてみました。中堅、遊撃手、右翼など元々軍事用語ですからね。しかし、阪神ファンの自分にとっても興味深い内容で楽しめました!
知ってる方が珍しい軍事用語由来の野球用語雑学を(´ー`)つ『(投手捕手ペアの)バッテリー』…これは砲兵隊が由来。火薬・弾詰めと砲撃する兵のペアですね。最近だと『マシンガン打線』『甲斐キャノン』なんかもその部類かもですね(笑) 甲斐はアニメ由来かもですが、それ自体がカノン(キャノン)砲が元ですし。
凄いお宝動画ですね
後に監督になる藤田さんとミスターが
まだ若手の選手時代で
一緒の画面に映ってるなんて 笑
後正力さんの肉声も凄く貴重ですね
笑
藤田さんとミスターは現役時代は仲良しだったらしいですね。
当時の雑誌に、ボクシングを一緒に観戦しに行ったとか、そういう記事がちょくちょくあります。
第一次長嶋政権で、(牧野はさておき)藤田投手コーチで残さなかったのは最大の謎…と勝手に思ってます。
ジャイアント馬場が
ジャイアンツの投手だった頃。
国宝動画です😊
プロ野球の歴史を語る上では、まさに国宝級ですよね(・∀・)
この時代の試合、まるごと1試合の映像は残ってないのかなぁ。
広岡達朗さんは、この当時からポーカーフェイスですね。
千葉茂さんの著書や、その他同僚の証言ですと、実際の広岡さんって物凄くひょうきんな方らしいです。形態模写が...ま、モノマネですが、凄く上手かったらしい。川上さんとか一流打者のマネはそっくりで、「なんでそんな似てるのに、オマエは打率2割やねん?」ってツッコんでる証言もあります(笑)
懐かしいですね
メンバーさん
馬場さんは投手
やっぱ馬場さんは人気ありますね(・∀・) もしプロレスの実績が無かったら、とっくの昔に忘れ去られていた、現代では誰も知らんマニアックな存在になってたと思います。ご存命の時に参加されたOB戦での嬉しそうな笑顔が忘れられません。
まだ新幹線が開通していない時代在来線の夜行列車や特急、急行列車で、移動していた。
市岡さんが早稲田の三原を職業野球第1号に契約したエピソードは有名。
正力松太郎氏が広岡、長嶋の若手を前に孫が近くにいて自然体で話す様子は本当に野球に対する愛情を感じる。
市岡さんが話してる映像自体が貴重ですよね。
余談ですがこの映画の市岡さんは、競輪養成所所長を退任された直後です。
長嶋、藤田、広岡に並び藤尾がいるのは、やっぱ当時はスター級だったんだなぁと思わせます。関係ないけど、晩年に阪神移籍が実現しておけば…(´・ω・)
市岡は敵が多かったけどな
田部武雄をクビにしたのはもったいなかった。職業野球の田部の成績を見てみたかったな また功労者の沢村栄治をクビにした時も冷たく言い放すようにクビにしたし
ヤクルト・西武・ホークス・中日そして、巨人で一時代を築いた指揮官の名が出てきて感動
投手で小松俊弘がn入っている。春の選抜決勝戦、高知商業のエースで早稲田実業の王投手と投げ合い負けた。同じ巨人に入団したが投手として活躍出来なかったが、スコアラーの先駆けに成って活躍したんだ。
長嶋のランニングホーマー。
足の速さに驚き!
ミスターって俊足とか強肩とかいうイメージって(私見ですが)まったく無いんですが、めっちゃ速いですよね(笑)
昭和33年の巨人スタメンの1番や俊足っぽい打者は、与那嶺、広岡、岩本、藤尾… 与那嶺は晩年だし意外とスタメンの中では最速だったかも?
川上監督は勇退後のインタビューで、
ONの貢献度について答えています。
本塁打など長打力では王が上回っているが、長嶋は足が速く、走塁の貢献度が高い。
したがってどちらが上ということはなく、
五分五分だった。
とのこと。
確かに、長嶋は入団後の数年は走りまくっていますね。この時期は松井とイチローを足したような走攻守揃った名プレイヤーだといえるでしょうね。
@@mash6684 新人年にトリプルスリー達成したんですよ
@@ゆういち-y7s 幻のホームランを足したらねw
川上哲治と写っている写真があるけど、凄い人と知らずに、サインを貰わなかったのが心残り
川上さんと一緒の写真があるだけで羨ましいです…
私、25年くらい前に新幹線で川上さんとバッタリ会って、思わずのけぞりながらも「こんにちは!」と挨拶したら、プイッとそっぽ向かれましたよ…
ちょっと広岡さんや藤田元司コーチの気持ちが解りました(´・ω・`)
昭和34年デビューの王選手が、昭和33年に巨人のユニフォームを着て練習しているんですね。
今の感覚からしたら「!?」ですよね(笑)
当時はプロ・アマ規定が無いに等しい時代ですし、中卒で働いてる人もたくさんいたので、高校生が大人に混じってても誰も変だとは思わなかったのかも?プロ・アマ間の厳格化(てか決裂)したのはこの3年後の中日による『柳川事件』がキッカケです。ご興味がございましたらググってみてください(・∀・)
長嶋さんて南海ホークスに行きたかったのだよね。病弱の母親の傍にいるために在京球団ジャイアンツを選んだのだそう。。
立大先輩の大沢親分からも誘われていて(半ば南海内定)、親分から「栄養手当」名目で現金を貰ってたとか(当時は合法)
富山の偉人!正力松太郎!
解説(アナウンサー)陣が伝説級
このころは「土俵の鬼 若ノ花物語」とか「名寄岩物語」とか「鉄腕稲尾物語」とか「吉葉山物語」等の映画が作られていた。
巨人が地方巡業してるボックス席、これでもグリーンなんだよなあ。貧乏チームだとあのこげ茶色の客車で移動してたとか。しっかし日本シリーズ長嶋の足速えぇー!
30:38 すごいイケメン!
…観客で草w
この時代の巨人はイケメン多いですよ。本動画には残念ながら登場しないですけど、堀内庄、手塚明治、塩原明(は1960入団だからこの動画にはいなくて当然か)で画像検索してみてください。映画俳優でもいけるやん…ってくらいです。
【訂正】堀内庄投手(悪太郎ではない、元祖堀内)は、動画 35:16 からのシリーズ第7戦で映ってましたわ。背番号10の投手がそうですね(・∀・) 後の名将・広岡達朗のヤクルト初優勝時の投手コーチです。余談だけど、その初優勝の瞬間は、直前の練習中にボールが顔面直撃してベンチにいなかったという…
ジャイアント馬場さんの名前もあった。
馬場さんやっぱ人気ですね(・∀・)
最後の選手達が集合しての撮影で大村崑ちゃんの「元気ハツラツ オロナミンC!」が聞こえてきたねぇ。
公開時の同時上映「隠し砦の三悪人」
それは知りませんでした!情報ありがとうございますm(_ _)m
この頃後楽園球場を巨人、国鉄、大毎が本拠地をしていた。 東映は駒沢球場
国鉄は神宮球場だろ
@@ゆういち-y7s 当時神宮はアマ専用。
出た!
小西得郎氏の
「なんと申しましょうか!」
これが聞きたいばっかりに最後まで観ました( ˙▿˙ )☝
天国のトクローも、まさか令和になってTH-camでそういうお声をいただけるとは思ってもないでしょうね(笑)
35:39 日本シリーズといえども、満員にはならないのか…(観衆20,961人)
巨人じゃないですが、64年のシリーズ阪神vs南海なんかガラガラ。70年代前半でも...71年のvs阪急戦の映像を見たら外野レフト側スタンドはスッカスカです。観衆動員、TV視聴率ともにガーッと上向きになったのは第一次長嶋政権からといわれてますね。
現代の感覚だと「え~!パ・リーグの平日くらいやん」ですが、当時の感覚だと「なんで満員にならんねん!」とかには・・・なったんですかね?(笑)
価値観ズレてるわ、時代背景考えないと
この人たちの頑張りのおかげで今3万人4万人って人が入ってるんでしょうが。ちょっと考えれば分かる。
巨人軍第2期黄金時代だなぁ。
解説、小西さんの 何ともうしましょうか が聴けて感激。長嶋加入、川上引退、王加入 と時代が変わる切れ目でのこの映画は名作デス🎉
川上引退→ONの加入は戦争を除いて巨人の最大のターニングポイントだと思います。戦前からの選手がほぼいなくなるタイミングがこの時期。高度成長期突入でテレビの普及という意味でも、プロ野球にとって大転換期ですね(^ー^)
34:25 川上さん、このころ廣岡さんを嫌っていたという言いますが、廣岡さんの能力は高く評価してますね。
不仲本格化は、やはり川上監督になってから、廣岡さんが現役選手の身分で、週ベに球団批判・内部事情を明かす手記を掲載した→打てないクセにホームスチール事件で勝手にキレた…みたいな印象ですね(笑)
アップありがとうございます。ところで1968~71年よみうりテレビ放映の「巨人の星」。幼くまだ野球という競技もルールも、またプロ野球の選手を誰も知らない頃、このTVまんがを大好きで毎週観ていました。その中によく出てくる川上、中尾、藤田、荒川・・・金田、森、長嶋、才所、土井、王、柴田、城之内、堀内、高橋(一)・・・と、当時TVの野球中継でも実際に活躍していた同選手達の姿とも合わさってよく知る存在となりました。ところが広岡さんはずっと後年にヤクルトの監督になって有名になるまで巨人の名ショートだったって事を全く知りませんでした。その頃の自分の気持ち(あれっ、広岡って何で「巨人の星」に出てこなかったんだ?)。
その後、広岡監督の西武ライオンズ黄金期の頃、やっとその事情が解りました。(そういうことなんだ~)。🥴
このころは純粋に野球を愛し、野球で勝負する球団でした。
9連覇が狂わせたのかな?
長嶋さんがルーキーの年ですねぇ
まだ別所さん現役投手だったんや
別所さんは昭和36年引退(36年は登板無しなので実質35年)ですので、意外にも4年も被ってるんですよね。
背番号11は永久欠番に…って話しすら出なかったんでしょうかね?
新命さん宮内洋のファンですな☺️
@@関西の三重生まれ男9997 青レンジャー!
昭和9年まだ日米は対立してなかったんですね。これから僅か7年後に……
戦争ではなく、野球でアメリカに挑めばよかったんだよ。勝てなかったかもしれないが、多くの人が死なずに済んだ。
アメリカの選手の中にスパイがいて東京中を撮影してたんですよ。
アメリカ軍が東京大空襲の時の参考にしたとか。
フィルムが今と違って連続撮影ができてないせいで皆草野球みたいなプレースタイルに見えてしまうけどリアルで見たら今と変わらない感じなんでしょうね。
実際、投球フォームなんか今と基本が違いますよね(笑)
特にリリースポイントが早いせいか、下半身を使ってるように見えないせいか、手投げに見えます。
でも藤田さんなんかは今の投手より綺麗なフォームです。いろんな意味でこの時期は過渡期で、歴史上一番好きな時代です(・∀・)
そんなことは絶対ない😂
22:18
動画の最後の方で「何と申しましょうか・・」の名セリフを言う方
小西得郎さんですね(・∀・) セパ分裂後初のセ優勝監督であり、審判経験者であり、解説者の先駆者的存在。えー、何と申しましょうか、そりゃもう偉大な先人であります(´ー`)
この頃阪神や中日は優勝こそ巨人にほとんど、持っていかれたが、でも強かった。Aクラスの常連。反対に広島、大洋、国鉄はBクラスの低迷期。
確かに、特に国鉄は大投手金田がいてもビリ争いの常連、孤軍奮闘の金田が可哀想だった。
昔、「消えた巨人軍」って酷い出来のドラマがあったなぁ。。
それは知りませんでした。「何その西村京太郎臭満載タイトル...」と思って検索したら西村京太郎だった(笑) アマプラの東映オンデマンドでありますね(・∀・)
この当時の人に王さんがホームランの世界記録作るって言っても誰も信じられないだろうな
そりゃあセンバツ優勝投手で、鳴り物入りで入団したわけですからねぇ。
今年センバツで優勝した健大高崎の石垣投手が卒業後に巨人入りして世界のホームラン王になると想像するするようなもんですからね(笑)
まさに千里の道も一歩から!
ON入団前
正力家は巨人軍オーナーに戻るべきだと思います。
王さん内野とも外野とも扱われてない
投げ方ピッチャーだけど 投手としては見切りつけられてた頃か
王さんが入団して2ヶ月で辞めさせられたって言ってましたね
馬場正平…ジャイアント馬場さんの名前もある
ただ映画形式にしてるだけで中身はテレビのドキュメンタリーレベルなんだよね。こんなの映画といっていいのかねえ。
昭和33年では、テレビそんなに普及していなかった。貧乏人はテレビ買えなかったよ。
広岡達郎氏の態度がすでに会社の重役クラス…すごい
@@o武礼 廣岡達朗です
そういうところが川上に嫌われた一因なんだろうね。
愛知嫌い男より。今は、タイガース物語。関西(三重)人の俺より。
巨人は別所を南海から獲得したが、南海ファン並びに巨人ファン以外の人は資金で物を言って、取ったのを汚いと思った人もいたと思う。
今のソフトバンクじゃないか。金で優勝を買っている。
時代を感じさせる、ダボダボのユニフォーム。現在のユニフォームも、レトロな、ダボダボのユニフォームでプレーして欲しいですね。勿論、ソックス、ストッキングを゙出してです。
あのダボダボな仕様は、素材が綿だったからですね。綿=作業服と同じ。
ちなみに今の巨人ホーム用は昭和28年の(米ジャイアンツのパクリじゃない方)とほぼ同じデザインですよ(・∀・)
28~34年は一見同じデザインですが背番号の書体が違うのです。
昭和33年(1958年)か。ちょうどプロ野球の新旧端境期だね。
終戦直後から盛り上げて気T川上らの旧世代人が去っていく一方で、中西だの稲尾だのが絶頂期にあり、そして巨人には長嶋が入団。
ここらあたりから投手のボール速度は格段に増し、打者もかなりスイングスピードが上がりパワフルになった。
日本プロ野球が更に激変したのは阪急黄金期の70年代後半、さらに江川が登場した80年代以降。
私もまったく同意見です。『長嶋入団=人気が急騰』だけではなく、技術的にも道具も格段に進化が加速しだしたのが昭和30年代半ばだと思います。
戦前~戦中~戦後派が残ってて、かつ70年代まで現役の選手がいるこの時期が一番興味深いです。
別所、大友、藤田とかなついな
国松はこの頃からいたのか
私はかなりのプロ野球史マニア(自負)なのですが、国松ってV9主力~引退後も球団内でけっこう重要なポジションにいたわりにはあやふやな存在ですわ(笑) 昭和30年に入団、しかも投手だったとか、長嶋・野村の学年1つ上で「イメージよりトイいってたんや」とか・・・無いですか?
日本字の背番号かっこいい。
ある意味斬新、オシャレですよね(笑) でもあれでアメリカ遠征に行って、現地で「あの背中のプラスとかマイナスは何なんだ?」とかなりツッコまれて、普通のアラビア数字にした...という経緯があります。確かにブロック体での漢数字の『一』はマイナス、『十』はプラスとしか見えないですわ(笑)
宮本敏雄選手は、女性から人気があったそうですが、ハンサムで爽やかですね。プロ野球関係者たちが、皆嬉しそうに映画出演していますが、胡散臭い職業の扱いだったのが、世間に認められたと喜んでいたのかも。
初代・リポビタンDのイメキャラ!
当時の雑誌には「ニッコリ笑ってエクボのエンディ」と書かれてますよ(笑)
エンディ宮本は故障さえなければV9初期くらいまではいたかもしれませんね?
ONの後の5番打者探しも、また違ったことになってたかも…とか思います。
ちなみに本名は『アンドリュー・トシオ・ミヤモト』で、「エンディやないやろ、アンディやろ!(ノ><)ノ」と
長嶋も煙草吸ってたんだな
時代だよなぁ
多摩川の二軍練習で、千葉茂二軍監督のノック姿。
新入団の王さんは投球練習みたいな動き。甲子園の優勝投手だっけ。背番号は1だから野手として入団したんでしょうけど。
ルーキーの長嶋さんは、まだ先輩が多いため、全てに遠慮がち。
背番号1だから、一桁だから野手というのは現代の感覚ですね。巨人にはいないんですが、他球団...特に阪神は多い。1950年代前半の阪神の背番号一桁は投手の番号だったし。(1955年なんか背番号1 2 3 4 5 6 8 9...要は7以外は投手)
王さんは投手で入団です。ベースボールマガジン昭和33年10月号で中島治康(初代三冠王)との対談があります。【抜粋】中島「まあ最初に結論から伺いましょうね。打撃かピッチャーか」 王「それについて宇野(庄治=球団代表)さんや水原さんからは一応ピッチャーでやってもらいたい。いま投手陣が手薄だからという話を受けたんですが、自分ではバッティングで行きたいんです。(以下略)」と本人が当時発言してますので間違いないでしょう。ちなみに投手としては使い物にならんと早々に見切られてます(笑)
千葉茂は翌年の昭和34年から近鉄の監督に就任。
昭和9年、ジャイアンツの誕生!
碁を打っているシーンに出てくる方はどなたでしょうか。
29:41~電車の中の、囲碁盤左側の人物ですか? 横顔だから断言できないですけど、おそらく安原達佳だと思いますよ。
そうです。安原達佳さんですか!教えてくださりありがとうございます!
@@hipares おそらく安原で正解だと思いますけど断言はできません。googleで安原達佳を画像検索してもまともに顔がわかる写真は1枚しかヒットしませんけど見てみてください。
ちなみにその前の水原インタビュー以降の29:15~は、これも推測ですけど
岩下守道・エンディ宮本
読書=大友
巻き寿司=岩本
新聞=義原
藤田・長嶋
川上さんがまとめ役で、宴会を開いて、これがのちの7年後からのV9時代につながって行った。
貴重な映像ですね。興味深いです。
この頃のテーマ曲は、今の闘魂込めてではないのでしょうか?始めの曲はエイトマンの曲みたいに思いました。
別のコメントで返信させて頂いたのですが、この時期の球団歌は『ジャイアンツ・ソング』という曲名。映像のオープニングで流れてる「我が憧れは 白き球 真澄の空に てりはえて」の歌詞のやつですね。
ちなみにこの『ジャイアンツ・ソング』は二代目で、昭和38年から三代目で『闘魂こめて』です。同名映画も作られてますよ(・∀・)
長嶋さん、藤田さん若い。
存命なら140歳の正力松太郎氏。😂
は?
そんな昔の人なのか?
@@ゆういち-y7s そんな昔の人です。1885年生まれ。
@@佐藤キミアキ 最近でも名前聞くので
王さんが外野!?
別のコメントに返信したやつのコピペになりますが、こういうことです→ 投手では使えねえけど打者なら「川上の半分くらいは打つやろ(当時の千葉茂二軍監督)」→左だから1塁or外野しかない→藤尾の打力を活かすため外野にして、脚力の衰えがあった与那嶺を1塁にコンバートさせる予定→ほな、王はとりあえず外野をやらせてみよか…って感じですね。結果、外野も失格。ちなみに王さんが公式戦で外野を守ったのは1977.8.30と9.3の2試合のみ(いずれも途中から)です。これはハンク・アーロンのタイor抜いた日で、ライトスタンドへのファンサービスです。
【追記】外野失格の理由=おそらくですが足が遅い
のが理由なんじゃないかな?と思われます。当時の外野陣…コンバート予定だけど与那嶺、エンディ宮本、坂崎、加倉井(西鉄・豊田さんと高校同期)、岩本に割って入るのは不可能ですわ(・ω・)
31:55 よく見たらペナントがちぎれてる
草w
観覧席に岸伸介氏がいる!
プロ野球史だけで見たら松ちゃん(正力松太郎のことですw)は『読売の社主』『巨人軍の生みの親』で松ちゃん自体の詳細は知られてないかもなんですが、当時は衆議院議員で、岸内閣科学技術庁長官兼国家公安委員長です。それプラス、超画期的だった原子力発電を推し進めたのも正力で、テレビという新しい媒体の普及に努めたのも正力。そこで現れたのが長嶋。岸信介さんにしたら魂を売ってでも仲良くしておきたい人物だったでしょうから(笑)
全員が一騎当千の、錚々たるメンバーばかりだ。
1955年昭和30年に巨人大友が30勝、広島長谷川良平が30勝最多勝を受賞した。大友は川上、青田、南村、千葉、与那嶺ら強力打線がバックだった。ところが長谷川良平は弱くて、お荷物球団の広島で、打線そのものもまだ弱く、それでいて30勝は見事である。通算197勝は大したものです。巨人あたりだったら200勝は間違いない。
もし長谷川良平さんが巨人にいたら… 200勝は軽々突破してたと私も思います。それに加え、大友、藤田、堀内庄の寿命も伸びてただろうという相乗効果もあったと思います。
闘魂こめてが作られる前の映画なんか
そうですね!あれは創立三十周年記念(昭和39年)ですから、その6年前です。
読売巨人軍は、永久に不滅です❤
大正力の台詞はシナリオ通りに話していますね。
「まぁ、掛けたまえ」
なんて映画やTVドラマでしか聞いたことがない(笑)
昔のニュース映像は、ほとんどヤラセだったんでしょうね。
後半の川上のトークも同様。
私は、大正力の「まぁ座りたまえ」以上に、その直後の宇野庄治球団代表(画面左の眼鏡の人)が噛みまくってるのが気になります(笑)
「座り給え」たぶん、まんまだったのでは。
なんせ内務省特別高等警察を虎ノ門事件でクビになり、柔道は実力の黒帯で、そんな人はこのくらいの言葉は日常茶飯事でしょ。
川上の談話は意外に柔らく優等生キャラだからシナリオ丸暗記かもしれないがそれだけに内容は今でも通用しそう。ひろゆきも「若い頃の苦労は買ってでもせい」と言うとるし。
それよりもオータニの大先輩が馬場さん以上に葉巻バッコンバッコンが衝撃的。
これめっちゃ前の映像じゃんか。言葉遣いだって今と違うでしょ
最後の集合して手を振る映像
後列左から、別所、?。長嶋、?、廣岡、与那嶺、森、?
前列は水原監督しかわからん。右側の2人は映ってもいないし。
前列一番左に藤田さんかな。川上さんいないよね。
前列左の切れてて43:47から半身出てくる選手を含めてですが...【前列左より】坂崎 高橋正勝 木戸? 馬場 水原 大友 (不明)(不明) 【後列左より】別所 中尾 長嶋 加倉井 広岡 与那嶺 藤尾 藤本伸...だと思います。不明としたのは、当時の写真が私の手元に無いor名鑑では判別不可能な選手です。
@@tsubo-yaroga-channel 貴重なお返事ありがとうございます。藤田さんや森さんじゃなかったんですね。監督のとなりは馬場?馬場は二軍選手だし、映像からもこれは違うのでは?
@@AQ-hv1en 水原の隣は馬場だと思いますよ!かがんでるので分かり難いですが、周囲の選手と比べて一回り顔がデカい+脛も長い。顔の長さや表情からして馬場です。このキャンプはよっぽどのマニアじゃないと名前が出てこない、当時の書籍や雑誌でも写真を探すのが困難な一軍半選手も参加し、写ってます。二軍監督の千葉がいますしね?恐らくですが選手全員参加してると思われます。1958年の支配下登録選手は、投手21人、捕手6人、内野8人、外野10人の計45人だけですし。
長嶋選手の ベースランニングと ホームベースでの スライディングを観ても 古さを感じさせない別格な感じがしますね Mr.プロ野球と 言われるだけの 人やな
巨人の選手はやっぱり今も昔も見た目にシュッとしてるね。時代の流れありますが令和現代巨人以外のプロ野球チームで見た目暑苦しい見苦しいロン毛の選手が巨人以外で激増が残念。野球少年がプロのプレーよりもロン毛がカッコええと勘違いが増えるわな。2軍レベルでもマネしてロン毛が増えてるけどロン毛は大リーガーになってからやれですな
個人的な推測ですが、大リーガーの真似+それ以上に『高校時代の坊主の反動』があるのかも?と。
問題は、大半が似合ってないしダサい痛い奴にしか見えないことだと思います。まだ『長髪=女みたい』っていわれた時代のエモやんや水上善雄なんか「カッコエエなぁ」って思いましたし。要は『自分に合ってるかどうか?』ですな(´ー`)
33:33あたりから。
プロアスリートなのにタバコ吸いまくり(笑)
工藤公康「タバコはリラックスするのに必要」
長嶋監督、禁煙した堀内に「お前はタバコを吸え。なんやその腹は」
王、金田、広岡
川上さんと藤田さん声かわってないね
長嶋ルーキーか貴重!王選手に至っては2軍!一本足打法を開発するまでスランプだったんだよねぇ。
「王、王、三振王」
という野次があって、この頃野球を知らなかった母は
「三振王って偉いのかと思っていた」
そうです。
王さんと対談した黒柳徹子さんが
「ホームランって、(「ここで打て」という)サインがあるのですか?」
と尋ねたように、昔の女の人は、あまり野球を知らなかったような。
@@竜涎香-g9o>昔の女の人
今より男女の壁が高かった時代ですからね。でも王さんは『多摩川ギャルと結婚した第一号』といわれてます。
後楽園球場の美人のウグイス嬢。え、務台鶴さん?
務台鶴さんですね!あのアナウンスは、また違った意味でV9時代の強い巨人の象徴みたいに思います(私見)
37:47 この方?
@@記録動画保管庫 若い頃のお顔は知らないのですが、その方が鶴さんだと思います。特徴的な声とイントネーション(37:50~)が鶴さん声ですから😃
私は上げてませんが、TH-cam上で「長嶋引退試合」「1974 巨人対阪神」とかで検索してみてください。後楽園の試合中継そのまんまの映像があります。本動画のウグイスと同じですよ(・∀・)d
これぞ、日本の野球だ。ベースボールじゃない、巨人軍である❗
59馬場SHOHEI
長嶋さんと張本さんが仲が悪い? 嘘だろ? だって兄弟みたいに似てるもん! 間違いそうだったよ!