スネ受けからの突き方 拓心武術 (合宿講習において)

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  • เผยแพร่เมื่อ 1 ธ.ค. 2024
  • 少しキツくダメ出しをしすぎたと反省している。もう少し優しく教えてはいるが、体調不良の中、気力を振り絞っている関係上、殺気が出てしまっている。しかも、私(増田)の打ち方もダメだ。60点ぐらいか。反省している。心身がフラフラになっても崩れない技を体得できるよう、さらなる修行を行いたい。猛省。
    日本武道の原点に立ち戻る
    極真空手には、組手に必要な防御技、攻撃技が確立されておらず、その磨き上げがたりない。故に、私は組手稽古のための基本を拓心武術の基本組手技として確立するしかなかった。
     拓心武術(拓心武道)にはこの数十倍の型と理論がある。だが、まだ未完成である。さらに技を磨き上げ、高めて、体系化して残したい。それをみんなのために役立たせることが、私の人生の究極目標である。
     私は伝統を守りたい。同時に創造も必要だと考えている。私は、より良い創造の中には伝統が生きている。そして創造なき伝統に対しては、権威主義的で、権威を演出しようとするような(自分を偉そうに見せようとする)、衒気(げんき)が強く、みていられない。そんな邪気に満ちたものには興味がない。私にとって伝統と創造の関係性をイメージするなら、生命の原点が生かされ、その生命が自由に躍動し、かつ、その尊厳が守られている姿をイメージする。
     
     おそらく、武の現場には権威などは役に立たないだろう。権威が役に立つのは、大衆を扇動し騙すためのイメージ作り、すなわち、こけおどしのためだろう。また、権力など、権威の手先であるメディアが作り上げた虚像だと考えた方が良いだろう。
     断っておくが、私の創造には、伝統の深奥に存在する原点を探すという思考実験のような部分がある。それゆえ、私にとって、古を尋ねることは、新しきを得る機会であり、活力の源である。私は、古との邂逅により、機を捉え、活力をもって未来を見据える。そして、今を生きるのでらある。
     さらに述べれば、私は「原点に立ち戻る」という感覚を多くの人に伝えたい。そして、より良い人間に成ろうと志すなら、その歴史を考証し、原点を見据える必要があると思っている。
     ただし、私に残された時間は少ない。のんびりしたり、遊んだりしてはいられない。すでに、私の家族は諦めている(家内に感謝、すでに出家のような状態だ)。私は「感謝」の思いを中心に、自分の設定した目標を必ず達成したい。それが、お世話になった家族と友人、師の恩に報いることだと思っている。私は、もう、迷わない。もし理解されなければ、死後に評価を待つつもりだ。そして、私の心中は、武の先達と同行二人である。
    (デジタル空手武道通信 第69号 巻頭言より)

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