ショパンではなくて恐縮ですが平均律2巻18番のプレリュード6小節第2拍の低音EシャープがEナチュラルに変えられていて、それを" beautiful reading" と解説(自画自賛)しているのを見て唖然とした記憶があります。(the associated board of the royal schools of music) そこサビやろ! と叫びました・笑 音楽的に間違いとは言えないけど安定感が損なわれるというか……。 ついでながら春秋社の楽譜の注釈を見て私は完全にチェルニー不信に陥りました。小節数は勝手に増やすわ、二巻6番の一番かっこいい走句を単純な音型に置き換えるわ……グールドもチェルニー版という事ですがこの二箇所は追従してませんね。 逆に二巻12番のフーガにそこスラーで伸ばしたらおかしいだろ! という音があるのですがそこは誰も直してない……(いずれにせよ減衰するのですがバッハにしては珍しいです)。 その春秋社も一部で不評なのですか? 単純な私は異版の音が補填されてるので便利だと思いました。独学のため運指やフレージングは自分考えるので音符の正確な位置と見やすささえあれば文句はないです……。
👏👏素晴らしい動画👏👏
ありがとう!
そう言って貰えてとても嬉しいよー😭
楽しい動画に出会いました!!感謝
ありがとうございます!
そういえば、4番のバラードにも終盤の怒濤のパッセージで「ん?どっち?🤔(Fminor?それともE♭diminish?)」というのがあったような(今の演奏ではFminorで勝負ありという認識になっているようですが)
ショパンの楽譜は本当にそう言うことが多いですよね!
少し前に見た時にエチュードの10-8等も4/4拍子と習ったのですが、比べると楽譜によっては2/2だったりさらに自筆譜はメトロノームのテンポが違ったりスラーの開始位置が違ったり全ての楽譜が違ったので頭が痛くなりました。
その中から選択していかなくてはならないので楽譜の注釈部分がこれほど必要になる作曲家もいないでしょうね。
各版の比較、記譜の違いや音の違いを興味深く拝聴致しました。
小生、ピアノ演奏については全くのド素人ですが、ショパンについては昔ポロネーズやノクチュルヌなどを複数版蒐集しては弾き比べ・・・ではなくて見比べたものでした。
結果、素人故の悲しさで判ったことと言えばノクチュルヌについてはウィーン原典版とエキエル版にはO.P.9-2のヴァリアントが掲載されていて面白く、ポロネーズについてはパデレフスキ版(国内ライセンス版)よりエキエル版(輸入版)の方が弾きやすい運指だということでした。ただエキエル版はとにかく高い(30年あまり前にポロネーズ集を銀座ヤマハで購入したとき¥4.300+税でした)のと、装丁や紙質が悪くてボロボロになってしまうのが難点です。それでも今使っているのは変色して茶色くなって斑点が浮き、剥がれかかったところをテープで補修したエキエル版です(笑)
マイナーワークに関してはパデレフスキ版(輸入版)でのみ、或いはエキエル版でしか出ていないものもあったので、それぞれ購入しました。ただここでも問題があって、当時のエキエル版は解説がポーランド語でしか掲載されておらず全くお手上げだったことです。それでも当時はそれしか手に入らないので、弾いて楽しんだものでした(後に全音から関孝弘氏校訂のマイナーワーク集がでましたね)
全音と言えば昔からあるものは殆どがペータース版のライセンスでは?今の青い表紙になる前は明らかにペータースの表紙をまねたものでしたから、ペータース版が底本と言うことを暗示していたのではと思っております。ちなみにバッハのベーレンライター原典版と銘打ったものは本家を模して全体が青い表紙でしたね。こちらも本家輸入版に比べて全音のライセンス版の方が装丁と紙質が良いですね。
さて、動画を拝見・拝聴し昔を思い出して懐かしくなり、つまらないことを長々と欠かせて頂きました。駄文にお付き合い下さり、有り難う御座います。
昔のことなどで知らなかったこともあるのでコメント楽しく拝見させていただきました。
全音の底本がペータースなのは昔は表紙で暗示されていたのですね!
何故ペータースを選んでしまったんでしょうね。ペータースと言えばバッハもチェルニー編なのでかなり大きく改変されていますし。ベートーヴェンも一部音が違います。
まあチェルニーの校正はそれはそれで価値があるかも知れませんが、ソナチネアルバムなどの19世紀に勝手に改変された物が現代でも標準版として使われてる現状は意味がわからないですね。最近はより原典に近く校訂された物も出ていますが...。
エキエル版については翻訳された物がそれなりに安価に全音から出ているのでその現状は変わってきましたが、ただこれについてもエキエルのお弟子だった河合優子先生等は翻訳が正確でなく意味が正しく伝わらないとかなり強く非難されているので英語版等買った方が良いのかもしれないです。
いやはや、本当にショパンの楽譜は難しいですね。コメントありがとうございました。
@@Taka-Musics-Labo様
ご指摘有難う御座います。早速該当箇所を訂正致しました。見直すと箇所によって「版」になっていたり「判」になっていたりで、予測変換を確認せずにそのまま入力してしまったが故の誤記でした。
以後、投稿前によく確認するよう心掛けます。
@@さばた295
ありがとうございます。
「人間だから誰しも間違いはある」を口実に、
指摘に対して「揚げ足取り」だと逆ギレや逆恨みする人が大多数いる中、
寛容なお返事をありがとうございます。
私はコメントの投稿を確定する前に常に誤字や誤った表現を確認するように、
常に心掛けています。
投稿を確定した後に見つかった場合でも直ぐに修正します。
一方、多くの皆さんは、指摘されると揚げ足取りだと反論するくせに、
誤字を放置したままです。
揚げ足取りされるのが不快なら、何故あとで指摘されずに済むように、
はじめから自分の書いたコメントを見直しておかないのか、と不思議に思います。
本人に問い詰めたい
当時の人にとってはきっと当然のことというか、むしろ改変をしないで原典そのままであることは手抜きに見えたのかも知れませんね。
非常に興味深い内容ですので、拝見させて頂きました。
皆さんのコメント等も読ませて頂きました。
自分は専門家でないので、難しかったですが、色々知っておきたく思いました。
始めは曲が弾ければいいやと、安価な全音の物をまず買う事が多かったです。
弾いていて何か出て来れば、必要に応じ、他の出版社のを改めて買うなどしております。
指使いやフレージング等を見たい時のように…
自分は趣味程度ですので、弾いて楽しめれば良い訳ですが、大人になり、再開してから、こうしてわからないなりにも深く、知識として身に付け、勉強出来るのが、そんな時間が、とても楽しいです。
やはりエキエル版、値段も高いため、最初から購入する勇気の出ないのと、それ程、使い込むまでに、研究する余裕もない間は、間に合う物で済ませれば何でも良いかなとしております。
追求すればする程、なかなか終わりませんよね。
ピアノ、とても好きですが、学生の頃は他の勉強に追われ、ちゃんとしたピアノも家になかった事や、環境も整わなかった等で、あまり熱心でありませんでした。
でも今は、このように色々と学べるようになり、便利になりましたよね。
改め、多くの方が真剣に音楽をされているのだなと知り、自分もやろうと意欲が出て参りました。
始めて今日、拝見致しました。
興味深い内容で、ありがとうございました。
安価な全音のものであっても悪い楽譜ばかりではありませんし、何より楽譜がなんであれそうやって楽しく勉強出来ている時間と言うものが何よりも大事なものなので、今のように勉強して時に発表していらっしゃる活動を続けていただければと願っております。
楽譜なんて時に特別深く勉強したいと言う曲があればこだわればいいのですし、私としてもそう言う方の興味を引いて楽しみになるものを発信していければと思っております。
この度はコメントしていただきありがとうございます🙇
@@yoshikinishi1713 ありがとうございます。
おっしゃるとおりです。
18日、本番ですので、頑張ります。😛
@@yoshikinishi1713 ベートーヴェン、月光全楽章を弾く予定で、全音ピースとヘンレ版のも揃えました。
指使い、違いますね。
ヘンレ版は、あまりペダル記号も書いていないので、両方眺めて励んでおりました。
恥ずかしながら、昨日にも自分の動画も投稿致しました。
もし、ご視聴される事、あるようでしたら、私のコメント最初の文字で検索可能ですが、思い出しお伝えしたまでで、そこまでは、大変恐縮ですので、無理にはお恥ずかしい次第です。
ただ最近グランドピアノ入り、嬉しさでいっぱい、生まれて初めて家に置けて、残り多い訳でもない人生、楽しみたいと思っております。
またよろしくお願い致します。
色々勉強になりました。😉😃
エキエル版日本語版の翻訳問題も取り上げてほしいです。極めて重要な問題と思います。
河合優子先生がずっと抗議なさってますよね。
重大な問題だとは思いますが今回は翻訳の関係ない音の違いがテーマですので見送らせて頂きます。
私の個人的な立場としては可能であれば英語版を購入するべきとは思います。
権威ある出版社の楽譜の中から、使いやすい、書き込みやすいパデレフスキ版を選択して使ってます。
できることならエキエル版を使いたいですが、エキエル日本語版は翻訳が進んでいないので、統一癖のある人には使えません。また、英語版は演奏注釈が分離しているので、部屋が汚い人には向いてません。
全音はショパンに限らず他の作曲家の曲もめちゃくちゃなので使わない方がいいです。
エキエル版の日本語版については翻訳が進んでいないのとエキエルのお弟子さんの河合優子先生がずっと異議を唱えていたりと問題もあるようで、中々選択を迷ってしまいますね。
全音でも新しいライセンスを買ってる物や新訂版などとても楽譜は安くて丈夫で内容も素晴らしいと思うのですが酷いのもあるのでどうしても難しいですよね...。
すごいなあ、この人❕
コメントありがとうございます!
いまからおよそ30年前、初めて買ったショパンの楽譜は全音でした。
安かったんですよね。
当時の中学生の小遣いで買える楽譜は全音か春秋社くらいでした。
そういった経済的事情でショパンの楽譜を最初に揃えたのは春秋社でした。
ただ、ノクターン20番がきっかけで出版社によって違いが大きいことを知り、
各出版社の楽譜を比べてみたくなりました。
春秋社のノクターン全集は20番は掲載すらされていなかったのです。
当時一番好きだった録音を辿ってみたところ、ウィーン原典版を使っていることがわかり
それからはウィーン原典版で買い揃えました。
その後、パデレフスキー版がショパンのスタンダードだと知ることになるのですが、
現在はエキエル版が主流ですよね。
ひとつの楽譜を鵜呑みにせず、比較して、組み合わせて弾くこともあります。
私はアマチュアなので自分が好きなように組み合わせても、誰からも批判されることはありません。
なぜここまで出版社によって内容が異なるのかを知ることができてよかったです。
全音は安かったですよね。しかもそれなりにわかりやすくまとまった注釈もついてましたし...そう言う意味で裾野を広げた功績は大きいですよね。
ショパンのウィーン原典版は曲によって校訂者が違いますよね。
アマチュアなので様々好きなように組み合わせても批判されることはないとおっしゃいますが、実はプロもやってることは同じです。
近く動画にしますが、最近気づいたのですがある有名な曲で誰もオリジナルの指示を守ってないところがありました。
このようにむしろ自分の美学とそこをどのように折り合いをつけて魅力的な形にするかが演奏家の存在意義だと思います。
なのでどうかこれからも色々と見比べてご自分なりの形を追求して頂ければと思います。
コメントありがとうございました!
春秋社版は安川加寿子さんの校訂でしたっけ?
戦後の早い時期に、輸入版ではなく、手軽に買える値段で日本で出版されたことに意義がありました。
全音楽譜出版社はチェルニーがロマン的なフレージングを付与したバッハのインベンションとか、酷いものでしたが、あれも版権が安かったからペータース版から大量に版権を取得したのでは? とも。
ショパンの場合には特に難しいのですが、ドイツ系の作曲家については、戦後、ドイツの大作曲家校訂研究所連盟に属する各作曲家の研究所が出している批判校訂全集が一応は最も信頼できるとされていて、その版権を全音楽譜出版社や音楽之友社が日本限定で購入し販売している楽譜が、輸入版よりは安価でありながら信頼できるという意味でお勧めです。
学生時代、ピアノの先生に楽譜はヘンレ原典版を使って、と言われて、高価な輸入版を買うのに大変な思いをしたので。
ショパンの場合にも、エキエル版の版権と日本での印刷出版権を全音楽譜出版社か音楽之友社が取得して安価に売り出してくれれば、日本のピアノ学習者は助かるのにね。
@@erikasono565
全音が使用している(いた?)バッハのチェルニー校訂?と言って良いのかはわかりませんがペータースの物に関してはロマンティックな解釈もですが音が大きく違いすぎて大学で副科ピアノで指導しててもびっくりしてしまうこともあります。
チェルニーによる物なので歴史的な意義が大きい物なのはわかりますし参考として存続はして欲しいですが、大学のような場所でぱっと出てくる副科等の学生でのファーストチョイスで取られかねない立場として出すのは勘弁して欲しいですよね...。
色々とためになるコメントをありがとうございます。勉強になることも多くありとても助かりました!
@@yoshikinishi1713
私の子供の頃は、趣味でピアノを習う子供が使うのは、もっぱら全音楽譜出版社の安い楽譜でした。
私が幼少時にピアノを手ほどきして頂いたのは、たまたま近くに住んでおられた、後に牛田智大君や角野隼斗さんらを育てることになる先生がまだ開いたばかりのピアノ教室。
でも時代が時代ですし、先生もお若かったのと、今でもそうですが、ビアノを習う生徒たちにあまり経済的負担を掛けたくないと思われる方で、使っていた楽譜は全音楽譜出版社や音楽之友社の楽譜でした。
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ところが、小学生の間に転居してその先生の元を離れ、後に私が通うことになるアメリカ系ミッションスクールの中高の付設音大(当時は短大)の系列の音楽教室に通い出したら、事情が変わってきて。
この音楽教室、ピアノの指導そのものが前の先生より良かったとは必ずしも言えないと思うのですが、仮にも音大の系列だけあって、楽譜にやかましい。
確か当時、その音大の学長(大学には音楽学部以外もあるから学部長かな?)だった方の校訂とかで、カワイ楽譜からバッハのインベンションとシンフォニアの原典版なるものが刊行され、全音楽譜出版社のチェルニー版のようなロマン派的アーティキュレーションがついていないということでその楽譜を使うことに。
モーツァルトのソナタは、ウィーン原典版の楽譜の版権を、あれは音楽之友社でしたっけ、やはり日本国内限定で日本の出版社が獲得して出版しているものを使用。
ただこのウィーン原典版は、作曲家の最初のインスピレーションの発露とかで、自筆譜の初稿や初版を優先しているとかでまた問題になり……。
小学生の私は、細かい脚注の楽譜の異同を見てもよくわからず、分からないながら楽譜に興味を持ったきっかけでした。
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結局、日本で出版されている楽譜が優先して使われるのは安いから。
それならば、全音楽譜出版社や音楽之友社が、観賞用のポケットスコアなどにとどまらず、初心者が弾くための楽譜も、特に批判校訂全集が完結している新バッハ全集、新モーツァルト全集、ハイドン全集、それに刊行が進んでいる新シューベルト全集などに関しては、それらの版権を取得して日本国内限定で、日本人研究者の解説や序文を付して刊行してしまえばよいのですよね。
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ペータース版の楽譜の音が往々にして間違っているのは、バッハに限りません。
思うにペータース社は歴史が古く、近年買収されたことからも分かるように経済的な状況は決して思わしくなく、古い銅板の版下をそのまま使っていたりするからでしょう。
最新の研究成果を反映した批判校訂全集が校訂報告付きで出版されるのはいいことなのですが、それで以前の楽譜が売れなくなったら、その楽譜出版社はどうなるの? ということになりますからね。
これは、全音楽譜出版社や音楽之友社についても言えることですが。
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私が日本で学部に入った頃のこと。
ドイツ人講師のドイツ語会話クラスで知り合った声楽科の先輩が、「《冬の旅》の楽譜は結構間違っているんだよ。ペータース版だけじゃなくて、新シューベルト全集も間違っている。僕、自筆譜のファクシミリや校訂報告も全部調べたけれどよくわからない。ちょっと見てくれない?」と持ち掛けてきたのです。
で、二人で大学にあった《冬の旅》の自筆譜のファクシミリや新全集など色々調べたのですね。
結果、彼の言うペータース版の音の誤りは、さすがに新シューベルト全集では修正されている。
でも彼は、第二曲だったかな? 一か所だけピアノ伴奏の音型のアーティキュレーションが違うのは、シューベルトの生前に出版されたオリジナル版である初版の出版の際に出版社が見落としたのが、そのままその初版を底本とする新シューベルト全集にも踏襲されてしまったのだろう、というわけです。
私はドイツの大学でまさにこの《冬の旅》の校訂者である教授に師事していて、教授の楽譜校訂法入門ゼミにも、留学当初から参加していました。
それでゼミで教授にこの長年の疑問をぶつけてみたのです。
「この箇所だけアーティキュレーションを変えなければならない音楽的必然性はない。自筆譜の状態からも、それは明らかだ。確かに《冬の旅》の場合、自筆譜の推敲が煩雑で、版下にはそのまま使えないため、一部その推敲を写譜業者に清書させて底本を作成させた部分はある。その際、シューベルトが自筆譜に書き込んでいない推敲を口頭で指示したのではないかと思われる個所、つまり自筆譜には改訂の痕跡がないのに、初版ではかなり本質的な個所で変更がある場合もある。けれども、この箇所に関しては、出版社が単に一か所だけアーティキュレーションをつけ忘れたのではないか」と。
そうしたら教授が真っ赤になってしどろもどろになってしまって。遂に、「もうこれは過去の仕事で、出版されてしまったものだから。いつか修正版を出す機会があったら直しましょう」と。
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新シューベルト全集の場合、特にリートなど、シューベルトの生前に刊行されたオリジナル版と言われる出版譜が初版である場合は、基本、自筆譜よりその初版譜を優先して底本とします。
これはショパンなどにも共通する問題ですが、出版に際して作曲家がさらに手を加え、結果としてその時点で作曲家が考える最終稿は、自筆譜の形ではなく、出版譜の形で残っていることが多いため。
但し、その際に前述の《冬の旅》のように出版社による見落としによる誤植などがないとは限りません。
*****
この件について、興味深い事例があります。
シューベルトのフルートとピアノのための《「萎める花」の主題による変奏曲》、確か第二変奏曲だったと思うのですが、1小節抜け落ちているとバドゥーラ・スコーダが言い出して、シューベルト没後150年記念の1978年にオーストリア音楽学会機関紙に論文を投稿したのです。
ベートーヴェンが「なぜ、非常に美しい出版譜にこんなに間違いがあるのですか」と出版社に抗議したという話を持ち出し、見落としというものは常にある。当時はシューベルトは梅毒が悪化して体調が悪かったし、云々。
ただ自筆譜には特に改訂した痕跡はない。そのため新シューベルト全集でも、ヘンレ原典版でも、バドゥーラ・スコーダの指摘は無視され、その個所は1小節欠けた、つまり4小節単位のフレーズが1小節短縮された状態で出版されています。
それでバドゥーラ・スコーダは自身の仮説を校訂譜としてブライトコップフ社から出版。
この話は、私はウィーン資料研究期間中に、ウィーン音大教授でもあるウィーンフィルトップフルーティスト、ヴォルフガング・シュルツのもとに留学してきていたN響フルーティスト、フルート科の後輩から聞きました。
その後輩曰く、「バドゥーラ・スコーダがウィーン音大の同僚であるシュルツに自身の校訂譜を推薦したため、今では世界のフルーティストの約半数がバドゥーラ・スコーダの校訂によるブライトコップフ版を使って、自筆譜の状態に1小節付け加えられた状態で演奏している。でも、シューベルトという奴は、本当にそんなに馬鹿な奴だったのか。仮にもプロの作曲家でしょう? 1小節飛ばして書いてしまったなどということがありうるのか」と。
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(続く)
@yoshikinishi1713
(続き)
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そこで私は、ウィーン図書館音楽部門が所蔵するシューベルトの自筆譜を確認し、《美しき水車屋の娘》の歌詞とこのフルートとピアノのための変奏曲を検討し直し、この変奏曲の背後には、歌曲集全体の物語が隠されているという仮説を立てた上で、この第二変奏曲の背後に潜むリートのナンバー、その歌詞や物語の内容が変奏曲のどの箇所でどのように表現されているかを分析。
「この箇所は、小川に準えた自分の心に粉ひき職人が、親方のお嬢さんは自分を愛してくれているのか、それとも愛してくれていないのか自問自答し、はっきりと答えない小川、つまり自分の心に対して業を煮やして、小川の答えを待たずに畳みかけるように、『はっきりしてよ』と啖呵を切る箇所。だから、相手の答えを待ちきれない粉ひき職人の焦燥感を表現するために、故意にシューベルトは1小節飛ばした」と結論付けました。
このシューベルトの表現が面白くて、ピアノが「彼女は僕を愛してる?」と問いかけると、フルートが「そうかもしれないね。ピロピロピロ」と答える。ピアノが「彼女は僕を愛してくれていないかもしれないというの?」と問いかけると、フルートはやはり「そうかもしれないね。ピロピロピロ」と答えるのです。
本当に暖簾に腕押しで、腹が立つ。それでだんだんストレッタ的に職人、つまりピアノパートがせっついてきて、遂に小川ことフルートの答えを待たず、1小節飛ばして畳みかけるように「どっちなの、はっきりしてよ」みたいな形で締め括る。
これは完全な私の解釈で、自筆譜には推敲の後がないとしか資料研究的には言えません。
でもそのN響フルーティストの後輩は、「確かにこの箇所は、演奏しているとだんだんテンポを速めたくなる。僕は少なくとも今の説明でよくわかったから、バドゥーラ・スコーダの校訂したブライトコップフ版は採用しない。新シューベルト全集やヘンレ原典版のように、自筆譜通り、余計な1小節加えない形で演奏します」と言ってくれました。
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この後輩とその話をしたのが1996年。
翌1997年5月にウィーンで開催された国際シューベルトシンポジウムで私は、この曲を取り上げたフルーティストでもある北米の研究者にそのことを指摘したのです。
私は新シューベルト全集校訂主幹である教授の弟子、その北米の研究者は、国際シューベルトシンポジウム実行委員長でもあった、エーファ・バドゥーラ・スコーダ(つまりパウル・バドゥーラ・スコーダの奥さんである元ウィーン音大教授の音楽学者ですね)の友人で、エーファさんにこのことを言ったのですね。
そうしたらエーファさんが、そのあとの会合で、私に直接にではないのですが暗に「私はパウルの intim(心の囲炉裏端に座り込むような親密さ)な演奏を愛している。彼が亡くなったらこのブライトコップフ社の彼の校訂譜は隠してしまうから、彼を傷つけないように黙っておきましょう 」みたいなことを仰って。
私の中高生くらいの頃には、日本のFM放送で、バドゥーラ・スコーダの演奏するモーツァルトの清冽な調べがよく放送されていました。
私もそれに感銘を受けた一人。エーファさんにここまで言われたら、もうそれ以上は何も言えなくて。
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実は、そのN響フルーティストの後輩には、「日本フルート協会の機関誌にこのことを書いてくれ」と頼まれていて、当時の日本フルート協会会長の吉田雅夫氏じきじきに「期待している」と言われてしまって、私も書きだしたのです。
私が音楽学の勉強を始めた高校生の頃、受験勉強のために師事していた先生が、当時芸大の演奏芸術センターの助手で、特に当時芸大フルート科教授だった吉田雅夫氏のために楽譜上の質問に答えたり、ドイツ語の演奏法の原書を翻訳したり、という仕事をしていらした方で、吉田雅夫氏のことは話によく聞いていましたし。
ところが、書いているうちに、「これを書いてしまったら、バドゥーラ・スコーダの名誉はどうなる? 彼は論文で問題提起して答えがなかったから、校訂譜の形で世に問うたのだろうけれど、これだけ彼の校訂したブライトコップフ版が広まった後で、それが間違いだったとなったら、そもそも研究者ではない演奏家の立場で研究や楽譜校訂に従事してきた彼の立場がなくなるのではないだろうか」と考えたら、私の方が居た堪れなくなってそれ以上書けなくなってしまって。
結局、その以前から指導教授以外のドイツ人たちに散々苛め抜かれていたこともあり、遂に私の心身が耐え切れなくなり、命に係わる病気にかかって長期入院。
それが1997年、まさにシューベルト生誕200年記念年の1月で、記念年にいつまでも入院してはいられない、と医師の制止を振り切り、入院先のドイツの本拠地の大学病院からウィーンの資料研究に戻って出席したのが、5月の国際シューベルトシンポジウムでした。
そこでまたこの問題に遭遇して、エーファさんからそういう風に言われてしまったの。
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だから楽譜校訂というのは、「これが正しい」と思う解釈や仮説があっても、本場の欧州ですら、必ずしもそれを自由に口にできるわけではない。
皆それぞれ、社会的立場がありますからね。
私の指導教授は新シューベルト全集校訂主幹。バドゥーラ・スコーダ夫妻はウィーン音大元教授で、二人ともウィキペディアどころか、新グローブ音楽事典に名前が載るような、世界的に著名な、歴史に残る研究者及び演奏家です。
音楽出版社に至っては、せっかくお金をかけて出版した楽譜を批判されたら、その楽譜が売れなくなって、経営が傾きかねないではありませんか。
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新シューベルト全集校訂主幹である私の指導教授は、音楽学者仲間からも「あの人の言うことは信頼できる」と言われるくらい、ドイツの音楽学者の中でも、ずば抜けて誠実な方です。
でもその仕事も、何しろ毎年1巻の割合で、定年退職後も含めて、半世紀以上仕事をしていらっしゃいましたから、すべて細部に至るまで正しいというわけではありません。
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教授の大学での「楽譜校訂法入門」ゼミで、もう一つ逸話があります。
教授は、いつもご自分が校訂中の作品をゼミの実例としてその資料関係などを説明する。校訂主幹の仕事がご多忙ですから、これはまぁ、当然です。
それで教授が校訂中のあるリートを題材にして、フレージングのつけ方の話をしていた時のこと。
この曲は、自筆譜のみで伝承されているから、資料伝承研究上の疑義は少ない。問題は、自筆譜に書かれていることをどう校訂譜に反映するかという点だけ。
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この曲、セレナーデで、最初に前奏部で竪琴を大きくかき鳴らしてから、竪琴を伴奏にして歌い始める。
歌い始めてからは、1小節ごとに小さなスラーが掛けられているのですが、前奏部で竪琴を大きくかき鳴らす場面では、シューベルトは敢えてその前奏部全体の大きなフレーズに大きなスラーをかけているのです。
なぜだかわかりますよね?
歌い始める前には、竪琴をポロンポロンポロンとと大きくかき鳴らすわけで、たとえ音型が似ていても、それは歌い始めてからの歌の伴奏部とは表現として異なる。
だからシューベルトは明らかに意図的に、ここでフレージングを変えているわけ。
ところが教授は、この前奏部のスラーを、こともあろうに伴奏部同様、1小節ごとに区切ってしまったのです。理由は、angeglichen というのですが、似たような音型の場合には、自筆譜に書かれていなくても同じフレージングをつけてもよいという大原則が楽譜校訂にはあるから。
って、その大原則は、あくまでも特に音楽的な理由がなければ、の話でしょう?
この場合は違いますよね? シューベルト自身がせっかく意図的に別のフレージングで音楽的に表現すべきものを書き残したのに、それを変えてしまったら、音楽の姿が見えにくくなってしまう。
それでは楽譜校訂の意味がありません。校訂譜を見るより、自筆譜を見た方が音楽的解釈は正しく理解できることになってしまいます。
-
(さらに続く)
勉強になります。ありがとうございました。
こちらこそ、コメントありがとうございます!
あと1日早くこの動画に出会えていれば…
何があったんですか...😅
些末なことで恐縮ですが、楽語辞典(18:24)の誤植を発見(直前の楽譜の綴りが正しい)
誤:Tempo giust → 正:Tempo giusto
ご指摘ありがとうございます。
あるあるですよねこう言うこと。
これはただの誤植でしょうが、ベートーヴェンの本でも読んでたら同姓の女性と勘違いして別の人の名前で書かれてたことがあるので複数の資料の読み比べは大事ですね...。
私の場合とりあえず迷った時はヘンレにしてます。
安定感ありますよね!
出版社って大事なことがよくわかりました。全音は黄色帯のショパンピアノアルバム(年代不明)と、30年近く前に買った「バラードとアンプロンプチュ」を持ってますが、両方193小節目はDになってました。。でもなぜか私いつも弾くときE♭だったので、素人でも巨匠の名演を聞いていたら無意識のうちに正しい音にならえていたのかなと思います。
全音の古い楽譜はよくそう言うことが起きてますよね。耳の良い方は変だなと思うとそうやって変えられますけど、注釈もなくおかしな音を書かれるのは困ってしまいますよね...。
コメントありがとうございます。
家にあるショパンピアノアルバムを確認しました!
確かにご指摘の通りレの音になってます。
昔ほんとに頑張って練習した楽譜が使わない方がいい楽譜だなんて少しショックですが勉強になりました。
動画の中で言った通り私も過去に正確でない楽譜で弾いていたことがあって、でもその時間も含めて経験だったと思います。
自分なりに向き合って練習をした時間は絶対に無駄ではないので、今から別の楽譜を見てその違いを知る経験でまた成長出来ると思います。
コメントありがとうございました!
素晴らしい動画!!同感・共感するところ多々でした。
7小節のMi♭の音が、35小節におけるMi♭と合い通ずるものがあると思っていましたが、なるほど!!193小節のMi♭とも通じていたとは、おかげさまで気付けました。どれもショパンが大事にした[D46]の和音、そこに混ぜた不協和音…ですよね。
この曲ではショパンはこの響きを鍵にしてるように思えるんですよね。それを平凡なものに置き換えると言うのはどうなんでしょうかと思ってしまいます。
エキエル版では7小節目のドイツ初版の修正について、注釈の中でショパン自身による修正の可能性が書かれていますがその理由がかなり憶測を重ねた物で個人的には説得力がなく思えましました。
結局エキエルも最終的にEsの音を選択していますが、こう言うことも含め注釈を読んで選択をしていくと勉強は終わることがないですよね。
素敵なコメントありがとうございます!
素敵だ✨素敵すぎる
ステキ本当にステキだ❤
ありがとうございます😊
面白かった
ありがとうございます!
第三者の演奏を聴いて何版を使ってるか分かるんですか?リヒテルは?グールドは?
特徴的なものは分かりますね。
例えば評価の高いグールドのバッハですが楽譜がペータース(チェルニー版)なので度々おかしな音である場合があります。
とは言え彼らレベルになると彼らの音楽そのものに価値があるので楽譜が間違っていてもその演奏は素晴らしい価値を持ち続けてると思います。
@@yoshikinishi1713 たっぷり時間をかけて複数の楽譜を見比べるのも一興ですよね。音楽は実に色々な楽しみ方があるなあと改めて感じました
楽しく拝見しました!以前10年以上前くらいにブログでバラードの箇所を引き合いに出して「楽譜は版によって異なる典型例」として書いたことあります。また人に説明するときにこのバラードの箇所はとても分かりやすいのでいつも説明に使用しています。色んな演奏者の録音を聞いたりしていたのですが、かなり昔から不協和音での録音になっていたので最初に全音版(当時10代の私には一番安いんでつい(^^;))を買ってしまった時に修正注釈があって「なんだこれ?」と思った記憶があります。ピアノの先生は全音持っていくとそんなの買ったのかとリアクションされてましたwとにかく原点版に近いのを買えとしつこく言われていて、その意味を説明されてました。ただ、これは原点版ですら間違っているケースもあったり、一概に言えないのですよね。
これらをちゃんと比較したいのですが、・・昨今では楽譜屋さんっが減って悲しいですwその場で確認出来ないというのもあり、到底全部買うわけにいかないしw
コメントありがとうございます。
本当にその通りですね。並べてみないと中々どれが良いのかわからないですが楽譜屋さんも楽譜売り場も縮小の一方ですし、仕事なら大量に買うのも良いと思うのですが一般的にそんなこと出来るわけないですし…世の潮流とは言え悲しいですよね。
また原典版でもバッハ等はベーレンライターとヘンレでかなり違いますし、ベートーヴェンの原典版でもハンゼンとペライアの指遣いのもので好みがあるでしょうし楽譜選びは本当に難しいです。
全音のピアノアルバムでバラード1番をやりましたが、2箇所とも「レ」になってました…。初回のレッスンで2箇所とも「ミ」と書き直され、正しい不協和音で進めていけました(笑)
ついつい全音の楽譜を購入してしまいますが、今レッスンしているリスト(パガ大6番)も、誤植なのか間違った音がありました…。
全音の楽譜って安価で丈夫でバランスよくて使いやすくて、校訂され直したものや新しい物とかでライセンス買ってるものは本当に長所しかない素晴らしい楽譜もあると思うのですが。
しかし古くからピアノアルバム系のをそのまま出し続けてるのはなんなんでしょうねあれは...。
素晴らしい先生になおしてレッスンを受けられたようで何よりです。コメントありがとうございます。
動画でご指摘されているような初版譜や自筆譜に基づく異同は、巻末の校訂ノートで説明するのではなく、その楽譜自体の、たとえばページ下部に注釈として書き込んで欲しいものです。そうすれば、演奏者は容易に選択肢を検討することができます。そして、指使いは徹底的に付けて欲しい。演奏困難な箇所や異なる音楽的な効果が想定されるような箇所は、複数の指使いを提示するくらいの心意気で校訂して欲しいものです。学習者が一番頼りにするのは難所の指使いです。私が理想としたいのはそういう実用的な楽譜です。
以前、エキエル版の編集者の先生の講演を聴きました。エキエル版は別れの曲の中間部が全く異なることを紹介し、ヘンレ版を含むこれまでの楽譜を批判されておられました。それはそのとおりかもしれませんが、私などは、むしろ、今まで流布してきた楽譜、ならびにその楽譜による演奏の伝統というものが、どのような歴史的経緯で成り立ってきたのか、そちらに大きな興味があります。原典版が普及し、その譜面を絶対視するあまり、演奏の歴史の豊かさが軽視されるようだと、残念ですね。
@@R洞主人 そういうニーズに関しては、サラベール(コルトー版)がそれに近い仕様になっていますね。
大学生(not音大)の頃にコルトーの演奏にハマってCDだけでなくコルトー版の楽譜もいくつか使ってみました
コメントでもありますがコルトー版はそのように注釈がありますね。ヘンレ版なども英語ですが下に簡単な注釈がありますね。ただそうなると必然的にページ数が増えて譜めくりの回数が増えるので好みによるでしょうね。
おっしゃる通りで原典版で比べても音が違うので原典版至上主義も考えものですし、動画の中で言っている通り違った楽譜を使っていたとしても誠実に取り組まれたそれまで演奏が無価値になる訳ではないので、その伝統を認めつつ自分なりの正しさを追い求める必要がありますがそれはそれでまた勉強が必要になりますね...。
近年の大作曲家校訂研究所の批判校訂全集の場合、校訂者は基本、演奏家ではなく、歴史的音楽文献学者です。
ですので資料研究の正確さを第一に追求するため、校訂譜本体と同じかそれ以上に分厚い校訂報告書が付随します。
新バッハ全集などは、全巻予約注文するとこの校訂報告も配本されるので、音大の図書館や民間でも音楽図書館などに行けば見ることができるはずです。
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こうした校訂報告に記載されているすべての異同を脚注として記載するのは不可能です。
そのため、新シューベルト全集のように、最終稿をa、異種稿はbとして巻を分けて編纂した上で、別に発刊される校訂報告は全巻予約注文の場合にも希望者のみの配本(図書館等には基本、配本される)とし、巻末に重要な推敲跡や移動箇所のみ Quellen und Lesarten として列記し、更に安価な実用版の場合にはこれも省略している場合もあります。
この場合、脚注に異同をリストアップしてほしいという要望とは真逆の結果になります。
しかしながら、シューベルトならまだいい方で、ショパンやシューマンのように、出版の度に推敲が繰り返され、出版譜も多く異同も複雑多岐にわたると、それらすべてを脚注に収めることはまず不可能なのです。
場合によっては、ページの半分近くが異同を記した脚注になってしまいかねません。こうなると、実用楽譜の用には堪えないわけでしょう?
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歴史的音楽文献学者によるこうした批判校訂全集とは基本的に異なる編集方針を取っているのが、ヘンレ原典版です。
ヘンレ原典版の場合、校訂者に演奏家を起用している場合もありますが、歴史的音楽文献学者が校訂する場合にも、指使いだけは演奏家による指使いを書き加えています。
この点、基本的に指使いを書き込まない研究用の批判校訂全集とは、ターゲットと用途が異なるといえます。
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歴史的音楽文献学者の立場からは残念なことですが、歴史的音楽文献学者の校訂による批判校訂全集が、安価な実用版も刊行しても実用的用途にはほとんど使われず、もっぱら図書館の肥やしになってしまうのには、このあたりに理由があります。
逆に、ある程度信頼のできる、校訂者によるフレージングなどの余計な書き込みがない、信頼できる資料に基づく一定レヴェルの楽譜ながら、指使いなど実用面にも配慮した楽譜として、ヘンレ原典版が愛好される理由もこのあたりにあります。
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私はショパンの楽譜についてはそこまで詳しくないのですが、エキエル版は、基本的にはドイツの大作曲家校訂研究所連盟の批判校訂版のやり方に倣っているような気がします。
つまり、資料研究の確実な成果を反映しようとする一方、あまり実用面には重きを置いていないということですね。
資料研究が進めば、過去の楽譜を使った演奏史は歴史的遺産としていったん棚上げになるのは否めません。
ただそれでも、研究用ではなく、実際に演奏するための楽譜である以上、指使いなどの実用的観点を全く無視するのは、ニーズに沿わないということは、校訂出版する側も考えるべきだとは思います。
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まぁ、そうはいっても、正直、ドイツの大作曲家校訂研究所連盟に所属する歴史的音楽文献学者の校訂による批判校訂全集などというものは、最初から楽譜出版社の営利事業ではなく、政府や財団の資金を使って文化財としての楽譜を信頼できる校訂譜と校訂報告という形で残すという、一種の文化事業ですから。
エキエル版も含めてですが、完結した新バッハ全集、新モーツァルト全集、ハイドン全集、今刊行中の新シューベルト全集、それに後発のシューマン、メンデルスゾーンなどの全集すべて、そういう文化遺産記録的目的で作られているものだと思った方が言いて思います。
ドイツ・オーストリアには、もっと非実用的な Denkmäler der deutschen Tonkunst (DDT) , Denkmäler der österreichischen Tonkunst (DÖT) のような、古い時代のあまり演奏されないような音楽作品を収めた校訂譜全集もありますからね。
翻って日本政府は、例えば雅楽や能楽の古曲の楽譜をそういう形で研究者が校訂して攻勢にきちんと残すという考えがあるのか?
人間国宝の演奏などは、売れそうもない立派なLP、CD集として学術的解説付きで刊行され、主に音楽図書館に納品されていたりしますが、楽譜はどうなのかなぁ?
そういう形で自国の音楽文化遺産の保存に予算を使わない日本もどうかと思いますが、ドイツ・オーストリアが19世紀から延々と続けている大作曲家の批判校訂全集プロジェクトも、あれだけ非実用的で徹底的な資料研究をよく何度も同じ作曲家に対して繰り返してやるよね、と思うことはあります。
恐怖の楽譜に見覚えがあり楽譜の棚を見たら、自分がバラ1を練習したのこの本でした😂
まじかーー‼️たくさん書き込みして練習した形跡あった。
さすがに7小節目のDの音は先生がEsに修正してくれてました。191小節目の音は気づかず弾いてましたねー。
この本、選曲がいいんですよね。ピアノ学習者が段階的に弾きたくなる曲がギュギュっと詰まってて。
ちなみにスケ2もこれでレッスンしてもらってました。
やばいですね😂
いやードンピシャに恐怖の本を多用してきていたので笑えました。
版の話、とても興味深かったですー。
このショパンピアノアルバムにしてもソナチネアルバムソナタアルバムにたしても、本当に選曲が良いんですよね。
ペータースの修正が酷いのは事実でそれに対して批判的な校訂の新しい楽譜も出ていますが、それでも例えばソナチネアルバムでクーラウの作品なんかを学習用の作品として世に広めた功績は大きいと思います。
たくさん書き込みをして勉強した時間が無駄になることはないので、また新しい作品を見る時には楽譜を比較したりして楽しんで頂けたらと思います。
コメントありがとうございました!
エキエル版を使ってショパンを練習したことがありましたが、自分が聴き慣れた録音などと音が違っていて、逆に違和感があって困りました。ショパンは出版された後に印刷されたものに修正を行ったという事で、一層複雑ですね。特に近年のショパンコンクールの参加者はかなり厳格に特定の版に従って弾いていることが分かるので、それも参考にしたりしています。
知っている音と違うと違和感ありますよね...。
ショパンの場合またエキエル版が正しい、とまで断言できないのもまた難しくしていると思います。
説得力を持って演奏出来れば良いので色々と比較して自分なりに受け入れられる音で演奏出来ればと願っております。
楽譜は全音オンリーの私、一体どうすれば良いのでしょう?まさか全音が…。
全音にも素晴らしい楽譜はありますし普段使いには良い楽譜なのでそれほど悲観しないでも良いと思いますが。
ただコンクール。発表会。コンサート等大事なところで弾く時には他の楽譜も確認して見るとより良いと思います!
全音の良いところ
解説が充実
テクニカルなフレーズの練習方法
ショパンのエチュードの場合、+αでこんな練習も良いよー的なやつもある
全音は個人的に見やすいです。でも、今習っているピアノ教室の先生は、ツェルニーは全音指定ですが、ベートーヴェンソナタについてはヘンレ版指定です。
@@nekogeboku516
コルトー版は親切でわかりやすい。エチュードOp.25-1はコルトー版で練習しました
コルトー版。
たまにおかしな音はあるのですが練習方等の注釈が多くてとても役に立ちますよね。良い楽譜だと思います!
ショパンの作品は原則ピアノ曲で、楽器は1種類、譜表は2段ですが、オーストリアの某ブルックナーさんのように大規模なオーケストラ曲で巨大な譜表で違いが、というと大変なことになるんですね。アマチュアで楽しみで音楽に触れるだけで、版問題なんて聞いても面白半分で済んでいてよかったです。
ブルックナーは大変なことになってますね。専門でないので詳しくはないですがどの版を使うかでもはや意見表明になってそうで、この分野では関わらなくて良かったと思う部分もあります。
でも面白半分で触れるのも中々良いものだと思います。コメントありがとうございました!
@@yoshikinishi1713 マーラーだと楽章の順番が入れ替わってるなんてのまであるので、もはや作曲家本人がいい加減にしろという感を免れません。
ショパンのマズルカ59-1で昔から疑問に思ってる箇所がありまして、お尋ねします。
53小節(中間部の17小節)の1拍目でメロディーのA♯とコードのA音がぶつかって、
とても異質(生硬)な不協和音に聞こえます。
学生の頃コード分析(一応作曲科卒ですので)をした際、ここの和音がとても曖昧で
ショパンの書き間違いか初版の出版社の写し間違いではと考えたのですが、
どのピアニストの演奏を聴いても楽譜通りでした。
ただ、演奏者によっては極力目立たないようにスルーしたり、A♯とAをずらして干渉しないように弾くなど
テクニックを駆使して違和感が薄れる様にしてる風にも感じられます。
この部分を問題視している、ピアニストや研究者は皆無なんでしょうか?
半音でぶつかる事自体は珍しくないけど、何しろここは不自然なんですよね。
和声的にはA音ではなくFのダブルシャープ(G音)で普通の処理ですが、
ここで敢えて意表をつかなくてもいいんじゃね?というのが凡人の感想です。
FダブルシャープだとコードはD♯7になり2拍目のG♯mに対するⅤ7になります。
メロディーのA♯音はD♯7の5th,次のB(H)音は♭13thで、ショパンのフレーズとしては頻出する形。
一方、コードにA音が入ると何のコードかよく解らないんですよね。
あと、2拍目のG♯に本来必要無い臨時記号の♯が書いてあるのも気になります。(パデレフスキ版)
ショパンの原稿で1拍目がGナチュラルだった可能性、僅かでも有りませんか?
普通はFダブルシャープで書きますが、清書の途中でついペンが滑って音符をGにしてしまい、
グチャグチャっと消して直すのが嫌でナチュラルを付け、2拍目は臨時記号のシャープを書いて戻したという事です。
そして出版社側は、ショパンならダブルシャープで書く筈と思ってるので、じゃあここはGナチュラルでは無く
Aナチュラルに違いないって忖度?したのではないかと。(ソかラか微妙な位置に音符があったのかもしれません)
自筆譜を見れば何か判りそうですが、ネット検索した限り59-1の自筆譜は見つかりませんでした。
草葉の陰からショパンが「そこは間違いだって、音聴いて判らないの?」と言ってる様な気がするのです。
長くなってしまいました。最後まで読んで下さり、どうも有難うございました。
とても興味深いご意見ありがとうございます。
私は作曲の勉強も一通りしかしてませんし研究家でもないのであくまで個人的な意見としてのみお返事させていただきます。
確かにいくつかの奇妙な点がありますね。
個人的には特に気にもとめておりませんでしたし、つまり20世紀以降のピアノ曲を弾いているとこの程度の偶成和音のようなものはよく出ていますし、攻めてるが晩年のショパンなら普通なのかと思ってましたが、確かにそれでもなんと言うか作曲語法としてそうは書かないだろうって違和感を持つことはありますもんね。
またGの音にシャープを書いた理由。パデレフスキ版にシャープがあるのは初版にあるからでコルトー版もそれを踏襲してますが、エキエルは必要ないとの判断でその#を消してしまってますね。
別に前の小節とかにもGの♮なんてないのにそれを書いた理由。必要のないものを書いた理由として@25poseidonさんの推論は筋の通ったものとしては確かに成り立つと思います。
自筆譜を見れば解決しそうですがそもそも現存するのか、しても私たちが見れるものかはわかりません。
そのうえで演奏家としての意見を言わせていただきますが、本当におっしゃる通りその可能性はあると思いますが、何らかの資料がない以上演奏法や解釈ならともかく音を変えてしまうという行為にはやはり忌避感があり実行することは出来ません。
ただおっしゃるとおりこれが意図的なものかは初版のミスなのかは確信を持てないなかではここをショパンの意志としてあえてぶつけることも出来ないので、私なら結局よくある不協和音の奏法としてあくまで一過性の濁りのように目立たず弾く感じになるでしょうか。
大変興味深いコメントありがとうございました。
お忙しい中、返信して下さり有難うございます。もう感謝感激です。
現役のピアニストの方の意見を聞いて納得致しました。
味のある動画でした。コルトーのEsは正しいと思います。
ピアノの初心者にはDの方が腑に落ちる響きでしょうね。
しかしどうでも良いですが、お声が旅行TH-camrのどなたかに似ていらっしゃいますね😅
コルトー版に関してはかなり独自の音の場合もありますが、この曲の問題にしたところに関しては個人的には大きく間違って感じる部分はなかったですね。
とは言え注釈版ですしコルトー版の価値は演奏の手引きの部分が大きく感じますが...。
声で旅行TH-camrで似ている方がいらっしゃるのですね!
伝わりにくくなければ嬉しいです。
@@yoshikinishi1713
お声が似ているTH-camrはスーツさんで鉄道旅行を中心に活躍されています。
私は小学生の時からピアノを弾いていて、今も続けています。(高校2年生)ショパンの曲が好きで(今は英雄ポロネーズを弾いているのですが)もっとエチュードの曲を弾きたいと思っています。今はピアノの先生と一緒に弾いているのですが、自分で譜読みをして弾こうと思っています。そこでエキエル版とパデレフスキ版どっちを買おうか迷っていて、どっちがいいのか色々調べたのですが「結局どの楽譜がいいのかはショパンにしか分からない」という結論に至りました。どっちも買おうかと思ったのですが、プロになるわけではなくただの趣味なので、楽譜が2つあっても無駄だなと思い、聴き馴染みのあるパデレフスキ版を買うことにしました。いつかエキエル版も買うかもしれないけれど、今はパデレフスキ版で頑張ろう思ってます。誰かに聞かせるわけではなく、全て自己満足なので何でもいいと言われればそうなのですが、やっぱりちゃんとした楽譜で弾きたいので、悩みましたがそうすることにしました。長々と長文失礼しました。
動画でお話した通り本当にショパン自身も次々と曲に対する意志が変化するので時期によっては意見が変わるでしょうし、最終的な意志は先生がおっしゃっている通りショパンにしかわからないと思います。
近年では原典版ではないとパデレフスキ版を悪く言う意見もありますが、それでもやはりとても参考になる素晴らしい楽譜だとは思いますので今それで頑張って練習しているお時間はきっととても素晴らしい経験になっていると思います。
エチュードへの挑戦もうまくいくことを祈っております。コメントありがとうございました!
メンデルスゾーンの「無言歌集」をレッスンする際に、
中身の校訂の良し悪しよりも楽譜のデザインにのみ惹かれてペータース版を買ってしまいましたが、
お話を伺う限り、ペータース版は買うべからざる輸入版なのですね。
また日本のピアノ学習者の殆どが抵抗なく購入するであろう全音楽譜さんの楽譜も。
井口基成先生監修の春秋社版の楽譜を嫌うピアノ講師さんも非常に多いと聞きます。
過去の偉大なピアニストでペータースで演奏している人もいますし本当に幅広く出しているのでペータースで出ているもの全てが悪いとは言わないですが、やはり改変された物が多い印象がありますね。
全音についてはやはり安価であること。そして例えばエキエルの翻訳も全音から出てますし新しい校訂で出ている素晴らしいソナチネアルバム等もあるので全てが悪いとは言いませんが、古くからの楽譜には首をかしげるものもあります。
井口基成大先生の楽譜。特にバッハについてはまあその何と言ったものか。ノーコメントとさせていただきます。
新シューベルト全集などは、特にリートや一部のオペラなど、シューベルトの自筆譜が何通りもある場合には、最終稿とみなされるものをa、それ以外の異種稿をbとして分冊にしているのですよね。
もちろん、些細な違いなら、脚注をつけたり、校訂報告の中だけで指摘することもありますが。
エキエル版も、ポーランドの国家事業としての批判校訂全集を名乗るのなら異種稿を分冊にして出版すべきだと思うのですが、それができないのは、やはり予算などの関係があるのかな?
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ドイツの大作曲家校訂研究所ですら、あんなやり方をしていたら、予算がいくらあっても足りません。
終戦直後は、フォルクスワーゲン財団がナチス時代に儲けさせてもらったことへの反省から、傷ついたドイツの威信と国際的信頼回復のために、国際的な研究者の共同事業として、大作曲家校訂研究所と批判校訂全集の企画を立ち上げた経緯があります。
しかしフォルクスワーゲン財団が大作曲家校訂研究所から手を引き、自然科学研究に力点を置いてからは、大作曲家校訂研究所が予算難で、研究所がある各州の州政府文化省や財団の予算を獲得して細々と続けている始末。
それですら、全集完結前に頓挫するとさえ言われています。
ドイツでその状態なら、ポーランドのショパン研究、ロシアのチャイコフスキー研究などは、推して知るべし、です。
@@erikasono565
ドイツでそれならばポーランドは確かに厳しいでしょうね...。
動画でも述べたようにそのような部分やその他でもエキエル版としての問題も個人的には感じるのは事実ですが、またエキエルのお弟子であった河合優子先生によると全音の日本語翻訳で多くの誤訳を残しているとのこと。
ポーランド語は全くわからないのでどのように間違ってるのかは精査してませんが、語学力に問題がないなら英語版を購入することで解決出来そうですが、それはそれで高いですし一般の学生等にはそれも難しそうな問題ですし本当にショパンの楽譜は難しいですね...。
@@yoshikinishi1713
ドイツ系の作曲家の場合には、ドイツの作曲家校訂研究所連盟に所属するデュッセルドルフのシューマン研究所所長である前田昭雄氏を筆頭に、日本人でも校訂企画に参画したり研究員を務めたする人が複数います。
そのため、全音楽譜出版社や音楽之友社が版権を取得して日本限定でそうした校訂譜を出版する場合には、日本人研究者が序文を書いたり、注釈の翻訳を担当したりで、一定のレヴェルが担保される。
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ところがロシア東欧の場合には、ベルリンの壁崩壊、東西ドイツ再統合、ソ連東欧体制崩壊以前は、チャイコフスキー研究所も私が通っていたドイツの大学にあるなど、そもそもショパンやチャイコフスキーといえども、ポーランドやロシア国内での研究が進む状態ではなかった。
ましてや、そういうところに留学して学ぶ日本人も少なかったわけで、ロシア語やポーランド語の難しさと相俟って、どうしてもまだまだ誤訳が出てしまうのでしょう。
私はロシア語は独学、ポーランド語は似ているとは言われるものの、学んだことがないからわかりません。
私が学んだ限りでは、ロシア語はラテン語同様、核変化が複雑な屈折語で、なかなか面倒です。ポーランド語も同様でしょう。
何より、音楽用語は特殊なので、音楽、音楽学を現地で時間をかけて学んだ日本人がいず、ポーランド語だけを学んだ人に翻訳を任せて、正しい翻訳になるわけがない。
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私は、アゼルバイジャンで開催されたユネスコ共催の国際シンポジウムでシンポジウム公用語だった英露併記のパワーポイントプレゼンテーションを準備していきました。
でもバクー空港から開催地のシェキに行く途中、同乗したウズベキスタンの研究者に、そのプレゼンテーションのロシア語を添削してもらったら、めちゃくちゃに直されて。それを私の知人であるシンポジウム実行委員長のアゼルバイジャンの研究者に見せたら、また直されて。
結局、ロンドンの大学で教えているというアゼルバイジャンの研究者が、「ここはアゼルバイジャンだから、ロシア語が間違っていてもいいのよ」と言い出す始末。
なので、エキエル版の日本語訳に正確を期するのであれば、ポーランド語と日本語の音楽専門用語に精通した人が育たなければ絶対に無理です。
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河合優子さんがエキエルのお弟子さんなのであれば、そういう時には協力して頂くとよいと思うのですが、実際にはこの種の翻訳の仕事も、仕事が少なくて、少しでもお金になる仕事だと同業者の間で取り合いになるから、音楽が専門ではない、自分が訳せば誤訳が出る可能性があっても、「やります」というのでしょうね。
私も日本にいた大学院生時代、翻訳事務所に登録して、音楽関係のドイツ語の翻訳の仕事をしていたのでよくわかります。
私に対して、ドイツの研究所が給与は払わないけれど私の研究成果だけほしいというのと同じで、河合優子さんが誤訳を指摘して批判しても、河合さんにギャラを払って仕事をさせるのではなく、無報酬で協力してくれと言いだしかねませんからね。
このあたりが世知辛いところです。
初めまして。45年ほど前になりますが使っちゃいけない本使ってやってました😭レコードを聴いてなんか違うなあとは感じてたのですが…
このバラードは特に違いが大きいですよね。
今からでも気になったら是非楽譜見比べてみてください🎼
単純な誤植でしょうがIMSLPにあるパデレフスキ版の英雄ポロネーズの132小節目は♮をつけ忘れててDesを鳴らしてギョッとします。
これくらいド派手だと逆に許せますが一応パデレフスキの演奏を聴いて安心するまでがセットでした。😅
本人がちゃんと弾いてるなら誤植確定ですね...。
意外とちゃんとした楽譜でもびっくりするような誤植ありますよね。伴奏パートですがベーレンライターのモーツァルトのコンチェルトで沢山みたことあります。
コメントありがとうございました!
私のピアノの先生はどの作曲家の曲でも春秋社を指定しましたが、CHOPINのノクターンなど曲によってはヘンレ版を買うように指示しました。(嬰ハ短調含め数曲習いました)
当時はそのこだわりの意味が分かりませんでしたが、この動画で納得です。
私の習った先生はコルトーの弟子の弟子(の弟子?)と父が言っていました。
BACHは春秋社でずっと弾いていたのですが、ダメなのですか?ショックです😨
コルトーの弟子の弟子とは凄いですね😲
春秋社は井口基成大先生の解釈版ですよね。
バッハに関してはかなり独特でインベンションの一番などに関してもトリルの入れ方がおかしくて、その理由として「バッハはこのように書いているがこう入れた方が良いと思う」と言うような内容が書いてあり、何故自分の装飾のセンスがバッハより優れていると思えるのかと驚いた記憶があります。
とは言え勉強した時間が無駄になる訳ではなく、それを踏まえて新たな違いを見ていくのもまた勉強になると思います。
コメントありがとうございます!
そう言えばピアノ習ってた時、全音の青いやつは選ぶなって言われたな
他の楽譜でもそうなのかな
全音も曲によってはライセンス買ったりして安くて良いのもあるんですけどね…結構な割合でペータースを使っているので変な楽譜が多いので気をつける必要がありますね。
コメントありがとうございました!
2000年頃からエキエル版は新全集として出版され始めて注目してましたが、Op.22のポロネーズ•ブリランテとスケルツォ3番の一部の音の変更に対する疑問があって、エキエル版に対して?の立場です。
私としては、諸条件はあるにせよ、原典版ならば本音符は自筆かそれに近いものを書いて、推奨はossiaや注釈に書くべきと思ってます。
私の最大の問題は3度のエチュードの7小節右手のaかa#で、エキエル版に解説があるものの、8小節に♮があるので、a#だと思ってます。で、10-2の別バージョンが発見されたという事もあって、それが反映されているウィーン原典版を最近は使用しています。
まだ殆ど出版されていませんが、ベーレンライター社に期待してます。
エキエル版は音符間が広くて譜読みがしやすいですね。今までのワルツ集とかノクターン集的な出版に慣れているので、生前出版か没後出版かで分けているABシリーズは使いにくいです。
様々な情報をありがとうございます。
世の潮流としてエキエル版と言ったもののそれは大いに政治的なパワーバランスを含めてのことなので、もし独立した音楽家ならばそれに一才従う必要はなく動画でお話した通り自らの意志で選択していくべきだと思っております。
@misayoshi926さんが様々な楽譜を比較の上で色々な情報を取り込みながら自らの信念でエチュードの時にウィーン原典版を選択したと言うのはまさに私の思う音楽家のあるべき姿で私も出来るだけそのように取り組みたいと思っております。
また個人的な意見ですが、私もエキエル版の音やフレージングの変更には疑問を覚えることもあります。
コメントありがとうございました!
青い本うちにもありもうした!笑
全音は行き渡ってますよね😆
絶対に、不協和音だと思います。この曲の中で1番素敵な和音だと思います。
やっぱりそう思いますよね!
ショパンが優柔不断だったのは事実らしいのですが、それにきてもこの冒頭部分をショパン自身による修正の可能性と言うエキエルの意見には首を傾げてしまいます。
もう30年近い前の学生の頃の話ですが、副科のピアノの試験曲としてショパンのワルツop69-1をやることになった際に元々持っていた全音楽譜で練習してレッスンに行きました。
しかし1フレーズ弾き終わるまでに何個も楽譜の音を修正され2ページ目ではリズムも修正され、結局パデレフスキを使用するように先生に指導されることに。
(この楽譜で試験で弾けないと言われました)
後半では拍子の取り方も変わっている箇所があり、最終的にフェルマータで辻褄を合わせてありました。
自分は管楽器でオケのポケットスコアをよく購入するのですが、全音のものが多くそれまではなんの疑いもなくピアノの楽譜も全音のものを使用していました。
学校の売店でも全音のピアノ楽譜を多数売っているし、それまで受験や試験でやったベートーベンやモーツァルトのソナタで全音の楽譜で何も言われたことがなかったので、出版社によってこんなに違うのかと驚いた記憶があります。
全音の楽譜は版による音の違いは注釈等に記載されている楽譜もあありますが、そのワルツの楽譜にはそういった記載もなかったので手放しに信用してしまっていましたね。
基本的には全音でも問題ないと思うのですがたまに凄いのがありますからね...。
注釈があるものや新訂版やライセンス買っている物等素晴らしい物もありますが、たまに凄いのもあるので注意が必要ですね。
しかしOp.69-1でそのような楽譜が出ているのは知りませんでした。私も大学の副科ピアノの指導や審査をしますが、有名な曲ですし先生方もおかしなところは気づく人ばかりですからね。コメントありがとうございます。
@@yoshikinishi1713
それよりも後にやったメンデルスゾーンの無言歌集では全音のものでも何も言われず、先生も特に全音の楽譜に変な印象は持たれていない様子でした。
全音のは原曲には曲名が付いていないものにも曲名が付いていることがあるので、無言歌でもショパンでも「こんな題名つけてるんだね」みたいなことはよく言われましたが。
ただ、バッハのフランス組曲の曲をやった時はヘンレを推奨されましたね(バッハの研究をされていた先生でした)
ちなみにOp.69-1では、左手の2拍目にある経過音と思われる和声外の音が一様にその小説の和性の音になってしまっていました。
あ、青いの1番下w🤣🤣🤣 7:28
😅
使わないほうがいい楽譜、手元にありますよ〜😂 セカンドハンドショップで見つけたので買ってしまいました。日本円にすると約300円ほどですが、それでも無駄遣いをしてしまったなあと感じます。何も知らないで「ショパンの楽譜だー❤」と飛びついたのが間違えでした。
300円は安いですね😲
とは言えショパンの楽譜には違いないですし譜読みは出来るので楽しんで使う分には問題ないとも思います。コメントありがとうございました!
エキエル版は信用できないですわ😂あれが正しいならショパンさんの弟子たちが大騒ぎになるでしょう?先生はそんな演奏しなかったよと😊
ショパンの演奏に接した人の録音はフランシス・プランテしか聴いたことがないですが、昔すぎてよくわからないものでした。
とは言えフレージング等見ると19世紀から続く自然な解釈とは少し違うように思えるのでそうかも知れないですね!
ショパンではなくて恐縮ですが平均律2巻18番のプレリュード6小節第2拍の低音EシャープがEナチュラルに変えられていて、それを" beautiful reading" と解説(自画自賛)しているのを見て唖然とした記憶があります。(the associated board of the royal schools of music) そこサビやろ! と叫びました・笑 音楽的に間違いとは言えないけど安定感が損なわれるというか……。
ついでながら春秋社の楽譜の注釈を見て私は完全にチェルニー不信に陥りました。小節数は勝手に増やすわ、二巻6番の一番かっこいい走句を単純な音型に置き換えるわ……グールドもチェルニー版という事ですがこの二箇所は追従してませんね。
逆に二巻12番のフーガにそこスラーで伸ばしたらおかしいだろ! という音があるのですがそこは誰も直してない……(いずれにせよ減衰するのですがバッハにしては珍しいです)。
その春秋社も一部で不評なのですか? 単純な私は異版の音が補填されてるので便利だと思いました。独学のため運指やフレージングは自分考えるので音符の正確な位置と見やすささえあれば文句はないです……。
バッハは楽譜で音が違うところ多いので大変ですよね!
原典版同士で見比べていてもヘンレとベーレンライターでも沢山音が違うので本当に頭を悩ませます。
チェルニー版が歴史的に重要なのは事実ですが音に関してはもう違いすぎて不安になりますよね。少し出先なので今確認出来ませんが、沢山の音の違いお教えくださってありがとうございます。帰ったら見てみます!
ちなみに私が春秋社のバッハと言うか具体的に井口版に関して不信感を覚えてのは様々な表現についてもですが、インベンションの一番について装飾音の変更があって、それについて注釈でバッハはこのように書いているがこの方がいいと思うと堂々と書いてあったときでした。
まあ注釈でお知らせしてくれるだけマシかも知れませんが..、
@@yoshikinishi1713 返信ありがとうございます。恥ずかしながらあまり細かな事はわからないのですが、偶然今全音版を見つけて確認したら井口版の補填の通りでした……楽聖バッハの書いた小節数に納得いかず増やしてしまうとは、さすがチェルニー大先生は格が違います(お気づきかと思いますがアヴェ・マリアの伴奏になった一番です)。他にも二巻ニ短調の24・26小節、本人が絶対かっこいいと思って書き込んだに違いない装飾的走句を完全無視、単純な分散和音にしてしまうという常人にはとても想像もつかない大胆さ。音楽性より理念ですね! 何という偉さでしょう。とてもついていけません。…と思っていたら……。
件の嬰ト短調プレリュードの別の場所に「こっちの音のが圧倒的にいい」という昔自分が書き込んだ改変箇所を見つけました・爆 今弾いてみたら全然よくなかったです・笑 いやーお恥ずかしい……。……音楽の世界は深いですね! あれもダメ、これもダメって言ってると狭くなっちゃうし(←)、かといって愛ゆえに野放しにはしたくないというこの矛盾と苦悩……。最終的にはこの多様性が音楽を豊かにすると思うしかないのかもしれません(と言ってごまかす^^;;)
おつきあいありがとうございます。長文失礼いたしました。
全音のショパンのワルツ20番遺作が入っている曲集も酷かったです。。。
なんかたまにびっくりする楽譜ありますよね。
古くからの楽譜なのはわかりますがクーラウやクレメンティもどうかと思いますが、それよりショパンやベートーヴェンのような有名な曲でもそのような状態を放置しているなは何故なんでしょうね...。
他と違う音に出来る所は個性を出して商売にしてますよ多分。そのせいで同じ曲をいくつも買う。
尊敬してる方に同じことを言われたことがあります。
大きい声で言うことではないですが、そのようなことはあるかも知れませんね。
うちの母ちゃんは
春秋社ショパン楽譜だったな
仙川の学校指定だっただろう
春秋社ですか...仙川の方では当時そうだったのですね。
春秋社も実は作曲家によっては素晴らしい楽譜もあるのですが、家にあったバッハ等のものはコメントしにくい校訂ですね。
@@yoshikinishi1713
なにぶん
春秋社の楽譜の編集校訂の方は
仙川開学の祖ですから。
ショルツの校訂は本当にヒドいですね(苦笑) 今入手困難ですが真のイカモノ楽譜・クリントヴォルト版にも触れてほしかったかも。
なお今のペータースの赤い帯がついてる原典版はすごく頑張ってるので、ってのはひと言添えてもよかったかもです。
クリントヴォルト版は見たことなかったですね。お教え頂きありがとうございます。
実は今では高い評価のベーレンライターで酷い楽譜に当たったことがある一方でペータースに関してもオルガンの楽譜等で良い楽譜でお世話になったので全部が悪いと言いませんが。結局ひとつひとつ違うのでしょがどうしてもペータースはハズレに当たることが多い印象ですね...。
初版はショパンがね…笑笑
😆
オススメから来ました。
安い楽譜を、何も考えないで弾いていました😂
つい最近までショパンの舟歌を弾いていたんですが、
ラストページの暗い不協和音ぽい和音の連続が、
演奏者によって右手が1音違うのを発見したんですが、どちらがいいのか結論が出ませんでした。
とても勉強になりました。
感謝します。
そんなふうに疑問が出た時に楽譜を見比べてみると新しい発見があるかも知れないから面白いですよね。
コメントありがとうございました!
ドイツ版の怪しさというが、どこが怪しいのかを指摘しなければ説得力はありません。
つまりパリなどの初版はショパンの手による修正のみなのでしょうが、ドイツの初版は(エキエルによるとショパン自身による修正の可能性もあるが)ブライトコップフの人による勝手な修正。つまり第三者の手によるショパンの意図せぬ修正の可能性があるからです。
フランスの初版と同じ年に出版されながらもドイツのみ音が沢山違うのであればそれは怪しいと言わざるを得ないと思います。
もう少し落ち着いて動画作ってください。