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あの頃に流行った洋楽のヒット曲を鈴木さん小田さんが素晴らしい歌声で大変癒やされました。
やっさんのジュリー最高!貴重な音源ありがとうございます!
武道館のライブも素晴らしいですが、この頃のライブは色々と趣向を凝らしていているというか、その時点で彼らができうる事全てを全力でやっている感じがして好きです。そしてこの時期が一番彼ら自身楽しそうに演奏されているように思います。
そうですね。バンドサウンドが定着し、自分たちの好きな音楽をステージでも披露していた頃ですね。やがて、ファンが増えすぎたことに疲れてきて、バンドの方向性に迷いが出るようになっていきました。ヤスさんが抜けたいといったのもそういう経緯があってのことでしたね。
ホテルカリフォルニアまでも素晴らしい、勝手にしあがれにもおどろきです、素晴らしい音源ありがとうございます
「小さな部屋」で発表されたこの企画は、全国ツアーでも披露されたので、各地でご覧になった方もおられることと思います。オフコースが楽しいコンサートをめざしていた頃ですね。いい企画だと思います。こういうのが、のちに小田さんの「風うた」や「クリ約」といった番組へと発展していったのでしょうね。
当時は田舎の子どもだったので、オフコースは未知の世界でした、姉の影響でアルバム「ワインの匂い」の頃からのファンです。小さな部屋シリーズ等はじめて聞くことが出来て、感無量です。
2021年・58歳、1963年5月17日生まれのコメントですねまず小田・鈴木両氏ともに『時代より少し速過ぎた』&清水・大間・松尾氏『スリー&トゥ-』これは『奇跡』
1982.1.3NHK『若い広場』オフコースの世界まさにビートルズの『ゲットバック』
ビートルズの『ゲットバック』を見てオフコースの偉大さを再認識したのは、私だけではないのでは?
最後のヤスさんのジュリーの真似最高です♪ヤスさんの声は沢田研二に似てますね♪Togetherを初めて聴いたときたは沢田研二が唄ってたと勘違いしましたから…!(^_^;)
そうですね。声質が似ているんでしょうね。鈴木さんの歌のうまさは定評がありましたね。
鈴木さんって若い時、本当に素敵ですね。歌も上手だし、「ハンサム」だし。こんなに上品で、音楽の才能もあって、頭脳も優秀なミュージシャンは、なかなか、いないと思います。
鈴木さんは早くに結婚されたので、小田さんほどキャーキャー言われませんでしたが(元々、キャーキャーいうファンは初期の頃はほとんどいませんでしたが…)、その音楽性やリズム感を高く評価しているファンも多かったです。今でも鈴木派は根強く存在しています。二人とも稀有な才能の持ち主だったんですね。
確かにおっしゃる通りですね。お二人とも、高い音楽性というか、目標が高いがゆえに、きゃぴきゃぴしておられないので、自然とファンも意識が高くなるのだと思います。小田さんや鈴木さんのようなミュージシャンは、もう今後、現れないのではないでしょうか。オフコースは、適切な表現ではないですが、「人間国宝」にも値する存在に感じています。
これが『シモジマ』の『魂の叫び』
昨年のポールマッカートニーのツアーの曲も入ってる!偶然?
小田さん・鈴木さん・清水さん・大間さん・松尾さん、『誉めすぎ?』
この頃の小さな部屋には、清水さん、松尾さん、大間さんは一緒にステージに立ってたんですか?
1曲目のハードデイズナイト、ジョンパートは清水さん、ポールパートは松尾さんで歌ってるのですか??
鈴木さんの声って本当に沢田研二に似てます。この頃の鈴木さんは、背も高く、見た目も良くて、あらゆる面で素敵な男性だと思います。途中で加入する3人の方もいらっしゃるのですね。私個人の意見ですが、3人の方達は正式に加入せず、あくまでもバックバンドとして、いてくれたらと思っています。それならば、オフコースが人気グループになっても、鈴木さんが脱退するようなことは、なかったかもしれません。
そうですね。当時、ジュリーに似ているとすごく思いました。知人で東工大出身の人がいるのですが、その人の話では、鈴木さんはやはり東工大ではちょっと違う存在だったと言っていました。着ているものも他の学生とはちょっと違っていて、「芸能人」という雰囲気が漂っていたそうです。でも、プロをめざしたのは大学卒業後なんですけどねw そんなイメージだったということなんでしょう。でも、あとから入った若い3人の力がなかったら、オフコースの成功はなかったでしょうし、小田さんも鈴木さんも音楽を続けていなかったかもしれないので、なかなか「もし・・・」という話は難しいですよね。
いつもご丁寧に返信ありがとうございます。オフコースの成功ということを考えると仰ることが、ごもっともですね。唯、これは私の好みなのですが後期のアルバムに松尾さんの歌が入っていますが、私は、あの方の声が嫌なので、飛ばして次の曲を聞いてしまいます。ファンの方には申し訳ないのですが。鈴木さんですが、長身でハンサムな(昔の表現)方ですから、特に当時の人としては、目立ったでしょうね。
たしかに松尾さんファンが聞いたら起こりそうですがw、当初、小田さん・鈴木さんは自分たち以外の声がコーラスでも何でも入るのが「気持ち悪い」と言っていました。それがツアーなどでバックコーラスに入ってもらっているうちに違和感がなくなり、行動を共にするうちに彼らの個性も重要だと考えるようになったんですね。また、若い世代を育てたいという気持ちもあったようです。どちらかというと、鈴木さんは正式メンバーにするのは反対で、小田さんはメンバーにしたいと考えたようです。そのあたりも二人それぞれの考え方があったことがうかがえます。初期に鈴木さんが表に出ていたのは、無愛想な小田さんよりもにこやかな鈴木さんの方が受け入れやすかったという事情もあったでしょうね。ステージでのMCも鈴木さんがはじめはやっていたのですが、ある時、何かがきっかけとなって、小田さんが「これからオレがやる!」といって、変更になりました。以後、鈴木さんはステージでは1回ぐらいしか語らなくなりました。
3人の方の加入の件は、、オフコースが武道館コンサートを行なった絶頂期に、様々な本が出版されて、その中に小田さんと鈴木さんの意見の違いが、書かれていました。どちらにしても鈴木さんがオフコースを脱退してから30年以上も、経っている訳ですから、過去のことですね。もう70歳の小田さんと鈴木さんですし、いい人生だったなと、振り返るような年齢になられたのだと思います。いつも丁寧にお返事を下さり、ありがとうございます。
たしかにもう古希を迎えて、かつてのわだかまりもほぼほぼ消えて、いい思い出、いい人生としてそれぞれが語り合える時期になっていると思います。実際、現在もそれぞれ親交があり、鈴木さんと3人のメンバーは共に舞台に立つこともありますし、小田さんも松尾さんの楽曲のピアノを演奏したりしています。小田さんのツアーに参加しているメンバーが松尾さんのライブのお手伝いをしたり、そのつながりは直接・間接の形で現在も続いているといえます。小田さんのラジオ番組に鈴木さんがコメントを寄せたり、鈴木さんが出たNHKの番組に小田さんが手紙を送ったり、そういうほほえましいエピソードも最近ありました。時が流れて、いろいろなことが伝説になっていき、ご本人たちもファンも高齢化してしまいましたが、やっぱりオフコースは永遠だなと思います。いつもコメントありがとうございます。嬉しかったです。
私の葬式、『思い出を盗んで』で送って下さい。『5人のオフコース』が私の『青春』でした。
正しくは『下々』
間違い『シモジモ』が『正解』
あの頃に流行った洋楽のヒット曲を鈴木さん小田さんが素晴らしい歌声で大変癒やされました。
やっさんのジュリー最高!
貴重な音源ありがとうございます!
武道館のライブも素晴らしいですが、
この頃のライブは色々と趣向を凝らしていているというか、
その時点で彼らができうる事全てを全力でやっている感じがして好きです。
そしてこの時期が一番彼ら自身楽しそうに演奏されているように思います。
そうですね。バンドサウンドが定着し、自分たちの好きな音楽をステージでも披露していた頃ですね。やがて、ファンが増えすぎたことに疲れてきて、バンドの方向性に迷いが出るようになっていきました。ヤスさんが抜けたいといったのもそういう経緯があってのことでしたね。
ホテルカリフォルニアまでも素晴らしい、勝手にしあがれにもおどろきです、素晴らしい音源ありがとうございます
「小さな部屋」で発表されたこの企画は、全国ツアーでも披露されたので、各地でご覧になった方もおられることと思います。
オフコースが楽しいコンサートをめざしていた頃ですね。いい企画だと思います。
こういうのが、のちに小田さんの「風うた」や「クリ約」といった番組へと発展していったのでしょうね。
当時は田舎の子どもだったので、オフコースは未知の世界でした、姉の影響でアルバム「ワインの匂い」の頃からのファンです。小さな部屋シリーズ等はじめて聞くことが出来て、感無量です。
2021年・58歳、1963年5月17日生まれのコメントですね
まず小田・鈴木両氏ともに『時代より少し速過ぎた』&清水・大間・松尾氏『スリー&トゥ-』これは『奇跡』
1982.1.3
NHK『若い広場』オフコースの世界
まさにビートルズの『ゲットバック』
ビートルズの『ゲットバック』を見てオフコースの偉大さを再認識したのは、私だけではないのでは?
最後のヤスさんのジュリーの真似最高です♪
ヤスさんの声は沢田研二に似てますね♪Togetherを初めて聴いたときたは沢田研二が唄ってたと勘違いしましたから…!(^_^;)
そうですね。声質が似ているんでしょうね。鈴木さんの歌のうまさは定評がありましたね。
鈴木さんって若い時、本当に素敵ですね。歌も上手だし、「ハンサム」だし。こんなに上品で、音楽の才能もあって、頭脳も優秀なミュージシャンは、なかなか、いないと思います。
鈴木さんは早くに結婚されたので、小田さんほどキャーキャー言われませんでしたが(元々、キャーキャーいうファンは初期の頃はほとんどいませんでしたが…)、その音楽性やリズム感を高く評価しているファンも多かったです。今でも鈴木派は根強く存在しています。二人とも稀有な才能の持ち主だったんですね。
確かにおっしゃる通りですね。お二人とも、高い音楽性というか、目標が高いがゆえに、きゃぴきゃぴしておられないので、自然とファンも意識が高くなるのだと思います。小田さんや鈴木さんのようなミュージシャンは、もう今後、現れないのではないでしょうか。オフコースは、適切な表現ではないですが、「人間国宝」にも値する存在に感じています。
これが『シモジマ』の『魂の叫び』
昨年のポールマッカートニーのツアーの曲も入ってる!偶然?
小田さん・鈴木さん・清水さん・大間さん・松尾さん、『誉めすぎ?』
この頃の小さな部屋には、清水さん、松尾さん、大間さんは一緒にステージに立ってたんですか?
1曲目のハードデイズナイト、ジョンパートは清水さん、ポールパートは松尾さんで歌ってるのですか??
鈴木さんの声って本当に沢田研二に似てます。この頃の鈴木さんは、背も高く、見た目も良くて、あらゆる面で素敵な男性だと思います。途中で加入する3人の方もいらっしゃるのですね。私個人の意見ですが、3人の方達は正式に加入せず、あくまでもバックバンドとして、いてくれたらと思っています。それならば、オフコースが人気グループになっても、鈴木さんが脱退するようなことは、なかったかもしれません。
そうですね。当時、ジュリーに似ているとすごく思いました。知人で東工大出身の人がいるのですが、その人の話では、鈴木さんはやはり東工大ではちょっと違う存在だったと言っていました。着ているものも他の学生とはちょっと違っていて、「芸能人」という雰囲気が漂っていたそうです。でも、プロをめざしたのは大学卒業後なんですけどねw そんなイメージだったということなんでしょう。
でも、あとから入った若い3人の力がなかったら、オフコースの成功はなかったでしょうし、小田さんも鈴木さんも音楽を続けていなかったかもしれないので、なかなか「もし・・・」という話は難しいですよね。
いつもご丁寧に返信ありがとうございます。オフコースの成功ということを考えると仰ることが、ごもっともですね。唯、これは私の好みなのですが後期のアルバムに松尾さんの歌が入っていますが、私は、あの方の声が嫌なので、飛ばして次の曲を聞いてしまいます。ファンの方には申し訳ないのですが。鈴木さんですが、長身でハンサムな(昔の表現)方ですから、特に当時の人としては、目立ったでしょうね。
たしかに松尾さんファンが聞いたら起こりそうですがw、当初、小田さん・鈴木さんは自分たち以外の声がコーラスでも何でも入るのが「気持ち悪い」と言っていました。
それがツアーなどでバックコーラスに入ってもらっているうちに違和感がなくなり、行動を共にするうちに彼らの個性も重要だと考えるようになったんですね。
また、若い世代を育てたいという気持ちもあったようです。
どちらかというと、鈴木さんは正式メンバーにするのは反対で、小田さんはメンバーにしたいと考えたようです。
そのあたりも二人それぞれの考え方があったことがうかがえます。
初期に鈴木さんが表に出ていたのは、無愛想な小田さんよりもにこやかな鈴木さんの方が受け入れやすかったという事情もあったでしょうね。
ステージでのMCも鈴木さんがはじめはやっていたのですが、ある時、何かがきっかけとなって、小田さんが「これからオレがやる!」といって、変更になりました。以後、鈴木さんはステージでは1回ぐらいしか語らなくなりました。
3人の方の加入の件は、、オフコースが武道館コンサートを行なった絶頂期に、様々な本が出版されて、その中に小田さんと鈴木さんの意見の違いが、書かれていました。どちらにしても鈴木さんがオフコースを脱退してから30年以上も、経っている訳ですから、過去のことですね。もう70歳の小田さんと鈴木さんですし、いい人生だったなと、振り返るような年齢になられたのだと思います。いつも丁寧にお返事を下さり、ありがとうございます。
たしかにもう古希を迎えて、かつてのわだかまりもほぼほぼ消えて、いい思い出、いい人生としてそれぞれが語り合える時期になっていると思います。
実際、現在もそれぞれ親交があり、鈴木さんと3人のメンバーは共に舞台に立つこともありますし、小田さんも松尾さんの楽曲のピアノを演奏したりしています。
小田さんのツアーに参加しているメンバーが松尾さんのライブのお手伝いをしたり、そのつながりは直接・間接の形で現在も続いているといえます。
小田さんのラジオ番組に鈴木さんがコメントを寄せたり、鈴木さんが出たNHKの番組に小田さんが手紙を送ったり、そういうほほえましいエピソードも最近ありました。
時が流れて、いろいろなことが伝説になっていき、ご本人たちもファンも高齢化してしまいましたが、やっぱりオフコースは永遠だなと思います。
いつもコメントありがとうございます。嬉しかったです。
私の葬式、『思い出を盗んで』で送って下さい。『5人のオフコース』が私の『青春』でした。
正しくは『下々』
間違い『シモジモ』が『正解』