矢田坐久志玉比古神社神社(大和郡山市矢田町965)奈良の爺々

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  • เผยแพร่เมื่อ 8 ก.ย. 2024
  • 矢田坐久志玉比古神社
    矢田町横山集落の北東部に鎮座する。「大和志」添下郡神廟に「延喜式」神明帳登載の式内大社と記す旧県社で、櫛玉饒速日神、御炊屋姫神を祀る。「新抄格勅符抄」大同元年(806)年諸社神封の条に「矢田神二戸大和」とあり、神戸二戸をあてられていたことをみると当社はそれ以前に創祀されていた古社であることがわかる。
    「三代実録」貞観元年(869)正月二十七日に従五位下より従五位上を授けられ、延喜の制で大社に列し案上官幣に預ったこの地方の名社であった。
    「姓氏録」大和国神別に、矢田部は饟速日命七世孫大新河命の後とあるから、この地方に居住した矢田首ら自らの祖神として「日本書紀」巻第三の神武天皇即位前紀戊牛十二月にみえる櫛玉饒速日神とその妻御炊屋姫神を祀ったとみられる。
    「大和志」に矢落明神称すとあり、境内の寛文十一年(1671)の石灯篭にも矢落明神と刻されている。矢落とは、饟速日命の天降りの時、三本の矢を射てその落ちた所に宮居したとの伝によったものという。
    春日造りの本殿は、室町中期を下らぬ様式と考えられ、鎌倉末様式といわれる境内社の八幡神社社殿とともに重要文化財に指定されている。―奈良県史第五巻神社ーより

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