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趙雲と馬超はよくあそこまでエピソード盛り盛りにできたもんだわそれでいて殆ど破綻してないんだから羅漢中の文才がいかに高かったのか分かる
馬超に至っては、劉備に帰順した後の貢献ゼロだからな。黄忠は定軍山での功績でダントツの功績を挙げてるし、張飛も張郃を子供扱いにしているのに対し馬超はいいとこなし。功績からすると前後左右将軍に馬超が入っているのに違和感がある。現代風にいえば、前職の経歴考慮で部長待遇で入社させて、すぐに役員にしたが、仕事やらせたら無能だった人。
陳寿「こいつのことよくわかんねぇ…書くことねぇな…」裴松之「いろんな伝がたくさんあるから注付けまくってまとめたろ!」
ひさしぶりの三国志ついに趙雲子龍だ
このUp主が徹底的に客観的視点に寄り添ってるのには本当に好感を持てる。趙雲と言えばどうしても”趙雲を名将と評価するための記録探し&こじつけ的な論理”に傾倒するチャンネルが多い。(多分趙雲ファンに寄り添っているんだと思うが)こちらのUP主様は徹底的に趙雲ファンに媚びない視点を貫いてる。subscribeしておきました。これからもよろしくお願いします。
演義で趙雲にやられた武将に呉の武将である朱然がいますね。演義では夷陵の戦いにおいて劉備の救援に来た趙雲の槍の一突きでやられたのですが、正史では孫権の学友として後に重臣として孫権を支えた名将です。1984年に朱然の墓が見つかり三国時代の文化を知る上で貴重な発見となりました。なお1995年には朱然の息子朱績のものとみられる墓が見つかっております。
そんなものは無い!が連続して笑えました🤣🤣🤣最後まで劉備、孔明に仕えて天寿を全うしたし、地味だけど実直で普通に優秀だったのでしょうね。
三国志がここまで人気になったのは羅貫中の名脚本の影響が大きい
さすが中華のシェイクスピア
そんなものはないと言うパワーワードでぶった切られる子龍さんに草
名将の撃破より、阿斗救出より、北伐の経路がヤバい件。
卒論に趙雲を取り入れようと意気込み、ワクワクしながら正史三国志を読んでしょっぱい顔をした思い出
今日はツッコミの切れが、いつも以上に良かったな。
うp主がそれだけ衝撃をうけた事実について語っているからだろう。
いや趙雲ファンの幻想を徹底的に粉砕して絶望のどん底に落とすことに快感をおぼえてるのかもしれない
「阿斗を心配しろ!」には笑った
元々記述の少ない人物で名前に瑞獣が入ってるから色々盛りやすかったんだろうね
陳寿による正史三国志の成立から裴松之が注釈を入れるまで約150年間、その間八王の乱→五胡十六国の地獄みたいなコンボが続いてる世情で、誰がどういった意図で「趙雲別伝」で趙雲のエピソードを追加していったのかが気になりますね。
「そんなものはない!」好きwww
趙雲のしくじり、それは「正史に記録を残させなかった」。しかし、それを逆手に「三国志演義」で好き放題に肉付けが出来た「面白い人形」となった。
8:00やっぱり劉禅はこの時頭を強打したんだろうなあ
横山三国志だとドカベンだがゲームや他漫画だとイケメンだよなぁ気のせいか 中国史だと解説のユーモアとテンションさらに上がってる気がするわやっぱ好きなんだなぁ
中国史というか、三国志以前の解説は後世の中国史の解説より熱がこもってるような印象はある(´・ω・`)
趙雲って年齢不詳とされているけど、劉備陣営に加わった時点で普通に40代の中年、当時の平均年齢50歳からすると、演技で八面六臂の活躍していた頃は既にお年寄りでしたからね(笑)イケメンとして描かれるのには違和感が…
@@unauna607 ま、まあリアルでも40代でも50代でも60代でもカッコよくてイケメンいますし…
趙雲は正史で 二重アゴ だからなむしろドカベンの方が正しいエクボだとか異説もあるらしいが
横山三国志の趙雲、太史慈、許褚の線だけの顔が好きwたまに目が開くんですけどねw
他にも孫堅とか朱然とか曹植、曹仁、高順、馬休(だったかな?)なども当てはまりますね
趙雲子龍は名前の時点でもうカッコ良いのがずるい。
その名前のプロレスラーがいます。
@@山見楽太郎 DDT?
大抵の漫画ではイケメンに描かれている趙雲だが、有名な横山光輝三国志では糸目に小太りのドカベンみたいな外見に描かれていたな
無双の趙雲は今や数少ない「キレイな小野坂昌也」が聴けるキャラクターやぞ
キレイなヤング師匠好き
小野坂先生はオネェキャラ多すぎて、そっちのがイメージありますなwwww
孔明もだぞ
いつもは汚いみたいな言い方やめ…うん…そうだね…
あのやや棒読みな感じが好き
実在が怪しいじやなくて少しほっとしてる
三國志パートの紹介が勢い良すぎて笑ったw
三国志のゲームでは趙雲は必ず重用する。
中学のときナムコの三国志をプレイして以来、趙雲子龍のファンになりました。
関羽、張飛に次ぐ劉備陣営の武の柱というイメージはまさに演義からで実際はこの二人と比べると位は大きく落ちるというか五虎といっても席次は一番下と知ったのは大人になってから。現実は本当に残酷です。
彼の事跡は誇張はあっても、まったくの虚偽ではない、更に言えばその誇張も彼自身には何の責もない。と言ったところかね、少なくともあの時代を懸命に生きた一角の人物ではあったんだろうね。「会社では全く目立たないが、会社の財務が健全なのはあの人のお陰だよ」と、密かに評価されていた経理課長のような人物だったのかもね。益々好きになったぜ「趙課長」
大きな失敗の記述もないしね。でも魏や呉に趙雲と似通ったくらいの実績や記録が残る程度の人がいたとして、たぶんその人は誰にも見向きもされてないだろうけど。
彼の活躍時期の長さ考えたら、最晩年の彼は「老将」そのものだろうな。劉備3兄弟と同世代でありながら、三國志孔明伝では重鎮として魏延と共に最後まで奮闘するもん。(ただ、孔明が帝位につく決断すると、真っ先に孔明から離反するのも彼ら2人なんですが。)
正史と演技は違うって知ってる人から見たら正史に名前が載ってるだけで嬉しいんだよなあ
演義ほどの活躍はなくても、いぶし銀みたいな活躍してた人なのかなぁという印象ですなんだかんだ、かなり評価されてないと列伝作られないでしょうし
実像の趙雲は、自らの功績を誇る人物ではなかったんだろうな。地味だけど居なくては困る人材ってところか
確かに。僕の中でも趙雲には関羽や魏延のように己の功を誇ったりするイメージは一切ないぞ
三国志の中で蜀は歴史などの記録官を設けなかったので、ここら辺の各将軍の功績とかがはっきりと記されてないので趙雲の伝が創作なのか、真実なのかわからない部分が多いんだと思う。ただ、それなりに重要な地位にいたのは確かということですね
確かに、魏と呉と違って、蜀の記録はほぼ陳寿から集める様なものでした
記録官っていたんだな。呉は誰がやってたの?
羅貫中が天才すぎる。
趙雲子龍とかいう名前が良すぎるのよ
関羽、張飛、馬超、黄忠、魏延とアクの強い人たちの中で、手堅く色々できるのが正史趙雲の印象。夷陵の江州とか北伐の対曹真とか、「ここ抜かれるとヤバい!」ところに使われてるイメージがあるわ。あと、孫夫人入ってからの後宮の監視も実直かつ信頼されてるからこそ任命されたんだろうな
劉備が阿斗を地面に叩きつけた後遺症で劉禅がああなった説がありました。
それってニコ動の某101匹・・・
@@bluenoah672 光栄の武将ファイルで観たような気もします。どっちだろう?
@@宇治金時大納言 光栄の武将ファイルは覚えていませんが、今でもニコ動に残っているネコミミ于禁さんの動画で、三國志9で劉禅101人で中華統一を目指す動画の中でそのネタがありました。ネタばかりですが、本編最後の武将紹介等は演技と正史の両方を笑いを交えながら丁寧に紹介しているので、三國志好きには結構楽しめます。
正史での趙雲にあまり目立った活躍がなかったことは知ってたがそれがために関羽や張飛のように決定的な失敗がなかったと感じる。(第一次北伐の際に敗戦はしたがその時の被害を最小限に抑えていた)それと正史でも実直かつ忠実、そして功を焦らず功を誇らずといった印象が僕の中にあることに変わりはない(功を焦って深入りして窮地に陥ったところを関興と張苞に助けられたというのは演義の創作だし)
趙雲、現実にいただけいいじゃん! 周倉なんて、あんなに長く一緒にいたのに…(涙)
神戸の関帝廟の 関羽像の横にいたのに…まさかのww(0Д0)
周倉は…触れたらアカン!(笑)
劉備の親衛隊長から、熟練の小隊長になった印象、活躍しない事が最善な人材。
まさにそれですね。失敗はしない…事だけで本当に徐々に時間掛けて官職上がって行き、最後に失敗して降格された可哀想な武将…
地味ながら的確に仕事をこなしてきた印象で縁の下の力持ちだったんだろうただあまりにも地味すぎて書く内容がなかっただけな感じがする
羅貫中が悪いのは承知の上だが、朱然の寿命を20年縮めたのは許し難い
朱然は正史では、曹仁張遼の最強双璧に次ぐ程の名将、猛将でしたからねぇ…しかも元々は文官、文武両道。
陳寿と羅貫中、裴松之の解説も見てみたいです!☆
演技趙雲大活躍の犠牲として陳到と白耳兵が割り食ってると個人的には思ってます。
後世の創作を「虚像」とか言われたら趙雲も浮かばれんわな。
まともにエピソードがない謎の将軍だから後付設定を盛りまくれたというやつか
趙雲が諡を追贈されたのは関羽、張飛、馬超、黄忠が諡を追贈された翌年で、蜀臣全体では12番目だった。因みに1番最初だったのは法正。
コーエーの初代三国志の趙雲はイケメンなんてレベルを通り越してる!
曹操が主人公の蒼天航路でさえ趙雲クソかっこいいのに…
【悲報】趙雲さん、ラノベ主人公だった(字もラノベ風)
曹操に早々に降伏♪
いや、玄徳公に忠誠を誓ってますから。
ラップ調♪
三国演義のモリモリスタイルはちょっと困りものですが、正史はというとこれまた地味な存在らしい(ちゃんと読んだ事ない💦)。陳寿の正史を読んだ友人が「くっそつまらん」と言って嘆いていましたw。日中問わず、講談調の話が史実として捉えられてしまうのは嘆かわしいと同時に人情としては分かる気もします。
あぅー…横山光輝三国志、人形劇三國志に親しんだ私には趙雲はスーパーヒーローだったのに…初見の昨日は落ち込んで立ち直れなかった(泣)
「Three Kingdoms」での長坂は面白かった!
曹参の動画はありますか?
次に三国志の解説は黄忠になりそうこれで五虎大将軍は完全コンプリートになるぞ
演義の趙子龍はかっこよすぎて「小説か?!」ってレベル(まあそうなんだけど)黄忠が好きなんだけど、やっぱり装飾が多いんかなぁ・・・
黄忠は、跡継ぎに恵まれなかった悲劇の武将らしいです。
1800年以上の記録が定かどうか怪しい人達にそんなに感情移入しても仕方がないような気がする。
趙雲が劉備に合流した時40歳
活躍してなけりゃ高い地位にはいないよな
某キングダムの李信みたいな感じで空白が多く創作の余地のある便利な存在なのよね(それゆえ他と統合して文章化するとおとぎ話のようなエピソードが浮くほど満載になる)実像としては失敗の少ない手堅く堅実に陣営を支えた譜代の臣であったのかもしれないもちろんこういう扇の要的な人材が居ない組織は破綻しやすく欠かすことは出来ないし最近はむしろ地味趙雲にも好感が持てる
創られたスーパーマンだったのだろうけれど、その実直さを好まれた人間だったのであろうなあとも思える
趙雲に救い出された甘夫人は、自分と息子を置き去りにしてさっさと逃げた劉備を睨みつけていて、劉備は目を合わそうとしなかった。
三国志…!
趙雲の恩義を辞退していたという高潔さを尊重して正史にはあまり載せられず、それを不憫に思った羅貫中が盛りまくった。のかもしれない。趙雲推しが多いのは無双の影響が強いのではないかと思う。私は趙雲よりも(きっと)記述が少ない大喬を推してます!
それはあれか?趙雲ファンの俺に喧嘩売ってるのか?
趙雲は劉備の付き人、親衛隊長ポジだったんだろう孫権で言うところの周泰みたいな大将軍ポジではないが主君の信頼は厚い的な
蜀って担当分野の能力が高く、官位も高位に昇ったが自身の欠点が文字通り命取りとなって碌な最期を迎えられなかった武将が多いから、蜀末期になると相対的に評価が繰り上がったのかもねそれにしても蜀の諡号持ちの名臣は意外なほどに少ない驃騎・車騎・雑号大将軍クラスの重鎮ですらほとんど与えられてないのだから
「翼侯」という諡号を貰った法正ぐらいしかいませんものね。
陳寿「趙雲は黄忠ぐらいすごかったんやで〜」ワイ「ならもっと書けや」
羅貫中「五虎将軍というなんか戦隊モノみたいに格好良さげな設定考えたけどこの人なんか実績もキャラも薄いので色々盛っておいたよ」。|ω・`)
なんで馬超に変な被り物させたの…
曹操に早々に降伏・・・
総統も相当・・・
曹操の戦争に焦燥の劉琮、早々に曹操に降伏
趙雲についての記述が少ないのはもしかしたら魏を一番コテンパンにしたからあまり書かれてないのかもなぁ・・・と妄想してみる。
意外と、あり得る...。
趙雲は、劉備や諸葛亮の身辺警護を主任務とする親衛隊長的存在だったと思いますね。実際に劉備存命中は多くの戦いに従軍しながらも、個人的武勇や小隊指揮しか逸話がありません。しかし、劉備死没・劉禅即位後に将軍位が急に上がり、大軍を指揮した逸話が急に増えています。これは、劉備が没した時に親衛隊の任を解かれ、諸葛亮が片腕として使うため将軍に取り立てたのではないかと考えています。
なんか、縁の下の力持ち的な感じがした
諡があるって事はそれだけの功績があったという事でしょう
景耀3年に関張馬黄と龐統が追贈されて趙雲が抜かされたんで別伝を奏上して「お前が玉座に座っとんのは趙雲のおかげやろがい、なんで抜かしとんねん」と一年遅れで一人追贈されたというのが一番怪しい
「なんだこの音楽は?」BGM小さくて聞こえないw
劉邦「私もそう思ったので、息子と娘を馬車から投げ捨てました」(/・ω・)/カテリーナ「子供ならここからいくらでも」(/・ω・)/
三國志などの歴史物は話し半分以下で聞いとくのが一番。
考古学の研究者の努力に期待、待機、でしょうか?
魯粛や許褚、黄蓋、袁術、献帝などもやってほしいですね。
目立った活躍はしてないから対外的なアピールポイントはないけど、致命的なやらかしがないから味方陣営からは重宝される仕事人ポジだったんだろうね。正史に記述が少ないってことは「加点要素も減点要素もないから記述しようがない」って理由も少なからずあったんだろうし。
あの世の趙雲が勝手に英雄扱いして勝手にガッカリされても困るって言ってそう
北方三國志の北方さんは、「趙雲好きじゃない」ってコメントしていた。理由は現地調査で女子たちが「趙雲大好き」としか聞かなかったからうんざりしたとか。だから、北方三國志での趙雲の最期は静かに座ったまま息を引き取ったというものだった。
記述できない何かあったのかもしれないのもロマンよなぁ
正史三国志に関しては、作者・陳寿の好みもかなり反映されていると見るべきで、彼の目からみて、特筆する事績がなかったと言うことなのだろうか…?
陳寿は益州出身で、劉備の益州侵攻後劉備に仕え、蜀滅亡後しばらくしてから西晋に仕えたので、魏と対立していた蜀の人物については詳細書けず、西晋が滅ぼした魏の人物に対しては諸々オブラートに包んだ書き方しか出来なかったのがその一因とされてますね。
演義を読んで趙雲の最大のしくじりは阿斗を救ってしまったことだと思っていた
同じくww
いいえ、お陰で、蜀の無血開城が成功したんですから。
目立たないけどいないと困る、いぶし銀のような存在だったのかな。
趙雲は五虎将の中では一番位が下だったそうでその理由を自分なりに考えてみたが趙雲は生真面目で控えめな性格で私生活も質素で私利私欲のない人だったのでは。武将としては個人戦には強いとこはあっても軍を率いて自分で考えて指揮をとるのは不得手で孔明のような上官の指示に従って忠実に動くのは得意なタイプ。劉備の子を二度救ったのも大手柄に見えるが君主にしてみたら敵将を討ち取る方がよっぽど大手柄だったんでしょうね。上官の指示には逆らわず文句も言わず忠実にこなしてくから上官にしてみたらこういうタイプの方が扱いやすいんでしょうかね。史実で記述が少ないのも思ってるほど功績が少ないからかもしれません。それでも忠誠心が人一倍強いとこはあったんじゃないでしょうか?
趙雲が5虎の一番下というよりは、前後左右の4人が4虎で、筆頭が関羽、一番下が張飛。これが史実。趙雲はこれより一段下がった身分の中で魏延と並ぶくらいの地位。これが関羽存命中の序列。その後、関羽が死んで、黄忠も劉備の即位前に死去。劉備の即位と同時に姻戚関係の張飛が武官筆頭の車騎将軍に昇進。その張飛と馬超も劉備より前に死んで、劉備崩御の時には4虎が全員いなくなってて、趙雲と魏延が武官筆頭に繰り上がりでなった感じ。
趙雲は劉備直属の近衛隊長だったそうですから、関羽や張飛みたいに兵権を任せられなかったんですがね。
劉備は趙雲LOVEですから、手元から離したくなかった。もちろん趙雲も劉備LOVEだから不満は無いのであったw
仕事は地味だったんでしょう。
無双OROCHIで真田幸村とコンビで看板的になってるの皮肉だよなあ。
ムラムラ大王?、どういう所が?
三国志で、縁起と正史の落差&謎が一番でかいのが彼だと思う。
後は諸葛亮も…軍師として活躍した記述は正史では一切無く、劉備亡き後北伐開始した時は総指揮官としてですからね~彼は基本内政官、蜀で数々の内政施策したけど全て曹操の後追いなんですよね…
趙雲は関羽や張飛と違って失敗はしない安定感がある印象やな
普通に敗北して降格されとる
まぁ有能な武官ではあったのかなぁとは思う
霊夢ちゃん、怒濤のそんなものはない!😠連呼w 🤣 まさに怨みが籠るがごとき連打だw 🤣 🤣
正史に書いていないからってだけで事実でないとは言いきれないけどな
正史の記述だけだと関羽張飛馬超黄忠あたりと同じ伝にまとめられるほどの人物とは思えないけど趙雲別伝に書かれてることが本当なら納得できなくもないので趙雲別伝はある程度本当のことが書かれてるんじゃないか?と思ってます。
どう考えても曹操と魏が主人公の三国志を劉性だから劉備主人公にしたい、それには有能な武将少なすぎやんけ!・・・せや!!名前カッケーし正史で空気やしまるまるもりもりしたれ!!で生み出された名将って感じかwww
なにかで読んだが中国の趙雲像って確か老人なんだよね、日本人の想像とまた違うんだろうなぁ。劉備の親衛隊長位の地位しかないと聞いたことがあるが・・・まあ羅貫中が天才ってことか・・・
横山先生・・・・全部作り話ですか・・・マジかよ( ;∀;)
8:18 ごもっともwww
常に一定以上の戦果を上げつつもやらかさない計算できる将軍という立ち位置だったんでしょうかね
正史の伝が一緒だから同格ってガバガバ解釈が通るなら 夏侯尚が夏侯惇・夏侯淵や 曹仁と同格になっちゃうもんねぇ書かれてる内容もちゃんと吟味しないとね
正史の古代中国史ですら数字はかなり盛られてるとまで言われてるしね実際の兵力でも百万、数十万単位の戦争はおそらくほぼなかったんじゃないかな
日本でもそうですよね。当時の人口で数十万の大軍なんて、いくら屯田制早くから取り入れた曹操でも有り得ないですよね。中国でも日本でも、昔の兵数は実際は1/10程だったそうですね。
三國志演義の中で劉禅が馬鹿なのって劉備がぶつけたからじゃw、と物語の三国志を見るたびに思うww
蜀無血開城だけは評価してもいいと思います。
趙雲と馬超はよくあそこまでエピソード盛り盛りにできたもんだわ
それでいて殆ど破綻してないんだから羅漢中の文才がいかに高かったのか分かる
馬超に至っては、劉備に帰順した後の貢献ゼロだからな。
黄忠は定軍山での功績でダントツの功績を挙げてるし、張飛も張郃を子供扱いにしているのに対し馬超はいいとこなし。
功績からすると前後左右将軍に馬超が入っているのに違和感がある。
現代風にいえば、前職の経歴考慮で部長待遇で入社させて、すぐに役員にしたが、仕事やらせたら無能だった人。
陳寿「こいつのことよくわかんねぇ…書くことねぇな…」
裴松之「いろんな伝がたくさんあるから注付けまくってまとめたろ!」
ひさしぶりの三国志ついに趙雲子龍だ
このUp主が徹底的に客観的視点に寄り添ってるのには本当に好感を持てる。趙雲と言えばどうしても”趙雲を名将と評価するための記録探し&こじつけ的な論理”に傾倒するチャンネルが多い。(多分趙雲ファンに寄り添っているんだと思うが)こちらのUP主様は徹底的に趙雲ファンに媚びない視点を貫いてる。subscribeしておきました。これからもよろしくお願いします。
演義で趙雲にやられた武将に呉の武将である朱然がいますね。演義では夷陵の戦いにおいて劉備の救援に来た趙雲の槍の一突きでやられたのですが、正史では孫権の学友として後に重臣として孫権を支えた名将です。
1984年に朱然の墓が見つかり三国時代の文化を知る上で貴重な発見となりました。なお1995年には朱然の息子朱績のものとみられる墓が見つかっております。
そんなものは無い!が連続して笑えました🤣🤣🤣最後まで劉備、孔明に仕えて天寿を全うしたし、地味だけど実直で普通に優秀だったのでしょうね。
三国志がここまで人気になったのは羅貫中の名脚本の影響が大きい
さすが中華のシェイクスピア
そんなものはないと言うパワーワードでぶった切られる子龍さんに草
名将の撃破より、阿斗救出より、北伐の経路がヤバい件。
卒論に趙雲を取り入れようと意気込み、ワクワクしながら正史三国志を読んでしょっぱい顔をした思い出
今日はツッコミの切れが、いつも以上に良かったな。
うp主がそれだけ衝撃をうけた事実について語っているからだろう。
いや趙雲ファンの幻想を徹底的に粉砕して絶望のどん底に落とすことに快感をおぼえてるのかもしれない
「阿斗を心配しろ!」には笑った
元々記述の少ない人物で名前に瑞獣が入ってるから色々盛りやすかったんだろうね
陳寿による正史三国志の成立から裴松之が注釈を入れるまで約150年間、その間八王の乱→五胡十六国の地獄みたいなコンボが続いてる世情で、
誰がどういった意図で「趙雲別伝」で趙雲のエピソードを追加していったのかが気になりますね。
「そんなものはない!」好きwww
趙雲のしくじり、それは「正史に記録を残させなかった」。
しかし、それを逆手に「三国志演義」で好き放題に肉付けが出来た「面白い人形」となった。
8:00
やっぱり劉禅はこの時頭を強打したんだろうなあ
横山三国志だとドカベンだがゲームや他漫画だとイケメンだよなぁ
気のせいか 中国史だと解説のユーモアとテンションさらに上がってる気がするわ
やっぱ好きなんだなぁ
中国史というか、三国志以前の解説は後世の中国史の解説より熱がこもってるような印象はある(´・ω・`)
趙雲って年齢不詳とされているけど、劉備陣営に加わった時点で普通に40代の中年、当時の平均年齢50歳からすると、演技で八面六臂の活躍していた頃は既にお年寄りでしたからね(笑)
イケメンとして描かれるのには違和感が…
@@unauna607
ま、まあリアルでも40代でも50代でも60代でもカッコよくてイケメンいますし…
趙雲は正史で 二重アゴ だからな
むしろドカベンの方が正しい
エクボだとか異説もあるらしいが
横山三国志の趙雲、太史慈、許褚の線だけの顔が好きw
たまに目が開くんですけどねw
他にも孫堅とか朱然とか曹植、曹仁、高順、馬休(だったかな?)なども当てはまりますね
趙雲子龍は名前の時点でもうカッコ良いのがずるい。
その名前のプロレスラーがいます。
@@山見楽太郎 DDT?
大抵の漫画ではイケメンに描かれている趙雲だが、有名な横山光輝三国志では糸目に小太りのドカベンみたいな外見に描かれていたな
無双の趙雲は今や数少ない「キレイな小野坂昌也」が聴けるキャラクターやぞ
キレイなヤング師匠好き
小野坂先生はオネェキャラ多すぎて、そっちのがイメージありますなwwww
孔明もだぞ
いつもは汚いみたいな言い方やめ…
うん…そうだね…
あのやや棒読みな感じが好き
実在が怪しいじやなくて少しほっとしてる
三國志パートの紹介が勢い良すぎて笑ったw
三国志のゲームでは趙雲は必ず重用する。
中学のときナムコの三国志をプレイして以来、趙雲子龍のファンになりました。
関羽、張飛に次ぐ劉備陣営の武の柱というイメージはまさに演義からで実際はこの二人と比べると位は大きく落ちるというか五虎といっても席次は一番下と知ったのは大人になってから。現実は本当に残酷です。
彼の事跡は誇張はあっても、まったくの虚偽ではない、更に言えばその誇張も彼自身には何の責もない。
と言ったところかね、少なくともあの時代を懸命に生きた一角の人物ではあったんだろうね。
「会社では全く目立たないが、会社の財務が健全なのはあの人のお陰だよ」と、密かに評価されていた経理課長のような人物だったのかもね。
益々好きになったぜ「趙課長」
大きな失敗の記述もないしね。でも魏や呉に趙雲と似通ったくらいの実績や記録が残る程度の人がいたとして、たぶんその人は誰にも見向きもされてないだろうけど。
彼の活躍時期の長さ考えたら、
最晩年の彼は「老将」そのものだろうな。
劉備3兄弟と同世代でありながら、
三國志孔明伝では重鎮として
魏延と共に最後まで奮闘するもん。
(ただ、孔明が帝位につく決断すると、真っ先に孔明から離反するのも彼ら2人なんですが。)
正史と演技は違うって知ってる人から見たら
正史に名前が載ってるだけで嬉しいんだよなあ
演義ほどの活躍はなくても、いぶし銀みたいな活躍してた人なのかなぁという印象です
なんだかんだ、かなり評価されてないと列伝作られないでしょうし
実像の趙雲は、自らの功績を誇る人物ではなかったんだろうな。地味だけど居なくては困る人材ってところか
確かに。僕の中でも趙雲には関羽や魏延のように己の功を誇ったりするイメージは一切ないぞ
三国志の中で蜀は歴史などの記録官を設けなかったので、ここら辺の各将軍の功績とかがはっきりと記されてないので
趙雲の伝が創作なのか、真実なのかわからない部分が多いんだと思う。
ただ、それなりに重要な地位にいたのは確かということですね
確かに、魏と呉と違って、蜀の記録はほぼ陳寿から集める様なものでした
記録官っていたんだな。呉は誰がやってたの?
羅貫中が天才すぎる。
趙雲子龍とかいう名前が良すぎるのよ
関羽、張飛、馬超、黄忠、魏延とアクの強い人たちの中で、手堅く色々できるのが正史趙雲の印象。
夷陵の江州とか北伐の対曹真とか、「ここ抜かれるとヤバい!」ところに使われてるイメージがあるわ。
あと、孫夫人入ってからの後宮の監視も実直かつ信頼されてるからこそ任命されたんだろうな
劉備が阿斗を地面に叩きつけた後遺症で劉禅がああなった説がありました。
それってニコ動の某101匹・・・
@@bluenoah672
光栄の武将ファイルで観たような気もします。どっちだろう?
@@宇治金時大納言
光栄の武将ファイルは覚えていませんが、今でもニコ動に残っているネコミミ于禁さんの動画で、三國志9で劉禅101人で中華統一を目指す動画の中でそのネタがありました。
ネタばかりですが、本編最後の武将紹介等は演技と正史の両方を笑いを交えながら丁寧に紹介しているので、三國志好きには結構楽しめます。
正史での趙雲にあまり目立った活躍がなかったことは知ってたがそれがために関羽や張飛のように決定的な失敗がなかったと感じる。
(第一次北伐の際に敗戦はしたがその時の被害を最小限に抑えていた)
それと正史でも実直かつ忠実、そして功を焦らず功を誇らずといった印象が僕の中にあることに変わりはない
(功を焦って深入りして窮地に陥ったところを関興と張苞に助けられたというのは演義の創作だし)
趙雲、現実にいただけいいじゃん! 周倉なんて、あんなに長く一緒にいたのに…(涙)
神戸の関帝廟の 関羽像の横にいたのに…
まさかのww(0Д0)
周倉は…触れたらアカン!(笑)
劉備の親衛隊長から、
熟練の小隊長になった印象、
活躍しない事が最善な人材。
まさにそれですね。
失敗はしない…事だけで本当に徐々に時間掛けて官職上がって行き、最後に失敗して降格された可哀想な武将…
地味ながら的確に仕事をこなしてきた印象で縁の下の力持ちだったんだろう
ただあまりにも地味すぎて書く内容がなかっただけな感じがする
羅貫中が悪いのは承知の上だが、朱然の寿命を20年縮めたのは許し難い
朱然は正史では、曹仁張遼の最強双璧に次ぐ程の名将、猛将でしたからねぇ…しかも元々は文官、文武両道。
陳寿と羅貫中、裴松之の解説も見てみたいです!☆
演技趙雲大活躍の犠牲として陳到と白耳兵が割り食ってると個人的には思ってます。
後世の創作を「虚像」とか言われたら趙雲も浮かばれんわな。
まともにエピソードがない謎の将軍だから後付設定を盛りまくれたというやつか
趙雲が諡を追贈されたのは関羽、張飛、馬超、黄忠が諡を追贈された翌年で、蜀臣全体では12番目だった。因みに1番最初だったのは法正。
コーエーの初代三国志の趙雲はイケメンなんてレベルを通り越してる!
曹操が主人公の蒼天航路でさえ趙雲クソかっこいいのに…
【悲報】趙雲さん、ラノベ主人公だった(字もラノベ風)
曹操に早々に降伏♪
いや、玄徳公に忠誠を誓ってますから。
ラップ調♪
三国演義のモリモリスタイルはちょっと困りものですが、正史はというとこれまた地味な存在らしい(ちゃんと読んだ事ない💦)。陳寿の正史を読んだ友人が「くっそつまらん」と言って嘆いていましたw。日中問わず、講談調の話が史実として捉えられてしまうのは嘆かわしいと同時に人情としては分かる気もします。
あぅー…横山光輝三国志、人形劇三國志に親しんだ私には趙雲はスーパーヒーローだったのに…初見の昨日は落ち込んで立ち直れなかった(泣)
「Three Kingdoms」での長坂は面白かった!
曹参の動画はありますか?
次に三国志の解説は黄忠になりそうこれで
五虎大将軍は完全コンプリートになるぞ
演義の趙子龍はかっこよすぎて「小説か?!」ってレベル(まあそうなんだけど)
黄忠が好きなんだけど、やっぱり装飾が多いんかなぁ・・・
黄忠は、跡継ぎに恵まれなかった悲劇の武将らしいです。
1800年以上の記録が定かどうか怪しい人達にそんなに感情移入しても仕方がないような気がする。
趙雲が劉備に合流した時
40歳
活躍してなけりゃ高い地位にはいないよな
某キングダムの李信みたいな感じで空白が多く創作の余地のある便利な存在なのよね(それゆえ他と統合して文章化するとおとぎ話のようなエピソードが浮くほど満載になる)
実像としては失敗の少ない手堅く堅実に陣営を支えた譜代の臣であったのかもしれない
もちろんこういう扇の要的な人材が居ない組織は破綻しやすく欠かすことは出来ないし最近はむしろ地味趙雲にも好感が持てる
創られたスーパーマンだったのだろうけれど、その実直さを好まれた人間だったのであろうなあとも思える
趙雲に救い出された甘夫人は、自分と息子を置き去りにしてさっさと逃げた劉備を睨みつけていて、劉備は目を合わそうとしなかった。
三国志…!
趙雲の恩義を辞退していたという高潔さを尊重して正史にはあまり載せられず、それを不憫に思った羅貫中が盛りまくった。のかもしれない。趙雲推しが多いのは無双の影響が強いのではないかと思う。私は趙雲よりも(きっと)記述が少ない大喬を推してます!
それはあれか?趙雲ファンの俺に喧嘩売ってるのか?
趙雲は劉備の付き人、親衛隊長ポジだったんだろう
孫権で言うところの周泰みたいな
大将軍ポジではないが主君の信頼は厚い的な
蜀って担当分野の能力が高く、官位も高位に昇ったが
自身の欠点が文字通り命取りとなって
碌な最期を迎えられなかった武将が多いから、蜀末期になると相対的に評価が繰り上がったのかもね
それにしても蜀の諡号持ちの名臣は意外なほどに少ない
驃騎・車騎・雑号大将軍クラスの重鎮ですらほとんど与えられてないのだから
「翼侯」という諡号を貰った法正ぐらいしかいませんものね。
陳寿「趙雲は黄忠ぐらいすごかったんやで〜」
ワイ「ならもっと書けや」
羅貫中「五虎将軍というなんか戦隊モノみたいに格好良さげな設定考えたけどこの人なんか実績もキャラも薄いので色々盛っておいたよ」。|ω・`)
なんで馬超に変な被り物させたの…
曹操に早々に降伏・・・
総統も相当・・・
曹操の戦争に焦燥の劉琮、早々に曹操に降伏
趙雲についての記述が少ないのはもしかしたら魏を一番コテンパンにしたからあまり書かれてないのかもなぁ・・・と妄想してみる。
意外と、あり得る...。
趙雲は、劉備や諸葛亮の身辺警護を主任務とする親衛隊長的存在だったと思いますね。
実際に劉備存命中は多くの戦いに従軍しながらも、個人的武勇や小隊指揮しか逸話がありません。
しかし、劉備死没・劉禅即位後に将軍位が急に上がり、大軍を指揮した逸話が急に増えています。
これは、劉備が没した時に親衛隊の任を解かれ、諸葛亮が片腕として使うため将軍に取り立てたのではないかと考えています。
なんか、縁の下の力持ち的な感じがした
諡があるって事はそれだけの功績があったという事でしょう
景耀3年に関張馬黄と龐統が追贈されて趙雲が抜かされたんで
別伝を奏上して
「お前が玉座に座っとんのは趙雲のおかげやろがい、なんで抜かしとんねん」
と一年遅れで一人追贈されたというのが一番怪しい
「なんだこの音楽は?」
BGM小さくて聞こえないw
劉邦「私もそう思ったので、息子と娘を馬車から投げ捨てました」(/・ω・)/
カテリーナ「子供ならここからいくらでも」(/・ω・)/
三國志などの歴史物は話し半分以下で聞いとくのが一番。
考古学の研究者の努力に期待、待機、でしょうか?
魯粛や許褚、黄蓋、袁術、献帝などもやってほしいですね。
目立った活躍はしてないから対外的なアピールポイントはないけど、致命的なやらかしがないから味方陣営からは重宝される仕事人ポジだったんだろうね。
正史に記述が少ないってことは「加点要素も減点要素もないから記述しようがない」って理由も少なからずあったんだろうし。
あの世の趙雲が勝手に英雄扱いして勝手にガッカリされても困るって言ってそう
北方三國志の北方さんは、「趙雲好きじゃない」ってコメントしていた。理由は現地調査で女子たちが「趙雲大好き」としか聞かなかったからうんざりしたとか。
だから、北方三國志での趙雲の最期は静かに座ったまま息を引き取ったというものだった。
記述できない何かあったのかもしれないのもロマンよなぁ
正史三国志に関しては、作者・陳寿の好みもかなり反映されていると見るべきで、彼の目からみて、特筆する事績がなかったと言うことなのだろうか…?
陳寿は益州出身で、劉備の益州侵攻後劉備に仕え、蜀滅亡後しばらくしてから西晋に仕えたので、魏と対立していた蜀の人物については詳細書けず、西晋が滅ぼした魏の人物に対しては諸々オブラートに包んだ書き方しか出来なかったのがその一因とされてますね。
演義を読んで趙雲の最大のしくじりは阿斗を救ってしまったことだと思っていた
同じくww
いいえ、お陰で、蜀の無血開城が成功したんですから。
目立たないけどいないと困る、いぶし銀のような存在だったのかな。
趙雲は五虎将の中では一番位が下だったそうでその理由を自分なりに考えてみたが趙雲は生真面目で控えめな性格で私生活も質素で私利私欲のない人だったのでは。武将としては個人戦には強いとこはあっても軍を率いて自分で考えて指揮をとるのは不得手で孔明のような上官の指示に従って忠実に動くのは得意なタイプ。劉備の子を二度救ったのも大手柄に見えるが君主にしてみたら敵将を討ち取る方がよっぽど大手柄だったんでしょうね。上官の指示には逆らわず文句も言わず忠実にこなしてくから上官にしてみたらこういうタイプの方が扱いやすいんでしょうかね。史実で記述が少ないのも思ってるほど功績が少ないからかもしれません。
それでも忠誠心が人一倍強いとこはあったんじゃないでしょうか?
趙雲が5虎の一番下というよりは、前後左右の4人が4虎で、筆頭が関羽、一番下が張飛。
これが史実。
趙雲はこれより一段下がった身分の中で魏延と並ぶくらいの地位。
これが関羽存命中の序列。
その後、関羽が死んで、黄忠も劉備の即位前に死去。
劉備の即位と同時に姻戚関係の張飛が武官筆頭の車騎将軍に昇進。
その張飛と馬超も劉備より前に死んで、劉備崩御の時には4虎が全員いなくなってて、趙雲と魏延が武官筆頭に繰り上がりでなった感じ。
趙雲は劉備直属の近衛隊長だったそうですから、関羽や張飛みたいに兵権を任せられなかったんですがね。
劉備は趙雲LOVEですから、手元から離したくなかった。もちろん趙雲も劉備LOVEだから不満は無いのであったw
仕事は地味だったんでしょう。
無双OROCHIで真田幸村とコンビで看板的になってるの皮肉だよなあ。
ムラムラ大王
?、どういう所が?
三国志で、縁起と正史の落差&謎が一番でかいのが彼だと思う。
後は諸葛亮も…
軍師として活躍した記述は正史では一切無く、劉備亡き後北伐開始した時は総指揮官としてですからね~
彼は基本内政官、蜀で数々の内政施策したけど全て曹操の後追いなんですよね…
趙雲は関羽や張飛と違って失敗はしない安定感がある印象やな
普通に敗北して降格されとる
まぁ有能な武官ではあったのかなぁとは思う
霊夢ちゃん、怒濤のそんなものはない!😠連呼w 🤣 まさに怨みが籠るがごとき連打だw 🤣 🤣
正史に書いていないからってだけで
事実でないとは言いきれないけどな
正史の記述だけだと関羽張飛馬超黄忠あたりと同じ伝にまとめられるほどの人物とは思えないけど趙雲別伝に書かれてることが本当なら納得できなくもないので趙雲別伝はある程度本当のことが書かれてるんじゃないか?と思ってます。
どう考えても曹操と魏が主人公の三国志を劉性だから劉備主人公にしたい、それには有能な武将少なすぎやんけ!・・・せや!!名前カッケーし正史で空気やしまるまるもりもりしたれ!!で生み出された名将って感じかwww
なにかで読んだが中国の趙雲像って確か老人なんだよね、日本人の想像とまた違うんだろうなぁ。劉備の親衛隊長位の地位しかないと聞いたことがあるが・・・まあ羅貫中が天才ってことか・・・
横山先生・・・・全部作り話ですか・・・マジかよ( ;∀;)
8:18 ごもっともwww
常に一定以上の戦果を上げつつもやらかさない計算できる将軍という立ち位置だったんでしょうかね
正史の伝が一緒だから同格ってガバガバ解釈が通るなら
夏侯尚が夏侯惇・夏侯淵や 曹仁と同格になっちゃうもんねぇ
書かれてる内容もちゃんと吟味しないとね
正史の古代中国史ですら数字はかなり盛られてるとまで言われてるしね
実際の兵力でも百万、数十万単位の戦争はおそらくほぼなかったんじゃないかな
日本でもそうですよね。
当時の人口で数十万の大軍なんて、いくら屯田制早くから取り入れた曹操でも有り得ないですよね。
中国でも日本でも、昔の兵数は実際は1/10程だったそうですね。
三國志演義の中で劉禅が馬鹿なのって劉備がぶつけたからじゃw、と物語の三国志を見るたびに思うww
蜀無血開城だけは評価してもいいと思います。