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タミヤのマーク見掛けただけでワクワクするの俺だけか?
ご同輩!!!
分かりすぎる!
過半数の男児が持つ条件反射と言って良いと思います。
今度、娘の20歳の誕生日にタミヤTシャツ送ってみます。
私もです。プラモデルは90%以上タミヤ作りますね、たまにハセガワやアリイ。
完成ラジコンに、取り付けミスがあって、ギア周りに穴があいた。メールで連絡したら、指摘したことを感謝してくれて、その周りの部品も影響があるのではないか、ということで壊れてたものと不足していたものに、周辺パーツ複数つけて、休日対応ですぐに発送したTAMIYAを俺は一生信用する。
タミヤ以外のキットを作ると、いかにタミヤが偉大なのか身をもって理解出来る。普通に組んで普通以上のクオリティが高いから余計な事せずにちゃんと出来上がる。
最近の1/35のミリタリー物では田宮を超える精密度追求のキットも出てきた。しかしストレスなく製作でき、カタログ掲載の完成品の様に仕上げる事が出来る田宮はやはり偉大。それとお値段もリーズナブル。ちなみに田宮俊作会長は英国ファンでイギリス戦車や戦闘機を結構出しています。
ミリタリー好きの方は当然でしょうがタミヤの仕事は好むジャンル関係なく模型好きは読むべき名著だと思います。プラモのためにポルシェを全部バラしてディーラーが組み立て依頼されて困惑するとか、戦争博物館館で立ちションでたまったおしっこの中で戦車の下に潜り込んで写真を取りまくるエピソードとか壮絶すぎてバンダイも真似できない情熱が感じられる(今主流のガンプラも別のベクトルですごいけど)
追記事項を以下の通り記させて頂きます。書名:田宮模型の仕事著者:田宮俊作出版社:文藝春秋社 発行:西暦2000年5月 以上です
@@ラリホー-m8v 同じ文芸春秋社から出ている田宮模型全仕事123も。こちらはタミヤが出した全製品をカラーで解説付きで紹介したもの。
タミヤがホンダのF1マシンをプラモ化して、取材させてもらったお礼に製品をホンダに持っていったら、それを見た本田宗一郎氏が再現度に驚いたっていうエピソードが好き❤
その後バッテリーの位置?が正確すぎてホンダ内で会議になった話も好き
@@WataruAoki-e7h そのようなエピソードなら、米国の最新鋭の戦闘機(正式に詳細は非公開)のモデルを予想を含めてモデル化したら、あまりに非公開の予想部分が正確すぎて、情報の漏洩元を米軍が躍起になって探したって話しも好きw
Fー1のチーム監督が再現度が高すぎて抗議したのを、本田宗一郎氏が「模型だから再現度が高く無いといかんだろ。」で収まったとかそんな感じの話だった気がする
@@stove_ga_suttobu僕は戦車の底面を想像で作ったら本物と同じでスパイ疑惑、って聞いたけど...戦闘機だったのね。
不器用な私は、プラモデル上手に作る人を尊敬致します。
ああ。上手に作れる人は、それはそれでうらやましいけど、作ってる時を楽しんでいるので上手くつくれなくても、うちは楽しいのでええかな^^。まあ、上手く作れるなら作りたいけどね。わかります。
タミヤのマークのない模型店を探すのが難しい。
タミヤ模型と言えば「タミヤRCカーグランプリ」観ていましたね。😊
高い棚の上にあるビッグスケールにワクワクし、赤青のトレードマークに白い背景にクルマ、バイク、バギーの精密イラストのクールさにどきどきして、説明書の正確な図面。かちっとハマるパーツに精密なモールド。塗料のナンバリング今も箱を開けるたびに幼少の思い出が蘇ります
TVチャンピオンのミニ四駆の回が印象深い。父子のチームでの戦いで、ミニ四駆の名前当て。たくさんあるミニ四駆を子供が選んで持ってきて、お父さんが当てる。で、どこかのチームが間違えるまでのサバイバル。どこも正解して終わらない。だが、あるチームが細かい点を間違えて脱落。で、司会者がその負けたチームの子供に『お父さんが間違えて負けちゃったね』とインタビュー。そこで帰ってきた子供の声が『お父さんも僕もベストを尽くして満足です』といったもので、お父さん号泣。で、他のチームのお父さんも泣き出し、見ていた私も泣いていた(笑)
静岡に出向になった時、タミヤ本社の見学会があったので訪問しました😅参考にしたポルシェ934ターボやプラモのモ子ちゃんに会えたのが良かったです😂静岡は徳川家康公が引退した後、職人さんも多く付いていき手先が器用な人が多くタミヤやバンダイ等プラモの街になった様です😅今でも静岡ホビーショーとかかなりの規模でやってます
20代の社会人時代は模型業界で過ごしました。まだ発売前のタミヤさんのラジコンヨットの試作品を本社に返却に行った時に物が物だけに自動ドアの上部にヨットの帆が当たらない様に腰を落として入って行ったら滑稽な姿だったのか受付の人に笑われた思い出が有りますw
新卒で就活してた頃、タミヤに資料請求したら数日後「当社は定期採用は実施しておりません。欠員が出た時点で必要な人数だけ補充する不定期採用をしております。末筆ながら貴殿の益々のご活躍をお祈り申し上げます」的な一枚の文面が送られてきました😂
プラモと言ったらやはり田宮模型だね。24分の1のスポーツカーシリーズは他社の同型と比較して細かい箇所が丁寧に作られていた。それとプラモデルに隠れてはいるが工作シリーズは好きだった(今もあるけど)。
@@PORSCHE911TurboGTRX7 ギリギリまで部品を減らしながら、精巧に仕上がるのかタミヤの真骨頂。
年を取ってもう作らない でも永遠のフォロワー あの楽しさを与えてもらったことに感謝してます。
でも、今の子は模型やプラモくらいは作らしてあげてもいいと思います。物を作る(組み立てる)楽しさを肌で感じてもらいたい。それでこそスマホ依存症の改善にも役に立つし、いわゆる創造力が身について子供の教育にもいんじゃないでしょうか。
そうですね。ゲームでは味わえない新しい発見が数多くあると思います。子供達にはモノづくりの楽しさを経験してもらいたいです。
精密なプラモデル=タミヤ模型 というのが子供の頃の共通認識でした。 ウォーターラインシリーズ買うときも、好きな艦がタミヤ製だと嬉しかったな~。(他のメーカーさんごめんなさい)
タミヤ模型と言えば硬派なイメージがありますが、実は約40年前に「プラモのモ子ちゃん&ラビくん」という今で言う萌えキャラ・ゆるキャラを看板キャラクターにしていました昨今のブームを鑑みると先見の明があったんですね
ふじたゆきひさ先生ですね。今も健在です。
高校生の頃ハマってました😅色々冊子とか見てました😅紙ねんどでフィギュア作りかけたし…😅大人になって静岡に出向になりタミヤ本社の見学会に行った時ギャラリーに有りましたよ❤懐かしかった〜😊
2018年から不定期で大日本絵画「モデルグラフィックス」誌に掲載された、「既存のキットをガルパン登場仕様に仕上げる紹介」の「パンツァーアナトミア」、今年2月に一冊の本に纏められて単行本として発売されましたね。ガールズ&パンツァーは藤田幸久先生にとっても嬉しかったのかも
塗装テクニックガイドみたいな冊子買いました。ヨレヨレになっているけどどこかにしまってあるはず。
プラモ作りで思い出すのが水に浸けてから貼るデカール。水分が多いと貼ってから滑るし、少ないと指にくっ付いたり貼ってシワになったりしたな… それを直そうとしたら破れるんよw
タミヤの木工模型って、少なくとも80年代後期ぐらいまではそれなりに人気があったと記憶しています。私が通ってた小学校だけの話かもしれませんが、『プラモデルはダメだけど木工模型ならOK』という事で、夏休みの工作宿題としても認められていました。
平成前期あたりめっちゃお世話になったなぁタミヤ…。たまらなく懐かしい気持ちになる。
小松崎茂さんに箱絵を依頼しに行った時、会話の中で「バルバスバウ」という船舶の専門用語を口にしたら、相手が大喜びして交渉がスムーズに進んだ話が好き。
もう一生ついていきます。これからも精密で素晴らしいキット発売してください。
田宮模型の歴史、二十年くらい前に読んだよな。全てが懐かしい。当時からの国内のライバル企業は、ほぼ廃業…棲み分けたバンダイ、ハセガワくらいか…
ポルシェ911のプラモデルを精巧に造る為に 本物を購入して ネジ一本単位まで分解して 念入りに調べ上げた話は好き。
直せなくなったから、ディーラーに泣きついたとか😂
それで911を発売するのか・・と思ったらマニアしか知らない934で・・売れなくて何とかしなきゃでラジコンにしたらバカ売れ。デファレンシャルギヤが標準装備で狭い場所でも走らせられたのが魅力。
911のRC化は滝博士の功績も大きいですね
@@user-tg6cl9nk8k その滝博士は元々経理部門の人で休み時間はラジコンで遊び開発部に行かせろと業務日誌に書き続けた
初代フェアレディZやホンダCB750Fourのキットを作った際は、実際に実物を購入して開発したとか。
子供の頃、よくタミヤの戦車のプラモデル作りましたね😊懐かしいです😄
老舗の模型メーカー「タミヤ」の歴史がミニ四駆の歴史を通信にテンポよくまとめられていてとても見やすい動画でした。やはり老舗だけあり、最初から経営も順風満帆ではなく、トライ&エラーを繰り返しつつ、つかんだチャンスを確実にものにしていく、経営感覚にも優れたメーカーだったのですね。そして印象的だったのが、作る人の目線に立った製品作り、一見社長の思い付きに見えるアイディアても、真剣に検討して製品つくりをする姿勢は日本のモノづくりの良い例であると感じました。
チャンスを逃さない・・ウクライナで毎日今も死人が出てる戦車を速攻で「ウクライナ戦仕様」商売だから真っ当だが、ロシアのお母さんは「息子の仇が玩具になってる」発売は「戦後」落ち着いてからにして欲しかった。
何年か前にふと、子供の頃見たタミヤサーキットを見てみたくなり静岡へツーリングのついでにタミヤサーキットに行きました。テレビで見ていたイメージと違い結構こじんまりとしていたのが印象的でした。でも、子供の頃憧れていたタミヤサーキットに行けて満足しています
あたおか (褒め言葉) レベルの某玩具メーカーは置いといて、タミヤのプラモデルはパーツの合いが良く、組みやすいんですよね塗装すると塗り分けで地獄を見ますが・・・w
キャラモデルといえばバンダイとアオシマ、スケールモデルといえばハセガワそしてタミヤ…というイメージですねー…と言いたいところですが、ハセガワが昨今キャラモデルで攻勢をかけているのが実に面白い!タミヤはスケールモデル一筋ってところに質実剛健さをかんじます
ハセガワは総合模型メーカーへ転身しようとあの手この手で頑張ってますね。ただもう飛行機は作らない(作るものがない)と言ってるのがさみしいですけど。古いキットのリメイクとかやってくれないかなぁ。
@@toybox8492 長谷川の飛行機模型の凋落は1/32紫電改の誉発動機のエキパイが前列シリンダーに届いていない。これをタミヤが発売してればねぇ。
アオシマはキャラクター物に関してはバンダイという「越えられない壁」に敗れ続けたと思います(トラック野郎シリーズを出したかったけど、バンダイと東映のコネに敵わず。イデオンのプラモを出すもガンプラには勝てず)。故に「痛車」シリーズと「艦これ×ウォーターラインシリーズ」は悲願だったのかなと…それでも21世紀に入ってから、製品開発:アオシマで販売:バンダイの「1/32 一番星号」が登場しましたね。其処から、バンダイから「色プラ+接着剤不要」のノウハウを引き出して「楽プラ」シリーズが始まったのかなとも思っています
@@toybox8492 その飛行機のハセガワがアッと言わせたのが1/32の紫電改。なにしろ誉エンジンのエキパイが前列シリンダーに届いていない前代未聞の迷作。もう飛行機諦めたなと思ったら転進してたww。
@@伊藤雲黒斎 ハセの飛行機職人さんはファインモールドさんに転職されたって噂は聞きますね…
自分のタミヤとの初めての出会いは第二次ミニ四駆ブームだったなぁかなりハマってたわ二次ブーム末期辺りから離れてたけど何年か前にまたミニ四駆作ってそこからまたミニ四駆買うようになって最近はその他にも通常のスケールモデルも作ってます
プラモはタミヤ!戦車をいくつか作ったけど、タミヤだけはちゃんとどのパーツもちゃんとはまるし細かく出来てるし説明書も見やすい
タミヤのマークを見ると作る前からプラモに対する安心感が半端なかった(・ω・`)
ミニ4駆。俺が中学生の頃、中央に溝のある8の字コースでのレシングカーが流行っていたゾ。レースカーの全部中央に凸型の集電装置が付いていて、色々作っては競争に明け暮れていたよ。
鳥山明先生が、タミヤ主宰の「人形改造コンテスト」に作品を出してたなぁ~😁
あったねー‼️タミヤの専門紙に掲載されていました
最初に出したアレはとにかくレベルの違う出来だった。当然のように金賞受賞。絵だけでなく立体もイケるのかと、当時は感服したものです。
1986年の第14回の時でしたね。作品の構図+米軍ハーレーダビッドソンの作り込み+操っているMPの表情と服装の作り込み、そして「MPの人形とモーターサイクルの塗装仕上げ」…もう文句無しの出来ですよね!故に、後年「米軍ハーレーダビッドソンに跨る、孫悟空」の絵が創られたのかと思っています
他に、とんねるずのみなさんのおかげですの人気コーナーの仮面ノリダーのノリダー対カニ男の場面を再現したモデラーもいました。
私が小学4年生の頃に初めて紫電改を作ったのが私のプラモ人生のきっかけでしたね、S40年頃ですね、その後メーカーは解りませんでしたが色々作って行くうちにパーツの合いやデテールの違いが分かるようになると作るのはタミヤになっていきましたねその後はスロットルレーシングに嵌り、引っ越しから模型店の無い街へ、そして二十歳の頃に京都へ、洛南模型さんにはタミヤノカタログを取り寄せてもらって、かったぱしから1/12シリーズを作り、お寿司屋さんから何故か店頭に飾る大和の模型が欲しいとお願いされ1/350の大和作成古都期はスロットルレーシングように持っていたハンブロールのエナメルで甲板と細部、窓、などを塗り当時としてはかなり精巧にできたと思っていました、依頼者には大変気にっていた大来ましてその後5年ほどお店のショーウインドウに飾ってありましたね。ラジコンは申し訳ないですがエンジンラジコンでしたね、京商のクリアボデーだったと思います。結婚後子供が小学生の頃にミニ4駆が流行りコースと一緒に購入親子で楽しんでいました、最近になりまたプラモ制作を始めたんですが新しいアイテムが多くて勉強の毎日です。つい最近もタミヤさんの1/24スポーツカーシリーズのソアラと240Zを手に入れましたので作ろうと思っています。
今ミニ四駆は三次ブ-ムで早い人で孫と一緒に遊ぶらしいですね。ブームというか既に定番ホビーとして定着してる様に思えますけど。
バブル期のF1ブームの時にはF1マシンのキットでお世話になってました。あの頃は情報が少なく、マシンの細かいディテールを観察するのにプラモを眺めてました。
多分今もそうなんだと思いますが、他のメーカーが1/24で作ってる中タミヤは1/20だったんですよねミリタリーの1/35はデファクトスタンダードになりましたけど、こっちは流石にそうはいかなかったでっかい方のは1/12でしたね、フェラーリ641/2だけ作ったことがありました価格もすごかったですがディテールは半端なかった
@@mamachuhchi カーモデルが1/24の中でタミヤのF1モデルは1/20でしたね。メカ部が凝っててすごい情報量でした。自分も641/2は誕生日に買ってもらいました。長いサイドポンツーンが大迫力でした。
F1のサイズが 1/20なのは、戦車の時と同様で電池とモーターを組み込んだ時に破綻しないサイズとの事。実際モーターを入れてたのは70年代くらいまでだけど…
@@源兵衛-f5m そんな理由があったんですね。ありがとうございます。
タミヤなら、楽しい工作シリーズを忘れてませんか!「模型とラジオ」の制作記事を見ながら、白ボールとバルサと朴板、高速、強力の両ギアボックス、トラックタイヤセット、レーシングタイヤセットと格闘しました。今では全て刷新されてしまい、金属製ギアのギアボックスは絶版になってしまいました。当時と同じく楽しめる様に、70、80年代の模型とラジオ誌と、旧版楽しい工作シリーズを大量にストックしてあります😊楽しい工作シリーズは、タミヤカタログと同じサイズの本もありましたね。
ウォーターラインシリーズとかミリタリーミニチュアシリーズはアニメのお陰で息を吹き返しましたね
ガールズ&パンツァーと艦これに対しては直接的な協力ではないものの、それらのシリーズの為に製品供給はしましたね。ガルパンについてはチョイ役で登場した車両(ランドローバーSAS仕様等)のキットをしれっとスポット生産したりで…
戦車は高くて買えなかったから、歩兵セットを買ってた記憶が蘇った。ドイツ軍の。。。
ミニ四駆はカーモデルキットでは特に好きです、タミヤは売れ行きが不調になる事を考え、流行り物のメカはキット化せずの方針であると聞き、刑事ドラマが熱かった時代に、車両設定協力をしたメーカーの劇用車を商品化しない理由が解りました、土屋博嗣さんの訃報は物凄くショックだった…。
キット、制作道具ともにいつもお世話になっております。
プラモ大好き…幼い頃は憧れ中高大と時間あれば作ったな社会人になってからも少し…色々ストレスあると集中出来ないのが模型作り…今は老眼と手先の衰えでやれなくなった、下手でも自己満足だから若い人にはお勧め、全く金のかからないのに没頭出来る良い趣味です😊
中学生の時に、帰る途中にブラモ屋があって、同級生とよく寄った!店の名前は『ピンバイス』だったけど…TAMIYAの看板が、店舗にあった…
江東区のピンバイスなら日本でも超有名な模型店です首都圏の名のあるモデラー達の御用達でしたね
子供の頃タミヤのキットは高嶺の花だったのでなかなか買えなかった。小学校高学年の時お年玉で1/12スケールのポルシェ934を買うが完成とは程遠い状態のまま投げてしまったことが未だに悔やまれる。
わかります~ずっと一人で頭から煙出しながら頑張っても組めない。細くて弱い部分のパーツ折っちゃったりシール上手貼れなかったり、、。組み上がると全く見えなくなっちゃうトコもとんでもなくちゃんと作ってあるんですよねえ。
当時は自分の技術も稚拙だったし道具もロクなものを使ってなかったので結果は分かり切っていました。w 記憶は曖昧ですが、934はエンジンだけでなくフロントのステアリング機構までしっかり再現してあってまさに実車をスケールダウンしたような精密さだったのを覚えています。あのキットは国産モデルのオーパーツと言えるでしょうね。
田宮のロゴを見るとワクワクします。今は絶滅した模型屋、学生時代には自転車で新しい模型屋を探しに出かけることも多かった。個人的にはウォーターラインシリーズにハマりました。
第二次ミニ四駆ブームドンピシャ世代だけど、ミニ四駆辞めて30年近く経った今でも街中でタミヤのマーク見かけると何かワクワクするような気分になるのホント凄いと思う
確か、ちょうどこの頃バトル鉛筆(略してバトエン)とかってのも流行りましたね。今はもうあってもやる子いないでしょうね。
でもね、初心者にも作りやすいよう出来るだけシンプルな分割や構造にしているのはいいんだけど F1模型でラジエーターパイプを丸っと省略したりMotoGPマシンでどうせ完成したら見えなくなるのだけどインジェクション&ファンネルとか省略するのはちょっとなぁ〜とは思う。あと、結構アレンジ入ってるし…
爺は高い戦車が買えず安いケッテンクラートが好きなんだよな
わかりますwww
タミヤ提供のミニ四駆グランプリの番組がテレ東であった。本社は静岡県静岡市駿河区。
タミヤRCカーグランプリはいい番組だった
@@hanetarou 昔、春風亭昇太さんがMCでした。
オヅラと日高のり子もな。
@@pastelpureakgjze5791 今は、笑点第6代目司会者。
ミニ四駆の最初はトラックのウニモグでしたね。オレンジカラーで500円モーター付き。タミヤ木製巡洋艦シリーズで友達と作ってはお寺の堀で遊んでいました。
ミニ四駆や周辺のパーツをよく買っていた。ブラックセイバーやシャイニングスコーピオン好き。
タミヤセメントは最強です。
タミヤ限らずだけど、説明に書いてある乗り物のデータが勉強になる
どこぞのレーシングチームだったか忘れたが、レーシングカーの図面は社外極秘なはずなのに「タミヤなら信用出来るから図面を公開します」という話が田宮俊作会長の本にあったなあ。ボルト1本の位置まで正確に再現されたとか。それだけ世界的に信頼されている会社なんですね。
子供の頃MMシリーズの戦車にはっまてた懐かしいなあ。
スケールモデルに他社のRCメカを組み込んで自作したラジコンを昼休みに会社の駐車場で遊んでる社員が居て、それを見かけた社長が商品化してみなさいと言ったのがきっかけでポルシェのRCモデルが発売された。その社員ってのがのちの滝博士。
次期社長は、婿養子なんだけど、清水区の老舗木材販売会社の息子さんなんだよな
前社長は人格者でこれで安泰と思ったら早世されたしねぇ。もしもハセガワと合併したら補完し合ってさらに発展したと思う。
論理も大して理解できていない子供でしたが、ワンウェイホイールはメカ感が増して好きでした。今は重量増が仇となって不人気らしいですね
海外でも日本ブランドとしてAFV、カーモデル、RC等は有名ですよね。あちらの模型雑誌でも広告は勿論、タミヤ特集あったりモデラーさん作品も結構載ってて驚きました。ケミカル製品は、海外の方が本場ですが、タミヤカラーなんかも人気なんですよね。自分はミニ四駆→AFV→カーモデル→ラジコンとお世話になりました。3段変速、電飾、音、振動のラジコンが出た時は感動したなぁ、即買組み立てして走らせましたよ楽しかったですなぁ
F1のプラモもいくつか作っていて、ロータスのスポンサーにもなっていた。
ミニ四駆全盛期、タミヤのハイパーモーターとか買ったなぁ懐かしいゴールドモーターとかいうのもあって、買ってもらったあれはタミヤじゃなかった淡い記憶が船橋にまだタミヤの実店舗があるね
子供の頃RCのマイティフロッグが出た時めっちゃ欲しかったけど高くて買えなかったなぁ。
何故か知らないがプラモ作らなくなった今、たまに平日休みに模型屋に行ってはタミヤの水性カラーを買い漁ってるのだが…多分、塗料をコレクションしてるだけなのか笑模型屋に入った時の塗料が並べられた棚?あれに憧れてるのかも笑
1/35の戦車や1/700の艦船は結構作りました。
4社共同企画だったウォーターラインシリーズを古くから作ってきた人なら、タミヤのすごさは痛いほどわかると思う。「あ~っ! もうっ! 全部タミヤが担当してくれ!」と何度思ったことかw
しかし登場時の大和はヒドいもんだったよ。リニューアルされてホッとした。
おっと、ア〇シマへの悪口はそこまでだ
@@ksukehgmt1アオ〇マはプロポーションはいいそうですよ。見方変えればそこしか褒める所がないww でも真大戦機シリーズあたりから劇的に向上してますもんね。CB400Fなんて感涙しました。
昨年末に20年ぶりにカーモデラーに復帰して、買って買って作って作って、作りまくっています❗️今年だけで160台を超えました😂
60年代のJOE90やアポロのプラモデルもよかったなぁ~上箱が堅い紙で高級感があって。
空母の模型は難しい。(エンタープライズ)と戦艦アイオワ
今だにスケールモデルは先ず「TAMIYA」ってイメージがありますね!!ラジコンに関してはTAMIYAさんにしています。
よく「スケールモデルのタミヤ」と言われていますね。レースなどで、純粋にRCカーの速さを求めるならベルト駆動なのですが、タミヤはシャフト駆動のRCカーも出しています。タミヤ初の4WDRCカーの「ホットショット」がシャフト駆動になったのも「実車の4WD車がシャフト駆動」という事も関係しているらしいです。
ミニ四駆は会長が幼い孫娘と遊ぶためだったってのは聞いてたけど二次ブーム終焉にはモーター巻き直しとか自作部品搭載て限りなくブラックに近いグレー面もあった
たしか、創業者の田宮義雄は「日本中を焼野原にしたB29は絶対にモデル化しない」と言ったといわれ、今まで一度もモデル化してないんですよね。
プラモと言えば田宮模型は有名ですよね!ミリタリーやF1よく作ってました!
タミヤ、世界一
やっぱり「タミヤ」といえば「ミニ四駆」でしょ😁(第2ブームの時作ってました)
最初のブームの頃、不器用な友に頼まれて製作代行したらサービス精神が盛り上がって塗装やベアリングなど施したら、友は自分が作ったと息子に言うつもりだったのに、サービスのおかげで「お父さんにできるワケがない」とバレたらしい。
タイレル6輪とF16とウォーターラインの大和とキングタイガーばっかり作ってました 何度も何度も
エアブラシ、、カッティングマット、ニッパー、接着剤... 製作ツールはタミヤ一択。鉄道模型のキット製作なもので、塗料はエナメル系以外はどうしてもクレオス(東京板橋に本社があるキットメーカーの塗料はクレオス互換の成分)になります。
タミヤのプラモデルって海外ではどのぐらい評価されているんだろう
テレ東のYouは何しにニッポンへでアルゼンチンから来たタミヤ大好きおじさんが田宮本社に行く回が好きです。たしか俊作社長(当時)にも会ってたような。
日本でレース活動をしていた某外国人ドライバーがラジコン上がりの某ドライバーに「タミヤと京商どっちがいい?」と質問してたエピソードがあるから海外でも認知度はあるかと。
@@starlightginga1 作ったモデルのランナーも保存している方でしたっけ?うろおぼえ
動画の中にもあるように、「星のマークを見つければそこは模型店である」と言う話になるくらいに有名…ドラゴン社とか出て来るまで(90年初頭)は戦車では業界の巨人だった筈や
フランスに何十年も住んでた日本人のおばあちゃんが、「日本では知らなくてもフランスにはタミヤ知らない人なんていない」って言ってた。
TAMIYA万歳🙌 ラジコン万歳🙌 プラモ万歳🙌
金型製作を自前でやるようになったから、1/24初代NSXみたいに、実車と同時販売もできたしな。
1975年半世紀前…ガッコの帰りに立ち寄る模型店の店主がTAMIYA NEWSや岩お菓子を無料でプレゼントしてくれてた…懐かしい思い出。30年位前に件の模型店を訪ねてみたら跡形もなかった大阪吹田市の高城模型店😢優しいおっちゃんが店主の懐かしのお店😂😂😂
ポルシェを模型化した時に全長と幅のバランスが悪く「見える」となって、デフォルメしてバランスを取るか本物に忠実なスケールダウンにこだわるか悩んだとか言う話が好きだ。
「モコちゃんの模型製ブック」は、小生の宝物の一つであります!
最近、模型プラモデル専門店って少なくなった、と感じるのは当方たけ?
なんか電気屋で売ってますよね!やはり模型屋独特の雰囲気が良いんですよね
@@haratatsu そうそう、あの専門店の狭さ、プラカラーの瓶、パーツの多さが醸し出す独特な雰囲気…良いね〜
その一因はね、タミヤがRCカーやミニ四駆を発売して販売店が客に不自由させないようオプションパーツ等を仕入れる。本体絶版→不良在庫の山 これが経営圧迫してるのよ。廃業する店のオバちゃんからずいぶん恨み言聞きました。あとはアマゾンとヨドバシカメラだな。
タミヤの星マークが胸に描かれたTシャツがファッションアイコンになるのは流石に予想できんかった。まあアレは着る人を選ぶ難しいアイテムだけど。そういやミニ四ファイターと同時期にタミヤRCカーグランプリに出ていた「タミヤの前ちゃん」って楽天に転職したと聞いたな。
タミヤどころはハセガワもTシャツつくってますが?・・・両方持ってますが
@@temp-u6r うーんでもタミヤTシャツの方が有名でしょう
@@しろコンニャク 並べて見るとデザインの完成度と言うか「格」が違いますね…タミヤの星のマークの秀逸さが良く判ります
昔はタミヤの模型は硬派。青島のはキャラ系。とゆう感じだった。自分は青島のロボだっちからプラモに入った。今はあるか分からないけど、UFOのプラモデルがあった。自分はアダムスキー型作った。光部分のムギ球と配線は出来なかったので、母親にお願いして配線して貰って夜光らせてた😊
タミヤ初のパンサー戦車の模型って、実物の防盾の形状と異なってたんですね。
東映動画の演出家の田宮武さんは田宮一族の一員でアニメ作品に戦闘機や戦艦が登場する時は資料として模型を提供したそうですね😊
つくづくタミヤがフェラーリから撤退したのが惜しまれる………
タミヤの製品はゲートが細い!というイメージがあり、ガンプラを作るたびに、タミヤにガンプラを製品化して欲しい!!と思うのであります・・・。
そもそもプラモデルの全国シェア80%(タミヤ、ハセガワ、青島文化教材社、フジミ模型、今井科学→倒産後に金型技術などがバンダイに買い取られる)の静岡県の基盤となるきっかけが、【徳川家康】が晩年に静岡県に移住し(駿府城の修築、死後には国宝・久能山東照宮などの建立のため)全国から優秀な木工細工職人が集まり、後にその技術が木製おもちゃ→プラスチック模型へと繋がるという話が好きです。
もう40年も前の小学5-6年の頃、タミヤのアメリカ軍の歩兵や匍匐前進する兵隊が10数体入ってるキットがにわかにブームになった。私が塾の帰りにたまたま買って、後日友人たちが見てって感じ。どこで買ったの?と聞かれ、10人くらいで模型店に行って皆で買い漁って、お店の方が、君たちのクラスは何が流行ってるのよwwと。普通に置くのではなく、発泡スチロールを買ってそこに色塗ったり接着剤で溶かしたり。要するにジオラマみたいなものを作ってたな。おっさんになった今でも、タミヤと聞くとワクワクするんだよね。
日曜日の朝はタミヤRCグランプリを見るのが習慣だったな
小松崎茂先生の作品に関する本で「田宮模型はプラモデルへの移行は遅い方だった」「パンサー戦車の箱絵を依頼する時、藁をも縋る思いで手紙を送った→小松崎茂先生は『いいですよ、家に来なさい。貴社を助けてあげましょう』と快諾された」と載っていた。 レーサーミニ四駆が世に出る直前、看板商品のMMシリーズは「冬の時代」で、あの鳥山明先生が「人形改造コンテスト」で金賞を受賞された1986(昭和61)年、MMシリーズの新製品は「無し!」だった
タミヤにある静岡市駿河区小鹿に発祥地の碑があると思います。
今でも近所に残る町のタミヤ直営模型店ではミニ四駆コースあって老若男女とわず日曜にはレースしてて結果をSNSで流してて微笑ましい
タミヤ模型にはお世話になりっぱなしです。車、バイク、戦艦に至るまで順番待ちになっています😅その他塗装用品も充実しているので趣味に欠かせないメーカーですね。
タミヤね俺は他メーカーの大衆車模型が好きだった
今や業界標準ではありますが、タミヤがミリタリーモデルを1/35にしてしまったのは大きな禍根ですね。もし1/32で展開していれば既に商品化されている欧米の膨大な飛行機、自動車、鉄道模型などと組み合わせることができたわけで、本当に惜しいです。
その点については近年、田宮俊作会長も後悔したと語っていますね。ただ当時は飛行機モデラーは飛行機のみのスケール、自動車モデラーも自動車のみのスケールを意識していて他のカテゴリーのスケールには殆ど関心が無かったと言う背景もあったらしいです。ひとつのカテゴリーに拘ったモデラーも多かったそうです。今はカテゴリーを超えて製作されるモデラーも増えましたね。
@@彩雲雷鳴 その話は会長ご自身から数年前の講演会で直接聞きました。初期のM4A3E8シャーマンは電池サイズの関係で実は1/32だったという。
@@伊藤雲黒斎 何でも、タミヤのシャーマン戦車のキットは、自衛隊で解体されるところを取材してキット化したとか。
タミヤのマーク見掛けただけでワクワクするの俺だけか?
ご同輩!!!
分かりすぎる!
過半数の男児が持つ条件反射と言って良いと思います。
今度、娘の20歳の誕生日にタミヤTシャツ送ってみます。
私もです。プラモデルは90%以上タミヤ作りますね、たまにハセガワやアリイ。
完成ラジコンに、取り付けミスがあって、ギア周りに穴があいた。
メールで連絡したら、指摘したことを感謝してくれて、その周りの部品も影響があるのではないか、ということで壊れてたものと不足していたものに、周辺パーツ複数つけて、休日対応ですぐに発送したTAMIYAを俺は一生信用する。
タミヤ以外のキットを作ると、いかにタミヤが偉大なのか身をもって理解出来る。
普通に組んで普通以上のクオリティが高いから余計な事せずにちゃんと出来上がる。
最近の1/35のミリタリー物では田宮を超える精密度追求のキットも出てきた。
しかしストレスなく製作でき、カタログ掲載の完成品の様に仕上げる事が出来る田宮はやはり偉大。それとお値段もリーズナブル。
ちなみに田宮俊作会長は英国ファンでイギリス戦車や戦闘機を結構出しています。
ミリタリー好きの方は当然でしょうがタミヤの仕事は好むジャンル関係なく模型好きは読むべき名著だと思います。プラモのためにポルシェを全部バラしてディーラーが組み立て依頼されて困惑するとか、戦争博物館館で立ちションでたまったおしっこの中で戦車の下に潜り込んで写真を取りまくるエピソードとか壮絶すぎてバンダイも真似できない情熱が感じられる(今主流のガンプラも別のベクトルですごいけど)
追記事項を以下の通り記させて頂きます。
書名:田宮模型の仕事
著者:田宮俊作
出版社:文藝春秋社
発行:西暦2000年5月 以上です
@@ラリホー-m8v 同じ文芸春秋社から出ている田宮模型全仕事123も。こちらはタミヤが出した全製品をカラーで解説付きで紹介したもの。
タミヤがホンダのF1マシンをプラモ化して、取材させてもらったお礼に製品をホンダに持っていったら、それを見た本田宗一郎氏が再現度に驚いたっていうエピソードが好き❤
その後バッテリーの位置?が正確すぎてホンダ内で会議になった話も好き
@@WataruAoki-e7h そのようなエピソードなら、
米国の最新鋭の戦闘機(正式に詳細は非公開)のモデルを予想を含めてモデル化したら、
あまりに非公開の予想部分が正確すぎて、情報の漏洩元を米軍が躍起になって探したって話しも好きw
Fー1のチーム監督が再現度が高すぎて抗議したのを、本田宗一郎氏が「模型だから再現度が高く無いといかんだろ。」
で収まった
とかそんな感じの話だった気がする
@@stove_ga_suttobu僕は戦車の底面を想像で作ったら本物と同じでスパイ疑惑、って聞いたけど...戦闘機だったのね。
不器用な私は、プラモデル上手に作る人を尊敬致します。
ああ。上手に作れる人は、それはそれでうらやましいけど、作ってる時を楽しんでいるので上手くつくれなくても、うちは楽しいのでええかな^^。まあ、上手く作れるなら作りたいけどね。わかります。
タミヤのマークのない模型店を
探すのが難しい。
タミヤ模型と言えば「タミヤRCカーグランプリ」観ていましたね。😊
高い棚の上にあるビッグスケールにワクワクし、赤青のトレードマークに白い背景にクルマ、バイク、バギーの精密イラストのクールさにどきどきして、説明書の正確な図面。かちっとハマるパーツに精密なモールド。
塗料のナンバリング
今も箱を開けるたびに幼少の思い出が蘇ります
TVチャンピオンのミニ四駆の回が印象深い。父子のチームでの戦いで、ミニ四駆の名前当て。たくさんあるミニ四駆を子供が選んで持ってきて、お父さんが当てる。で、どこかのチームが間違えるまでのサバイバル。どこも正解して終わらない。だが、あるチームが細かい点を間違えて脱落。で、司会者がその負けたチームの子供に『お父さんが間違えて負けちゃったね』とインタビュー。そこで帰ってきた子供の声が『お父さんも僕もベストを尽くして満足です』といったもので、お父さん号泣。で、他のチームのお父さんも泣き出し、見ていた私も泣いていた(笑)
静岡に出向になった時、タミヤ本社の見学会があったので訪問しました😅参考にしたポルシェ934ターボやプラモのモ子ちゃんに会えたのが良かったです😂
静岡は徳川家康公が引退した後、職人さんも多く付いていき手先が器用な人が多くタミヤやバンダイ等プラモの街になった様です😅今でも静岡ホビーショーとかかなりの規模でやってます
20代の社会人時代は模型業界で過ごしました。
まだ発売前のタミヤさんのラジコンヨットの試作品を本社に返却に行った時に物が物だけに自動ドアの上部にヨットの帆が当たらない様に腰を落として入って行ったら滑稽な姿だったのか受付の人に笑われた思い出が有りますw
新卒で就活してた頃、タミヤに資料請求したら数日後「当社は定期採用は実施しておりません。欠員が出た時点で必要な人数だけ補充する不定期採用をしております。末筆ながら貴殿の益々のご活躍をお祈り申し上げます」的な一枚の文面が送られてきました😂
プラモと言ったらやはり田宮模型だね。24分の1のスポーツカーシリーズは他社の同型と比較して細かい箇所が丁寧に作られていた。
それとプラモデルに隠れてはいるが工作シリーズは好きだった(今もあるけど)。
@@PORSCHE911TurboGTRX7 ギリギリまで部品を減らしながら、精巧に仕上がるのかタミヤの真骨頂。
年を取ってもう作らない でも永遠のフォロワー あの楽しさを与えてもらったことに感謝してます。
でも、今の子は模型やプラモくらいは作らしてあげてもいいと思います。物を作る(組み立てる)楽しさを肌で感じてもらいたい。それでこそスマホ依存症の改善にも役に立つし、いわゆる創造力が身について子供の教育にもいんじゃないでしょうか。
そうですね。ゲームでは味わえない新しい発見が数多くあると思います。子供達にはモノづくりの楽しさを経験してもらいたいです。
精密なプラモデル=タミヤ模型 というのが子供の頃の共通認識でした。 ウォーターラインシリーズ買うときも、好きな艦がタミヤ製だと嬉しかったな~。(他のメーカーさんごめんなさい)
タミヤ模型と言えば硬派なイメージがありますが、実は約40年前に「プラモのモ子ちゃん&ラビくん」という今で言う萌えキャラ・ゆるキャラを看板キャラクターにしていました
昨今のブームを鑑みると先見の明があったんですね
ふじたゆきひさ先生ですね。
今も健在です。
高校生の頃ハマってました😅
色々冊子とか見てました😅紙ねんどでフィギュア作りかけたし…😅
大人になって静岡に出向になりタミヤ本社の見学会に行った時ギャラリーに有りましたよ❤懐かしかった〜😊
2018年から不定期で大日本絵画「モデルグラフィックス」誌に掲載された、「既存のキットをガルパン登場仕様に仕上げる紹介」の「パンツァーアナトミア」、今年2月に一冊の本に纏められて単行本として発売されましたね。ガールズ&パンツァーは藤田幸久先生にとっても嬉しかったのかも
塗装テクニックガイドみたいな冊子買いました。ヨレヨレになっているけどどこかにしまってあるはず。
プラモ作りで思い出すのが水に浸けてから貼るデカール。水分が多いと貼ってから滑るし、少ないと指にくっ付いたり貼ってシワになったりしたな… それを直そうとしたら破れるんよw
タミヤの木工模型って、少なくとも80年代後期ぐらいまではそれなりに人気があったと記憶しています。
私が通ってた小学校だけの話かもしれませんが、
『プラモデルはダメだけど木工模型ならOK』
という事で、夏休みの工作宿題としても認められていました。
平成前期あたりめっちゃお世話になったなぁタミヤ…。たまらなく懐かしい気持ちになる。
小松崎茂さんに箱絵を依頼しに行った時、会話の中で「バルバスバウ」という船舶の専門用語を口にしたら、相手が大喜びして交渉がスムーズに進んだ話が好き。
もう一生ついていきます。これからも精密で素晴らしいキット発売してください。
田宮模型の歴史、二十年くらい前に読んだよな。全てが懐かしい。当時からの国内のライバル企業は、ほぼ廃業…棲み分けたバンダイ、ハセガワくらいか…
ポルシェ911のプラモデルを精巧に造る為に 本物を購入して ネジ一本単位まで分解して 念入りに調べ上げた話は好き。
直せなくなったから、ディーラーに泣きついたとか😂
それで911を発売するのか・・と思ったらマニアしか知らない934で・・売れなくて何とかしなきゃでラジコンにしたらバカ売れ。デファレンシャルギヤが標準装備で狭い場所でも走らせられたのが魅力。
911のRC化は滝博士の功績も大きいですね
@@user-tg6cl9nk8k
その滝博士は元々経理部門の人で休み時間はラジコンで遊び
開発部に行かせろと業務日誌に書き続けた
初代フェアレディZやホンダCB750Fourのキットを作った際は、実際に実物を購入して開発したとか。
子供の頃、よくタミヤの戦車のプラモデル作りましたね😊懐かしいです😄
老舗の模型メーカー「タミヤ」の歴史がミニ四駆の歴史を通信にテンポよくまとめられていてとても見やすい動画でした。
やはり老舗だけあり、最初から経営も順風満帆ではなく、トライ&エラーを繰り返しつつ、つかんだチャンスを確実にものにしていく、経営感覚にも優れたメーカーだったのですね。
そして印象的だったのが、作る人の目線に立った製品作り、一見社長の思い付きに見えるアイディアても、真剣に検討して製品つくりをする姿勢は日本のモノづくりの良い例であると感じました。
チャンスを逃さない・・ウクライナで毎日今も死人が出てる戦車を速攻で「ウクライナ戦仕様」商売だから真っ当だが、ロシアのお母さんは「息子の仇が玩具になってる」発売は「戦後」落ち着いてからにして欲しかった。
何年か前にふと、子供の頃見たタミヤサーキットを見てみたくなり静岡へツーリングのついでにタミヤサーキットに行きました。テレビで見ていたイメージと違い結構こじんまりとしていたのが印象的でした。でも、子供の頃憧れていたタミヤサーキットに行けて満足しています
あたおか (褒め言葉) レベルの某玩具メーカーは置いといて、タミヤのプラモデルはパーツの合いが良く、組みやすいんですよね
塗装すると塗り分けで地獄を見ますが・・・w
キャラモデルといえばバンダイとアオシマ、スケールモデルといえばハセガワそしてタミヤ…というイメージですねー
…と言いたいところですが、ハセガワが昨今キャラモデルで攻勢をかけているのが実に面白い!
タミヤはスケールモデル一筋ってところに質実剛健さをかんじます
ハセガワは総合模型メーカーへ転身しようとあの手この手で頑張ってますね。
ただもう飛行機は作らない(作るものがない)と言ってるのがさみしいですけど。古いキットのリメイクとかやってくれないかなぁ。
@@toybox8492 長谷川の飛行機模型の凋落は1/32紫電改の誉発動機のエキパイが前列シリンダーに届いていない。これをタミヤが発売してればねぇ。
アオシマはキャラクター物に関してはバンダイという「越えられない壁」に敗れ続けたと思います(トラック野郎シリーズを出したかったけど、バンダイと東映のコネに敵わず。イデオンのプラモを出すもガンプラには勝てず)。故に「痛車」シリーズと「艦これ×ウォーターラインシリーズ」は悲願だったのかなと…それでも21世紀に入ってから、製品開発:アオシマで販売:バンダイの「1/32 一番星号」が登場しましたね。其処から、バンダイから「色プラ+接着剤不要」のノウハウを引き出して「楽プラ」シリーズが始まったのかなとも思っています
@@toybox8492 その飛行機のハセガワがアッと言わせたのが1/32の紫電改。なにしろ誉エンジンのエキパイが前列シリンダーに届いていない前代未聞の迷作。もう飛行機諦めたなと思ったら転進してたww。
@@伊藤雲黒斎 ハセの飛行機職人さんはファインモールドさんに転職されたって噂は聞きますね…
自分のタミヤとの初めての出会いは第二次ミニ四駆ブームだったなぁかなりハマってたわ
二次ブーム末期辺りから離れてたけど何年か前にまたミニ四駆作ってそこからまたミニ四駆買うようになって最近はその他にも通常のスケールモデルも作ってます
プラモはタミヤ!戦車をいくつか作ったけど、タミヤだけはちゃんとどのパーツもちゃんとはまるし細かく出来てるし
説明書も見やすい
タミヤのマークを見ると作る前からプラモに対する安心感が半端なかった(・ω・`)
ミニ4駆。俺が中学生の頃、中央に溝のある8の字コースでのレシングカーが流行っていたゾ。
レースカーの全部中央に凸型の集電装置が付いていて、色々作っては競争に明け暮れていたよ。
鳥山明先生が、タミヤ主宰の「人形改造コンテスト」に作品を出してたなぁ~😁
あったねー‼️タミヤの専門紙に掲載されていました
最初に出したアレはとにかくレベルの違う出来だった。当然のように金賞受賞。絵だけでなく立体もイケるのかと、当時は感服したものです。
1986年の第14回の時でしたね。作品の構図+米軍ハーレーダビッドソンの作り込み+操っているMPの表情と服装の作り込み、そして「MPの人形とモーターサイクルの塗装仕上げ」…もう文句無しの出来ですよね!故に、後年「米軍ハーレーダビッドソンに跨る、孫悟空」の絵が創られたのかと思っています
他に、とんねるずのみなさんのおかげですの人気コーナーの仮面ノリダーのノリダー対カニ男の場面を再現したモデラーもいました。
私が小学4年生の頃に初めて紫電改を作ったのが私のプラモ人生のきっかけでしたね、S40年頃ですね、その後メーカーは解りませんでしたが色々作って行くうちにパーツの合いやデテールの違いが分かるようになると作るのはタミヤになっていきましたねその後はスロットルレーシングに嵌り、引っ越しから模型店の無い街へ、そして二十歳の頃に京都へ、洛南模型さんにはタミヤノカタログを取り寄せてもらって、かったぱしから1/12シリーズを作り、お寿司屋さんから何故か店頭に飾る大和の模型が欲しいとお願いされ1/350の大和作成古都期はスロットルレーシングように持っていたハンブロールのエナメルで甲板と細部、窓、などを塗り当時としてはかなり精巧にできたと思っていました、依頼者には大変気にっていた大来ましてその後5年ほどお店のショーウインドウに飾ってありましたね。ラジコンは申し訳ないですがエンジンラジコンでしたね、京商のクリアボデーだったと思います。結婚後子供が小学生の頃にミニ4駆が流行りコースと一緒に購入親子で楽しんでいました、最近になりまたプラモ制作を始めたんですが新しいアイテムが多くて勉強の毎日です。つい最近もタミヤさんの1/24スポーツカーシリーズのソアラと240Zを手に入れましたので作ろうと思っています。
今ミニ四駆は三次ブ-ムで早い人で孫と一緒に遊ぶらしいですね。
ブームというか既に定番ホビーとして定着してる様に思えますけど。
バブル期のF1ブームの時にはF1マシンのキットでお世話になってました。あの頃は情報が少なく、マシンの細かいディテールを観察するのにプラモを眺めてました。
多分今もそうなんだと思いますが、他のメーカーが1/24で作ってる中タミヤは1/20だったんですよね
ミリタリーの1/35はデファクトスタンダードになりましたけど、こっちは流石にそうはいかなかった
でっかい方のは1/12でしたね、フェラーリ641/2だけ作ったことがありました
価格もすごかったですがディテールは半端なかった
@@mamachuhchi
カーモデルが1/24の中でタミヤのF1モデルは1/20でしたね。メカ部が凝っててすごい情報量でした。
自分も641/2は誕生日に買ってもらいました。長いサイドポンツーンが大迫力でした。
F1のサイズが 1/20なのは、戦車の時と同様で電池とモーターを組み込んだ時に破綻しないサイズとの事。
実際モーターを入れてたのは
70年代くらいまでだけど…
@@源兵衛-f5m
そんな理由があったんですね。ありがとうございます。
タミヤなら、楽しい工作シリーズを忘れてませんか!
「模型とラジオ」の制作記事を見ながら、白ボールとバルサと朴板、
高速、強力の両ギアボックス、トラックタイヤセット、レーシングタイヤセットと格闘しました。
今では全て刷新されてしまい、金属製ギアのギアボックスは絶版になってしまいました。
当時と同じく楽しめる様に、70、80年代の模型とラジオ誌と、旧版楽しい工作シリーズを
大量にストックしてあります😊
楽しい工作シリーズは、タミヤカタログと同じサイズの本もありましたね。
ウォーターラインシリーズとかミリタリーミニチュアシリーズはアニメのお陰で息を吹き返しましたね
ガールズ&パンツァーと艦これに対しては直接的な協力ではないものの、それらのシリーズの為に製品供給はしましたね。ガルパンについてはチョイ役で登場した車両(ランドローバーSAS仕様等)のキットをしれっとスポット生産したりで…
戦車は高くて買えなかったから、歩兵セットを買ってた記憶が蘇った。ドイツ軍の。。。
ミニ四駆はカーモデルキットでは特に好きです、タミヤは売れ行きが不調になる事を考え、流行り物のメカはキット化せずの方針であると聞き、刑事ドラマが熱かった時代に、車両設定協力をしたメーカーの劇用車を商品化しない理由が解りました、土屋博嗣さんの訃報は物凄くショックだった…。
キット、制作道具ともにいつもお世話になっております。
プラモ大好き…幼い頃は憧れ中高大と時間あれば作ったな社会人になってからも少し…色々ストレスあると集中出来ないのが模型作り…今は老眼と手先の衰えでやれなくなった、下手でも自己満足だから若い人にはお勧め、全く金のかからないのに没頭出来る良い趣味です😊
中学生の時に、帰る途中にブラモ屋があって、同級生とよく寄った!店の名前は『ピンバイス』だったけど…TAMIYAの看板が、店舗にあった…
江東区のピンバイスなら日本でも超有名な模型店です
首都圏の名のあるモデラー達の御用達でしたね
子供の頃タミヤのキットは高嶺の花だったのでなかなか買えなかった。小学校高学年の時お年玉で1/12スケールのポルシェ934を買うが完成とは程遠い状態のまま投げてしまったことが未だに悔やまれる。
わかります~
ずっと一人で頭から煙出しながら頑張っても組めない。細くて弱い部分のパーツ折っちゃったりシール上手貼れなかったり、、。
組み上がると全く見えなくなっちゃうトコもとんでもなくちゃんと作ってあるんですよねえ。
当時は自分の技術も稚拙だったし道具もロクなものを使ってなかったので結果は分かり切っていました。w 記憶は曖昧ですが、934はエンジンだけでなくフロントのステアリング機構までしっかり再現してあってまさに実車をスケールダウンしたような精密さだったのを覚えています。あのキットは国産モデルのオーパーツと言えるでしょうね。
田宮のロゴを見るとワクワクします。今は絶滅した模型屋、学生時代には自転車で新しい模型屋を探しに出かけることも多かった。
個人的にはウォーターラインシリーズにハマりました。
第二次ミニ四駆ブームドンピシャ世代だけど、ミニ四駆辞めて30年近く経った今でも街中でタミヤのマーク見かけると何かワクワクするような気分になるのホント凄いと思う
確か、ちょうどこの頃バトル鉛筆(略してバトエン)とかってのも流行りましたね。今はもうあってもやる子いないでしょうね。
でもね、初心者にも作りやすいよう
出来るだけシンプルな分割や構造にしているのはいいんだけど F1模型でラジエーターパイプを丸っと省略したりMotoGPマシンでどうせ完成したら見えなくなるのだけどインジェクション&ファンネルとか省略するのは
ちょっとなぁ〜とは思う。
あと、結構アレンジ入ってるし…
爺は高い戦車が買えず安いケッテンクラートが好きなんだよな
わかりますwww
タミヤ提供のミニ四駆グランプリの番組がテレ東であった。
本社は静岡県静岡市駿河区。
タミヤRCカーグランプリはいい番組だった
@@hanetarou 昔、春風亭昇太さんがMCでした。
オヅラと日高のり子もな。
@@pastelpureakgjze5791 今は、笑点第6代目司会者。
ミニ四駆の最初はトラックのウニモグでしたね。オレンジカラーで500円モーター付き。タミヤ木製巡洋艦シリーズで友達と作ってはお寺の堀で遊んでいました。
ミニ四駆や周辺のパーツをよく買っていた。
ブラックセイバーやシャイニングスコーピオン好き。
タミヤセメントは最強です。
タミヤ限らずだけど、説明に書いてある乗り物のデータが勉強になる
どこぞのレーシングチームだったか忘れたが、レーシングカーの図面は社外極秘なはずなのに
「タミヤなら信用出来るから図面を公開します」という話が田宮俊作会長の本にあったなあ。
ボルト1本の位置まで正確に再現されたとか。
それだけ世界的に信頼されている会社なんですね。
子供の頃MMシリーズの戦車にはっまてた懐かしいなあ。
スケールモデルに他社のRCメカを組み込んで自作したラジコンを
昼休みに会社の駐車場で遊んでる社員が居て、
それを見かけた社長が商品化してみなさいと言ったのがきっかけでポルシェのRCモデルが発売された。
その社員ってのがのちの滝博士。
次期社長は、婿養子なんだけど、清水区の老舗木材販売会社の息子さんなんだよな
前社長は人格者でこれで安泰と思ったら早世されたしねぇ。もしもハセガワと合併したら補完し合ってさらに発展したと思う。
論理も大して理解できていない子供でしたが、ワンウェイホイールはメカ感が増して好きでした。今は重量増が仇となって不人気らしいですね
海外でも日本ブランドとしてAFV、カーモデル、RC等は有名ですよね。
あちらの模型雑誌でも広告は勿論、タミヤ特集あったりモデラーさん作品も結構載ってて驚きました。
ケミカル製品は、海外の方が本場ですが、タミヤカラーなんかも人気なんですよね。
自分はミニ四駆→AFV→カーモデル→ラジコンとお世話になりました。
3段変速、電飾、音、振動のラジコンが出た時は感動したなぁ、即買組み立てして走らせましたよ楽しかったですなぁ
F1のプラモもいくつか作っていて、ロータスのスポンサーにもなっていた。
ミニ四駆全盛期、タミヤのハイパーモーターとか買ったなぁ
懐かしい
ゴールドモーターとかいうのもあって、買ってもらった
あれはタミヤじゃなかった淡い記憶が
船橋にまだタミヤの実店舗があるね
子供の頃RCのマイティフロッグが出た時めっちゃ欲しかったけど高くて買えなかったなぁ。
何故か知らないがプラモ作らなくなった今、たまに平日休みに模型屋に行ってはタミヤの水性カラーを買い漁ってるのだが…
多分、塗料をコレクションしてるだけなのか笑
模型屋に入った時の塗料が並べられた棚?あれに憧れてるのかも笑
1/35の戦車や1/700の艦船は結構作りました。
4社共同企画だったウォーターラインシリーズを古くから作ってきた人なら、タミヤのすごさは痛いほどわかると思う。
「あ~っ! もうっ! 全部タミヤが担当してくれ!」と何度思ったことかw
しかし登場時の大和はヒドいもんだったよ。リニューアルされてホッとした。
おっと、ア〇シマへの悪口はそこまでだ
@@ksukehgmt1アオ〇マはプロポーションはいいそうですよ。見方変えればそこしか褒める所がないww でも真大戦機シリーズあたりから劇的に向上してますもんね。CB400Fなんて感涙しました。
昨年末に20年ぶりにカーモデラーに復帰して、買って買って作って作って、作りまくっています❗️今年だけで160台を超えました😂
60年代のJOE90やアポロのプラモデルもよかったなぁ~上箱が堅い紙で高級感があって。
空母の模型は難しい。(エンタープライズ)と戦艦アイオワ
今だにスケールモデルは先ず「TAMIYA」ってイメージがありますね!!ラジコンに関しては
TAMIYAさんにしています。
よく「スケールモデルのタミヤ」と言われていますね。
レースなどで、純粋にRCカーの速さを求めるならベルト駆動なのですが、タミヤはシャフト駆動のRCカーも出しています。
タミヤ初の4WDRCカーの「ホットショット」がシャフト駆動になったのも「実車の4WD車がシャフト駆動」という事も関係しているらしいです。
ミニ四駆は会長が幼い孫娘と遊ぶためだったってのは聞いてたけど
二次ブーム終焉にはモーター巻き直しとか自作部品搭載て限りなくブラックに近いグレー面もあった
たしか、創業者の田宮義雄は
「日本中を焼野原にしたB29は絶対にモデル化しない」
と言ったといわれ、今まで一度もモデル化してないんですよね。
プラモと言えば田宮模型は有名ですよね!ミリタリーやF1よく作ってました!
タミヤ、世界一
やっぱり「タミヤ」といえば「ミニ四駆」でしょ😁(第2ブームの時作ってました)
最初のブームの頃、不器用な友に頼まれて製作代行したらサービス精神が盛り上がって塗装やベアリングなど施したら、友は自分が作ったと息子に言うつもりだったのに、サービスのおかげで「お父さんにできるワケがない」とバレたらしい。
タイレル6輪とF16とウォーターラインの大和と
キングタイガーばっかり作ってました 何度も何度も
エアブラシ、、カッティングマット、ニッパー、接着剤... 製作ツールはタミヤ一択。
鉄道模型のキット製作なもので、塗料はエナメル系以外はどうしてもクレオス(東京板橋に本社があるキットメーカーの塗料はクレオス互換の成分)になります。
タミヤのプラモデルって海外ではどのぐらい評価されているんだろう
テレ東のYouは何しにニッポンへでアルゼンチンから来たタミヤ大好きおじさんが田宮本社に行く回が好きです。たしか俊作社長(当時)にも会ってたような。
日本でレース活動をしていた某外国人ドライバーがラジコン上がりの某ドライバーに「タミヤと京商どっちがいい?」と質問してたエピソードがあるから海外でも認知度はあるかと。
@@starlightginga1 作ったモデルのランナーも保存している方でしたっけ?うろおぼえ
動画の中にもあるように、「星のマークを見つければそこは模型店である」と言う話になるくらいに有名…ドラゴン社とか出て来るまで(90年初頭)は戦車では業界の巨人だった筈や
フランスに何十年も住んでた日本人のおばあちゃんが、「日本では知らなくてもフランスにはタミヤ知らない人なんていない」って言ってた。
TAMIYA万歳🙌 ラジコン万歳🙌 プラモ万歳🙌
金型製作を自前でやるようになったから、1/24初代NSXみたいに、実車と同時販売もできたしな。
1975年半世紀前…ガッコの帰りに立ち寄る模型店の店主がTAMIYA NEWSや岩お菓子を無料でプレゼントしてくれてた…懐かしい思い出。30年位前に件の模型店を訪ねてみたら跡形もなかった大阪吹田市の高城模型店😢優しいおっちゃんが店主の懐かしのお店😂😂😂
ポルシェを模型化した時に全長と幅のバランスが悪く「見える」となって、デフォルメしてバランスを取るか本物に忠実なスケールダウンにこだわるか悩んだとか言う話が好きだ。
「モコちゃんの模型製ブック」は、小生の宝物の一つであります!
最近、模型プラモデル専門店って少なくなった、と感じるのは当方たけ?
なんか電気屋で売ってますよね!やはり模型屋独特の雰囲気が良いんですよね
@@haratatsu そうそう、あの専門店の狭さ、プラカラーの瓶、パーツの多さが醸し出す独特な雰囲気…良いね〜
その一因はね、タミヤがRCカーやミニ四駆を発売して販売店が客に不自由させないようオプションパーツ等を仕入れる。本体絶版→不良在庫の山 これが経営圧迫してるのよ。廃業する店のオバちゃんからずいぶん恨み言聞きました。あとはアマゾンとヨドバシカメラだな。
タミヤの星マークが胸に描かれたTシャツがファッションアイコンになるのは流石に予想できんかった。まあアレは着る人を選ぶ難しいアイテムだけど。
そういやミニ四ファイターと同時期にタミヤRCカーグランプリに出ていた「タミヤの前ちゃん」って楽天に転職したと聞いたな。
タミヤどころはハセガワもTシャツつくってますが?・・・両方持ってますが
@@temp-u6r うーんでもタミヤTシャツの方が有名でしょう
@@しろコンニャク 並べて見るとデザインの完成度と言うか「格」が違いますね…タミヤの星のマークの秀逸さが良く判ります
昔はタミヤの模型は硬派。青島のはキャラ系。とゆう感じだった。自分は青島のロボだっちからプラモに入った。今はあるか分からないけど、UFOのプラモデルがあった。自分はアダムスキー型作った。光部分のムギ球と配線は出来なかったので、母親にお願いして配線して貰って夜光らせてた😊
タミヤ初のパンサー戦車の模型って、実物の防盾の形状と異なってたんですね。
東映動画の演出家の田宮武さんは田宮一族の一員でアニメ作品に戦闘機や戦艦が登場する時は資料として模型を提供したそうですね😊
つくづく
タミヤがフェラーリから撤退したのが惜しまれる………
タミヤの製品はゲートが細い!というイメージがあり、ガンプラを作るたびに、タミヤにガンプラを製品化して欲しい!!と思うのであります・・・。
そもそもプラモデルの全国シェア80%(タミヤ、ハセガワ、青島文化教材社、フジミ模型、今井科学→倒産後に金型技術などがバンダイに買い取られる)の静岡県の基盤となるきっかけが、【徳川家康】が晩年に静岡県に移住し(駿府城の修築、死後には国宝・久能山東照宮などの建立のため)全国から優秀な木工細工職人が集まり、後にその技術が木製おもちゃ→プラスチック模型へと繋がるという話が好きです。
もう40年も前の小学5-6年の頃、タミヤのアメリカ軍の歩兵や匍匐前進する兵隊が10数体入ってるキットがにわかにブームになった。私が塾の帰りにたまたま買って、後日友人たちが見てって感じ。どこで買ったの?と聞かれ、10人くらいで模型店に行って皆で買い漁って、お店の方が、君たちのクラスは何が流行ってるのよwwと。普通に置くのではなく、発泡スチロールを買ってそこに色塗ったり接着剤で溶かしたり。要するにジオラマみたいなものを作ってたな。おっさんになった今でも、タミヤと聞くとワクワクするんだよね。
日曜日の朝はタミヤRCグランプリを見るのが習慣だったな
小松崎茂先生の作品に関する本で「田宮模型はプラモデルへの移行は遅い方だった」「パンサー戦車の箱絵を依頼する時、藁をも縋る思いで手紙を送った→小松崎茂先生は『いいですよ、家に来なさい。貴社を助けてあげましょう』と快諾された」と載っていた。
レーサーミニ四駆が世に出る直前、看板商品のMMシリーズは「冬の時代」で、あの鳥山明先生が「人形改造コンテスト」で金賞を受賞された1986(昭和61)年、MMシリーズの新製品は「無し!」だった
タミヤにある静岡市駿河区小鹿に発祥地の碑があると思います。
今でも近所に残る町のタミヤ直営模型店ではミニ四駆コースあって
老若男女とわず日曜にはレースしてて結果をSNSで流してて微笑ましい
タミヤ模型にはお世話になりっぱなしです。車、バイク、戦艦に
至るまで順番待ちになっています😅その他塗装用品も充実して
いるので趣味に欠かせないメーカーですね。
タミヤね
俺は他メーカーの大衆車模型が好きだった
今や業界標準ではありますが、タミヤがミリタリーモデルを1/35にしてしまったのは大きな禍根ですね。もし1/32で展開していれば既に商品化されている欧米の膨大な飛行機、自動車、鉄道模型などと組み合わせることができたわけで、本当に惜しいです。
その点については近年、田宮俊作会長も後悔したと語っていますね。
ただ当時は飛行機モデラーは飛行機のみのスケール、自動車モデラーも自動車のみのスケールを意識していて
他のカテゴリーのスケールには殆ど関心が無かったと言う背景もあったらしいです。ひとつのカテゴリーに拘ったモデラーも多かったそうです。
今はカテゴリーを超えて製作されるモデラーも増えましたね。
@@彩雲雷鳴 その話は会長ご自身から数年前の講演会で直接聞きました。初期のM4A3E8シャーマンは電池サイズの関係で実は1/32だったという。
@@伊藤雲黒斎 何でも、タミヤのシャーマン戦車のキットは、自衛隊で解体されるところを取材してキット化したとか。