もっと知りたい島根の歴史 第1講 「東西出雲の王」

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  • เผยแพร่เมื่อ 1 ก.พ. 2025

ความคิดเห็น • 7

  • @nozalinkimyoutat1
    @nozalinkimyoutat1 2 หลายเดือนก่อน +1

    今市大年寺古墳の墳丘外側にある基壇造成の話は、画期的で、新たな知見ですね。さらに大規模な古墳であることが明らかになった講義でした。

  • @サイノカミ
    @サイノカミ 16 วันที่ผ่านมา +1

    国造は大庭時代は黄泉ケ島(現・嫁が島)沖に水葬、716年杵築移住後は菱根池に水葬されていたはず、古墳は無いのでは?

  • @パクチョンウ
    @パクチョンウ 2 หลายเดือนก่อน

    須恵器の須恵(スエ)の語源は古代朝鮮語で(鐵;テツ、硬いの意∷音はㅅㅗ ㅣ=soi=今では合音されと発音される)つまりソオイ=須恵=쇠)なのである。

  • @kazuyaaadachi2481
    @kazuyaaadachi2481 หลายเดือนก่อน

    それぞれその残土(盛土)を持ってきた開墾に要した水田の領域をセットで地図上にプロットしていけば、なぜその場所にその大きさて盛られたかがよく見えてくるのではないでしょうか。

  • @サイノカミ
    @サイノカミ 2 หลายเดือนก่อน +3

    山代二子塚⇒富家長、大念寺⇒日置伴部、上塩冶築山⇒日置王(日奉王)。国造古墳は無い。蘇我氏と富家は姻戚関係で古代から労働力等を協力する間柄。

  • @nozalinkimyoutat1
    @nozalinkimyoutat1 2 หลายเดือนก่อน +1

    今市大念寺古墳・・・

  • @パクチョンウ
    @パクチョンウ 2 หลายเดือนก่อน +1

    我々は一人出雲古墳と事実研究を進めるばかりか隣国韓国及び北朝鮮つまり朝鮮半島地域との関係を合わせて研究を進めて行くべきだ。