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私が小学生の時、授業でこの本が取り上げられて、皆が美しいとか感動したとか感想を述べ合っていたら、初老の女性教師が、「あなたたちは死んではいけないのです!」と言ったのがものすごく印象に残っている。今でもたまに思い出す。
儚い美しさよりも子どもが亡くなるストーリーのやりきれなさを感じておられたのでしょうか。良い先生ですね。
そういえば息子が3歳の時再放送アニメを見て完全に犬目線でした。パトラシェが教会直前で力尽きた後画面向かって泣きながら起きてと叫び、ネロの声を聞いて目覚めた時大号泣でした。最後のシーンでうっとりとしていましたね。
自然に犬目線で観られるなんて素晴らしいですね!
この回は一番の神回でした。「フランダースの犬」はパトラッシュの視点で見ればハッピーエンドというのは斬新な見方。
多くの人に愛されるアニメ作品の新たな見方が増えるというのは素晴らしいと思います!
放送当時、小学生だった自分はこの最終回で涙腺を堪え、見ていました。なるほど、解説の通りだなあと納得しました。良かったねと初めてネロに言ってあげたいです。放送から約50年長かったです。蛇足ですが皆がネロの元にあと1日早ければという歯がゆさは残ります。あぁ、思い出したらまた、泣ける。
悲しいすれ違いであと1歩及ばずという感じでしたよね。あの歯がゆさがあったからこそ、思い出の作品として語り継がれるのかもしれません。
どうしてもアニメの ♪パトラッシュと歩いたぁ~♪ の歌詞のイメージが強くて主人公がネロだと勘違いしてました。主人公はパトラッシュだったんですね❣️笑
動画を編集しながら、ずっとランランラン♪ランランラン♪と鼻歌を歌っておりましたw
宗教画の解説でそんな意味があるのかと思いつつ、自分の宗派の浄土真宗と余りの違いが面白かったです
浄土真宗と比較されるのは面白いですね。コメントありがとうございます。
元動画も見に行って来ました。とても良い動画でした。切り抜きしてくれて、ありがとうございます😊
コメントありがとうございます!そう言っていただけると大変励みになります。これからもよろしくお願いします。
「つ・ま・り・だ・よ 」のとこのスイッチング好こ。
私も大好きで、冒頭に持ってきてしまいました。
仏教では死は不幸としていますよね。キリスト教では死は不幸ではありません。なのでご愁傷様でしたとも言いません。神様の御許に行くことが出来るので不幸ではありません。死をどう捉えるかによって、最後のシーンは全く別の理解になると思います。悲劇ではないと思います。パトラッシュ目線の物語についての考察はさすが!ですね。私は世代では無いのですが、原作を読もうと思いました。それから、日本人は忠犬が好きですよね。ハチ公や南極物語のタロとシロや…日本人は主人に従順に使えることに喜びや充実感を感じるのだと思います。
コメントありがとうございます。忠犬好きの話は確かにそうですね!本国ではそう有名でない原作が日本でこんなにうけたのは忠犬ストーリーだったからなのかもしれません。
勉強になりました。アニメ版だと、老犬という前提のわりには、わりと元気に走り回ってるので、犬にとっては天寿が近づいているという雰囲気じゃなくなっちゃってますよね。
犬の演技力に問題がありましたねw
リアルにアニメを見ていました、なんでこんな辛い物語をテレビでやるんだ?と子供ながら感じつつも毎週見てましたそっかぁ確かにフランダースの「犬」ですもんね。笑アルプスの少女ハイジ・小公女セーラ・母を訪ねて三千里今の日本こそ必要なアニメじゃないのかな?とも思いました。
今の子どもたちの目にはどう映るのでしょうね。上質なアニメを通してあらゆる物語に触れられて、自分は恵まれた子ども時代だったのだなと感じました。
クリスマスの夜に起きた奇跡に一票 👏
教会の中はさぞ寒かっただろうにと思っていましたが、一筋の温かさを感じましたね。
私は初回放送をリアルタイムで見ていました。大人たちから意地悪をされ、最終回あまりの衝撃に泣きました。その後、「フランダースの犬」のアニメは見ないようにしていました。再放送されてるのが偶然流れると、チャンネルを変えたり消してました。お話の結末が判ってるため可哀そうで、見ると悲しくなってしまうからです。今回のお話を聞き、これからはあのアニメを安心して見れるようになりそうです。そうですよね!パトラッシュ目線からだと考えればハッピーエンドなんですね。
この動画をご覧になった皆様がパトラッシュ目線でフランダースの犬をご覧になっているかと思うと、なんだか楽しくなってしまいます!
以前この動画の本編と言いましょうか?で拝見した時は納得したんですが、今改めて観てみるとネロにとってはパトラッシュは死神みたいな感じですよね…パトラッシュの身体に守られてネロは奇跡の生還をして大画家になったんならスッキリハッピーエンドになると思うんですが…それじゃインパクト弱いのかな
スッキリハッピーエンドではなかったからこそ、いつまでも人の心に残る作品となったのではないかなという気もします。死神はちょっと怖いなあw
この作品、イエスの足に触れている女性が「マグダラのマリア」というのも興味深いです。イエスの足を涙で洗い髪でぬぐった「罪深い女」が「マグダラのマリア」と同一視されていた関係で(現在この説はあまり支持されていない)、マグダラのマリアとされる女性がイエスの足に触れている美術作品がわりとあるんですよね。10:58 テロップで『正しくは「使徒(福音書家)聖ヨハネ」でした』ありますが、五郎さんが語った通りであってますよ。聖母マリアが、祭司ザカリアの妻エリサベトを訪問したことは、ルカによる福音書1章39-40に書かれています。祭司ザカリアの子が洗礼者ヨハネであることは同3章2以下に書かれています。
修正コメントありがとうございます。元動画コメントからテロップを入れたものの、調べると洗礼者ヨハネと出てくるので首を傾げながら編集しておりました。
五郎さん、ありがとうございます(_"_) 私は、クリスチャンでも無いし、キリスト教神学にも疎い者ですが・・・ きっと、ネロとパトラッシュの物語は、愛犬家のクリスチャンには、救いとなるのではないでしょうか。 ネロとパトラッシュは、心を越えた結びつきが有る中で、ネロの救いの中にパトラッシュがいるコトがパトラッシュも救いに与る。
ネロの若すぎる死は悲しいですが、最期の時に愛犬がそばにいてくれるのは幸せとも思いますね。
アニメの記憶が強いのですが、最終回はなぜか悲壮感が感じられませんでした。清と斑…じゃなく、ネロとパトラッシュも悲しそうな顔をしていなかったし、むしろ幸福感に満たされたような顔をしていていたからです。亡くなる間際には天使が降りてきてネロとパトラッシュを迎えに来るその光景を、子供の頃なんとも言えない複雑な心境で見ていました。亡くなったおじいさんに会えるとネロは嬉しそうにしていた印象が残っていて、にこやかに微笑む天使と共にネロとパトラッシュが昇天していくシーンは死の瞬間だというのに悲壮感が感じられなかったんですよね。ハッピーエンドだと聞いて納得です。
おじいさんもパトラッシュもいなくなったらネロは一人ぼっちでしたからね。彼の才能がもっと早く認められてさえいればと思わずにはいられませんが、これも一つのハッピーエンドなんですね。
東京MXで、『フランダースの犬』の再放送中です。
ラストシーン以外はあまり覚えていないかもしれません。教えてくださってありがとうございます!
キリスト教において、わざわざ旧約聖書を残したところが、極めて重要ですね。だからこそ、新約聖書がより輝くコントラストとして際立つ。旧約の世界観は、絶対的な荒ぶる自然災害の様な神(父:主、天主、絶対性)との垂直的な縦の契約関係としての正統性(Legitimacy:伝統的慣習による正しさ)の世界観ですが、新約では心の内なる人格神を持つ人間同士の横の繋がりによる契約関係としての正当性(Authorty:合理的妥当性による正しさ)の世界観でしょうね。キリストが居た当時のユダヤ教の世界観では、神聖政治でした。よって、政治的権力(外面的な政治的規範)と宗教的権威(無意識による内面的な宗教的規範)に支配されており、当然、それらの中間(または境界線)に位置する法(律法)がトップダウンで規定されていた選民思想による集団救済の世界でした。しかし、イエス(子:唯一性)が、選民思想による集団救済から全人類に対象を変化させる事(一種の宗教改革:予定説による、より上位概念による一般化)で、個人救済に変革させた様です。即ち、内なる人格神から倫理規範・道徳規範を自ら規定し、既存の法(トップダウンの律法:欽定主義)をボトムアップの法として再定義し直し、法律(法規範:立憲主義)を確立した。この宗教的大改革によって、サドカイ派を刺激し、当時、ユダヤ人であったイエスは磔刑に処せられるという冤罪で死を全うする事で原罪を癒し、すべての人類に未来永劫の救済を約束した様です。これ以後、すべての人類の内なる心にある人格神(精霊:超越性)から湧き出る倫理規範・道徳規範の復活によって、法律を守るという正統性かつ正当性の契約社会を実現した。これにより、絶対的・超越的・唯一的(父と子と精霊)な正統性かつ正当性が救済の必要十分条件として確立したのが、キリスト教的世界観の様です。(※ギリシャ正教等の東ローマ帝国範囲でのアリウス派は、これとは少し違う世界観の正統性と正当性を帯びる様です。勿論、イスラム教は、三位一体を否定している為、キリスト教的世界観に合致しないが、必要条件を満たし十分条件を満たさないだけの様です。)■習慣と慣習の違い・習慣は、同世代間や個人の習った事柄が一貫して貫いている様。また、個別の合理的妥当性としての正当性が帯びる事。対して、・慣習は、同世代だけでなく時代を超越し、伝統的かつ個人の枠組みを超えた一貫性を習う事。また、正統性が帯びる事。■正統性(Legitimacy)vs 正当性(Authorty)↓正統性(Legitimacy)= 正当性(Authorty)■“Liberty”には、内的心理的な自由に対する“倫理的な最終的責任”が伴い、また、“Freedom”には、外的な行動において権利(Rights)に対する“法的な最終的責任や事前の義務”が例え伴わなかったとしても、“道義的な最終的責任や事前の義務”が伴う場合もある。■自由(Liberty_or_Freedom)や権利(Rights)には最終的責任が、権限(Commission)には事前に義務(Obligation)が伴う。■日本国憲法_第12・13条には、共に『自由』が掲げられています。第12条では“Freedom”、 第13条では“Liberty”について言及されています。同じ自由なのに、何故、英語版では別々に表現されるのだろうか???逆に、何故、日本語版では、敢えて『自由』としか表現しないのだろうか???
コメントありがとうございます。日本の宗教もアニミズム的原始宗教から神道、仏教あるいは儒教なども取り入れて多様に文化を形成していったので、LibertyともFreedomとも違う“自由”なのではないかと考えてみたりもします。
@@yamadagoroCH ご本人登場♬\(^_^)/♬日本人には、一見、キリスト教は身近にある様に思える節もありますが、もの凄く難しい宗教でしょうから、たぶん、理解できないし納得も行かないでしょうねぇ…。以下に私の参考文献をご紹介します。■参考書籍 →日本人のための憲法原論(一押しのオススメ本!!!)■参考書籍 →数学を使わない数学の講義■参考書籍 →経済学をめぐる巨匠たち■参考書籍 →日本人のための経済原論■参考書籍 →論理の方法―社会科学のためのモデル■参考書籍 →国民のための戦争と平和■参考書籍 →日本教の社会学■参考書籍 →日本人のための宗教原論■参考書籍 →危機の構造―日本社会崩壊のモデル■参考書籍 →ソビエト帝国の崩壊―瀕死のクマが世界であがく■参考書籍 →評伝 小室直樹(上):学問と酒と猫を愛した過激な天才■参考書籍 →評伝 小室直樹(下):現実はやがて私に追いつくであろう■参考書籍 →放浪の天才数学者エルデシュ
フランダースの『犬』がタイトルなのになぁと子供の頃から思っていました。
ルーベンスの絵を見ると凍死する!フランダースの犬のアニメを見た幼き日の私は、そう思っていました。そうか!あれは、パトラッシュ目線でみるといいんだ!なるほど!
マッチ売りの少女みたく、幸せなシを描きますねぇ。
天国行き確定なストーリーならキリスト教的にはある種のハッピーエンドを感じるのでしょうか?パトラッシュを看取って立派な画家になるネロも見たかったです。
奇跡の物語だったんですね。とても納得しました。そして、改めて涙しました。キリスト教徒は、神の存在を主に奇跡を通して確認します。クリスマスの夜に神様が、パトラッシュを教会に招き入れて、奇跡が起きたということに、とても納得します。この話は神聖な物語なんだと思いました。
悲劇という言葉では言い表せない、確かに神聖な物語ですね。
犬は教会に入れないのか、もっともな話だ、と思って以前の動画の知識を私の常識の引き出しにいれていましたが、最近、Norton Simon museum にあった中世の絵で、貴族が教会内で談笑している足元に、犬が戯れているものがありました。犬が教会に入れなくなったのは、比較的最近の話なのではないか、と思いました。いかがでしょう?意外と中世はルーズだったのかもと思った次第です。
時代によってルールが変わるのもよくあるので(たとえば礼拝で民衆が賛美歌を歌うのを禁止していた時代もある等)、犬禁止がいつからなのか、今もそうなのか、教義にもとづいての判断だとすれば盲導犬も禁止なのか等、興味深いです。
メディチ家のような大貴族の場合は個人礼拝堂を持っていたので、ペットの犬を連れてというケースなども考えられるかもしれません。
10:58エリザベトの子は、洗礼者ヨハネで合ってますよ。使徒ヨハネは12弟子の一人でゼベダイの子。どちらもイエス様の親戚✝️
ゼベダイの子らがイエス様の親戚というのは、聖書には書かれてなかったような。聖書以外の伝承として何か伝わってるかもしれませんが。
同名の人が複数出てくる聖書の話は難しいですね。詳しい方にコメントいただけるのは大変ありがたいです!
うーん、、たしかに、昔「名犬パトラッシュ」と言う絵本か子供向けの漫画を読んだことがある。あの作者はただ者では無かったと言うことか。
ディズニーは勝手にラストを変更して、犬の体温で少年は凍死を免れましたってなっていて、作品の精神をすっかり台無しにしてしまいました。
聖ヨハネを追加の解説で、洗礼者聖ヨハネでなく、使徒ヨハネとコメントしてありましたが、エリザベトから産まれたのは、洗礼者聖ヨハネで、五郎さんの言葉の方が正しいですよ。
フランダースの犬にしろ、赤毛のアンにしろ、家庭教師のトr・・・もといアルプスの少女ハイジにしろ、子供に受けたのは、世界名作劇場のスタッフが優秀だったに他ならないと思います。でないと、パトラッシュの犬種を原作通りにして、リメイクした作品が、ほとんどの人々の記憶にも残ってない理由が通らない。
実は高畑勲監督など豪華スタッフが関わった作品群ですね。家庭教師のトrには麦茶をこぼすところでしたw
そんな当たり前の事を今更述べるか?そんな事はみんな分かってるんだよ、分かってるからこそ悲劇なんだろうに
当たり前と思われるなんて凄いです。なぜあんな悲しい絵を見に行ったんだろう、もっと暖かそうな所に行けばいいのに、と当時は疑問だらけで視聴していました。大人になってからきちんと作品を読めば、もう少し分かったのかもしれませんね。
自分の感じたことがみんな当たり前と思っていれば誰もが他人との違いに気付かぬまま。例え今更でも指摘してくれたお陰で知ることができた人は幸せです。時代が違えば当時当たり前でわざわざ書かなくても誰もが理解できたことがわからない事なんていっぱいありますからね。この作者の背景を併せて知る事で物語の二面性をより良く捉えることができました。幼少時にリアルタイムで見てた自分にはトラウマレベルで再放送は決して見ませんでしたからね。50過ぎてやっと救われる思いが湧いてきました。
神目線で言えば、ハッピーエンド
知恵袋でもフランダースの犬はハッピーエンドと言われていたわ。恵まれない子供達は天国に行くと
モンゴルがバグダッド等イスラム世界の名だたる文教都市を焼き払いまくったけど十字軍がかっぱらってて文化財が今まで残ってるのと似た様な話ですね
戦火で失われる芸術もあれば、略奪によって後世に遺される芸術もある。歴史の奥深さを感じます。
@@yamadagoroCH 予定説!?
日本では美化したフランダースの犬しか知りませんからね。
この世でいいことは少ないかもしれないけど、ネロもイエス様によって贖われて、そして、パトラッシュは罪がもともと無いので、一緒に天国へ行けて、これが最高のハッピーエンドじゃ無いかなと思いました。これが私の初めて読んだ本というものでした。
ネロの描く絵はアニメ中でも大変上手かったので、子ども心に衝撃を受けました。天国で思う存分描けるといいなと思います。
パトラッシュ目線で読んだ事なかったから大嫌いでした😅地元が潤って良かったですけどね😅
今なら違った評価になるかもしれませんね。日本のアニメの影響で観光に行かれる人が増えるのは良いことだと思います。
そもそも教会へ入る前に低体温症で発狂してるシーンがあるので、実際はそこら辺でのたれ死んでいて、教会で見たルーベンスの絵画は死に間際の走馬灯のような実際には見てないイメージのようななにか思ってました。犬目線はちょっと考えなかったな、俺のプロフィール写真犬なのにw
プロフィール写真は飼い犬さんでしょうか?かわいい柴さんでうっとりします。
知りませんでした😵深い今一度読み直したいですがアニメの酷さがトラウマで読みなおす勇気ムリかもです😓
村岡花子さん訳の作品を是非ともお読みください!パトラッシュ一人称の場面があり、心をうたれます。パトラッシュがネロとおじいさんに巡り会うことでどれだけ幸せだったか。貧しさと絶望の中で神に召されたネロ。この世の地上には心の美しいネロの居場所はどこにもありません。絵の才能を持ちながら短命の彼の薄幸に涙しながらも、天国で母やおじいさんやパトラッシュと永遠の幸福に包まれることが想像されます。
そこはパトラッシュ目線でいきましょう
短命であっても天国での幸せを思わせる、アニメ版は日本の宗教観ならではの作品であったのかもしれませんね
何故キリスト教徒の飼い犬にネロなんてなずけた?さっぱり理解できんな。
キリスト教徒的には禁忌な名前なのでしょうか?ちなみに暴君と称されるローマ皇帝はNero、フランダースの犬の男の子(主人公と言いにくくなったw)はNelloが正しい綴りのようです。
@@yamadagoroCH 当たり前でしょ。ソイツの屑行動のせいで、どんだけたくさんのキリスト教信者が意味の無い理由で、宇宙一残忍な方法を使い、殺されたことか
何か返信を
返信くれええええ!
犬の名前はパトラッシュやでw
人間は何故簡単にウソ話(敢えて)を信じるのでしょう?
ウソ話の方が信じたくなるからでしょうか?
フランダースの犬の登場人物の意地悪な奴許せない👹あんな糞な大人ばかりで、ネロとパトラッシュは、死んでしまった、許せない!
私が小学生の時、授業でこの本が取り上げられて、皆が美しいとか感動したとか感想を述べ合っていたら、初老の女性教師が、「あなたたちは死んではいけないのです!」と言ったのがものすごく印象に残っている。今でもたまに思い出す。
儚い美しさよりも子どもが亡くなるストーリーのやりきれなさを感じておられたのでしょうか。良い先生ですね。
そういえば息子が3歳の時再放送アニメを見て完全に犬目線でした。
パトラシェが教会直前で力尽きた後画面向かって泣きながら起きてと叫び、ネロの声を聞いて目覚めた時大号泣でした。最後のシーンでうっとりとしていましたね。
自然に犬目線で観られるなんて素晴らしいですね!
この回は一番の神回でした。「フランダースの犬」はパトラッシュの視点で見ればハッピーエンドというのは斬新な見方。
多くの人に愛されるアニメ作品の新たな見方が増えるというのは素晴らしいと思います!
放送当時、小学生だった自分はこの最終回で涙腺を堪え、見ていました。なるほど、解説の通りだなあと納得しました。良かったねと初めてネロに言ってあげたいです。放送から約50年長かったです。蛇足ですが皆がネロの元にあと1日早ければという歯がゆさは残ります。あぁ、思い出したらまた、泣ける。
悲しいすれ違いであと1歩及ばずという感じでしたよね。あの歯がゆさがあったからこそ、思い出の作品として語り継がれるのかもしれません。
どうしてもアニメの ♪パトラッシュと歩いたぁ~♪ の歌詞のイメージが強くて主人公がネロだと勘違いしてました。
主人公はパトラッシュだったんですね❣️笑
動画を編集しながら、ずっとランランラン♪ランランラン♪と鼻歌を歌っておりましたw
宗教画の解説でそんな意味があるのかと思いつつ、自分の宗派の浄土真宗と余りの違いが面白かったです
浄土真宗と比較されるのは面白いですね。コメントありがとうございます。
元動画も見に行って来ました。とても良い動画でした。切り抜きしてくれて、ありがとうございます😊
コメントありがとうございます!そう言っていただけると大変励みになります。これからもよろしくお願いします。
「つ・ま・り・だ・よ 」のとこのスイッチング好こ。
私も大好きで、冒頭に持ってきてしまいました。
仏教では死は不幸としていますよね。キリスト教では死は不幸ではありません。なのでご愁傷様でしたとも言いません。神様の御許に行くことが出来るので不幸ではありません。
死をどう捉えるかによって、最後のシーンは全く別の理解になると思います。
悲劇ではないと思います。
パトラッシュ目線の物語についての考察はさすが!ですね。
私は世代では無いのですが、原作を読もうと思いました。
それから、日本人は忠犬が好きですよね。ハチ公や南極物語のタロとシロや…日本人は主人に従順に使えることに喜びや充実感を感じるのだと思います。
コメントありがとうございます。忠犬好きの話は確かにそうですね!本国ではそう有名でない原作が日本でこんなにうけたのは忠犬ストーリーだったからなのかもしれません。
勉強になりました。アニメ版だと、老犬という前提のわりには、わりと元気に走り回ってるので、犬にとっては天寿が近づいているという雰囲気じゃなくなっちゃってますよね。
犬の演技力に問題がありましたねw
リアルにアニメを見ていました、なんでこんな辛い物語をテレビでやるんだ?と子供ながら感じつつも毎週見てました
そっかぁ確かにフランダースの「犬」ですもんね。笑
アルプスの少女ハイジ・小公女セーラ・母を訪ねて三千里
今の日本こそ必要なアニメじゃないのかな?とも思いました。
今の子どもたちの目にはどう映るのでしょうね。上質なアニメを通してあらゆる物語に触れられて、自分は恵まれた子ども時代だったのだなと感じました。
クリスマスの夜に起きた奇跡に一票 👏
教会の中はさぞ寒かっただろうにと思っていましたが、一筋の温かさを感じましたね。
私は初回放送をリアルタイムで見ていました。大人たちから意地悪をされ、最終回あまりの衝撃に泣きました。その後、「フランダースの犬」のアニメは見ないようにしていました。再放送されてるのが偶然流れると、チャンネルを変えたり消してました。お話の結末が判ってるため可哀そうで、見ると悲しくなってしまうからです。今回のお話を聞き、これからはあのアニメを安心して見れるようになりそうです。そうですよね!パトラッシュ目線からだと考えればハッピーエンドなんですね。
この動画をご覧になった皆様がパトラッシュ目線でフランダースの犬をご覧になっているかと思うと、なんだか楽しくなってしまいます!
以前この動画の本編と言いましょうか?で拝見した時は納得したんですが、今改めて観てみるとネロにとってはパトラッシュは死神みたいな感じですよね…
パトラッシュの身体に守られてネロは奇跡の生還をして大画家になったんなら
スッキリハッピーエンドになると思うんですが…それじゃインパクト弱いのかな
スッキリハッピーエンドではなかったからこそ、いつまでも人の心に残る作品となったのではないかなという気もします。死神はちょっと怖いなあw
この作品、イエスの足に触れている女性が「マグダラのマリア」というのも興味深いです。イエスの足を涙で洗い髪でぬぐった「罪深い女」が「マグダラのマリア」と同一視されていた関係で(現在この説はあまり支持されていない)、マグダラのマリアとされる女性がイエスの足に触れている美術作品がわりとあるんですよね。
10:58 テロップで『正しくは「使徒(福音書家)聖ヨハネ」でした』ありますが、五郎さんが語った通りであってますよ。聖母マリアが、祭司ザカリアの妻エリサベトを訪問したことは、ルカによる福音書1章39-40に書かれています。祭司ザカリアの子が洗礼者ヨハネであることは同3章2以下に書かれています。
修正コメントありがとうございます。元動画コメントからテロップを入れたものの、調べると洗礼者ヨハネと出てくるので首を傾げながら編集しておりました。
五郎さん、ありがとうございます(_"_)
私は、クリスチャンでも無いし、キリスト教神学にも疎い者ですが・・・
きっと、ネロとパトラッシュの物語は、愛犬家のクリスチャンには、救いとなるのではないでしょうか。
ネロとパトラッシュは、心を越えた結びつきが有る中で、ネロの救いの中にパトラッシュがいるコトがパトラッシュも救いに与る。
ネロの若すぎる死は悲しいですが、最期の時に愛犬がそばにいてくれるのは幸せとも思いますね。
アニメの記憶が強いのですが、最終回はなぜか悲壮感が感じられませんでした。清と斑…じゃなく、ネロとパトラッシュも悲しそうな顔をしていなかったし、むしろ幸福感に満たされたような顔をしていていたからです。
亡くなる間際には天使が降りてきてネロとパトラッシュを迎えに来るその光景を、子供の頃なんとも言えない複雑な心境で見ていました。亡くなったおじいさんに会えるとネロは嬉しそうにしていた印象が残っていて、にこやかに微笑む天使と共にネロとパトラッシュが昇天していくシーンは死の瞬間だというのに悲壮感が感じられなかったんですよね。
ハッピーエンドだと聞いて納得です。
おじいさんもパトラッシュもいなくなったらネロは一人ぼっちでしたからね。彼の才能がもっと早く認められてさえいればと思わずにはいられませんが、これも一つのハッピーエンドなんですね。
東京MXで、『フランダースの犬』の再放送中です。
ラストシーン以外はあまり覚えていないかもしれません。教えてくださってありがとうございます!
キリスト教において、わざわざ旧約聖書を残したところが、極めて重要ですね。
だからこそ、新約聖書がより輝くコントラストとして際立つ。
旧約の世界観は、絶対的な荒ぶる自然災害の様な神(父:主、天主、絶対性)との垂直的な縦の契約関係としての正統性(Legitimacy:伝統的慣習による正しさ)の世界観ですが、新約では心の内なる人格神を持つ人間同士の横の繋がりによる契約関係としての正当性(Authorty:合理的妥当性による正しさ)の世界観でしょうね。
キリストが居た当時のユダヤ教の世界観では、神聖政治でした。
よって、政治的権力(外面的な政治的規範)と宗教的権威(無意識による内面的な宗教的規範)に支配されており、当然、それらの中間(または境界線)に位置する法(律法)がトップダウンで規定されていた選民思想による集団救済の世界でした。
しかし、イエス(子:唯一性)が、選民思想による集団救済から全人類に対象を変化させる事(一種の宗教改革:予定説による、より上位概念による一般化)で、個人救済に変革させた様です。
即ち、内なる人格神から倫理規範・道徳規範を自ら規定し、既存の法(トップダウンの律法:欽定主義)をボトムアップの法として再定義し直し、法律(法規範:立憲主義)を確立した。
この宗教的大改革によって、サドカイ派を刺激し、当時、ユダヤ人であったイエスは磔刑に処せられるという冤罪で死を全うする事で原罪を癒し、すべての人類に未来永劫の救済を約束した様です。
これ以後、すべての人類の内なる心にある人格神(精霊:超越性)から湧き出る倫理規範・道徳規範の復活によって、法律を守るという正統性かつ正当性の契約社会を実現した。
これにより、絶対的・超越的・唯一的(父と子と精霊)な正統性かつ正当性が救済の必要十分条件として確立したのが、キリスト教的世界観の様です。(※ギリシャ正教等の東ローマ帝国範囲でのアリウス派は、これとは少し違う世界観の正統性と正当性を帯びる様です。勿論、イスラム教は、三位一体を否定している為、キリスト教的世界観に合致しないが、必要条件を満たし十分条件を満たさないだけの様です。)
■習慣と慣習の違い
・習慣は、同世代間や個人の習った事柄が一貫して貫いている様。また、個別の合理的妥当性としての正当性が帯びる事。
対して、
・慣習は、同世代だけでなく時代を超越し、伝統的かつ個人の枠組みを超えた一貫性を習う事。また、正統性が帯びる事。
■
正統性(Legitimacy)vs 正当性(Authorty)
↓
正統性(Legitimacy)= 正当性(Authorty)
■
“Liberty”には、内的心理的な自由に対する“倫理的な最終的責任”が伴い、
また、“Freedom”には、外的な行動において権利(Rights)に対する“法的な最終的責任や事前の義務”が例え伴わなかったとしても、“道義的な最終的責任や事前の義務”が伴う場合もある。
■
自由(Liberty_or_Freedom)や権利(Rights)には最終的責任が、権限(Commission)には事前に義務(Obligation)が伴う。
■
日本国憲法_第12・13条には、共に『自由』が掲げられています。
第12条では“Freedom”、 第13条では“Liberty”について言及されています。
同じ自由なのに、何故、英語版では別々に表現されるのだろうか???
逆に、何故、日本語版では、敢えて『自由』としか表現しないのだろうか???
コメントありがとうございます。日本の宗教もアニミズム的原始宗教から神道、仏教あるいは儒教なども取り入れて多様に文化を形成していったので、LibertyともFreedomとも違う“自由”なのではないかと考えてみたりもします。
@@yamadagoroCH
ご本人登場♬\(^_^)/♬
日本人には、一見、キリスト教は身近にある様に思える節もありますが、もの凄く難しい宗教でしょうから、たぶん、理解できないし納得も行かないでしょうねぇ…。
以下に私の参考文献をご紹介します。
■参考書籍 →日本人のための憲法原論(一押しのオススメ本!!!)
■参考書籍 →数学を使わない数学の講義
■参考書籍 →経済学をめぐる巨匠たち
■参考書籍 →日本人のための経済原論
■参考書籍 →論理の方法―社会科学のためのモデル
■参考書籍 →国民のための戦争と平和
■参考書籍 →日本教の社会学
■参考書籍 →日本人のための宗教原論
■参考書籍 →危機の構造―日本社会崩壊のモデル
■参考書籍 →ソビエト帝国の崩壊―瀕死のクマが世界であがく
■参考書籍 →評伝 小室直樹(上):学問と酒と猫を愛した過激な天才
■参考書籍 →評伝 小室直樹(下):現実はやがて私に追いつくであろう
■参考書籍 →放浪の天才数学者エルデシュ
フランダースの『犬』がタイトルなのになぁと子供の頃から思っていました。
ルーベンスの絵を見ると凍死する!
フランダースの犬のアニメを見た幼き日の私は、そう思っていました。
そうか!あれは、パトラッシュ目線でみるといいんだ!なるほど!
マッチ売りの少女みたく、幸せなシを描きますねぇ。
天国行き確定なストーリーならキリスト教的にはある種のハッピーエンドを感じるのでしょうか?パトラッシュを看取って立派な画家になるネロも見たかったです。
奇跡の物語だったんですね。とても納得しました。そして、改めて涙しました。キリスト教徒は、神の存在を主に奇跡を通して確認します。クリスマスの夜に神様が、パトラッシュを教会に招き入れて、奇跡が起きたということに、とても納得します。この話は神聖な物語なんだと思いました。
悲劇という言葉では言い表せない、確かに神聖な物語ですね。
犬は教会に入れないのか、もっともな話だ、と思って以前の動画の知識を私の常識の引き出しにいれていましたが、最近、Norton Simon museum にあった中世の絵で、貴族が教会内で談笑している足元に、犬が戯れているものがありました。犬が教会に入れなくなったのは、比較的最近の話なのではないか、と思いました。いかがでしょう?意外と中世はルーズだったのかもと思った次第です。
時代によってルールが変わるのもよくあるので(たとえば礼拝で民衆が賛美歌を歌うのを禁止していた時代もある等)、犬禁止がいつからなのか、今もそうなのか、教義にもとづいての判断だとすれば盲導犬も禁止なのか等、興味深いです。
メディチ家のような大貴族の場合は個人礼拝堂を持っていたので、ペットの犬を連れてというケースなども考えられるかもしれません。
10:58
エリザベトの子は、
洗礼者ヨハネで合ってますよ。
使徒ヨハネは12弟子の一人で
ゼベダイの子。
どちらもイエス様の親戚✝️
ゼベダイの子らがイエス様の親戚というのは、聖書には書かれてなかったような。聖書以外の伝承として何か伝わってるかもしれませんが。
同名の人が複数出てくる聖書の話は難しいですね。詳しい方にコメントいただけるのは大変ありがたいです!
うーん、、たしかに、昔「名犬パトラッシュ」と言う絵本か子供向けの漫画を読んだことがある。あの作者はただ者では無かったと言うことか。
ディズニーは勝手にラストを変更して、犬の体温で少年は凍死を免れましたってなっていて、作品の精神をすっかり台無しにしてしまいました。
聖ヨハネを追加の解説で、洗礼者聖ヨハネでなく、使徒ヨハネとコメントしてありましたが、エリザベトから産まれたのは、洗礼者聖ヨハネで、五郎さんの言葉の方が正しいですよ。
フランダースの犬にしろ、赤毛のアンにしろ、家庭教師のトr・・・もといアルプスの少女ハイジにしろ、子供に受けたのは、世界名作劇場のスタッフが優秀だったに他ならないと思います。
でないと、パトラッシュの犬種を原作通りにして、リメイクした作品が、ほとんどの人々の記憶にも残ってない理由が通らない。
実は高畑勲監督など豪華スタッフが関わった作品群ですね。家庭教師のトrには麦茶をこぼすところでしたw
そんな当たり前の事を今更述べるか?
そんな事はみんな分かってるんだよ、分かってるからこそ悲劇なんだろうに
当たり前と思われるなんて凄いです。なぜあんな悲しい絵を見に行ったんだろう、もっと暖かそうな所に行けばいいのに、と当時は疑問だらけで視聴していました。大人になってからきちんと作品を読めば、もう少し分かったのかもしれませんね。
自分の感じたことがみんな当たり前と思っていれば誰もが他人との違いに気付かぬまま。例え今更でも指摘してくれたお陰で知ることができた人は幸せです。
時代が違えば当時当たり前でわざわざ書かなくても誰もが理解できたことがわからない事なんていっぱいありますからね。
この作者の背景を併せて知る事で物語の二面性をより良く捉えることができました。幼少時にリアルタイムで見てた自分にはトラウマレベルで再放送は決して見ませんでしたからね。50過ぎてやっと救われる思いが湧いてきました。
神目線で言えば、ハッピーエンド
知恵袋でもフランダースの犬はハッピーエンドと言われていたわ。恵まれない子供達は天国に行くと
モンゴルがバグダッド等イスラム世界の名だたる文教都市を焼き払いまくったけど
十字軍がかっぱらってて文化財が今まで残ってるのと
似た様な話ですね
戦火で失われる芸術もあれば、略奪によって後世に遺される芸術もある。歴史の奥深さを感じます。
@@yamadagoroCH
予定説!?
日本では美化したフランダースの犬しか知りませんからね。
この世でいいことは少ないかもしれないけど、ネロもイエス様によって贖われて、そして、パトラッシュは罪がもともと無いので、一緒に天国へ行けて、これが最高のハッピーエンドじゃ無いかなと思いました。これが私の初めて読んだ本というものでした。
ネロの描く絵はアニメ中でも大変上手かったので、子ども心に衝撃を受けました。天国で思う存分描けるといいなと思います。
パトラッシュ目線で読んだ事なかったから大嫌いでした😅
地元が潤って良かったですけどね😅
今なら違った評価になるかもしれませんね。日本のアニメの影響で観光に行かれる人が増えるのは良いことだと思います。
そもそも教会へ入る前に低体温症で発狂してるシーンがあるので、実際はそこら辺でのたれ死んでいて、教会で見たルーベンスの絵画は死に間際の走馬灯のような実際には見てないイメージのようななにか思ってました。
犬目線はちょっと考えなかったな、俺のプロフィール写真犬なのにw
プロフィール写真は飼い犬さんでしょうか?かわいい柴さんでうっとりします。
知りませんでした😵深い
今一度読み直したいですが
アニメの酷さがトラウマで
読みなおす勇気ムリかもです😓
村岡花子さん訳の作品を是非ともお読みください!
パトラッシュ一人称の場面があり、心をうたれます。
パトラッシュがネロとおじいさんに巡り会うことでどれだけ幸せだったか。
貧しさと絶望の中で神に召されたネロ。この世の地上には心の美しいネロの居場所はどこにもありません。
絵の才能を持ちながら短命の彼の薄幸に涙しながらも、天国で母やおじいさんやパトラッシュと永遠の幸福に包まれることが想像されます。
そこはパトラッシュ目線でいきましょう
短命であっても天国での幸せを思わせる、アニメ版は日本の宗教観ならではの作品であったのかもしれませんね
何故キリスト教徒の飼い犬にネロなんてなずけた?さっぱり理解できんな。
キリスト教徒的には禁忌な名前なのでしょうか?ちなみに暴君と称されるローマ皇帝はNero、フランダースの犬の男の子(主人公と言いにくくなったw)はNelloが正しい綴りのようです。
@@yamadagoroCH 当たり前でしょ。ソイツの屑行動のせいで、どんだけたくさんのキリスト教信者が意味の無い理由で、宇宙一残忍な方法を使い、殺されたことか
何か返信を
返信くれええええ!
犬の名前はパトラッシュやでw
人間は何故簡単にウソ話(敢えて)を信じるのでしょう?
ウソ話の方が信じたくなるからでしょうか?
フランダースの犬の登場人物の意地悪な奴許せない👹あんな糞な大人ばかりで、ネロとパトラッシュは、死んでしまった、許せない!