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晩年のハイライトはインテル パルマ戦プレーオフだよな。
ロベルト・バッジョの活躍は信仰の力が大きい
2022のメッシと1994のバッジョは自国代表より応援しました。
本当に94年大会のイタリアはドラマチックでした。満身創痍で、なかなか調子の上がらないバッジョ。世界最高のリベロであるバレージの怪我離脱、もう1人のファンタジスタ ゾラが交代直後に大誤審でレッド退場…不遇が続く中、やはり復調の兆しとなっていたのはバッジョでした。復活をとげるゴールを決めナイジェリア戦で見せた嬉し涙、そして決勝PK戦で見せた悲しい背中。そのどれもが心に刻まれる素晴らしいインパクトと余韻を残してくれた。
ファンタジスタと言う言葉は、ロビーにしかあてはまらない。唯一無二の存在。
誰がなんと言おうが、カッコよさ歴代1位サッカー雑誌の表紙映え歴代1位
94年のW杯のPK覚えてる。記憶違いじゃなければ日本の早朝で、学校行くのギリギリまで我慢して最後まで見てた。外した直後の項垂れたバッジョは、本当に衝撃的な姿やった。
まさかここでバッジョを見れるとは🎵ありがとう。1番好きなサッカー選手です!バッジョは学会員です。
94年のPKテレビで見てた…あの瞬間は今でも覚えてる😭
プロは結果が全て、しかし勝っても負けても絵になるサッカー選手だった
1つ思い出したのですがバッジョは99年に来日してプレーしているんですよね。JOMO CUPというJリーグの日本人と外国人選抜メンバーに別れて戦うエキシビジョンマッチで毎年外国人選抜メンバーに特別ゲストを招いて行う興行だったのですがこの年はバッジョがゲストで、国立競技場は満員でした。確か前半だけで2ゴールしたと思います。急造も急造の即席チームにぶっこまれているのにそれを全く感じさせない格の違いを生で拝めたのは花相撲とは分かっていても半端ない眼福でした
コメントありがとうございます!その試合は見てないんですが・・・(>_
フジテレビ系列で生放送でした。観ていたのではっきり覚えてます。特に2点目が凄かったですね。
@@田所亮-t2g 2点共に試合の前半に出たもので自分からは反対側のゴールで生まれた為帰宅してから映像で見たのですが凄かったですね。GKの川口が親善試合ながら死ぬ程悔しがってましたけど悔しいと言うより彼なりに将来海外に行った時はこんなのを相手にしないといけないのかという恐ろしさを体感、痛感したかの様に見えました
バッジョ大好きでした。泥棒髭がカッコよくて、自分もそうなりたくて育毛剤を口の周りに塗ってました。ポニーテールもカッコよくて、自分もそうなりたくて襟足伸ばしたスポーツ刈りしたら、担任の先生にバリカンで坊主にされました。今ではいい思い出です😌
コメントありがとうございます!バッジョのルックスはかっこいいですよね!(^^)!まさにスターという感じです。バリカンで坊主は辛かったと思いますが・・・いまではいい思い出ということであれば、よかったです(*'▽')笑
2002の日韓大会出場は叶わなかったが、仮に出場していたらあのワールドカップ史上最悪の試合に出場することになり、彼のイタリア代表最後の試合が最悪の思い出として彼の心に刻まれてしまっただろう。
当時、野球しか見ていなかった小学生の自分がイタリアワールドカップでバッジョに魅せられて以来、今ではすっかりフットボールの虜。Jリーグのオールスター戦で来日してくれた時は泣きました。バッジョは永遠のアイドルです
ロビー大好きです 世界一のファンタジスタ
そうか創価。
ボールがバッジョに渡るだけでワクワクしたもんな。山王戦の流川のような「次はなにやる?」状態だったよ。
バッジョは、とにかく「絵になる」んだよ。そのボールタッチのひとつひとつ、柔らかいパス、とんでもないゴール、正確無比なFK、そしてその試合に負けたときの佇まいさえも、たとえPKをはずしたとしても。理由は分からない。正直、論理的な説明もつけられない。けれど、強く惹きつけられる。ずっと彼を見続けていたい、と思わせてくれる。こんな選手、他にはいない。後にも先にも、ロベルト・バッジョただ一人。
そのとおり。ファンタジスタとはロベルト・バッジョ。ファンタジスタは唯一、唯1人、バッジョのみ。僕もそう思います!
コメントありがとうございます!本当にプレーからルックス、そのすべてが絵になりますよね(*'▽')!PKの失敗も絵になってしまう選手はバッジョ一人だと思います( ;∀;)
あの宗教は好きではないけど、バッジョがそれと出会った事で救われた事は本当に感謝してる。
おお・・・バッジョの解説ありがとうございます!バッジョがPK外した後ブラジルのGKタファレルがかけたという言葉「それでも貴方は偉大だ」多くのプレイヤーがバッジョへの称賛を口にしていますが自分はこれが大好きです。
コメントありがとうございます!それでも貴方は偉大・・・その言葉が全てだと思います(>_
アメリカW杯、日本はあと一歩で出場を逃しあまり興味は湧かなかったけど、イタリアという国が好きで観てた。選手の名前すらわからなかったけど、バッジョはとにかくかこよかった。Dバッジョも結構好きだった。あと、親日家というのも好感が持てた。カズとも親交があるのはよいね。
この人のプレーは早すぎたゆえに、この人のプレーを学習した選手がその後沢山現れた。1.5列目の元祖だよこのファンタジスタは😊
1994年のワールドカップ。決勝に進んだ両チームのエースを比べると、土台のしっかりした神輿に乗って活躍したブラジル・ロマーリオと、フラフラなチームを文字通り引っ張ったイタリア・バッジォ、という構図に見えました。どちらも大会を通じて印象に残るプレーを見せましたが、よりインパクトが強かったのは、大会MVPとなったロマーリオではなく、バッジォだった気がします。
欧州各国は酷暑にも苦しめられた大会でした。決勝のアズーリも早々に足も止まり、バレージの攻守両局面での奮迅ぶりと、散発的に繰り出すバッジョのファンタジーのみ(二人とも深刻な怪我あけ(^_^;))が光る展開だったと思います。延長〜PKまでいった時、アズーリの勝ちフラグかと期待も抱きましたが、厳しかったですね。バッジョのキックを見て「有り得ない!ワザと外したんじゃないか!?」と驚いた事も鮮明に覚えています。後のインタビューで、「あの時私は、極力ボールを強く、速く蹴る」事しかできなかった。という記事を目にした時、何とも言えない、もの哀しい気持ちになりました。
コメントありがとうございます!指導者としてのカズも見たかったですよね(>_
ファンタジスタとは…ロベルト・バッジョを指す固有名詞である。そう定義してもいいと思う。
ある意味ではこのPKを外したシーンの美しさが、逆にバッジオのカリスマ性や人気を高めた気もする。
ロビーを取り上げてくれましたか。ありがとうございます。本当にお気に入りの選手だったので取り上げていただき、嬉しい限りです。😄
いつもありがとうございます!僕も大好きな選手です(*'▽')!
@@yukkurisoccer こちらこそいつも丁寧な返信ありがとうございます。ロビーを知って世界観が広がりましたから。人柄も素晴らしいとの事。雑誌で読みましたが、ファンのサインには可能な限り応じてくれるそうです。
バッジョこそ真のファンタジスタ
2002年のW杯出場が紙一重だとは知らなかった当時35歳と言うと大分厳しいイメージがあったけど、カタールでは35歳と37歳x2人のバロンドーラーが出たんだから、全然あり得る話だったのかな
W杯、ユーロ、CLのどれか1つだけでも取らせてあげたかったですね。
僕的にバッジョの凄いところは※ユーヴェ時代スクデットの掛かった試合での2アシスト(犬猿のリッピに見せつけるように)※インテル時代CL出場の掛かったプレーオフでの2ゴール(犬猿のリッピに見せつけるように)※アメリカワールドカップ決勝トーナメント3試合での5ゴールと此処という時の勝負強さだと思います。
リクエストありがとうございます!リクエストリストに追加しました!(^^)!
昔バッジオのビデオを購入して何度も繰り返し見ましたがゴールの一つ一つが美しいものばかりでした⚽それ以上に素晴らしいのが彼の人間性でしょう😊キャリアの終盤になると試合中に削られた時に相手選手から謝られたりしたというエピソードからもそれがわかります😌
バッジョに対してやらかしてしまったら、セリエAでプレーする選手なら誰もが謝りたくなると思います。僕もバッジョと他選手とのそういったエピソードが好きです。度重なる怪我で膝がボロボロにも関わらず、自分に対してファウルを犯して止めにくる相手のラフプレーに、怒りではなく理解を示していたそうですし(T_T)
いつもありがとうございます!僕もいまだに彼のプレー動画を見ますが、まさに芸術家ですよね(*'▽')バッジョの人間性と生き様は、教科書に乗せてもいいレベルだと思います(*^-^*)
この頃のサッカー選手は上手いだけじゃなく目つきや眼光が鋭くて顔がカッコいい。今の選手はみんな同じような髪型、顔つき、体格、プレースタイルで選手としてなんの特徴も個性も拘りもなくちょっと出てきていつの間にかいなくなる選手が多い。
待ってました〜😆😆リクエストに答えていただきありがとうございます✨🙇
リクエストいただきましてありがとうございました!(^^)!
今晩は!リクエストに応えて頂いて本当にありがとうございました。バッジョの魅力は数多くありますが、両膝の大怪我や監督からの冷遇がありながらも、セリエAで205ゴールを達成したのは凄い偉業だと思います。ラファエロと言うルネサンス期の偉大な芸術家に例えられる程、バッジョのプレーは素晴らしいものばかりでした。個人的にはマラドーナがいた頃のナポリ戦でのゴールと、セリエAで200ゴール達成した時が印象的です。引退から17年経ちましたが、これからもずっとバッジョは私の一番の憧れです。🇮🇹😄
そう言えばもう17年か。バッジョの記憶は全く色褪せないですね✨
@@capitanokoizo3904 ありがとうございます。本当に全く色褪せませんね!🇮🇹😊
リクエストありがとうございました!大怪我や冷遇もありながらの200以上のゴールはすごいですね(*'▽')!いまだにプレー動画を見ますが、本当に芸術家という言葉がよく似合います!!
@@yukkurisoccer 何度も終わった選手と言われても、その度に這い上がってきたバッジョにこそ、不死鳥という言葉は凄く当てはまると思います。彼が引退する時は、寂しいとか悲しいとかは一切無く、本当にありがとうと感謝の気持ちしかありませんでした。これからも動画を楽しみにしております。😄
雑誌ではロベルト・バッジョ選手は ゴールを決めるスター選手と 私自身思っていたが実は そうではなかった。 ユベントス ACミラン インテルと 様々なファンタジスタ 閃きや創造性のあるプレー はビッグクラブ受け入れてもらえず更にイタリアサッカー協会でも忌み嫌われていた そういったギャップに苛まされても(さいなまされても)(追いつめられると言う意味)半端ない 強い精神力に頭が下がります。
2002年、イタリア代表に選ばれなかったのは、本当に残念だった。絶対、メンバーに選ばれると思っていたのに。 日本でプレイする、バッジョの勇姿が見たかった。 (>_
グアルディオラがバッジョとやりたいからってブレシア行ったもんな個人的にはファンタジスタと言ったらこの人
グアルディオラとバッジョの一緒のチームゲームかマンガのような話だが、実際にブレシアで実現させたんですよね。
この人かっこよかったなあ02年ワールドカップ出てほしかった...
いや彼の国の対応があったから今にして思えばいないのは良かった。
サッカーマガジンのロベルト・バッジョ物語、何度も読んだなぁ…捨てなきゃ良かった…
待ってましたーーーー!!!!!我が神!唯一神!聖なるポニーテール!コディーノ!アズーリの至宝!ロベルト・バッジョ!!
PKをはずすことができるのはPKを蹴る勇気を持った者だけだ
それでも貴方は偉大だ
名言キタ~~~!!!
PKを決める人も同じやん
ロベルト・バッジョは初めて知った海外のサッカー選手だわ
バッジォは冷遇されても結果を出して、インテルではプレーオフで、10点満点を出してますからねただ、最後にブレシアという安住の地を見つけて、カルロス・マッツォーネという理解者を得たのは良かったなと思うただ、その時のメンツは地味にすごくて、ルカ・トニにピルロ、グアルディオラとその後サッカー界に名を残す名選手が彼らはバッジォとプレーをしたから名を残したと思ってます
ブレシアはバッジョ在席時は中下位を安定のキープで、プロビンチャとしては地味に強かったですね。他にマウリやマツザレムも、当時無名でしたが十分な実力派でした。バッジョが加わる事で周りも輝いた、という印象ですね。
トップ下だったピルロがバッジョとポジションがカブるために下がり目に移って、レジスタという天職を見つけたんですよね?
@@hiiathonkakigi3トップ気味に構えるトニ、ターレ、バッジョがかなり決定力に長けていたので、レジスタとして開眼しました(^^)
コメントありがとうございます!バッジョのインテル10点満点のエピソードは動画に入れたかったですね(>_
ルカ・トニとピルロはロベルト・バッジョ引退後の2006年ワールドカップでロベルト・バッジョ果たせなかったイタリア代表に4度目の優勝をもたらし、グアルディオラは監督としてFCバルセロナを初の世界一に導いた…。
「彼が、プレーしている限り、僕も現役を辞めるつもりはない。ピッチの上で世界最高のファンタジスタ‼️と戦える事は、ディフェンダーとしてこの上ない喜びだからね😄」Byパオロ・マルディーニ
数々の名手が背負ったイタリアの10番だけど、私の中ではバッジョこそが10番の中の10番ですね。
コメントありがとうございます!イタリアの10番と言えばバッジョですよね!個人的にはトッティも捨てがたいですが(;^_^A
昔、ビバカルチョって漫画でバッジョを知った。
クラブ・代表ともに世界王者にも欧州王者にもなっていないけど、それでもサッカー史に残る偉大な選手。「イタリアだけが彼を過小評価した」はジダンの台詞だったっけ。
コメントありがとうございます!僕もジダンの言葉だったと記憶しています!(^^)!
もしアルゼンチン戦でスタメンで出ていたら勝っていた可能性があり決勝戦も最低の試合と言われず盛り上がり優勝出来ていれば優勝の美酒を味わえたと思えばと思いました。
インタビューなどを見てますととても謙虚な方だなという印象でしたが、キャリアは想像以上に試練の日々だったのに驚きました。
思いついたビジョンの中で一番困難なプレーを選択する。引退記念DVDのインタビューの中で語られていました。ファンタジスタの肩書きが一番似合う選手で最高に大好きな選手です。
コメントありがとうございます!すごい名言ですね(*'▽')!さすがファンタジスタという感じです。本物のファンタジスタは彼だけかもしれませんね!
雑誌「ワールドサッカーダイジェスト」でゴール直後に上半身を脱いだバッジョ選手の写真を見た事がありましたが。。CR7も泣いて悔しがる(近所の唐揚げ屋さんのおばちゃんの方がスリムな)体型でした。ともあれ、アルゼンチンのマラドーナ選手やチリのサモラノ選手の様な体躯の天才がこれからも現れる可能性を信じてサッカーを応援します。
「こいつは、本物の天才だ…」Byアントニオ・コンテ
全盛期バッジョ、バレージ、インザーギをイタリア代表に入れたい
バッジョ↗っていう言い方がかわいい
歴代で一番好きな選手で、アイドルでした!16歳の頃から怪我と闘い続けたガラスの天才。
バッジョのDVDでケガのひどさを知りました。16であれだけのケガをして十字架を背負ってしまったのが見ててつらかった(たしかボールの奪いにいこうとしてターンかスライディングしたら足が)
アメリカW杯は、天才ロマーリオの大会ではなく明らかにバッジョの大会でした。最初から最後まで。ゴールにパスするようなシュートが本当に好きでしたねー。
イタリアサッカーの歴史上最も背番号「10」の似合う男‼️。イタリア国民から最も愛され❤️イタリア監督から最も嫌われた男😢それこそが、「ロベルト・バッジョ‼️」
2001年生まれだけどバッジョ好きすぎる今の選手よりレジェンド選手の方が魅力的に見えてしまう……
おお偉大なるポニーテール!
歴代サッカー選手の中で一番魅力的な選手!彼をよりすごい成績の選手は沢山いたけど…彼より魅力的な選手はいない!
何度も甦ると言うのはまた違うプロデビューして間もなくから状態が良かったことなど一度もない常に不十分な状態で引退するまで戦い抜いた回復することがあったとしたらどんなパフォーマンスになったのか想像もできない
めちゃくちゃ同意。万全で戦えた事はほぼ全くと言っていい程なかったし、身体的な全盛を迎えるどころかその前に、常に故障とリハビリの繰り返しになってしまった。ロナウドやヴィエリも同様。そして、この人達が凄いのは、度重なる苦難と向き合うキャリアを送りながら、晩年まで決して諦めずに立ち向かった事。
@@capitanokoizo3904バッジョ自身が1.5本の足と表現している来日した折にカズと会食したそうだが、同い年で現役を続けられるのは羨ましい自分は膝がダメなので無理だと語っていた右膝はずっと壊れている状態で試合をしていて、そこに重ねてアクシデントが起こる復活といっても回復はしていなくずっと故障をしている他の選手なら即引退だと思われる私が凄いと思うのは実績も何もないデビュー直後の絶望から全てを積み上げたことこの希望から絶望への相転移ですら、ソウルジェムが濁りきることはなく、グリーフシードなって魔女化しなかったことはただただ崇める他はない
ロベルト・バッジョは自分の中では最高の選手の1人です。('94W杯イタリア代表ユニフォーム、#10、持ってます)もし大怪我をしなければ、多くのタイトルを手にし、バロンドールも複数獲得をしていたでしょう。プレイが素晴らしいだけでなく、不屈の魂で何度も復帰した。称賛、尊敬に値する選手です。ファンタジスタの名前は彼だけが相応しい。
いつもありがとうございます!バッジョのユニフォームいいですね(*'▽')!大怪我と冷遇さえなければ、もっと伝説を残していたと思います!(^^)!その不屈の魂ぶりは、教科書に乗せてもいいレベルで・・・まさに不死鳥ですよね!
「94年アメリカワールドカップで、僕達アズーリを決勝まで連れて行ってくれたのはロビーだった‼️。彼は、フットボールそのものさ」Byアレッサンドロ・コスタクルタ
自伝 「天の扉」と「夢の続き」持ってますよ。最後は、両膝の半月板がもうなかったんだよね。皿の下の人工半月板を動かしているところを見た時は、ゾッとしました。フィオレンティーナの頃が一番輝いてたと思います。紫のユニフォームが似合ってた。アメリカワールドカップの決勝では、PK失敗より、サイドからのシュートを惜しくも外したシーン、足が攣ってしまったシーンをよく覚えています。あとは、フランスワールドカップでのビエリへのダイレクトパス。
コメントありがとうございます!僕がサッカーを見始めた時は、バッジョはすでにフィオレンティーナにいなかったのですが、調べれば調べるほど、バッジョ=ヴィオラ ということが分かりました(*'▽')!最後まで戦い抜いた姿勢は本当にすごいです!!
94年W杯のPK失敗もそうだけど、ヴィオラ戦でPK自体を蹴らなかった事も記憶に残ってる。
確かバッジョのビデオのインタビューで、「ヴィオラのGKのマレッジーニとは一緒にプレーした仲だし、そんな状況でPK が成功するとは思えなかった、だから拒否した」と語っていましたね。本当に想像以上に辛かったと思います。😭
@@rb10fantasista74 このエピソードを知った時は周りも「俺が蹴るよ」とか、もう少しなにか無かったのかな〜?と思いましたね(^_^;)
@@capitanokoizo3904 koizoさんの気持ち、私も凄く分かります。バッジョの些細な言動や行動が大袈裟に取り上げられていたみたいですから、それでも彼は本当に強い心を持っていましたね。
いつもありがとうございます!バッジョがPKを蹴らなかったエピソードはすごいですよね(>_
特に1994年ワールドカップは大陸移動と試合とコンディション維持も大変で、その中で起死回生のゴールを量産したのは並大抵を超越していると思う。そして、1998年のワールドカップでも起死回生のゴールを2回決めた。1990年にも2点決め、3度のワールドカップでゴールを決めた初のイタリア人になった。リッピは就任当初、「すべての責任を1人の選手に押し付けてはならない」と言った。この頃はリッピとの険悪ではなく、ユベントスのフロントが契約更新しないと決断した。そして、ロベルト・バッジョは「強いチームだから」という理由でACミランに移籍した。そして、ACミランからボローニャへ移籍する際も難航した。ボローニャで活躍し、1998年フランスワールドカップに代表復帰し、「チャンピオンズリーグがあるから」という理由で、インテルに背番号10での移籍が実現した。1年目はチャンピオンズリーグでは欧州王者レアル・マドリッドを倒す2ゴールなどで大いに盛り上たが、優勝するマンチェスター・ユナイテッドに負けてしまった。チーム状況は最悪で監督も何度も入れ替わった。2年目はリッピが就任するが、リッピはロベルト・バッジョだけでなくインテルにとって最悪の監督になってしまった。ロベルト・バッジョはミラノを離れる時にはまた移籍先探しを難航を極めた。ディエゴ・マラドーナで猛威を振るったナポリや、後に中村俊輔がプレイすることになるレッジーナからもオファーは来たが、「イタリア南部では遠すぎる」という理由で断ってしまったところ、監督のカルロ・マッツォーネのブレッシアからオファーが来た。ブレッシアだったら近いということもありブレッシアと契約した。そして、1年目はなかなかうまくいかなかったが、終盤になるとゴールを量産し、中位に押し上げた。2年目は序盤絶好調だったが、"今シーズン絶望"というほどの負傷を回復し、復帰すると何とか残留した。3年目はコンスタントに出場し余裕で残留し中位だった。このシーズンでマッツォーネがボローニャの監督になり、相性が良い監督とボローニャ復帰も考えたが、契約全うするためにブレッシアに残った。そして4年目はセリエA通算200ゴールを達成し、生涯で205ゴールを決め、引退した。もちろん、ブレッシアは残留した。最後に、ロベルト・バッジョは生まれも育ちもカルドーニョで地元のヴィツェンツァをはじめ、「自宅に近いから」という理由でイタリア北部のみでプレイした。
いつも補足していただきまして、ありがとうございます!バッジョの移籍には自宅の近さも影響していたんですね(>_
「デル・ピエロがピントリッキオだとしたらバッジョはラファエロだ。」(ジャンニ・アニェッリ)「10番というより、9.5番だ。」(ミシェル・プラティニ)「それでも貴方は偉大だ。」(クラウディオ・タファレル)94年アメリカワールドカップの決勝戦のPKの決着がついたあと、当時ゴールを守っていたブラジル代表のGKの彼が、PKを外したバッジョに対してかけた言葉。「世界でイタリアだけが唯一、彼をNo.1だと認めなかった」(ジネディーヌ・ジダン)ジダンの言葉が気になってググったのですが、気になった言葉がこれだけある。1994年のPK外した姿が絵になり過ぎた。生き様が格好良いのよ。ロビーは。
「サントスに連れて帰り、私が付けていた背番号10を着せたい」(ペレ)「イタリアサッカー界で最も輝きを放ったプレーヤーだ」(マラドーナ)「もし同じ時代にプレーしていたなら教えを乞うよ」(ジーコ)「僕がブレシアへ移籍を決めたのは、彼の存在があったからだ」(グアルディオラ)「悪夢のような選手が3人いた。マラドーナ、ファンバステン、残る一人がバッジョだ」(ベルゴミ)「バッジョを使いこなせないようじゃ、一流の監督とは言えない」(マッツォーネ)「ピッチ上で二人分の価値がある選手だった」(モラッティ)「必ず成功させなければならないPKを、俺は成功させた」(ロマーリオ)「我々の関係は特殊なものだ」(アリゴ・サッキ)「世界一セクシーなスポーツ選手」(マドンナ)
いつもありがとうございます!ジダンの言葉は心に刺さりますね・・・当時のイタリアじゃなかったら・・・何度も思いますが、あの時代だったからこそ、バッジョの生き様が人々を魅了したというのもあるのかもしれませんね(>_
膝(ひざ)ケガをしても試合に出続け結果を残し監督 選手 スタッフから冷ややかな態度 されても ファン サポーター罵声浴び続けられても 最後まで貫き通す 飽くなき 不屈の闘志ファンタジスタ 閃きや創造性のあるプレーで観客を魅了するスーパースター級の選手ロベルト・バッジョ この人抜きでは 語ることでできないそれだけ 世界中の人に愛されていた事でしょう。イタリアサッカー協会が もっと早くに受け入れられていたら 違った結果になっていたかもしれません
いつもありがとうございます!プレーも素晴らしいですが、それ以上に彼の生き様がすばらしいですよね!単なるファンタジスタの枠組みで語ることはできない、彼は正真正銘真のファンタジスタだったと思います(>_
バッジョといえばやっぱりあのPKなんだよなぁ。今度はシェフチェンコについてもやって欲しいです。現実のEUROでも監督としてウクライナをベスト8に導いたので。
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リクエストありがとうございます!リクエストリストに追加しました(*'▽')
シェフチェンコいいですな♪
めっちゃトウカイテイオーみたいな人生だな
バッジョ、個人的にイタリアの歴代ベストイレブンを選ぶならブッフォン、マルディーニ、バレージらと共に絶対に外せない選手です!!確かにバッジョは経歴だけを見るならエリートであり、疑いようのないスター選手でしたが、「チームプレイ主体のクラブにおいては型にハマり難い」という認識で冷遇され続けたのは非常に残念でしたね・・・あのアメリカW杯決勝でPKを大きく外して失敗したのが印象深いですが、バッジョは本来「PK職人」と呼んでも良い程の成功率でした(セリエAでの通算ですが、83回のPKを蹴り、68回成功で成功率は81.92%です)。バッジョがPKを失敗してしまったのなら「イタリアは負けるべくして負けた」という見方も出来ますよね(相手GKもPKに強いタファレルでしたし)。昔『キャプテン翼J』というアニメ内で、単身イタリアに武者修行へ出掛けた葵新伍(あおいしんご)がイタリアの空港で最初に出会った著名人がバッジョのモデルとなった「ロベルト・ボッジョ」でしたね(どんな偶然だw) 1999年と2000年には当時Jリーグ主催で開催されていた「日本人選抜✕外国人選抜」でゲスト選手として来日もしてくれました。1999年の試合では芸術的なミドルシュートを叩き込んで外国人選抜を勝利に導きましたね。何かと日本でも人気が高い選手でしたから、日韓W杯で見られなかったのが大変残念に思います・・・
02W杯でも、ユーロ04でも、アズーリに選出されてほしかった(T_T)それでも、バッジョをリアルに体感できた私達の世代は幸せだと思います・・・
@@capitanokoizo3904 ありがとうございます!!そう、上手く表現出来ませんが、全盛期のバッジョはどのプレイでも次元が違うって思いました。「1人だけ10年以上先の未来のプレイスタイルを確立している」・・・みたいな。21世紀初頭では既に引退間近でしたが、「最後に国際試合の大舞台でも花を持たせてあげたかった」というのはありますね。
いつもありがとうございます!バッジョが生まれた時代が、ファンタジスタ不遇の時代でしたよね・・・。でもそれがあったから、その生き様で人々を感動させた選手だったのかもしれませんね(>_
本当の天才ほど運命に愛されないんだよなぁ、、、
いつも動画を楽しみにしておりますバッジョ...私の海外サッカー人生で絶対に外せない選手です真剣にコメントすると30000文字くらいになりそうなのと酔っぱらっているので簡単に出典は思い出せませんがバッジョを本にしたら『天才の受難の歴史』と評したサッカージャーナリストがいましたフィオレンティーナからユヴェントスへの移籍当時はボスマン判決前なので選手の意向は関係なしバッジョも望まない移籍でしたリッピとサッキとの軋轢は宗教の違いと言われイタリアはローマ・カトリック教会が大半を占め時代の流れもありますが異教徒を許さない文化未だに黒人差別が厳しい文化戦術ガチガチのイタリアでファンタジスタなんて不要な文化後の似た選手の言葉『唯一イタリアだけが彼をナンバーワンと認めなかった』現代サッカーならバッジョ両足の太さが違いフィジカルでは通用しないと思うでもバッジョなら奇跡を...と思います辛口のガゼッタが10点を付けた数少ない選手94アメリカの勇士と悲劇波乱の選手生活なんて絵になる選手なのでしょう...
いつもありがとうございます!本当にバッジョにとって受難の時代でしたね(>_
個人的な意見ですが、98年W杯のフランス戦でバッジョがスタメンで出場していれば、イタリアは勝っていたかもしれないと思います。実際フランスの選手達がバッジョがスタメンじゃなくて本当に良かったと語っていたように、優勝したフランスが一番恐れていたのがバッジョでした。🇮🇹
ありますね。当時はまだ若かったピッポやヴィエリを活かすのも凄く巧かったと思いました!デル・ピエロも申し分ないタレントでしたが、常にバッジョとの比較論に晒されていた上、少なくないユベンティーノにすら、アレックスがアズーリのエース?ノーサンクス。50歳のバッジョのほうがいい(笑)などと心無い批判を受けていました。それが故、自分が!俺が!ガンガン行かなきゃ!というプレッシャーを感じ過ぎに見えていました。97〜98シーズン辺りは、得点力に焦点を当てるならバッジョは明らかに1段階上がっていた時期だったと思っているので、もっとバッジョにボールを集めるような展開をと、当時ヤキモキして観ていました。
@@capitanokoizo3904 デルピエロはリーグ戦での怪我の影響もありましたからね、プレッシャーは半端無かったと思います。おっしゃる通り、バッジョはインザーギやビエリとの相性はとても良かったですよね。私自身フランス戦でのボレーシュートは正直外した悔しさよりも、ほぼ真後ろから来たボールをダイレクトシュートした事に驚きましたw。それだけに最初から出ていれば…と思っています。
@@rb10fantasista74 ダイレクトボレーは確かフワリと浮かせてファーポストの上隅を叩いた時ですかね?なにもそんな難しい所に蹴らなくていいんだぞバッジョ・・・と思っちゃいましたね(^_^;)
@@capitanokoizo3904 そうですね。ファーポストに逸れてしまいました。トラップしてからシュートしても良かったとは思います。でも思い付いたプレーの中で最も難しいプレーを選ぶという信念を貫くバッジョらしいシュートでしたね。彼曰く、ジャストミートし過ぎたらしいです。
@@rb10fantasista74 ダイレクトがあまりにもジャストミートし過ぎて外すとか・・・バッジョらしいですよね(^_^;)思い切りブチ込んじまえばそれでお終いだろ!!と思っても、敢えて簡単にそれをしないのがバッジョでした✨
あくまで自分は'94W杯以降しか見ていないのですが、この人は「影響があり過ぎた」のだと思います。このチャンネルの他の動画に出てくる所謂「10番」系選手の例に違わず90年代中期の「サッカーの組織化」によって敬遠された事は間違いないのですが、バッジョの特徴の1つに尋常ではない逆境への強さというのがありまして、件の94W杯といいインテル時代のCLを賭けた一発勝負プレーオフ等の「背水の陣」になった時に普段排除していた監督が(周囲の起用を求める声もあるのですが)起用せざるを得なくなるんですね。しかもそこでかなりの高確率で救世主になってしまう。しかしケガがちでなかなかシーズン通して戦力にはなりにくい・・・1人の有無で戦術が大きく変わってしまうのはボローニャやブレシアの様な多少負けても残留できればいいよ的なクラブならいいのですがビッグクラブではそうはいきませんし。有りていに言うと「使いにくい選手」なのですがそれでも文字通り誰にも真似出来ないプレーを見せてくれる事が出来るというロマンがイタリア人のみならず世界中の人々を魅了した事だけは事実でしょうね
いつもありがとうございます!バッジョの驚異的な勝負強さで救われることもあったと思いますが、ビッグクラブはそれだけじゃいきませんよね(>_
2002年は結果論だけど選出されなくてよかった足に爆弾を持っている状態でラフプレーをされていたら選手生命が終わっていたと思う本人としては短い選手生命だったと思うけど、けがを克服してとんでもないプレーを多く見せてくれたことはうれしかった。
韓国戦でキャリア終えないで、良かったかもしれないですね 日本で見たかったけど
コメントありがとうございます!イタリア対韓国戦はラフプレーが多かったですもんね(>_
「世界中のフットボールファンは、ロビーに感謝しなくてはならないと思う‼️。彼が僕達に与えてくれた物の大きさ‼️即ち、人生を情熱的なものにしてくれたというものにね✨」Byマヌエル・ルイ・コスタ
私がサッカー好きになったきっかけの選手でした(*^^*)セリエAのDVDで見てますがやはりファンタジスタにふさわしいプレーの数々 パス シュートドリブルはホント最高のナンバー10でしたしかし当時の監督たちはファンタジスタ冷遇する不運と(T_T)それでも私はバッジョが一番好きです(*^^*)
バッジオ=ファンタジスタ。😄大好きな選手の1人。日韓ワールドカップで見たかったな(^-^)
ファンタジスタの語源はサ−カスのピエロからきています 意味は夢のような時間を作り出す役者 サ−カスで真の実力者は、ピエロです テクニックとエンターテインメントを両立させるプレイヤーを評する為に、使われ始めました 誇張抜きでファンタジスタとはバッジョの為にイタリアが呼び始めた呼称のはずです 当時、セリエAは、全盛期で名のあるプレイヤーは、みんな外国籍で、彼ら相手にイタリア国民が心の拠り所にしたのがマラドーナ、オランダトリオ等と互角に渡り合う若者バッジョでした もしバッジョがいなければイタリアサッカーは、カテナチオだけのつまらない国と評価されてたと思います なのに…イタリア人監督は、バッジョを否定し続ける悲劇 本当に唯一無二です
追記 バッジョは、語りきれない…だれか言ってましたが「サッカーにたずさわる者なら、抗いきれない癖になる存在」 その通りだと思います、観たらけして忘れることはできない稀有な選手。
いつもありがとうございます!ファンタジスタの語源はじめて知りました(*'▽')!ファンタジスタといえば、バッジョですよね。彼を超えるファンタジスタはいないと思います。イタリア人監督が彼を否定し続けたのは残念でなりませんね(>_
@@yukkurisoccer バッジョを愛しています…しかしもし自分が監督でリ-グ優勝が目的なら…バッジョ中心のチ−ム作りしないかもしれません…理由は途中でリタイアされた瞬間…すべて終わりますから、矛盾してますが…それだけ一言で語れないロマンの溢れるオンリーワンの選手…神が存在するなら何故、サッカーの才能を授けたか疑います
R.バッジョ世代です。素晴らしい動画ありがとうございます。バッジョのDVDや自伝は今でも何回も観たり読み返したりしてます。バッジョと出逢わなければここまでサッカーを好きにはならなかったでしょうね。ちなみに私もバッジョと同じ法華経信者です^^:
小野伸二、ブラジルのロナウド、ウルグアイのレコバ、ポルトガルのフィーゴ、特集お願いします
リクエストありがとうございます!リストに追加しました(*'▽')ちなみにロナウドはこちらで取り上げています!th-cam.com/video/lbfVe_DiFtQ/w-d-xo.html
早朝?に観てて、テンション ガタ落ちで出勤したのを思い出した😩
バッジョほど、PKを外して絵になる人はいないですよね❗️🤔あと世界中で評価にされているのに、イタリア本国では過小評価気味なのが、本当に悲しい…。😢
バッジョを外しまくる監督達が、なぜ外すんだとか言われてそうである意味不憫な気が。
コメントありがとうございます!当時のイタリアの監督からすれば、仕方のないことだったのかもしれませんね・・・(>_
リクエスト今度久保建英の紹介をやって欲しいです
リクエストありがとうございます!リクエストリストに追加しました(*^-^*)
現役時代のバッジョは創価学会マエストロ池田大作先生の熱烈な信奉者で、そこの関係からJリーグに来る噂が何度もあったなぁ。現役の最晩年の1年だけでも良かったから来てほしかった。個人的には物凄く大好きな選手だったよ。
JOMOカップの時に「この勝利を池田先生に捧げる」と回答したが、インタビュアーのジローラモが空気を読んで「じ、自分の先生に...」と歯切れの悪い翻訳を行っていたw怪我でメンタルが弱っていた時に入信し、本人が救われたのだから良かったのではと個人的には思う。競技場を離れたスポーツ選手のプライベートなどワイドショーでもあるまいし興味ないからな。
マッサーロは1995年に清水エスパルスにきたけど1996年の前半でやめてしまった
コメントありがとうございます!僕もキャリアの最後は日本に来るかと思いましたが、来ませんでしたね(;^_^A
12:18
漫画、ビバカルチョではフィオレンティーナの敵方にいたからこの経歴は驚いた。
ルイコスタの解説も見たい
リクエストありがとうございます!リストに追加しました(*^-^*)
怪我を反映してか分かんないですが、90年代後半以降のサッカーゲームに出てくるバッジョはみんなスタミナ少なく直ぐ怪我する仕様で、本物は凄い選手なのにゲームのせいで当時微妙な印象を持ってましたね
いつもありがとうございます!バッジョはそんな仕様だったんですね・・・ゲームから入った人だと、あんまり印象良くないかもしれませんね(;'∀')
WCCFでもそんな感じでしたな…
数々のケガや悲運、監督との不和に見舞われながらも華麗なプレーで逆境を乗り越えたバッジオは、ファンタジスタという言葉が本当に似合う存在でした。もしバッジオがごくありふれた容姿の持ち主だったら(1990年当時マドンナもバッジオがお気に入りだったそうです)、世間の注目を集め復活のチャンスを得られただろうか…なんて無粋なことは考えなくていいですね。
コメントありがとうございます!数々の逆境を乗り越えたバッジョは、本当に感動を与えてくれましたね(*'▽')ルックスも素敵なんですよね。たしかに無粋ですが、そう思ってしまいますよね(;^_^A
編集お疲れ様です!すばらしい能力を持っていながら、十分に発揮できないこともあるんですねえ……。冷遇されても自身のプレーを貫いたり、ケガから早く復帰したりするところはアスリート魂を感じさせられますし、観客からのスタンディングオベーションを受けるのにも納得です(*'▽')
いつもありがとうございます!サッカーは11人でやるスポーツなので、犠牲になる選手が出て来るんですね(>_
人間的にも素晴らしい人だった。『今を戦えない者に、次や未来を語る資格はない』『僕の知るドーピングはたった一つ、努力だけ』言えないなぁ。でも、結果論ですが2002年大会は出られなくて良かったかも知れない。あの悲劇的なイタリアの最期を思えば。。。
コメントありがとうございます!そうなんですよね・・・02年W杯の結末を知っているので、出なくてよかったというのもありますよね・・・個人的には見てみたかったですが(>_
@@yukkurisoccer さん同感です。私も見たかったです。そうでなくても日本にイタリアファンが多いですし、そこにバッジョがいれば、そして、トッティ、デルピエロ、ビエリ。間違えなくイタリアはホーム状態でした。
『思いついたプレーのなかで、いつも一番難しいものを選択することにしている』バッジョの凄いプレーが生まれる理由だろうなぁ悲運のファンタジスタと言うより、ファンタジスタと呼ばれる人達がみんな悲運で儚いだからこそ活躍してるときによりいっそう輝いて見える中村俊輔しかり、ルイコスタしかり・・
霊夢のコメントが北斗の拳のアミバ様に思えたw
今回は人物にフォーカス当ててましたね❗悲劇のファンタジスタとは言い得ているなと思いましたが、う~ん、起用方でなかなかシステムにシックリ来ないでハブられるとは…でも監督も仕事ですしね。これはどのスポーツでも言えることかもしれませんが、チームとして和を重んじるか、それとも個々の卓越した技術を重んじるか、見ている方とプレーする方とそれを指揮する方で見方は三者三様ですからねえ…それがピッタリリンクすれば申し分ないんですけどね。その狭間でもがき苦しんだのは、バッジョだけではないんでしょう。
当時のカルチョでは、攻撃的なスタイルを標榜・信奉していたのは、カルロ・マッツォーネ氏と、ズデネク・ゼーマン氏しかいなかったと思います。特にマッツォーネ氏は、「ミッドウィークと週末に、ロビーのプレーが観られるのは楽しい。わしもサポーターと同じ気持ちになる。」「我々プロビンチャがセリエAを戦うには、ロビーのような選手=ファンタジスタが必要なのだ」と、バッジョ愛とも取れる発言をしていました。最期に安住の地となったブレッシャでのゴールラッシュとセリエA200ゴール達成は感動と同時に、バッジョのキャリアが終わっていく、という淋しさや、安らぎも覚えました。
いつもありがとうございます!当時の監督としても、難しい判断が多かったと思います(>_
詳しい背景も紹介していただきありがとうございます❗う~ん、やはり起用が難しい選手だったんですね…偉大すぎるが故に…監督と選手の軋轢っていうのも、スポーツではあるあるですが、違うチームで必ず満足できる起用法を採択してくれる保証はないわけで…監督も経営陣からの雇われの立場でイロイロあるのでしょう。チームメイト同士の不仲もあったりすると更に面倒なことになりますから、チーム一丸となって闘うって結構奇跡なのかもしれませんね❗
いうほど悲運かなぁ。PKを外したバッジョをチームメイトの誰も責めなかったというし、何よりすごいのはその4年後も代表に選出されたこと。国民がそれを望んだと聞いている。
イタリアサッカーはあまりみていなかったけど、バッジョと同時期にマッサーロもいたな。ベレスとのトヨタカップも懐かしいけど清水エスパルスではパッとしなかった
11:30こらこら学会員と言いなさい
神童特集してほしい
バッジョの思い出は…ウイイレのマスターリーグで初めて獲得した選手が彼でしたね。笑さてジダンが世界でイタリアだけが彼を認めなかった。という趣旨の発言をしていましたがこの動画を見てああなるほどそういうことだったんだなとおもいました。顔もカッコいいしあのプレーと悲運さがまた人を惹きつける。現代の戦術では、中々ああいう選手はでてこないと思うし僕は晩年だけでしたが彼のプレーを見れたのは幸せだったんだなと思いました。
PSのウイイレでCOMがロナウド、ロナウジーニョ、ロベルト・バッジョの3Rを結成していたことがあります。
確かウイイレで、バッジョのテクニックの能力値が98か99でしたね。でも彼のプレーを見たら納得出来ますね。
いつもありがとうございます!ジダンの発言は知っていたのですが、僕も今回調べてみて初めてその真意を知りました(>_
晩年のハイライトはインテル パルマ戦プレーオフだよな。
ロベルト・バッジョの活躍は信仰の力が大きい
2022のメッシと1994のバッジョは
自国代表より応援しました。
本当に94年大会のイタリアはドラマチックでした。
満身創痍で、なかなか調子の上がらないバッジョ。世界最高のリベロであるバレージの怪我離脱、もう1人のファンタジスタ ゾラが交代直後に大誤審でレッド退場…不遇が続く中、やはり復調の兆しとなっていたのはバッジョでした。
復活をとげるゴールを決めナイジェリア戦で見せた嬉し涙、そして決勝PK戦で見せた悲しい背中。
そのどれもが心に刻まれる素晴らしいインパクトと余韻を残してくれた。
ファンタジスタと言う言葉は、ロビーにしかあてはまらない。
唯一無二の存在。
誰がなんと言おうが、
カッコよさ歴代1位
サッカー雑誌の表紙映え歴代1位
94年のW杯のPK覚えてる。記憶違いじゃなければ
日本の早朝で、学校行くのギリギリまで我慢して最後まで見てた。
外した直後の項垂れたバッジョは、本当に衝撃的な姿やった。
まさかここでバッジョを見れるとは🎵ありがとう。1番好きなサッカー選手です!バッジョは学会員です。
94年のPKテレビで見てた…あの瞬間は今でも覚えてる😭
プロは結果が全て、しかし勝っても負けても絵になるサッカー選手だった
1つ思い出したのですがバッジョは99年に来日してプレーしているんですよね。JOMO CUPというJリーグの日本人と外国人選抜メンバーに別れて戦うエキシビジョンマッチで毎年外国人選抜メンバーに特別ゲストを招いて行う興行だったのですがこの年はバッジョがゲストで、国立競技場は満員でした。確か前半だけで2ゴールしたと思います。急造も急造の即席チームにぶっこまれているのにそれを全く感じさせない格の違いを生で拝めたのは花相撲とは分かっていても半端ない眼福でした
コメントありがとうございます!
その試合は見てないんですが・・・(>_
フジテレビ系列で生放送でした。観ていたのではっきり覚えてます。特に2点目が凄かったですね。
@@田所亮-t2g 2点共に試合の前半に出たもので自分からは反対側のゴールで生まれた為帰宅してから映像で見たのですが凄かったですね。
GKの川口が親善試合ながら死ぬ程悔しがってましたけど悔しいと言うより彼なりに将来海外に行った時はこんなのを相手にしないといけないのかという恐ろしさを体感、痛感したかの様に見えました
バッジョ大好きでした。
泥棒髭がカッコよくて、自分もそうなりたくて育毛剤を口の周りに塗ってました。
ポニーテールもカッコよくて、自分もそうなりたくて襟足伸ばしたスポーツ刈りしたら、担任の先生にバリカンで坊主にされました。
今ではいい思い出です😌
コメントありがとうございます!
バッジョのルックスはかっこいいですよね!(^^)!まさにスターという感じです。バリカンで坊主は辛かったと思いますが・・・いまではいい思い出ということであれば、よかったです(*'▽')笑
2002の日韓大会出場は叶わなかったが、仮に出場していたらあのワールドカップ史上最悪の試合に出場することになり、彼のイタリア代表最後の試合が最悪の思い出として彼の心に刻まれてしまっただろう。
当時、野球しか見ていなかった小学生の自分がイタリアワールドカップでバッジョに魅せられて以来、今ではすっかりフットボールの虜。Jリーグのオールスター戦で来日してくれた時は泣きました。バッジョは永遠のアイドルです
ロビー大好きです 世界一のファンタジスタ
そうか創価。
ボールがバッジョに渡るだけでワクワクしたもんな。
山王戦の流川のような「次はなにやる?」状態だったよ。
バッジョは、とにかく「絵になる」んだよ。そのボールタッチのひとつひとつ、柔らかいパス、とんでもないゴール、正確無比なFK、そしてその試合に負けたときの佇まいさえも、たとえPKをはずしたとしても。理由は分からない。正直、論理的な説明もつけられない。けれど、強く惹きつけられる。ずっと彼を見続けていたい、と思わせてくれる。
こんな選手、他にはいない。後にも先にも、ロベルト・バッジョただ一人。
そのとおり。
ファンタジスタとはロベルト・バッジョ。
ファンタジスタは唯一、唯1人、
バッジョのみ。
僕もそう思います!
コメントありがとうございます!
本当にプレーからルックス、そのすべてが絵になりますよね(*'▽')!PKの失敗も絵になってしまう選手はバッジョ一人だと思います( ;∀;)
あの宗教は好きではないけど、バッジョがそれと出会った事で救われた事は本当に感謝してる。
おお・・・バッジョの解説ありがとうございます!バッジョがPK外した後ブラジルのGKタファレルがかけたという言葉「それでも貴方は偉大だ」多くのプレイヤーがバッジョへの称賛を口にしていますが自分はこれが大好きです。
コメントありがとうございます!
それでも貴方は偉大・・・その言葉が全てだと思います(>_
アメリカW杯、日本はあと一歩で出場を逃しあまり興味は湧かなかったけど、イタリアという国が好きで観てた。選手の名前すらわからなかったけど、バッジョはとにかくかこよかった。Dバッジョも結構好きだった。
あと、親日家というのも好感が持てた。
カズとも親交があるのはよいね。
この人のプレーは早すぎた
ゆえに、この人のプレーを学習した選手がその後沢山現れた。1.5列目の元祖だよこのファンタジスタは😊
1994年のワールドカップ。決勝に進んだ両チームのエースを比べると、土台のしっかりした神輿に乗って活躍したブラジル・ロマーリオと、フラフラなチームを文字通り引っ張ったイタリア・バッジォ、という構図に見えました。
どちらも大会を通じて印象に残るプレーを見せましたが、よりインパクトが強かったのは、大会MVPとなったロマーリオではなく、バッジォだった気がします。
欧州各国は酷暑にも苦しめられた大会でした。
決勝のアズーリも早々に足も止まり、バレージの攻守両局面での奮迅ぶりと、散発的に繰り出すバッジョのファンタジーのみ(二人とも深刻な怪我あけ(^_^;))が光る展開だったと思います。
延長〜PKまでいった時、アズーリの勝ちフラグかと期待も抱きましたが、厳しかったですね。
バッジョのキックを見て「有り得ない!ワザと外したんじゃないか!?」
と驚いた事も鮮明に覚えています。
後のインタビューで、
「あの時私は、極力ボールを強く、速く蹴る」事しかできなかった。
という記事を目にした時、何とも言えない、もの哀しい気持ちになりました。
コメントありがとうございます!
指導者としてのカズも見たかったですよね(>_
ファンタジスタとは…ロベルト・バッジョを指す固有名詞である。そう定義してもいいと思う。
ある意味ではこのPKを外したシーンの美しさが、逆にバッジオのカリスマ性や人気を高めた気もする。
ロビーを取り上げてくれましたか。ありがとうございます。本当にお気に入りの選手だったので取り上げていただき、嬉しい限りです。😄
いつもありがとうございます!
僕も大好きな選手です(*'▽')!
@@yukkurisoccer こちらこそいつも丁寧な返信ありがとうございます。ロビーを知って世界観が広がりましたから。人柄も素晴らしいとの事。雑誌で読みましたが、ファンのサインには可能な限り応じてくれるそうです。
バッジョこそ真のファンタジスタ
2002年のW杯出場が紙一重だとは知らなかった
当時35歳と言うと大分厳しいイメージがあったけど、カタールでは35歳と37歳x2人のバロンドーラーが出たんだから、全然あり得る話だったのかな
W杯、ユーロ、CLのどれか1つだけでも取らせてあげたかったですね。
僕的にバッジョの凄いところは
※ユーヴェ時代スクデットの掛かった試合での2アシスト(犬猿のリッピに見せつけるように)
※インテル時代CL出場の掛かったプレーオフでの2ゴール(犬猿のリッピに見せつけるように)
※アメリカワールドカップ決勝トーナメント3試合での5ゴール
と此処という時の勝負強さだと思います。
リクエストありがとうございます!
リクエストリストに追加しました!(^^)!
昔バッジオのビデオを購入して何度も繰り返し見ましたがゴールの一つ一つが美しいものばかりでした⚽
それ以上に素晴らしいのが彼の人間性でしょう😊
キャリアの終盤になると試合中に削られた時に相手選手から謝られたりしたというエピソードからもそれがわかります😌
バッジョに対してやらかしてしまったら、セリエAでプレーする選手なら誰もが謝りたくなると思います。僕もバッジョと他選手とのそういったエピソードが好きです。
度重なる怪我で膝がボロボロにも関わらず、自分に対してファウルを犯して止めにくる相手のラフプレーに、怒りではなく理解を示していたそうですし(T_T)
いつもありがとうございます!
僕もいまだに彼のプレー動画を見ますが、まさに芸術家ですよね(*'▽')バッジョの人間性と生き様は、教科書に乗せてもいいレベルだと思います(*^-^*)
この頃のサッカー選手は上手いだけじゃなく目つきや眼光が鋭くて顔がカッコいい。今の選手はみんな同じような髪型、顔つき、体格、プレースタイルで選手としてなんの特徴も個性も拘りもなくちょっと出てきていつの間にかいなくなる選手が多い。
待ってました〜😆😆
リクエストに答えていただきありがとうございます✨🙇
リクエストいただきましてありがとうございました!(^^)!
今晩は!リクエストに応えて頂いて本当にありがとうございました。バッジョの魅力は数多くありますが、両膝の大怪我や監督からの冷遇がありながらも、セリエAで205ゴールを達成したのは凄い偉業だと思います。ラファエロと言うルネサンス期の偉大な芸術家に例えられる程、バッジョのプレーは素晴らしいものばかりでした。個人的にはマラドーナがいた頃のナポリ戦でのゴールと、セリエAで200ゴール達成した時が印象的です。引退から17年経ちましたが、これからもずっとバッジョは私の一番の憧れです。🇮🇹😄
そう言えばもう17年か。
バッジョの記憶は全く色褪せないですね✨
@@capitanokoizo3904 ありがとうございます。本当に全く色褪せませんね!🇮🇹😊
リクエストありがとうございました!
大怪我や冷遇もありながらの200以上のゴールはすごいですね(*'▽')!いまだにプレー動画を見ますが、本当に芸術家という言葉がよく似合います!!
@@yukkurisoccer 何度も終わった選手と言われても、その度に這い上がってきたバッジョにこそ、不死鳥という言葉は凄く当てはまると思います。彼が引退する時は、寂しいとか悲しいとかは一切無く、本当にありがとうと感謝の気持ちしかありませんでした。これからも動画を楽しみにしております。😄
雑誌ではロベルト・バッジョ選手は ゴールを決めるスター選手と 私自身思っていたが
実は そうではなかった。
ユベントス ACミラン インテルと 様々な
ファンタジスタ 閃きや創造性のあるプレー はビッグクラブ受け入れてもらえず
更にイタリアサッカー協会でも忌み嫌われていた そういったギャップに苛まされても
(さいなまされても)(追いつめられると言う意味)半端ない 強い精神力に
頭が下がります。
2002年、イタリア代表に選ばれなかったのは、本当に残念だった。絶対、メンバーに選ばれると思っていたのに。
日本でプレイする、バッジョの勇姿が見たかった。
(>_
グアルディオラがバッジョとやりたいからってブレシア行ったもんな
個人的にはファンタジスタと言ったらこの人
グアルディオラとバッジョの一緒のチーム
ゲームかマンガのような話だが、実際にブレシアで実現させたんですよね。
この人かっこよかったなあ
02年ワールドカップ出てほしかった...
いや彼の国の対応があったから今にして思えばいないのは良かった。
サッカーマガジンのロベルト・バッジョ物語、何度も読んだなぁ…捨てなきゃ良かった…
待ってましたーーーー!!!!!
我が神!唯一神!
聖なるポニーテール!
コディーノ!
アズーリの至宝!ロベルト・バッジョ!!
PKをはずすことができるのはPKを蹴る勇気を持った者だけだ
それでも貴方は偉大だ
名言キタ~~~!!!
PKを決める人も同じやん
ロベルト・バッジョは初めて知った海外のサッカー選手だわ
バッジォは冷遇されても結果を出して、インテルではプレーオフで、10点満点を出してますからね
ただ、最後にブレシアという安住の地を見つけて、カルロス・マッツォーネという理解者を得たのは良かったなと思う
ただ、その時のメンツは地味にすごくて、ルカ・トニにピルロ、グアルディオラとその後サッカー界に名を残す名選手が
彼らはバッジォとプレーをしたから名を残したと思ってます
ブレシアはバッジョ在席時は中下位を安定のキープで、プロビンチャとしては地味に強かったですね。
他にマウリやマツザレムも、当時無名でしたが十分な実力派でした。
バッジョが加わる事で周りも輝いた、という印象ですね。
トップ下だったピルロがバッジョとポジションがカブるために下がり目に移って、レジスタという天職を見つけたんですよね?
@@hiiathonkakigi
3トップ気味に構えるトニ、ターレ、バッジョがかなり決定力に長けていたので、レジスタとして開眼しました(^^)
コメントありがとうございます!
バッジョのインテル10点満点のエピソードは動画に入れたかったですね(>_
ルカ・トニとピルロはロベルト・バッジョ引退後の2006年ワールドカップでロベルト・バッジョ果たせなかったイタリア代表に4度目の優勝をもたらし、グアルディオラは監督としてFCバルセロナを初の世界一に導いた…。
「彼が、プレーしている限り、僕も現役を辞めるつもりはない。ピッチの上で世界最高のファンタジスタ‼️と戦える事は、ディフェンダーとしてこの上ない喜びだからね😄」Byパオロ・マルディーニ
数々の名手が背負ったイタリアの10番だけど、
私の中ではバッジョこそが10番の中の10番ですね。
コメントありがとうございます!
イタリアの10番と言えばバッジョですよね!個人的にはトッティも捨てがたいですが(;^_^A
昔、ビバカルチョって漫画でバッジョを知った。
クラブ・代表ともに世界王者にも欧州王者にもなっていないけど、それでもサッカー史に残る偉大な選手。
「イタリアだけが彼を過小評価した」はジダンの台詞だったっけ。
コメントありがとうございます!
僕もジダンの言葉だったと記憶しています!(^^)!
もしアルゼンチン戦でスタメンで出ていたら勝っていた可能性があり決勝戦も最低の試合と言われず盛り上がり優勝出来ていれば優勝の美酒を味わえたと思えばと思いました。
インタビューなどを見てますととても謙虚な方だなという印象でしたが、キャリアは想像以上に試練の日々だったのに驚きました。
思いついたビジョンの中で一番困難なプレーを選択する。引退記念DVDのインタビューの中で語られていました。ファンタジスタの肩書きが一番似合う選手で最高に大好きな選手です。
コメントありがとうございます!
すごい名言ですね(*'▽')!さすがファンタジスタという感じです。本物のファンタジスタは彼だけかもしれませんね!
雑誌「ワールドサッカーダイジェスト」でゴール直後に上半身を脱いだバッジョ選手の写真を見た事がありましたが。。CR7も泣いて悔しがる(近所の唐揚げ屋さんのおばちゃんの方がスリムな)体型でした。ともあれ、アルゼンチンのマラドーナ選手やチリのサモラノ選手の様な体躯の天才がこれからも現れる可能性を信じてサッカーを応援します。
「こいつは、本物の天才だ…」Byアントニオ・コンテ
全盛期バッジョ、バレージ、インザーギをイタリア代表に入れたい
バッジョ↗っていう言い方がかわいい
歴代で一番好きな選手で、アイドルでした!
16歳の頃から怪我と闘い続けたガラスの天才。
バッジョのDVDでケガのひどさを知りました。16であれだけのケガをして十字架を背負ってしまったのが見ててつらかった(たしかボールの奪いにいこうとしてターンかスライディングしたら足が)
アメリカW杯は、天才ロマーリオの大会ではなく明らかにバッジョの大会でした。
最初から最後まで。
ゴールにパスするようなシュートが本当に好きでしたねー。
イタリアサッカーの歴史上最も背番号「10」の似合う男‼️。
イタリア国民から最も愛され❤️イタリア監督から最も嫌われた男😢
それこそが、「ロベルト・バッジョ‼️」
2001年生まれだけどバッジョ好きすぎる
今の選手よりレジェンド選手の方が魅力的に見えてしまう……
おお偉大なるポニーテール!
歴代サッカー選手の中で一番魅力的な選手!彼をよりすごい成績の選手は沢山いたけど…彼より魅力的な選手はいない!
何度も甦ると言うのはまた違う
プロデビューして間もなくから状態が良かったことなど一度もない
常に不十分な状態で引退するまで戦い抜いた
回復することがあったとしたらどんなパフォーマンスになったのか想像もできない
めちゃくちゃ同意。
万全で戦えた事はほぼ全くと言っていい程なかったし、身体的な全盛を迎えるどころかその前に、常に故障とリハビリの繰り返しになってしまった。
ロナウドやヴィエリも同様。
そして、この人達が凄いのは、度重なる苦難と向き合うキャリアを送りながら、晩年まで決して諦めずに立ち向かった事。
@@capitanokoizo3904
バッジョ自身が1.5本の足と表現している
来日した折にカズと会食したそうだが、同い年で現役を続けられるのは羨ましい
自分は膝がダメなので無理だと語っていた
右膝はずっと壊れている状態で試合をしていて、そこに重ねてアクシデントが起こる
復活といっても回復はしていなくずっと故障をしている
他の選手なら即引退だと思われる
私が凄いと思うのは実績も何もないデビュー直後の絶望から全てを積み上げたこと
この希望から絶望への相転移ですら、ソウルジェムが濁りきることはなく、グリーフシードなって魔女化しなかったことはただただ崇める他はない
ロベルト・バッジョは自分の中では最高の選手の1人です。('94W杯イタリア代表ユニフォーム、#10、持ってます)
もし大怪我をしなければ、多くのタイトルを手にし、バロンドールも複数獲得をしていたでしょう。
プレイが素晴らしいだけでなく、不屈の魂で何度も復帰した。称賛、尊敬に値する選手です。
ファンタジスタの名前は彼だけが相応しい。
いつもありがとうございます!
バッジョのユニフォームいいですね(*'▽')!大怪我と冷遇さえなければ、もっと伝説を残していたと思います!(^^)!その不屈の魂ぶりは、教科書に乗せてもいいレベルで・・・まさに不死鳥ですよね!
「94年アメリカワールドカップで、僕達アズーリを決勝まで連れて行ってくれたのはロビーだった‼️。彼は、フットボールそのものさ」Byアレッサンドロ・コスタクルタ
自伝 「天の扉」と「夢の続き」持ってますよ。
最後は、両膝の半月板がもうなかったんだよね。皿の下の人工半月板を動かしているところを見た時は、ゾッとしました。
フィオレンティーナの頃が一番輝いてたと思います。紫のユニフォームが似合ってた。
アメリカワールドカップの決勝では、PK失敗より、サイドからのシュートを惜しくも外したシーン、足が攣ってしまったシーンをよく覚えています。
あとは、フランスワールドカップでのビエリへのダイレクトパス。
コメントありがとうございます!
僕がサッカーを見始めた時は、バッジョはすでにフィオレンティーナにいなかったのですが、調べれば調べるほど、バッジョ=ヴィオラ ということが分かりました(*'▽')!最後まで戦い抜いた姿勢は本当にすごいです!!
94年W杯のPK失敗もそうだけど、
ヴィオラ戦でPK自体を蹴らなかった事も記憶に残ってる。
確かバッジョのビデオのインタビューで、「ヴィオラのGKのマレッジーニとは一緒にプレーした仲だし、そんな状況でPK が成功するとは思えなかった、だから拒否した」と語っていましたね。本当に想像以上に辛かったと思います。😭
@@rb10fantasista74
このエピソードを知った時は周りも
「俺が蹴るよ」とか、もう少しなにか無かったのかな〜?
と思いましたね(^_^;)
@@capitanokoizo3904 koizoさんの気持ち、私も凄く分かります。バッジョの些細な言動や行動が大袈裟に取り上げられていたみたいですから、それでも彼は本当に強い心を持っていましたね。
いつもありがとうございます!
バッジョがPKを蹴らなかったエピソードはすごいですよね(>_
特に1994年ワールドカップは大陸移動と試合とコンディション維持も大変で、その中で起死回生のゴールを量産したのは並大抵を超越していると思う。そして、1998年のワールドカップでも起死回生のゴールを2回決めた。1990年にも2点決め、3度のワールドカップでゴールを決めた初のイタリア人になった。
リッピは就任当初、「すべての責任を1人の選手に押し付けてはならない」と言った。この頃はリッピとの険悪ではなく、ユベントスのフロントが契約更新しないと決断した。そして、ロベルト・バッジョは「強いチームだから」という理由でACミランに移籍した。
そして、ACミランからボローニャへ移籍する際も難航した。ボローニャで活躍し、1998年フランスワールドカップに代表復帰し、「チャンピオンズリーグがあるから」という理由で、インテルに背番号10での移籍が実現した。1年目はチャンピオンズリーグでは欧州王者レアル・マドリッドを倒す2ゴールなどで大いに盛り上たが、優勝するマンチェスター・ユナイテッドに負けてしまった。チーム状況は最悪で監督も何度も入れ替わった。2年目はリッピが就任するが、リッピはロベルト・バッジョだけでなくインテルにとって最悪の監督になってしまった。
ロベルト・バッジョはミラノを離れる時にはまた移籍先探しを難航を極めた。ディエゴ・マラドーナで猛威を振るったナポリや、後に中村俊輔がプレイすることになるレッジーナからもオファーは来たが、「イタリア南部では遠すぎる」という理由で断ってしまったところ、監督のカルロ・マッツォーネのブレッシアからオファーが来た。ブレッシアだったら近いということもありブレッシアと契約した。そして、1年目はなかなかうまくいかなかったが、終盤になるとゴールを量産し、中位に押し上げた。2年目は序盤絶好調だったが、"今シーズン絶望"というほどの負傷を回復し、復帰すると何とか残留した。3年目はコンスタントに出場し余裕で残留し中位だった。このシーズンでマッツォーネがボローニャの監督になり、相性が良い監督とボローニャ復帰も考えたが、契約全うするためにブレッシアに残った。そして4年目はセリエA通算200ゴールを達成し、生涯で205ゴールを決め、引退した。もちろん、ブレッシアは残留した。
最後に、ロベルト・バッジョは生まれも育ちもカルドーニョで地元のヴィツェンツァをはじめ、「自宅に近いから」という理由でイタリア北部のみでプレイした。
いつも補足していただきまして、ありがとうございます!
バッジョの移籍には自宅の近さも影響していたんですね(>_
「デル・ピエロがピントリッキオだとしたらバッジョはラファエロだ。」(ジャンニ・アニェッリ)
「10番というより、9.5番だ。」(ミシェル・プラティニ)
「それでも貴方は偉大だ。」(クラウディオ・タファレル)
94年アメリカワールドカップの決勝戦のPKの決着がついたあと、当時ゴールを守っていたブラジル代表のGKの彼が、PKを外したバッジョに対してかけた言葉。
「世界でイタリアだけが唯一、彼をNo.1だと認めなかった」(ジネディーヌ・ジダン)
ジダンの言葉が気になってググったのですが、気になった言葉がこれだけある。
1994年のPK外した姿が絵になり過ぎた。生き様が格好良いのよ。ロビーは。
「サントスに連れて帰り、私が付けていた背番号10を着せたい」(ペレ)
「イタリアサッカー界で最も輝きを放ったプレーヤーだ」(マラドーナ)
「もし同じ時代にプレーしていたなら教えを乞うよ」(ジーコ)
「僕がブレシアへ移籍を決めたのは、彼の存在があったからだ」(グアルディオラ)
「悪夢のような選手が3人いた。マラドーナ、ファンバステン、残る一人がバッジョだ」(ベルゴミ)
「バッジョを使いこなせないようじゃ、一流の監督とは言えない」(マッツォーネ)
「ピッチ上で二人分の価値がある選手だった」(モラッティ)
「必ず成功させなければならないPKを、俺は成功させた」(ロマーリオ)
「我々の関係は特殊なものだ」(アリゴ・サッキ)
「世界一セクシーなスポーツ選手」(マドンナ)
いつもありがとうございます!
ジダンの言葉は心に刺さりますね・・・当時のイタリアじゃなかったら・・・何度も思いますが、あの時代だったからこそ、バッジョの生き様が人々を魅了したというのもあるのかもしれませんね(>_
膝(ひざ)ケガをしても試合に出続け結果を残し
監督 選手 スタッフから冷ややかな態度 されても
ファン サポーター罵声浴び続けられても 最後まで貫き通す 飽くなき 不屈の闘志
ファンタジスタ 閃きや創造性のあるプレーで観客を魅了するスーパースター級の選手
ロベルト・バッジョ この人抜きでは 語ることでできない
それだけ 世界中の人に愛されていた事でしょう。
イタリアサッカー協会が もっと早くに受け入れられていたら 違った結果になっていたかもしれません
いつもありがとうございます!
プレーも素晴らしいですが、それ以上に彼の生き様がすばらしいですよね!単なるファンタジスタの枠組みで語ることはできない、彼は正真正銘真のファンタジスタだったと思います(>_
バッジョといえばやっぱりあのPKなんだよなぁ。今度はシェフチェンコについてもやって欲しいです。現実のEUROでも監督としてウクライナをベスト8に導いたので。
いいね👍️
リクエストありがとうございます!
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シェフチェンコいいですな♪
めっちゃトウカイテイオーみたいな人生だな
バッジョ、個人的にイタリアの歴代ベストイレブンを選ぶならブッフォン、マルディーニ、バレージらと共に絶対に外せない選手です!!
確かにバッジョは経歴だけを見るならエリートであり、疑いようのないスター選手でしたが、「チームプレイ主体のクラブにおいては型にハマり難い」という認識で冷遇され続けたのは非常に残念でしたね・・・
あのアメリカW杯決勝でPKを大きく外して失敗したのが印象深いですが、バッジョは本来「PK職人」と呼んでも良い程の成功率でした(セリエAでの通算ですが、83回のPKを蹴り、68回成功で成功率は81.92%です)。
バッジョがPKを失敗してしまったのなら「イタリアは負けるべくして負けた」という見方も出来ますよね(相手GKもPKに強いタファレルでしたし)。
昔『キャプテン翼J』というアニメ内で、単身イタリアに武者修行へ出掛けた葵新伍(あおいしんご)がイタリアの空港で最初に出会った著名人がバッジョのモデルとなった「ロベルト・ボッジョ」でしたね(どんな偶然だw)
1999年と2000年には当時Jリーグ主催で開催されていた「日本人選抜✕外国人選抜」でゲスト選手として来日もしてくれました。1999年の試合では芸術的なミドルシュートを叩き込んで外国人選抜を勝利に導きましたね。
何かと日本でも人気が高い選手でしたから、日韓W杯で見られなかったのが大変残念に思います・・・
02W杯でも、ユーロ04でも、アズーリに選出されてほしかった(T_T)
それでも、バッジョをリアルに体感できた私達の世代は幸せだと思います・・・
@@capitanokoizo3904 ありがとうございます!!そう、上手く表現出来ませんが、全盛期のバッジョはどのプレイでも次元が違うって思いました。「1人だけ10年以上先の未来のプレイスタイルを確立している」・・・みたいな。21世紀初頭では既に引退間近でしたが、「最後に国際試合の大舞台でも花を持たせてあげたかった」というのはありますね。
いつもありがとうございます!
バッジョが生まれた時代が、ファンタジスタ不遇の時代でしたよね・・・。でもそれがあったから、その生き様で人々を感動させた選手だったのかもしれませんね(>_
本当の天才ほど運命に愛されないんだよなぁ、、、
いつも動画を楽しみにしております
バッジョ...私の海外サッカー人生で絶対に外せない選手です
真剣にコメントすると30000文字くらいになりそうなのと酔っぱらっているので簡単に
出典は思い出せませんがバッジョを本にしたら『天才の受難の歴史』と評したサッカージャーナリストがいました
フィオレンティーナからユヴェントスへの移籍
当時はボスマン判決前なので選手の意向は関係なし
バッジョも望まない移籍でした
リッピとサッキとの軋轢は宗教の違いと言われイタリアはローマ・カトリック教会が大半を占め
時代の流れもありますが異教徒を許さない文化
未だに黒人差別が厳しい文化
戦術ガチガチのイタリアでファンタジスタなんて不要な文化
後の似た選手の言葉
『唯一イタリアだけが彼をナンバーワンと認めなかった』
現代サッカーならバッジョ両足の太さが違いフィジカルでは通用しないと思う
でもバッジョなら奇跡を...と思います
辛口のガゼッタが10点を付けた数少ない選手
94アメリカの勇士と悲劇
波乱の選手生活
なんて絵になる選手なのでしょう...
いつもありがとうございます!
本当にバッジョにとって受難の時代でしたね(>_
個人的な意見ですが、98年W杯のフランス戦でバッジョがスタメンで出場していれば、イタリアは勝っていたかもしれないと思います。実際フランスの選手達がバッジョがスタメンじゃなくて本当に良かったと語っていたように、優勝したフランスが一番恐れていたのがバッジョでした。🇮🇹
ありますね。
当時はまだ若かったピッポやヴィエリを活かすのも凄く巧かったと思いました!
デル・ピエロも申し分ないタレントでしたが、常にバッジョとの比較論に晒されていた上、少なくないユベンティーノにすら、アレックスがアズーリのエース?ノーサンクス。
50歳のバッジョのほうがいい(笑)
などと心無い批判を受けていました。
それが故、自分が!俺が!ガンガン行かなきゃ!というプレッシャーを感じ過ぎに見えていました。
97〜98シーズン辺りは、得点力に焦点を当てるならバッジョは明らかに1段階上がっていた時期だったと思っているので、もっとバッジョにボールを集めるような展開をと、当時ヤキモキして観ていました。
@@capitanokoizo3904 デルピエロはリーグ戦での怪我の影響もありましたからね、プレッシャーは半端無かったと思います。おっしゃる通り、バッジョはインザーギやビエリとの相性はとても良かったですよね。私自身フランス戦でのボレーシュートは正直外した悔しさよりも、ほぼ真後ろから来たボールをダイレクトシュートした事に驚きましたw。それだけに最初から出ていれば…と思っています。
@@rb10fantasista74
ダイレクトボレーは確かフワリと浮かせてファーポストの上隅を叩いた時ですかね?
なにもそんな難しい所に蹴らなくていいんだぞバッジョ・・・
と思っちゃいましたね(^_^;)
@@capitanokoizo3904 そうですね。ファーポストに逸れてしまいました。トラップしてからシュートしても良かったとは思います。でも思い付いたプレーの中で最も難しいプレーを選ぶという信念を貫くバッジョらしいシュートでしたね。彼曰く、ジャストミートし過ぎたらしいです。
@@rb10fantasista74
ダイレクトがあまりにもジャストミートし過ぎて外すとか・・・
バッジョらしいですよね(^_^;)
思い切りブチ込んじまえばそれでお終いだろ!!
と思っても、敢えて簡単にそれをしないのがバッジョでした✨
あくまで自分は'94W杯以降しか見ていないのですが、この人は「影響があり過ぎた」のだと思います。このチャンネルの他の動画に出てくる所謂「10番」系選手の例に違わず90年代中期の「サッカーの組織化」によって敬遠された事は間違いないのですが、バッジョの特徴の1つに尋常ではない逆境への強さというのがありまして、件の94W杯といいインテル時代のCLを賭けた一発勝負プレーオフ等の「背水の陣」になった時に普段排除していた監督が(周囲の起用を求める声もあるのですが)起用せざるを得なくなるんですね。しかもそこでかなりの高確率で救世主になってしまう。しかしケガがちでなかなかシーズン通して戦力にはなりにくい・・・1人の有無で戦術が大きく変わってしまうのはボローニャやブレシアの様な多少負けても残留できればいいよ的なクラブならいいのですがビッグクラブではそうはいきませんし。
有りていに言うと「使いにくい選手」なのですがそれでも文字通り誰にも真似出来ないプレーを見せてくれる事が出来るというロマンがイタリア人のみならず世界中の人々を魅了した事だけは事実でしょうね
いつもありがとうございます!
バッジョの驚異的な勝負強さで救われることもあったと思いますが、ビッグクラブはそれだけじゃいきませんよね(>_
2002年は結果論だけど選出されなくてよかった
足に爆弾を持っている状態でラフプレーをされていたら選手生命が終わっていたと思う
本人としては短い選手生命だったと思うけど、けがを克服してとんでもないプレーを多く見せてくれたことはうれしかった。
韓国戦でキャリア終えないで、良かったかもしれないですね 日本で見たかったけど
コメントありがとうございます!
イタリア対韓国戦はラフプレーが多かったですもんね(>_
「世界中のフットボールファンは、ロビーに感謝しなくてはならないと思う‼️。彼が僕達に与えてくれた物の大きさ‼️即ち、人生を情熱的なものにしてくれたというものにね✨」Byマヌエル・ルイ・コスタ
私がサッカー好きになったきっかけの選手でした(*^^*)
セリエAのDVDで見てますがやはりファンタジスタにふさわしいプレーの数々 パス シュート
ドリブルはホント最高のナンバー10でした
しかし当時の監督たちはファンタジスタ冷遇する不運と(T_T)
それでも私はバッジョが一番好きです(*^^*)
バッジオ=ファンタジスタ。😄大好きな選手の1人。日韓ワールドカップで見たかったな(^-^)
ファンタジスタの語源はサ−カスのピエロからきています 意味は夢のような時間を作り出す役者 サ−カスで真の実力者は、ピエロです テクニックとエンターテインメントを両立させるプレイヤーを評する為に、使われ始めました 誇張抜きでファンタジスタとはバッジョの為にイタリアが呼び始めた呼称のはずです 当時、セリエAは、全盛期で名のあるプレイヤーは、みんな外国籍で、彼ら相手にイタリア国民が心の拠り所にしたのがマラドーナ、オランダトリオ等と互角に渡り合う若者バッジョでした もしバッジョがいなければイタリアサッカーは、カテナチオだけのつまらない国と評価されてたと思います なのに…イタリア人監督は、バッジョを否定し続ける悲劇 本当に唯一無二です
追記 バッジョは、語りきれない…だれか言ってましたが「サッカーにたずさわる者なら、抗いきれない癖になる存在」 その通りだと思います、観たらけして忘れることはできない稀有な選手。
いつもありがとうございます!
ファンタジスタの語源はじめて知りました(*'▽')!ファンタジスタといえば、バッジョですよね。彼を超えるファンタジスタはいないと思います。イタリア人監督が彼を否定し続けたのは残念でなりませんね(>_
@@yukkurisoccer バッジョを愛しています…しかしもし自分が監督でリ-グ優勝が目的なら…バッジョ中心のチ−ム作りしないかもしれません…理由は途中でリタイアされた瞬間…すべて終わりますから、矛盾してますが…それだけ一言で語れないロマンの溢れるオンリーワンの選手…神が存在するなら何故、サッカーの才能を授けたか疑います
R.バッジョ世代です。素晴らしい動画ありがとうございます。
バッジョのDVDや自伝は今でも何回も観たり読み返したりしてます。
バッジョと出逢わなければここまでサッカーを好きにはならなかったでしょうね。
ちなみに私もバッジョと同じ法華経信者です^^:
小野伸二、ブラジルのロナウド、ウルグアイのレコバ、ポルトガルのフィーゴ、特集お願いします
リクエストありがとうございます!
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ちなみにロナウドはこちらで取り上げています!
th-cam.com/video/lbfVe_DiFtQ/w-d-xo.html
早朝?に観てて、テンション ガタ落ちで出勤したのを思い出した😩
バッジョほど、PKを外して絵になる人はいないですよね❗️🤔
あと世界中で評価にされているのに、イタリア本国では過小評価気味なのが、本当に悲しい…。😢
バッジョを外しまくる監督達が、なぜ外すんだとか言われてそうである意味不憫な気が。
コメントありがとうございます!
当時のイタリアの監督からすれば、仕方のないことだったのかもしれませんね・・・(>_
リクエスト今度久保建英の紹介をやって欲しいです
リクエストありがとうございます!
リクエストリストに追加しました(*^-^*)
現役時代のバッジョは創価学会マエストロ池田大作先生の熱烈な信奉者で、そこの関係からJリーグに来る噂が何度もあったなぁ。
現役の最晩年の1年だけでも良かったから来てほしかった。
個人的には物凄く大好きな選手だったよ。
JOMOカップの時に「この勝利を池田先生に捧げる」と回答したが、インタビュアーのジローラモが空気を読んで「じ、自分の先生に...」と歯切れの悪い翻訳を行っていたw
怪我でメンタルが弱っていた時に入信し、本人が救われたのだから良かったのではと個人的には思う。競技場を離れたスポーツ選手のプライベートなどワイドショーでもあるまいし興味ないからな。
マッサーロは1995年に清水エスパルスにきたけど1996年の前半でやめてしまった
コメントありがとうございます!
僕もキャリアの最後は日本に来るかと思いましたが、来ませんでしたね(;^_^A
12:18
漫画、ビバカルチョではフィオレンティーナの敵方にいたからこの経歴は驚いた。
ルイコスタの解説も見たい
リクエストありがとうございます!
リストに追加しました(*^-^*)
怪我を反映してか分かんないですが、90年代後半以降のサッカーゲームに出てくるバッジョはみんなスタミナ少なく直ぐ怪我する仕様で、本物は凄い選手なのにゲームのせいで当時微妙な印象を持ってましたね
いつもありがとうございます!
バッジョはそんな仕様だったんですね・・・ゲームから入った人だと、あんまり印象良くないかもしれませんね(;'∀')
WCCFでもそんな感じでしたな…
数々のケガや悲運、監督との不和に見舞われながらも華麗なプレーで逆境を乗り越えたバッジオは、ファンタジスタという言葉が本当に似合う存在でした。
もしバッジオがごくありふれた容姿の持ち主だったら(1990年当時マドンナもバッジオがお気に入りだったそうです)、世間の注目を集め復活のチャンスを得られただろうか…なんて無粋なことは考えなくていいですね。
コメントありがとうございます!
数々の逆境を乗り越えたバッジョは、本当に感動を与えてくれましたね(*'▽')ルックスも素敵なんですよね。たしかに無粋ですが、そう思ってしまいますよね(;^_^A
編集お疲れ様です!
すばらしい能力を持っていながら、十分に発揮できないこともあるんですねえ……。
冷遇されても自身のプレーを貫いたり、ケガから早く復帰したりするところはアスリート魂を感じさせられますし、
観客からのスタンディングオベーションを受けるのにも納得です(*'▽')
いつもありがとうございます!
サッカーは11人でやるスポーツなので、犠牲になる選手が出て来るんですね(>_
人間的にも素晴らしい人だった。
『今を戦えない者に、次や未来を語る資格はない』
『僕の知るドーピングはたった一つ、努力だけ』
言えないなぁ。
でも、結果論ですが2002年大会は出られなくて良かったかも知れない。あの悲劇的なイタリアの最期を思えば。。。
コメントありがとうございます!
そうなんですよね・・・02年W杯の結末を知っているので、出なくてよかったというのもありますよね・・・個人的には見てみたかったですが(>_
@@yukkurisoccer さん
同感です。私も見たかったです。そうでなくても日本にイタリアファンが多いですし、そこにバッジョがいれば、そして、トッティ、デルピエロ、ビエリ。間違えなくイタリアはホーム状態でした。
『思いついたプレーのなかで、いつも一番難しいものを選択することにしている』
バッジョの凄いプレーが生まれる理由だろうなぁ
悲運のファンタジスタと言うより、
ファンタジスタと呼ばれる人達がみんな悲運で儚い
だからこそ活躍してるときによりいっそう輝いて見える
中村俊輔しかり、ルイコスタしかり・・
霊夢のコメントが北斗の拳のアミバ様に思えたw
今回は人物にフォーカス当ててましたね❗
悲劇のファンタジスタとは言い得ているなと思いましたが、う~ん、起用方でなかなかシステムにシックリ来ないでハブられるとは…でも監督も仕事ですしね。
これはどのスポーツでも言えることかもしれませんが、チームとして和を重んじるか、それとも個々の卓越した技術を重んじるか、見ている方とプレーする方とそれを指揮する方で見方は三者三様ですからねえ…それがピッタリリンクすれば申し分ないんですけどね。その狭間でもがき苦しんだのは、バッジョだけではないんでしょう。
当時のカルチョでは、攻撃的なスタイルを標榜・信奉していたのは、カルロ・マッツォーネ氏と、ズデネク・ゼーマン氏しかいなかったと思います。
特にマッツォーネ氏は、
「ミッドウィークと週末に、ロビーのプレーが観られるのは楽しい。わしもサポーターと同じ気持ちになる。」
「我々プロビンチャがセリエAを戦うには、ロビーのような選手=ファンタジスタが必要なのだ」
と、バッジョ愛とも取れる発言をしていました。
最期に安住の地となったブレッシャでのゴールラッシュとセリエA200ゴール達成は感動と同時に、バッジョのキャリアが終わっていく、という淋しさや、安らぎも覚えました。
いつもありがとうございます!
当時の監督としても、難しい判断が多かったと思います(>_
詳しい背景も紹介していただきありがとうございます❗
う~ん、やはり起用が難しい選手だったんですね…偉大すぎるが故に…
監督と選手の軋轢っていうのも、スポーツではあるあるですが、違うチームで必ず満足できる起用法を採択してくれる保証はないわけで…
監督も経営陣からの雇われの立場でイロイロあるのでしょう。
チームメイト同士の不仲もあったりすると更に面倒なことになりますから、チーム一丸となって闘うって結構奇跡なのかもしれませんね❗
いうほど悲運かなぁ。
PKを外したバッジョをチームメイトの誰も責めなかったというし、何よりすごいのはその4年後も代表に選出されたこと。
国民がそれを望んだと聞いている。
イタリアサッカーはあまりみていなかったけど、バッジョと同時期にマッサーロもいたな。ベレスとのトヨタカップも懐かしいけど清水エスパルスではパッとしなかった
11:30
こらこら学会員と言いなさい
神童特集してほしい
バッジョの思い出は…ウイイレのマスターリーグで初めて獲得した選手が彼でしたね。笑
さてジダンが世界でイタリアだけが彼を認めなかった。という趣旨の発言をしていましたがこの動画を見てああなるほどそういうことだったんだなとおもいました。
顔もカッコいいしあのプレーと悲運さがまた人を惹きつける。
現代の戦術では、中々ああいう選手はでてこないと思うし僕は晩年だけでしたが彼のプレーを見れたのは幸せだったんだなと思いました。
PSのウイイレでCOMがロナウド、ロナウジーニョ、ロベルト・バッジョの3Rを結成していたことがあります。
確かウイイレで、バッジョのテクニックの能力値が98か99でしたね。でも彼のプレーを見たら納得出来ますね。
いつもありがとうございます!
ジダンの発言は知っていたのですが、僕も今回調べてみて初めてその真意を知りました(>_