名/迷列車で行こう 名鉄7000系運用編#1 ~パノラマカー登場と名鉄特急の拡大~
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- เผยแพร่เมื่อ 14 ต.ค. 2024
- 開発編はこちら➝ • 名/迷列車で行こう 名鉄7000系 開発編 ...
日本初の前面展望できる電車として一世を風靡した名鉄70000系パノラマカー。今回は、その運行形態や拡大に迫ります。一本の動画にする予定でしたが、とてもいつもの尺に収まらなさそうなので2本に分けることにしました。今回は、誕生から通勤需要の拡大への対応までとなります。
次回の動画で完結させる予定です。
このチャンネルでは主に私鉄について取り扱っています。リクエストや動画の内容への訂正などは、コメント欄にて随時募集中です。
1990年代には私の地元の常滑線の普通でも頻繁にパノラマカーになってましたね。まだセントレアもない常滑が終点の時代だったから常滑行き普通なんかは新舞子以降はガラガラ。先頭展望席は一人独占って乗り得でした。1970年代は豊橋行き特急にしか運用されてなかったパノラマカーは、常滑線育ちの知多者の子どもには本当にあこがれでした。
『電車は絶対2扉クロスシートじゃなきゃダメ🙅』というのは 当時の土川会長の方針。
会社の偉い人の持つ信念が 現場の実情とズレてくると 下は苦労しますね。
東急から 3700系の中古車を入れて ラッシュ時の遅延防止に大きな効果を上げたのは 土川会長が逝去された後でした。
お陰で6000系一次編成は、クロスシート幅が1.5人分と狭くなり、かえって混雑しやすくなりました
@@光宏日比野 さま
6000系も 初めはロングシートで出したかったものの まだ社内上層部に土川イズム信奉者が残っていた為「座席は後でも替えられるから。」と妥協してあの1.5人がけ座席になったそうですね。
因みにあの座席は 名鉄から依頼された どこかの大学の教授(工学博士?)が設計したとか。
@@toriri-service 当時は民間企業でも、会長又は社長 役員等の大幹部の権力が猛威を振るっていたらしいですね
タブレット閉塞路線にも乗り入れ可能な7700系を試乗した土川会長は、開口一番「此れは何処ぞの会社が開発したのか」と、前面展望席を廃止した7700系を遠回しに酷評したらしく、車両開発現場は7000系増備を余儀無くされたようです
@@光宏日比野7000系最終増備車ですね。7700系と同じシート、カーテンのカラー、クーラー、そしてS型台車で先頭の行先表示が自動式になったタイプ。
土川が ラッシュ時間帯に電車乗れば 良かったんじゃ😡💢 これで2扉クロスシートに拘るようでは、人間を疑う😡😡😡😡😡😡😡💢💢💢💢💢💢💢
両開き中間車モ7100形は4両編成を6両に増強する為に増備されました。あと4両編成になった7000系パノラマカーですが、その運転台構造からタブレット交換作業が不可の為、ATCの無い支線、例えば三河線とかには入れませんでした。
CTC列車集中制御装置では?
1954年から、小牧線一部区間で先行稼働を開始 名鉄初の単線自動閉塞を促進しました
名鉄はやっぱり昔から面白いですねw
パノラマカーのためだけに急行全部廃止とかw
その余波を受けたのが、1968年に高架化された堀田駅でした
副本線の1番線と4番線に8両対応ホームが設置され、2番線と3番線はホーム無しの通過線となり、まさに特急通過を前提とした構内設計です
隣の神宮前駅では「名古屋本線特急の通過待避が出来ない」のを補完する役割を担いました
現在も、急行以下の列車が副本線ホームに停車しますね
二ツ杁 岐南も、同じ線路配置ですね
@@光宏日比野
堀田駅の通過線に回送列車が停車して、後続の急行を待避したエピソードが好き。😅
おっ パノラマカーやん
昔、親に泣きついてビスターカーとパノラマカーを乗り継いで
ナゴヤ球場に野球見に行ってました。
パノラマカーは名鉄のシンボルだ!
パノラマカーなくして名鉄は語れないです!
幼いころ、既に電車好きで
新幹線に初めて乗った時
名古屋に着く直前で
パノラマカーを初めて見た時の
印象は今でも脳裏に強く焼き付いてます。
その数年後、本当にパノラマカーに乗った時の感激ももちろん忘れられなかった。
フロントアイは 昔バスやトラックのフロントガラスの外側上部に付いてたミラー(フロントアンダーミラー?)と 同じ効果を狙ったもの。
7000系は 臨時特急で三河線の廃止区間にも入った事があったそうですね。
展望室に、スピードメーターがあった😃
学校が豊橋で、帰りは岐阜行の先頭に座り、メーター見ながら平井信号所での分岐で徐行する展望を何回も経験しました。
ニキシー管の速度計が存在してたのですね、1976(昭和51)念生まれの小生が乗り始めた頃は撤去されていました…
@@rona1806昭和56年頃まではかろうじて残っていたと記憶しています(私の乗車体験)。
@@rona1806さん
自分も1976年生まれですがニキシー管時代もかすかに記憶にあります。
展望席の後ろ部分にもありましたね。
撤去されて禁煙の表情になりましたが、、、
白帯車のみ先頭部分のみデジタルで復活しましたね。
懐かしいですね。犬山の橋で車と並走するのが面白かったです。
ミュージックホンのどーけーよーどーけーよーこ〇すぞー♪は犬山橋で邪魔な車を蹴散らすためらしいですよwww
(各)新岐阜↔江南を通学で利用、夕方の犬山経由新岐阜行き急行はほぼパノラマカーで、犬山橋でMHを鳴るのを期待していたがそれほど鳴らなかった。
名古屋〜新安城にて「特急」が毎時6本なのは、うち2本は蒲郡発着で、こちらは5000系、5500系4連が主に充当されていた。昭和50年か51年の改正で、1本は(座席指定)特急「三河湾」に格上げ、もう1本は急行に格下げでツリカケ車であるAL車がメインだった。
4:05小さい頃フロントアイがどういうものなのか知らず夜間に連結する時用のライトだと勘違いしたまま名古屋を発ったのがなつかしいです()
ガキンチョのとき親の転勤で愛知に来たとき生で見たときはびっくりしたなあ
本とかでは見たことある
見ると聞くではちゃうわ
高校時代朝の通学はP6だったな、それだけでも600回くらい乗ったことになる
性能面では、実は理論的には時速130KM走行も可能なパワーを秘めていました
しかし、車体は鋼製で重かったのが災いしてしまい、電力消費が増えました
7500系の設計最高速度は180kmでした。
@@ませあきたつ 高性能な定速運転機構を搭載してましたからね
しかし、高度過ぎて扱いが手に余ってしまい、故障が多発しました
客室の床面も、りんくう常滑 中部国際空港の両駅ホームより低くなったのもあり、7000系より先に廃車となりました
豊橋↔︎名古屋をメインに利用していたのでよくお世話になりました。
7500系は高性能ゆえ支線運用は限定的であり、低床構造のため空港線に入線できず、廃車に追い込まれましたね
西尾線を特急運用で走行中、架線に余った電力を返しすぎて、変電所の設備を破壊してしまった事があったそうです
7500系の床面地上高は990mm(車輪径860mm)で、JR東日本E721系(地上高950mm、車輪径810mm)より40年以上前にこれだけ床面地上高な車両を作る技術があったことが驚きです。
名鉄パノラマカー良き
迫真の匠最高
7000系の末期には蒲郡線で2005年位迄蒲郡始発の特急が運転されていました。後にパノラマカー7000系は5700系になって2008年迄蒲郡始発の急行になりました。
知立通過の快速特急が廃止されても、今度は「座席指定券」要の「座席指定特急」が毎時1本登場し、これがまた知立通過になった。その後また知立は停車駅になったが、座席指定特急から特急に名称が変わってからも、朝豊橋発のキハ8000系、蒲郡発7000系+7700系の名古屋方面、夕方の蒲郡方面の各1本ずつは知立では空席が無い為、通過扱いされていた。
こんばんは❗️パノラマの続きお疲れ様です。パノラマカーのスタイルは今でも通じる感動の美しさですよね。しかし事実上応過重装置はないし釣り合い速度のインフレ化はある電車なので7500系はともかく7000系は5000系をちょいマシ程度の性能でした。(>.
性能面の基礎は、5000系 5200系 5500系の実績を活かしましたね
まぁパノスパもどえらい少ななってまった。。。時代やろか。。。
現状だと岐阜方面の展望車が無いのが痛い、両端指定席展望車で特急用新型車が出てくれれば岐阜方面指定席車の乗車率はもう少し改善される気がする。
両端展望席特別車はもう出てこないだろうね。ミュースカイの後継なら可能性ありそうだけど、汎用特急車は特別車の位置固定になるだろうから無理じゃよ
リニューアルで綺麗になったけど、あと何年持つかなあ……
パノラマカーギリギリ引退時に生まれた者です。
1970年の時点で名鉄も京阪5000系のような通勤特化車両を出しておれば・・・・・・・
7500系開発時に120㎞/ℎの営業運転もやれば
7,000シリーズの未来も変わったろうに(;^_^A