第1443回「息をひそめる」2024/12/19【毎日の管長日記と呼吸瞑想】| 臨済宗円覚寺派管長 横田南嶺老師
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- เผยแพร่เมื่อ 31 ธ.ค. 2024
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■ご紹介の書籍
甲野陽紀 / 身体は「わたし」を映す間鏡である
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■管長日記「息をひそめる」
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最後に一日のはじまりを整える、呼吸瞑想がございます。
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先日は甲野陽紀先生にお越しいただいて、講座を開いてもらいました。
その日は午前中に、出版社の企画で甲野さんと二時間少々対談をさせてもらいました。
そして午後から三時間講座を行ってもらい、甲野さんには長い時間学ばせてもらいました。
午前中の対談では、好き勝手に自由に話をさせてもらいました。
正しい姿勢とは何だろうかという話題にもなりました。
なにか正しい姿勢という、てほんのようなものがあると思われますが、私はいろんな動きの中にもあると思います。
また固定してきれいに見えていても無理をしている姿勢もあると思います。
甲野さんは、すぐに動ける姿勢だと仰っていました。
これには共感しました。
すぐに立ち上がれる姿勢がよいと思います。
それが、腰が立っている姿勢でもあるのです。
腰が立っていると、いつでもすっと立てます。
腰が立っていないと、まず腰を立ててから立ち上がることになりますので、すっと立つわけにゆきません。
甲野さんは一九八六年のお生まれですから、私よりも二十二歳もお若いのですが、つくづく人生というのは、生きた長さだけではなく、深さや濃さがあると感じます。
あの甲野善紀先生のお子さんとして生まれ、独自の感性をもってお父様のおそばで学ばれ、その独自の感性を生かして活動されています。
和器出版社の『身体は「わたし」を映す間鏡である』には甲野さんのプロフィールとして、
「身体技法研究者。
武術研究者・甲野善紀氏の武術指導のアシスタント、演劇制作スタッフなどを経験した後、 独立。
誰もができる日常動作の身体の動きをモチーフに、特定の分野や流儀、流派にとらわれない立場で身体技法の研究を始める。
達人や名人と呼ばれるほどの技量を持つ武術家や職人などの技を観察・分析する研究を基盤に、さまざまに変化する身体の動きを、注意の向け方や言葉の使い方などとの関係から読み解き、そのエッセンスを日常に役立つ技法として提案している。 その斬新なアプローチは、スポーツや介護、楽器奏法、教育関連など、さまざまな分野への応用が可能であることから、多くの専門家からも注目されている。」
と書かれていますが、実にこの通りなのです。
スポーツ選手、アスリートから介護の現場までいろんなところで教えておられるのですが、お寺で修行僧を相手にしているのは、円覚寺だけだろうと察します。
「身体の動きを、注意の向け方や言葉の使い方などとの関係から読み解き」とありますように、まず甲野さんの講座の基本は、一動作一注意です。
これはどういうことかというと、甲野さんの著書には、
「「一動作一注意」とは、「ある動きをするときには一つのことに注意を向けることが大切」という意味です。
たとえば「立つ」という動作でも、指先なら指先という一つに注意を向けて立つ場合と、いくつものことへ注意を向けて立つ場合では、明らかに身体の安定感が変わってきます。」
と解説されています。
更に
「私は講座のとき、指先に注意が向けられてしっかりとした立ち姿勢がとれている方に、半ば冗談のように「それで、今日の昼食は何を食べました?」と尋ねることがあるのですが、そう聞かれた途端、しっかりしていた立ち姿勢がぐらりと揺れてしまうのは、一動作一注意の状態が崩れた、ということでもあると私は理解をしています。」
と書かれています。
そんなわずかなことで身体が大きく変わるのです。
今回は前半、呼吸について学びました。
修行僧たちから呼吸について学びたいという要望があった為です。
しかし、甲野善紀先生は、呼吸法に触れないし、呼吸は考えなくてよいと仰っていたそうです。
呼吸は必要な分、意識しなくてもその場に現れるのだというのです。
そして呼吸は意識した瞬間に不自然な呼吸になると仰っていました。
これは呼吸法にとらわれている人にとっては大事なことであります。
自然な息づかいが一番よろしいのです。
しかし、その自然な息づかいに気づかせるために、わざと呼吸法を行っているのではないかと思っています。
それから甲野さんは「身体の動きを、注意の向け方や言葉の使い方などとの関係から読み解き」というように言葉の使い方で変わってくるのです。
これがまた不思議なのです。
呼吸については吐く、吸う、そしてその間があります。
間の呼吸というのは息を止めるのかと思いがちであります。
よく息を吸って、止めて吐いてと呼吸法を行うことがあります。
息を止めて歩くと、これは橫から押されたりすると弱いものです。
ところが息をひそめて歩くというと、しっかり安定するのです。
止めると潜めるという言葉の使い方で変わるのです。
息を止めて荷物を持つというのと、息を潜めて荷物を持つというのでは体の感覚が違ってくるのです。
止めるというと完全に閉ざしてしまうようになってしまいます。
潜めるはまた感じが違います。
「潜める」とはどういうことなのか、『広辞苑』で調べてみると、
「①かくす。しのばせる。
②静かにする。ひっそりとする。
③控え目にする。
④平静にする。冷静にする。
⑤内に蔵している。」
という意味が書かれています。
完全に止まっているわけではないのです。
息を吐いて拳を押し出します。
息を吸って拳を押し出します。
どちらが力が入るかというと、私などは吐いて出した方が力強くなります。
吐いて出す方が強い人が多いのですが、甲野さんは吸って出した方がよいと言います。
吸って出した方が力が出る人もいるのです。
少数ですが、いることが分かりました。
それほど人は単一ではないのです。
息を吐いて力を出せる人は、外に注意をむけて吐くと力強くなります。
逆に息を吸って力を出せる人は、腹や胸など自分に注意を向けて吐くと吐きやすいというのです。
いろいろと呼吸について新たな視点を学びました。
そのあとは、間について学びました。
今回は息を潜めるということを教わったのが大きな収穫でした。
よい姿勢はいつでも動ける姿というように、息を潜めていると、いつでも吸えるしいつでも吐き出せるのです。
動きを内側に保っている姿だと感じます。
ひっそり息をひそめて坐ってみるというのはいいものであります。
横田南嶺
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