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後で考えましょう 後で考えましょう の繰り返しが「はいこれまで!!」「もはやこれまで」になってしまいました
シンプルに要点を押えた解説をありがとうございます。決断を迫られた立場の方はさぞ苦しかったことでしょう。
今週も勉強になりました!
なんか国全体で戦争に乗り気だったと思っていたから、戦争に反対していた人が上層部にもいて、こんなに戦争を回避しようと頑張っていたとは思っていなかった、、。東條さんもどんどん戦争していこうとしていたのかと思っていたが、むしろ戦争反対派だったことが驚き
だし、結局そもそも日本にほとんど資源がない時点で、もう負けが決まっているようなものなのかと思った
@@mzk-uz2meあ、まあ回避に努力してたのは良いことなんだけど、対ソならまだともかく(いやきついけど)中国戦線を解決できぬままの状態で対米開戦はほぼ必敗だった。海軍長官自体がアメリカには勝てないと認めてる。ちなみに開戦時の戦力比較だと資源量とか生産力とかあらゆる事を勘案して大体日米1対10。唯一開戦時に持ってた艦隊や軍の規模とパイロットの練度は上だった。なお、終戦時にはこの戦力差は日本の衰えとアメリカの大生産もあって1対100になった。対ソ連でも当然国力は負けているが、アメリカほどの格差では無い上、ドイツと挟み撃ちになるからまだマシ
昭和16年改正の防空法見ると日本も粛々と戦争を意識していた事がわかる
戦争回避に日本がこんなに尽力を尽くされていたことにとても衝撃でした。。 学校だと断片的なところしか教えられずなぜアメリカに対して開戦を踏みきったのか疑問に感じていましたが、とてもすっきりすることができました。
尽力を尽くす、という言葉は頭痛が痛い、と同じ不適切な言い回しです。「尽力」は力を尽くすこと全てを意味します(尽力する、で一つの動詞になることから明らか)。力を尽くす、精を尽くす、が正確です😂
WGIPです
@@カンガルー-w2iまぁええやないか
なんかこうやってみるとアメリカ人野蛮ですね。戦争をしかけ原爆まで落とした訳ですから。
@@カンガルー-w2iそういうのは自分の部下にだけやっとれよ、決裁文書でもないのにいちいち言わんでいいわ苦笑
開戦までの経緯について詳しく説明していただきありがとうございます。日本政府は直前まで戦争回避に奔走していたのですね。これは個人的意見ですがここまで来れば当時の情勢を鑑みて開戦やむなしだっただろうなと思ってしまいますね。
東久邇宮内閣は戦後すぐに誕生しましたが、東條内閣の代わりに誕生していた可能性があった事を知った時は驚きました。
竹田恒泰氏がこれについて言及していました。負ける可能性が少しでもある戦争を始める首相が皇族であってはならない。戦後復興する日本の首相は皇族が最適解であった、と言う様なお話でした。
ハル・ノートが最後通牒であるかの議論は、後からの議論に過ぎない。少なくとも当時の政治家はハル・ノートを最後通牒と理解したし、アメリカもそう認識していた。ハルは日本にハル・ノートを提示した後、スチムソン陸軍長官に「今や事態は陸海軍が処理すべき段階にきている」と述べている。ハル・ノートを手交する前日には、ルーズベルトはホワイトハウスにスチムソン、ノックス、マーシャル、スターク、ハルを集めて会議し、「最初の一発を撃たせる立場に日本をどう誘導するか」について議論した。戦後スチムソンは日本に最初の1発を撃たせることは、世論の支持を得るために必要だったと証言している。アメリカが戦争回避の熱意を有していなかったことは明らかと言わざるを得ない。ハル・ノートを日本に手交したことは公にせず(戦後明らかになった)、ハル・ノート手交後に天皇に向けて和平を願う公電を打ったこと(12月6日)は直ぐに公表している。ハルは公電を「ただ送ったという事実を記録に残すだけのものだ」と論評している。
最後通牒かどうかなんて自分にはよくわかりませんが。とりあえず日米双方要求を出し尽くして、お互いどう妥協するかを探っている段階で、日本が出した妥協案に対する返答がほぼ初期の要求と同じだったわけです。そりゃあ日本はアメリカがもう交渉する気がないと思うでしょうし、アメリカも日本がそう判断すると分かっているでしょう。つまりもうこの段階ではアメリカは戦争をする気だったと判断するのが妥当でしょうね。厳密な意味で最後通牒であったかどうかなんて戦後の責任論がらみの言葉遊びでしかないと思います。
昭和16年に改正された防空法を見ると日本も開戦する事がまんざらでも無かったとわかります。日本は敗戦国で、先の大戦で散っていったのが同胞だから贔屓目に物事を見てしまう気持ちは理解出来ますが、日本も一方的な被害者じゃなかった事だけは言います
でも確かに日中戦争の終わらせ方って考えたら本当に難しすぎて撤兵も難しい、国民への説明も難しい、どうしたら良かったのか結局方法が無いから開戦にズルズルと繋がってしまったのかなと。
木戸光一メガネの度数強すぎてプリクラ並みに目デカくて盛れてる
今までの流れを全て振り返ると最後のハルノートは当時の情勢と上層部流れを見て全部そういう経緯だったんだなと思いました。満州国成立の時点か仏印進駐か、内閣での報告、連絡、相談、で運命がもう決定的になっていたような気がしますね。誰が本当の原因なんでしょうね。でもこの情勢と結果だと開戦になってしまうのも無理なかったのかもしれないですね。
>誰が本当の原因?暗殺された永田鉄山です。東條、武藤、田中は彼の理念を引き継いだ軍人いわゆる陸軍パンフレットは永田鉄山の理念そのものですしね。
@@てりえてりえ 本当ならヒトラー・ムッソリーニと並ばなきゃいけないのは永田鉄山ですからね。相沢三郎による暗サツで命を落としたにも関わらず、その意思が独り歩きしたのが…
@@コーティー 永田が唱えた「総力戦のための資源獲得」それを具現化したのが張作霖爆殺→満州事変→華北分離工作→日中戦争→仏印進駐→太平洋戦争。永田なき後を引き継いだ統制派は永田の総力戦構想を忠実に実行しようとした点では一貫性がありました。
@@コーティー生きててもアレやけど、死んだ事で永田の意思を引き継ぐ人達が殉教的になったというかより熱心になったんやろな。アイコンになってしまった。
@@てりえてりえそもそも物理的に考えたら日本人が見た事もないくらい中国大陸は大きくて、奥地にいくほど地形も厳しいのに中国を一撃で倒せるって考えが蔓延ったのもひどい。
学校では教えてくれない重要な歴史を分かりやすく説明して頂いて毎回勉強になりますm(_ _)m
満州事変から考えればいくらでも縮小するチャンスはあったのに😢この転げ落ちる15年間は日本人にとってはキツいけど1番理解しとかないとダメな期間。
山本五十六はアメリカに留学して実際に見ていた。あんな進んだ巨大な国と戦争は無理だと言って反対していたのに、皮肉にも連合艦隊司令長官になってしまった。
太平洋戦争の開戦、先生のどんな編集が見られるのか楽しみです
先に見た者です。ネタバレはできませんが、傑作でしたよ!
@@rekitetsuotaku これは期待大!
ハルノートが理不尽と言われる理由が分かりました。ありがとうございます。
ふざけたハルノートの内容知ったら、一矢報いろ!と思った。よく開戦を決意してくれた!!
経済制裁なんて、相手国の経済人も金儲けができなくなり不満を抱いているから、今のロシアのように骨抜きにする方法はいくらでもあったのに、当時の内閣と世論は頭が硬直過ぎ。なお、オランダ領インドネシアは、本国がドイツに占領されて経済的破綻まっしぐらで、日本に石油を売りたくて売りたくて仕方が無かった。
@@am4270 まあ負けたら意味ないけどね。
理不尽でもなんでもない。それまでの経緯を踏まえればアメリカがそうするのは予想できる。陸軍の暴走が日本敗戦の一番の原因なのは間違いないけど、当時の日本の外交は壊滅的に終わってる
@@あわあわわわ-j4g 世界中を敵に回して、善戦した方だと思う。アメリカにも一定の損害を与えることができた。アジア諸民族の独立も達成できた。ただ、戦後日本人が利己主義に染まり腐敗したのは誤算。
引くべきときには引くこと、降参するカードを持つこと、例え恥でも人が言うのを待たず自分が言うことすごく学びが多かった
東條が戦争反対派やったの知らんかった陸軍が突っ走ったと思ってた
それはカムフラージュだよ😂天皇は和平派だから天皇には忠実に振る舞いつつ本心は戦争したいの😊
やっぱ教育って大事だよね。学校では東條が全部悪いみたいなことばっか教える
東条英機氏だけでなく、海外特に米視察の経験者たちは、陸軍・海軍関係なく、対米反対・慎重派です。
東條英機は 戦争反対派ではないですよ。強硬派でしたが、首相になって 天皇陛下が 和平を望んでいるのを知って 開戦回避に走ったのです。東條英機は 無能ではないが、この局面を 乗り切るだけの能力は無かったと言う事です。
@@ジョージアS 様へ。意見はわかります。私が言っているのは『対米』に関しては慎重だった、という事実です。陸軍でも対米なら中国から撤退、米に全力。少数派です。対中で15万もの戦死者、何の成果なしは言い訳できない。無理な戦争へと突き進みます。このことは、会議を重ねた資料からあきらかな事実です。
サンクコスト効果っていうんでしたっけ。引くに引けなくなってズルズルいっちゃうこと。当時の日本も今のロシアウクライナも、思いを馳せると辛いわ。
コンコルド効果とか?
今では経済学的な意味を含んだ用語になっていますね。これまでに発生した費用や損失が無意味に帰するのを嫌って、実質的に破綻している取り組みを止める判断ができなくなる、という意味合いで使います。
BGMが段々と暗くなってくる…
令和の今の時代は、いろんな事後情報があって、実は…など色々あるけど、亡くなった明治生まれの祖母は、あの状況じゃどうにもならなかったって言ってたな…
祖母は、よく当時の状況下で生きてるだけあってよく知っていますね素晴らしい👍自分の祖父も戦争について詳しく知っていました。
その当時の一般人なんか国際情勢も政治も何も知らん無学の集まりでしょ?政府は確実に負ける戦争した、わかってたのに、それが全て。南京なんか放棄しときゃよかっただけ。
ちがうね。回帰不能点はもっと前にあった。満州事変での暴走を放置してた軍、政府、国民みんな悪い。アメリカに無理難題押し付けられたから仕方がなかったなんて他責に語るのはよくないよ。
なんか、日本の政治ってリーダーがいないから、周りばっかり気にして最悪の方向に行ってしまうんだな。戦前もそうだし、コロナの時もそうだったよな。結局苦しむのは国民なんだよな…。
コロナ禍ではどのようなリーダーまたどのような政策が理想でしたか?私はコロナ禍飲食業で自粛の影響を受けましたコロナ感染もしたので自粛、感染両方の痛みを知りました
え?政治家がリーダーシップを持ちこうやると言ったら批判して独裁者と言うでしょ?あなたもマスコミも。もっと言えば、子供の頃から自分の意見を持って自信を持ちなさいって教えない。周りと協調し、周りに迷惑にならずにしなさいって価値観なんだからリーダーシップを持った政治家なんで出るわけないじゃないか😂その上、総理大臣は国民から直接選ばれた訳じゃないし、アメリカの大統領のように権限があるわけでない。日本の政治システムが調整型を良しとしてる。投票率も低い。それこそ日本国民をまさに象徴した政治家なんよ。
国民が自分勝手なのに他人任せってのもある
でも、本当のリーダーが出てくると「民主国家なのに独裁政治など許されない。国民の声を聞け」と非難されるんだ。勝手な国だよ。
@@田中-r2d マスコミの煽り報道に屈しないで「経済を止めてはいけない、子供や若者の希望を奪ってはならない」とはっきりと言う指導者が必要だった。しかし、年寄りの多い日本ではテレビに洗脳された年寄りが恐怖に怯えて「自粛しろ」と政府に迫った。それがコロナ禍の悲劇だったと思いますね。
勝った国が正義なんですね......
そうともいえない枢軸側が勝っていれば世界中が今のロシアとか中国みたいな暗黒の国だらけになってましたからね。
当然ですね。
東條も責任は重いけど個人的には近衛の方が責任重大かな。日中戦争もっとどうにか出来ただろ感が否めない。その後の対米開戦も回避出来たかもしれないのに。
近衛というより近衛内閣が責任重いと思うけど、トップの近衛文麿も責任重大です日中戦争(支那事変)や松岡洋右の件そして日独伊三国同盟これはヒトラーとミュンヘンで会談した秩父宮殿下が大変反対しておりました。今でもかなり愚策だったと思います。
@@konohamautokoronihihamoezuどの時代も政治というのはタイミングと外交が命取りですよね…。
近衛にも考えはあったかもしれないけど、やはり意思薄弱さと流れに身を任せるような政治をすればそのツケは国民が払うことになる。
@@supremegarbage9796 意思示したら5.15や2.26みたいに「お気持ち」で消される(物理)だから皆忖度するようになってしまったんだよなぁ…
ソ連のスパイがアメリカで暗躍してたし避けられない
日本側の意思決定も酷いが、あちらさんも分かってて追い詰めてきてるよな
満州事変、仏印進駐なんて狂った判断をその前にしてるからこうなってんだよ。他責、被害者ヅラはみっともないからやめたほうがいいよ。
そもそも石油が無い状況で戦争始めようとは思わないやん...日本さんがちょっと早とちりしたからでもあるよ
東條は最初から開戦派では無かった現代の教育では、東條一人だけを悪者にしているが、この頃の軍部の影響力を考えると、東條は戦争を止めるのに必死だったのかな、とも思う
近衛内閣での陸相だった際は開戦積極派と目されていたけど、首相就任時に昭和天皇から外交優先の聖慮に応えようと国策の再検討を決定して開戦回避策を講ずる。一見相反することではあるけど、東條はあの緊迫して下剋上の風が吹き上げる当時の陸軍内を抑える為に敢えて開戦派を演じていたのではないか。生真面目で規則を重んじる東條にとって下剋上はもっての外。
まぁアメリカが戦争犯罪人に吊し上げたからね。
学校で東條が完全戦犯みたいに教わったから高校生になってやっとこの動画みて東條は戦争を避けるために奔走してたと知ってなんというか… やっぱり勝てば官軍負ければ賊軍なんだなって
「ハル・ノートを受け入れていれば領土も今より多くて、戦争せずに済んだ」って思うけど、当時の日本からみればやってきたことを全て無にされ、「自滅・降伏・戦争のどれかを選びな」って内容に取れたんだろうな。
東條さまも頑張ってたんですね
木戸幸一って幕末の木戸孝允の子孫かな
参謀本部が残した日誌である「機密戦争日誌」は、ハルノートについて「これで国論がまとまる。これぞ天佑だ」と陸軍参謀本部が喜んでいる様子を今に伝えている。
作戦部長田中新一の発言ですね。いわゆる東條人事で作戦部長になった人です。
日本「南部仏印進駐くらいでアメリカは怒らんやろ」アメリカ「ハル・ノートくらいで日本は開戦に踏み切らんやろ」双方が希望的観測で進んだ結果、未曾有の大戦争へ…
ボタンの掛け違いなんですよね。
ハルノート自体は試案でしか無いからね。日本には石油の備蓄やマレー作戦における海峡等のタイムリミットがあったので、日本にとって「譲歩した日本の要求(乙案)の丸呑み」または「開戦」という二択問題で乙案の丸呑みを拒否したと見なされて戦争しか選択がなくなった。
本国がドイツに占領され日本に石油を売らないと経済破綻してしまう蘭印との石油購入交渉(日蘭会商)を中止する日本の外交的失敗・・・ハルノートの影に隠れているけど、同時の日本の外交はアホとしか言い様がない・・・・
もうこの時点で誰が首相でも覆す政治家や軍人は居ない。永田鉄山がどうの石原莞爾がどうのと言っている人をよく見かけるけど、天皇の意向さえなんとも思わない軍部が首相に従うとは思えない。アメリカを怒らせて、しかも繰り返す。無理ゲーなんよ。
おっしゃるとおり。当時のアメリカから見れば大日本帝国は全体主義体制のならず者国家。だから、わかりあえるはずがない。そもそも全体主義国家へのレールを敷いたのは永田、石原だしね。
三国同盟の旗を見たとき、ドイツもイタリアも国旗のデザインが変わってるのに、大日本帝国だけ変わってない。
なんか二次大戦期になると無駄なメンツとかプライドを重視して不毛な選択をすることが目立つなぁ結局満州事変のときにリットン報告書を受諾できなかったのが日本政府の上層部の様相を全て表してる気がしてきた
ハルノートはあまりにも強硬すぎ・・・我が国が譲歩したのに。
ハルノートは日本の中国権益に十分配慮したものだったんですけどね
@@ポー乱太郎いや、は?
@@よしな-l7q 日本の特殊権益については理解を示し、中国の自治権の下ではありますが自治政府樹立を提言しています。
日本が9カ国条約を破って満州を侵略したりパリ不戦条約を破って中国を侵略したりとアメリカを挑発したのが悪い。フィリピンの安全保障上アメリカが日本に対して強硬な対応するのは当然。
当時の日本に日独伊の破棄は無理だろうし、撤兵も国民が口出ししてくるしでどうしようもなくないか?
そもそもこんな事態を招いたのが悪い
嶋田繁太郎がA級戦犯でなく、死刑免れたのはおかしいな。広田弘毅を救って欲しかった。
嶋田が死刑でも広田は死刑だったと思うよ。中国はなんとしても松井、板垣、土肥原、近衛の首を取りたかったけど近衛が自殺したからその身代わりになった。文官の大物で南京事件時の外相という理由も付けられるし
広田は悲劇の政治家と見られているけどそうとは思えない。ただ死刑が妥当かと言えば微妙ですね。
死刑が重かったのは事実だと思うけど「悲劇の宰相」かと言われると違和感がある。落日燃ゆの影響が強いのかな
広田は外交でも総理としても正直評価は低いぞ。南京陥落時の条件吊り上げ、現役武官制の復活と日本が戦争に進んだ背景を作った張本人だからな。戦犯と呼ぶには十分すぎる
東条英機首相のエピソード東条首相がある人の生徒に対して、「敵機は何で撃ち落とすですか」質問し 生徒は機関銃で撃ち落とす答えたら「違う 敵機は精神力で落とすのである」と答えシーンが大変有名ですね。 東条首相は、精神主義(気持ちが大事)昭和天皇はアメリカとの戦争を後ろ向き考え方だったのですが、永野修身が昭和天皇に「大阪の夏の陣」話をしています。大阪冬の陣で徳川と豊臣で和平し、徳川によって大阪城の濠を埋められ 翌年の夏の陣で豊臣は滅ぼされている。つまり、今戦争を選択肢しなかったら、アメリカにやられてしまうは、今アメリカ戦争し勝てる可能性がある それを聞いて、昭和天皇も戦争する決めたと言われていますね。ハルノートハル国務長官は①中国・仏印から無条件全面撤退 ②汪兆銘政権の否認 ③中国における諸権益の放棄など日本側見れば到底条件を受け入れることが難しく 戦争につき進む選択を選んだハルノートの原案を作ったハリー・ホワイトだと言われている。彼はソ連のスパイです。どっちにしろ 日本にとっては難しい選択かなと思いました。
歴史にIfはないですが乙案を提示した時に現在の中露の(特に中国)世界的立場を米英に伝えることが出来たら米英はどう動いてたんだろうか?
うちの婆ちゃんが最も大嫌いな首相=東条英機。今も存命でこの動画を見せてどんなコメントをしたかな?と思ったりします。
東条さんも責任はあるけど流石に戦後教育は無茶苦茶すぎる東條下げが酷い当時の状況下で対米戦を避けるのは厳しい
東條元首相はもう罰を受けてます。だからそろそろ許してあげて欲しいですね
差別的なABCD包囲網で石油止められた中、ギリギリまでよく耐えたよ
どこが差別?
中国でめちゃくちゃやったから報復されたの知らない?
一応オランダは、アメリカの圧力でそうしただけで乗り気じゃ無かったから日本に石油売ろうとしてた。でもソ連も敵だったからABCDS包囲網だと思う。
アメリカは戦争をしたがっていたと思うのでアメリカとの開戦は避けられなかったでしょうね。
それは日本に都合の良い解釈ですね。アメリカもなるべく戦争を避けていました
擁護する訳ではないけど、ルーズベルト政権も最初は日本の行いに関しては寛容でした。
寛容か❓1933年の時寛容だったのは、フーバー大統領だった気がする
アメリカよりもイギリスが日本の参戦に火をつけた感じか…
英国はヨーロッパで独に駆逐。空戦で何とか。上陸作戦の困難で一息。日本の南方進出に単独は厳しい。米頼み。中国も。チャーチルは気にくわない人物だが、英国を大戦の中切り抜けさせた点は傑物の評価です。 オマケ『真珠湾攻撃』の報告を聞いたチャーチルが、これで米が日本と本気で戦争をするのを確信。一番喜んだのはチャーチル、二番目は、世論に大義名分のルーズベルト。陰謀論の出る幕なし。
ちゃんと「アジア太平洋戦争」と言ってるのが流石と思った。
俺としては大東亜泥棒戦争と言うべきと思う。
@@supremegarbage9796なんでやねん
@巨人ファン-k1kさん実際に泥棒をしに行ったではありませんか。
大東亜戦争でいいんですよ、太平洋戦争というとこの戦争の意義が見いだせなくなる。
勘違いしとる人多いけど盧溝橋事件〜降伏 大東亜戦争真珠湾攻撃〜降伏 太平洋戦争 だから
アメリカとしてもドイツとの戦線もあり太平洋での戦争はできれば避けたかったはず。なぜそんな強硬に出たんだろう。日本人は欧米人から見て大したことないように思うかもしれないけど、追い詰めちゃだめだよね。わたしは日本人だけど客観的に見てそう言えると思う。アメリカもこんな戦争おっ始めて初めの思惑にない大きな損失、打撃を被ったと思う。
欧米の交渉は初手で「結論なり極論はっきし言う」→「そこから条件詰めていくなり譲歩示す」だから日本と逆→結論が先送り、「話し合いは譲り合いという認識」&「争いを避けるための知恵である『威嚇』をせずに、思う通りじゃなかったらいきなり刺し違えようとする」なお自分はこうしたいってのは言わない(空気読め)アメリカ視点だと秀吉「早く氏政上洛しろよ言っただけやん…沼田裁定も温情見せ立ったのに何で名胡桃事件起こしたんや」ってのと似た感じだったんかね…
ドイツを潰す口実と世論を開戦に傾けさせたかったんだよ。
愈不了解軍事現實的人,愈會輕率言戰,這個海軍大臣是典型例子😴美國當時民意還有三分之一希望持續孤立政策不願參戰,所以這也是一條可能觸及美國國會否決權的界線,有一些說法認為美國希望日本開第一槍把美國帶入戰爭然而珍珠港和菲律賓的慘重傷亡,這未必是美國當初願意付出的代價。美國把三艘航母調離珍珠港的確很可能其實知道珍珠港將會受襲,但日本艦載機的攻擊效率相信美國完全低估了。美國艦隊和港口遭受沈重打擊後,也令菲律賓的美國駐軍孤立無援,這個肯定是美國的誤算
「開戦した後に、どう終結させるか?」を考えずに戦ったのは愚か。日露戦争の教訓が活かされていない。歴史から学ばない日本は、精神論で突き進み敗北する。
日中戦争が始まりだったんすかねぇ
秀吉の朝鮮出兵やな
こうなれば開戦はやむなしですね。2手3手前で講和出来ていたら、、、。
アメリカと仲良くしたくて東條英機を内閣にする事自体矛盾なんじゃないの東條も海軍に行ってほしければ根回ししとくべきだったなたぶんだろう、で見誤っている局面が一杯ある気がする雰囲気だけで現実的にはいい加減で責任のおしつけあいと曖昧さのなかでなんとなく始まった戦争やっつけ仕事で焦りに押されて見切り発車でていうのはうまくいかない
どれだけ言い訳をしようとも戦争を始めて何百万人も殺されて負けた時点で結果責任がある
負けたのだから責任があるのは当然。勝ったら良かったんだよ。
この時期の日記をみると東條たち政府側は頑張ってるのに統帥部が統帥権を盾に突き上げてくるのを抑えきれてない。結局統帥権干犯問題による憲法の欠陥がここまで尾を引くとは...
後の東京裁判で最高判事のパール判事が「ハルノートなんてものを突きつけられたらモナコやルクセンブルクの様な小国でも矛を取ってアメリカと戦うだろう」と言わしめる程には屈辱的な内容だったんだよな、ハルノートって。
上層部の人達は良い案が思いつかず、戦争に逃げたんでしょうね。
逃げたって言い方間違ってないかね?戦争は世論が決めたことだよ戦後教育では、まるで軍部が戦争に舵を切ったように言われているがそれは国民の責任逃れでしかない。
軍部が力を持ちすぎると、総力戦を見誤るんよ。
戦争屋は米国の対日参戦ありきで動いていたからコミュンテルンの工作と相まってそりゃこうなるわな
戦略目標、国益とはなにか、どう守るが絶対要件であるにも関わらず、手段の議論が入り込み過ぎて結局、情勢論に流される。ハル・ノートの通告も情勢材料に過ぎない。
戦争に勝てなかったのが本当に残念だ。
普通に考えれば勝てるわけない
勝ってなくて正解だったと思うけどなーifストーリーでしかないけどもっと共産勢力が強くなってたと思うよ
ハル・ノートは満州国を認めてるよね。これについては日米諒解案でも日本側はある程度いいとなっていたはず。なので、ハル・ノート突きつけられてたので戦争突入を仕方ないとはならないはず。こういう歴史認識を修正する流れは駄目だろう。
近衛内閣の問題を放置したのも問題。日中間の問題をなおざりにしていた上人情深い人らしいがそれを人事にかぶせるし。
近衛続投の方が避戦できた説東条じゃ無理よ
終戦の仕方が分からず慌てふためく姿はまさに「放火犯の火消し」
情報が漏れていたのが致命的ですね。アメさん、リアルチートですもん。
東海大の松前を南方の死地に追いやった男。
中国の権益を手放せば開戦しないですんだ。日中戦争も大義がなくすぐ終わると考えた陸軍が深追いし泥沼にはまってしまった。これが軍に政治を左右される国の末路。
ハル・ノートの条件を下げようと努力せずに即開戦を決定するの外交noobすぎ
兵庫の斎藤吏員には政治責任、結果責任を求めて、東條にそれを求めないのはおかしい。
それは近衛にいうセリフ
ブリカス…ドイツはアメリカがいればなんとかなるという矛盾した対応だな。
もちろんトップも悪いけど当時の国民やメディアが愚かだから愚かな選択を取るしかなかったんじゃないかな
ドイツは兎も角イタリアとの同盟に何の意義があったのだろうか?陸軍も海軍も優秀な指揮官がその能力を発揮できる機会を与えられなかったのは残念。天皇がはっきり非戦を発せられたら360万人以上の尊い生命が助かったはず。
何かあれば直ぐ死んでいった同胞とか言いながら 言っている人は実は椅子に座り 命の危険がない
西城秀樹?
ハルノートの冒頭には、これは試案であって義務ではない、との但し書きがあったそうですから、アメリカは条件を全部飲めとは言ってないし、最後通告の意図もなかったと考えられます。そもそもハルノートは公式文書でもなく、ノートというのはメモとか覚え書きのことです。開戦は既に御前会議で決まっていて、もしハルノートが存在しなかったとしても真珠湾攻撃は行われていたので、ハルノートによって開戦が決まったという話は違います。負けると思って戦争始める人はいません。日本が開戦を決意した理由は、アメリカが油断しているうちに叩けば勝てると開戦を急いだからです。戦争に勝つために日本は交渉を蹴ったのが本当ですよ。
ブリカス😮
ブリカス
世界中で中国を護ってて草。アメリカとイギリスは中国の仲間ww
東條英機なんかを信用した木戸幸一の罪は大きい。
対米主戦論の牙城が陸軍で、当時その陸軍を抑えつつ外交決着と戦争遂行の両方をできる人物は陸軍の東條しかいなかった。責めるべきはあの状況まで事態を悪化させた前内閣と統帥部。
後で考えましょう 後で考えましょう の繰り返しが
「はいこれまで!!」「もはやこれまで」になってしまいました
シンプルに要点を押えた解説をありがとうございます。決断を迫られた立場の方はさぞ苦しかったことでしょう。
今週も勉強になりました!
なんか国全体で戦争に乗り気だったと思っていたから、戦争に反対していた人が上層部にもいて、こんなに戦争を回避しようと頑張っていたとは思っていなかった、、。
東條さんもどんどん戦争していこうとしていたのかと思っていたが、むしろ戦争反対派だったことが驚き
だし、結局そもそも日本にほとんど資源がない時点で、もう負けが決まっているようなものなのかと思った
@@mzk-uz2me
あ、まあ回避に努力してたのは良いことなんだけど、対ソならまだともかく(いやきついけど)中国戦線を解決できぬままの状態で対米開戦はほぼ必敗だった。
海軍長官自体がアメリカには勝てないと認めてる。
ちなみに開戦時の戦力比較だと資源量とか生産力とかあらゆる事を勘案して大体日米1対10。唯一開戦時に持ってた艦隊や軍の規模とパイロットの練度は上だった。なお、終戦時にはこの戦力差は日本の衰えとアメリカの大生産もあって1対100になった。
対ソ連でも当然国力は負けているが、アメリカほどの格差では無い上、ドイツと挟み撃ちになるからまだマシ
昭和16年改正の防空法見ると日本も粛々と戦争を意識していた事がわかる
戦争回避に日本がこんなに尽力を尽くされていたことにとても衝撃でした。。 学校だと断片的なところしか教えられずなぜアメリカに対して開戦を踏みきったのか疑問に感じていましたが、とてもすっきりすることができました。
尽力を尽くす、という言葉は頭痛が痛い、と同じ不適切な言い回しです。「尽力」は力を尽くすこと全てを意味します(尽力する、で一つの動詞になることから明らか)。力を尽くす、精を尽くす、が正確です😂
WGIPです
@@カンガルー-w2iまぁええやないか
なんかこうやってみるとアメリカ人野蛮ですね。戦争をしかけ原爆まで落とした訳ですから。
@@カンガルー-w2i
そういうのは自分の部下にだけやっとれよ、決裁文書でもないのにいちいち言わんでいいわ苦笑
開戦までの経緯について詳しく説明していただきありがとうございます。日本政府は直前まで戦争回避に奔走していたのですね。
これは個人的意見ですがここまで来れば当時の情勢を鑑みて開戦やむなしだっただろうなと思ってしまいますね。
東久邇宮内閣は戦後すぐに誕生しましたが、東條内閣の代わりに誕生していた可能性があった事を知った時は驚きました。
竹田恒泰氏がこれについて言及していました。
負ける可能性が少しでもある戦争を始める首相が皇族であってはならない。
戦後復興する日本の首相は皇族が最適解であった、と言う様なお話でした。
ハル・ノートが最後通牒であるかの議論は、後からの議論に過ぎない。少なくとも当時の政治家はハル・ノートを最後通牒と理解したし、アメリカもそう認識していた。
ハルは日本にハル・ノートを提示した後、スチムソン陸軍長官に「今や事態は陸海軍が処理すべき段階にきている」と述べている。
ハル・ノートを手交する前日には、ルーズベルトはホワイトハウスにスチムソン、ノックス、マーシャル、スターク、ハルを集めて会議し、「最初の一発を撃たせる立場に日本をどう誘導するか」について議論した。戦後スチムソンは日本に最初の1発を撃たせることは、世論の支持を得るために必要だったと証言している。
アメリカが戦争回避の熱意を有していなかったことは明らかと言わざるを得ない。
ハル・ノートを日本に手交したことは公にせず(戦後明らかになった)、ハル・ノート手交後に天皇に向けて和平を願う公電を打ったこと(12月6日)は直ぐに公表している。
ハルは公電を「ただ送ったという事実を記録に残すだけのものだ」と論評している。
最後通牒かどうかなんて自分にはよくわかりませんが。
とりあえず日米双方要求を出し尽くして、お互いどう妥協するかを探っている段階で、日本が出した妥協案に対する返答がほぼ初期の要求と同じだったわけです。
そりゃあ日本はアメリカがもう交渉する気がないと思うでしょうし、アメリカも日本がそう判断すると分かっているでしょう。
つまりもうこの段階ではアメリカは戦争をする気だったと判断するのが妥当でしょうね。
厳密な意味で最後通牒であったかどうかなんて戦後の責任論がらみの言葉遊びでしかないと思います。
昭和16年に改正された防空法を見ると日本も開戦する事がまんざらでも無かったとわかります。
日本は敗戦国で、先の大戦で散っていったのが同胞だから贔屓目に物事を見てしまう気持ちは理解出来ますが、日本も一方的な被害者じゃなかった事だけは言います
でも確かに日中戦争の終わらせ方って考えたら本当に難しすぎて撤兵も難しい、国民への説明も難しい、どうしたら良かったのか結局方法が無いから開戦にズルズルと繋がってしまったのかなと。
木戸光一メガネの度数強すぎてプリクラ並みに目デカくて盛れてる
今までの流れを全て振り返ると最後のハルノートは当時の情勢と上層部流れを見て全部そういう経緯だったんだなと思いました。満州国成立の時点か仏印進駐か、内閣での報告、連絡、相談、で運命がもう決定的になっていたような気がしますね。誰が本当の原因なんでしょうね。
でもこの情勢と結果だと開戦になってしまうのも無理なかったのかもしれないですね。
>誰が本当の原因?
暗殺された永田鉄山です。
東條、武藤、田中は彼の理念を引き継いだ軍人
いわゆる陸軍パンフレットは永田鉄山の理念そのものですしね。
@@てりえてりえ 本当ならヒトラー・ムッソリーニと並ばなきゃいけないのは永田鉄山ですからね。
相沢三郎による暗サツで命を落としたにも関わらず、その意思が独り歩きしたのが…
@@コーティー
永田が唱えた
「総力戦のための資源獲得」
それを具現化したのが
張作霖爆殺→満州事変→華北分離工作→日中戦争→仏印進駐→太平洋戦争。
永田なき後を引き継いだ統制派は永田の総力戦構想を忠実に実行しようとした点では一貫性がありました。
@@コーティー
生きててもアレやけど、死んだ事で永田の意思を引き継ぐ人達が殉教的になったというかより熱心になったんやろな。アイコンになってしまった。
@@てりえてりえ
そもそも物理的に考えたら日本人が見た事もないくらい中国大陸は大きくて、奥地にいくほど地形も厳しいのに中国を一撃で倒せるって考えが蔓延ったのもひどい。
学校では教えてくれない重要な歴史を分かりやすく説明して頂いて毎回勉強になりますm(_ _)m
満州事変から考えればいくらでも縮小するチャンスはあったのに😢
この転げ落ちる15年間は日本人にとってはキツいけど1番理解しとかないとダメな期間。
山本五十六はアメリカに留学して実際に見ていた。
あんな進んだ巨大な国と戦争は無理だと言って反対していたのに、
皮肉にも連合艦隊司令長官になってしまった。
太平洋戦争の開戦、先生のどんな編集が見られるのか楽しみです
先に見た者です。ネタバレはできませんが、傑作でしたよ!
@@rekitetsuotaku これは期待大!
ハルノートが理不尽と言われる理由が分かりました。
ありがとうございます。
ふざけたハルノートの内容知ったら、一矢報いろ!と思った。
よく開戦を決意してくれた!!
経済制裁なんて、相手国の経済人も金儲けができなくなり不満を抱いているから、今のロシアのように骨抜きにする方法はいくらでもあったのに、当時の内閣と世論は頭が硬直過ぎ。
なお、オランダ領インドネシアは、本国がドイツに占領されて経済的破綻まっしぐらで、日本に石油を売りたくて売りたくて仕方が無かった。
@@am4270 まあ負けたら意味ないけどね。
理不尽でもなんでもない。それまでの経緯を踏まえればアメリカがそうするのは予想できる。陸軍の暴走が日本敗戦の一番の原因なのは間違いないけど、当時の日本の外交は壊滅的に終わってる
@@あわあわわわ-j4g 世界中を敵に回して、善戦した方だと思う。アメリカにも一定の損害を与えることができた。アジア諸民族の独立も達成できた。ただ、戦後日本人が利己主義に染まり腐敗したのは誤算。
引くべきときには引くこと、降参するカードを持つこと、例え恥でも人が言うのを待たず自分が言うこと
すごく学びが多かった
東條が戦争反対派やったの知らんかった
陸軍が突っ走ったと思ってた
それはカムフラージュだよ😂天皇は和平派だから天皇には忠実に振る舞いつつ本心は戦争したいの😊
やっぱ教育って大事だよね。学校では東條が全部悪いみたいなことばっか教える
東条英機氏だけでなく、海外特に米視察の経験者たちは、陸軍・海軍関係なく、対米反対・慎重派です。
東條英機は 戦争反対派ではないですよ。
強硬派でしたが、首相になって 天皇陛下が 和平を望んでいるのを知って 開戦回避に走ったのです。
東條英機は 無能ではないが、この局面を 乗り切るだけの能力は無かったと言う事です。
@@ジョージアS 様へ。
意見はわかります。私が言っているのは『対米』に関しては慎重だった、という事実です。
陸軍でも対米なら中国から撤退、米に全力。少数派です。対中で15万もの戦死者、何の成果なしは言い訳できない。無理な戦争へと突き進みます。
このことは、会議を重ねた資料からあきらかな事実です。
サンクコスト効果っていうんでしたっけ。
引くに引けなくなってズルズルいっちゃうこと。
当時の日本も今のロシアウクライナも、思いを馳せると辛いわ。
コンコルド効果とか?
今では経済学的な意味を含んだ用語になっていますね。これまでに発生した費用や損失が無意味に帰するのを嫌って、実質的に破綻している取り組みを止める判断ができなくなる、という意味合いで使います。
BGMが段々と暗くなってくる…
令和の今の時代は、いろんな事後情報があって、実は…など色々あるけど、亡くなった明治生まれの祖母は、あの状況じゃどうにもならなかったって言ってたな…
祖母は、よく当時の状況下で生きてるだけあってよく知っていますね素晴らしい👍自分の祖父も戦争について詳しく知っていました。
その当時の一般人なんか国際情勢も政治も何も知らん無学の集まりでしょ?
政府は確実に負ける戦争した、わかってたのに、それが全て。南京なんか放棄しときゃよかっただけ。
ちがうね。回帰不能点はもっと前にあった。満州事変での暴走を放置してた軍、政府、国民みんな悪い。アメリカに無理難題押し付けられたから仕方がなかったなんて他責に語るのはよくないよ。
なんか、日本の政治ってリーダーがいないから、周りばっかり気にして最悪の方向に行ってしまうんだな。戦前もそうだし、コロナの時もそうだったよな。結局苦しむのは国民なんだよな…。
コロナ禍ではどのようなリーダーまたどのような政策が理想でしたか?
私はコロナ禍飲食業で自粛の影響を受けました
コロナ感染もしたので自粛、感染両方の痛みを知りました
え?政治家がリーダーシップを持ちこうやると言ったら批判して独裁者と言うでしょ?
あなたもマスコミも。
もっと言えば、子供の頃から自分の意見を持って自信を持ちなさいって教えない。
周りと協調し、周りに迷惑にならずにしなさいって価値観なんだからリーダーシップを持った政治家なんで出るわけないじゃないか😂
その上、総理大臣は国民から直接選ばれた訳じゃないし、アメリカの大統領のように権限があるわけでない。日本の政治システムが調整型を良しとしてる。
投票率も低い。それこそ日本国民をまさに象徴した政治家なんよ。
国民が自分勝手なのに他人任せってのもある
でも、本当のリーダーが出てくると「民主国家なのに独裁政治など許されない。国民の声を聞け」と非難されるんだ。
勝手な国だよ。
@@田中-r2d マスコミの煽り報道に屈しないで「経済を止めてはいけない、子供や若者の希望を奪ってはならない」とはっきりと言う指導者が必要だった。しかし、年寄りの多い日本ではテレビに洗脳された年寄りが恐怖に怯えて「自粛しろ」と政府に迫った。それがコロナ禍の悲劇だったと思いますね。
勝った国が正義なんですね......
そうともいえない
枢軸側が勝っていれば世界中が今のロシアとか中国みたいな暗黒の国だらけになってましたからね。
当然ですね。
東條も責任は重いけど個人的には近衛の方が責任重大かな。
日中戦争もっとどうにか出来ただろ感が否めない。
その後の対米開戦も回避出来たかもしれないのに。
近衛というより近衛内閣が責任重いと思うけど、トップの近衛文麿も責任重大です日中戦争(支那事変)や松岡洋右の件そして日独伊三国同盟これはヒトラーとミュンヘンで会談した秩父宮殿下が大変反対しておりました。今でもかなり愚策だったと思います。
@@konohamautokoronihihamoezu
どの時代も政治というのはタイミングと外交が命取りですよね…。
近衛にも考えはあったかもしれないけど、やはり意思薄弱さと流れに身を任せるような政治をすればそのツケは国民が払うことになる。
@@supremegarbage9796 意思示したら5.15や2.26みたいに「お気持ち」で消される(物理)だから皆忖度するようになってしまったんだよなぁ…
ソ連のスパイがアメリカで暗躍してたし避けられない
日本側の意思決定も酷いが、あちらさんも分かってて追い詰めてきてるよな
満州事変、仏印進駐なんて狂った判断をその前にしてるからこうなってんだよ。他責、被害者ヅラはみっともないからやめたほうがいいよ。
そもそも石油が無い状況で戦争始めようとは思わないやん...日本さんがちょっと早とちりしたからでもあるよ
東條は最初から開戦派では無かった
現代の教育では、東條一人だけを悪者にしているが、この頃の軍部の影響力を考えると、東條は戦争を止めるのに必死だったのかな、とも思う
近衛内閣での陸相だった際は開戦積極派と目されていたけど、首相就任時に昭和天皇から外交優先の聖慮に応えようと国策の再検討を決定して開戦回避策を講ずる。一見相反することではあるけど、東條はあの緊迫して下剋上の風が吹き上げる当時の陸軍内を抑える為に敢えて開戦派を演じていたのではないか。生真面目で規則を重んじる東條にとって下剋上はもっての外。
まぁアメリカが戦争犯罪人に吊し上げたからね。
学校で東條が完全戦犯みたいに教わったから高校生になってやっとこの動画みて東條は戦争を避けるために奔走してたと知ってなんというか… やっぱり勝てば官軍負ければ賊軍なんだなって
「ハル・ノートを受け入れていれば領土も今より多くて、戦争せずに済んだ」って思うけど、当時の日本からみればやってきたことを全て無にされ、「自滅・降伏・戦争のどれかを選びな」って内容に取れたんだろうな。
東條さまも頑張ってたんですね
木戸幸一って幕末の木戸孝允の子孫かな
参謀本部が残した日誌である「機密戦争日誌」は、ハルノートについて「これで国論がまとまる。これぞ天佑だ」と陸軍参謀本部が喜んでいる様子を今に伝えている。
作戦部長田中新一の発言ですね。
いわゆる東條人事で作戦部長になった人です。
日本「南部仏印進駐くらいでアメリカは怒らんやろ」
アメリカ「ハル・ノートくらいで日本は開戦に踏み切らんやろ」
双方が希望的観測で進んだ結果、未曾有の大戦争へ…
ボタンの掛け違いなんですよね。
ハルノート自体は試案でしか無いからね。日本には石油の備蓄やマレー作戦における海峡等のタイムリミットがあったので、日本にとって「譲歩した日本の要求(乙案)の丸呑み」または「開戦」という二択問題で乙案の丸呑みを拒否したと見なされて戦争しか選択がなくなった。
本国がドイツに占領され日本に石油を売らないと経済破綻してしまう蘭印との石油購入交渉(日蘭会商)を中止する日本の外交的失敗・・・ハルノートの影に隠れているけど、同時の日本の外交はアホとしか言い様がない・・・・
もうこの時点で誰が首相でも覆す政治家や軍人は居ない。永田鉄山がどうの石原莞爾がどうのと言っている人をよく見かけるけど、天皇の意向さえなんとも思わない軍部が首相に従うとは思えない。アメリカを怒らせて、しかも繰り返す。無理ゲーなんよ。
おっしゃるとおり。
当時のアメリカから見れば大日本帝国は全体主義体制のならず者国家。
だから、わかりあえるはずがない。
そもそも全体主義国家へのレールを敷いたのは永田、石原だしね。
三国同盟の旗を見たとき、ドイツもイタリアも国旗のデザインが変わってるのに、大日本帝国だけ変わってない。
なんか二次大戦期になると無駄なメンツとかプライドを重視して不毛な選択をすることが目立つなぁ
結局満州事変のときにリットン報告書を受諾できなかったのが日本政府の上層部の様相を全て表してる気がしてきた
ハルノートはあまりにも強硬すぎ・・・
我が国が譲歩したのに。
ハルノートは日本の中国権益に十分配慮したものだったんですけどね
@@ポー乱太郎いや、は?
@@よしな-l7q 日本の特殊権益については理解を示し、中国の自治権の下ではありますが自治政府樹立を提言しています。
日本が9カ国条約を破って満州を侵略したりパリ不戦条約を破って中国を侵略したりとアメリカを挑発したのが悪い。フィリピンの安全保障上アメリカが日本に対して強硬な対応するのは当然。
当時の日本に日独伊の破棄は無理だろうし、撤兵も国民が口出ししてくるしでどうしようもなくないか?
そもそもこんな事態を招いたのが悪い
嶋田繁太郎がA級戦犯でなく、死刑免れたのはおかしいな。広田弘毅を救って欲しかった。
嶋田が死刑でも広田は死刑だったと思うよ。中国はなんとしても松井、板垣、土肥原、近衛の首を取りたかったけど近衛が自殺したからその身代わりになった。文官の大物で南京事件時の外相という理由も付けられるし
広田は悲劇の政治家と見られているけどそうとは思えない。ただ死刑が妥当かと言えば微妙ですね。
死刑が重かったのは事実だと
思うけど「悲劇の宰相」かと
言われると違和感がある。
落日燃ゆの影響が強いのかな
広田は外交でも総理としても正直評価は低いぞ。南京陥落時の条件吊り上げ、現役武官制の復活と日本が戦争に進んだ背景を作った張本人だからな。戦犯と呼ぶには十分すぎる
東条英機首相のエピソード
東条首相がある人の生徒に対して、「敵機は何で撃ち落とすですか」質問し 生徒は機関銃で撃ち落とす答えたら
「違う 敵機は精神力で落とすのである」と答えシーンが大変有名ですね。 東条首相は、精神主義(気持ちが大事)
昭和天皇はアメリカとの戦争を後ろ向き考え方だったのですが、永野修身が昭和天皇に「大阪の夏の陣」話をしています。
大阪冬の陣で徳川と豊臣で和平し、徳川によって大阪城の濠を埋められ 翌年の夏の陣で豊臣は滅ぼされている。
つまり、今戦争を選択肢しなかったら、アメリカにやられてしまうは、今アメリカ戦争し勝てる可能性がある
それを聞いて、昭和天皇も戦争する決めたと言われていますね。
ハルノート
ハル国務長官は①中国・仏印から無条件全面撤退 ②汪兆銘政権の否認 ③中国における諸権益の放棄など日本側見れば
到底条件を受け入れることが難しく 戦争につき進む選択を選んだ
ハルノートの原案を作ったハリー・ホワイトだと言われている。彼はソ連のスパイです。
どっちにしろ 日本にとっては難しい選択かなと思いました。
歴史にIfはないですが乙案を提示した時に現在の中露の(特に中国)世界的立場を米英に伝えることが出来たら米英はどう動いてたんだろうか?
うちの婆ちゃんが最も大嫌いな首相=東条英機。今も存命でこの動画を見せてどんなコメントをしたかな?と思ったりします。
東条さんも責任はあるけど流石に戦後教育は無茶苦茶すぎる東條下げが酷い当時の状況下で対米戦を避けるのは厳しい
東條元首相はもう罰を受けてます。だからそろそろ許してあげて欲しいですね
差別的なABCD包囲網で石油止められた中、ギリギリまでよく耐えたよ
どこが差別?
中国でめちゃくちゃやったから報復されたの知らない?
一応オランダは、アメリカの圧力でそうしただけで乗り気じゃ無かったから日本に石油売ろうとしてた。でもソ連も敵だったからABCDS包囲網だと思う。
アメリカは戦争をしたがっていたと思うのでアメリカとの開戦は避けられなかったでしょうね。
それは日本に都合の良い解釈ですね。アメリカもなるべく戦争を
避けていました
擁護する訳ではないけど、ルーズベルト政権も最初は日本の行いに関しては寛容でした。
寛容か❓
1933年の時寛容だったのは、フーバー大統領だった気がする
アメリカよりもイギリスが日本の参戦に火をつけた感じか…
英国はヨーロッパで独に駆逐。空戦で何とか。上陸作戦の困難で一息。日本の南方進出に単独は厳しい。米頼み。中国も。
チャーチルは気にくわない人物だが、英国を大戦の中切り抜けさせた点は傑物の評価です。
オマケ
『真珠湾攻撃』の報告を聞いたチャーチルが、これで米が日本と本気で戦争をするのを確信。一番喜んだのはチャーチル、二番目は、世論に大義名分のルーズベルト。陰謀論の出る幕なし。
ちゃんと「アジア太平洋戦争」と言ってるのが流石と思った。
俺としては大東亜泥棒戦争と言うべきと思う。
@@supremegarbage9796なんでやねん
@巨人ファン-k1kさん
実際に泥棒をしに行ったではありませんか。
大東亜戦争でいいんですよ、太平洋戦争というとこの戦争の意義が見いだせなくなる。
勘違いしとる人多いけど
盧溝橋事件〜降伏 大東亜戦争
真珠湾攻撃〜降伏 太平洋戦争
だから
アメリカとしてもドイツとの戦線もあり太平洋での戦争はできれば避けたかったはず。なぜそんな強硬に出たんだろう。日本人は欧米人から見て大したことないように思うかもしれないけど、追い詰めちゃだめだよね。わたしは日本人だけど客観的に見てそう言えると思う。アメリカもこんな戦争おっ始めて初めの思惑にない大きな損失、打撃を被ったと思う。
欧米の交渉は初手で「結論なり極論はっきし言う」→「そこから条件詰めていくなり譲歩示す」だから日本と逆→結論が先送り、「話し合いは譲り合いという認識」&「争いを避けるための知恵である『威嚇』をせずに、思う通りじゃなかったらいきなり刺し違えようとする」なお自分はこうしたいってのは言わない(空気読め)
アメリカ視点だと秀吉「早く氏政上洛しろよ言っただけやん…沼田裁定も温情見せ立ったのに何で名胡桃事件起こしたんや」ってのと似た感じだったんかね…
ドイツを潰す口実と世論を開戦に傾けさせたかったんだよ。
愈不了解軍事現實的人,愈會輕率言戰,這個海軍大臣是典型例子😴
美國當時民意還有三分之一希望持續孤立政策不願參戰,所以這也是一條可能觸及美國國會否決權的界線,有一些說法認為美國希望日本開第一槍把美國帶入戰爭
然而珍珠港和菲律賓的慘重傷亡,這未必是美國當初願意付出的代價。美國把三艘航母調離珍珠港的確很可能其實知道珍珠港將會受襲,但日本艦載機的攻擊效率相信美國完全低估了。美國艦隊和港口遭受沈重打擊後,也令菲律賓的美國駐軍孤立無援,這個肯定是美國的誤算
「開戦した後に、どう終結させるか?」を考えずに戦ったのは愚か。
日露戦争の教訓が活かされていない。
歴史から学ばない日本は、精神論で突き進み敗北する。
日中戦争が始まりだったんすかねぇ
秀吉の朝鮮出兵やな
こうなれば開戦はやむなしですね。
2手3手前で講和出来ていたら、、、。
アメリカと仲良くしたくて東條英機を内閣にする事自体矛盾なんじゃないの
東條も海軍に行ってほしければ根回ししとくべきだったな
たぶんだろう、で見誤っている局面が一杯ある気がする
雰囲気だけで
現実的にはいい加減で
責任のおしつけあいと曖昧さのなかで
なんとなく始まった戦争
やっつけ仕事で
焦りに押されて
見切り発車で
ていうのはうまくいかない
どれだけ言い訳をしようとも
戦争を始めて何百万人も殺されて負けた時点で結果責任がある
負けたのだから責任があるのは当然。勝ったら良かったんだよ。
この時期の日記をみると東條たち政府側は頑張ってるのに統帥部が統帥権を盾に突き上げてくるのを抑えきれてない。
結局統帥権干犯問題による憲法の欠陥がここまで尾を引くとは...
後の東京裁判で最高判事のパール判事が「ハルノートなんてものを突きつけられたらモナコやルクセンブルクの様な小国でも矛を取ってアメリカと戦うだろう」と言わしめる程には屈辱的な内容だったんだよな、ハルノートって。
上層部の人達は良い案が思いつかず、戦争に逃げたんでしょうね。
逃げたって言い方間違ってないかね?
戦争は世論が決めたことだよ
戦後教育では、まるで軍部が戦争に舵を切ったように言われているがそれは国民の責任逃れでしかない。
軍部が力を持ちすぎると、総力戦を見誤るんよ。
戦争屋は米国の対日参戦ありきで動いていたからコミュンテルンの工作と相まってそりゃこうなるわな
戦略目標、国益とはなにか、どう守るが絶対要件であるにも関わらず、手段の議論が入り込み過ぎて結局、情勢論に流される。ハル・ノートの通告も情勢材料に過ぎない。
戦争に勝てなかったのが本当に残念だ。
普通に考えれば勝てるわけない
勝ってなくて正解だったと思うけどなー
ifストーリーでしかないけどもっと共産勢力が強くなってたと思うよ
ハル・ノートは満州国を認めてるよね。これについては日米諒解案でも日本側はある程度いいとなっていたはず。なので、ハル・ノート突きつけられてたので戦争突入を仕方ないとはならないはず。こういう歴史認識を修正する流れは駄目だろう。
近衛内閣の問題を放置したのも問題。日中間の問題をなおざりにしていた上人情深い人らしいがそれを人事にかぶせるし。
近衛続投の方が避戦できた説
東条じゃ無理よ
終戦の仕方が分からず慌てふためく姿はまさに「放火犯の火消し」
情報が漏れていたのが致命的ですね。
アメさん、リアルチートですもん。
東海大の松前を南方の死地に追いやった男。
中国の権益を手放せば開戦しないですんだ。日中戦争も大義がなくすぐ終わると考えた陸軍が深追いし泥沼にはまってしまった。これが軍に政治を左右される国の末路。
ハル・ノートの条件を下げようと努力せずに即開戦を決定するの外交noobすぎ
兵庫の斎藤吏員には政治責任、結果責任を求めて、
東條にそれを求めないのはおかしい。
それは近衛にいうセリフ
ブリカス…
ドイツはアメリカがいればなんとかなる
という矛盾した対応だな。
もちろんトップも悪いけど当時の国民やメディアが愚かだから愚かな選択を取るしかなかったんじゃないかな
ドイツは兎も角イタリアとの同盟に何の意義があったのだろうか?陸軍も海軍も優秀な指揮官がその能力を発揮できる機会を与えられなかったのは残念。天皇がはっきり非戦を発せられたら360万人以上の尊い生命が助かったはず。
何かあれば直ぐ死んでいった同胞とか言いながら 言っている人は実は椅子に座り 命の危険がない
西城秀樹?
ハルノートの冒頭には、これは試案であって義務ではない、との但し書きがあったそうですから、アメリカは条件を全部飲めとは言ってないし、最後通告の意図もなかったと考えられます。そもそもハルノートは公式文書でもなく、ノートというのはメモとか覚え書きのことです。
開戦は既に御前会議で決まっていて、もしハルノートが存在しなかったとしても真珠湾攻撃は行われていたので、ハルノートによって開戦が決まったという話は違います。
負けると思って戦争始める人はいません。日本が開戦を決意した理由は、アメリカが油断しているうちに叩けば勝てると開戦を急いだからです。戦争に勝つために日本は交渉を蹴ったのが本当ですよ。
ブリカス😮
ブリカス
世界中で中国を護ってて草。アメリカとイギリスは中国の仲間ww
東條英機なんかを信用した木戸幸一の罪は大きい。
対米主戦論の牙城が陸軍で、当時その陸軍を抑えつつ外交決着と戦争遂行の両方をできる人物は陸軍の東條しかいなかった。責めるべきはあの状況まで事態を悪化させた前内閣と統帥部。