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南部と津軽で戦争やってます。戊辰戦争のときに、野辺地町で。色々対立の名残があって、八戸市の役場は八戸市役所と呼ばず八戸市庁と呼んだり。理由は津軽に置かれた県庁に対抗。高速の建設、鉄道建設もそうですし、新幹線が盛岡以北の開通に20年以上かかったのもそう。知事が変われば、もうそれはそれは・・・
東北高速道を北上すると安代ジャンクションで高速道が分岐するのだが、八戸道の方が2車線で太くて本道の方が1車線しか無いのはなんなんだろうw
@@TIshida360 諸説あると思うのですが、八戸は工業と漁業が盛んなこと。そして八戸港があるので、その原料や製品などの入出荷。さらに北海道連絡でもあること。その八戸から北上すると六ヶ所村の原燃開発があるので、優先的に・・・津軽vs南部の因縁の対決絡みもあるでしょうし、当時の知事は南部側。先祖は会津藩に祖を持つ方だったと思います。あと、高速を敷設する初期計画だと、元々八戸ルートと弘前ルートに別れていなかったと思います。東北道滝沢以北、本来R4に平行して建設する予定だったということも聞いたことあります。なので、弘前側から大反発があったと思われます。
青森って北海道を侵略しなかったんだな。せいぜい函館。
@@user-lp2mt1oi2o 領土は本州の半分ぐらいの面積が手に入るが
@@hanatosi2834 ど田舎で土地だけ広くてもなぁ、米も育たなかったし
南部出身のものとしては、こんなローカルの事を取り上げていただき大変嬉しく思います。
なんてマニアックな!ありがとうございます。感激しました
1963年に設置された八戸高専は、青森市と八戸市が誘致合戦をしたということです。しかし、八戸市は青森県庁に陳情することはせず、何と、盛岡市にある岩手県庁に陳情して関係者を驚かせたという記事が何十年も前の文芸春秋に載っていました。青森県の実情を知る上でのそういう関係の例として挙げられていました。
わかりやすい☺️
可愛い絵も良いが、地図上でどこら辺の話かがわかればもっと良かった
あー、確かに地理が苦手な人人には分かりづらいですよね!自分は信長の野望と桃鉄が昔から好きなので、大体の地理は頭に入ってるので理解するのは容易でした。
@@九十九そら丸ちゃんねる 隙をやってしまった
大河ドラマで東北戦国時代をやってほしい
渡辺謙さんが主役であった様な気がします。確か、伊達さんと藤原さんだった筈です。大河ドラマは史実をもとにした?忖度ドラマですが、歴史に興味を持つには良い番組だと思いますね。
天を衝くっていう作品があるんですが、俺もドラマ化してほしいと思っている作品です。
北畠顕家が主役の大河ドラマあったような?東北が舞台かというと微妙だけど…
@@焼飯バル雄 それ太平記じゃね?
言葉は通じ合ったんですかね。中央や南部との意思疎通。書簡なら可能だったのかな。最後にコンパクトに纏めてありましたが、それぞれの末裔もどこかで縁を感じてくれてるのかも。
すごーい😆⤴️ありがとうございます😊
八戸出身としては太宰治は同県人、宮沢賢治、石川啄木が同じ南部藩、さらに会津藩の人々は青森県に移転させられたから、会津藩にも親近感がある。
下北出身ですが、南部と津軽が何故犬猿の仲が続いているのかずっと不思議に思っていたのでこちらの動画で色々スッキリしました!ありがとうございます😊
元々、出は同じなのですが戦国時代ですからね。裏切り続けて、石川城、田舎楯城、浪岡御所(浪岡城)落城させたからバッチバッチですよね。
下北も旧南部藩ですよお
@@user-zg8to7qh2b 下北から柿崎家=松前氏が出ているし、柿崎家は安東氏=秋田氏の子分だから祖先を辿れば複雑なんだけどね。
マイナーエリア良い企画ですね、勉強になります!
いい企画だ、期待してます。
南部氏と津軽氏は犬猿の仲だったので江戸幕府も扱いには苦慮し、参勤交代の年を互い違いにして城中で両家の当主が会わないようにしていた。
定年した後、住みたい県でした。知人がいるので雰囲気を聞いたらどっちだか忘れましたが津軽と南部ひとごろしと嘘つきと、昔から仲が悪いと…こういう事だったんですね。勉強になりました。Iターンしたい気持ちは変わらないなぁ〜😄TVで見ると人柄が良さそうだし、災害も他県より少なめだし、農作物作ってみたくて…毎年、ふるさと納税してるんですよ😄
浪岡家が完全に忘れ去られている名門だったのは事実だが。
浪岡氏は子孫が檜山安東氏(後の秋田氏)にかくまわれていたという伝承がありますね。檜山は現在の能代市の中にあります。昔の繋がりで客分として迎えられたのでしょうか。浪岡城は手塚治虫の百物語の舞台だったりします。
地方の歴史は意外と奥が深く、根深い。
地元青森県の南部地域ですが青森県の歴史ってあまり知られてないからありがとうございます😭奥羽越列藩同盟で南部と津軽で戦争してから150年以上経ってるのに未だに対立してるというか仲悪いです。ケンミンショーでも取り上げられます。
とても分かりやすかったです!
地元民です(津軽)地元がネタになってるのが嬉しいです🙏
この企画は面白い。全国やってくれ
これから楽しみです!✌️
『信長の野望』の全国版を初めてプレイした時は興奮した
実家が青森市だったので、南部との軋轢の理由が理解できました!
6:40弘前から青森に県庁が移ったって、青森は津軽の内だから、野辺地か八戸にでも移転にならない限り、形勢逆転にはならいでしょ。 下斗米秀之進
戰國時代というより、青森県の簡単な歴史だった件について
地元民ですが、青森県の戦国時代にスポットを当てていただきありがとうございます。平安・鎌倉から遡って話をしていただけるなら、南部氏がなぜ太平洋側に来たのかも入れていただけたら嬉しかったですね。それと戦国時代末期の秀吉に反旗を翻した、九戸氏とかもいいですね。あと、津軽為信は出生不明という謎や、信枚の家督相続についての逸話も面白いですね。また、秋田氏との抗争は、南部氏、津軽氏両方と争っていたこと、領地を交換し合っていたことなど、今の青森県の県境ができる要因となったのも戦国時代ですね。江戸時代の石高について、南部氏と津軽氏では実質的に逆転していたことなど、気候的にそうなってしまったエピソードを入れると地政学的な話もできますね。幕末から明治の廃藩置県の折には、官軍に会津で敗れた会津藩の方々が下北半島に斗南藩として飛ばされた話も入れてもよかったですね。面白かったです。今後も頑張ってください。
とても面白かったです!新潟県では戊辰戦争の影響で長岡と新発田の仲が悪いと聞いたことがあります。
江戸時代、米を作りづらい気候なのに無理やり作らされて、凶作になると地獄の地獄みたいな状況になっていた東北地方は気の毒だ🥺
寒いところほど米は旨くなる、弥生時代から稲作が盛んな所ですからね。今も昔も大変なのは、かわらないけど。
津軽家は存続の為に賢かったと思う。取り上げてないのを言えば、徳川家康の養女満天姫を妻にしたり、日本で最初の東照宮の勧請をし弘前に東照宮を建立したり、その時代に合わせてうまく行動を起こしてる感じします。残念なのは弘前城建立当初の豪華絢爛な天守閣が落雷により焼失し現存していないところです。どこかのお金持ちさんが復元してくれないかな〜笑。
津軽と南部が仲悪いことは知っててたけどこんなに長く続いてたのか
青森県出身で父母は津軽と南部のハーフ…という事になるか、俺?
同じくです。今は南部の方に住んでいますが、お盆などで津軽の方にいくとなぜか帰ってきたなーと感じる時があります。遺伝子レベルでの刷り込みなのでしょうかね。笑
水戸黄門第二部で旅に出る理由が津軽・南部の揉め事だったなやはり不仲ネタではこの両藩なんだな
東京人「Aさん青森県出身なんだー!Bさんも青森出身なんだよ!」A「はじめまして。青森のどこなんですか?」B「弘前です」A「あっ...私八戸なんですよね」B「あーそうなんですね」お互いに気まずくなるやつ
めっちゃわかる。
戊辰戦争時に野辺地で南部家と津軽家が戦争した場所は今でも史跡として国道4号沿いにあり、確か弾除けの盛り土とかが残っていた筈。野辺地の隣の平内町は、藩政時代は弘前藩の支藩として誕生した黒石藩の飛び地であり、南部藩領と向かい合った対南部最前線だった。黒石出身で大正12年生まれの亡き祖父は、子供の頃にこの野辺地戦争で身体の一部を失った方を街中で見たことがあると言っていた。
青森市民だが今はもう津軽と南部でどうこう言ってる人なんてジジババくらいしかおらん。
津軽衆と南部衆が合わないのは戦国時代からの伝統だね💦
血を流してまで南部を攻撃したのに、結局一緒にされる弘前 ドンマイ
八戸出身の新人と、青森市出身の係長仲が悪いしなぁ。八戸は青森県の経済を支えてるのに、青森と弘前がでかい顔してるのが、気に入らないようです。
北海道や沖縄も戦国時代何が起きていたのか全然わからない
絵がかわいい😂
津軽と南部の丁度真ん中の青森市を県庁にした人は本当に賢いと思う!
アレどちらかと言うと津軽だと思う・・・
故郷秋田の戦国時代楽しみにしてます。特に夜叉九郎・戸沢盛安の解説をよろしくお願いします。
戸沢家って角館とか雫石が根拠地だったんだな。山形に戸沢村ってのがあるから、勝手に山形が根拠地だと思ってた。何故秋田?と思ってwiki見て初めて知った
@@S_McQueen そうですね。徳川によって加増移封されて、新庄藩の祖になりました。
@@高橋研司-v7b 明治まで家保ったんだから大したもんだよね、欧州ではあの最上や大崎、葛西なんて名門でも取り潰されたのに、まあ、大したモンだ
二つの藩が有って対立もしながらもとりあえずは和解して共存はしてるんだな~でも仲は悪いのか・・
最北端は松前藩ですえ!少しは知っていただきたく思いますわ!❤
新しい切り口で面白いです
9分近い動画で戦国時代の話30秒くらいでワロタwwww
糠部、信枚、よほど調べないとこれ読めないんですよねぇ。
大阪にも枚方(ひらかた)という地名がありますし(岡田准一のひらパー兄さんのアレ)、枚をひらと読むのは全国共通だったかもしれませんね。
「撫牛子」、「小比内」、「門外」↑読めますか?*地名です🙋
2年だけ存在した斗南藩をご存知でしょうか?と言う私も最近知ったんですけどね。
新撰組の斎藤一が少しの期間、斗南藩預かりだったかと。確か。
「相馬大作事件」入れてくれなくちゃだわ(わら
貧乏でもいいから岩手県北部と八戸経済圏で別の県にしてほしいわ
津軽為信は上洛時世話してくれた石田三成にとても親しみを持ってたようです石田家滅亡後に遺児を引き取り息子は家格ある名跡あたえて家老にして娘は時期当主の正妻にしたんだよね普通に考えたらリスクだけでメリットなにもないのに損得で測れない独自の価値観もってた人なんだろうな
大変勉強になりました津軽と南部仲悪い弘前 青森 八戸県庁所在地で争うのも納得出来ました歴史の勉強って大事だと思う
県知事も津軽→津軽→津軽→南部→津軽→南部と。今の青森県知事(三村知事)は南部地方の出身なので、今、青森県政を制しているのは南部ですね。自分は津軽の人間ですが、三村知事は結構、庶民的で好きですよ。
私はイメージで南部晴政と津軽為信と思います
今度は、成田統治時代の戦国時代を解説してください
タイムスリップしてこの時代の風情を見てみたい
弘前出身の奴がやたらと南部に対抗心燃やしてくるの本当にきもい。
青森出身の大先輩はいう、今も南部と津軽が微妙な関係なのは戦国時代からだ、と微妙な関係とは?なんでも、中学の修学旅行や遠足で両者がかち合うと「お前どこ中か」から始まって「ケッ!南部やつらか!」と地域範囲でいがみ合うことが必ずあったそうですw
津軽為信は某野望シリーズでも描かれ方が違っていて面白い。天翔記時代は裏切り者の極悪人設定で内部データの忠誠度も松永久秀同様にワーストクラス。高い能力から軍団長候補に挙がりやすいが任免すると高確率(というかほぼ確実)に寝返ったり、独立したりする。しかし、昨今の作品では南部支配時代の重税に苦しむ村人達を救うため立ち上がった英雄として描かれている。実際弘前城前に銅像があるから最上義光同様に民衆には支持されていたのだろう。抗争が長期化したのも、県の東西が中央にそびえる山々で分断されているような地勢だから人々の往来もしずらかったのも原因の一つではなかろうか。
解り易い解説です
おもしろかったですが、絵ばかりでなく地図とかを用いて解説してほしかったです
東北って戦が少なかったのか?全く知られてませんよね。知らない事を取り上げてくれて勉強に成りました。
いまだに青森では南部と津軽の人は仲が悪いと聞きますよね
でも、実は私はそのハーフ…。
俺!津軽、嫁!南部出身、息子ハーフw改めて気にした事ないな。知り合ったのも、東京出だし。
わたしもハーフwというか、ここでハーフという言葉を使う事になるとは思わなかった…
TV等のメディアが煽っているだけです。地元の人間は仲が悪いとか対立を強調されると非常に腹立たしいと感じています。
南部藩士の子孫です。南部のラストサムライである楢山佐渡守は三閉伊一揆の尻ぬぐいで仙台藩に借りがあり、その恩返しとして負け戦と分かって旧幕府軍につきました。殿(しんがり)の時に秋田で卑怯なことをしましたが、そこでも秋田と揉めてます。大浦為信はこれまた卑怯な手段で殿(との)を裏切り嘘をついてまで秀吉に取り入って領地をかすめ取りました。なので青森と岩手も仲が悪い。ちなみに南部家も難癖をつけて秋田の豪商や豪農から私財を奪い取るなどして赤字を乗り切ろうとか卑怯なことをしてました。長くなるのでとりあえずここまで。
ヤンウェンリーさん 「南部家も難癖~奪い取る」の内容を知りたいです。
仙台藩「お前ら大人になれよ」
南部と津軽の対立の元は南部(石川)高信と息子の信直による主家乗っ取りに端を発している。南部右京之介(津軽為信)は独立しないといけない立場に追いやられた。
津軽の者です。動画と全く違う歴史の話を知ってます。しかし歴史は諸説あると言われてますから、間違いとは言えません。確かめますね。m(_ _)m
津軽家は江戸時代、南部家に滅ぼされないように東照宮を勧進したなんて話も残ってます。でもミッツの子孫匿ってる(幕府にもバレてる)し一筋縄でいかない藩ですね。
いわゆる戦国時代の支配地図を見ると、畿内、東海、関東などは、せ勢力図がコロコロ変わるのに、東北は勢力図がほとんど変わらないまま、太閤の天下統一に至る一説には、冬は雪深く寒い地域なので、なかなか身動きが取れないのと、農業生産力に乏しく、なかなか他国に攻め込む余力が無かったと言われるその中にあって、勢力図を書き換えた数少ない勢力が、津軽や伊達なんですよね
図々しいけど、地図で説明してもらったらもっとわかりやすいかも。
今でも、青森県は津軽地方(津軽氏)県庁所在地のある中部(青森)南部氏支配下の東部(南部氏)と地方柄が強い所、政治家の出身地での選挙🗳でも歴史的影響が強いとされているとされてます。
東北。奥州藤原市滅亡以降、伊達政宗と最上義光(鮭様❤️)が出てくるまで、まったく知識がなかったのでうれしいです。
「ご当地戦国特集」期待してます。特に山形県と北海道。山形県といえば最上氏ばかりがクローズアップされますが、最上氏に抵抗した国人領主も結構いたので、そこらへんを。北海道といえば松前氏しかいないようなイメージもありますが、和人から「惣大将」と呼ばれたアイヌの首長が複数おり、それらのアイヌ勢力の「イオル(漁・猟圏)」争いに端を発し、松前藩を巻き込んで、さながら蝦夷の戦国と化した「シャクシャイン戦争」とかそこらへんを。
山形と言えば、幕末に新政府軍を相手に堂々とやり合った庄内藩を取り上げて欲しいですね!
そう言えば服部天皇と最上氏の関係も言及して欲しいですね。何故あそこまで目の敵にしたのかを。
ところどころ字幕と読み上げが違ってるのが気になりすぎる
東北地方は奥州藤原三代の「炎(ほむら)立つ」か義経末期の頃しか注目されないから各県に分けて戦国時代の状況を解説するのは面白いですね。(逆にマジョリティの愛知県は説明するまでもないですねと飛ばされちゃいそう。(汗))
青森県民だけど、こんな貧乏な県金があったら出て行きたいよ…
貴方様のおっしゃる通りです。お金だけでは無く人間感情も入ります
私はすぐに下衆い噂話やそれが近所にすぐ広まる所が嫌いです。もう関東来て20年になりますが他人だらけで住みやすいです。
出ていかないから金がないんだよw
@@ライザーレモンRG あっぱれあっはぁはぁ🤣😂😂
@@竹中彰-q6y そのお陰で東京の人は冷たいと言われるんだけどね、3代以上続いた江戸っ子は人情があるんだけどなぁ。
ぶっちゃけ陸奥の覇者って伊達家じゃなくて南部家だよね。
そういう覇者が衰退するきっかけは大概跡目争いなんですよね・・・
領土の広さは南部…石高は伊達…。
そこで「牛と午」の逸話ですよw
南奥州勢力従えて「奥州一統」の称号貰った佐竹義重の事も忘れないであげてください
覇者というほどのものじゃないよ。南部信直が高水寺(現在の岩手県紫波町)の斯波氏を駆逐したのが南限。奥州仕置きのどさくさに家内の九戸一派をまとめて駆逐して、閉伊、稗貫、和賀(この辺りはそこそこ米獲れる)を獲得したってこと。ふむ、上手くやったものだな。
津軽と南部が仲悪いってのはこういう経緯があったからか!なかなか面白かったです!
400年以上経った今も、やんわり対立してる。下北半島地域は主に、歴史的背景から会津地方から来人々です。
たしかに一般的に近畿東海以外はマイナーではあるな…よくて伊達政宗の仙台あたりまでかな…
段々南下していくのかな?蝦夷の松前(蠣崎)氏は、紹介有るのでしょうか。
その北の北海道では、戦国時代はありませんでした。
これ、いまだに尾を引いてるからね南部の人は津軽の人をずるい人達だと思ってる弘前の人は青森よりこっちが進んでると思ってる
今でも旧津軽藩と旧南部藩の地域はライバル視してますよね。なんたって横断道路はなく行き来しにくいし、こぎんは南部刺しだし。イングランドとスコットランドみたいです。
勝敗が決まっていれば良好とまではいかなくともそれなりの関係を築けていたかな。
そして津軽統一最後の城が飯詰にある高楯城。さらに津軽家の家老は石田三成の子孫。
津軽為信は藤原秀栄(秀衡の弟)の末裔を自称してたんじゃなかったかな?
県民です。うれしい。
興味持たないと地元民でもこういう事は知らないし調べないからなぁ(この動画で知った南部側県民)対立は昔から聞いてたけど、いうて若い層はそのへんどうでも良い気もするけどね
奥州藤原滅亡以降は南部と津軽がいた以外ほとんど知らなかった・・・・・・というより興味がなかったな
明治初期に「弘前県」「八戸県」「七戸県」「斗南県」が合併して青森県が誕生。弘前は新政府側に付き、八戸藩と七戸藩は中立であった為に減俸等の処罰は無し。ただ、本家の盛岡藩は大幅減俸だった為、財政的に八戸との合併が厳しかったと本で読んだ記憶があります。八戸藩の殿様は島津氏の出身。実家の薩摩藩と本家の盛岡藩に挟まれ大変だったでしょう。斗南藩は元会津藩。犬猿の仲の津軽と南部をくっつけたのは、会津が間に入った事も大きいかも?
ちなみに青森県知事は、図ったように南部と津軽が交互に勤めています。
阿弖流為の時代が知りたいです。
西日本だと土地勘がないので、地図を入れてほしいです
津軽海峡冬景色ということですね😸
昔津軽と南部は仲が悪かったかもしれないが、津軽出身の俺は南部の八戸の学校に進学し、そこで南部の同級生と仲良く遊んでいたよ。津軽と南部で方言が違っていたのが面白くて、学校を卒業する頃にはすっかり南部弁を話していた。
青森に何年かいましたが、弘前と八戸は、本当に毛嫌いし合ってますねハタからみたら、どっちも青森じゃん、仲良くしたらいいのに、としかみえないんですけどねどっちも何しゃべってるかわからん
青森県出身ですが仙台に5年住んで戻ったら…もう方言がわからない状態になっていた。
そもそも方言も違うので。津軽と南部。方言で言えばほぼ通じません。
栃木県もやって下さい。
この内容で「青森県の戦国時代の状況」と言われるのは違和感があるな。「青森県の歴史」にすればまあわかるが。
東北地方の陸奥と青森県の陸奥がごっちゃになってない?
南部と津軽で戦争やってます。戊辰戦争のときに、野辺地町で。
色々対立の名残があって、八戸市の役場は八戸市役所と呼ばず八戸市庁と呼んだり。理由は津軽に置かれた県庁に対抗。
高速の建設、鉄道建設もそうですし、新幹線が盛岡以北の開通に20年以上かかったのもそう。
知事が変われば、もうそれはそれは・・・
東北高速道を北上すると安代ジャンクションで高速道が分岐するのだが、八戸道の方が2車線で太くて本道の方が1車線しか無いのはなんなんだろうw
@@TIshida360 諸説あると思うのですが、八戸は工業と漁業が盛んなこと。
そして八戸港があるので、その原料や製品などの入出荷。さらに北海道連絡でもあること。
その八戸から北上すると六ヶ所村の原燃開発があるので、優先的に・・・
津軽vs南部の因縁の対決絡みもあるでしょうし、当時の知事は南部側。先祖は会津藩に祖を持つ方だったと思います。
あと、高速を敷設する初期計画だと、元々八戸ルートと弘前ルートに別れていなかったと思います。
東北道滝沢以北、本来R4に平行して建設する予定だったということも聞いたことあります。
なので、弘前側から大反発があったと思われます。
青森って北海道を侵略しなかったんだな。せいぜい函館。
@@user-lp2mt1oi2o 領土は本州の半分ぐらいの面積が手に入るが
@@hanatosi2834 ど田舎で土地だけ広くてもなぁ、米も育たなかったし
南部出身のものとしては、こんなローカルの事を取り上げていただき大変嬉しく思います。
なんてマニアックな!ありがとうございます。感激しました
1963年に設置された八戸高専は、青森市と八戸市が誘致合戦をしたということです。しかし、八戸市は青森県庁に陳情することはせず、何と、盛岡市にある岩手県庁に陳情して関係者を驚かせたという記事が何十年も前の文芸春秋に載っていました。青森県の実情を知る上でのそういう関係の例として挙げられていました。
わかりやすい☺️
可愛い絵も良いが、地図上でどこら辺の話かがわかればもっと良かった
あー、確かに地理が苦手な人人には分かりづらいですよね!
自分は信長の野望と桃鉄が昔から好きなので、大体の地理は頭に入ってるので理解するのは容易でした。
@@九十九そら丸ちゃんねる 隙をやってしまった
大河ドラマで東北戦国時代をやってほしい
渡辺謙さんが主役であった様な気がします。
確か、伊達さんと藤原さんだった筈です。
大河ドラマは史実をもとにした?忖度ドラマですが、歴史に興味を持つには良い番組だと思いますね。
天を衝くっていう作品があるんですが、俺もドラマ化してほしいと思っている作品です。
北畠顕家が主役の大河ドラマあったような?
東北が舞台かというと微妙だけど…
@@焼飯バル雄 それ太平記じゃね?
言葉は通じ合ったんですかね。中央や南部との意思疎通。書簡なら可能だったのかな。
最後にコンパクトに纏めてありましたが、それぞれの末裔もどこかで縁を感じてくれてるのかも。
すごーい😆⤴️
ありがとうございます😊
八戸出身としては太宰治は同県人、宮沢賢治、石川啄木が同じ南部藩、さらに会津藩の人々は青森県に移転させられたから、会津藩にも親近感がある。
下北出身ですが、南部と津軽が何故犬猿の仲が続いているのかずっと不思議に思っていたので
こちらの動画で色々スッキリしました!
ありがとうございます😊
元々、出は同じなのですが戦国時代ですからね。裏切り続けて、石川城、田舎楯城、浪岡御所(浪岡城)落城させたからバッチバッチですよね。
下北も旧南部藩ですよお
@@user-zg8to7qh2b 下北から柿崎家=松前氏が出ているし、柿崎家は安東氏=秋田氏の子分だから祖先を辿れば複雑なんだけどね。
マイナーエリア良い企画ですね、勉強になります!
いい企画だ、期待してます。
南部氏と津軽氏は犬猿の仲だったので江戸幕府も扱いには苦慮し、参勤交代の年を互い違いにして城中で両家の当主が会わないようにしていた。
定年した後、住みたい県でした。
知人がいるので雰囲気を聞いたら
どっちだか忘れましたが
津軽と南部
ひとごろしと嘘つき
と、昔から仲が悪いと…
こういう事だったんですね。
勉強になりました。
Iターンしたい気持ちは変わらないなぁ〜😄
TVで見ると人柄が良さそうだし、災害も他県より少なめだし、
農作物作ってみたくて…
毎年、ふるさと納税してるんですよ😄
浪岡家が完全に忘れ去られている
名門だったのは事実だが。
浪岡氏は子孫が檜山安東氏(後の秋田氏)にかくまわれていたという伝承がありますね。檜山は現在の能代市の中にあります。昔の繋がりで客分として迎えられたのでしょうか。浪岡城は手塚治虫の百物語の舞台だったりします。
地方の歴史は意外と奥が深く、根深い。
地元青森県の南部地域ですが青森県の歴史ってあまり知られてないからありがとうございます😭
奥羽越列藩同盟で南部と津軽で戦争してから150年以上経ってるのに未だに対立してるというか仲悪いです。ケンミンショーでも取り上げられます。
とても分かりやすかったです!
地元民です(津軽)
地元がネタになってるのが嬉しいです🙏
この企画は面白い。全国やってくれ
これから楽しみです!✌️
『信長の野望』の全国版を初めてプレイした時は興奮した
実家が青森市だったので、南部との軋轢の理由が理解できました!
6:40弘前から青森に県庁が移ったって、青森は津軽の内だから、野辺地か八戸にでも移転にならない限り、形勢逆転にはならいでしょ。
下斗米秀之進
戰國時代というより、青森県の簡単な歴史だった件について
地元民ですが、青森県の戦国時代にスポットを当てていただきありがとうございます。
平安・鎌倉から遡って話をしていただけるなら、南部氏がなぜ太平洋側に来たのかも入れていただけたら嬉しかったですね。
それと戦国時代末期の秀吉に反旗を翻した、九戸氏とかもいいですね。
あと、津軽為信は出生不明という謎や、信枚の家督相続についての逸話も面白いですね。
また、秋田氏との抗争は、南部氏、津軽氏両方と争っていたこと、領地を交換し合っていたことなど、今の青森県の県境ができる要因となったのも戦国時代ですね。
江戸時代の石高について、南部氏と津軽氏では実質的に逆転していたことなど、気候的にそうなってしまったエピソードを入れると地政学的な話もできますね。
幕末から明治の廃藩置県の折には、官軍に会津で敗れた会津藩の方々が下北半島に斗南藩として飛ばされた話も入れてもよかったですね。
面白かったです。今後も頑張ってください。
とても面白かったです!
新潟県では戊辰戦争の影響で長岡と新発田の仲が悪いと聞いたことがあります。
江戸時代、米を作りづらい気候なのに無理やり作らされて、凶作になると地獄の地獄みたいな状況になっていた東北地方は気の毒だ🥺
寒いところほど米は旨くなる、弥生時代から稲作が盛んな所ですからね。今も昔も大変なのは、かわらないけど。
津軽家は存続の為に賢かったと思う。取り上げてないのを言えば、徳川家康の養女満天姫を妻にしたり、日本で最初の東照宮の勧請をし弘前に東照宮を建立したり、その時代に合わせてうまく行動を起こしてる感じします。残念なのは弘前城建立当初の豪華絢爛な天守閣が落雷により焼失し現存していないところです。どこかのお金持ちさんが復元してくれないかな〜笑。
津軽と南部が仲悪いことは知っててたけどこんなに長く続いてたのか
青森県出身で父母は津軽と南部のハーフ…という事になるか、俺?
同じくです。
今は南部の方に住んでいますが、お盆などで津軽の方にいくとなぜか帰ってきたなーと感じる時があります。
遺伝子レベルでの刷り込みなのでしょうかね。笑
水戸黄門第二部で旅に出る理由が津軽・南部の揉め事だったな
やはり不仲ネタではこの両藩なんだな
東京人「Aさん青森県出身なんだー!Bさんも青森出身なんだよ!」
A「はじめまして。青森のどこなんですか?」
B「弘前です」
A「あっ...私八戸なんですよね」
B「あーそうなんですね」
お互いに気まずくなるやつ
めっちゃわかる。
戊辰戦争時に野辺地で南部家と津軽家が戦争した場所は今でも史跡として国道4号沿いにあり、確か弾除けの盛り土とかが残っていた筈。
野辺地の隣の平内町は、藩政時代は弘前藩の支藩として誕生した黒石藩の飛び地であり、南部藩領と向かい合った対南部最前線だった。
黒石出身で大正12年生まれの亡き祖父は、子供の頃にこの野辺地戦争で身体の一部を失った方を街中で見たことがあると言っていた。
青森市民だが今はもう津軽と南部でどうこう言ってる人なんてジジババくらいしかおらん。
津軽衆と南部衆が合わないのは戦国時代からの伝統だね💦
血を流してまで南部を攻撃したのに、結局一緒にされる弘前 ドンマイ
八戸出身の新人と、青森市出身の係長仲が悪いしなぁ。
八戸は青森県の経済を支えてるのに、青森と弘前がでかい顔してるのが、気に入らないようです。
北海道や沖縄も戦国時代何が起きていたのか全然わからない
絵がかわいい😂
津軽と南部の丁度真ん中の青森市を県庁にした人は本当に賢いと思う!
アレどちらかと言うと津軽だと思う・・・
故郷秋田の戦国時代楽しみにしてます。
特に夜叉九郎・戸沢盛安の解説をよろしくお願いします。
戸沢家って角館とか雫石が根拠地だったんだな。
山形に戸沢村ってのがあるから、
勝手に山形が根拠地だと思ってた。
何故秋田?と思ってwiki見て初めて知った
@@S_McQueen そうですね。徳川によって加増移封されて、新庄藩の祖になりました。
@@高橋研司-v7b
明治まで家保ったんだから大したもんだよね、欧州ではあの最上や大崎、葛西なんて名門でも取り潰されたのに、まあ、大したモンだ
二つの藩が有って対立もしながらもとりあえずは和解して共存はしてるんだな~でも仲は悪いのか・・
最北端は松前藩ですえ!少しは知っていただきたく思いますわ!❤
新しい切り口で面白いです
9分近い動画で戦国時代の話30秒くらいでワロタwwww
糠部、信枚、よほど調べないとこれ読めないんですよねぇ。
大阪にも枚方(ひらかた)という地名がありますし(岡田准一のひらパー兄さんのアレ)、
枚をひらと読むのは全国共通だったかもしれませんね。
「撫牛子」、「小比内」、「門外」
↑読めますか?
*地名です🙋
2年だけ存在した斗南藩をご存知でしょうか?
と言う私も最近知ったんですけどね。
新撰組の斎藤一が少しの期間、斗南藩預かりだったかと。確か。
「相馬大作事件」入れてくれなくちゃだわ(わら
貧乏でもいいから岩手県北部と八戸経済圏で別の県にしてほしいわ
津軽為信は上洛時世話してくれた石田三成にとても親しみを持ってたようです
石田家滅亡後に遺児を引き取り息子は家格ある名跡あたえて家老にして娘は時期当主の正妻にしたんだよね
普通に考えたらリスクだけでメリットなにもないのに損得で測れない独自の価値観もってた人なんだろうな
大変
勉強になりました
津軽と南部
仲悪い
弘前 青森 八戸
県庁所在地で争うのも
納得出来ました
歴史の勉強って
大事だと思う
県知事も津軽→津軽→津軽→南部→津軽→南部と。
今の青森県知事(三村知事)は南部地方の出身なので、今、青森県政を制しているのは南部ですね。
自分は津軽の人間ですが、三村知事は結構、庶民的で好きですよ。
私はイメージで南部晴政と津軽為信と思います
今度は、成田統治時代の戦国時代を解説してください
タイムスリップしてこの時代の風情を見てみたい
弘前出身の奴がやたらと南部に対抗心燃やしてくるの本当にきもい。
青森出身の大先輩はいう、今も南部と津軽が微妙な関係なのは戦国時代からだ、と
微妙な関係とは?
なんでも、中学の修学旅行や遠足で両者がかち合うと「お前どこ中か」から始まって「ケッ!南部やつらか!」と地域範囲でいがみ合うことが必ずあったそうですw
津軽為信は某野望シリーズでも描かれ方が違っていて面白い。
天翔記時代は裏切り者の極悪人設定で内部データの忠誠度も松永久秀同様にワーストクラス。高い能力から軍団長候補に挙がりやすいが任免すると高確率(というかほぼ確実)に寝返ったり、独立したりする。
しかし、昨今の作品では南部支配時代の重税に苦しむ村人達を救うため立ち上がった英雄として描かれている。実際弘前城前に銅像があるから最上義光同様に民衆には支持されていたのだろう。
抗争が長期化したのも、県の東西が中央にそびえる山々で分断されているような地勢だから人々の往来もしずらかったのも原因の一つではなかろうか。
解り易い解説です
おもしろかったですが、絵ばかりでなく地図とかを用いて解説してほしかったです
東北って戦が少なかったのか?全く知られてませんよね。知らない事を取り上げてくれて勉強に成りました。
いまだに青森では南部と津軽の人は仲が悪いと聞きますよね
でも、実は私はそのハーフ…。
俺!津軽、嫁!南部出身、息子ハーフw
改めて気にした事ないな。知り合ったのも、東京出だし。
わたしもハーフw
というか、ここでハーフという言葉を使う事になるとは思わなかった…
TV等のメディアが煽っているだけです。
地元の人間は仲が悪いとか対立を強調されると非常に腹立たしいと感じています。
南部藩士の子孫です。南部のラストサムライである楢山佐渡守は三閉伊一揆の尻ぬぐいで仙台藩に借りがあり、その恩返しとして負け戦と分かって旧幕府軍につきました。殿(しんがり)の時に秋田で卑怯なことをしましたが、そこでも秋田と揉めてます。大浦為信はこれまた卑怯な手段で殿(との)を裏切り嘘をついてまで秀吉に取り入って領地をかすめ取りました。なので青森と岩手も仲が悪い。ちなみに南部家も難癖をつけて秋田の豪商や豪農から私財を奪い取るなどして赤字を乗り切ろうとか卑怯なことをしてました。長くなるのでとりあえずここまで。
ヤンウェンリーさん 「南部家も難癖~奪い取る」の内容を知りたいです。
仙台藩「お前ら大人になれよ」
南部と津軽の対立の元は南部(石川)高信と息子の信直による主家乗っ取りに端を発している。南部右京之介(津軽為信)は独立しないといけない立場に追いやられた。
津軽の者です。
動画と全く違う歴史の話を知ってます。
しかし歴史は諸説あると言われてますから、間違いとは言えません。
確かめますね。m(_ _)m
津軽家は江戸時代、南部家に滅ぼされないように東照宮を勧進したなんて話も残ってます。
でもミッツの子孫匿ってる(幕府にもバレてる)し一筋縄でいかない藩ですね。
いわゆる戦国時代の支配地図を見ると、畿内、東海、関東などは、せ勢力図がコロコロ変わるのに、東北は勢力図がほとんど変わらないまま、太閤の天下統一に至る
一説には、冬は雪深く寒い地域なので、なかなか身動きが取れないのと、農業生産力に乏しく、なかなか他国に攻め込む余力が無かったと言われる
その中にあって、勢力図を書き換えた数少ない勢力が、津軽や伊達なんですよね
図々しいけど、地図で説明してもらったらもっとわかりやすいかも。
今でも、青森県は津軽地方(津軽氏)
県庁所在地のある中部(青森)
南部氏支配下の東部(南部氏)
と地方柄が強い所、政治家の出身地での選挙🗳でも歴史的影響が強いとされているとされてます。
東北。奥州藤原市滅亡以降、伊達政宗と最上義光(鮭様❤️)が出てくるまで、まったく知識がなかったのでうれしいです。
「ご当地戦国特集」期待してます。
特に山形県と北海道。
山形県といえば最上氏ばかりがクローズアップされますが、最上氏に抵抗した国人領主も結構いたので、そこらへんを。
北海道といえば松前氏しかいないようなイメージもありますが、和人から「惣大将」と呼ばれたアイヌの首長が複数おり、それらのアイヌ勢力の「イオル(漁・猟圏)」争いに端を発し、松前藩を巻き込んで、さながら蝦夷の戦国と化した「シャクシャイン戦争」とかそこらへんを。
山形と言えば、幕末に新政府軍を相手に堂々とやり合った庄内藩を取り上げて欲しいですね!
そう言えば服部天皇と最上氏の関係も言及して欲しいですね。
何故あそこまで目の敵にしたのかを。
ところどころ字幕と読み上げが違ってるのが気になりすぎる
東北地方は奥州藤原三代の「炎(ほむら)立つ」か義経末期の頃しか注目されないから
各県に分けて戦国時代の状況を解説するのは面白いですね。
(逆にマジョリティの愛知県は説明するまでもないですねと飛ばされちゃいそう。(汗))
青森県民だけど、こんな貧乏な県
金があったら出て行きたいよ…
貴方様のおっしゃる通りです。
お金だけでは無く人間感情も入ります
私はすぐに下衆い噂話やそれが近所にすぐ広まる所が嫌いです。もう関東来て20年になりますが他人だらけで住みやすいです。
出ていかないから金がないんだよw
@@ライザーレモンRG
あっぱれ
あっはぁはぁ🤣😂😂
@@竹中彰-q6y
そのお陰で東京の人は冷たいと言われるんだけどね、
3代以上続いた江戸っ子は人情があるんだけどなぁ。
ぶっちゃけ陸奥の覇者って伊達家じゃなくて南部家だよね。
そういう覇者が衰退するきっかけは大概跡目争いなんですよね・・・
領土の広さは南部…石高は伊達…。
そこで「牛と午」の逸話ですよw
南奥州勢力従えて「奥州一統」の称号貰った佐竹義重の事も忘れないであげてください
覇者というほどのものじゃないよ。南部信直が高水寺(現在の岩手県紫波町)の斯波氏を駆逐したのが南限。奥州仕置きのどさくさに家内の九戸一派をまとめて駆逐して、閉伊、稗貫、和賀(この辺りはそこそこ米獲れる)を獲得したってこと。ふむ、上手くやったものだな。
津軽と南部が仲悪いってのはこういう経緯があったからか!
なかなか面白かったです!
400年以上経った今も、やんわり対立してる。
下北半島地域は主に、歴史的背景から会津地方から来人々です。
たしかに一般的に近畿東海以外はマイナーではあるな…よくて伊達政宗の仙台あたりまでかな…
段々南下していくのかな?蝦夷の松前(蠣崎)氏は、
紹介有るのでしょうか。
その北の北海道では、戦国時代はありませんでした。
これ、いまだに尾を引いてるからね
南部の人は津軽の人をずるい人達だと思ってる
弘前の人は青森よりこっちが進んでると思ってる
今でも旧津軽藩と旧南部藩の地域はライバル視してますよね。なんたって横断道路はなく行き来しにくいし、こぎんは南部刺しだし。イングランドとスコットランドみたいです。
勝敗が決まっていれば良好とまではいかなくともそれなりの関係を築けていたかな。
そして津軽統一最後の城が飯詰にある高楯城。
さらに津軽家の家老は石田三成の子孫。
津軽為信は藤原秀栄(秀衡の弟)の末裔を自称してたんじゃなかったかな?
県民です。うれしい。
興味持たないと地元民でもこういう事は知らないし調べないからなぁ(この動画で知った南部側県民)
対立は昔から聞いてたけど、いうて若い層はそのへんどうでも良い気もするけどね
奥州藤原滅亡以降は南部と津軽がいた以外ほとんど知らなかった・・・・・・というより興味がなかったな
明治初期に「弘前県」「八戸県」「七戸県」「斗南県」が合併して青森県が誕生。弘前は新政府側に付き、八戸藩と七戸藩は中立であった為に減俸等の処罰は無し。ただ、本家の盛岡藩は大幅減俸だった為、財政的に八戸との合併が厳しかったと本で読んだ記憶があります。八戸藩の殿様は島津氏の出身。実家の薩摩藩と本家の盛岡藩に挟まれ大変だったでしょう。斗南藩は元会津藩。犬猿の仲の津軽と南部をくっつけたのは、会津が間に入った事も大きいかも?
ちなみに青森県知事は、図ったように南部と津軽が交互に勤めています。
阿弖流為の時代が知りたいです。
西日本だと土地勘がないので、地図を入れてほしいです
津軽海峡冬景色ということですね😸
昔津軽と南部は仲が悪かったかもしれないが、津軽出身の俺は南部の八戸の学校に進学し、そこで南部の同級生と仲良く遊んでいたよ。津軽と南部で方言が違っていたのが面白くて、学校を卒業する頃にはすっかり南部弁を話していた。
青森に何年かいましたが、弘前と八戸は、本当に毛嫌いし合ってますね
ハタからみたら、どっちも青森じゃん、仲良くしたらいいのに、としかみえないんですけどね
どっちも何しゃべってるかわからん
青森県出身ですが仙台に5年住んで戻ったら…もう方言がわからない状態になっていた。
そもそも方言も違うので。津軽と南部。方言で言えばほぼ通じません。
栃木県もやって下さい。
この内容で「青森県の戦国時代の状況」と言われるのは違和感があるな。
「青森県の歴史」にすればまあわかるが。
東北地方の陸奥と青森県の陸奥がごっちゃになってない?