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チトーの後ろ盾だったソ連が崩壊して、共産主義が力を喪ったのも大きい。ゴルバチョフは「ソビエト連邦が崩壊すれば、抑え込んでいた民族問題が再び台頭して東欧は大惨事になる」と西側と東欧諸国に散々警告したのに全員が知らんふりした。案の定、ゴルバチョフの予感は的中した。
ユーゴスラビア内戦気になっていたので役立ちました!ありがとうございます
民族、言語、宗教と何から何までバラバラだったのによくチトーはまとめ上げたな
このユーゴ分裂の話になるとどうしてもオシムさんとオシムさんに率いられたユーゴ代表の事を思い出してしまう。分裂するのはいわば運命だったのかもしれない。でもユーゴが分裂するのがあと10年遅かったなら、92年のユーロと94年のW杯。ともにユーゴが優勝してたと今でも思ってるんだよね。
ユーロは結果デンマークが優勝でしたっけ?オランダ? なら可能性はありそうですね!ワールドカップに関しては、ブラジルが一枚上手の感じしますwただタレントが豊富でロマンがありますよね!ピクシー ボバン ブロシネツキ ヤルニ サビチェビッチ ワールドカップで観てみたかった!
@@kszjfml4714 さん94年のブラジル代表は予選でパッとしなかった事もあり国民からの期待は今ひとつ。しかしそんな状況を一変させたのが同年にイタリアで起きたアイルトン・セナのレース中での事故死。国民的ヒーローの突然の死に打ちひしがれたブラジル国民のためにとキャプテンドゥンガのもとに代表選手は一致団結。決勝でイタリアをPK戦の末に下して優勝。悲しみにくれるブラジル国民に明るい話題を届けることに成功しました。そしてブラジルに凱旋した選手達は出迎えたサポーターと一緒にオ〜レ、オレオレオレ〜♪セ〜ナ〜♪セ〜ナ〜♪とセナに捧げるチャントを大合唱。あのシーンはとてもジーンときたの覚えてます。だから私は、セナの死がなければあの大会のブラジル代表は早期敗退していたと思ってます。仮にユーゴと対戦してたらチームとして絶頂期を迎えてたはずのユーゴの前に敗れた可能性が高かったかと。唯一勝てるとしたらPK戦までもつれたときのみだったと思いますね。
@@koitaku さんたしかにブラジルは決して前評判は高くなかったですね。セナの件もありますが、個人的に悪童ロマーリオの活躍が印象に残ってます。ただオシムユーゴサッカーはパス回しと走るイメージがあるので、当時のアメリカの気候は実力を出せていなかったかもしれないと思ってます。また攻撃はタレントが豊富でしたが、守備面で・・・どうなったでしょうとも感じています。ifの話しなので、どの様の結末なったか分かりませんが、何はともあれユーゴは可能性があったし、もっと観てみたかったですね。
@@kszjfml4714 相手よりもあのときのアメリカの暑さのほうが、オシムさんのサッカー考えたら優勝に向けての大きな壁となって立ちはだかったかもしれませんね。
@@kszjfml4714予選でユーゴに次ぐ2位。当時は予選1位と開催国の計8カ国のみだったため、本来は出場出来なかったが、ユーゴの出場権剥奪に伴い代替出場。そしてそのまま優勝でしたな。
こんな地域を一つにまとめていたチトーという人物の凄さよ・・・・・😅
そんなチトーが「組織とは、、、」みたいな本を出版したら、思わず買ってしまうと思います😊
チトーの偉大さは誰も否定できないだろうけど、決して民主主義的な手法ではなく強権を振るっていたこともまた事実ですね。
しかもチトーかっこいいしファンになりましたよ。ユーゴスラビアは内戦のイメージで最悪な国としか思ってなかったんですがチトー時代のユーゴスラビアいいですね。
その後出鱈目な政治経済が始まった
@@Yankee-Tiffany さん、ミロシェビッチはマジでゴミですからね
1から7までの国1つの連邦国家2つの文字(ローマ字、キリル文字)3つの宗教(カトリック、正教、イスラム教)4つの言語(セルビア語、マケドニア語、スロベニア語、クロアチア語)5つの民族(セルビア人、マケドニア人、スロベニア人、クロアチア人、ムスリム人)6つの共和国(セルビア、モンテネグロ、マケドニア、スロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ)7つの国境(イタリア、オーストリア、ハンガリー、ブルガリア、ルーマニア、アルバニア、ギリシャ)ボスニアにはロミオとジュリエット橋と言う悲劇の場所が。
動画中で仰られた中でも経済的な点が特に分裂に繋がったと、アメリカのパデュー大学出版A History of Yugoslaviaで指摘されていて、掻い摘むと以下のような内容です。財政面で見ると、チトー さん時代に国を保っていたのは欧米からの借金と自国通貨の増刷で当時、この国は近隣の国々よりもはるかに反映しているかに見えたが それはこの国が借款により、実際の収入以上の生活をしていたからで 貿易赤字はこの借款によって埋め合わされていた。インフレも止まらず、チトーさんが亡くなる1980年にはインフレ率は年30%にもなり、顕在失業者は80万人(人口2000万人中)であった。海外の借款で実質所得は最高レベルに上昇。 これらの恩恵により魚、肉の消費は倍増。家電製品や自家用車の購入。エネルギー消費は3倍以上に増加。 なお、チトーさん存命中は貿易赤字、インフレ、生活費、失業の増加など、深刻な危機の警告兆候は一貫して無視された。結果、チトーさん亡き後の80年代末には溜まりに溜まった借款による深刻なインフレ(年数千%)と数百万の失業者を出し実質所得は年1850ドルと欧州最低レベルになりこれに構成国同士の経済格差と所得格差により不満に引火するのは時間の問題でした。
このあたりの地域・国の歴史や政治体系を wikipedia 読んでも、ぐちゃぐちゃしていて良く分からなかったのだけど、この動画を見て、すっきりしたわ。ありがとうございます。
日本にもヒョーゴスラビア(セッツィア、タジマニア、タンバゴビナ、ハリマニア、アワジネグロ)があって、強力なイニシアティブを発揮したイドー前知事の後、現知事の施政下で軋みが生じているとか。
兵庫県は他県と違って県としての団結あんまないしなんなら市同士で揉めてる
大学の卒論がNATOで当時(00年頃)、まさにユーゴ内戦からの東方拡大がメインテーマだったので感慨深い内容ある指導者は「ユーゴは生まれるべき国ではなかった」と嘆き、あるセルビア人は「本当の敵はクロアチアの背後にいるドイツだ」と警戒していた民族が複雑に入り組んだ地域〜しかもアメリカ大陸のように移民ではなく、支配勢力の交替によって〜に人為的に国境線を引いたこと、スロベニア等の独立をEUが一方的に認めたことが一因ともユーゴ内戦で相次いだ民族浄化が、後年のNATO領域外活動に繋がり、これが東方への拡大〜NATOの不戦地域化への渇望を引き起こし〜ひいてはロシア国境への接触という、今のウクライナ戦争に繋がってるように感じるかつて存在したオーストリア=ハンガリー帝国が多民族を統治するモデルと言われたのが痛い程理解できる少なくとも彼の国は、民族の自治要求はなされても、独立まではどの民族も望んでいなかったとされているしとはいえ、世界の数千の民族を200そこそこの国にまとめることがそもそも無理があるのかもしれない
この内戦から『クロアチアンラプソディ』って名曲が生まれたんだよな。
セルビアって、第一次大戦のきっかけともいえるサラエボ事件も起きてるし、オリンピック記念物は壊すしいい印象がないんですが。
ちょうど今ボスニアヘルツェゴビナにいるのでたまたまでびっくりしました!街並みと食事はヨーロッパ、物価は東南アジア、宗教はイスラムでアジア人はほとんどおらずほんと素晴らしい国です!皆さんも是非!!!!!
サラエボに住んでるけど、ボスニアに関しては街ごとに対立勢力が違ったり、トゥズラだけトゥズラ市民軍VSその他だったりと、これは民族、宗教戦争ではないと断言できる。単純に都市同士でお互いにバカにし合ってるからその憎しみが限界に達した、というのが本質だと思う。本当に他者をバカにし合う文化がエグい。
たぶん、この国家の事は(元サッカー日本監督の)〝イビチャ-オシム〟氏の生い立ちを知らなかったら、自分の頭の中に残らなかったかも…そこから〝ヨーロッパの火薬庫〟と呼ばれ、第一次世界大戦勃発の一因となった事も思い出しました。
他にユーゴ南北の経済格差の要因がWWⅡ後農産物の価格を国際基準より低く設定し、逆に工業製品の価格が高く設定されていた点です。これにより、国内の資本は二重帝国時代に工業整備された北部へ流れて行きました。これは、国内工業に資金が少しでも注がれるための苦肉の策です。WWⅡによりユーゴは国土荒廃で欧州最貧国化ソ連と喧嘩別れして、軍事費はおいそれと減らせない事情がありました。これにより、北部が工業化に対するアドバンテージを握り続けたため南部の農業生産国は、その資本を北部に流出させる結果となりました。それでも1番経済的に豊かだったスロベニアでも、自国で働くより、西側諸国で出稼ぎした方のが稼げると1970、80年代に国内労働者は西側へ働きに行き、その分の穴埋めに南部の貧困地域の労働者をスロベニアで働かせる具合でした。チトーさん存命中の1970年代前半には雇用不足により、西側に人口2000万人中110万人もの出稼ぎ労働者を出し、西側の借款と雇用無しでは立ちいかなくなる経済状況となっていました。
民族や宗教や言語が違っても平和にできないものなんですかねユーゴと言えばオシムさん率いるユーゴチームの悲劇、ピクシーの怒り、そうそうクロアチア代表のBaby Lasagnaがユーロビジョンで今年大活躍でしたね
宗教が違うということは、それぞれの人が信じている真実が異なるということだと思います多くの宗教では、神の言葉や聖典がそれを信じている人びとの真理と同一視されることが多いですつまり、それぞれの人にとっての当たり前すぎる道徳観や社会システムそのものの常識が宗教によって変わってしまう可能性が高いということですその違いを品位をもって譲り合えることが理想であると私も信じたいですしかし、ある問題を解決するときに、どうしても妥協できない問題にぶつかってしまったとき、人びとは冷静でいられるのかは、やはり難しいと思います移民の問題とかも、やっぱり同じ理由でなかなか考えさせられそうです……
「正直何を言っているのかさっぱり分からなかったよ。」このくらい複雑な民族紛争だったってことだ。
ちなみに北マケドニアは、1991年の独立当初は「マケドニア共和国」を名乗っていて、それに対してギリシャは「マケドニア」はギリシャの地名であると主張、その一部に過ぎない地方がマケドニアを国家名として名乗る事まかりならんとして、「北マケドニア共和国」に落ち着いた。
そっくりの俳優を使ってチトーが墓から蘇った設定で紛争直前or初期の市井の人たちの話を聞くドキュメント番組を見たことがある。
市井?
何という番組?
@@Yankee-Tiffanyしせいと読む
なぜ1つに統一されていたことがあったのか?という方がタイトルとして良さそう
オーストリアとトルコに分かれてしまったのが悲劇だよな。一度トルコ領になって、オーストリアが奪還した地域(クロアチア・スロベニア)とトルコに残った地域(それ以外)に分かれて数百年過ごしてたら同じ国の同じ民族とは思えないしな。トルコがキリスト教に寛容だったからコソボとセルビアの対立に繋がってるのかもしれないし。
決断力と調整に優れたチトーさんですが、経済政策は悉く失敗しました。ユーゴ建国〜滅亡までほぼ貿易赤字状態で、終ぞ構成国を繋ぎ止める産業を作り出せませんでした。ソ連と袂を分つ時に導入した非経済的な自主管理主義が、後に経済危機を起こし1965年に自由経済に移行しようとするも失敗。常に資金不足と、雇用不足に苦しみ、その度に欧米からの借款と出稼ぎ労働者に頼りました。そしてその借りた借款により、60年代後半には国の金融機関からクレジットやローンを乱発しました。例えばチトーさん死後の年30%のインフレ時、年利10%の借金を国が保証。残りの20%は国から国民へのプレゼントとして与える放漫財政と、補助金頼りのゾンビ企業を多数生み出しました。そして、1973年のオイルショックによる不況と、74年憲法による構成国の借金乱発で負債総額は73年〜81年(チトーさん死後の翌年)で 46 億ドル→ 210 億ドル(8年で4.5倍)に増加しました。 この額は東欧トップに借款を抱えたポーランドに並び。債務返済比率DSRは43%と財政破綻したスリランカやギリシャに匹敵します。こうして内戦が起こるまでに4桁%のインフレ、数百万の失業者が民族主義へ発展しました。
仰る通りだと思います。最初に旧ユーゴスラビアから一抜けし、旧ユーゴスラビアで唯一のNATO加盟国のモンテネグロなのが、その際たる証左だと思いますね。在日ウクライナ人の方の2021年の著書でも、流血の事態を見事に交わして、経済的にEUとの結びつきを強め、安全保障の面でNATOにいち早く加盟したモンテネグロの判断は正しかった旨書かれてあります。
紛争解決のために形式的であってもNATO軍が介入できたのはまだ良かった。現在のウクライナ戦争はロシアが相手だからNATOは直接的に手を出せないのが痛い。手を出したらそれこそ第三次世界大戦勃発の引き金になるし。
カリスマはそのときは絶大な求心力があるけど、やがて時代も変わるし、どんなカリスマ性のある人物も亡くなるわけで…「さよなら妖精」を読んでそう言えば世界のことなんも知らんな私…と思い、色々調べたりしてここに辿り着きました。動画ありがとうございます。
1:29 セルビア北部のヴォイヴォディナは旧ハンガリー領ですね
ティトーと言うカリスマのおかげで成立できた国だったからなぁ、政治批判は許しても、民族批判は許さないがモットーだったし
チトーがカリスマ過ぎて、次代への期待が大きかった事と、やはり民族的主権の主張が分裂になったと思う
チトーさんのリーダーシップてすごかったんだろうな、キム一族よりかは絶対参考になる筈😆
逆だよ。民族も言語も宗教も違うのに、一つの国であったことがおかしい。共通していたのは、スラブ系の民族であることだけ。
言語に関しては別言語というほどの違いは無いんですよ。私自身、普通にスロベニア人とクロアチア人とセルビア人が普通にそれぞれの言語で互いに会話ができている光景を目の当たりにしたことがあります。スイスやベルギーのような状況とは全く違います。
@@tomatodo375参考になります。机の上で勉強しているだけではわからないことですね。
そもそも民族って何かって同じ言語を話す集団ってのが大きいから言語は一緒だよな。
@@tomatodo375言語に疎いので教えて欲しいのですが、日本で標準語と関西弁・福岡弁等の方言で話す様な感じで会話してるの?
@@kszjfml4714 それに近いと思いますよ。当方ロシア語話せますがセルビア語は理解できます。ちなみにブルガリア語は古代キリル語で、日本で言うところの平安時代の言葉のようですが…😅
オシムさんと言えば、ユーゴ紛争で奥様を戦火の中に、2年間も残してしまった話が泣ける🥺オシムさん自身はギリシャに居て、チームの指揮を執りながらも毎晩夜中に起き、伝手を頼って得た無線で連絡し続けていたとか奥様は何とか無事に脱出出来たものの、多大な犠牲者が出た😭本当に戦争は良くない🪖
やはりボスニアヘルツェゴビナ
各民族が独立せずユーゴが存続してた方が良かったみたいな結論はどうなんだ
モンテネグロの事全然触れてなくて草
10:28 国旗の見た目からしてスロバキアがチェコスロバキアから抜け出してチェコが残ったのかな?12:04 クライナとウクライナという2つの言葉が似ている。どちらもスラブ人の言葉であるのが関係しているのだろうか。
サラエボでは、オリンピック(冬季)が開催されるくらい、平和な国だったハズが、サラエボのオリンピックスタジアムは戦争中、墓地だったとか? 何か、悲しい😢
ほぼ同時期のソ連崩壊が少なからず影響を与えた気がする。それと、15:05戦犯=確かカラジッチ氏?だったと思う。逃げまどっていたが、少し前に捕まった。
ティトーはまるでビスマルクみたいな存在か
チトーは差別を嫌っていたよね...。
選民思想は害にしかならんからね
ユーゴスラビアが分裂してなければオシムもミシャもピクシーも日本に来てなかったのかしら?てかワールドカップやユーロでユーゴスラビア代表見たかった。(´・ω・`)
カリスマ政治家ヨシップ・ブロズ没後、10年余で崩壊…。歴史を学べば1つの国だったのが不思議に思える。古代ローマ時代に既にこの地が分裂に向かう兆しがあったし、セルビア王国誕生時にオブレノビッチ家とカラジョルジェビッチ家という2つの家が王家を巡って対立していたし…。
サラエボオリンピック当時の町並みは、とても綺麗だったのに。紛争後は見る影もなかったですね。
もともとこの地域には多くの民族が居住していたが、戦後はドイツとの戦争で活躍したチトー将軍が統治したので、だれもそれには反対できなかったのだ。問題がそのチトーがなくなると、各民族間で主導権争いが起きてしまった。
その後の出鱈目な政治経済が暴力団とテロリストを産み、テロや犯罪と戦争を起こした。
ユーゴスラビア代表がまだ存在してたら絶対にワールドカップかユーロは優勝してたと思う。
両方とも優勝してたと私は思ってます。
クロアチア単独でも準優勝まで行ってますしね
クロアチアにブラホビッチが入ると思うと恐ろしい。
トヨタカップで来日してたユーゴのクラブ強かったな。フリット、ファン・バステン、ライカールトのオランダトリオのミランより強いと言われていたから😊
EURO2024でセルビア国歌のときのブーイングの大きさ。
この手の話、セルビアだけ一方的に叩かれるよな。俺は結構セルビア好きだよ。スポーツクソ強いし
こないだ美女と野獣の演劇見に行ったんですがガストン役がめっちゃじゅんいちろうさんに似てました
単純に多民族の国家として、スイスを見習えというのは無理があると思いますよ。多民族国家でしかも正教、イスラム、カトリックなどの宗教が問題となっていますからね。スイスはしょせんキリスト教のみです。文化が違いすぎると思います。
イスラム教が絡んでる限り分裂回避は不可能です。
コソボと北マケドニアって名前でアフリカかと思ってた
多民族共生なんて不可能というのがこの戦争での教訓ですね。単一民族で島国の日本が理想型なんだとわかりました。
アイヌ民族は?
@@渡岡優行 恨の者ですね。兵役義務を果たしてくださいね。
@@渡岡優行半島系の常套手段ってバレバレです。
アイヌ「は?」琉球人「は?」
後半のタラレバの話はいらないかな。
ヨーロッパの火薬庫
西洋版キングダム
チトーの長生きは無理だったとしても(享年88?)それを継承した後継者だったなら・・民族の違いって・・同じ地球人じゃない・・
私が幼稚園のとき、ヨーロッパの地図を作成してたときはユーゴスラビアでした。もう30年以上前の話ですが。それから中学生になって「ユーゴスラビアがなくなってる!? 」と気付いたときは衝撃でした。
ユーゴそんなことになってたのか😮
最高の独裁政権は最悪の民主主義に劣る
こういう動画の情報がいい加減だということを再認識できるという意味でありがたいほんともっと勉強して動画つくってください10点満点で2点
あとユーゴスラビアナショナルアーミー JNAのスポーツクラブのパルチザンベオグラードがあるね。
ドイツは統合してひとつの国になったのに。
セルビアの経済が雑魚いから起きてるなぁ
セルビア人ってロクなもんじゃないな
🇸🇮🇷🇸🇭🇷🇽🇰🇲🇪🇧🇦🇲🇰
チトー、優秀でイケメンで完璧すぎてずるい
サッカーのユーゴスラビア代表はマジで強かったなぁ・・・ピクシー、サビチェビッチ、ボバンとかマジでメンツすごかったチェコにはネドヴェドもいたし、東欧は本当強い
チトーの後ろ盾だったソ連が崩壊して、共産主義が力を喪ったのも大きい。
ゴルバチョフは「ソビエト連邦が崩壊すれば、抑え込んでいた民族問題が再び台頭して
東欧は大惨事になる」と西側と東欧諸国に散々警告したのに全員が知らんふりした。
案の定、ゴルバチョフの予感は的中した。
ユーゴスラビア内戦気になっていたので役立ちました!ありがとうございます
民族、言語、宗教と何から何までバラバラだったのによくチトーはまとめ上げたな
このユーゴ分裂の話になるとどうしてもオシムさんとオシムさんに率いられたユーゴ代表の事を思い出してしまう。分裂するのはいわば運命だったのかもしれない。でもユーゴが分裂するのがあと10年遅かったなら、92年のユーロと94年のW杯。ともにユーゴが優勝してたと今でも思ってるんだよね。
ユーロは結果デンマークが優勝でしたっけ?オランダ? なら可能性はありそうですね!
ワールドカップに関しては、ブラジルが一枚上手の感じしますw
ただタレントが豊富でロマンがありますよね!ピクシー ボバン ブロシネツキ ヤルニ サビチェビッチ ワールドカップで観てみたかった!
@@kszjfml4714 さん
94年のブラジル代表は予選でパッとしなかった事もあり国民からの期待は今ひとつ。しかしそんな状況を一変させたのが同年にイタリアで起きたアイルトン・セナのレース中での事故死。国民的ヒーローの突然の死に打ちひしがれたブラジル国民のためにとキャプテンドゥンガのもとに代表選手は一致団結。決勝でイタリアをPK戦の末に下して優勝。悲しみにくれるブラジル国民に明るい話題を届けることに成功しました。そしてブラジルに凱旋した選手達は出迎えたサポーターと一緒に
オ〜レ、オレオレオレ〜♪
セ〜ナ〜♪セ〜ナ〜♪
とセナに捧げるチャントを大合唱。
あのシーンはとてもジーンときたの覚えてます。
だから私は、セナの死がなければあの大会のブラジル代表は早期敗退していたと思ってます。仮にユーゴと対戦してたらチームとして絶頂期を迎えてたはずのユーゴの前に敗れた可能性が高かったかと。唯一勝てるとしたらPK戦までもつれたときのみだったと思いますね。
@@koitaku さん
たしかにブラジルは決して前評判は高くなかったですね。
セナの件もありますが、個人的に悪童ロマーリオの活躍が印象に残ってます。
ただオシムユーゴサッカーはパス回しと走るイメージがあるので、当時のアメリカの気候は実力を出せていなかったかもしれないと思ってます。また攻撃はタレントが豊富でしたが、守備面で・・・どうなったでしょうとも感じています。
ifの話しなので、どの様の結末なったか分かりませんが、何はともあれユーゴは可能性があったし、もっと観てみたかったですね。
@@kszjfml4714 相手よりもあのときのアメリカの暑さのほうが、オシムさんのサッカー考えたら優勝に向けての大きな壁となって立ちはだかったかもしれませんね。
@@kszjfml4714予選でユーゴに次ぐ2位。当時は予選1位と開催国の計8カ国のみだったため、本来は出場出来なかったが、ユーゴの出場権剥奪に伴い代替出場。そしてそのまま優勝でしたな。
こんな地域を一つにまとめていたチトーという人物の凄さよ・・・・・😅
そんなチトーが
「組織とは、、、」みたいな本を出版したら、思わず買ってしまうと思います😊
チトーの偉大さは誰も否定できないだろうけど、決して民主主義的な手法ではなく強権を振るっていたこともまた事実ですね。
しかもチトーかっこいいしファンになりましたよ。ユーゴスラビアは内戦のイメージで最悪な国としか思ってなかったんですがチトー時代のユーゴスラビアいいですね。
その後出鱈目な政治経済が始まった
@@Yankee-Tiffany さん、ミロシェビッチはマジでゴミですからね
1から7までの国
1つの連邦国家
2つの文字(ローマ字、キリル文字)
3つの宗教(カトリック、正教、イスラム教)
4つの言語(セルビア語、マケドニア語、スロベニア語、クロアチア語)
5つの民族(セルビア人、マケドニア人、スロベニア人、クロアチア人、ムスリム人)
6つの共和国(セルビア、モンテネグロ、マケドニア、スロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ)
7つの国境(イタリア、オーストリア、ハンガリー、ブルガリア、ルーマニア、アルバニア、ギリシャ)
ボスニアにはロミオとジュリエット橋と言う悲劇の場所が。
動画中で仰られた中でも経済的な点が特に分裂に繋がったと、アメリカのパデュー大学出版
A History of Yugoslaviaで指摘されていて、掻い摘むと以下のような内容です。
財政面で見ると、チトー さん時代に国を保っていたのは欧米からの借金と自国通貨の増刷で
当時、この国は近隣の国々よりもはるかに反映しているかに見えたが
それはこの国が借款により、実際の収入以上の生活をしていたからで 貿易赤字はこの借款によって埋め合わされていた。
インフレも止まらず、チトーさんが亡くなる1980年にはインフレ率は年30%にもなり、顕在失業者は80万人(人口2000万人中)であった。
海外の借款で実質所得は最高レベルに上昇。
これらの恩恵により魚、肉の消費は倍増。
家電製品や自家用車の購入。エネルギー消費は3倍以上に増加。
なお、チトーさん存命中は貿易赤字、インフレ、生活費、失業の増加など、深刻な危機の警告兆候は一貫して無視された。
結果、チトーさん亡き後の80年代末には溜まりに溜まった借款による深刻なインフレ(年数千%)と数百万の失業者を出し
実質所得は年1850ドルと欧州最低レベルになり
これに構成国同士の経済格差と所得格差により不満に引火するのは時間の問題でした。
このあたりの地域・国の歴史や政治体系を wikipedia 読んでも、ぐちゃぐちゃしていて良く分からなかったのだけど、この動画を見て、すっきりしたわ。ありがとうございます。
日本にもヒョーゴスラビア(セッツィア、タジマニア、タンバゴビナ、ハリマニア、アワジネグロ)があって、強力なイニシアティブを発揮したイドー前知事の後、現知事の施政下で軋みが生じているとか。
兵庫県は他県と違って県としての団結あんまないしなんなら市同士で揉めてる
大学の卒論がNATOで当時(00年頃)、まさにユーゴ内戦からの東方拡大がメインテーマだったので感慨深い内容
ある指導者は「ユーゴは生まれるべき国ではなかった」と嘆き、あるセルビア人は「本当の敵はクロアチアの背後にいるドイツだ」と警戒していた
民族が複雑に入り組んだ地域〜しかもアメリカ大陸のように移民ではなく、支配勢力の交替によって〜に人為的に国境線を引いたこと、スロベニア等の独立をEUが一方的に認めたことが一因とも
ユーゴ内戦で相次いだ民族浄化が、後年のNATO領域外活動に繋がり、これが東方への拡大〜NATOの不戦地域化への渇望を引き起こし〜ひいてはロシア国境への接触という、今のウクライナ戦争に繋がってるように感じる
かつて存在したオーストリア=ハンガリー帝国が多民族を統治するモデルと言われたのが痛い程理解できる
少なくとも彼の国は、民族の自治要求はなされても、独立まではどの民族も望んでいなかったとされているし
とはいえ、世界の数千の民族を200そこそこの国にまとめることがそもそも無理があるのかもしれない
この内戦から『クロアチアンラプソディ』って名曲が生まれたんだよな。
セルビアって、第一次大戦のきっかけともいえるサラエボ事件も起きてるし、オリンピック記念物は壊すしいい印象がないんですが。
ちょうど今ボスニアヘルツェゴビナにいるのでたまたまでびっくりしました!街並みと食事はヨーロッパ、物価は東南アジア、宗教はイスラムでアジア人はほとんどおらずほんと素晴らしい国です!皆さんも是非!!!!!
サラエボに住んでるけど、ボスニアに関しては街ごとに対立勢力が違ったり、トゥズラだけトゥズラ市民軍VSその他だったりと、これは民族、宗教戦争ではないと断言できる。単純に都市同士でお互いにバカにし合ってるからその憎しみが限界に達した、というのが本質だと思う。本当に他者をバカにし合う文化がエグい。
たぶん、この国家の事は(元サッカー日本監督の)〝イビチャ-オシム〟氏の生い立ちを知らなかったら、自分の頭の中に残らなかったかも…そこから〝ヨーロッパの火薬庫〟と呼ばれ、第一次世界大戦勃発の一因となった事も思い出しました。
他にユーゴ南北の経済格差の要因がWWⅡ後
農産物の価格を国際基準より低く設定し、逆に工業製品の価格が高く設定されていた点です。
これにより、国内の資本は二重帝国時代に工業整備された北部へ流れて行きました。
これは、国内工業に資金が少しでも注がれるための苦肉の策です。
WWⅡによりユーゴは国土荒廃で欧州最貧国化
ソ連と喧嘩別れして、軍事費はおいそれと減らせない事情がありました。
これにより、北部が工業化に対するアドバンテージを握り続けたため
南部の農業生産国は、その資本を北部に流出させる結果となりました。
それでも1番経済的に豊かだったスロベニアでも、自国で働くより、西側諸国で出稼ぎした方のが稼げると
1970、80年代に国内労働者は西側へ働きに行き、その分の穴埋めに南部の貧困地域の労働者をスロベニアで働かせる具合でした。
チトーさん存命中の1970年代前半には
雇用不足により、西側に人口2000万人中110万人もの出稼ぎ労働者を出し、西側の借款と雇用無しでは立ちいかなくなる経済状況となっていました。
民族や宗教や言語が違っても平和にできないものなんですかね
ユーゴと言えばオシムさん率いるユーゴチームの悲劇、ピクシーの怒り、そうそうクロアチア代表のBaby Lasagnaがユーロビジョンで今年大活躍でしたね
宗教が違うということは、それぞれの人が信じている真実が異なるということだと思います
多くの宗教では、神の言葉や聖典がそれを信じている人びとの真理と同一視されることが多いです
つまり、それぞれの人にとっての当たり前すぎる道徳観や社会システムそのものの常識が宗教によって変わってしまう可能性が高いということです
その違いを品位をもって譲り合えることが理想であると私も信じたいです
しかし、ある問題を解決するときに、どうしても妥協できない問題にぶつかってしまったとき、人びとは冷静でいられるのかは、やはり難しいと思います
移民の問題とかも、やっぱり同じ理由でなかなか考えさせられそうです……
「正直何を言っているのかさっぱり分からなかったよ。」
このくらい複雑な民族紛争だったってことだ。
ちなみに北マケドニアは、1991年の独立当初は「マケドニア共和国」を名乗っていて、それに対してギリシャは「マケドニア」はギリシャの地名であると主張、その一部に過ぎない地方がマケドニアを国家名として名乗る事まかりならんとして、「北マケドニア共和国」に落ち着いた。
そっくりの俳優を使ってチトーが墓から蘇った設定で紛争直前or初期の市井の人たちの話を聞くドキュメント番組を見たことがある。
市井?
何という番組?
@@Yankee-Tiffanyしせいと読む
なぜ1つに統一されていたことがあったのか?という方がタイトルとして良さそう
オーストリアとトルコに分かれてしまったのが悲劇だよな。一度トルコ領になって、オーストリアが奪還した地域(クロアチア・スロベニア)とトルコに残った地域(それ以外)に分かれて数百年過ごしてたら同じ国の同じ民族とは思えないしな。トルコがキリスト教に寛容だったからコソボとセルビアの対立に繋がってるのかもしれないし。
決断力と調整に優れたチトーさんですが、経済政策は悉く失敗しました。
ユーゴ建国〜滅亡までほぼ貿易赤字状態で、終ぞ構成国を繋ぎ止める産業を作り出せませんでした。
ソ連と袂を分つ時に導入した非経済的な自主管理主義が、後に経済危機を起こし
1965年に自由経済に移行しようとするも失敗。
常に資金不足と、雇用不足に苦しみ、その度に欧米からの借款と出稼ぎ労働者に頼りました。
そしてその借りた借款により、60年代後半には国の金融機関からクレジットやローンを乱発しました。
例えばチトーさん死後の年30%のインフレ時、年利10%の借金を国が保証。
残りの20%は国から国民へのプレゼントとして与える放漫財政と、補助金頼りのゾンビ企業を多数生み出しました。
そして、1973年のオイルショックによる不況と、74年憲法による構成国の借金乱発で
負債総額は73年〜81年(チトーさん死後の翌年)で 46 億ドル→ 210 億ドル(8年で4.5倍)に増加しました。
この額は東欧トップに借款を抱えたポーランドに並び。
債務返済比率DSRは43%と財政破綻したスリランカやギリシャに匹敵します。
こうして内戦が起こるまでに4桁%のインフレ、数百万の失業者が民族主義へ発展しました。
仰る通りだと思います。
最初に旧ユーゴスラビアから一抜けし、旧ユーゴスラビアで唯一のNATO加盟国のモンテネグロなのが、その際たる証左だと思いますね。
在日ウクライナ人の方の2021年の著書でも、流血の事態を見事に交わして、経済的にEUとの結びつきを強め、安全保障の面でNATOにいち早く加盟したモンテネグロの判断は正しかった旨書かれてあります。
紛争解決のために形式的であってもNATO軍が介入できたのはまだ良かった。
現在のウクライナ戦争はロシアが相手だからNATOは直接的に手を出せないのが痛い。
手を出したらそれこそ第三次世界大戦勃発の引き金になるし。
カリスマはそのときは絶大な求心力があるけど、やがて時代も変わるし、どんなカリスマ性のある人物も亡くなるわけで…
「さよなら妖精」を読んでそう言えば世界のことなんも知らんな私…と思い、色々調べたりしてここに辿り着きました。動画ありがとうございます。
1:29 セルビア北部のヴォイヴォディナは旧ハンガリー領ですね
ティトーと言うカリスマのおかげで成立できた国だったからなぁ、政治批判は許しても、民族批判は許さないがモットーだったし
チトーがカリスマ過ぎて、次代への期待が大きかった事と、やはり民族的主権の主張が分裂になったと思う
チトーさんのリーダーシップてすごかったんだろうな、キム一族よりかは絶対参考になる筈😆
逆だよ。
民族も言語も宗教も違うのに、一つの国であったことがおかしい。
共通していたのは、スラブ系の民族であることだけ。
言語に関しては別言語というほどの違いは無いんですよ。私自身、普通にスロベニア人とクロアチア人とセルビア人が普通にそれぞれの言語で互いに会話ができている光景を目の当たりにしたことがあります。スイスやベルギーのような状況とは全く違います。
@@tomatodo375参考になります。机の上で勉強しているだけではわからないことですね。
そもそも民族って何かって同じ言語を話す集団ってのが大きいから言語は一緒だよな。
@@tomatodo375言語に疎いので教えて欲しいのですが、日本で標準語と関西弁・福岡弁等の方言で話す様な感じで会話してるの?
@@kszjfml4714
それに近いと思いますよ。
当方ロシア語話せますがセルビア語は理解できます。ちなみにブルガリア語は古代キリル語で、日本で言うところの平安時代の言葉のようですが…😅
オシムさんと言えば、ユーゴ紛争で奥様を戦火の中に、2年間も残してしまった話が泣ける🥺
オシムさん自身はギリシャに居て、チームの指揮を執りながらも毎晩夜中に起き、伝手を頼って得た無線で連絡し続けていたとか
奥様は何とか無事に脱出出来たものの、多大な犠牲者が出た😭
本当に戦争は良くない🪖
やはり
ボスニアヘルツェゴビナ
各民族が独立せずユーゴが存続してた方が良かったみたいな結論はどうなんだ
モンテネグロの事全然触れてなくて草
10:28 国旗の見た目からしてスロバキアがチェコスロバキアから抜け出してチェコが残ったのかな?
12:04 クライナとウクライナという2つの言葉が似ている。どちらもスラブ人の言葉であるのが関係しているのだろうか。
サラエボでは、オリンピック(冬季)が開催されるくらい、平和な国だったハズが、サラエボのオリンピックスタジアムは戦争中、墓地だったとか? 何か、悲しい😢
ほぼ同時期のソ連崩壊が少なからず影響を与えた気がする。
それと、15:05戦犯=確かカラジッチ氏?だったと思う。
逃げまどっていたが、少し前に捕まった。
ティトーはまるでビスマルクみたいな存在か
チトーは差別を嫌っていたよね...。
選民思想は害にしかならんからね
ユーゴスラビアが分裂してなければオシムもミシャもピクシーも日本に来てなかったのかしら?
てかワールドカップやユーロでユーゴスラビア代表見たかった。
(´・ω・`)
カリスマ政治家ヨシップ・ブロズ没後、10年余で崩壊…。歴史を学べば1つの国だったのが不思議に思える。
古代ローマ時代に既にこの地が分裂に向かう兆しがあったし、セルビア王国誕生時にオブレノビッチ家とカラジョルジェビッチ家という2つの家が王家を巡って対立していたし…。
サラエボオリンピック当時の町並みは、とても綺麗だったのに。紛争後は見る影もなかったですね。
もともとこの地域には多くの民族が居住していたが、戦後はドイツとの戦争で活躍したチトー将軍が統治したので、だれもそれには反対できなかったのだ。
問題がそのチトーがなくなると、各民族間で主導権争いが起きてしまった。
その後の出鱈目な政治経済が暴力団とテロリストを産み、テロや犯罪と戦争を起こした。
ユーゴスラビア代表がまだ存在してたら絶対にワールドカップかユーロは優勝してたと思う。
両方とも優勝してたと私は思ってます。
クロアチア単独でも準優勝まで行ってますしね
クロアチアにブラホビッチが
入ると思うと恐ろしい。
トヨタカップで来日してたユーゴのクラブ強かったな。フリット、ファン・バステン、ライカールトのオランダトリオのミランより強いと言われていたから😊
EURO2024でセルビア国歌のときのブーイングの大きさ。
この手の話、セルビアだけ一方的に叩かれるよな。俺は結構セルビア好きだよ。スポーツクソ強いし
こないだ美女と野獣の演劇見に行ったんですがガストン役がめっちゃじゅんいちろうさんに似てました
単純に多民族の国家として、スイスを見習えというのは無理があると思いますよ。多民族国家でしかも正教、イスラム、カトリックなどの宗教が問題となっていますからね。スイスはしょせんキリスト教のみです。文化が違いすぎると思います。
イスラム教が絡んでる限り分裂回避は不可能です。
コソボと北マケドニアって名前でアフリカかと思ってた
多民族共生なんて不可能というのがこの戦争での教訓ですね。
単一民族で島国の日本が理想型なんだとわかりました。
アイヌ民族は?
@@渡岡優行 恨の者ですね。兵役義務を果たしてくださいね。
@@渡岡優行半島系の常套手段ってバレバレです。
アイヌ「は?」
琉球人「は?」
後半のタラレバの話はいらないかな。
ヨーロッパの火薬庫
西洋版キングダム
チトーの長生きは無理だったとしても(享年88?)
それを継承した後継者だったなら・・
民族の違いって・・同じ地球人じゃない・・
私が幼稚園のとき、ヨーロッパの地図を作成してたときはユーゴスラビアでした。
もう30年以上前の話ですが。
それから中学生になって「ユーゴスラビアがなくなってる!? 」と気付いたときは衝撃でした。
ユーゴそんなことになってたのか😮
最高の独裁政権は最悪の民主主義に劣る
こういう動画の情報がいい加減だということを再認識できるという意味でありがたい
ほんともっと勉強して動画つくってください
10点満点で2点
あとユーゴスラビアナショナルアーミー JNAのスポーツクラブのパルチザンベオグラードがあるね。
ドイツは統合してひとつの国になったのに。
セルビアの経済が雑魚いから起きてるなぁ
セルビア人ってロクなもんじゃないな
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チトー、優秀でイケメンで完璧すぎてずるい
サッカーのユーゴスラビア代表はマジで強かったなぁ・・・
ピクシー、サビチェビッチ、ボバンとかマジでメンツすごかった
チェコにはネドヴェドもいたし、東欧は本当強い