ขนาดวิดีโอ: 1280 X 720853 X 480640 X 360
แสดงแผงควบคุมโปรแกรมเล่น
เล่นอัตโนมัติ
เล่นใหม่
沿線の住民なので、凄く懐かしく感じます。子供の頃、オレンジ色の電車(国鉄系?)が好きでした。今では能登川駅もずいぶん立派になりましたね。
米原~野洲間は現在とまったく変わっていませんが、ここ30年近くの間で大きく変わったのは、北陸本線への乗り入れが行われるようになったことです。まず1991年9月14日の米原~長浜間直流化の際、事前に坂田を米原寄りに200m移転したことなどに始まり、続いて長浜~敦賀間直流化の際に長浜・木ノ本の2駅を橋上駅化(これに先行すること高月も2005年10月に橋上駅化)して利便性を整えたほか、毎時2本あった長浜行きのうち1本を大阪発7~14時台は近江塩津行きとし、15~18時台はさらに敦賀まで延長して現在の姿と化しました(米原以北は各駅停車)。
今では米原ではなく、敦賀が起点ですね。変わりました。
いやいや、米原駅は凄まじいほど変わっていますよ。この列車が発車するのは当時の3番線ですが、これがあったのは今近江鉄道の駅舎がある所より南側ですからね…(旧1~5番線ホームを1998年に廃止し構内を縮小して今日の2・3番線ホームを設けている)
@@speedbird019 京阪神から来て米原より先も引き続き運行する新快速は、長浜折り返しも含め、曜日を問わずしてほぼ終日4両編成で運転しています。
南彦根のビバシティができる前か
そのようです。
野洲駅に到着した時、117系の上り新快速の到着と同時やけど、野洲駅に着くまで新快速とのすれ違いが1回も無いことに違和感有る。逆に113系の上りの快速と3回もすれ違いがある事が凄かった。当時新快速の運転本数が今よりも少なかったのかな〜って気になる。
駅のチャイムが昔の尾張一宮や名古屋駅と同じですね
稲枝 篠原は貨物列車待機の中線が撤去して間もないです。それはヤード集結の低速貨物列車が廃止したことと民営化後の費用削減です。
その時の米原駅のアナウンス、こんな状態だったのですね。昔の大阪駅もこのような行き先案内自動アナウンスでした。
アナウンスも昔の感じがします。令和に成り変わりましたね。
平成19年ぐらいから運行管理システムが入り現在の声になりましたね
沿線住民なので まさに野洲の車両基地の隣りなので 家の屋根がかすかに映ってましたね。
南草津駅ができる前ですね!
113系快速が懐かしいよ‼️ところで、221系が、米原ー姫路間で引退する際に、リバイバル新快速を運行して欲しいと思いますか?
やってほしいですね。できれば当時の停車駅で
@@speedbird019 実は、私の小学校時代の友人が、JR西日本の広報室に、勤務してる者が、いまして、彼が言うには、221系が、本線から引退する際、リバイバル新快速の運転を施行して欲しいとの要望が多数寄せられています。10月から、現在、試験運転中の225系100番台が、営業運転に入り、221系の奈良への移動が、始まります。現在、221系は、おおさか東線で、試験運転を開始しているとの事です。
@@中西大介-g9c ぜひそんな要望を私も挙げたいですね。そのときには乗車してみたいと思います。争奪戦がすごそうですが・・・
但し、運輸本部は、検討中だと、友人は、述べています。もしも、実現するとなりますと貴殿の申される通り、争奪戦は、間違いないと思います。12両で運転されて、私の予感ですと、米原ー姫路でしょうね。高槻、尼崎、芦屋は、通過にして欲しいですね。
221はやっぱり残って欲しいで又新快速として走ってほしい臨時の
まだ高槻には停車しないんですね。
1990年3月10日のダイヤ改正で昼間に限り停車を開始したのがその始まりで、1997年3月8日のダイヤ改正で終日停車に昇格し、さらに漢字の綴りこそ違いますが、2006年10月21日の長浜~敦賀間直流化を反映したダイヤ改正で「高月」にも停車するようになったため、全国的にも珍しい「同音の駅に2度停車する列車」が誕生しました(北陸本線側の駅は「近江高月」が候補として一応挙がりましたが、費用等の問題があったため、最終的には名称変更しないことに決まりました)。
沿線の住民なので、凄く懐かしく感じます。子供の頃、オレンジ色の電車(国鉄系?)が好きでした。今では能登川駅もずいぶん立派になりましたね。
米原~野洲間は現在とまったく変わっていませんが、ここ30年近くの間で大きく変わったのは、北陸本線への乗り入れが行われるようになったことです。
まず1991年9月14日の米原~長浜間直流化の際、事前に坂田を米原寄りに200m移転したことなどに始まり、続いて長浜~敦賀間直流化の際に長浜・木ノ本の2駅を橋上駅化(これに先行すること高月も2005年10月に橋上駅化)して利便性を整えたほか、毎時2本あった長浜行きのうち1本を大阪発7~14時台は近江塩津行きとし、15~18時台はさらに敦賀まで延長して現在の姿と化しました(米原以北は各駅停車)。
今では米原ではなく、敦賀が起点ですね。変わりました。
いやいや、米原駅は凄まじいほど変わっていますよ。
この列車が発車するのは当時の3番線ですが、これがあったのは今近江鉄道の駅舎がある所より南側ですからね…(旧1~5番線ホームを1998年に廃止し構内を縮小して今日の2・3番線ホームを設けている)
@@speedbird019
京阪神から来て米原より先も引き続き運行する新快速は、長浜折り返しも含め、曜日を問わずしてほぼ終日4両編成で運転しています。
南彦根のビバシティができる前か
そのようです。
野洲駅に到着した時、117系の上り新快速の到着と同時やけど、野洲駅に着くまで新快速とのすれ違いが1回も無いことに違和感有る。
逆に113系の上りの快速と3回もすれ違いがある事が凄かった。
当時新快速の運転本数が今よりも少なかったのかな〜って気になる。
駅のチャイムが昔の尾張一宮や名古屋駅と同じですね
稲枝 篠原は貨物列車待機の中線が撤去して間もないです。それはヤード集結の低速貨物列車が廃止したことと民営化後の費用削減です。
その時の米原駅のアナウンス、こんな状態だったのですね。昔の大阪駅もこのような行き先案内自動アナウンスでした。
アナウンスも昔の感じがします。令和に成り変わりましたね。
平成19年ぐらいから運行管理システムが入り現在の声になりましたね
沿線住民なので まさに野洲の車両基地の隣りなので 家の屋根がかすかに映ってましたね。
南草津駅ができる前ですね!
113系快速が懐かしいよ‼️ところで、221系が、米原ー姫路間で引退する際に、リバイバル新快速を運行して欲しいと思いますか?
やってほしいですね。できれば当時の停車駅で
@@speedbird019 実は、私の小学校時代の友人が、JR西日本の広報室に、勤務してる者が、いまして、彼が言うには、221系が、本線から引退する際、リバイバル新快速の運転を施行して欲しいとの要望が多数寄せられています。10月から、現在、試験運転中の225系100番台が、営業運転に入り、221系の奈良への移動が、始まります。現在、221系は、おおさか東線で、試験運転を開始しているとの事です。
@@中西大介-g9c ぜひそんな要望を私も挙げたいですね。そのときには乗車してみたいと思います。争奪戦がすごそうですが・・・
但し、運輸本部は、検討中だと、友人は、述べています。もしも、実現するとなりますと貴殿の申される通り、争奪戦は、間違いないと思います。12両で運転されて、私の予感ですと、米原ー姫路でしょうね。高槻、尼崎、芦屋は、通過にして欲しいですね。
221はやっぱり残って欲しいで又新快速として走ってほしい臨時の
まだ高槻には停車しないんですね。
1990年3月10日のダイヤ改正で昼間に限り停車を開始したのがその始まりで、1997年3月8日のダイヤ改正で終日停車に昇格し、さらに漢字の綴りこそ違いますが、2006年10月21日の長浜~敦賀間直流化を反映したダイヤ改正で「高月」にも停車するようになったため、全国的にも珍しい「同音の駅に2度停車する列車」が誕生しました(北陸本線側の駅は「近江高月」が候補として一応挙がりましたが、費用等の問題があったため、最終的には名称変更しないことに決まりました)。