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元ネタが魔女と巫女のキャラに語らせる象徴性が面白い
すごいなこの考察……それこそゆっくりや東方の世界観解説とかにも使えそう
いつも深く刺さる考察をありがとうございます、長文失礼します。私も丁度叛逆の物語を見ていたのですが、ほむらの魔女結界に囚われたまどか達は「魔法少女として皆とナイトメアと戦える喜び」ばかり話していました。この動画で行っていた通り「信頼」の言葉ですね。「ナイトメアがどんな敵だったか?」とか「ナイトメアは何故生まれるのか?」については不自然なくらい話題に上がりません。そうなるようにさやかが誘導してるようにも見えましたが、それは長くなるので割愛します…つまりナイトメア退治において重要なのはその「中身」ではなく「皆で戦ったという事実そのもの」だったんだと思います。儀式やセラピーとはいいえて妙ですね。ナイトメア退治をする度に魔法少女達は仲良くなっていき、世界に対する違和感もなかったことになる。結界の違和感を消すための結界の浄化システム、それこそがお菓子の歌及びナイトメアの正体だと思います。
美樹さやかが誘導していた…それは面白いですね。見返してみたいと思いました
結界の違和感自体を消し去るシステムとして、ナイトメアがいるというのも、私が今回そこにまで至れなかったことですが、とても納得できるものですね
いたいのいたいのとんでいけ、にも大分パターン違いはありますが、結局欲しいのは子供からの安心なように、歌で浄化の儀式をすることで救いたいなにかがあるほむらちゃんのセラピーの話でもあったんですね
動画ありがとうございます!これまで、ケーキの歌の歌詞にのみ注目していましたが、歌を歌っている行為自体に注目する視点はこれまでなかったのでとても面白かったです。今回の考察を聞いて、日常が戻ってくる「取返しのつく世界」を望んだほむらが悪魔となってどのような世界へ書き換えたのかとても気になりました。論考ではないですが、ほむらも含めて最後は幸福に生きていければと思います😅
うーん、確かにここでのほむらの思いが、新作世界にどう生かされているのかは、言われてみるとそうですね…
呪いとか魔法・魔術、夢はある意味究極の思い込みによる…と言えるのかな。強く思う(想う)事自体が大事で、ケーキの歌は強く思い込む為のおまじないみたいな…言葉にするのは難しいですが、サラサリウムさんの考察は毎回理屈が通っている上、わかりやすくて感心しています🎉🎉
9:19 3年間も言いそびれていたことを覚えてるの記憶力すごい
まさしく、以前どこかのコメントで「するはずだったけれどどこかへ行った話も聞きたい」と仰ってくださってましたが…魔理沙「その一つがこれだというわけだな」
セラピストとしてナイトメアを癒す方法が「豪華なケーキやご馳走を食わせる」ことなのが ほむらの10代の子どもらしさと、怒りは二次感情でありその根底には悲しみや寂しさ等の欠落感があるという本質を表現しているのかな…と考察を聞いていて感じました。35:07 神の言葉を信じられるケースについて、個人的にはやっぱり②かな、と。自称であっても皆がはっきり分かってるという自覚があると「本当にそうなのかな?」と疑念が湧いたり検証したくなったり粗探しや反論を始めてしまったりするかもしれない。「その言葉が何を意図しているかはわかる。その根拠はずっと深い所に有るはずだ」と思っている時や調べ始めた時が1番それを信頼している瞬間ではないかと思います!
確かに、その手段をこそ(意識的ではなく)選んだほむらの内面は、想像してみるととても等身大でありつつどこかやり切れないような感覚がありますね「深いところにあるはずだ!」って感覚が、調査していくうちにまた根拠が根拠を呼び寄せることになって…そのようなところまで来るともう抜け出せなくなっているところもあるのかなあと、おっしゃってるお話から想像が膨らみました!
@@サラサリウム考察の魔女 仁美のナイトメア戦において、結界セラピーのプラスアルファのような さやかの抱擁はあの世界に則った、円環に至った彼女の心根の現れにも感じます。同じ"調べる"でも、「疑念を持って調べる」のと「深く知りたくて調べる」のでは掴み取る情報に違いがあると思います。無意識に自分の第一印象を補強したがるというか。。調べる過程で最初の疑念or興味(ともすれば信仰)が膨れていく感覚は身に覚えがありますね…。
@ 確かに、さやかの行為は結界の想いに則りつつプラスアルファになってますね!調べるという行為の前にある前提の違いによって生じる、掴み取る情報の変化なるほど、勉強になります
そう思うと、まどかと出会ってからループを繰り返してきたほむらはループの度にある種のケアリングをまどかから受けてるんだよなぁ…
某オタキングがこの儀式についてスリランカの小さな村の悪魔祓いの話をしていて、めちゃくちゃ納得した記憶があります。それ以降あまり深く考えていなかったのですが、こうして改めて考察しているのをきくと新しい発見がまだまだあって面白いですね。ここのコメント欄みるのもすきです〜
スリランカ!なるほど!もっと具体的な例を出したいと思っていたのですが、もうそのような話があるのですね
@ 悪魔に取り憑かれた人(引きこもり)の周りを村人全員で3日3晩語りかけ、歌って踊って治すみたいな儀式で、精神疾患的なものを悪魔という完全に外的要因のせいとすることに赦しがある、それが宗教の最大の強みだみたいな話だったと思います。まさに動画仰っていたような内容で、観る人が観ると分かるもんなんだな〜とプチ感動です。そういった儀式のほむら的アレンジだと思うとなんだか、、その後のホムリリィを助けるためのmisteriosoが流れるシーン、まさにみんながほむらにひとりぼっちにならないで!と全力で儀式をしているようにみえてきますね〜😭
とっても難しく解り易く考えさせられる動画でした~(意味不明)あまり具体的な感想が言えないくらい胸がいっぱいですさあますます「ワルプルギスの𢌞天」が恐ろしく楽しみになって来ました
いつもいつも感想ありがとうございますワルプルギスの廻天…さて、私に、歯が立つかどうやら
別のチャンネルでケーキの歌は深く考えなくて良いって言ってて、こういうことだったからなんですね
そうなんですね!
ほむほむってまどか以外はどうでも良いと思われがちだけどまどか以外のことも考えてるし優しい子だなってテスカトリポカ思うワケ
元ネタが魔女と巫女のキャラに語らせる象徴性が面白い
すごいなこの考察……それこそゆっくりや東方の世界観解説とかにも使えそう
いつも深く刺さる考察をありがとうございます、長文失礼します。
私も丁度叛逆の物語を見ていたのですが、ほむらの魔女結界に囚われたまどか達は「魔法少女として皆とナイトメアと戦える喜び」ばかり話していました。この動画で行っていた通り「信頼」の言葉ですね。
「ナイトメアがどんな敵だったか?」とか「ナイトメアは何故生まれるのか?」については不自然なくらい話題に上がりません。そうなるようにさやかが誘導してるようにも見えましたが、それは長くなるので割愛します…
つまりナイトメア退治において重要なのはその「中身」ではなく「皆で戦ったという事実そのもの」だったんだと思います。
儀式やセラピーとはいいえて妙ですね。ナイトメア退治をする度に魔法少女達は仲良くなっていき、世界に対する違和感もなかったことになる。
結界の違和感を消すための結界の浄化システム、それこそがお菓子の歌及びナイトメアの正体だと思います。
美樹さやかが誘導していた…
それは面白いですね。見返してみたいと思いました
結界の違和感自体を消し去るシステムとして、ナイトメアがいるというのも、私が今回そこにまで至れなかったことですが、とても納得できるものですね
いたいのいたいのとんでいけ、にも大分パターン違いはありますが、結局欲しいのは子供からの安心なように、歌で浄化の儀式をすることで救いたいなにかがある
ほむらちゃんのセラピーの話でもあったんですね
動画ありがとうございます!
これまで、ケーキの歌の歌詞にのみ注目していましたが、歌を歌っている行為自体に注目する視点はこれまでなかったのでとても面白かったです。
今回の考察を聞いて、日常が戻ってくる「取返しのつく世界」を望んだほむらが悪魔となってどのような世界へ書き換えたのかとても気になりました。
論考ではないですが、ほむらも含めて最後は幸福に生きていければと思います😅
うーん、確かにここでのほむらの思いが、新作世界にどう生かされているのかは、言われてみるとそうですね…
呪いとか魔法・魔術、夢はある意味究極の思い込みによる…と言えるのかな。
強く思う(想う)事自体が大事で、ケーキの歌は強く思い込む為のおまじないみたいな…
言葉にするのは難しいですが、サラサリウムさんの考察は毎回理屈が通っている上、わかりやすくて感心しています🎉🎉
9:19 3年間も言いそびれていたことを覚えてるの記憶力すごい
まさしく、以前どこかのコメントで「するはずだったけれどどこかへ行った話も聞きたい」と仰ってくださってましたが…
魔理沙「その一つがこれだというわけだな」
セラピストとしてナイトメアを癒す方法が「豪華なケーキやご馳走を食わせる」ことなのが ほむらの10代の子どもらしさと、怒りは二次感情でありその根底には悲しみや寂しさ等の欠落感があるという本質を表現しているのかな…と考察を聞いていて感じました。
35:07
神の言葉を信じられるケースについて、個人的にはやっぱり②かな、と。
自称であっても皆がはっきり分かってるという自覚があると「本当にそうなのかな?」と疑念が湧いたり検証したくなったり粗探しや反論を始めてしまったりするかもしれない。
「その言葉が何を意図しているかはわかる。その根拠はずっと深い所に有るはずだ」と思っている時や調べ始めた時が1番それを信頼している瞬間ではないかと思います!
確かに、その手段をこそ(意識的ではなく)選んだほむらの内面は、想像してみるととても等身大でありつつどこかやり切れないような感覚がありますね
「深いところにあるはずだ!」って感覚が、調査していくうちにまた根拠が根拠を呼び寄せることになって…そのようなところまで来るともう抜け出せなくなっているところもあるのかなあと、おっしゃってるお話から想像が膨らみました!
@@サラサリウム考察の魔女
仁美のナイトメア戦において、結界セラピーのプラスアルファのような さやかの抱擁はあの世界に則った、円環に至った彼女の心根の現れにも感じます。
同じ"調べる"でも、「疑念を持って調べる」のと「深く知りたくて調べる」のでは掴み取る情報に違いがあると思います。無意識に自分の第一印象を補強したがるというか。。調べる過程で最初の疑念or興味(ともすれば信仰)が膨れていく感覚は身に覚えがありますね…。
@ 確かに、さやかの行為は結界の想いに則りつつプラスアルファになってますね!
調べるという行為の前にある前提の違いによって生じる、掴み取る情報の変化
なるほど、勉強になります
そう思うと、まどかと出会ってからループを繰り返してきたほむらは
ループの度にある種のケアリングをまどかから受けてるんだよなぁ…
某オタキングがこの儀式についてスリランカの小さな村の悪魔祓いの話をしていて、めちゃくちゃ納得した記憶があります。それ以降あまり深く考えていなかったのですが、こうして改めて考察しているのをきくと新しい発見がまだまだあって面白いですね。ここのコメント欄みるのもすきです〜
スリランカ!なるほど!
もっと具体的な例を出したいと思っていたのですが、もうそのような話があるのですね
@
悪魔に取り憑かれた人(引きこもり)の周りを村人全員で3日3晩語りかけ、歌って踊って治すみたいな儀式で、精神疾患的なものを悪魔という完全に外的要因のせいとすることに赦しがある、それが宗教の最大の強みだみたいな話だったと思います。まさに動画仰っていたような内容で、観る人が観ると分かるもんなんだな〜とプチ感動です。そういった儀式のほむら的アレンジだと思うとなんだか、、その後のホムリリィを助けるためのmisteriosoが流れるシーン、まさにみんながほむらにひとりぼっちにならないで!と全力で儀式をしているようにみえてきますね〜😭
とっても難しく解り易く考えさせられる動画でした~(意味不明)
あまり具体的な感想が言えないくらい胸がいっぱいです
さあますます「ワルプルギスの𢌞天」が恐ろしく楽しみになって来ました
いつもいつも感想ありがとうございます
ワルプルギスの廻天…さて、私に、歯が立つかどうやら
別のチャンネルでケーキの歌は深く考えなくて良いって言ってて、こういうことだったからなんですね
そうなんですね!
ほむほむってまどか以外はどうでも良いと思われがちだけどまどか以外のことも考えてるし優しい子だなってテスカトリポカ思うワケ