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何年前からみさしております。田尾の海岸の松、大きくなったんですね😮高校の頃に海水浴に行ったんですがまだ植えたばかりの小さな松でした。余談ですけど、両足の付け根がケイレンして、えらいめに会いました😮もともと游ぎは達者じゃあなかったもんで😊
小学生の頃、私は毎年、一人で長崎市内からフェリーに乗って1ケ月ほど親戚のうちに滞在してましたほぼ毎日泳いでましたあの頃の 田尾の砂浜は広大で遠浅できれいなブルーの海辺でした防雨林ができて 小さく砂浜はなり、砂浜は深く削りとられ遠浅でなくなってますほんと防雨林の前の田尾の海辺に戻してほしいです
視させて頂き胸がジーンとしました。五島は何年たっても自然が美しく人々も温厚でパラダイスですね。
動画見て頂きコメントありがとうございます。五島弁はいつも新鮮です。ここに来たら時間を忘れます。
お返事おそくなりました。コメントありがとうございます。過疎化が進んでますが夏はとても海がきれいですね。島内をレンタカーで回れるとこがとても良いです
懐かしい五島列島。私の故郷
一度は故郷に帰ってくださいよ、
😂いいね
とても素敵な動画ですね。私の父が富江出身で、定年退職した今、五島に帰りたいと毎日インターネットで五島の動画を見ています。そんな父にこの動画を紹介したいと思います。私も五島に20年ぶりに行ってみたくなりました。
コメントありがとうございます。富江だったら親戚とか多いので知ってるかもですね(^^♪昔に比べて歩く人も少なく寂しいですが、かえって変わらないところが、昔に戻ったみたいで新鮮さを感じます。
私は、幼少の頃に毎年の様に五島列島福江島の夏休みを過ごしました。その後結婚して再び訪れたのを最後に足が遠ざかっています。幼少の頃は、大阪から夜行電車で、長崎駅から大波止から福江港に、あの頃船は4時間位、船にはトビウオが飛び回り、深い紺碧の海。私の心の古里は福江市と富江の中間にある下崎山です。小さな漁港があり、直ぐ裏は遠浅の澄みきった海で、引き潮になると、綺麗な波紋が現れ、1日中遊んでいました。おばさんの家は豆腐屋と食料品を売っていました。何より豚を数頭飼っていて、臭いのなんのそれだけが嫌でした。おばさんの店に売っている菓子パンが好物で五島のパンは大好きでした。50年前のバスはボンネットバスで、舗装もされていないので、土埃を上げながら、悪路を走っていました。まるでトトロの舞台そのものです。食事は毎食イカのさしみと魚、さすがにさしみ大好物の私でさえねを上げました。夜は砂浜の潮騒と水平線に見えるイカ漁の漁り火、和室の部屋に茅をはり眠りにつく毎日。この幼少の頃の思い出が今も脳裏にはっきり投影されます。
@@carolinepinky7462 いあたみるる
@@ジェシカマックイーン 私も年を取るたびに、母の生まれた故郷の光景を思い出します、まだ元気だった従妹のおばさん、おじさん、今はみんな亡くなってしまって、そして昨年最愛の母が亡くなりました悲しかったです、足が悪くなった母と一緒に五島に行けなくてだから車椅子で連れてってあげようと計画してたところコロナ感染拡大で、旅行など高齢者も連れていけなくなり昨年、亡くなってしまいましたわたしも50年前をよく知ってます 五島の海は美しかったそして牛が牛車ひいてました村の人々も優しくてコロナが落ち着いたら、母の亡骸を五島に置いてきたいです
@@carolinepinky7462 40位前の話で恐縮ですが、母と母の兄弟で五島に言った時の話です。母の実家のお墓に行っての事です。遺骨を大阪に移転するとの事でお墓を掘り返した時、昔は土葬でした。棺桶の中に遺体があるのですが、既に骨の状態、頭蓋骨がそのまま綺麗に残っていました。頭蓋骨には、髪の毛があり、後ろに髷が残る状態でした。私が驚いたのは、母とその妹の行為です。頭蓋骨を取り上げ、ばんばさんと言いながら、頭蓋骨にたまっている水を飲んだのです。その様子を見た母の弟と私は唖然としました。その夕方から夜に突如母の弟の様子に異変が…その時私は居ませんでしたが、どうやら霊につかれたと、直ぐにお祓いをして回復、本人は記憶がないと…しかし日本にはお祓いさんとか、悪霊払いとか昔からどの村や町にもあったようですが…棺桶は円筒形で崩れはしていましたが、このような体験は誰しも経験しない事でしょう。火の玉は土葬する地域に多く見られるとの事、体内のリンがその原因と聞いた事がありますが。私は見た事がありません。
職人町の江直澄です😆🎵🎵🎉懐かしいね😂
たまには富江に行きたいです、ほんと錆びれて昔みたいに賑わいはないですが、自然は変わってません。海もきれいで魚も美味しいし、富江の人もとてもいい人ばかりです。
田尾の防風林、昔はなかったんですね。私の自宅が2:20あたりなんですが、少なくとも30年くらい前からは防風林あったんですけど、これなかったらまじ台風とか高潮とかやべーすね。
田尾の方なんですね、そうですいとこの家に、よく小学生の時、泊まりに行ってましたが、台風の時、防風林ない時、高潮が、もっと奥の方まで来たの覚えてます。怖かったです。
親父の田舎が田尾です、毎年お墓参りに行ってます、地蔵様の横の黒御影がうちの墓です、びっくりしました、同じ部落でした。
田尾ならきっと親兄弟など顔など知ってるかもしれませんねわたしは田尾には夏休みは毎年1ケ月ほどおばあちゃんの家に泊まりに行ってました母の育った部落ですとても好きな部落でした女の子の友達もでき、よく遊びました海もきれいで毎日泳いでました優しいおばあちゃん、おばさん、おじさんはみんな亡くなりましたあの頃に戻りたいです
何気なく、ユーチューブを見ていて偶然見ていてびっくりで、今年はお彼岸に墓参りに行ってきました、3年前に父が亡くなりましたが、田尾の海や川で魚や貝を採った話を聞いていました、なつかしくとてもなつかしかったです。
お母様良くなって又来れますように
最愛の母が亡くなり、二人で五島に行く夢は途絶えてしまいました、私はひとりぼっちになってしまい寂しい毎日を過ごしてます。
うちの 主人故郷福江島 とても美しい島 私も あそこで 死にたいんです
わたしも最愛の母を昨年に亡くし、母の青春期まで過ごした故郷へ、是非もう一度行きたいと思ってます、母を面影を抱いて、五島を散策したいです
五島出身の川上と申します現在68歳 小学校4年生の時に後藤の府警を去りました
そうでいらっしゃいましたか、わたしと同じ時期を五島で過ごしていらっしゃったのですね。小さなころの五島の海はとてもきれいでした、道路からすぐ砂浜でした。五島弁でしゃべる五島の人々はとても親切でした。あの頃に戻りたいです
何年前からみさしております。田尾の海岸の松、大きくなったんですね😮高校の頃に海水浴に行ったんですが
まだ植えたばかりの小さな松でした。余談ですけど、両足の付け根がケイレンして、えらいめに会いました😮もともと游ぎは達者じゃあなかったもんで😊
小学生の頃、私は毎年、一人で長崎市内からフェリーに乗って1ケ月ほど親戚のうちに滞在してました
ほぼ毎日泳いでました
あの頃の 田尾の砂浜は広大で遠浅できれいなブルーの海辺でした
防雨林ができて 小さく砂浜はなり、砂浜は深く削りとられ遠浅でなくなってます
ほんと防雨林の前の田尾の海辺に戻してほしいです
視させて頂き胸がジーンとしました。五島は何年たっても自然が美しく人々も温厚でパラダイスですね。
動画見て頂きコメントありがとうございます。五島弁はいつも新鮮です。ここに来たら時間を忘れます。
お返事おそくなりました。コメントありがとうございます。過疎化が進んでますが夏はとても海がきれいですね。島内をレンタカーで回れるとこがとても良いです
懐かしい五島列島。私の故郷
一度は故郷に帰ってくださいよ、
😂いいね
とても素敵な動画ですね。
私の父が富江出身で、定年退職した今、五島に帰りたいと毎日インターネットで五島の動画を見ています。
そんな父にこの動画を紹介したいと思います。
私も五島に20年ぶりに行ってみたくなりました。
コメントありがとうございます。富江だったら親戚とか多いので知ってるかもですね(^^♪昔に比べて歩く人も少なく寂しいですが、かえって変わらないところが、昔に戻ったみたいで新鮮さを感じます。
私は、幼少の頃に毎年の様に五島列島福江島の夏休みを過ごしました。その後結婚して再び訪れたのを最後に足が遠ざかっています。幼少の頃は、大阪から夜行電車で、長崎駅から大波止から福江港に、あの頃船は4時間位、船にはトビウオが飛び回り、深い紺碧の海。私の心の古里は福江市と富江の中間にある下崎山です。小さな漁港があり、直ぐ裏は遠浅の澄みきった海で、引き潮になると、綺麗な波紋が現れ、1日中遊んでいました。おばさんの家は豆腐屋と食料品を売っていました。何より豚を数頭飼っていて、臭いのなんのそれだけが嫌でした。おばさんの店に売っている菓子パンが好物で五島のパンは大好きでした。50年前のバスはボンネットバスで、舗装もされていないので、土埃を上げながら、悪路を走っていました。まるでトトロの舞台そのものです。食事は毎食イカのさしみと魚、さすがにさしみ大好物の私でさえねを上げました。夜は砂浜の潮騒と水平線に見えるイカ漁の漁り火、和室の部屋に茅をはり眠りにつく毎日。この幼少の頃の思い出が今も脳裏にはっきり投影されます。
@@carolinepinky7462 いあたみるる
@@ジェシカマックイーン 私も年を取るたびに、母の生まれた故郷の光景を思い出します、まだ元気だった従妹のおばさん、おじさん、
今はみんな亡くなってしまって、そして昨年最愛の母が亡くなりました
悲しかったです、足が悪くなった母と一緒に五島に行けなくて
だから車椅子で連れてってあげようと計画してたところ
コロナ感染拡大で、旅行など高齢者も連れていけなくなり
昨年、亡くなってしまいました
わたしも50年前をよく知ってます 五島の海は美しかった
そして牛が牛車ひいてました
村の人々も優しくて
コロナが落ち着いたら、母の亡骸を五島に置いてきたいです
@@carolinepinky7462 40位前の話で恐縮ですが、母と母の兄弟で五島に言った時の話です。母の実家のお墓に行っての事です。遺骨を大阪に移転するとの事でお墓を掘り返した時、昔は土葬でした。棺桶の中に遺体があるのですが、既に骨の状態、頭蓋骨がそのまま綺麗に残っていました。頭蓋骨には、髪の毛があり、後ろに髷が残る状態でした。私が驚いたのは、母とその妹の行為です。
頭蓋骨を取り上げ、ばんばさんと言いながら、頭蓋骨にたまっている水を飲んだのです。その様子を見た母の弟と私は唖然としました。
その夕方から夜に突如母の弟の様子に異変が…その時私は居ませんでしたが、どうやら霊につかれたと、直ぐにお祓いをして回復、本人は記憶がないと…しかし日本にはお祓いさんとか、悪霊払いとか昔からどの村や町にもあったようですが…棺桶は円筒形で崩れはしていましたが、このような体験は誰しも経験しない事でしょう。火の玉は土葬する地域に多く見られるとの事、体内のリンがその原因と聞いた事がありますが。
私は見た事がありません。
職人町の江直澄です😆🎵🎵🎉懐かしいね😂
たまには富江に行きたいです、ほんと錆びれて昔みたいに賑わいはないですが、自然は変わってません。海もきれいで魚も美味しいし、富江の人もとてもいい人ばかりです。
田尾の防風林、昔はなかったんですね。
私の自宅が2:20あたりなんですが、少なくとも30年くらい前からは防風林あったんですけど、これなかったらまじ台風とか高潮とかやべーすね。
田尾の方なんですね、そうですいとこの家に、よく小学生の時、泊まりに行ってましたが、台風の時、防風林ない時、高潮が、もっと奥の方まで来たの覚えてます。怖かったです。
親父の田舎が田尾です、毎年お墓参りに行ってます、地蔵様の横の黒御影がうちの墓です、びっくりしました、同じ部落でした。
田尾ならきっと親兄弟など顔など知ってるかもしれませんね
わたしは田尾には夏休みは毎年1ケ月ほどおばあちゃんの家に泊まりに行ってました
母の育った部落です
とても好きな部落でした
女の子の友達もでき、よく遊びました
海もきれいで毎日泳いでました
優しいおばあちゃん、おばさん、おじさんはみんな亡くなりました
あの頃に戻りたいです
何気なく、ユーチューブを見ていて偶然見ていてびっくりで、今年はお彼岸に墓参りに行ってきました、3年前に父が亡くなりましたが、田尾の海や川で魚や貝を採った話を聞いていました、なつかしくとてもなつかしかったです。
お母様良くなって又来れますように
最愛の母が亡くなり、二人で五島に行く夢は途絶えてしまいました、私はひとりぼっちになってしまい寂しい毎日を過ごしてます。
うちの 主人故郷福江島 とても美しい島 私も あそこで 死にたいんです
わたしも最愛の母を昨年に亡くし、母の青春期まで過ごした故郷へ
、是非もう一度行きたいと思ってます、
母を面影を抱いて、五島を散策したいです
五島出身の川上と申します現在68歳 小学校4年生の時に後藤の府警を去りました
そうでいらっしゃいましたか、わたしと同じ時期を五島で過ごしていらっしゃったのですね。小さなころの五島の海はとてもきれいでした、道路からすぐ砂浜でした。五島弁でしゃべる五島の人々はとても親切でした。あの頃に戻りたいです