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この速度の阿弥陀経は耳心地がいいですし、一緒にお勤めするのにもちょうどいいです。息継ぎするのにもやはり2人はいいですね
とてもお上手なので聞きながら覚えました☺️ありがとうございます!
大変聞きやすいです。ありがとうございます。大経、観無量寿経も、是非お願いいたします。
先日、大経の初段を配信させていただきました🙇♂️そちらもぜひご視聴ください🙇♂️
ありがとうございます。
登録しました!25歳になり急に仏教にハマりました😂こんなにスラスラ読めたらかっこいいですね!沢山読んで勉強なさっているんだと感動しました😊聞いていてとても心地よいです🌷今はゆっくりでしか読めないのでいつか同じペースで読めるように私も勉強してきます👍とてもいい刺激になりました🫡
登録ありがとうございました🙇♀️録音すると毎回反省ばかりです。大谷派のお勤めは声を揃えることが大事とされておりますので、それが難しいです🙇♀️ご感想いただき、励みになります。ありがとうございます🙇♀️
私は北京語で5分間一遍読みあがることは出来ます。現在日本語で読むことを練習しております。
コメントありがとうございます。日本語で練習されているんですね、読み慣れないお稽古大変かもしれませんが、頑張ってください🙇♂️
@@syomyo_wo_manabo 今年九月十四日までちょうど台湾お盆の期間のため、亡くなった方々へ日本語の仏説阿弥陀経を読み上げます。
動画が参考になっていただけたかは分かりませんが、また他の動画もぜひご視聴ください🙇♂️
末法一千多年以來,將《金剛經》講成斷滅空的.一百人有99.9人《金剛般若波羅蜜經》是大乘經典,衪講的不只是萬法皆空而已,重要的是在講我們本來的面目,真心如來藏。「若以色見我,以音聲求我、是人行邪道、不能見如來。」「不能見如來」是講,要見我們的自性如來藏,就要離色聲香味觸法才能見,也就是要離,見聞覺知心才能證得,禪宗所說的,離心、意、識,參。「一切有為法,如夢幻泡影,如露亦如電,應作如是觀。」前三句是講一切法空相,第四句「應作如是觀」也是講我們的自性如來藏,不然就成了斷滅空。(不論是”無住生心”或是”離相布施” 或是”若見諸相非相即見如來”,都離不開如來藏為根本,不然就成了斷滅空。)「應作如是觀」 就是第二般若時 轉入第三方廣唯識時的內涵。(很多人都解釋錯誤) 如果能了解唯識系”第八識如來藏”的內涵,《金剛經》就很容易看懂。所以達摩祖師以唯識系的《入愣伽經》作為開悟的標地,表示離佛陀越近,法越濃純。《入楞伽經》卷九云:世諦一切有,第一義諦無,而實體無相,是第一義諦。見於虛妄法,是故說世諦,因於言語生,無如是實體。略釋:「佛法中之世俗諦,是說三界一切法有生住異滅等種種三界有的法相,第一義諦則非三界有的法相,祂是無相的法界本體,此真實而無相的涅槃實體即是第一義諦。世間人唯見三界有的種種虛妄法相的存在,因此為他們開示演說佛法中的世俗諦,世俗諦也就是因為此文字語言的施設而有,無有像是第一義諦之涅槃本際一樣的實體自性存在。」佛弟子解釋佛法,不能像斷滅者那樣妄說,將「第一義諦無」斷句取義解釋為無有第一義諦的意思,因為這樣解釋的話,則接下來的「而實體無相,是第一義諦」就會說不通;並且以下一句「無如是實體」的世俗諦義開示來相比對,即能顯見應有「有如是實體,是第一義諦」的意義蘊含其中。所以,此段經文也沒有像斷滅者們妄說的「無有法界實相實體」之意涵。大乘起信論云二者聞修多羅說。世間諸法。畢竟體空。乃至涅槃真如之法。亦畢竟空。本來自空。離一切相。以不知為破著故。即謂真如涅槃之性。唯是其空。云何對治。明真如法身自體不空具足無量性功德故。這是破:認為真如涅槃是斷滅空:「認為緣起性空是究竟」。因為有些人不明了世間法、出世間法都是假名,並不是真實,卻認為是實有,所以才說畢竟體空,以破他們的執著。聽的人不知這是破著的語言,就執著語言妄計真如涅槃是斷滅空。如何對治呢?說明真如法身自體不空,因為具足無量性功德的關係。(第六意識是斷滅空)學佛就是要證得第八識如來藏心,而這個如來藏心是要離見、聞、覺、知,才能證得;是故禪宗祖師教人參禪曰:離心、意、識,參;也就是《楞嚴經》二十五種圓通法門所修。阿難!汝性沉淪, 不悟汝之見、聞、覺、知,本如來藏 ,汝當觀此,見、聞、覺、知,為生為滅?為同為異?為非生滅?為非同異?汝曾不知,如來藏中,性見覺明,覺精明見,清淨本然,周遍法界。隨眾生心。應所知量。佛言:「若人欲了知,三世一切佛,應觀法界性,一切唯心造。」馬鳴菩薩以止觀證得第八識如來藏的方法如下:《大乘起信論》若修止者。住於靜處。端坐正意。不依氣息。不依形色。不依於空。不依地水火風。乃至不依見聞覺知。一切諸想。隨念皆除。亦遣除想。以一切法。本來無想。念念不生。念念不滅。亦不得隨心外念境界後以心除心。心若馳散。即當攝來住於正念。是正念者。當知唯心。無外境界。即復此心亦無自相。念念不可得。這是廣明修習止觀的歷程,而修心入定的方法,在這當中也完全指示的很清楚。「住於靜處」就是遠離外緣熱鬧的地方。天台小止觀有說到:想修學入定,要先學習調和身、心、息。文中所說的「端坐」,就是「調身」,身體不俯下、不仰上,所以說「端坐」。「正意」就是「調心」,不昏沈、不掉舉,寂照現前,所以說「正意」。但是這裡所說的修止觀的方法是:不依氣息,因此不調息,不依氣息形色,這是離自身;不依虛空四大,是離外在的世界;不依見聞覺知,則是離心意識。所以古大德在教人參禪時都說:於内,要沒有身心之見,於外,也沒有世界之相,只須離心意識去參,要超越凡聖的方法去學,要遠離妄想境界的企求,因此這裡都說「不依」,也就是「脫離」的意思。「一切諸想」至「念念不滅」這五句,正是用心的方法。一切眾生,迷失了本有的真心,一向以來都是用妄想心在做事,因此現在要修習,最重要的就是去除念想。所以《楞伽經》中說:「從上諸聖轉相傳授妄想無性」這一句話,是最為明白切要。問:妄想無性,要如何除呢?答:「一切諸想,隨念皆除。」意思就是說:這一念乃是直心正念真如之念。現在用心,只要提起這一念為主,再沒有第二念,以這一念的觀照之力,若見妄想一起,就隨即一念照破,當下消滅,更不容其相續,這也就是永嘉禪師所謂的「斷相續心」,參禪的要訣,再也沒有超過這一念了,這已是明確的指出修行的重點。《楞伽經》卷一「……時楞伽王尋即開悟,離諸雜染,證唯自心住無分別;往昔所種善根力故,於一切法得如實見,不隨他悟;能以自智善巧觀察,永離一切臆度邪解,住大修行,為修行師,現種種身,善達方便,巧知諸地,上增進相,常樂遠離,心、意、意識,斷三相續見,離外道執著,内自覺悟,入如來藏趣於佛地。聞虛空中及宮殿內咸出聲音:「善哉大王!如汝所學,諸修行者應如是學,應如是見,一切如來應如是見,一切諸法若異見者則是斷見;汝應永離,心、意、意識,應勤觀察一切諸法,應修内行莫著諸見,莫墮二乘及諸外道,所修句義所見境界,及所應得諸三昧法;汝不應樂戲論談笑,汝不應起圍陀諸見,亦不應著王位自在,亦不應住六定等中。若能如是,即是如實修行者行,能摧他論能破惡見,能捨一切我見執著,能以妙慧轉所依識,能修菩薩大乘之道,能入如來自證之地,汝應如是勤加修學,令所得法轉更清淨,善修三昧三摩缽底,莫著二乘外道境界以為勝樂,如凡修者之所分別,外道執我,見有我相,及實求那而生取著,二乘見有無明緣行,於性空中亂想分別。楞伽王!此大乘行破無明翳,滅識波浪,不墮外道諸邪行中。楞伽王!外道行者執著於我作諸異論,不能演說離執著見識性二義。善哉!楞伽王!汝先見佛,思維此義,如是思維乃是見佛。」《央掘魔羅經》卷二:若諸眾生多背諸佛者,聞如來藏則生誹謗,彼諸眾生自燒種子。嗚呼!苦哉!苦哉!不信之人於三世中甚可哀愍。
このスピード感がちょうどいいな👍寝ながら聞いてる。不敬かな?
コメントありがとうございます。寝ながらでも、ご視聴いただけるだけでもありがたいです🧐
真宗大谷派のお寺の長男に生まれました。現代の真宗はどうあるべきかかんがえさせられます
コメントありがとうございます😭ただ試行錯誤するしかないですよねぇ🙇♀️迷ったらとりあえずやってみるのが大事なんじゃないかと最近つくづく思います🙇♀️
いつも拝見しております。大変勉強になります。音木の叩き方やそのご様子も拝見してみたいです。
コメントありがとうございます。音木の叩き方ですね!頑張って動画作れたらと思います🙇♀️早めにアップできるよう検討させていただきます。
僕も、浄土真宗の門徒なので、阿弥陀経は、大好き❤️です。
コメントありがとうございます。阿弥陀経はテンポがいいと本当に心地良いですよね!動画では、テンポがもう少し早くできれば良かったです🧐
ここまで、声がでないです!
いえいえ、お経は地道に研鑽していただければ最低限はできるようになるものかと思います🙇♀️自分ももっと研鑽させていただきます。
お経でも平きん使うんですか?
経鏧だけではなく、平鏧を用いる場合もあるかと思います。特に平生の法要に対して、特別な法要などの際には経鏧を用いる場合が多いのではないでしょうか。
お二人は准堂さんですよね?普段も准堂衣体 使ってるのですか?
コメントありがとうございます。衣体の問題も多々あるかもしれませんが、少しでも大谷派の声明の素晴らしさが伝わればいいかとゆう思いで撮影・編集・配信しております。ご指摘ありがとうございました。
しゃりほ とは何でしょう?
舎利弗というのは、お釈迦さまのお弟子の方の名前です。阿弥陀経はお釈迦さまが舎利弗に対して説いているお経で、舎利弗のことを対告衆(たいごうしゅう)といいます。舎利弗は、お釈迦さまのお説法に質問をしたりすることなくただただじっとお話を聞いているので、阿弥陀経は、無問自説経と呼ばれています。
阿弥陀経はお経だから、経キンで叩くのが本来と思ってましたが、平キンでも別に良いのですか⁉️
平キンで打つ場面もありますねぇ🙇♂️!
@@syomyo_wo_manabo 適当で良い感じなんですね。了解👍️
適当でとはいいませんが、どちらでも打つ場合はあります🙇♂️
お西(本願寺)と比べたら早めですね!
コメントありがとうございます。お東ですと、実際色んなペースで読まれていると思います。もっと早く読む場合もあります。ですので、必ず動画のペースになる訳ではないのでそちらだけよろしくお願いいたします。
落ち着きます
この速度の阿弥陀経は耳心地がいいですし、一緒にお勤めするのにもちょうどいいです。息継ぎするのにもやはり2人はいいですね
とてもお上手なので聞きながら覚えました☺️
ありがとうございます!
大変聞きやすいです。ありがとうございます。大経、観無量寿経も、是非お願いいたします。
先日、大経の初段を配信させていただきました🙇♂️そちらもぜひご視聴ください🙇♂️
ありがとうございます。
登録しました!
25歳になり急に仏教にハマりました😂
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登録ありがとうございました🙇♀️
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ご感想いただき、励みになります。ありがとうございます🙇♀️
私は北京語で5分間一遍読みあがることは出来ます。
現在日本語で読むことを練習しております。
コメントありがとうございます。
日本語で練習されているんですね、読み慣れないお稽古大変かもしれませんが、頑張ってください🙇♂️
@@syomyo_wo_manabo 今年九月十四日までちょうど台湾お盆の期間のため、亡くなった方々へ日本語の仏説阿弥陀経を読み上げます。
動画が参考になっていただけたかは分かりませんが、また他の動画もぜひご視聴ください🙇♂️
末法一千多年以來,將《金剛經》講成斷滅空的.一百人有99.9人
《金剛般若波羅蜜經》是大乘經典,衪講的不只是萬法皆空而已,重要的是在講我們本來的面目,真心如來藏。
「若以色見我,以音聲求我、是人行邪道、不能見如來。」
「不能見如來」是講,要見我們的自性如來藏,就要離色聲香味觸法才能見,也就是要離,見聞覺知心才能證得,禪宗所說的,離心、意、識,參。
「一切有為法,如夢幻泡影,如露亦如電,應作如是觀。」
前三句是講一切法空相,第四句「應作如是觀」也是講我們的自性如來藏,不然就成了斷滅空。
(不論是”無住生心”或是”離相布施” 或是”若見諸相非相即見如來”,都離不開如來藏為根本,不然就成了斷滅空。)
「應作如是觀」 就是第二般若時 轉入第三方廣唯識時的內涵。(很多人都解釋錯誤) 如果能了解唯識系”第八識如來藏”的內涵,《金剛經》就很容易看懂。
所以達摩祖師以唯識系的《入愣伽經》作為開悟的標地,表示離佛陀越近,法越濃純。
《入楞伽經》卷九云:
世諦一切有,
第一義諦無,
而實體無相,
是第一義諦。
見於虛妄法,
是故說世諦,
因於言語生,
無如是實體。
略釋:「佛法中之世俗諦,是說三界一切法有生住異滅等種種三界有的法相,第一義諦則非三界有的法相,祂是無相的法界本體,此真實而無相的涅槃實體即是第一義諦。世間人唯見三界有的種種虛妄法相的存在,因此為他們開示演說佛法中的世俗諦,世俗諦也就是因為此文字語言的施設而有,無有像是第一義諦之涅槃本際一樣的實體自性存在。」佛弟子解釋佛法,不能像斷滅者那樣妄說,將「第一義諦無」斷句取義解釋為無有第一義諦的意思,因為這樣解釋的話,則接下來的「而實體無相,是第一義諦」就會說不通;並且以下一句「無如是實體」的世俗諦義開示來相比對,即能顯見應有「有如是實體,是第一義諦」的意義蘊含其中。所以,此段經文也沒有像斷滅者們妄說的「無有法界實相實體」之意涵。
大乘起信論云
二者聞修多羅說。世間諸法。畢竟體空。乃至涅槃真如之法。亦畢竟空。本來自空。離一切相。以不知為破著故。即謂真如涅槃之性。唯是其空。云何對治。明真如法身自體不空具足無量性功德故。
這是破:認為真如涅槃是斷滅空:「認為緣起性空是究竟」。因為有些人不明了世間法、出世間法都是假名,並不是真實,卻認為是實有,所以才說畢竟體空,以破他們的執著。聽的人不知這是破著的語言,就執著語言妄計真如涅槃是斷滅空。如何對治呢?說明真如法身自體不空,因為具足無量性功德的關係。
(第六意識是斷滅空)
學佛就是要證得第八識如來藏心,而這個如來藏心是要離見、聞、覺、知,才能證得;是故禪宗祖師教人參禪曰:離心、意、識,參;也就是《楞嚴經》二十五種圓通法門所修。
阿難!汝性沉淪, 不悟汝之見、聞、覺、知,本如來藏 ,汝當觀此,見、聞、覺、知,為生為滅?為同為異?為非生滅?為非同異?汝曾不知,如來藏中,性見覺明,覺精明見,清淨本然,周遍法界。隨眾生心。應所知量。
佛言:「若人欲了知,三世一切佛,應觀法界性,一切唯心造。」
馬鳴菩薩以止觀證得第八識如來藏的方法如下:
《大乘起信論》
若修止者。住於靜處。端坐正意。不依氣息。不依形色。不依於空。不依地水火風。乃至不依見聞覺知。一切諸想。隨念皆除。亦遣除想。以一切法。本來無想。念念不生。念念不滅。亦不得隨心外念境界後以心除心。心若馳散。即當攝來住於正念。是正念者。當知唯心。無外境界。即復此心亦無自相。念念不可得。
這是廣明修習止觀的歷程,而修心入定的方法,在這當中也完全指示的很清楚。「住於靜處」就是遠離外緣熱鬧的地方。天台小止觀有說到:想修學入定,要先學習調和身、心、息。文中所說的「端坐」,就是「調身」,身體不俯下、不仰上,所以說「端坐」。「正意」就是「調心」,不昏沈、不掉舉,寂照現前,所以說「正意」。
但是這裡所說的修止觀的方法是:不依氣息,因此不調息,不依氣息形色,這是離自身;不依虛空四大,是離外在的世界;不依見聞覺知,則是離心意識。所以古大德在教人參禪時都說:於内,要沒有身心之見,於外,也沒有世界之相,只須離心意識去參,要超越凡聖的方法去學,要遠離妄想境界的企求,因此這裡都說「不依」,也就是「脫離」的意思。
「一切諸想」至「念念不滅」這五句,正是用心的方法。一切眾生,迷失了本有的真心,一向以來都是用妄想心在做事,因此現在要修習,最重要的就是去除念想。所以《楞伽經》中說:「從上諸聖轉相傳授妄想無性」這一句話,是最為明白切要。
問:妄想無性,要如何除呢?
答:「一切諸想,隨念皆除。」意思就是說:這一念乃是直心正念真如之念。現在用心,只要提起這一念為主,再沒有第二念,以這一念的觀照之力,若見妄想一起,就隨即一念照破,當下消滅,更不容其相續,這也就是永嘉禪師所謂的「斷相續心」,參禪的要訣,再也沒有超過這一念了,這已是明確的指出修行的重點。
《楞伽經》卷一
「……時楞伽王尋即開悟,離諸雜染,證唯自心住無分別;往昔所種善根力故,於一切法得如實見,不隨他悟;能以自智善巧觀察,永離一切臆度邪解,住大修行,為修行師,現種種身,善達方便,巧知諸地,上增進相,常樂遠離,心、意、意識,斷三相續見,離外道執著,内自覺悟,入如來藏趣於佛地。聞虛空中及宮殿內咸出聲音:「善哉大王!如汝所學,諸修行者應如是學,應如是見,一切如來應如是見,一切諸法若異見者則是斷見;汝應永離,心、意、意識,應勤觀察一切諸法,應修内行莫著諸見,莫墮二乘及諸外道,所修句義所見境界,及所應得諸三昧法;汝不應樂戲論談笑,汝不應起圍陀諸見,亦不應著王位自在,亦不應住六定等中。若能如是,即是如實修行者行,能摧他論能破惡見,能捨一切我見執著,能以妙慧轉所依識,能修菩薩大乘之道,能入如來自證之地,汝應如是勤加修學,令所得法轉更清淨,善修三昧三摩缽底,莫著二乘外道境界以為勝樂,如凡修者之所分別,外道執我,見有我相,及實求那而生取著,二乘見有無明緣行,於性空中亂想分別。楞伽王!此大乘行破無明翳,滅識波浪,不墮外道諸邪行中。楞伽王!外道行者執著於我作諸異論,不能演說離執著見識性二義。善哉!楞伽王!汝先見佛,思維此義,如是思維乃是見佛。」
《央掘魔羅經》卷二:
若諸眾生多背諸佛者,聞如來藏則生誹謗,彼諸眾生自燒種子。嗚呼!苦哉!苦哉!不信之人於三世中甚可哀愍。
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コメントありがとうございます。
音木の叩き方ですね!頑張って動画作れたらと思います🙇♀️早めにアップできるよう検討させていただきます。
僕も、浄土真宗の門徒なので、阿弥陀経は、大好き❤️です。
コメントありがとうございます。
阿弥陀経はテンポがいいと本当に心地良いですよね!
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いえいえ、お経は地道に研鑽していただければ最低限はできるようになるものかと思います🙇♀️自分ももっと研鑽させていただきます。
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特に平生の法要に対して、特別な法要などの際には経鏧を用いる場合が多いのではないでしょうか。
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普段も准堂衣体 使ってるのですか?
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舎利弗は、お釈迦さまのお説法に質問をしたりすることなくただただじっとお話を聞いているので、阿弥陀経は、無問自説経と呼ばれています。
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