欠番 52
ฝัง
- เผยแพร่เมื่อ 11 เม.ย. 2024
- DD50に始まった国鉄の本線用大型ディーゼル機関車の開発、DD51の登場で非電化路線のディーゼル化は一気に進みます。
その後に登場する派生型、あるいは新系統のディーゼル機関車、なぜか52番を背負うことはありませんでした。
参考資料
DD50よりDD51形式ディーゼル機関車まで 交通技術 18(10)(215)
今後の車両計画 交通技術 20(3)(234)
DD51形液体式ディーゼル機関車 日立評論 第45巻第4号
大形ディーゼル機関車用1,000PS液体変速機 日立評論 第45巻第7号
国鉄DML61S形車両用デイーゼル機関 日本機戚学会誌第67巻第545号
NVIDIA Iray GPU Rendering www.nvidia.com/en-us/design-v...
Super Notch Man Ver.3 イメージテクノロジー研究所
引用画像 www.publicdomainfiles.com/
commons.wikimedia.org/
地理院地図 国土地理院
DOVA-SYNDROME dova-s.jp/
煉獄庭園 Mana note.com/rengokuteien
CGはじめました turbotrain.net/CG.htm
#dd51
#液体式
#国産ディーゼル機関車 - ยานยนต์และพาหนะ
一番最後の画像。
DD50~DD54の並び。
こんな撮影会があったら、悶絶しそうです!
DF200登場まで長期間主力だったDD51の完成度の高さが郡を抜いてる
「将来的に亜幹線にも電化が予想されるため、DL/DCへの積極的投資は過剰になる恐れがある」
この言葉が全てをあらわしています。
ディーゼル車の哀しい性ですね。
将来的に電化が想定されなくなって初めてJR化後にキハ85や2000、DF200は花開いたと言えるでしょう。
新幹線911などは将来に渡っても必要と当初は思われていたので、適切な投資が行われたのでしょう。
今度ぜひ取り上げて下さい。
高山本線は国鉄末期に電化計画があり電化後は381系が投入される予定だったといいます。一部工事に着手した段階で中止されてしまいましたが
実現していれば381系→383系が疾走し、キハ85系→HC85系は「南紀」用だけの小世帯となっていたでしょうね。
そうですね。いずれ電化される訳だから、本格的改革は電化を待ってから。故にディーゼルは「とりあえず」「中継ぎ」的なコスト重視の存在にならざるを得ないのもよくわかります。
10:37
まあ、そもそものDD51は亜幹線での旅客貨物運用を前提とした設計となっていた
そのため、軸重は15トン程度を想定しており、D51やC57、C61を代替する程度の性能があれば良しとされてきた
しかし、北海道のような広大な非電化区間をカバーするには明らかに出力不足であり、ここで液体式の致命的な欠陥が明らかとなった
そのため、代替車両となったが電気式のDF200であった
肥薩線にDD51が入線した時、途中駅でラジエーターカバーを解放して。冷却してました。
0:24 おお、名鉄DED8584号の前身、米陸軍輸送兵科(USA/TC)8584号じゃないですか!
1945年3月の米軍マニラ奪還では「General Macarthur special」祝賀列車の先頭を飾り、戦後占領軍と共に来日し
小牧・各務原基地の物資輸送を務めて1957年に名鉄に払い下げられ1966年引退、フィリピン国鉄に譲渡されました。
・・・それはさて置き(をゐ)、DD52が欠番になっていたのには意識してませんでした。(苦笑)
イメージとしてはDE10からSGを抜いてデッドウェイトを積んで入換用にしたDE11みたいなものですかね?
DD52については諸説あり、鉄道ピクトリアル誌2004年12月号(特集 DD51)でも少し触れられていますが、証拠となる文献がないんだとか。
その後文献が発掘されたのかもしれませんが。
なるほど、自分が聴いてた労組対策でDD52→DD51800がしっくりしてた この動画はその諸説なんですね
@@TAKAEFF655 ん?
諸説のうち、ここで私は2つだけ触れますね。
①DD51-800番台説・・・DD51-800番台はDD53よりも後に登場しており、DD52説を疑う説もあります。尤も、数字の小さい方が先にデビューするとは限りませんが。
②根室本線や鹿児島本線の重量貨物用機関車の開発の構想がありました。それにもDD52説があります。
なお、2004年の書籍から20年ぐらい経っていますので、その間に何か判明したのかは私にはわかりませんでした。他の書籍を見てもわかりませんでした。
DD51は亜幹線向け、ひいては日本の標準機として一定の成功を収めたと言っていいだろう。しかし時代が進み旅客は動力分散化が進む一方貨物は需要が減ったとはいえ高速化が求められ、DD51では性能不足となってしまったのだろう。その間新形式の開発など様々な試行錯誤したが結局DD51の重連に落ち着いたと。現に北海道の函館本線&室蘭本線の貨物列車は平成に入ってようやくDF200が登場するのだから。
今回もなかなかでした👍
労働組合に忖度した説が有名。DD52はDD51 800番台に。同様に北海道型電気機関車に九州のED76が付けられたのもそうだと云われています...
そういえば、「52」という形式番号のDLは、無いですね。
日本の鉄道と、欧米の鉄道との決定的に違いのは、線路や橋梁等の強度の違いです。
植民地をもたなかった我が国は、明治の頃に、金をかけずにとにかく輸送力をつけるということで、線路等の強度を低くせざるを得ませんでした。
欧米諸国では、軸重が17t、18tくらいだとローカル線です。FE63の軸重が18tで日本最大ですね。日本のローカル線での本線用DLの軸重を、14t以下に納めなければならない制約がいつも付いてまわっていましたね。
やっとつくった量産型の本線用DL、DF50も、その定格出力が、101系電車の1ユニット分の定格出力にも満たない非力なものだったし、のちのDD54は、棒高跳び選手(体育会系)でした。
DD51の成功は、一応の区切りになったことは確かで、7ノッチを細分化して14ノッチにし対処しました。この制限軸重のおかげで、当時は軽量化に有利な液体式にこだわっていましたね。
DD51が安定稼働を達成した段階で、さて次なるよりパワーのある本線用DLについては誰でも考えたことでしょう。当時の貨物輸送は全面的に鉄道に頼っていた面が大きかったですから(このすぐあとあたりからモータリゼーションの動きが現れる)。
DD51ですら、国際的なDLの出力重量比からすると陳腐なものでした。DE10のパワーユニットを2台載せる案などいくつかの案があったようでしたが、ローカル線に投資すること自体の不利益、モータリゼーションの波、大量余剰車の出現、ひっ迫する財政等の理由で、お流れになりました。当時ヤードなどに大量のDLが放置されていたのを目撃された方も多かったと思います。
我が国の従来の本線用DLの形式附番は、50(MAX86㎞/h以上)から始まります。50で基本形、51で量産形、「52」は続かず息切れといった感じでしょうか。
DD51のSGなしがDD52の予定だったと聞いた事があるんですが、どうやら違っている実たいですね。
結局、DD51のSGなしは800番台、1800番台となって、500番台は799号の次は1001号になったんですよね。
一応、SGなしで貨物専用を52に区分する計画はあった
しかし、労組関係の悪化で形式を増やすわけにいかず、番台区分でごまかしたという説もありますな
800番台は2000番台とかにできなかったのかな、とも思ってしまいますね。
電気機関車ですがEF210は200番台が改番用なのか空けられています。
DE50がDE52なる予定だった様な
永年の疑問が解けました。
ありがとうございます。
m(_ _)m
開発が遅れorできなかった…なのに海外エンジンメーカーを頼ることもしなかったんですよねえ。
後年に東海のDCを皮切りにカミンズ社エンジン換装がありましたが、すると国内でも新潟やコマツの鉄道用が続々と(コピーしたように)現れました。
日本はこと鉄道用ディーゼルエンジンを一から造るのは無理なのかなぁ。
国鉄御用達の新潟、池貝、ダイハツディーゼルの自社開発のエンジンや
国鉄時代は鉄道用エンジンを製造してなかったコマツも
鉄道以外ではカミンズと同じくらいの排気量で同じくらいの出力のエンジンを製品化してたよ。
要は国鉄が自社内での設計開発にこだわったけど、志しに技術力が追いつかなかったということ。
@@user-wz7vp9cs2v さん
ダイハツは青函航路の2代目石狩丸にも搭載されてましたね。
鉄道輸送のシェアを奪ったトラックやバス業界は、短期間でそれほど技術進歩していたわけです。
ゆえに労使問題も手伝って民間の軍門に下ることができなくなったのかもしれません。
ディーゼル機関車に必要なエンジンは、バスやトラック用の10l~20lクラスでは小型すぎて、
中型船舶用とか大型重機向けの排気量30l~60lクラスですから。
なかなか国内需要を考えると手掛けるメーカーが少なかったということでは。
その中でも大型重機を作っている小松の存在がありますが、
小松は国鉄の護送船団に加わっていなかったため、採用してもらえなかったかと。
海外エンジンに頼るとどうしても背の高いエンジンにしかならず、箱形の車体にせざるを得なかった
しかし、海外ならともかく日本では狭小トンネルが多く、車体とトンネル内壁との間に十分な隙間が確保できず、トンネル内でオーバーヒートすることもあった
そのため、日本で本線用のディーゼル機関車は、トンネル内壁との間に十分な空間が確保できる凸型になったという説がある
54という呪いの数字があるぞ
電車気動車ではあんま影響を受けない54
@@asakazefuji キハ54 名車なんだけど北海道で積み残しを2回も発生させてしまったと言う呪いがあるぞ
DD 51は全部国産で賄った事が成功につながり、一方でDD54は西ドイツの技術を導入した事が失敗に繋がった、もしDD 54が全部国産技術で賄えていたら。
しかし、ディーゼル機関車の開発は大元はもし大東亜戦争やいわゆる日華事変が起きていなかったらに始まり、この期間のブランクが戦後も延々と響いていたんだろう。そしてJRになって電気式・外国製エンジン・振り子が出てくるがもし国鉄の労使関係が良好だったらと思うと。