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豪華特急ではなく乗りやすい特急が増えてほしい
それはただの急行では?
@@SK-jt5ye恐らく豪華特急というのは、四季島やカシオペア紀行・クルーズ、瑞風やななつ星のことを指しているのではないでしょうか?
@@SK-jt5ye まぁ、急行が出てほしいとも思う。 きたぐにとかはまなすとかも乗ったことない世代だし。
@@taniC.223 かなり昔の話ですが、特急ってそもそもL特急前はそういう豪華列車というイメージでしたよ寧ろ今の特急は停車駅や運行範囲からも急行を名乗った方がいいレベル車内販売もないし
@@SK-jt5ye九州なんか快速レベルだったりするし
これの何がすごいかって、古い国鉄車両でおそらく国鉄採用の乗務員によって運行される国鉄時代を象徴する超長距離列車が、LED電光掲示板や今と変わらないデザインの自販機があるホームを出て、携帯電話やマナーモードといったいまと変わらないワードが車内放送で聞こえてくる、この時代の変わり目のド真ん中感ですよ。
ご視聴、コメントありがとうございます。😃そうですね!時代が大きく変わりました。携帯電話からスマホへ。そして業務やプライベートでも電話をかけるのはナンセンスな時代へと変わってきました!ファミコンゲーム位の時代で育ったので今時のインターネットゲームはよく分からないです😖国鉄時代に採用された人達も時代の変化に大変だったと思います。車内放送からも時代の変化が伝わってきますね☺️
昔 白鳥の青森大阪編成と、直江津で併合して、上野発大阪行きの編成が有って直江津で、二層建て編成の時に上野から直江津まで乗りました。
@@太郎三毛猫 >>そして業務やプライベートでも電話をかけるのはナンセンスな時代へと変わってきました!「電話をかけるのがナンセンスな時代」の意味が分からないんですが。まさか重要な報告をLINEでするとかではないですよね。
@@fal-bj8im 何にでも噛み付くお前がナンセンス
@@fal-bj8im 時代と話を把握できてないお前がナンセンス誰もLINEの話しとらんやろw
懐かしい。効率化と高速輸送、LCCの台頭で効率の悪い旅情たっぷりのL特急、ブルートレインがなくなったのが寂しいですね。北の鉄道は郷愁感がより際立つ。
L特急は近距離で効率の良い列車に付いてましたが、長距離特急はどんどん減ってますよね
自分この世代ではないので一度も寝台特急に乗ったことはなく、寝台特急のすばらしさに気づいたときには残ってる寝台特急はサンライズのみになっていました。(10代なので物心ついた時にはほかの寝台特急はなくなっていましたが...)なのでこれは寝台特急ではないですが、新幹線でビュンと長距離!というのもいいですが、こういうのにも憧れます。
「白鳥」は、往復4回利用しました。1000キロ近く南北を昼間に一日で縦貫するだけに、新幹線はもちろん、寝台特急でも得られない魅力がありました。北国といえども雪は多様であると実感でき、また大館ー秋田、鶴岡ー新潟、新潟ー富山、金沢ー京都と入れ替わりで隣席に座る地元の人との交流は楽しかったです。また、日本の広さを実感できるとともに、天気に恵まれれば山河の美観を堪能できました。私の経験だと津軽の地吹雪、鼠ヶ関、秋田の駅弁、象潟、鳥海山、篠川流れ、新潟駅でのひと時、長岡からの深雪、親不知の荒波、ちらっと見えた立山、白山、北陸トンネル、琵琶湖、東寺、生駒山と淀川と、まったく退屈しませんでした。さながら絵巻でした。
12時間以上もグリーン車乗れるの贅沢。
でも、コンセント無し、そもそも、スマホ無し、スマホゲー無し、ゲームボーイも電池で精々2,3時間程度
素晴らしすぎる…旅情と浪漫が伝わってきます
なつかしや、当時子供の私が最初に乗ったのはこれより遡ること22年前のまだ青函連絡船に接続してた時分で、その頃は4時50分発でした。函館で知り合った東京の人と青森駅で手を振って別れ、その方は「はつかり」へ私は「白鳥」に乗り、同時刻に東京・大阪へ向けて発車。今の新幹線では味わえないドラマチックな感動を覚えたものです・・・
概要欄に書かれているように長距離列車の魅力は遠く離れた土地に想いを馳せられることなんだよなぁここから何時間もかかる駅、どんなところなんだろうと駅名から想像したりなんかしていつか大人になったらそんな方まで乗り通してみたいなと思ったものですが、気づけばそんな列車は無くなってるものなんですよね今後さらに縮小されていきそうな鉄道界、一番楽しめるのは「今」なんですよね
今世紀生まれの私ですが、青森〜大阪を走る特急が存在していた事に軽い衝撃を覚えました。乗ってみたかった...
ご視聴、コメントありがとうございます。☺️日本海縦貫列車、今も残して欲しかったなぁと思ってしまいます。乗り通した時は達成感ありました☺️
@@太郎三毛猫 ラストランが2001年3月2日でした。大阪発青森行き白鳥。
ラストランが2001年3月2日の大阪発青森行き白鳥でした。
トワイライトエクスプレスは寝台だけど特急だったなぁ...
@@SimonsJr 寝台の特急って普通では?
青森から大阪まで何度か乗りましたが懐かし過ぎて涙が出そうになりました
ご視聴、コメントありがとうございます。少しでも動画を通して雰囲気が伝われば嬉しいです!
約40年前、青森から敦賀迄乗車した事がある。奮発してグリーン車にしたが、食堂車に車内販売もあり、快適だったな。もうこんな在来特急は現れないでしょうね。
車内アナウンスの前のこのメロディ、ずっと聞きたくて探してました。昔、自分が幼い頃、国鉄時代の北海道の汽車の中で聞きました。本当に懐かしくて涙が出そうです😢アップして頂きありがとうございます。
放送開始から終わりまで約1分半…本当に長い放送ですね…昼行特急で日本海縦貫線を全線走破する列車がいたという事実に驚きを隠せません。越境乗務も併せて、とても貴重な映像ですね。
ご視聴、コメントありがとうございます。そうでしたね。民営化時は長距離列車は廃止にしない約束だったはずでしたが、やはり民間会社となり定期長距離列車はサンライズだけとなってしまいました。少しでも動画で当時の様子が伝われば嬉しく思います。
特急白鳥号、2000年夏に乗車したことがありました。兄が、新潟・越後長岡に住んでいたため、最後の急行列車となった「はまなす」函館から乗車し、青森で特急白鳥号に乗車しました。😮ただ、往路は弘前駅で1時間立往生となりました。奥羽本線で架線が垂れ下がり、1時間以上遅れてJR長岡駅に到着しました。長岡駅の改札口に手書きで「特急白鳥が奥羽本線の架線垂れ下がった影響で1時間以上遅れて運行しています」とありました。😢ただ、車窓で驚いたのは人口が函館市より少ない秋田市はJR秋田駅周辺のビルディングが多かったです。新潟では、スイッチバックで座席の方向転換もありました。😮
こういう面白い列車、JRの気まぐれで復活しないかなぁ…w
ご視聴、コメントありがとうございます。☺️常磐線直通特急の復活は嬉しかったですね(^.^)日本海縦貫特急は復活して欲しいなあ、できたら夜行で(^_^;)
第三セクターがらみで無理だなこの区間で言えば直江津からえちごトキめき鉄道、あいの風とやま鉄道、IRいしかわ鉄道とまたがるしで北陸新幹線が福井まで延伸したら更に1社加わるし夜行にしても保線作業や需要さらに24時間営業をやめようかという世論じゃ尚無理
@@jgmtakgjgm467554 そこら辺柔軟にやってくれりゃ良いんですけどね…線路は繋がってるのに…
@@shiyoyo2872 線路は繋がってるけどATSの関係があるから難しいんやろね
@@masayan3925 せっかくの鉄道の利点が失われる…
「つがる」「いなほ」「北越」「サンダーバード」をくっつければ「白鳥」になるのか。長いな。
ご視聴、コメントありがとうございます。☺️特急いなほも長距離ですよね☺️たしかに長い!
@@太郎三毛猫 現在は新潟~秋田/酒田間の運転となった特急「いなほ」がまだ青森までの便があった頃、私の高校の札幌までの修学旅行に行くのに、新潟~青森間「いなほ」、青森~札幌間を急行「はまなす」を利用しました。485系のシートで、新潟~青森間ですら苦行😫だったのに、大阪~青森間なんて想像を絶する世界です(笑)485系のシートから開放されて、「やっと足伸ばして寝られる🙌」と思った14系の開放寝台も決して快適とは言い難いシロモノでしたが・・・・・(>
北越も無くなっちゃいましたね(>_
@@monomono194 たんぼのいねさんそうですね。「北越」も無くなってしまいました。富山で「立山バック」を撮影をしたかったのですが、遂に叶いませんでした。
@布団のイデア なによりも新潟と富山を直通する特急がないのが1番不便です
今じゃ考えられない距離だよなぁ、、だけど思い返してみれば小中学生の頃までは多種多様な車両が走っていたのを通学で眺めていた家族の方針で長距離移動は殆ど新幹線だったので、ブルートレインもバイト代で北斗星往復分貯金したのに一人旅はダメと却下され乗ることが叶わず、ボンネット車両は急行能登に熊谷から上野の短い区間だけ何度も友達と乗ったけど、あの独特な雰囲気は今でも良い思い出になっている。社会人になった今好き放題好みの経路で旅行しているけど、この頃だったらもっと楽しかったろうなぁと思います。
新潟から先到着時刻省いてるけど、実際青森から需要があるの新潟くらいまでだったんだろうな… 青森対大阪の通し利用よりも途中の区間利用の方が主な国鉄の特急らしい列車がここまで残ったのはすげぇ
ご視聴、コメントありがとうございます。😃白鳥がなくなり新幹線も完全してしまい在来線特急は運行区間も縮小。寂しいですね。いつか、夜行列車が見直されて復活しないかなぁ
どうしても飛行機には乗りたくない&乗換えたくないという需要で1日に3名くらいは青森~大阪の通し乗車客がいたとのことです。
@@TwilightExp 自分が乗った時、隣に座ったお姉さんも飛行機が嫌いだそうで、秋田から京都まで乗られていました。😌懐かしい思い出です。あのお姉さん、今頃どうしているんだろうな。😌
道産子のお袋が帰省する時に勧めたけど、やはり普通の人にはめちゃくちゃキツかったらしく文句言われましたw
北海道から安く関西に行こうとするならこれ一択でした。何せ青函連絡船夜行便は寝台料金不要でしたから...
一度は乗ってみたかった…
ご視聴、コメントありがとうございます。また乗りたいです😖
大変貴重な映像でした❗この時代の列車たちに乗りたかった身としては感謝です❗
私が生まれて2ヶ月後の映像ですか…この頃の映像ってどんなものでも当時はどうだったんだろうって思っても中々観れるものじゃないので、あまり電車には詳しくないのですが貴重な映像だと思ってます!
小学生の時に乗ったなあ。懐かしいなあ。今は亡き親父にせがんでのせてもらったんだよなあ。UPしてくれてありがとう。
ご視聴、コメントありがとうございます。少しでも動画を通して当時の雰囲気が伝われば嬉しく思います。様々な旅の思い出…鉄道は単なる移動手段ではないということを改めて感じます。こちらこそ、ありがとうございます!
懐かしすぎて泣けてくる自分も札幌発の急行はまなすからの接続で青森から大阪まで乗り通したことがあります朝の岩木山が神々しかった初めて見た笹川流れに感動親不知で高速や一般国道との立体交差にワクワクしたラスト前の琵琶湖が美しかった長距離特急も寝台列車も無くなって、もうこんな旅できないんだなあ…(遠い目)
ご視聴、コメントありがとうございます。☺️そうですね!そういった白鳥からの車窓も撮影しとけば良かったなぁ😖急行はまなす、白鳥乗継の列車旅もしておきたかったなぁ。いつか寝台列車が見直される時代がこないかなぁ高級クルージング列車だけでなく移動手段としての長距離列車も走らせて欲しい(^.^)
かつては乗換なしに青森から大阪まで行けたんですが、今は日本海側はズラボロになってしまって・・不便になりました
国鉄風の車内放送のアップロードありがとうございます。オルゴールがとっても懐かしいです。「白鳥」は速い特急というイメージがありましたが、仁賀保や中条など意外に小さめの駅にも停まっていたのですね。
ご視聴、コメントありがとうございます。☺️停車駅も多くて急行に近い感じもありますね😃
JTB時刻表昭和57年7月号では通過。
@@psychedelicraspberry1457 「いなほ」が急行のような特急で「白鳥」が本当の特急、この地域だと新潟-新発田-村上-鶴岡-酒田-羽後本荘くらいにしか止まらないというイメージがあります。
@@owakurucci2988 JTB時刻表昭和57年7月号では、他はあつみ温泉のみ停車でした。
@@psychedelicraspberry1457 ウィキペディアによると、運行開始時は新潟には寄らず、新津の次は鶴岡まで止まらなかったそうです。その次は酒田、秋田…。まさに特急でしたね。
白鳥懐かしいですねラストの日に大阪から青森まで乗り通しましたよ
ご視聴、コメントありがとうございます。やはりラストは混んでいましたか??いい思い出になりますよね☺️
自分も大阪から青森まで乗りました。混んでた記憶があります。少なくても指定席は取れませんでした。
白鳥号、乗車一気通貫したかった、東京の知人が新潟でなく直江津から遠回りで乗車したのを思い出した。最も直江津の町をあるかなければ一気通貫したのだが青森到着は23時超えていた。まあ、ワイド周遊券という飛び道具がありましたから、他にも青函連絡船から乗り継ぎ、但し青森では初めてカプセルホテルで泊まった次の日は500前に出て奥羽本線回りで当時住んでいた東京へ戻った経験もある。今は関西在住だから北海道、東北、新潟以北はLCC で旅行が多い、東京ですら安いから激混みの新幹線は敬遠しLCC 使用が多い。時代は変わりましたね。 船、鉄道好きの旅人にはゴールデンルートだったですね。
鉄道唱歌!情緒有り過ぎです!!!学生時代に京都→青森間で利用させてもらっていた時代を思い出します。
白鳥が走ってた当時学生だったので存在を知る由もなく、大人になって少し歳の離れた夫と結婚してから知りました。夫は社会人で、日はそれぞれ違いますが大阪〜青森往復乗り通したそうです。わたしも鉄道好きなので、ちょっとうらやましかったです。
此のころ、札幌から急行はまなす、青森乗り換え大阪まで実家に帰るのに利用していました!とても懐かしいです!!急行はまなすも無くなり本当に寂しいです。。。
ご視聴、コメントありがとうございます。急行はまなすは思い出しかないです。701系を乗り継ぎ青森から急行はまなす。まるで天国に感じました。
私も1998年のGWに、下り白鳥をグリーン車で通し乗車しました。一般周遊券を利用した最初で最後の旅でした。新潟駅を過ぎると車内はガラガラでした。485系も見なくなりましたねぇ。🛤️
以前、仁賀保の駅前に住んでいました。白鳥号‥縁のない特急だと思っていましたが、停車していた時期もあったのですね。感無量です。
私も同じ年の12月30日ころに青森から大阪まで乗りました。昼間特急最長列車に乗りたくて。大阪着いたら達成感がありました^^;
ご視聴、コメントありがとうございます。☺️夜明けから夜更けまでひたすら流れる車窓を楽しむ。気がついたら雪国から京都、大阪のビル群を突き進む。ロマンですね☺️
24年前の8月に大阪から白鳥に乗って青森につき、その後すぐの夜行はまなすに乗って札幌に行ったことはいい思い出ですね~。今はそんなことできないですがw
青函連絡船があった頃は、「別格速達ダイヤ」の列車でしたよね。北陸では魚津、小松、鯖江、武生なんかは停車していなかった筈。富山から大阪方面に乗ると、床に新聞が敷かれてたり(靴を脱いで床に足をつけるとめ)、弁当の殻や缶が座席ポケットに入れられてたり、とにかく汚い電車でした。
ご視聴、コメントありがとうございます。なんだか分かります(^_^;)むかしは、車内ゴミだらけで空き缶が転がっていたりで。椅子の下、網棚もゴミ放置でしたね。彫ったような落書きもよく見かけました(^_^;)昭和時代の日本はこんなもんでしたね。それもなんだか懐かしい!
運転開始当初は新潟すら通らなかったですからね。能生運転停車の騒動はご愛敬。
鉄道唱歌チャイムの後のこの案内放送は堪らない!
まさに本当にそうですね。この音楽が流れて「汽車で旅をする」という気持ちになったもんでした。夜汽車なら特に。ごとごとと言う音と速すぎない車窓の景色が尚更そう言う気持ちにさせてくれました。新幹線もいいんですが少し飛行機に乗っているようなそっけなさを感じてしまいます。
大阪でも上野でも「青森」「札幌」って字幕を見るだけでアガりますね。
今でも特急はほとんど通過する近江今津に停まっていたところが不思議です。それなりに需要があったということですね。
ご視聴、コメントありがとうございます。☺️そうですね、たぶん☺️帰宅時間帯と重なっていたのかな??
鉄道唱歌で始まる車内放送はいいなぁ子供のころは東北特急で田舎に帰るときに何度も聞いたものです急行きたぐにに乗った時もとんでもない量の案内をしていて大変だなぁと思いつつ自分もいつもとは違う駅名にワクワクしましたね
ご視聴、コメントありがとうございます。急行きたぐには乗っておきたかったなぁ😖様々な急行が相次ぎ過ぎてついていけなかったなぁ。東北特急もかなり減ってしまい寂しいです
西村京太郎さんの小説、特記白鳥14時間を思い出しました。国鉄末期の白鳥は特急列車の中でも格が高く比較的大きい駅しか止まらず食堂車もありましたね。
昭和43年頃に青森から新潟まで父が乗務する82系の白鳥 2002Dに乗った事がありました。当時白鳥は青森駅を4時40分に上野行のはつかり1号2Mと同 時に発車して、駅構内をしばらく並走して古川跨線橋ではつかりは上野へ、白鳥は大坂と別れて
大阪まで12時間55分かぁ、終着まで半日乗り続けですね。デビュー当時は余り停まらなかったが、電化とか複線化でスピードアップしたから停車駅増えた。鉄道唱歌のチャイムと車掌さんの肉声車内放送が懐かしい。
あの時は鉄道全盛期でしたね、、休日の特急は常に満席、家族で熱海に旅行に行ったときに指定席券をとるのにとても苦労したのが懐かしいです😊
30年も前かな😅シンデレラエキスプレスの言葉が流行っていたころ青森から最終に乗って会いに行ってましたね〜😆これなんとなく聞いてました駅のホームで買ったそば食べながら!たまらなく懐かしいです
たった一度、1989年に直江津で見たことがありました。感動しましたね。。 一度だけですが遭遇できてよかったと今も思ってます。
あら懐かしや… 20数年前くらいに予約していた雷鳥に乗り遅れ自由席利用で大阪から金沢まで乗ったボンネットの車体超長距離昼行特急 孤高の「日本海クイーン」糸魚川・新潟の先は「どこや?」東北地名に旅情を感じましたその後八戸から函館まで名前を引き継いだ「スーパー白鳥」も懐かしや
ご視聴、コメントありがとうございます。😃スーパー白鳥もいましたね!少し忘れていました(^_^;)まだ青森駅に旅情がありましたね、当時は☺️
0:59みんな大好き鉄道唱歌♪
私は 妙高高原へ旅行時 大阪から直江津 往復しました。乗り心地もとっても良く 最高の旅の思い出になりました。
ご視聴、コメントありがとうございます。妙高は自然豊かで冬はスキーヤーでも賑わいますね!直通で行けますと本当に移動が楽ですよね☺️
近江今津駅にも停車してたんですね。
ご視聴、コメントありがとうございます。☺️そうですね!青森や秋田あたりでの利用者にしてみたら、聞き慣れない場所ですよね☺️それも長距離特急のロマン。
松任にも停車してたことにビックリ
@@両津勘吉-u2o さん並行して走る、「雷鳥」、「しらさぎ」の停車駅との兼ね合いもあるしね。
@@両津勘吉-u2o つかアカウント名の方がよっぽどビックリ
一応高島市(旧高島郡)の中心になる町(旧今津町)ってのもあるし、湖西線は大津通らないが、かといって堅田辺りに停める意味もなさそうだからじゃあ今津の次はもう京都でいいやみたいな感じかな。
大阪の高校時代、北海道への修学旅行に乗ったのが初めかな?以来、大学生の頃までよく北海道に行くのに乗りましたよ!長くても連絡船に接続してたし、楽しかったな!
ご視聴、コメントありがとうございます。☺️学校行事で鉄道、羨ましいです!いつの頃から飛行機に変わってしまったのか🤔急行はまなす時代は北海道よく行きました☺️本当はSLやキハ22、客車時代の北海道を見てみたかったなぁ
これは、白鳥の489系のラストランに迫った時期ですね。その後、新幹線が八戸開通して、スーパー白鳥は八戸から函館へと結ぶ特急に。
長い長い駅名の放送による約1,000kmを越える行程への旅情はもちろん、喫煙できる車両がまだあること、公衆電話付き車両があることなど、懐かしいです!
ご視聴、コメントありがとうございます。やはり在来線で1000kmと数値を見ると長距離を実感しますね。
この数年前に大阪から乗車したことがありますが、車内放送の出だしが「…特別急行列車、白鳥号、青森行でございます」だったのにシビレた思い出があります。
ご視聴、コメントありがとうございます。特別急行 青森ってのがまた良いですね☺️
@@太郎三毛猫 福井や富山、柏崎や長岡など新潟から先へは利用しなかったのが悔やまれます。90年代中頃まででしたら「臨時夜行急行あおもり」と言う貧乏人の味方に頼ってました。
どんどん世の中は便利になって、速い移動手段が出来てスマホを見れば全てが分かるし切符もいらないし、車内を見ればみんなスマホにワイヤレスイヤホン、今やどこも肉声放送も無くなって、車内販売も乗換案内や到着案内も駅のホームの売店や喫煙室もグリーン車も少なくなっていって、確かに全てが全て効率的なんだけど、移動しているのはいつまで経っても人間自身なんだから、自分の目や耳で生のモノを見聞きする事を捨ててしまって、旅情も失い日本語の言い回しも薄れていっている今の世情はとても悲しく感じます...
国鉄のにおいがするような特急いつか乗ってみたい。
車内放送で鉄道唱歌が流れるとうれしくなるんだよなぁ。実際に聞くことってほとんどなかったはずなのに。今ではすっかり列車に乗ることもなくなってしまいましたが
ご視聴、コメントありがとうございます。😃今は学生時代に巡った路線を20年ぶりに少しずつ乗ったりしています。車両は変わってしまっても駅がそのまま変わらない姿で健在だと嬉しいものです☺️
距離的に飛行機利用がメインなのにこれ走らせるjrすご
停車駅多いとかロングランよりも、喫煙車ありてのが隔世の感
ご視聴、コメントありがとうございます。20年、時代は変化しますね(^_^;)
最後の大阪行き白鳥に乗りました!
いろいろなコメントを拝見したら、この日本海縦断の白鳥に乗っておけば良かった気になりました。でも、高校の修学旅行で函館から京都まで日本海に乗車しました(札幌から函館まで北斗乗車)。そしてニュージーランドで2回、白鳥と同じくらいの長距離列車(客車列車)に乗車したことを思い出して、いい思い出が蘇りました。でも電車特急で長時間、挑戦したかった!
晩年は9両編成、うち3両は自由席だったのですね。昔はグリーン車2両、食堂車1両、普通車10両、全車指定席の13両編成。停車駅は京都以外1府県2駅だけ。このころの白鳥こそ真の特別急行列車でした。
修学旅行で乗車したことがあります。東能代から京都まで初日で移動だけの一日でした。いまでも良い経験だったと思います。車窓風景では琵琶湖が一番記憶に残っていますが乗り換え無しで京都まで行けたんだなぁと思うと感慨深いです。
御視聴、コメントありがとうございます。そうですね!白鳥から見る琵琶湖は記憶にあります。乗り換え無しはすごいですよね。
とっても懐かしい!新発田から京都まで乗った事が有ります。新潟で進行方向が逆転します。喫煙車は煙モクモクで厳しかったです。
札幌在住時代、急行はまなす、特急白鳥、急行だいせんを乗り継いで松江に行ったなあ、あの時私は若かった。
自分は逆で青森まで乗りました。大阪からではないですが、名古屋から富山までしらさぎで行き、富山から白鳥に乗り換えました。乗り換えの待ち時間に売店でますの寿司を買って乗り込みました。時間はかかりましたが結構楽しかったですね。
当時乗っている時はきっと憂鬱だったり、気怠かったり、ぼんやり車窓眺めて電柱や空や車内のエアコンや背もたれなどを見て、移動時間を空虚に過ごしてたはず。こうして見返すと全てが心の重要文化財
当時横浜に住んでいて、本州内は特急券を買えばほぼどのルートを通ってもいい北海道周遊券で北海道に行くことが多く、帰りは函館発の連絡船深夜便で青森に朝着いて、そのまま白鳥に乗って長岡経由で横浜に帰ってました。懐かしい、いい時代でした。
ご視聴、コメントありがとうございます。今も周遊券あればなぁ。もう少し日本人向けにも列車旅に適した切符を企画してほしいなぁ😖
こんばんは。私も2回ほど大阪ー青森間と青森ー大阪間で乗車したことがあります。この特急白鳥は485系の性能を生かした特急列車だったと思います。
早く行けるのもいいですが…こういうのんびり目的地まで行くのもいいんですよね。
念願が叶い1981年8月に乗車致しました(青森→大阪)白鳥号とても懐かしかった🚝ありございます😄
発車直後のコンプレッサーの音も、キレイに入っていますね。よくぞ21世紀まで、このような列車が残ってくれたものだと思います。新潟雷鳥の廃止に伴い、編成受持ちが上沼垂から向日町に変わった後ですね。おっしゃるように、発車直後のアナウンスで、見知らぬ遠い街の地名を聞くのが大好きでした。あさかぜの車内で聞く博多と、のぞみの車内で聞く博多は、全然違って聞こえました。😅貴重な動画、ありがとうございます!🙇
ご視聴、コメントありがとうございます。☺️今ですと長距離特急はサンライズ寝台列車くらいになってしまったので寂しいです。急行銀河も出張にも適していたと思うのですが、復活してほしいなぁ新幹線と在来線でも違うんですね!地域色なのかなぁ(^.^)
@@太郎三毛猫 様、返信ありがとうございます。在来線の長距離列車がどんどん無くなり、本当に寂しいです。😢しかしそんな中、常磐線全線開通に伴い、仙台ひたちが復活したことは、久々に嬉しいニュースでした。👀コロナが収まったら、是非乗りに行きたいです。💓
何時も懐かしい動画ありがとうございます。今考えれば長い車内放送ですね。鉄道唱歌がなって案内がありました。私が乗った時代は電話のない時代でした。車内販売初める時にも案内があり終了の時にもありました。白い制服が専務車掌さんでした。
ご視聴、コメントありがとうございます。当時と比べたら通信手段も移動手段も変わってしまいました。時代の流れを動画を通して少しでも伝わればなと思います。
亡き父が国鉄一筋でした。この動画みたら喜んだと思います。荷物運ぶ赤帽さんがいたり有名駅弁買うのにドアの前でドアが開くのを待っていたり。時間がかかっても情緒のある時代でした。
国鉄一筋、素晴らしいです。輸送と安全を守る 本当に大変な日々だったと想像します。駅で活躍していた赤帽を知る人もかなり少ないのではないでしょうか。平成も30年が過ぎたと思うと世代も変わりますよね。
何時も返信ありがとうございます。父は機関車の助手から始まり退職後は新幹線の車庫で働き国鉄一筋。当時は国鉄職員が優遇され無料パスなどと言う物をもっていました。北海道に旅行した時は北見で寮のような所に宿泊したのを覚えています。動画視聴させて頂き急に色んな事を思い出してしまいました。楽しみにしています。
いろんな事情の方がこの列車に乗車しているのだろうね。このアナウンス、何故かジーンときます❗😂善き時代だったと思います‼️ 5:18
確かに、青森から大阪までは昼の便だと時間が掛かる。夜行便だと一番早く到着するのが定番である。
白鳥より日本海とかの方が良かったでしょうね。首都圏在住なんで、日本海は乗りそびれてしまいましたね。白鳥通し乗車は列車毎に数名、いると車掌さんが検札時に話されていたのを覚えていますね。
@@tousekitetsu 大阪から青森まで通しで乗りました、新潟でやく半分なのにはびっくりしました、約13時間乗車で青函連絡船で北海道に♪はるばる来たぜ函館でした
懐かしいですね。25年近く前はまなすから大阪までG乗車。(8月最終週でこれだけの距離だとGでないと無理!)車販のおっちゃんが通る度コーヒーだ駅弁だと買ってたら、京都近辺の時、最後コーヒーおごってくれたのはいい思い出。(おっちゃんも大阪まで乗り通しで翌日白鳥勤務とのこと)
ご視聴、コメントありがとうございます。貴重な体験ですね☺️なかなかそんなに買ったことありませんが最後には何か通じ合ったのでしょうか。鉄道の旅は独特の良さがありましたね、職員とお客の距離感も近かったと思います(^.^)中には無愛想な職員もいましたが、だからと言って悪い気もしませんでした☺️はまなす、白鳥と乗り継げた時代があったんだよなぁ☺️
返信ありがとうございます。バブリーの残り香の時代だったかもしれませんが、一緒に行った人たちはみ~んな飛行機で帰る中私だけこれで帰りました。Gですから乗客、まして乗り通しの人間は少なかったので、当然シートと顔も覚えられますよね。自由席だと周りの目もあるのでなかなかこうはいかないかもしれませんが。富山あたりからおっちゃんが変わらないので聞いてみたら上のような行程でした。(仕事はどこでも大変です。)(同じく富山あたりで今もよく聞く「自由席混みあいまして~」を聞いたのと、大阪到着後、船と車で当時3時間以上かけて帰ることからGを選んで正解!でした)
懐かしい。高校の修学旅行で鷹ノ巣から大阪まで乗りました。今の特急にはない温かみがあってぐっと来ますね。今はもう走ってないんだと思うとさみしいです。ちなみに帰りは寝台特急日本海でした。
ご視聴、コメントありがとうございます。貴重な体験羨ましいです。寝台列車は数える程度しか経験がありません。長距離列車は良いですよね!
白鳥と言うと青函間よりもやっぱりこちらのイメージですね。昼行特急でほぼ半日がかりで走破するというのがなんともロマンがある列車でした。子供心に誰が乗るんだろうとは思っていましたが。
一度だけ、青森・秋田方面旅行の帰りに、青森→大阪に乗りました。(動画と同じ2000年の、8月でした。)鉄道唱歌と車内放送ありがとうございます。全区間をとおして乗る人は、どのくらいいたのでしょう? 長時間でしんどかったですが、鉄道旅行の良い思い出です。
ご視聴、コメントありがとうございます。当時の記憶では大阪では満席でした。大半は鉄道ファンに見えました。青森まで乗り通すのかなと思いましたが、大半は新潟で下車してしまいました。新潟から青森までは静かに特急の揺れや車窓を楽しみました。やはり全区間乗り通すのは少ないようです。
車掌さん大変だ!でもなんかワクワクする画像がいい味出してる
ご視聴、コメントありがとうございます。ワクワクする列車でしたね😃
オリックス・バファローズの中嶋聡監督が鷹巣出身で、特急白鳥乗って、阪急ブレーブスの本拠地へ行ったんですなぁ!
ご視聴、コメントありがとうございます。秋田からも直通だと思うと、やはり衝撃的ですね。阪急球団も懐かしい。
現在新函館北斗駅から鹿児島中央駅まで新幹線だけで行くよりも所要時間が長かったのですよね。
昔の特急列車はカード式公衆電話☎がありました。あとデッキの所に冷たい水が飲めるサーバがありました。JR特急489系電車。長い距離を走ってたのですね。放送オルゴールが懐かしいです。
新幹線は0系9号車に電話があり、交換手経由でしたね。車内に着信がある場合は車内放送で呼びだしでしたね。70年代です。
25年くらい前、最後の周遊券シーズンに大阪から青森まで指定席に乗ったが到着案内、新大阪と金沢を出てから新潟まで、新潟を出てから秋田まで、秋田を出てから青森までありました。青森到着の案内は秋田を出てはじめてありました。車内検札は柏崎を出てからです。グリーン車の車掌室にいた車掌はスポーツ新聞読んでましたね、今と違ってまだまだおおらかな時代でした。
ご視聴、コメントありがとうございます。今の時代ですと、すぐに悪い部分は会社や世間に知れ渡ってしまいます。これも時代の変化とも言えるかもしれません。今ではみどりの窓口も消える一方で、時代が変化するスピードが上がっているように思います。
もう日本にはこのような一日がかりの定期列車は存在しなくなってしまったが、海外ではまだまだたくさんある。言葉はわからないけど、海外で体験してみたい。
ご視聴、コメントありがとうございます。☺️海外は広いですもんね☺️寝台列車も健在だったり。海外も行ってみたいんだよなぁ
単純計算で、大阪から長崎や熊本へ行くのよりも長いのか・・・・・・すごい列車でしたね。弁当、毛布、小説漫画は持ち込みした方が良さそう。
もう40年も昔、小学生のころ、まだ青函トンネルがない時代、特急おおぞらが釧路から函館まで行っていた時代、午後0時に釧路を出、午前0時に函館について、連絡船に乗り、青森に午前4時過ぎについてから、午前5時半の白鳥に乗り、京都についたのは、午後5時でした。今思えば、もはや、旅ではなくて「冒険」レベルでした。懐かしいなあ。
ご視聴、コメントありがとうございます!壮大な冒険ですね!しかも、当時はスマホで時刻検索する時代でもなく。 当時の時刻表を見てみたくなります!
鉄道唱歌は今ではあまり聞けないので聞けて嬉しいと思いました!
御視聴、コメントありがとうございます!やはり最高だと思います。
一度乗って見たかったなあ。朝6時に出て大阪を夜7時・・・。出来ればお座敷車両を入れれば良かったのに。
大阪ー青森を乗り通したことは流石にありませんが、1998年に新潟から青森まで特急白鳥に乗りました。そして青森で急行はまなすに乗り換えてそのまま札幌まで行きました。北海道連絡の筋を体験して見たかったから飛行機でなく敢えて鉄道旅にしました。日本海の淋しげな夕暮れが印象的でした。短い札幌観光のあと札幌からはその日のうちに当時まだ急行の宗谷で稚内まで行きました。
ご視聴、コメントありがとうございます。鉄道で稚内まで行くというのが、また良いんですよね!急行も絶滅寸前でしたが、宗谷本線ではまだ現役でした。今思うと、良い時代でしたね。日本海の風景もイメージできます。飛行機には無い贅沢な過ごし方だと思います。大阪から寝泊まりしながらでも青森まで乗り継ぎの旅がしたくなりました(^.^)
京都から秋田まで、よく利用しました。大阪~青森間で最も駅間の長い京都~敦賀、そのおよそ半分が到着駅と車両案内、車内販売のアナウンスでした。それでも途中から先は省略してるんですよね。こんな楽しい列車、定時列車として復活してほしいものです。
2001年3月のダイヤ改正で特急「白鳥」は姿を消したのですが、その直前のJTB時刻表2月号の表紙は、雪を前面につけながら力走する「白鳥」の写真でした。当時、日本最長の昼行特急としていかに注目を集めていたかがわかります。
ご視聴、コメントありがとうございます。☺️知らなかったですが、素晴らしい表紙だったのだと想像できます!それだけ存在感があった特急でした😃
学生時代に大阪から青森そして札幌へと乗り継いで何回か利用したな。あの時間がもう味わえないのは寂しいかぎりです。もっとも体力もない歳だけどね。
ご視聴、コメントありがとうございます。今では飛行機チケットが安く買えるようになり札幌近郊など飛行場が近ければ日帰りも可能になりました。ゆっくりした旅が鉄道旅行の醍醐味ではありました。懐かしく思います
運行末期、新潟付近で上下列車を撮影しに行きました。懐かしいです。
ご視聴、コメントありがとうございます。私も新潟付近で撮影できたらなぁと今になって思います。
こんな長距離なのに車内販売も食堂車もないんだ・・・昔と違うのね。
定期運行の急行列車が激減してから、特急の停車駅が増えましたね。特に白鳥は停車駅が少なくて、例えば新潟・富山間では、柏崎・糸魚川は通過でした。気動車の頃は、上野発の白鳥と、青森発の白鳥が直江津で併結されて、大阪に向かっていました。ともにグリーン車(当時は一等車)と食堂車を連結していたので、直江津・大阪間は食堂車を2両も連結する、すごい列車だったのですよね。こういう贅沢な列車に、今乗ってみたいですね。
ご視聴、コメントありがとうございます。😃黄金期の特急白鳥を知ると興味深く乗ってみたいと思いますね!当時は沿線住民も喜んでいたんだろうなぁと想像してしまいます。食堂車もいいですね😃
大阪駅で、白鳥とまつかぜを撮影できたのが思い出です(^-^)。まつかぜは、気動車で大阪駅から米子を越えて博多まで行くとんでもない昼気動車特急でしたね!
この白鳥ももともとは気動車特急...
@@exp.m.k.2300 さんしかも、直江津で分割して長野経由で上野へ向かう編成も存在したそうな。
485系の3電源対応が活かされた列車。まあ末期の新潟の485系もいなほの後に北越になったりして、持てる性能を発揮してましたからねえ。
ご視聴、コメントありがとうございます。😃日本海側も在来線特急王国でしたね!485系シリーズ活躍していました(^.^)
6時11分に発車して18時35分に大阪着だったかな。長岡から金沢行く時に選んで乗ったけど、ちゃんと定刻通りにやってきた。
こんばんは。グレードアップのカヌ白鳥の時代に乗っておりましたので、懐かしいです。末期の国鉄色に戻ってからのものは機会がなく乗れませんでした。他のコメントの繰り返しですが、これに乗って、琵琶湖、阪急正雀工場、梅田の旧阪急デパートを眺めながら、唱歌のオルゴールを聞いて、大阪駅の3・4番乗り場に降り立ったときの充実感は大きかったです。
ご視聴、コメントありがとうございます。青森から大阪まで乗り通したことはありませんが、大阪まで乗って同じような経験をしてみたかったなぁと感じました😖白鳥も晩年の姿しか知らないので、全盛期の編成も見てみたかったなぁ
直江津で東日本から西日本の乗務員に引き継ぎになりました。
豪華特急ではなく乗りやすい特急が増えてほしい
それはただの急行では?
@@SK-jt5ye恐らく豪華特急というのは、四季島やカシオペア紀行・クルーズ、瑞風やななつ星のことを指しているのではないでしょうか?
@@SK-jt5ye まぁ、急行が出てほしいとも思う。 きたぐにとかはまなすとかも乗ったことない世代だし。
@@taniC.223 かなり昔の話ですが、特急ってそもそもL特急前はそういう豪華列車というイメージでしたよ
寧ろ今の特急は停車駅や運行範囲からも急行を名乗った方がいいレベル
車内販売もないし
@@SK-jt5ye九州なんか快速レベルだったりするし
これの何がすごいかって、古い国鉄車両でおそらく国鉄採用の乗務員によって運行される国鉄時代を象徴する超長距離列車が、LED電光掲示板や今と変わらないデザインの自販機があるホームを出て、携帯電話やマナーモードといったいまと変わらないワードが車内放送で聞こえてくる、この時代の変わり目のド真ん中感ですよ。
ご視聴、コメントありがとうございます。😃
そうですね!時代が大きく変わりました。携帯電話からスマホへ。そして業務やプライベートでも電話をかけるのはナンセンスな時代へと変わってきました!
ファミコンゲーム位の時代で育ったので今時のインターネットゲームはよく分からないです😖国鉄時代に採用された人達も時代の変化に大変だったと思います。
車内放送からも時代の変化が伝わってきますね☺️
昔 白鳥の青森大阪編成と、直江津で併合して、上野発大阪行きの編成が有って直江津で、二層建て編成の時に上野から直江津まで乗りました。
@@太郎三毛猫
>>そして業務やプライベートでも電話をかけるのはナンセンスな時代へと変わってきました!
「電話をかけるのがナンセンスな時代」の意味が分からないんですが。
まさか重要な報告をLINEでするとかではないですよね。
@@fal-bj8im 何にでも噛み付くお前がナンセンス
@@fal-bj8im 時代と話を把握できてないお前がナンセンス
誰もLINEの話しとらんやろw
懐かしい。効率化と高速輸送、LCCの台頭で効率の悪い旅情たっぷりのL特急、ブルートレインがなくなったのが寂しいですね。北の鉄道は郷愁感がより際立つ。
L特急は近距離で効率の良い列車に付いてましたが、長距離特急はどんどん減ってますよね
自分この世代ではないので一度も寝台特急に乗ったことはなく、寝台特急のすばらしさに気づいたときには残ってる寝台特急はサンライズのみになっていました。(10代なので物心ついた時にはほかの寝台特急はなくなっていましたが...)
なのでこれは寝台特急ではないですが、新幹線でビュンと長距離!というのもいいですが、こういうのにも憧れます。
「白鳥」は、往復4回利用しました。1000キロ近く南北を昼間に一日で縦貫するだけに、新幹線はもちろん、寝台特急でも得られない魅力がありました。北国といえども雪は多様であると実感でき、また大館ー秋田、鶴岡ー新潟、新潟ー富山、金沢ー京都と入れ替わりで隣席に座る地元の人との交流は楽しかったです。また、日本の広さを実感できるとともに、天気に恵まれれば山河の美観を堪能できました。私の経験だと津軽の地吹雪、鼠ヶ関、秋田の駅弁、象潟、鳥海山、篠川流れ、新潟駅でのひと時、長岡からの深雪、親不知の荒波、ちらっと見えた立山、白山、北陸トンネル、琵琶湖、東寺、生駒山と淀川と、まったく退屈しませんでした。さながら絵巻でした。
12時間以上もグリーン車乗れるの贅沢。
でも、コンセント無し、
そもそも、スマホ無し、スマホゲー無し、
ゲームボーイも電池で精々2,3時間程度
素晴らしすぎる…
旅情と浪漫が伝わってきます
なつかしや、当時子供の私が最初に乗ったのはこれより遡ること22年前のまだ青函連絡船に接続してた時分で、その頃は4時50分発でした。函館で知り合った東京の人と青森駅で手を振って別れ、その方は「はつかり」へ私は「白鳥」に乗り、同時刻に東京・大阪へ向けて発車。今の新幹線では味わえないドラマチックな感動を覚えたものです・・・
概要欄に書かれているように長距離列車の魅力は遠く離れた土地に想いを馳せられることなんだよなぁ
ここから何時間もかかる駅、どんなところなんだろうと駅名から想像したりなんかして
いつか大人になったらそんな方まで乗り通してみたいなと思ったものですが、気づけばそんな列車は無くなってるものなんですよね
今後さらに縮小されていきそうな鉄道界、一番楽しめるのは「今」なんですよね
今世紀生まれの私ですが、青森〜大阪を走る特急が存在していた事に軽い衝撃を覚えました。乗ってみたかった...
ご視聴、コメントありがとうございます。☺️
日本海縦貫列車、今も残して欲しかったなぁと思ってしまいます。
乗り通した時は達成感ありました☺️
@@太郎三毛猫 ラストランが2001年3月2日でした。大阪発青森行き白鳥。
ラストランが2001年3月2日の大阪発青森行き白鳥でした。
トワイライトエクスプレスは寝台だけど特急だったなぁ...
@@SimonsJr 寝台の特急って普通では?
青森から大阪まで何度か乗りましたが懐かし過ぎて涙が出そうになりました
ご視聴、コメントありがとうございます。少しでも動画を通して雰囲気が伝われば嬉しいです!
約40年前、青森から敦賀迄乗車した事がある。
奮発してグリーン車にしたが、
食堂車に車内販売もあり、
快適だったな。
もうこんな在来特急は現れないでしょうね。
車内アナウンスの前のこのメロディ、ずっと聞きたくて探してました。
昔、自分が幼い頃、国鉄時代の北海道の汽車の中で聞きました。
本当に懐かしくて涙が出そうです😢
アップして頂きありがとうございます。
放送開始から終わりまで約1分半…本当に長い放送ですね…
昼行特急で日本海縦貫線を全線走破する列車がいたという事実に驚きを隠せません。越境乗務も併せて、とても貴重な映像ですね。
ご視聴、コメントありがとうございます。
そうでしたね。民営化時は長距離列車は廃止にしない約束だったはずでしたが、やはり民間会社となり定期長距離列車はサンライズだけとなってしまいました。
少しでも動画で当時の様子が伝われば嬉しく思います。
特急白鳥号、2000年夏に乗車したことがありました。
兄が、新潟・越後長岡に住んでいたため、最後の急行列車となった「はまなす」函館から乗車し、青森で特急白鳥号に乗車しました。😮
ただ、往路は弘前駅で1時間立往生となりました。
奥羽本線で架線が垂れ下がり、1時間以上遅れてJR長岡駅に到着しました。
長岡駅の改札口に手書きで「特急白鳥が奥羽本線の架線垂れ下がった影響で1時間以上遅れて運行しています」とありました。😢
ただ、車窓で驚いたのは人口が函館市より少ない秋田市はJR秋田駅周辺のビルディングが多かったです。
新潟では、スイッチバックで座席の方向転換もありました。😮
こういう面白い列車、JRの気まぐれで復活しないかなぁ…w
ご視聴、コメントありがとうございます。☺️
常磐線直通特急の復活は嬉しかったですね(^.^)
日本海縦貫特急は復活して欲しいなあ、できたら夜行で(^_^;)
第三セクターがらみで無理だな
この区間で言えば直江津からえちごトキめき鉄道、あいの風とやま鉄道、IRいしかわ鉄道とまたがるし
で北陸新幹線が福井まで延伸したら更に1社加わるし
夜行にしても保線作業や需要さらに24時間営業をやめようかという世論じゃ尚無理
@@jgmtakgjgm467554 そこら辺柔軟にやってくれりゃ良いんですけどね…線路は繋がってるのに…
@@shiyoyo2872 線路は繋がってるけどATSの関係があるから難しいんやろね
@@masayan3925 せっかくの鉄道の利点が失われる…
「つがる」「いなほ」「北越」「サンダーバード」をくっつければ「白鳥」になるのか。長いな。
ご視聴、コメントありがとうございます。☺️
特急いなほも長距離ですよね☺️
たしかに長い!
@@太郎三毛猫
現在は新潟~秋田/酒田間の運転となった特急「いなほ」がまだ青森までの便があった頃、私の高校の札幌までの修学旅行に行くのに、新潟~青森間「いなほ」、青森~札幌間を急行「はまなす」を利用しました。
485系のシートで、新潟~青森間ですら苦行😫だったのに、大阪~青森間なんて想像を絶する世界です(笑)
485系のシートから開放されて、「やっと足伸ばして寝られる🙌」と思った14系の開放寝台も決して快適とは言い難いシロモノでしたが・・・・・(>
北越も無くなっちゃいましたね(>_
@@monomono194 たんぼのいねさん
そうですね。「北越」も無くなってしまいました。富山で「立山バック」を撮影をしたかったのですが、遂に叶いませんでした。
@布団のイデア なによりも新潟と富山を直通する特急がないのが1番不便です
今じゃ考えられない距離だよなぁ、、
だけど思い返してみれば小中学生の頃までは多種多様な車両が走っていたのを通学で眺めていた
家族の方針で長距離移動は殆ど新幹線だったので、ブルートレインもバイト代で北斗星往復分貯金したのに一人旅はダメと却下され乗ることが叶わず、
ボンネット車両は急行能登に熊谷から上野の短い区間だけ何度も友達と乗ったけど、
あの独特な雰囲気は今でも良い思い出になっている。
社会人になった今好き放題好みの経路で旅行しているけど、この頃だったらもっと楽しかったろうなぁと思います。
新潟から先到着時刻省いてるけど、実際青森から需要があるの新潟くらいまでだったんだろうな… 青森対大阪の通し利用よりも途中の区間利用の方が主な国鉄の特急らしい列車がここまで残ったのはすげぇ
ご視聴、コメントありがとうございます。😃
白鳥がなくなり新幹線も完全してしまい在来線特急は運行区間も縮小。寂しいですね。
いつか、夜行列車が見直されて復活しないかなぁ
どうしても飛行機には乗りたくない&乗換えたくないという需要で1日に3名くらいは青森~大阪の通し乗車客がいたとのことです。
@@TwilightExp
自分が乗った時、隣に座ったお姉さんも飛行機が嫌いだそうで、秋田から京都まで乗られていました。😌
懐かしい思い出です。
あのお姉さん、今頃どうしているんだろうな。😌
道産子のお袋が帰省する時に勧めたけど、やはり普通の人にはめちゃくちゃキツかったらしく文句言われましたw
北海道から安く関西に行こうとするならこれ一択でした。何せ青函連絡船夜行便は寝台料金不要でしたから...
一度は乗ってみたかった…
ご視聴、コメントありがとうございます。
また乗りたいです😖
大変貴重な映像でした❗
この時代の列車たちに乗りたかった身としては感謝です❗
ご視聴、コメントありがとうございます。
少しでも動画を通して雰囲気が伝われば嬉しいです!
私が生まれて2ヶ月後の映像ですか…この頃の映像ってどんなものでも当時はどうだったんだろうって思っても中々観れるものじゃないので、あまり電車には詳しくないのですが貴重な映像だと思ってます!
小学生の時に乗ったなあ。懐かしいなあ。
今は亡き親父にせがんでのせてもらったんだよなあ。UPしてくれてありがとう。
ご視聴、コメントありがとうございます。
少しでも動画を通して当時の雰囲気が伝われば嬉しく思います。
様々な旅の思い出…鉄道は単なる移動手段ではないということを改めて感じます。
こちらこそ、ありがとうございます!
懐かしすぎて泣けてくる
自分も札幌発の急行はまなすからの接続で青森から大阪まで乗り通したことがあります
朝の岩木山が神々しかった
初めて見た笹川流れに感動
親不知で高速や一般国道との立体交差にワクワクした
ラスト前の琵琶湖が美しかった
長距離特急も寝台列車も無くなって、もうこんな旅できないんだなあ…(遠い目)
ご視聴、コメントありがとうございます。☺️そうですね!そういった白鳥からの車窓も撮影しとけば良かったなぁ😖
急行はまなす、白鳥乗継の列車旅もしておきたかったなぁ。
いつか寝台列車が見直される時代がこないかなぁ
高級クルージング列車だけでなく移動手段としての長距離列車も走らせて欲しい(^.^)
かつては乗換なしに青森から大阪まで行けたんですが、今は日本海側はズラボロになってしまって・・不便になりました
国鉄風の車内放送のアップロードありがとうございます。オルゴールがとっても懐かしいです。
「白鳥」は速い特急というイメージがありましたが、仁賀保や中条など意外に小さめの駅にも停まっていたのですね。
ご視聴、コメントありがとうございます。☺️
停車駅も多くて急行に近い感じもありますね😃
JTB時刻表昭和57年7月号では通過。
@@psychedelicraspberry1457 「いなほ」が急行のような特急で「白鳥」が本当の特急、この地域だと新潟-新発田-村上-鶴岡-酒田-羽後本荘くらいにしか止まらないというイメージがあります。
@@owakurucci2988 JTB時刻表昭和57年7月号では、他はあつみ温泉のみ停車でした。
@@psychedelicraspberry1457 ウィキペディアによると、運行開始時は新潟には寄らず、新津の次は鶴岡まで止まらなかったそうです。その次は酒田、秋田…。まさに特急でしたね。
白鳥懐かしいですね
ラストの日に大阪から青森まで乗り通しましたよ
ご視聴、コメントありがとうございます。
やはりラストは混んでいましたか??
いい思い出になりますよね☺️
自分も大阪から青森まで乗りました。混んでた記憶があります。少なくても指定席は取れませんでした。
白鳥号、乗車一気通貫したかった、東京の知人が新潟でなく直江津から遠回りで乗車したのを思い出した。最も直江津の町をあるかなければ一気通貫したのだが青森到着は23時超えていた。まあ、ワイド周遊券という飛び道具がありましたから、他にも青函連絡船から乗り継ぎ、但し青森では初めてカプセルホテルで泊まった次の日は500前に出て奥羽本線回りで当時住んでいた東京へ戻った経験もある。今は関西在住だから北海道、東北、新潟以北はLCC で旅行が多い、東京ですら安いから激混みの新幹線は敬遠しLCC 使用が多い。時代は変わりましたね。 船、鉄道好きの旅人にはゴールデンルートだったですね。
鉄道唱歌!情緒有り過ぎです!!!学生時代に京都→青森間で利用させてもらっていた時代を思い出します。
白鳥が走ってた当時学生だったので存在を知る由もなく、大人になって少し歳の離れた夫と結婚してから知りました。
夫は社会人で、日はそれぞれ違いますが大阪〜青森往復乗り通したそうです。
わたしも鉄道好きなので、ちょっとうらやましかったです。
此のころ、札幌から急行はまなす、青森乗り換え大阪まで実家に帰るのに利用していました!
とても懐かしいです!!急行はまなすも無くなり本当に寂しいです。。。
ご視聴、コメントありがとうございます。
急行はまなすは思い出しかないです。
701系を乗り継ぎ青森から急行はまなす。まるで天国に感じました。
私も1998年のGWに、下り白鳥をグリーン車で通し乗車しました。一般周遊券を利用した最初で最後の旅でした。新潟駅を過ぎると車内はガラガラでした。485系も見なくなりましたねぇ。🛤️
以前、仁賀保の駅前に住んでいました。白鳥号‥縁のない特急だと思っていましたが、停車していた時期もあったのですね。感無量です。
私も同じ年の12月30日ころに青森から大阪まで乗りました。昼間特急最長列車に乗りたくて。大阪着いたら達成感がありました^^;
ご視聴、コメントありがとうございます。☺️
夜明けから夜更けまでひたすら流れる車窓を楽しむ。気がついたら雪国から京都、大阪のビル群を突き進む。ロマンですね☺️
24年前の8月に大阪から白鳥に乗って青森につき、その後すぐの夜行はまなすに乗って札幌に行ったことはいい思い出ですね~。
今はそんなことできないですがw
青函連絡船があった頃は、「別格速達ダイヤ」の列車でしたよね。
北陸では魚津、小松、鯖江、武生なんかは停車していなかった筈。富山から大阪方面に乗ると、床に新聞が敷かれてたり(靴を脱いで床に足をつけるとめ)、弁当の殻や缶が座席ポケットに入れられてたり、とにかく汚い電車でした。
ご視聴、コメントありがとうございます。
なんだか分かります(^_^;)むかしは、車内ゴミだらけで空き缶が転がっていたりで。椅子の下、網棚もゴミ放置でしたね。彫ったような落書きもよく見かけました(^_^;)
昭和時代の日本はこんなもんでしたね。
それもなんだか懐かしい!
運転開始当初は新潟すら通らなかったですからね。
能生運転停車の騒動はご愛敬。
鉄道唱歌チャイムの後のこの案内放送は堪らない!
まさに本当にそうですね。この音楽が流れて「汽車で旅をする」という気持ちになったもんでした。夜汽車なら特に。ごとごとと言う音と速すぎない車窓の景色が尚更そう言う気持ちにさせてくれました。
新幹線もいいんですが少し飛行機に乗っているようなそっけなさを感じてしまいます。
大阪でも上野でも「青森」「札幌」って字幕を見るだけでアガりますね。
今でも特急はほとんど通過する近江今津に停まっていたところが不思議です。
それなりに需要があったということですね。
ご視聴、コメントありがとうございます。☺️
そうですね、たぶん☺️帰宅時間帯と重なっていたのかな??
鉄道唱歌で始まる車内放送はいいなぁ
子供のころは東北特急で田舎に帰るときに何度も聞いたものです
急行きたぐにに乗った時もとんでもない量の案内をしていて大変だなぁと思いつつ
自分もいつもとは違う駅名にワクワクしましたね
ご視聴、コメントありがとうございます。
急行きたぐには乗っておきたかったなぁ😖様々な急行が相次ぎ過ぎてついていけなかったなぁ。
東北特急もかなり減ってしまい寂しいです
西村京太郎さんの小説、特記白鳥14時間を思い出しました。国鉄末期の白鳥は特急列車の中でも格が高く比較的大きい駅しか止まらず食堂車もありましたね。
昭和43年頃に青森から新潟まで父が乗務する82系の白鳥 2002Dに乗った事がありました。当時白鳥は青森駅を4時40分に上野行のはつかり1号2Mと同 時に発車して、駅構内をしばらく並走して古川跨線橋ではつかりは上野へ、白鳥は大坂と別れて
大阪まで12時間55分かぁ、終着まで半日乗り続けですね。デビュー当時は余り停まらなかったが、電化とか複線化でスピードアップしたから停車駅増えた。鉄道唱歌のチャイムと車掌さんの肉声車内放送が懐かしい。
あの時は鉄道全盛期でしたね、、
休日の特急は常に満席、家族で熱海に旅行に行ったときに指定席券をとるのにとても苦労したのが懐かしいです😊
30年も前かな😅
シンデレラエキスプレスの言葉が流行っていたころ
青森から最終に乗って
会いに行ってましたね〜😆
これなんとなく聞いてました
駅のホームで買ったそば食べながら!
たまらなく懐かしいです
たった一度、1989年に直江津で見たことがありました。感動しましたね。。 一度だけですが遭遇できてよかったと今も思ってます。
あら懐かしや… 20数年前くらいに予約していた雷鳥に乗り遅れ自由席利用で大阪から金沢まで乗ったボンネットの車体
超長距離昼行特急 孤高の「日本海クイーン」
糸魚川・新潟の先は「どこや?」東北地名に旅情を感じました
その後八戸から函館まで名前を引き継いだ「スーパー白鳥」も懐かしや
ご視聴、コメントありがとうございます。😃
スーパー白鳥もいましたね!少し忘れていました(^_^;)
まだ青森駅に旅情がありましたね、当時は☺️
0:59みんな大好き鉄道唱歌♪
私は 妙高高原へ旅行時 大阪から直江津 往復しました。乗り心地もとっても良く 最高の旅の思い出になりました。
ご視聴、コメントありがとうございます。妙高は自然豊かで冬はスキーヤーでも賑わいますね!直通で行けますと本当に移動が楽ですよね☺️
近江今津駅にも停車してたんですね。
ご視聴、コメントありがとうございます。☺️
そうですね!青森や秋田あたりでの利用者にしてみたら、聞き慣れない場所ですよね☺️それも長距離特急のロマン。
松任にも停車してたことにビックリ
@@両津勘吉-u2o さん
並行して走る、「雷鳥」、「しらさぎ」の停車駅との兼ね合いもあるしね。
@@両津勘吉-u2o つかアカウント名の方がよっぽどビックリ
一応高島市(旧高島郡)の中心になる町(旧今津町)ってのもあるし、湖西線は大津通らないが、かといって堅田辺りに停める意味もなさそうだからじゃあ今津の次はもう京都でいいやみたいな感じかな。
大阪の高校時代、北海道への修学旅行に乗ったのが初めかな?
以来、大学生の頃までよく北海道に行くのに
乗りましたよ!長くても連絡船に接続してたし、楽しかったな!
ご視聴、コメントありがとうございます。☺️
学校行事で鉄道、羨ましいです!いつの頃から飛行機に変わってしまったのか🤔
急行はまなす時代は北海道よく行きました☺️本当はSLやキハ22、客車時代の北海道を見てみたかったなぁ
これは、白鳥の489系のラストランに迫った時期ですね。その後、新幹線が八戸開通して、スーパー白鳥は八戸から函館へと結ぶ特急に。
長い長い駅名の放送による約1,000kmを越える行程への旅情はもちろん、喫煙できる車両がまだあること、公衆電話付き車両があることなど、懐かしいです!
ご視聴、コメントありがとうございます。やはり在来線で1000kmと数値を見ると長距離を実感しますね。
この数年前に大阪から乗車したことがありますが、車内放送の出だしが「…特別急行列車、白鳥号、青森行でございます」だったのにシビレた思い出があります。
ご視聴、コメントありがとうございます。
特別急行 青森ってのがまた良いですね☺️
@@太郎三毛猫 福井や富山、柏崎や長岡など新潟から先へは利用しなかったのが悔やまれます。90年代中頃まででしたら「臨時夜行急行あおもり」と言う貧乏人の味方に頼ってました。
どんどん世の中は便利になって、速い移動手段が出来てスマホを見れば全てが分かるし切符もいらないし、
車内を見ればみんなスマホにワイヤレスイヤホン、
今やどこも肉声放送も無くなって、車内販売も乗換案内や到着案内も駅のホームの売店や喫煙室もグリーン車も少なくなっていって、
確かに全てが全て効率的なんだけど、移動しているのはいつまで経っても人間自身なんだから、自分の目や耳で生のモノを見聞きする事を捨ててしまって、旅情も失い日本語の言い回しも薄れていっている今の世情はとても悲しく感じます...
国鉄のにおいがするような特急いつか乗ってみたい。
車内放送で鉄道唱歌が流れるとうれしくなるんだよなぁ。
実際に聞くことってほとんどなかったはずなのに。
今ではすっかり列車に乗ることもなくなってしまいましたが
ご視聴、コメントありがとうございます。😃
今は学生時代に巡った路線を20年ぶりに少しずつ乗ったりしています。車両は変わってしまっても駅がそのまま変わらない姿で健在だと嬉しいものです☺️
距離的に飛行機利用がメインなのにこれ走らせるjrすご
停車駅多いとかロングランよりも、喫煙車ありてのが隔世の感
ご視聴、コメントありがとうございます。
20年、時代は変化しますね(^_^;)
最後の大阪行き白鳥に乗りました!
いろいろなコメントを拝見したら、この日本海縦断の白鳥に乗っておけば良かった気になりました。でも、高校の修学旅行で函館から京都まで日本海に乗車しました(札幌から函館まで北斗乗車)。そしてニュージーランドで2回、白鳥と同じくらいの長距離列車(客車列車)に乗車したことを思い出して、いい思い出が蘇りました。でも電車特急で長時間、挑戦したかった!
晩年は9両編成、うち3両は自由席だったのですね。
昔はグリーン車2両、食堂車1両、普通車10両、全車指定席の13両編成。
停車駅は京都以外1府県2駅だけ。
このころの白鳥こそ真の特別急行列車でした。
修学旅行で乗車したことがあります。東能代から京都まで初日で移動だけの一日でした。
いまでも良い経験だったと思います。車窓風景では琵琶湖が一番記憶に残っていますが
乗り換え無しで京都まで行けたんだなぁと思うと感慨深いです。
御視聴、コメントありがとうございます。
そうですね!白鳥から見る琵琶湖は記憶にあります。
乗り換え無しはすごいですよね。
とっても懐かしい!
新発田から京都まで乗った事が有ります。
新潟で進行方向が逆転します。
喫煙車は煙モクモクで厳しかったです。
札幌在住時代、急行はまなす、特急白鳥、急行だいせんを乗り継いで松江に行ったなあ、あの時私は若かった。
自分は逆で青森まで乗りました。大阪からではないですが、名古屋から富山までしらさぎで行き、富山から白鳥に乗り換えました。乗り換えの待ち時間に売店でますの寿司を買って乗り込みました。時間はかかりましたが結構楽しかったですね。
当時乗っている時はきっと憂鬱だったり、気怠かったり、ぼんやり車窓眺めて電柱や空や車内のエアコンや背もたれなどを見て、移動時間を空虚に過ごしてたはず。こうして見返すと全てが心の重要文化財
当時横浜に住んでいて、本州内は特急券を買えばほぼどのルートを通ってもいい北海道周遊券で北海道に行くことが多く、帰りは函館発の連絡船深夜便で青森に朝着いて、そのまま白鳥に乗って長岡経由で横浜に帰ってました。懐かしい、いい時代でした。
ご視聴、コメントありがとうございます。今も周遊券あればなぁ。
もう少し日本人向けにも列車旅に適した切符を企画してほしいなぁ😖
こんばんは。私も2回ほど大阪ー青森間と青森ー大阪間で乗車したことがあります。この特急白鳥は485系の性能を生かした特急列車だったと思います。
早く行けるのもいいですが…こういうのんびり目的地まで行くのもいいんですよね。
念願が叶い1981年8月に乗車致しました(青森→大阪)白鳥号とても懐かしかった🚝ありございます😄
発車直後のコンプレッサーの音も、キレイに入っていますね。
よくぞ21世紀まで、このような列車が残ってくれたものだと思います。
新潟雷鳥の廃止に伴い、編成受持ちが上沼垂から向日町に変わった後ですね。
おっしゃるように、発車直後のアナウンスで、見知らぬ遠い街の地名を聞くのが大好きでした。
あさかぜの車内で聞く博多と、のぞみの車内で聞く博多は、全然違って聞こえました。😅
貴重な動画、ありがとうございます!🙇
ご視聴、コメントありがとうございます。☺️
今ですと長距離特急はサンライズ寝台列車くらいになってしまったので寂しいです。
急行銀河も出張にも適していたと思うのですが、復活してほしいなぁ
新幹線と在来線でも違うんですね!地域色なのかなぁ(^.^)
@@太郎三毛猫 様、
返信ありがとうございます。
在来線の長距離列車がどんどん無くなり、本当に寂しいです。😢
しかしそんな中、常磐線全線開通に伴い、仙台ひたちが復活したことは、久々に嬉しいニュースでした。👀
コロナが収まったら、是非乗りに行きたいです。💓
何時も懐かしい動画ありがとうございます。今考えれば長い車内放送ですね。
鉄道唱歌がなって案内がありました。私が乗った時代は電話のない時代でした。車内販売初める時にも案内があり終了の時にもありました。白い制服が専務車掌さんでした。
ご視聴、コメントありがとうございます。
当時と比べたら通信手段も移動手段も変わってしまいました。時代の流れを動画を通して少しでも伝わればなと思います。
亡き父が国鉄一筋でした。この動画みたら喜んだと思います。荷物運ぶ赤帽さんがいたり有名駅弁買うのにドアの前でドアが開くのを待っていたり。時間がかかっても情緒のある時代でした。
国鉄一筋、素晴らしいです。
輸送と安全を守る 本当に大変な日々だったと想像します。
駅で活躍していた赤帽を知る人もかなり少ないのではないでしょうか。平成も30年が過ぎたと思うと世代も変わりますよね。
何時も返信ありがとうございます。父は機関車の助手から始まり退職後は新幹線の車庫で働き国鉄一筋。当時は国鉄職員が優遇され無料パスなどと言う物をもっていました。北海道に旅行した時は北見で寮のような所に宿泊したのを覚えています。動画視聴させて頂き急に色んな事を思い出してしまいました。楽しみにしています。
いろんな事情の方がこの列車に乗車しているのだろうね。このアナウンス、何故かジーンときます❗😂善き時代だったと思います‼️ 5:18
確かに、青森から大阪までは昼の便だと時間が掛かる。夜行便だと一番早く到着するのが定番である。
白鳥より日本海とかの方が良かったでしょうね。首都圏在住なんで、日本海は乗りそびれてしまいましたね。白鳥通し乗車は列車毎に数名、いると車掌さんが検札時に話されていたのを覚えていますね。
@@tousekitetsu 大阪から青森まで通しで乗りました、新潟でやく半分なのにはびっくりしました、約13時間乗車で青函連絡船で北海道に♪はるばる来たぜ函館でした
懐かしいですね。
25年近く前はまなすから大阪までG乗車。
(8月最終週でこれだけの距離だとGでないと無理!)
車販のおっちゃんが通る度コーヒーだ駅弁だと買ってたら、
京都近辺の時、最後コーヒーおごってくれたのはいい思い出。
(おっちゃんも大阪まで乗り通しで翌日白鳥勤務とのこと)
ご視聴、コメントありがとうございます。貴重な体験ですね☺️なかなかそんなに買ったことありませんが最後には何か通じ合ったのでしょうか。鉄道の旅は独特の良さがありましたね、職員とお客の距離感も近かったと思います(^.^)
中には無愛想な職員もいましたが、だからと言って悪い気もしませんでした☺️
はまなす、白鳥と乗り継げた時代があったんだよなぁ☺️
返信ありがとうございます。
バブリーの残り香の時代だったかもしれませんが、一緒に行った人たちはみ~んな飛行機で帰る中私だけこれで帰りました。
Gですから乗客、まして乗り通しの人間は少なかったので、当然シートと顔も覚えられますよね。自由席だと周りの目もあるのでなかなかこうはいかないかもしれませんが。
富山あたりからおっちゃんが変わらないので聞いてみたら上のような行程でした。
(仕事はどこでも大変です。)
(同じく富山あたりで今もよく聞く「自由席混みあいまして~」を聞いたのと、大阪到着後、船と車で当時3時間以上かけて帰ることからGを選んで正解!でした)
懐かしい。
高校の修学旅行で鷹ノ巣から大阪まで乗りました。
今の特急にはない温かみがあってぐっと来ますね。
今はもう走ってないんだと思うとさみしいです。
ちなみに帰りは寝台特急日本海でした。
ご視聴、コメントありがとうございます。
貴重な体験羨ましいです。寝台列車は数える程度しか経験がありません。
長距離列車は良いですよね!
白鳥と言うと青函間よりもやっぱりこちらのイメージですね。昼行特急でほぼ半日がかりで走破するというのがなんともロマンがある列車でした。子供心に誰が乗るんだろうとは思っていましたが。
一度だけ、青森・秋田方面旅行の帰りに、青森→大阪に乗りました。(動画と同じ2000年の、8月でした。)鉄道唱歌と車内放送ありがとうございます。全区間をとおして乗る人は、どのくらいいたのでしょう? 長時間でしんどかったですが、鉄道旅行の良い思い出です。
ご視聴、コメントありがとうございます。
当時の記憶では大阪では満席でした。大半は鉄道ファンに見えました。青森まで乗り通すのかなと思いましたが、大半は新潟で下車してしまいました。
新潟から青森までは静かに特急の揺れや車窓を楽しみました。
やはり全区間乗り通すのは少ないようです。
車掌さん大変だ!
でもなんかワクワクする
画像がいい味出してる
ご視聴、コメントありがとうございます。
ワクワクする列車でしたね😃
オリックス・バファローズの中嶋聡監督が鷹巣出身で、特急白鳥乗って、阪急ブレーブスの本拠地へ行ったんですなぁ!
ご視聴、コメントありがとうございます。
秋田からも直通だと思うと、やはり衝撃的ですね。
阪急球団も懐かしい。
現在新函館北斗駅から鹿児島中央駅まで新幹線だけで行くよりも所要時間が長かったのですよね。
昔の特急列車はカード式公衆電話☎がありました。あとデッキの所に冷たい水が飲めるサーバがありました。JR特急489系電車。長い距離を走ってたのですね。放送オルゴールが懐かしいです。
新幹線は0系9号車に電話があり、交換手経由でしたね。車内に着信がある場合は車内放送で呼びだしでしたね。70年代です。
25年くらい前、最後の周遊券シーズンに大阪から青森まで指定席に乗ったが到着案内、新大阪と金沢を出てから新潟まで、新潟を出てから秋田まで、秋田を出てから青森までありました。青森到着の案内は秋田を出てはじめてありました。車内検札は柏崎を出てからです。グリーン車の車掌室にいた車掌はスポーツ新聞読んでましたね、今と違ってまだまだおおらかな時代でした。
ご視聴、コメントありがとうございます。
今の時代ですと、すぐに悪い部分は会社や世間に知れ渡ってしまいます。これも時代の変化とも言えるかもしれません。
今ではみどりの窓口も消える一方で、時代が変化するスピードが上がっているように思います。
もう日本にはこのような一日がかりの定期列車は存在しなくなってしまったが、海外ではまだまだたくさんある。言葉はわからないけど、海外で体験してみたい。
ご視聴、コメントありがとうございます。☺️
海外は広いですもんね☺️
寝台列車も健在だったり。海外も行ってみたいんだよなぁ
単純計算で、大阪から長崎や熊本へ行くのよりも長いのか・・・・・・すごい列車でしたね。弁当、毛布、小説漫画は持ち込みした方が良さそう。
もう40年も昔、小学生のころ、まだ青函トンネルがない時代、特急おおぞらが釧路から函館まで行っていた時代、午後0時に釧路を出、午前0時に函館について、連絡船に乗り、青森に午前4時過ぎについてから、午前5時半の白鳥に乗り、京都についたのは、午後5時でした。今思えば、もはや、旅ではなくて「冒険」レベルでした。懐かしいなあ。
ご視聴、コメントありがとうございます!
壮大な冒険ですね!しかも、当時はスマホで時刻検索する時代でもなく。 当時の時刻表を見てみたくなります!
鉄道唱歌は今ではあまり聞けないので聞けて嬉しいと思いました!
御視聴、コメントありがとうございます!
やはり最高だと思います。
一度乗って見たかったなあ。朝6時に出て大阪を夜7時・・・。出来ればお座敷車両を入れれば良かったのに。
大阪ー青森を乗り通したことは流石にありませんが、1998年に新潟から青森まで特急白鳥に乗りました。そして青森で急行はまなすに乗り換えてそのまま札幌まで行きました。北海道連絡の筋を体験して見たかったから飛行機でなく敢えて鉄道旅にしました。日本海の淋しげな夕暮れが印象的でした。短い札幌観光のあと札幌からはその日のうちに当時まだ急行の宗谷で稚内まで行きました。
ご視聴、コメントありがとうございます。
鉄道で稚内まで行くというのが、また良いんですよね!急行も絶滅寸前でしたが、宗谷本線ではまだ現役でした。今思うと、良い時代でしたね。
日本海の風景もイメージできます。飛行機には無い贅沢な過ごし方だと思います。
大阪から寝泊まりしながらでも青森まで乗り継ぎの旅がしたくなりました(^.^)
京都から秋田まで、よく利用しました。
大阪~青森間で最も駅間の長い京都~敦賀、
そのおよそ半分が到着駅と車両案内、車内販売のアナウンスでした。
それでも途中から先は省略してるんですよね。
こんな楽しい列車、定時列車として復活してほしいものです。
2001年3月のダイヤ改正で特急「白鳥」は姿を消したのですが、その直前のJTB時刻表2月号の表紙は、雪を前面につけながら力走する「白鳥」の写真でした。
当時、日本最長の昼行特急としていかに注目を集めていたかがわかります。
ご視聴、コメントありがとうございます。☺️
知らなかったですが、素晴らしい表紙だったのだと想像できます!
それだけ存在感があった特急でした😃
学生時代に大阪から青森そして札幌へと乗り継いで何回か利用したな。あの時間がもう味わえないのは寂しいかぎりです。もっとも体力もない歳だけどね。
ご視聴、コメントありがとうございます。
今では飛行機チケットが安く買えるようになり札幌近郊など飛行場が近ければ日帰りも可能になりました。
ゆっくりした旅が鉄道旅行の醍醐味ではありました。懐かしく思います
運行末期、新潟付近で上下列車を撮影しに行きました。懐かしいです。
ご視聴、コメントありがとうございます。
私も新潟付近で撮影できたらなぁと今になって思います。
こんな長距離なのに車内販売も食堂車もないんだ・・・昔と違うのね。
定期運行の急行列車が激減してから、特急の停車駅が増えましたね。
特に白鳥は停車駅が少なくて、例えば新潟・富山間では、柏崎・糸魚川は通過でした。
気動車の頃は、上野発の白鳥と、青森発の白鳥が直江津で併結されて、大阪に
向かっていました。ともにグリーン車(当時は一等車)と食堂車を連結していたので、
直江津・大阪間は食堂車を2両も連結する、すごい列車だったのですよね。
こういう贅沢な列車に、今乗ってみたいですね。
ご視聴、コメントありがとうございます。😃
黄金期の特急白鳥を知ると興味深く乗ってみたいと思いますね!当時は沿線住民も喜んでいたんだろうなぁと想像してしまいます。
食堂車もいいですね😃
大阪駅で、白鳥とまつかぜを撮影できたのが思い出です(^-^)。まつかぜは、気動車で大阪駅から米子を越えて博多まで行くとんでもない昼気動車特急でしたね!
この白鳥ももともとは気動車特急...
@@exp.m.k.2300 さん
しかも、直江津で分割して長野経由で上野へ向かう編成も存在したそうな。
485系の3電源対応が活かされた列車。
まあ末期の新潟の485系もいなほの後に北越になったりして、
持てる性能を発揮してましたからねえ。
ご視聴、コメントありがとうございます。😃
日本海側も在来線特急王国でしたね!485系シリーズ活躍していました(^.^)
6時11分に発車して18時35分に大阪着だったかな。長岡から金沢行く時に選んで乗ったけど、ちゃんと定刻通りにやってきた。
こんばんは。グレードアップのカヌ白鳥の時代に乗っておりましたので、懐かしいです。末期の国鉄色に戻ってからのものは機会がなく乗れませんでした。他のコメントの繰り返しですが、これに乗って、琵琶湖、阪急正雀工場、梅田の旧阪急デパートを眺めながら、唱歌のオルゴールを聞いて、大阪駅の3・4番乗り場に降り立ったときの充実感は大きかったです。
ご視聴、コメントありがとうございます。
青森から大阪まで乗り通したことはありませんが、大阪まで乗って同じような経験をしてみたかったなぁと感じました😖
白鳥も晩年の姿しか知らないので、全盛期の編成も見てみたかったなぁ
直江津で東日本から西日本の乗務員に引き継ぎになりました。